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未来の日本史博士 https://gonikyuroku.hatenablog.com

主に日本史(天皇の歴史)、アウトドアについて書いているブログです。神武天皇から続く皇室の歴史を淡々と解説しています。アウトドアに関しては登山や山道具の紹介、ツーリングなど徒然なるままに語っている備忘録です。

未来の日本史博士
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2019/04/16

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  • そもそも原爆ドームって何だったの?など4月5日の出来事

    新生活が始まって落ち着きはじめた頃でしょうか? 四月も始まってはや5日、過去のこの日に何が起こったのかまとめてみました。 イースター島の「発見」 原爆ドーム竣工 イタリア・ファシスト党選挙勝利 イースター島の「発見」 現在はチリの領内にあるだけあって、南太平洋に浮かぶ小さな島です。 現地語では「ラパ・ヌイ」と呼びます。もともと現地ではポリネシア系の民族が住んでおり、「大きな台地」を意味するようです。 モアイ像のあることで有名ですが、もう一つ話題になるのがモアイ像を建てるだけの素晴らしい文明が忽然として消滅したことです。 これは先住民の抗争とも、西洋文明の侵入とも、現地で食糧危機が起こったからと…

  • 明治維新後の沖縄の行方は?など4月4日の出来事

    そろそろ新学期が始まりますね。 世の中物騒でしたが、かつての4月4日にはもっと歴史的な出来事がありました。 4月4日の歴史上有名な出来事を抜粋してまとめてみました。 沖縄県設置 北大西洋条約が締結 キング牧師の暗殺 沖縄県設置 一般に「琉球処分」といわれる一連の出来事の中で、1879年に琉球藩が消滅し、沖縄県に再編成されたのがこの日です。そもそも江戸時代に沖縄は琉球王国として日本にも清(当時の中国)にも属するという体裁を保っていました。 維新後は明治新政府が日清間で沖縄地方の帰属をめぐって対立していたので、半ば強引に琉球藩を設置し、その後沖縄県として完全に日本の帰属におくことを明確にしました。…

  • 長篠の戦いに負けた武田勝頼と家臣団のその後とは?など4月3日の出来事

    今年度3発目は「今日は何の日」からどうぞ。 4月3日の歴史上有名な出来事を抜粋してまとめてみました。 天目山の戦い 南北戦争:リッチモンド陥落 ヨシフ・スターリン、ソ連のトップへ 天目山の戦い 中学の日本史でも習う長篠の戦いで足軽鉄砲隊を操る織田信長、徳川家康に敗れた武田信玄の息子・勝頼は本拠地である甲斐(今の山梨)に撤退していました。また小田原の北条氏や越後の上杉氏との関係もうまくいっていませんでした。 しかも相次ぐ戦いや重税によって勝頼への信望も徐々に弱まり、甲斐(山梨)の天目山にてごくわずかな手勢で戦うも奮戦空しく自害しました。 なお、武田家の家臣団の残党は徳川家康が受け入れ、また家康は…

  • 4月2日は何の日?-アラファトがパレスチナ大統領に就任など

    今年度2発目は「今日は何の日」からどうぞ。 4月2日の歴史上有名な出来事を抜粋してまとめてみました。 コンスタンティノープル攻防戦 江戸歌舞伎が始まる 橿原神宮創建 アラファト、パレスチナの大統領に コンスタンティノープル攻防戦 これは世界史のお話。コンスタンティノープルというのは今のトルコの大都市イスタンブールの旧称で、かつてこの地を支配していたビザンツ帝国(東ローマ帝国)の首都として、ギリシャ正教会の総本山として重要な都市でした。 そこにイスラームの大国オスマン帝国が1453年に襲いかかりました。なかなか陥落しないことに痺れを切らして、近くの山を船ごと越えて最後は総攻撃をかけて攻め落とした…

  • 4月1日は何の日?-史上最悪の火災・明暦の大火など

    改めて新しい形で再始動します。 今回からレイアウトと内容を大きく変えていきます。 どうぞよろしくお願いします。 今年度一発目は「今日は何の日」からどうぞ。 4月1日の歴史上有名な出来事を抜粋してまとめてみました。 明暦の大火 南満州鉄道株式会社設立 沖縄戦開始 シンガポールがイギリスの植民地に イラン・イスラーム共和国建国 明暦の大火 江戸時代、ひいては日本史上類を見ない火災事故となった別名「振袖火事」ともいわれる明暦3年に発生した大火事です。 当時江戸幕府は4代将軍徳川家綱と先代家光の弟・保科正之が政務を執っていました。 この火事では江戸城のほとんどが(天守閣も)焼け落ちただけでなく、江戸市…

  • ブログ休止と改良について

    一年ぶりの投稿になります。 自分が投稿していない間もこの拙いブログを見てくださる方もいましたが、この度、このブログ自体を無期限休止することとなりました。 なお、今後はwordpressを用いて、改めてブログの勉強からし直し、改良したブログお改めて立ち上げたいと思っています。 新ブログ自体は歴史のお話もより読者に楽しんでいただけるように鋭意努力します。 質、量ともにより良いブログを4月中旬以降にスタートします。 またURLをこのブログに貼り付けようと思っているのでその折はよろしくお願いします。 このブログを今まで読んでいただきありがとうございました。 今後、改良版が立ち上がり次第よろしくお願いし…

