最近どうも我が家が暑い。 「我が家」と云っても妻の実家に寄生しているのだが。 我が家は今全国的にもやたらと人口が増えている町にあるが、郊外であるからまだまだ緑は多い。 実際我が家の隣は金持ちの広い畑である。 だから街中のようなヒートアイランド現象とは無
雪尹東柱Well肉桂誤訳 ゆうべ 雪がこんもりと降った 屋根の上にも 道にも 畑にも 雪は布団のように 寒さから護ってくれる だから 寒い冬にしか 降らないのだ
急にまた尹東柱の詩を思い出し、私の勝手な解釈で訳してみた。 これは私の中で定期的に蘇ってくる「序詩」と呼ばれる一節の所為である。 命尽きる日まで天を仰ぎ 一点の恥なきことを 草をそよがせる風さえ 我が胸をかきむしる 星を讃えるごとく 死にゆ
今年も成人式が各地で行われたようだ。 昨年は随分と自粛ムードだったが、今年は皆がいい加減それに飽きてきたのか、例年通り新成人の馬鹿騒ぎが復活したようだ。 そもそも一人の人間が20歳になるという極めて個人的な出来事を何故国家が費用を払って祝う必要があるのか
米国との戦争に負けて占領され、戦後の日本の体制をどうしていくかという議論の中で、「日本語ローマ字化計画」というものが提議されたらしい。 具体的には連合軍総司令部(GHQ) のペルゼルという人が、「日本語は漢字が多いために覚えにくく、識字率が低いために民主化を
明日なんかない-幼い心の問い―尹東柱Well肉桂日本誤訳明日、明日、というから尋ねてみたら夜に寝て 朝起きたときが 明日なのだと新しい日を 探していた 僕は眠りから覚めて 見廻してみた今は 明日じゃなく 今日じゃないか何のこたあない!明日なんか ないんだ
陽だまりにて尹東柱Well肉桂日本誤訳 国じゅうに 黄土を運んでゆく この地への西域からの春風が その地の民の糸車のように 廻りながら通りすぎ 雲に見え隠れする太陽の手が 壁を背に立たされて命尽きそうな者の胸を 次々と 分け隔てなく なぜてゆく。 陣取
懺悔録尹東柱Well肉桂日本誤訳 私がこんなに辱しめられるのは どの王朝の 緑青の葺いた古ぼけた銅の鏡の中に 私の顔貌(かお)が残っているからなのか 私は私の懺悔を一行の文に纏められる。 -満二四年一か月を どんな喜びがあって生きてきたのか 明日か
帰ってきて見る夜尹東柱Well肉桂日本誤訳 まるで世間から帰ってきたかのごとく 今 俺は 狭い部屋に戻ってきて 灯を消すのだ 灯を点けておくことは あまりにもしんどい苦行だ それは世間で暮らさなければならない昼を 更に延ばすことだから 今 窓を開けて 空気
向日葵の顔尹東柱Well肉桂日本誤訳 姉の顔は 向日葵の顔 朝陽を浴びて 職場に行く 向日葵の顔は 姉の顔 首をうなだれて 家に帰る
にわとり尹東柱Well肉桂日本誤訳 狭い鶏小屋のすぐ上には青空が広がっているのに 自由なふるさとを忘れた鶏たちは しけた生活をぶつぶつ言い合い 産卵の苦労をわめきちらした。 陰惨な鶏小屋で押し合いへし合いしている 外来種のレグホン。 学園から新たな群れが排出
うちの女たち(原題 슬픈族屬)尹東柱Well肉桂日本誤訳 白い手拭いを 黒い髪に 被せ 白いゴム靴を ごつごつした足に 履く。 白いチマ・チョゴリで 痩せた体躯を 包み 白い帯で 細い腰を ぎゅっと 締める。
雪の降る地図尹東柱Well肉桂日本誤訳 スニが旅立つ朝 舞う牡丹雪は俺の心 悲しみが 窓の外に広がった地図の上に降りつのる 部屋の中を見廻しても もはや何もない 壁と天井がやけに白々しい 部屋の中にも雪が降るのか 本当に君は失われた歴史のように消え去ってしま
「ブログリーダー」を活用して、Well肉桂さんをフォローしませんか?
