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自分らしく生きる!マツ日記 https://matsu1617s.hatenablog.com/

自分自身をテーマに書いているブログ日記です。 少年時代から現在まで「何に興味を持ち」「どんな思考で」「どんな出来事があったのか」を通じて、自分らしく生きる為に自分自身を探しています。 知識や情報もブログを通して書いて行こうと思います。

電子機器部品請負製造業の会社経営を18年間し、倒産、破産、20年間という結婚生活の末に離婚、愛娘が1人います。現在は年老いた父と同居暮らしをしています。

マツ
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北海道
出身
北海道
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2019/04/19

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  • Ⅴ【自分の選択した道を】

    「新会社の立ち上げ」 外資系での実習と神奈川での製造実践経験と管理業務を終了し新会社の立ち上げ業務で予定より早く北海道に戻る事になりました。 最初は試験操業としてのスタート、設備の導入移管や備品の手配にレイアウト現地採用従業員でのスタート人員は15名で未経験者現地では地元出身で取締役専務が企業誘致や開業手続き資金繰りを担当し工場全般の運営に関する事項はマツが担当する事に肩書は製造部長でした。 この時マツは30歳になっていました。従業員の教育と移管製品の試作ラインなどの整備をし本格的に操業ほどなくして名古屋に行っている〇〇さんから連絡があり好条件で名古屋の〇〇会社に工場長として採用してもらえると…

  • 【電子部品の製造とは】

    「電子部品の製造(基板実装)とは①」同業種やこれから知識を増やしたいあなたの参考にしてもらえればと思い記事にしました。 半田を使って様々な手法で行う接合技術です。「基板実装とは?」プリント基板実装のことを指し、電子部品がはんだ付けされていない配線パターンだけの プリント基板へ各種電子部品をはんだ付けし、電子回路として動作できるようにすることです。プリント基板の表面にはんだ付けを行う表面実装( SMT ) プリント基板の穴(スルーホール)に電極リード端子を挿入して半田付けを行う挿入実装( IMT ) があります。「用語の解説」プリント基板とは、回路設計に基づいて、部品間を接続するために導体パター…

  • Ⅳ【自分の決断と選択を信じて】

    「いばらの道への挑戦」 もう一人の〇〇さんもマツと同じ道を選択し愛知県名古屋市の〇〇会社に家族と共に製品移管で出向することになりました。約1年間位なので、お互いに神奈川県と愛知県で新社屋(工場)が完成するまで頑張るかと約束を交わして北海道を後にしました。こうしてマツが29歳の時に未知の世界へと出発することに。 神奈川県の秦野市に着いて社長に挨拶を済ませ、社宅に案内をして貰って建物の古さにがっかり、部屋は別だけど共同、風呂なしで汚い、どこに行っても住む所には、恵まれない自分?これも試練と割り切ってまずは掃除から! 朝は秦野市から登戸の外資系会社へ出勤し、週に一回は秦野市の会社で業務報告と新会社の…

  • Ⅲ【新たな人生の岐路】

    「2年間の出向を終え」 新工場が完成し故郷北海道に帰ることになりました。長野県で過ごした2年間は、仕事だけでなく沢山の想い出ができました。20数年前にもなりますが、送別会をしてもらい、仲間や上司から頂いた寄せ書き連休を利用して長野県から北海道に、観光ツーリングで、マツがいるからと遊びに来てくれた、職場の先輩と同僚、マツのアパートで酒を飲んで語らい雑魚寝をしたことも想い出として残っています!そして心から感謝しています!実家には戻らず会社の近くでアパートを借りて通勤することにしました。新工場が稼働して1年位過ぎた頃に大きな問題が発生、大手企業は以前から統廃合経営者間での派閥やらでマツのお世話になっ…

  • Ⅱ【自分と人との関わり】

    元号が変わり5月1日(水)で「令和元年」になりましたね!昭和から平成に変わった時には、昭和天皇様がお亡くなりになり何となく暗い雰囲気でしたが、平成から令和は生前退位ということもあり国全体が明るいお祭りムードに包まれていて嬉しい限りですね!平和で国民が生きやすい日本でありますように! 「人との出会い」 長野県南佐久郡小海町へは仕事の関係で行きましたが、知人もいない誰も知らない土地で心温かな人達との出会、初めて訪れる土地や景色を見て感動し、心が豊かになった事を思い出します。 休日には職場の仲間で山梨県にある甲府でプラムやぶどう狩り、武田信玄が陣中食として重宝したほうとうを食べ、真田上田城に行きマム…