  • 持明院統と大覚寺統とは何ぞや?について解説④

    どうも未来の日本史博士です。 今回も引き続き両統迭立について解説します。 前置きにすることも特にないのでさっそく始めましょう。 // 登場人物 主張・後嵯峨上皇と亀山上皇と後宇多天皇側(大覚寺統) 主張・後深草上皇(持明院統) 判断・鎌足幕府の考え 登場人物 さすがに両統迭立の状況下で天皇の御名を連ねてもややこしくなるだけなので、ちょっと表にまとめてみました。 持明院統 大覚寺統 (88代後嵯峨天皇) (88代後嵯峨天皇) 89代後深草天皇 90代亀山天皇 91代後宇多天皇 主張・後嵯峨上皇と亀山上皇と後宇多天皇側(大覚寺統) そもそもどうして亀山の血統を大覚寺統と呼ぶのかですが、亀山の子であ…

  • 持明院統と大覚寺統とは何ぞや?について解説③

    どうも未来の日本史博士です。 今回は両統迭立シリーズ第3弾ということで前回に引き続き解説していきます。 前置きはこのくらいにして早速始めます。 亀山天皇の即位 後嵯峨上皇の崩御 後宇多天皇の即位 元の襲来 // 亀山天皇の即位 ちょうど90代亀山天皇の治世の頃は元寇が襲来したころです。前回の記事でも紹介しましたが、89代後深草は内向的だったのに対して亀山は明朗快活で頭脳明晰だったため、二人の父・88代後嵯峨は亀山を優遇しました。このことが後々大きな騒動になるのですが一旦置いときます。 1259年の亀山の即位からおよそ6年後、元の皇帝・フビライから親睦を求めた親書が送られてきます。 政治の中枢は…

  • 持明院統と大覚寺統とは何ぞや?について解説②

    どうも未来の日本史博士です。 北条義時の物語が大河ドラマ化することになりましたね~。今回のお話は義時の時代のしばらく後ですが、その時代の話は承久の乱シリーズ辺りにまとまっていると思うのでぜひ読んでください。 gonikyuroku.hatenablog.com 今回こそ南北朝の動乱の直接的な原因となった両統迭立についての解説をしていきます。 何はともあれ始めちゃいます。 後嵯峨天皇の即位 宮将軍の誕生 後継者問題 // 後嵯峨天皇の即位 そもそも88代後嵯峨の即位にもひと騒動あったのでそのあたりからお伝えしていきます。 もともと承久の乱の後に82代後鳥羽の血筋を廃すべく、無理矢理86代後堀河を…

  • 持明院統と大覚寺統とは何ぞや?について解説①

    どうも未来の日本史博士です。 前回まででようやく後鳥羽上皇あたりの一連の流れが終わり、鎌倉幕府自体も中盤に差し掛かってきて、時代としてはもうすぐ元寇だって感じなんです。 という訳で今回は鎌倉幕府滅亡後に起こる南北朝の動乱の引き金となった両統迭立について解説していきます。ここから足利義満(当事者としては後小松天皇)の南北朝合一までシリーズ化していきます。(このブログでは皇室メインの日本史について解説していますので、例えば元寇といった武家政権主導の事などは他のもっと素晴らしいブログを書いておられる方を当たってもらえれば) 今回は直接両統迭立について語ることはありませんが、今回の背景があったことによ…

  • ≪総集編≫承久の乱とは何ぞや?について解説

    どうも未来の日本史博士です。 今回は数回に亘ってお伝えしてきた承久の乱と後鳥羽天皇らについてざっくりと解説していけたらと思います。 後鳥羽天皇の即位 源実朝と後鳥羽院政 承久の乱 承久の乱は誰のせい? まとめ 後鳥羽天皇の即位 より詳しい内容はこちらの記事から。 gonikyuroku.hatenablog.com 後鳥羽天皇の生涯は波乱に満ちたものでしたが、その即位も例外ではありませんでした。1183年に平家に持っていかれた三種の神器がないまま後白河法皇の令旨で即位し、その後は後白河と鎌足幕府を開いた源頼朝の政権の傀儡となるだけ。 多くの束縛から逃れたい後鳥羽は1198年に早々と息子を土御門…

  • 2019年総まとめ!今年のニュース

    どうも未来の日本史博士です。 今年最後の記事は2019年の総まとめということで今年話題になったニュースをざっと振り返っていきたいと思います。見出しをヒントによかったら当ててみてください。 なんといっても今年は… まさか… あの有名人が… もうそんなに… 新紙幣は… 38年ぶり! 大規模な交通規制 待ちに待った世界遺産登録! 見つかった! ようやく脱退か 戦いは終わらない まとめ // なんといっても今年は… 天皇陛下の即位が何よりも目玉ですよね!それに付随して改元も大きな関心を呼んだニュースでした。さらに大嘗祭や即位パレードといった一世一代の行事にも日本中が湧きたちました。 gonikyuro…

  • 承久の乱の責任はいづこに?その2

    どうも未来の日本史博士です。 前回に続いて承久の乱の責任について解説したいんですが、今回は誰のせいで、というよりどうして負けたのか、ということをメインに話を進めていきます。 二本立てになっているのでまずは1本目から見ることをおすすめします。 gonikyuroku.hatenablog.com // では早速始めましょう! どうして幕府側は勝てたのか① そもそも義時に勝つという想定があったのか、というところが論点になりそうです。義時はもしも天皇自身が挙兵した場合、弓を引く訳にはいかないので鎧を捨てろ、と部下に命令しています。もっとも部下だけが出てきた場合は徹底的に叩け、と言ったそうですが。 少…

  • 承久の乱の責任はいづこに?その1

    どうも未来の日本史博士です。 今回は承久の乱に関わった人物の事績、承久の乱の戦後処理について解説します。早速解説していきます。 皇室関連の処理 82代後鳥羽天皇 83代土御門天皇 84代順徳天皇 85代仲恭天皇 朝廷側の公家の処理 藤原秀康・山田重忠 西園寺公経 九条道家 幕府側の動き // 皇室関連の処理 82代後鳥羽天皇 ある種の首謀者であります。終盤責任転嫁にはしったものの幕府側は首謀者として認識していました。そこで7月9日に北条泰時が19万の大軍を率いて上京しました。そのまま隠岐に連行されて(42歳)そのまま60歳で崩御します。仏教勢力に対しては比叡山で対立したり、熊野勢力を味方に引き…

