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ブログタイトル
てんしょー寺blog
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ブログ紹介文
心の探究、仏教、瞑想、神仏習合、書評
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40回 / 365日(平均0.8回/週)

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shinjoさんの新着記事

1件〜30件

  • 『即身成仏義』弘法大師・空海

    即身成仏義 問うて曰く、諸の経論の中に、皆三劫成仏を説く。いま即身成仏の義を建立する、何の憑拠か有るや。 答う、秘密蔵の中に如来、是の如く説き給う。 問う、彼の経に云何が説く。 『金剛頂経』に説かく、 「この三昧を修する者は、現に仏の菩提を証す」(不空訳『金剛頂一字頂輪王瑜伽一切時処念誦成仏儀軌』(略称『一切時処念誦成仏儀軌』) <この三昧とは、謂く大日尊一字頂輪王の三摩地なり>と

  • 「五悔」 普賢行願讃

    十波羅蜜の第七「願波羅蜜」とは、常に「普賢行願」を護持し実践することである。 真言密教では「普賢行願讃」ではなく、金剛界は「五悔」、胎蔵界では「九方便」を読誦する。 伝統説では「普賢行願」と「五悔」と「九方便」は異名同体であり、同じ内容であるとされる。 五悔は、「至心帰命」「至心懺悔」「至心隋喜」「至心勧請」「至心廻向」の五段からなる。 「至心懺悔」だけでなく他の段も「悔」というのは、過去に行願を

  • 『坐禅三昧経』25「第五 等分を治するの法門」2 三十二相

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』24のつづき 是くの如く心に過去仏を想見するに、初めて降神(ごうしん)せる時、天地を震動せしめ、三十二相の大人の相有り。 一つには、足下安平(あんびょう)にして立てり。 二つには、足下に千輻(せんぷく)の輪あり。 三つには、指、長くして好(よ)し。 四つには、足跟(そっこん)広し。 五つには、手足の指、合して縵網(まんもう)あり。 六つには、

  • 『坐禅三昧経』24「第五 等分を治するの法門」1

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』23のつづき 第五 等分を治するの法門 第五の法門は等分を治するの行なり。 重罪に及べる人、仏を求索す。 是くの如き人等、当に一心念仏三昧を教うべし。 念仏三昧に三種の人有り。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習する人ならば、将に仏像の所に至らんとし、或いは自らをして往きて仏像の相好(そう

  • 『坐禅三昧経』23「第四 思覚を治するの法門」11

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』22のつづき 問いて曰く、 「何を以ての故(ゆえ)に故(ことさ)らに喜を作すや」と。 答えて曰く、 「二種の心を治せんと欲す。 或いは散心にして、或いは摂心なり。 是くの如く心を作(な)さば、煩悩を出(い)だすを得ん。 是の故に法を念じて心に喜を作すなり。 復た次に、若し心、悦ばずんば、勧勉して喜ばしめん。 心、摂を作すの時、亦た息の入出する

  • 『坐禅三昧経』22「第四 思覚を治するの法門」10

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』21のつづき 問いて曰く、 「何を以ての故に止なるや」と。 答えて曰く、 「諸もろの思覚を断ずるが故なり。 心、散ぜざるが故なり。 数・随の息の時、心、定まらずして、心、劇すること多きが故なり。 止なれば、則ち心、閑にして事少なきが故なり。 心、一処に住するが故に息の出入を念ずるなり。 譬うるに、門を守るの人の門辺に住して、人の入出を観ずるが

  • 『坐禅三昧経』21「第四 思覚を治するの法門」9

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』20のつづき 問いて曰く、 「入出の息は是れ一息なり。 何を以ての故なるや。 息を出ださば、還た更に入るるが故なり。 譬うるに、水を含まば、水、暖かく、水を吐かば、水、冷たきが如し。 冷たきは還た暖まり、暖かきは還た冷(ひ)ゆるが故なり」と。 答えて曰く、 「爾(しか)らず。内に心、動ずるが故に、息の出づる有り。 出で己(お)わらば、即ち滅す