最近どうも我が家が暑い。 「我が家」と云っても妻の実家に寄生しているのだが。 我が家は今全国的にもやたらと人口が増えている町にあるが、郊外であるからまだまだ緑は多い。 実際我が家の隣は金持ちの広い畑である。 だから街中のようなヒートアイランド現象とは無
またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
古文初学者向けの『徒然草』で忘れていたものがあったので一つ。 それは「公世の二位のせうと」という話である。 これは歴史的仮名遣いの良い勉強になる外に、話としてもなかなか面白い。 まず、初学者は「せうと」が読めない。 これはローマ字で考えると分かりやす
『枕草子』で「春はあけぼの」と並んで定番なのが「うつくしきもの」である。 「うつくし」は例によって先生が、「古文の『うつくし』は『美しい』ではありません。『可愛い』です。」と声を張り上げそうだが、これまた「をかし」や「あはれなり」と同じく生徒に印象付け
久し振りに『枕草子』である。 しかもド定番の『春はあけぼの』。 この段はほとんどの人が中学の時に習っていて、かつ、暗誦させられて今でも諳んじられる人もいるかもしれない。[原文] 春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわ、すこし明かりて、紫だちたる雲の
教科書に載っている『徒然草』はなぜか人生訓や説教じみたものが多い。 前回取り上げた「友とするに悪しきもの七つあり」なども教訓と云えなくもない。 これまたよく教科書に取り上げられる52段「仁和寺にある法師」もまた最後は教訓である。[原文] 仁和寺にある法師
青春は悩み苦しむ時期である。 「自分とは何者なのか」「自分はどうやって生きて行けばいいのか」 いわゆるアイデンティティについて、初めて真剣に考える時期だからである。 自分の長所だけではなく、短所をも、これまでそうしてきたような直感的な把握ではなく、初め
久々の『徒然草』である。 古文初学者の教材としてよく用いられるものに109段「高名の木登り」がある。 [原文] 高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、
高校生の古文入門編として、「児のそら寝」と共にもう一つよく使われる『宇治拾遺物語』が「絵仏師良秀」である。[原文] これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。家の隣より火出で来て、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて、大路へ出でにけり。人の描かする仏もおは
高校で古文を習う時、入門として最初に教わる教材として、『宇治拾遺物語』が使われることが多い。 特に多いのは「児のそら寝」である。[原文] 今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵のつれづれに 「いざ、かいもちひ せむ。」と 言ひけるを、この児、心寄せに聞
無情の雨で二つの花は散ってしまった。 どういうものか牡丹札の撮影は雨に祟られる。 それでもまだ1個だけ牡丹が咲いている。 これに今年最後の望みをかけて「牡丹に蝶」撮影は休日である4月19日(韓国では学生革命の日である。全然関係ないけど)の午後一杯を使って行わ
牡丹スカ札と「牡丹に青丹」の作成が終わり、いよいよ次は「牡丹に蝶」の撮影開始である。 というより、私は今年の牡丹が咲いた瞬間からあわよくばまず「牡丹に蝶」を撮影するつもりであった。 それ以外の札はそれからでも十分間に合う。 ところが、花が咲いたのはいつ
3年越しの執念が実り牡丹スカ札を手にした私であったが、本命の「牡丹に蝶」を作成する前にもう一つの課題が残っていた。 「牡丹に青丹」である。 現在までに私が最も出来が良いと思っている青丹札は「紅葉に青丹」である。 リアル写真で花札を作る29-紅葉青短の芸術-(
全国のリアル花札ファンの皆様(推定100名)、お待たせしました。 我が「(株)リアル花札本舗(架空)」が2年振りに放つ新商品、「牡丹スカ札」でございます。 思えば、植木屋に騙されて添付の写真とは似ても似つかないピンクの牡丹を買わされたのが2年前。 しかも花が咲い