  • 前代未聞の東西戦争~皇室VS鎌倉政権~

    どうも未来の日本史博士です。 今回はついに承久の乱についてです。 承久の乱のバックグラウンドについては前回の記事をご覧ください。 gonikyuroku.hatenablog.com さて早速開戦から解説していきます! ほんとのほんとの前日譚 開戦! 天下分け目の瀬田の唐橋 // ほんとのほんとの前日譚 1221(承久3)年5月14日、後鳥羽上皇は流鏑馬揃えを名目に西国への武士をかき集めました。幕府側の京都守護(幕末の京都守護職とは違います)の伊賀光季は後鳥羽の招集を拒否しました。同様に幕府と仲の良かった藤原一族の末裔・西園寺公経は幽閉されます。 翌日の15日には後鳥羽陣営は行動を起こします。…

  • <総集編>後白河天皇の生涯

    どうも未来の日本史博士です。 今回は数回に亘ってお届けした後白河天皇の生涯をざっくりと追ったサイトマップです。 誕生~即位 在位中~保元の乱 平治の乱 平家との確執 二帝並立 源平合戦 鎌足幕府との駆け引き まとめ // 誕生~即位 1127(大治2)年、9月11日鳥羽天皇と待賢門院の間に生まれます。青年期は今様にハマって兄貴の崇徳天皇からは「文にあらず、武にもあらず、能もなく、芸もなし」と罵倒され後に源頼朝からは「日本一の大天狗」と罵られます。そもそも皇位を継ぐ立場にはなく、遊びふけっていたようです。そんな後白河は兄・近衛天皇の崩御によって中継ぎとして即位。 この辺りのことは以下の記事をご覧…

  • 承久の乱直前の一騒動

    どうも未来の日本史博士です。 ようやく即位関連の行事が一通り落ち着いたので天皇の歴史シリーズを進めていきたいと思います。 というわけで前回の後鳥羽院政に続く時代をピックアップしてしていきます。 ではさっそく始めます! // 源実朝の在位中 前回に解説した通り、2代将軍・頼家が北条政子以下御家人衆に更迭され、伊豆の修善寺に幽閉されてしまいました。その後は北条家を中心とした合議制が敷かれたようですがここでは割愛。そのまま頼家の弟・実朝が3代将軍に就任しました。 実朝は政治に関与する機会が少なく、主に文化的な活動をしていました。例えば宋に行こうと船を建造したり、「金槐和歌集」なるものを編纂したり…。…

  • 文武両道!後鳥羽天皇

    どうも未来の日本史博士です。 ついに後白河院政編が完結し、鎌倉幕府編に入ってきたところです。 後白河法皇自身は頼朝が出資して再建された法住寺殿に移住して間もなくの1192年に崩御、その後九条兼実らのあっせんによって頼朝が征夷大将軍に任命されることで鎌倉時代が始まりました。 というわけでその辺りから後鳥羽天皇に焦点を当てて解説していきます。 // 後鳥羽天皇の異例の即位 後鳥羽の治世 後鳥羽の院政 後鳥羽天皇の異例の即位 後鳥羽が即位する頃は安徳天皇の時代です。しかし、平家の力が日に日に弱まっていき、多くの公家らを敵に回したため、後白河は新帝を即位させることを画策します。 (後鳥羽天皇) そんな…

  • 〈特集〉即位礼正殿の儀のまとめ

    どうも未来の日本史博士です。 10月22日に即位礼正殿の儀が無事に執り行われました! 今回は延期になった祝賀御列の儀直前特集ということでざっくりとタイムテーブル順に流れをおさらいしていきます。 賢所大前の儀まで 10月22日当日の流れについて順を追っていきます。 午前9時03分頃:天皇皇后両陛下が賢所(宮中三殿)にて賢所大前の儀を行いました。 午前7時03分頃に宮中三殿に移動してから始まります。 まずは天皇陛下が「帛御袍(はくのごほう)」をお召しになり、天皇の証である剣爾を持った侍従を従えて賢所の内陣に入り、大和言葉で「御告文」を読まれ、その後、皇霊殿と神殿に順にご報告されました。 その後、皇…

  • 後白河法皇と源頼朝の駆け引き

    どうも未来の日本史博士です。 さて、ついに平家滅亡までこのブログも進みました。となると、次に政権を握ろうと画策したのは源頼朝です。という訳で今回は源頼朝、義経、そして後白河、後鳥羽を中心に話を進めていきます。では早速始めましょう! 義経と頼朝の確執 後白河院がやらかした史上最強の大誤算 // 義経と頼朝の確執 平家を滅ぼした一の谷、屋島、壇之浦での総大将は源義経です。 (源義経)鵯越の逆落としとか、八艘飛びとか、常人離れした様々な戦法でも有名ですよね!でも義経もやはり人です。褒めてもらいたいし、ご褒美も欲しいんです。でも頼朝は義経を冷たくあしらいました。平家追討の戦いの最中に頼朝の腹心・梶原景…

  • 空母加賀が発見された!で、加賀ってどんな船?