  • Ⅰ【覚悟と自分の人生】

    「自分自身二度目の新天地で」 マツは当時26歳でした。一度目は15歳で夢を追いかけて新天地へ、二度目は覚悟をして新たな仕事で新天地へ、会社の所有する社宅長屋での生活(共同風呂にトイレ、食事はそれぞれ自分達で)をすることに。はじめての職種で知識も経験もなく一からのスタートでした。 何故か新天地での始まりはいつも2部屋住居(高校の寮・仕事の社宅長屋)それも6畳? 工場作業部門と生産管理、品質管理部門の振り分けで、マツは品質管理部門に配属されました。電子機器部品の製造業での品質管理って?当時はどんな仕事内容なのかも知りませんでした。工場作業ではなく管理部門なので勤務時間内は生産工程や品質とは、につい…

  • Ⅴ【自分では予期せぬ様々な事が】

    「自分の予想に反して」 仕事にも行けず怪我の治療をしていたのですが、会社の思いもよらぬ対応に愕然とした事を思い出します。仕事中の怪我なので労災保険を希望したのですが、責任者が無資格者に操作させての怪我ということで、労災申請すると営業停止になる期間の恐れもあるので却下?仕事に行けない期間の給料保証の交渉をしたがこれも却下? マイクロバスで従業員の送迎とヒューム管工場の責任者で、どちらも免許と資格が必要な仕事に従事していた為、代わりがいないのに休まれては困るという会社側?会社からは病院にかかる治療費だけの保証、右手は怪我で使えず仕事どころではないのに結局、約5年働いた会社とはこの事が原因で退職する…

  • Ⅳ【苦悩と自分の人生】

    「こうして時が過ぎていく自分の環境」 姉の病気で実家に戻り、看病かねての監視役?症状の酷い時には、親や親戚は○○に霊能者がいるから見て貰う、お祓いをして貰う?○○に良い病院があるからと通ってみたりしていました。そのかいあってなのか、薬が良かったのか、1年経過した頃からは、自分を傷つけるような行動だけは無くなってきていました。 その頃マツは、時間の融通がきくガソリンスタンドのバイトをしていました。姉の症状も少しは落ち着いてきていたので、夜さえ見ていれば大丈夫ということもあり、親とも相談しフルタイムで働くことを決め、仕事探しをしていました。 カイゴジョブは、介護福祉業界の求人や転職・就職のイベント…

  • Ⅲ【自分の感情と心の痛み】

    「自分では望むと望まざるとにかかわらず」 姉が病気ということもあり、中学卒業後6年ぶりで故郷に戻り、実家で暮らすことになりました。姉弟の仲は、子供の頃にはケンカをしましたが、仲良しでもなく悪くもなく一般的でした。小さい頃はケンカして泣かされていたなあ。(笑) マツが親父に勘当されて以来、姉とは2年くらいは、会っていなかったのですが、その頃は仕事もし、いつも一緒の親友や彼氏もいて将来結婚するとかしないとか?言っていたはずが? 2年ぶりに姉の姿を見て愕然としました。体型も身なりも信じられない状態でした。 この頃の病名は「後天的な精神の異常」統合失調症だったと記憶しています。周りの人には聞こえない声…

  • Ⅱ【自分の決断とは別に】

    「自分の行動であらたな道を」 この時21歳、引っ越しも終え、いざ仕事探し、サラリーマンは(続かなかった)経験したし別の何か?会社に就職ではなく、自分の頑張りで収入を増やすには、何をすればいいのか? 街を歩いてて、目についたビルの看板に、当時テレビCMでもシリーズ化され、ながれていた○○○という商品、よしこれだ!と思い直感でビルの中へ突入。 会社の受付があり、女性が1人、マツはそこに行き勇気をだして尋ねることに。 外の看板を見たのですが、○○グループは「すべてはお客さまのために」株式会社○○○○女性はハァーみたいな顔でマツに一言「外の看板?宣伝広告の看板ですか?ご用件は?」どうしたら商品販売でき…

  • Ⅰ【夢も目的もない自分に】

    「自分の将来も考えず」 高校3年生になり部活も早々終了引退、将来の進路を決める時期だったのですが小学生の時から甲子園出場・野球選手になるんだと、野球しかしてこなかったので勉強の成績も中間位で、大学に進学し野球するにも実力不足と当時の自分は何にも挑戦せずに、あきらめて就職をすることにしました。 就きたい職業もなく、とりあえず担任や部活顧問のすすめで、野球部のある会社に就職を決め、サラリーマンとして社会人の一歩を歩み始めました。 仕事も少しずっ覚えて、会社にも人にもなじみ、毎日同じ仕事をして、ときおり野球の練習○○主催○○野球大会との繰り返しの日々、社会人ってこんなものか?何か物足りなさを感じてい…