垓下を約800騎で脱出した項羽は、漢軍の5000騎に追跡され、20数騎まで数を減らして烏江(うこう)という河の畔までやって来る。 ここを越えたらもう江東である。かつて会稽の郡守殷通を殺して兵を挙げたところだ。[書き下し文] 是(ここ)に於(おい)て項王乃(すなわ)ち東(ひ
[書き下し文] 項王則ち夜起(た)ちて、帳中(ちょうちゅう)に飲(いん)す。美人有り、名は虞(ぐ)、常に幸せられて従う。駿馬(しゅんめ)の名は騅(すい)、常に之(これ)に騎(き)す。是(ここ)にて項王乃ち悲歌忼慨(ひかこうがい)し、自ら詩を為(つく)りて曰く、「力は、山を抜き、
遂に天下二分の和睦が結ばれた。 最初の形勢からするならば信じがたいことである。 和約は鴻溝を境として東を楚、西を漢とするものであった。鴻溝は黄河と淮河を結び南北に走る運河である。 項羽が約に従って東に帰ろうとしたとき、突如として漢軍が背後から襲い掛かる
その後も楚漢は戦っては項羽が劉邦を走らせるという状態が続いたのだが、次第に争闘が長期に亘った影響が出てくる。 それを象徴するのが次の場面である。[書き下し文] 漢王、則(すな)ち兵を引きて河(かわ)を渡り、復(ま)た成皋(せいこう)を取り、広武(こうぶ)に軍し、敖
遂に反項羽の烽火を上げた劉邦だったが、これを項羽は一蹴する。これぞ鎧袖一触である。[書き下し文] 項王乃(すなわ)ち西のかた粛(しゅく)より晨(あした)に漢軍を撃ちて東(ひがし)し、彭城(ほうじょう)に至り、日中(にっちゅう)に大いに漢軍を破る。漢軍皆走り、相随(あい
劉邦のいなくなった咸陽に項羽が入った。 劉邦は咸陽入りしたときにその煌びやかな財宝に眼が眩んで略奪しようとしたのだが、部下の張良や樊噲に諫められて泣く泣くこれを封印したのだ。 しかし、項羽にはそうした部下がいなかった。 何故いなかったか、それを示すの
さて、それでは本文にかかろう。[書き下し文] 虎百獣を求めて之を食らい、狐を得たり。[現代誤訳] 虎がいろいろな獣を求めてはこれを食糧とし、あるとき狐を捕まえた。 「獅子と虎、どちらが百獣の王か」という論議には未だに結論が出ていないが、生息地が重なっていな
さて、次のお話は「虎の威を借る狐」である。 これも日本では有名な話であるが、故事成語としては殆どの人が知らず、ほとんど慣用句として「あの〇〇君な、××部長の虎の威を借りてるよな」というように「嫌な奴」を指すのに使用されているような気がする。 高校の教科
「漁夫の利」とは「互いに争っているすきに、第三者が労せずしてその利益を横取りすること」である。「漁父の利」「鷸蚌(いっぽう)の争い」とも云う。 この故事成語は趙の恵王(在位B.C.298~B.C.266)の時に成立したものだと記録されている。[書き下し文] 趙且(まさ)に燕
少し前回のおさらいをする。 「戦国策」に描かれているのは主に「縦横家」と呼ばれる諸子百家の一派である。 縦横家は主に各国に遊説してその外交についてアドバイスするのが仕事である。 戦国時代の外交の中心になっていたのは西方の強国である秦であり、後にこの国が
中国で周王朝が衰亡し、秦が大帝国を打ち立てるまでの間の時代を春秋戦国時代という。 中でも春秋五覇の1つ晋が分裂して韓・魏・趙の3国になったB.C.453年から後を特に戦国時代という。 この時代が「戦国時代」と呼ばれるようになったのはこの時代に各国が取った国策や活
日本の隣国である中国の歴史は長い。 一般に「中国4000年」と自称し、これはあながち誇張でもないと周辺の民族からも思われている。 そしてそれは数多の王朝の光芒の歴史である。 実在が確実なところから云えば商(殷)に始まり、周、秦、前漢、新、後漢、晋、隋、唐、宋
人間は生命体であるから、生命維持に必要なシステムに支障が出れば死ぬ。 そしてその確率は加齢にしたがって高くなってくる。 しかし、それが何時来るのかは誰にも分からない。 それは遺伝的な要素と環境的な要素の複雑に絡み合ったせめぎ合いの結果だからだ。 年が若