    どうも未来の日本史博士です。 実は僕はミリタリー好きでして、加賀発見のニュースにとても湧いています! という訳でたくさんの人に加賀について知ってもらうべく、この記事を書きます。 加賀の主要諸元 空母の速さの必要性 戦艦時代、三段甲板時代 一段式空母時代、太平洋戦争開戦直前まで // 加賀の主要諸元 母港 佐世保港 建造年/場所 1928年3月31日 川崎造船所(艤装のみ横須賀海軍工廠) 最期 1942年6月05日沈没 ミッドウェー 基準排水量 38200t 速力 26.7ノット 全長 238.51m 乗員 1269人 艦載機 三式艦上戦闘機16機/一〇式艦上偵察機16機/一三式艦上攻撃機28機…

  • 後白河院政下の安徳・後鳥羽施政

    どうも未来の日本史博士です。 以前から続く後白河による院政下での安徳天皇と後鳥羽天皇の二帝並立について、そして平家の滅亡まで流れについてです。 それでは、どうぞ~ // 木曽義仲の興亡 平家滅亡 木曽義仲の興亡 木曽義仲は始め京都に入って平家を京都から追い出すことに成功したので、征東大将軍に任命されました。が、しかし、ここで問題が起こるのです。もともと木曽というだけあって京都に比べると田舎だったわけです。なので作法がなってなかったわけです。しかも前回の記事で解説した通り、京都では食糧不足に陥っていて、義仲軍の兵士は食べ物を欲していました。そしてついに、我慢にも限界がきて乱暴や狼藉を都の一般人に…

  • 後白河の院政と二帝並立

    どうも未来の日本史博士です。 さて、日々より多くの方々に天皇の存在の重要性を理解してもらうべく、天皇を主人公として歴史を語っているわけですが、そろそろ有名な人物がごろつき始めたなぁというあたりまで続けてくることができました。先日、ブログを本格的に開始してから半年が過ぎたころに通算2600PVを達成できました。1日のPV数も50を超えてくることが多くなってきたので目指せ100PV/日!という訳で今回も精一杯歴史を語っていきます。 さて、前回は安徳天皇の即位で終わったので今回はその続きからですね。 ここからは急展開ですので瞬き禁止ですよ! // 安徳の即位と清盛の死 二帝並立 安徳の即位と清盛の死…

  • 平清盛の勢力拡大と劣勢の後白河上皇

    どうも未来の日本史博士です。 前回に引き続き今回も後白河上皇の院政期のお話です。そして平治の乱によって後白河の信頼を得た平清盛についても解説します。ではでは早速始めましょう。 ≪今回のキーパーソン≫ 院政 後白河上皇 院政1158年~1192年 今回の時代(1159年~1180年)の天皇 78代二条天皇79代六条天皇80代高倉天皇81代安徳天皇 在位1158年~1165年在位1165年~1168年在位1168年~1180年在位1180年~1185年 時の権力者 平清盛近衛基実松殿基房 参議太政大臣贈正一位摂政関白太政大臣摂政関白太政大臣 天皇の移り変わりと清盛 平清盛の共存共栄 清盛の専横 天…

  • 番外編 平清盛の半生

    どうも未来の日本史博士です。 さて今回は後白河の院政シリーズ第三弾の平清盛の回とリンクする内容で本編を読んでいただければ分かると思いますが、有名とはいえ突然登場しても困惑する読者もいらっしゃると思うのでざっくり語るための番外編です。 平清盛の誕生 平姓なのでまあだいたい想像はつくでしょうが、先祖を辿ると源氏と同じく皇室に繋がるんです。しかも桓武天皇からの子息から流れが来ているので桓武平氏と呼ばれます。 (家系図作成本舗さんから引用してきました)その一族・平忠盛の長男として生まれ、祖父・正盛や父・忠盛は北面の武士として白河上皇の院政からずーっと仕えていて、そのバックグラウンドが存在する中で跡を継…

  • 後白河の院政と平治の乱

    どうも未来の日本史博士です。 しばらく時間が空きましたが、前回に引き続き後白河天皇についてです。ちなみに更新していない無い間に槍ヶ岳縦走していましたので姉妹ブログにてつらつらと書いていきます。 では、早速始めます。 後白河の譲位 そもそも保元の乱以前から藤原信西が実権を握っていました。なぜなら信西は鳥羽天皇の寵臣だったからです。そのため戦後に信西が主導権を握り(この時後白河は傀儡でした)保元の荘園整理令を公布しています。 その後、近衛天皇の母で鳥羽の寵妃として実権を持っていた美福門院得子と信西が話し合って後白河に譲位させて二条天皇が即位しました。 信西と二条側の確執 (二条天皇) 藤原信西の排…

  • 終戦記念日なので

    どうも未来の日本史博士です。 昨日は終戦記念日です。なぜ負けたのに記念日なの?って思う人もいると思うんですが、戦争が終わって新たな時代の始まりを迎えられた、と考えれば早いかもしれませんね。 さて、正午の黙とうは当然として今回台風の中「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」に行って参りました!(3日前には護国神社も参拝してきました。) え?どこかって?って感じで大阪(特に南部)以外の人はあまり知らないかもしれません。この塔の略称を「PLの塔(PLタワー)」と言いまして「パーフェクトリバティー教団」という神道系宗教の聖地がある大阪府富田林市にある180mの巨大な塔です。 (なお私はどちらかというと…

  • 後白河天皇と京都の動乱

    どうも未来の日本史博士です。 最近古文書を読めるようになろうと試みて、勉強していて、おかげさまでブログの更新がおろそかになってしまいました。ともあれ、前回後白河が即位したところで終わっているので今回はその続きから始めます。 今様に没頭した遊び人 後白河と聞くと歴史の転換点に在位していたからか、とても賢い人というイメージが強いですが、実際そうではなく「今様」という流行歌にハマって政治への関心などなかったようです。だからその即位の時に鳥羽上皇から「即位の器にあらず」と罵倒されていました。 では何で即位することになったのか?決定権は鳥羽上皇にあったのに…。ここには伝統という縛りがあったのです。鳥羽の…