  • 『坐禅三昧経』20「第四 思覚を治するの法門」8

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』19のつづき 問いて曰く、 「若し餘の不浄・念仏等の四観中なるも亦た思覚を断ずるを得るや。 何を以ての故に、独り数息のみなるや」と。 答えて曰く、 「餘の観法、寛(ゆる)やかにして失し難きが故なり。 数息法、急(にわか)にして転じ易きが故なり。 譬うるに、牛を放ちて、牛の失し難きを以ての故に、之れを守るに事少なきが如く、獮猴(みこう)を放たば

  • 令和三年の当年星供 星まつり

    昨夜、当年星供を厳修いたしました。 感染防止のため、今年は助法なしで一人で修法しました。 願主の方々の除災招福とあわせて、コロナ禍の早期終息を祈願いたしました。 今年は例年よりもたくさんの方からお申込みいただき、また、お申込みと合わせてお布施、お供物をいただきました。心より感謝申し上げます。 ※祈願申し込みいただきました方には、御札とカードお守りとお供物をお送りさせていただきます。郵送までは例年よ

  • 『坐禅三昧経』19「第四 思覚を治するの法門」7

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』18のつづき 問いて曰く、「云何が不死覚を除かんや」と。 答えて曰く、「応に行ずる者に教うべし。 好き家に生まるるが若(ごと)き、種族の子にして才技力勢、人に勝れたるが若きは、一切念ずる莫かれ。 何を以ての故なるや。 一切の死せる時、老少貴賤・才技力勢を観ぜず。 是の身は是れ一切の憂悩の諸もろの因縁にして、因りて自ら少多の寿を見るなり。 安穏

  • 『坐禅三昧経』18「第四 思覚を治するの法門」6

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』17のつづき 問いて曰く、「云何が国土覚を除かんや」と。 答えて曰く、 「行ずる者、若(も)し是の国土の豊楽安穏(ぶらくあんのん)にして諸もろの好き人多しと念ずれば、恒に国土の覚縄(かくじょう)の牽(ひ)くところと為らん。 将(まさ)に罪処の覚心を去らしめんとせば、是くの如くせよ。 若し智人有らば、応に念著すべからず。 何を以ての故なるや。

  • 『坐禅三昧経』17「第四 思覚を治するの法門」5

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』16のつづき 問いて曰く、「如何が親里覚を除かんや」と。 答えて曰く、「応に是くの如く念ずべし。 世界に生死(しょうじ)せる中に自ら業縁もて牽(ひ)かる。 何者ぞ是れ親なるや。 何者ぞ親に非ざるや。 但(た)だ愚痴を以てするが故に、横(よこし)まに著心を生じて計りて我が親と為すのみなり。 過去世に親に非ざるをば親と為し、未来世に親に非ざるをば

  • 『坐禅三昧経』20「第四 思覚を治するの法門」8

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』19のつづき 問いて曰く、 「若し餘の不浄・念仏等の四観中なるも亦た思覚を断ずるを得るや。 何を以ての故に、独り数息のみなるや」と。 答えて曰く、 「餘の観法、寛(ゆる)やかにして失し難きが故なり。 数息法、急(にわか)にして転じ易きが故なり。 譬うるに、牛を放ちて、牛の失し難きを以ての故に、之れを守るに事少なきが如く、獮猴(みこう)を放たば

  • 『坐禅三昧経』16「第四 思覚を治するの法門」4

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』15のつづき 問いて曰く、「云何が悩覚を除かんや」と。 p78L1 答えて曰く、 「衆生の百千種の 諸病、更互(こうご)して恒に来たりて悩まさる 死賊、捕らえて伺い、常に殺さんと欲し 無量の衆苦もて自ら沈没す 云何が善人も復た悩を加えんや 讒謗(ざんぼう)謀害して慈仁無くんば 未だ彼れを傷つくるに及ばざるも、 殃(わざわ)いを身に被(こうむ)

  • 『坐禅三昧経』15「第四 思覚を治するの法門」3

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』14のつづき 問いて曰く、「云何が瞋恚覚を滅せんや」と。 答えて曰く、 「胎中より来(き)たり生じて常に苦なるも 是の中に衆生、瞋悩莫(な)し 若し瞋悩を念ぜば、慈悲滅し 慈悲・瞋悩、相い比(たぐ)いせず 汝よ、慈悲を念ぜば、瞋悩滅す 譬うるに明・闇の処を同じうせざるが如し 若し浄戒を持するも瞋恚を念ぜば 是の人、自ら法利を毀破せるなり 譬う