  • Ⅳ【自分の夢は遠く努力だけでは】

    「自分の夢は遠く」 高校2年生になり、わが野球部では地方遠征の参加メンバーに選出されれば背番号獲得の大チャンスなのです。ひたすら練習に明け暮れる毎日を過ごし遠征参加もでき、背番号も獲得し、いざ甲子園へ!ところが、練習試合で負けたことのないチームに、本番の大会準決勝で惜しくも負け、その時に負けた対戦チームが優勝し甲子園に出場、さらにはこのチームの選手からプロ野球選手も出ているのです。今度こそは、と厳しい練習を続けたけれど、どの大会もあと一歩が届かず敗退、新聞には強豪復活ならず・・・そして先輩達が卒業しそれぞれの道へ進んでいきました。 自分達も3年生になり、今年こそは甲子園へと猛練習を開始遠征試合…

  • Ⅲ【自分の夢と格闘の日々】

    「自分の気持ちとの格闘」 こうして高校での寮生活がスタート、学校での授業は睡眠不足で集中できず、野球の練 習は中学時代とは、比較できないくらい厳しく、何より練習終了後、先輩達による寮で の説教時間が苦痛の日々となっていました。 1年生のうちは、寮のロビーや食堂のテレビも禁止でした。 クラスでも友達の会話(芸能人やTV番組)がチンプンカンプン?で話にもついていけませんでした。 そのうえ慢性的な睡眠不足により授業中に眠くなり、ほぼ睡眠学習でした(笑) 1年生野球部員は、半年ぐらいで退部者が続出し約半分の人数に、ほとんど寮生しか残 っていませんでした。 名門野球部での甲子園出場が?練習だけなら耐えら…

  • Ⅰ【遠い昔の自分と向き合う】

    「少年時代の自分」 マツの少年時代といえば、小学生の頃から少年野球に夢中でした。昔は町の区域ごとに野球チームがありました。勉強嫌いで野球大好き少年、どこにでもいる、元気でヤンチャな子供でした。 早起きして、早朝ランニングしてから学校へ、学校が終わると野球の練習に行ったものです。暗くなってからは近くの公園に行き、外灯がある公園トイレの壁に振りかぶってボールを投げ、1人キャッチボールをしていました。・・・今思えばやっちゃダメですよね(笑) 3度の飯よりも野球が大好きで、夕飯の時にはいつも親が「飯食え~」と怒りながら、ほぼ毎日呼びに来る始末・・・相当な怒り様でした。(苦笑) この頃の夢は、巨人の星と…

  • Ⅱ【自分の夢と希望そして現実】

    「青春時代の自分」 中学を卒業して、いざ新天地へ!寮生活、高校野球のスタートだ! 知り合いのいない見知らぬ土地で、不安と未来への希望が、交差していた青春時代。 寮生活はどんなだろう?昔見たTVドラマに「とびだせ青春」という番組がありました。 和気あいあいとして、仲良く楽しげな先輩、後輩、みなが友達、仲間の寮生活、大好き な野球と、楽しい寮生活、名門野球部で花形選手になるんだ。 夢や希望は膨らむばかりのマツ、こうして私の青春時代の寮生活が始まった。 寮での初日は、寮監や寮母さん、食事や掃除の世話をしてくれる関係者の方や先生方、 先輩達で新寮生の歓迎会がスタート、体育会系の集合寮なので野球、柔道e…

  • 【自分らしく生きる為の自分探し】

    「はじめまして、マツです」 マツは50歳を過ぎたおっさんです。離れて暮らしている愛娘が1人います。無職でバツイチ独身のわが身、いまだ人生に翻弄されています。 過去には18年間 電子機器部品の請負製造業(一部上場企業との直接取引)の会社経営をしていたこともあります。 事業の失敗、離婚と様々な体験をしてきた苦い過去があります。 「自分らしく生きるとは」 はじめてブログを書くことにしました。ブログをはじめたきっかけは、自分はどう生きるか?何ができるのか?これからどうすべきか?自問自答を繰り返しながらの日々、成功と失敗を繰り返しながら、気づくと50歳を過ぎていました。 自分を見失っているような気がして…

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