  • Japanese history class : everyone can understand(誰でも分かる日本史講座)

    Then,do you know Japanese history? (さて、あなたは日本史を知っていますか?) (Ukiyoe,浮世絵) I want you to know a lot about japan, especially Japanese history because we have great traditional cuiture! (私は日本について、特に日本の歴史について知って欲しいのです。だって日本には素晴らしい伝統があるのだから!) If you are Japanese, you should study English,If you aren't Japane…

  • 鳥羽上皇と院政の確立期

    どうも未来の日本史博士です。 今回は前回に引き続き白河上皇の院政について、そして鳥羽天皇について解説します。前回の記事の最後の方に鳥羽天皇と白河上皇の豹変について書きましたが、その辺りからじっくり語っていこうと思います。 さて前回の記事はこちらから。 では早速始めましょう! 鳥羽天皇の即位 (鳥羽天皇) 突如崩御した堀河天皇に代わって74代の鳥羽天皇が即位しました。でも即位している間は全ての実権を白河上皇に握られていました。人事権を乗っ取り、院近臣や北面の武士と呼ばれる人々を自分の周りにつけて専制政治を行った白河を前にして若年の鳥羽は為す術もなく院政が本格化していきます。堀河治世下ではまだ摂関…

  • 祝!世界遺産登録・仁徳天皇陵古墳とは何ぞや?について大解剖!!

    どうも未来の日本史博士です。 大阪に住む当方にとってはサミットが一段落着いたころにまた嬉しい話題がきてとてもウキウキしております。そんなわけで仁徳天皇陵について詳しく解説していきます。(この記事は以前書いた二つの記事の追記、再編集ver.です) そもそも仁徳天皇とは? 仁徳天皇陵古墳の概要 仁徳天皇陵アクセス 仁徳天皇陵の写真 明治時代の発掘 宮内庁と堺市の共同調査 そもそも仁徳天皇とは? 古代の天皇のなかでは割と有名な天皇ですね。何せ大阪を作った人物ですから。あれ?秀吉は?って人がいると思うので言っておきますが、仁徳は地形を作ったんです。淀川の流路を整備したりしています。詳しくは後述します。…

  • りんくう公園から関空眺めてみた!

    どうも未来の日本史博士です。 以前からG20についていろいろ話を聞いたり、ニュースを見たりすることが多いんですが、各国首脳が伊丹空港や関西国際空港に到着するという情報をニュースで見ていたので6/27にりんくうタウンに向かい遠目で関空を眺めていました。あいにくの雨で中国の習近平氏の到着が見られなかったんですがいくつかの国の飛行機や海保、警察の船舶、ヘリが見られたので写真と共に紹介します。 サミット参加国の専用機 この日雨でとても視界が悪かったんですよねー。でも分かりますよね?トルコです。 こちらがエジプトです。 セネガル!G20のメンバーに入ってはいませんが招待国としての来日となりました。 今回…

  • 院政の黎明期~白河天皇の治世~

    どうも未来の日本史博士です。 今回は幕末まで続く院政を始めた白河天皇の治世についてです。天皇の中でも数々の逸話を残した白河は面白い人生を歩んでいるのでとにかく始めましょう! 譲位まで (白河天皇) 先代の後三条に譲位されて20歳で即位しました。父である後三条の遺志を継いで荘園整理、そして藤原氏の勢力を削ぐことに力を尽くしました。なので藤原教通・信長親子とは何度も対立しました。 じゃあどうして譲位しようと考えたのか?というのが一つの本題です。 それは、白河の女性関係が関連しています。白河の中宮には摂関家の養女である賢子を寵愛しました。賢子との間には善仁親王という子がいました。その子の即位によって…

  • 何故藤原家は衰退したのか?

    どうも未来の日本史博士です。 今回はどうして藤原摂関家は衰退したのか?について解説していきます。前回の記事で読んでいただけば分かるように後三条天皇の即位に伴い、徐々に衰えていくことが分かりますよね。今回はどうしてこうなったのかじっくり解説していきます。 前回の記事についてはこちらから。 gonikyuroku.hatenablog.com 頼通VS教通 そもそも藤原氏の中で一騒動あったんです。後朱雀天皇の治世下で教通が頼通ら藤原一族の反対を押し切って娘を入内させたり、頼通が関白を務めている間に膝をつけて礼をさせられたりと忍耐もすさまじいものでした。そして彼らの父・道長の遺言で頼通が教通に藤氏長…

  • 摂関政治の崩壊の始まり

    どうも未来の日本史博士です。 今回は藤原氏による摂関政治が崩壊する最初の段階の時代を解説します。 20数年越しの即位 藤原頼通と弟・教通は後冷泉天皇に娘を入内させたもののどうも子供が生まれることがなく仕方なく先代後朱雀天皇と道長と仲の悪かった三条天皇の娘である禎子内親王との子・尊仁親王を東宮に立てたものの頼通は認めようとせず、雲行きが怪しかったのです。 しかし、後冷泉が亡くなると一気に形成が逆転し、尊仁が後三条天皇として即位します。「170年ぶりに藤原氏を外戚としない天皇の即位」なんて言われますが、曾祖父が道長なので縁がないわけではありません。 摂関家を気にもとめない行動 摂関家がなぜ発展でき…