  • 『坐禅三昧経』14「第四 思覚を治するの法門」2

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』13のつづき 問いて曰く、「未だ道を得ずんば、結使(けっし)、未だ断だず。六つの思覚、強くして心より乱を生ず。云何が能(よ)く除かんや」と。 答えて曰く、「心に世間を厭(いと)い、能く遮するを正観せば、而ち未だ能く抜かざるも、後ち無漏道を得て、能く結使の根本を抜かん。 何をか正観と謂うや。 多欲の人の欲するを求むるを見るは苦なり 之れを得て守

  • 『坐禅三昧経』13「第四 思覚を治するの法門」1

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』12のつづき 第四 思覚を治するの法門 若し思覚偏多なれば、当に阿那般那三昧(あなはんなざんまい)の法門を習すべし。 三種の学人有り。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、「一心に数を念じて息を入れ息を出(い)だせよ。 若しくは長く、若しくは短く、数えて一より十

  • 『坐禅三昧経』12「第三 愚痴を治するの法門」

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』11のつづき 第三 愚痴を治するの法門 「若し愚痴なること偏多なれば、当に三種の思惟法門を学ぶべし。 或いは初めて行を習し、或いは巳に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、『生は老死に縁り、無明は行に縁る。 是くの如く思惟して外念あらしめず、外念の諸縁、之れを摂して還らしむ』と。 若し巳に行を習

  • 『坐禅三昧経』11「第二 瞋恚を治するの法門」2

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』10のつづき 問いて曰く、 「親愛・中人、楽を得せしめらるるを願うも、怨憎の悪人、云何が隣愍して復た楽を与うるを願うや」と。 答えて曰く、 「応に彼れに楽を与うべし。 所以は何ぞ。 其の人、更に種種なる好き清浄なる法因有り。 我れ今ま云何が豈(あ)に一怨を以ての故に其の善を没すべけんや。 復た次に思惟するに、是の人、過去世の時に、或いは是れ我

  • 『坐禅三昧経』10 慈もて怨憎に及ぼせよ

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』9のつづき 第二 瞋恚を治するの法門 若し瞋恚偏多ならば、当に三種の慈心の法門を学ぶべし。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習するなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、「慈もて親愛に及ぼせよ。云何(いかん)が親に及ぼし、親(しん)に楽(らく)を与(あた)うるを願うや。 行ぜる者、若し種種なる身心の快楽

  • 『坐禅三昧経』9 「第一 貪欲を治するの法門」2 浄観も亦た三品有り。若し禅定を得ば、即ち三相あり

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』8のつづき 復た次に浄観も亦た三品有り。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習すなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、「皮を破するの想を作し、不浄を除却して、当に赤き骨人を観ずべし。 意を繁して観行し、外念あらしめず。 外念の諸縁は、念を摂して還らしむ」と。 若し已に行を習せば、当に教うべし。 言わく、

  • 善無畏『無畏三蔵禅要』全文

    善無畏三蔵(637-735)は、真言密教における伝持の第五祖であり、『大日経』を唐に伝え、弟子の一行禅師らと共に漢訳しました。 『無畏三蔵禅要』は、善無畏三蔵が、嵩山(すうざん)会善寺の敬賢(660-723)に、戒と禅定について説かれた教えを西明寺慧警が記録し、後に、さらに修補されたといわれます。 修補したのは、一説に一行禅師ともいわれます。 弘法大師が御請来されました。 敬賢和上は北宗禅の祖・神

  • 『坐禅三昧経』8 「第一 貪欲を治するの法門」1 不浄観

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』7のつづき 第一 貪欲を治するの法門 「婬欲の多き人、不浄観を習(しゅう)せよ。 足より髪に至るまで、不浄充満す。 髪・毛・爪・歯・薄皮・厚皮・血・肉・筋・脈・骨・髄・肝・肺・心・脾(ひ)・腎・胃・大腸・小腸・屎・尿・洟(はなみず)・唾・汗・涙・垢・坋(ちり)・膿・脳・胞・胆・痰水・微膚・脂肪・脳膜、身中の是くの如きは種種の不浄なり。 復た次