5人の貴公子の求婚を退けたかぐや姫だったが、実は最大の本命が残っていた。 なんとお上が姫に懸想したのである。 私は無学なのでこの方に関して使うべきとされている敬語について十分知らないから、よくわきまえないうちに失礼な言葉遣いをしてしまうかもしれないこと
さて、かぐや姫の婿取り譚も最後の「中納言石上麻呂」までやってきた。 「竹取物語」の「身分が低いほどひどい目に遭うの法則(今考えつきました)」によれば、石上麻呂は中納言であるから一番酷い目に遭いそうである。 中納言に課せられた難問は「燕の子安貝」。 子安貝
さて、作者が当時の読者から、「何か似たような話ばかりだね…」と云われたのか、はたまた「リングにこけろ(仮名)」や「禁肉マン(仮名)」のように技のインフレーションが起こったのか、かぐや姫の婿取り譚も残り二人になって急に危険度が高くなる。 次は龍の首の玉を取っ
「後3人…」と、「ボルボ13(仮名)」のようなことを呟いてみる。 数多いるかぐや姫の求婚者のうち、主に身分と財力でエントリーされた5人のうち既に2人が脱落した。 次は阿部御主人(あべのみうし)である。 この人は先の二人のような皇族ではないが、なにせ右大臣である。
「石つくりの皇子」がぶつぶつ云いながら退場した後は、「くらもちの皇子」の登場である。 姫が皇子に課したのは「蓬莱の玉の枝を持ってくること」である。 蓬莱というのは日本から見て西側の大陸にある理想郷である。 ただし、大陸の人たちから見れば東の涯にある理
さて、取り敢えず現実を知った人たちが後景に退いてもなお求婚する5人の人たちに、かぐや姫はそれぞれ難題を出す。 まずは「石つくりの皇子」に対する課題、「仏の御石の鉢」である。 これは釈迦牟尼が生前愛用していた光り輝く椀のことらしい。 私がまだ18歳くらいの時
さて、竹取の翁と媼の子供となったかぐや姫はすくすくと育つ。 これがどれくらい「すくすく」だったかといえば、三月くらいで成人の大きさに育ってしまったのだ。 すると翁は早速姫の成人の儀式を始める。 考えてみれば三か月の幼女をいきなり成人させてしまったのだか
「竹取物語」といえば古くから日本人に親しまれてきたおとぎ話である。 だが、話の内容はといえば、竹取の翁が竹の中に小さなお姫様を見つけたこと、そしてそのお姫様が月に帰って行ったことしか知らない人が 多いのではないだろうか。 これは「金太郎」が小さい頃熊に跨
さて、「大和物語」の第149段「沖つ白波」である。 題名は勿論幼馴染の妻の夫の無事を願う歌から取っている。 「沖つ白波」は「筒井筒」の幼馴染の話をすっとばし、いきなり[原文] 昔、大和の国葛城の郡に住む男・女ありけり。で始まる。これについては現代誤訳は要らな
さて、「業平、人としてどうよ」という部分にやってきた。[原文] まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙取りて、笥子のうつわものに盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。[現代誤訳] たまーに例の河内の
「17の純愛」を貫いて一緒になった業平とその妻であったが、二人を「現実」「生活」が襲う。[原文] さて、年ごろ経るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともに言うかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通う所出できにけり。[現代誤訳]さて、
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 さて、「伊勢物語」の中で最大の問題作、第23段「筒井筒」について語らねばならない時がやってきた(別に義務じゃないけどね)。 この「筒井筒」は昔は問題作でも何でもなかった。 戦前の昭和歌謡「湯島の白梅」にも
さて、業平一行は更に旅を続け、武蔵国と下総国の国境にやってきた。 武蔵国は今の東京、埼玉、神奈川に跨がっており、下総国は千葉県と茨城県に跨がる領域である。 今では全国でも一番人口が密集している地帯だが、業平が生きた時代にはドの付く田舎である。 ここ