  • 藤原一族の野望#11 摂関政治の最高潮②

    どうも未来の日本史博士です。 今回は道長、頼通親子の全盛期の摂関政治体制についてです。 ≪今回の時代のキーパーソン≫ 今回の時代の天皇 後一条天皇後朱雀天皇後冷泉天皇 在位1016年~1036年在位1036年~1045年在位1045年~1068年 時の権力者 藤原道長藤原頼通 摂政太政大臣・准三宮摂政関白太政大臣・准三宮 後一条天皇 後朱雀天皇 後冷泉天皇 後一条天皇 道長には極めて従順な天皇でした。そりゃそうなんですけどね。道長に逆らえるわけがないですよね。だって即位した時の年齢が9歳ですよ! 道長の娘(後一条の叔母)威子を迎え(一条の皇后・彰子、三条の皇后・姸子を含め)「一家立三后」を実現…

  • 藤原一族の野望#10 藤原道長と三条天皇の確執

    どうも未来の日本史博士です。 今回は失明寸前の病に陥ってしまう三条天皇と孫の敦成親王の擁立をしたい道長の対立について解説します。 ≪今回の時代のキーパーソン≫ 今回の時代の天皇 三条天皇 在位1011年~1016年 時の権力者 藤原道長藤原実資 准摂政権大納言・右大将 中継ぎポジションの天皇 緑内障に蝕まれる 無念の親子 中継ぎポジションの天皇 一条から譲位されて即位したのが、今回の主人公の三条になります。でも即位したころはすでに道長の全盛期。しかも孫を即位させようとしていました。三条は息子の敦明親王を即位させようとしていたので対立を繰り返したんですよ。 三条即位の儀式の時ですら道長に遠慮して…

  • 藤原一族の野望#9 摂関政治の最高潮①

    どうも未来の日本史博士です。 今回解説する時代は藤原道長が実権を握った最盛期の時代です。 前文で特記することはないのでさっさと解説に移りましょう。 ≪今回のキーパーソン≫ 今回の時代の天皇 66代一条天皇 在位986年~1011年 時の権力者 藤原兼家藤原道長藤原伊周 摂政内覧(関白の実質の役職)太宰権帥 兼家の後継者争い 花山法皇射殺未遂事件 一条天皇とその周辺 兼家の後継者争い 権勢を誇った道長。 (藤原道長)しかし、彼は結構強引に物事を推し進めていたんですよ。 そもそも父・兼家が無理矢理花山天皇を退位させました。その後即位した一条天皇の摂政として兼家は権力を握るのですが、その死後、後継者…

  • 藤原一族の野望#8 道長登場前日譚

    どうも未来の日本史博士です。 今回は日本史のなかでも屈指の有名人・藤原道長が登場するまでの流れについて解説していきます。 摂関家の傀儡 傀儡といって初めに浮かぶ人物って誰ですか?個人的には愛新覚羅溥儀(清朝最後の皇帝・満州国執政)ですかね~。ラストエンペラーと呼ばれる人物ですね。少なからず知っている人も多いと思います。 ではなく、、、今回のメインは藤原摂関家の傀儡として操られていた花山天皇です。誤解のないように一応伝えておきますが道長が娘を入内させて産んだ皇子(後一条、後朱雀、後冷泉)なども全て傀儡ですからね。その辺りお間違いの無いよう。 ではざっと花山について紹介します。 藤原氏に騙された天…

  • 藤原一族の野望#7 村上源氏の没落と藤原氏の隆盛

    どうも未来の日本史博士です。 今回は源高明そして冷泉院の次の円融院についてのお話です。ではさっそく解説始めます。 今回の時代の天皇 冷泉天皇円融天皇 在位967年~969年在位969年~984年 時の権力者 源高明藤原実頼 贈従一位、正二位左大臣贈正一位、従一位摂政関白太政大臣(詳しくは前記事参照) // 安和の変 摂関家に振り回された天皇 安和の変 (源高明 源氏物語の光源氏のモデルとも言われます) ここでの登場人物は源高明です。彼は醍醐天皇の息子の一人で臣籍降下して源氏姓を賜っていました。前回の村上、冷泉時代の権力者であった藤原実頼の弟・師輔と交友があったようで、師輔の娘を娶っています。こ…

  • 藤原一族の野望#6 乱・治・奇

    どうも未来の日本史博士です。 今回取り上げる天皇陛下は三者三様です。(アニメ好きから言わせてもらえれば「三者三葉」というアニメの名前を使いたかっただけです。)とにかく全然違う性格の三人なのでぼんやりしているとこんがらがりますよ!では始めましょう! ≪今回の時代のキーパーソン≫ 今回の時代の天皇 61代朱雀天皇62代村上天皇63代冷泉天皇 在位930年~946年在位946年~967年在位967年~969年 時の権力者 藤原忠平藤原実頼 右大臣、左大臣摂政関白太政大臣 // 「乱」が起こった時の天皇 醍醐に続く親政 世にも奇妙な冷泉院 「乱」が起こった時の天皇 一人目は朱雀天皇です。菅原道真の祟り…

  • 藤原一族の野望#5 延喜の治

    どうも未来の日本史博士です。 今回は鎌倉時代に後醍醐天皇が称賛し、参考にした醍醐天皇の延喜の治についてです。普通は崩御した後に諡号(例えば神武や仁徳)を贈るのですが、(つまり在位中の天皇陛下は今上天皇と呼ばれています)後醍醐は自分で諡号を決めていました。それくらい参考していたようです。前置きはこれくらいにして本題に移りましょう。 ≪今回のキーパーソン≫ 今回の時代の天皇 醍醐天皇 在位897年~930年 時の権力者 藤原時平菅原道真 左大臣右大臣贈正一位太政大臣 醍醐天皇の出自 菅原道真と藤原時平 昌泰の変 天神様の誕生 醍醐の文化振興 まとめ // 醍醐天皇の出自 (醍醐天皇) 驚くなかれ。…

  • 藤原一族の野望#4.5(番外編) 宇多天皇から考える皇位継承

    どうも未来の日本史博士です。 最近皇室に関するニュースが多いですよね~。 その中でも今後の皇位継承について提起されてる話題も多いな~って思っています。一般人がとやかく言う問題ではないですが、皇位継承について前記事の宇多天皇を参考にして考えていこうと思います。 // 皇位継承に関する問題点 女性天皇について 皇籍に復活して即位する 臣籍降下(皇籍離脱)した宮家の紹介 1 伏見宮家 2 閑院宮家 3 山階宮家 4 北白川宮家 5 梨本宮家 6 久邇宮家 7 賀陽宮家 8 東伏見宮家 9 竹田宮家 10 朝香宮家 11 東久邇宮家 まとめ 皇位継承に関する問題点 そもそも皇位(天皇の位)を継承できる…

  • 藤原一族の野望#4 藤原基経のいちゃもん!?