  • 『坐禅三昧経』9 「第一 貪欲を治するの法門」2 浄観も亦た三品有り。若し禅定を得ば、即ち三相あり

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』8のつづき 復た次に浄観も亦た三品有り。 或いは初めて行を習し、或いは已に行を習し、或いは久しく行を習すなり。 若し初めて行を習せば、当に教うべし。 言わく、「皮を破するの想を作し、不浄を除却して、当に赤き骨人を観ずべし。 意を繁して観行し、外念あらしめず。 外念の諸縁は、念を摂して還らしむ」と。 若し已に行を習せば、当に教うべし。 言わく、

  • 『坐禅三昧経』7 是くの如く種種なるは、是れ愚痴の相なり。

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』6のつづき 愚痴の人の相は、疑うこと多く、悔やむこと多く、懶堕にして見無し。 自ら満ちて屈し難く、憍慢(きょうまん)にして受け難し。 信ずべきは信ぜず、信に非ざるは而(すなわ)ち信ず。 恭敬(くぎょう)なるを知らずして処処に信向し、師多く、軽躁(きょうそう)にして搪突(とうとつ)を羞ずる無し。 事を作さば慮り無く、教えに反(そむ)きて渾戻(こ

  • 『坐禅三昧経』6 是くの如く種種なるは、是れ瞋恚の相なり。

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』5のつづき 瞋恚の人の相は、憂悩多く、卒暴に忿(いか)りを懐き、身口麁廣(しんくそこう)にして、能く衆苦を忍び、事に触れて可ならず。 愁(うれ)い多くして歓ぶこと少なく、能く大悪を作して、憐愍の心無く、喜びて闘訟(とうしょう)を為す。 顔貌毀悴(きすい)して、皴眉眄來(しゅうびべんらい)なり。 語り難く悦び難く、事(つか)え難く可とし難し。

  • 『坐禅三昧経』5 是くの如く種種なるは、是れ婬欲の相なり

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』4のつづき 或いは復た之れを問わん。 「三毒の中、何れの者、偏重せるや。 婬欲、多きや。 瞋恚、多きや。 愚痴、多きや。 云何(いかん)が相を観ずるや。 若し婬すること多き相ならば、為人(ひととなり)、軽便(きょうびん)にして、妻妾(さいしょう)を蓄(たくわ)うること多く、語ること多く、信ずること多く、顔色和悦にして、言語便易なり。 瞋恨(し

  • 『坐禅三昧経』4 散文 戒律「汝よ、何れの戒を破せるや」

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』3のつづき 食、味処を知るを過(す)ぐれば 美悪、都(すべ)て異なる無し 愛好より憂苦(うく)を生ず 是(ここ)を以て愛を造る莫かれ 業を世界中に行じて 美悪、更(か)わらざるは無し 一切、已(すで)に具(つぶ)さに受く 当に是れを以て自ら抑えるべし 若し蓄獣中に在らば 呞(かみかえ)せる草もて味を具せりと為さん 地獄に鉄丸(てつがん)を呑ま

  • 『坐禅三昧経』3 一心にして常に道を行ざば 久しからずして涅槃を得ん 

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 『坐禅三昧経』2のつづき 誰れか能(よ)く死する時を知らんや 趣くところは何れの道よりせんや 譬(たと)うるに、風中の燈(ともしび)の如く 滅する時節を知らず 道法に至ること、難(かた)からず 大聖、指事して説く 智及び智処を説き 此の二、外に仮らず 汝、若し法逸せず 一心にして常に道を行ざば 久しからずして涅槃を得ん 第一の常楽の処なり 利智にして善人に

  • 『坐禅三昧経』2 四念止(四念処)を捨つれば、心に悪の造らざるは無し

    はじめての方は『坐禅三昧経』1からどうぞ 痴倒黒暝(ちとうこくみょう)を破し 炬(こ)を執りて以て明らかに観ぜよ 若(も)し四念止(しねんし)を捨つれば 心に悪の造らざるは無し 四念止=四念住、四念処 四念処は、身念処・受念処・心念処・法念処からなる。 身念処=身は不浄なり 受念処=受は苦なり 心念処=心は無常なり 法念処=法は無我なり 象の逸すれば鉤(かぎ)かくること無きが如く 終(つ)いに道に

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