    どうも未来の日本史博士です。 今回は人臣初の関白・藤原基経、そして臣籍降下したものの皇族に復帰して即位した宇多天皇についてです。 // ≪今回のキーパーソン≫ 今回の時代の天皇 宇多天皇 皇位887年~897年上皇位897年~931年 時の権力者 藤原基経藤原時平菅原道真 前記事参照贈正一位太政大臣同上 // 源氏の天皇 宇多は先代・光孝の第7皇子として生まれたもののこの時子供が多すぎて皇室財政を逼迫していたので、困った朝廷は子供を源姓を与えて臣籍降下させました。さらに台頭した藤原氏が藤原氏と関係の薄い親王を出家させたりしていました。 が、しかし、光孝が即位したのは高齢だったため病に倒れ、しか…

  • 藤原氏の陰謀#3暴れん坊天皇が人殺し!?

    どうも未来の日本史博士です。 今回解説する天皇は暴れん坊将軍ならぬ暴れん坊天皇の陽成天皇、そしてその次の光孝天皇です。前置きはこのくらいにしてさっさと本題に進みましょう! // ≪今回のキーパーソン≫ 今回の時代の天皇 陽成天皇光孝天皇 皇位876年~884年上皇位884年~949年皇位884年~887年 時の権力者 藤原基経 摂政872年~880年関白887年~891年太政大臣881年~891年 粗暴な天皇 謙虚すぎる天皇 粗暴な天皇 126代の天皇の中でもなかなか荒々しかったようで時の権力者・藤原基経もさぞかし困ったようです。犬と猿を闘わせたり(犬猿の仲といえども…)、カエルを蛇に食べさせ…

  • 藤原氏の陰謀#3暴れん坊天皇が人殺し!?

    どうも未来の日本史博士です。 今回解説する天皇は暴れん坊将軍ならぬ暴れん坊天皇の陽成天皇、そしてその次の光孝天皇です。前置きはこのくらいにしてさっさと本題に進みましょう! 粗暴な天皇 126代の天皇の中でもなかなか荒々しかったようで時の権力者・藤原基経もさぞかし困ったようです。犬と猿を闘わせたり(犬猿の仲といえども…)、カエルを蛇に食べさせるのを鑑賞したりとなかなかグロテスクな行動をしていたようです。たとえば北畠親房(南北朝時代の人物)の「神皇正統記」などにもこういった行動が書かれています。さて、この記事の題名にもあるような人殺しを本当にしたのか? その噂の事件はこう。陽成の乳母であった紀全子…

  • 藤原一族の野望#2 誰もが知る源氏の祖先

    どうも未来の日本史博士です。 今回は55代文徳天皇、56代清和天皇についてです。本題は清和ですがまずは文徳の時代から解説していきます。さあ始めましょう。 // ≪今回の時代≫ 今回の時代の天皇 55代文徳天皇56代清和天皇 皇位850~858皇位858~876 時の権力者 藤原良房(太政大臣・摂政) 太政大臣857~872摂政858~872 文徳天皇 源氏の祖先の天皇 源経基の臣籍降下 文徳天皇 前回紹介した承和の変で立太子された道康親王がそのまま即位して文徳天皇となりました。でも文徳が即位できたのは良房のおかげですよね。だから文徳に発言権はないんです。 良房は太政大臣にまで昇進して文徳の次の…

  • 藤原一族の野望#1 橘家の打倒

    どうも未来の日本史博士です。 今回からは藤原一族に焦点を当てつつ、天皇の歴史について解説していきます。 という訳で、今回は第一弾として橘一族との攻防について解説します。では早速始めます。 この時代の権力者 仁明天皇の陰謀 承和の変 まとめ この時代の権力者 天皇 仁明 833~850 権力者 藤原良房 檀林皇后 橘逸勢 ―――― 仁明天皇の陰謀 前回解説した淳和天皇は前々回紹介した嵯峨天皇の皇子を皇太子として、仁明天皇として即位しました。すると仁明は淳和の息子・恒貞親王ではなく、自分の息子を皇太子にしようと画策し始めたのです。そして嵯峨、淳和がともに崩御すると、藤原氏が動き始めます。やっぱり他…

  • 天皇も散骨?!淳和天皇の生涯

    どうも未来の日本史博士です。 しばらく日を空けましたが、引き続き天皇の歴史について解説していきます。 さて、今回の話題は淳和天皇、そして彼自身が歴代で唯一散骨したという点です。とりあえず、軽く天皇の葬儀についてです。 天皇の葬儀 何を隠そう日本には古墳があります。まもなく世界遺産になるかどうかが決まりますが、それはさておき…天皇は崩御すると土葬されていたんですよね。持統天皇の頃から火葬に移り変わったんです。そして今では天皇の葬儀のことを「大喪の礼」と呼んでいます。どちらにせよ、膨大な費用がかかりますよね。ということを踏まえた上で淳和についてです。 淳和天皇 平城、嵯峨と同じく桓武の息子です。薬…

  • 上皇って存在して大丈夫なの?薬子の変から考察

    どうも未来の日本史博士です。 今回は前回の薬子の変の解説からちょっと脱線して、上皇陛下の存在について考えてみようと思います。 薬子の変の原因 なぜ薬子の変が起こってしまったのか?それは平城上皇と嵯峨天皇が二重政治を敷いたからなんです。二所朝廷という言い方をする人もいますが、実際嵯峨の施政下で平城が大権を発動したからです。そりゃ国民もどちらに従ったらいいのか迷いますよね。でもね。朝廷が誤解していただけなんですよ。院政が敷かれていた時期ではないので上皇というよりも太上天皇、つまりただの隠居した天皇なんですね。なので政治権力も皆無で、官人が上皇と天皇に分かれて政治を行っていたってだけです。また、平城…

  • 都をめぐって兄弟げんか!?薬子の変

    どうも未来の日本史博士です。 今回は桓武の次の平城天皇、嵯峨天皇についてです。 さっさと始めちゃいましょう。 平城天皇の功 桓武と平城の確執 平城の譲位 嵯峨天皇の即位と平城上皇の対立 弘仁文化 平城天皇の功 早良親王が廃位されたのはそもそも安殿皇子が生まれたからです。そのあたりの話はこちらから。 gonikyuroku.hatenablog.com その後安殿皇子は平城天皇として即位しました。で、何をしたのか。これがまたすごいことで桓武が行った蝦夷の討伐、平安京の造営で逼迫した財政をものの見事に再建しました。理由は後述。 具体的には宮中儀式の簡略化、停止や、下級官人の待遇の見直しなどです。 …

  • 京阪電車!特急の良さ

    どうも未来の日本史博士です。 今回のジャンルはどちらかといえばアウトドア編ですね〜。別記事で京都御所についてじっくりと語りますので、どうぞお楽しみに! 京都まで 朝9:00に起きました。そして急いで準備、出発です。持ち物は山じゃないので普通です。地下鉄乗って淀屋橋で乗り換えて、京阪特急で出町柳駅まで直行しました。帰りの京阪特急についてちょっと語ります。 ちょっと話変えますけど、皆さん「いなこん」って漫画知ってますか?「いなり、こんこん、恋、いろは」ってやつです。アニメ化もされてますからわかる人はわかると思うんですが、登場人物が基本京阪の駅名なんですよねー。例えば、伏見(主人公です)、丹波橋、墨…

  • どうして長岡京は捨てられたの??謎の遷都事情に迫る

    どうも未来の日本史博士です。 今回はその後1000年ほど天皇の拠点となる平安京の一歩手前、長岡京についてです。とにかく早速始めましょう。 光仁天皇 称徳が崩御して天智の孫の白壁王です。聖武の皇女の井上内親王(つまり称徳は姉妹)と結婚しました。なんと即位したのは62歳の時。70歳を過ぎても元気に活動していたようです。ここで問題なのは井上内親王とその息子・他戸親王が光仁を呪い殺そうとして、抹殺しました。 桓武天皇の即位 他戸親王はもともと皇太子で、前述の事件の後、代わって山部親王が皇太子になりました。ちなみに母は渡来系の人物です。781年光仁から譲位されて桓武天皇として即位しました。 桓武天皇の治…

  • どうして長岡京は捨てられたの??謎の遷都事情に迫る

    どうも未来の日本史博士です。 今回はその後1000年ほど天皇の拠点となる平安京の一歩手前、長岡京についてです。とにかく早速始めましょう。 光仁天皇 称徳が崩御して天智の孫の白壁王です。聖武の皇女の井上内親王(つまり称徳は姉妹)と結婚しました。なんと即位したのは62歳の時。70歳を過ぎても元気に活動していたようです。ここで問題なのは井上内親王とその息子・他戸親王が光仁を呪い殺そうとして、抹殺しました。 桓武天皇の即位 他戸親王はもともと皇太子で、前述の事件の後、代わって山部親王が皇太子になりました。ちなみに母は渡来系の人物です。781年光仁から譲位されて桓武天皇として即位しました。 桓武天皇の治…

  • 天皇が洗脳された!?道鏡の陰謀とは何ぞや?について解説

    どうも未来の日本史博士です。 本当に洗脳されたかは別にしてなかなか混乱した時代でした。とにかく解説していきます。 淳仁天皇と恵美押勝 藤原仲麻呂の推薦によって皇太子に任命され、孝謙の譲位の後に即位します。最初はそれなりに政治がまとまっていたんですが、孝謙が道鏡を寵愛するようになると仲麻呂の進言により淳仁が孝謙上皇を諫めると孝謙は激怒、仲がとてもとても悪くなります。孝謙の道鏡への寵愛もさらに深くなり、仲麻呂は反乱を起こすも淳仁は参加せず敗北。そして繋がりの深かった淳仁も淡路に流されます。翌年(765年)、脱出を図るも失敗してその翌日に病死します。絶対おかしいですよね。まあおそらく暗殺でしょうね~…

  • 史上唯一の女性皇太子!?孝謙天皇

    どうも未来の日本史博士です。 という訳で今回はそのあたりを解説していこうと思います。 史上唯一の女性皇太子 聖武天皇には皇子がいたんですが、夭逝。そのために藤原氏の後ろ盾を得て女性皇太子と擁立されたのが、聖武と光明皇后の娘の阿倍内親王です。父・聖武の影響を受けたのか仏教への信仰心が厚く、東大寺の大仏(盧遮那仏)の開眼供養を行ったのは孝謙の時です。ただあくまで女性の天皇だったので政治の実権は光明皇太后とその甥である藤原仲麻呂が握っていました。そうすると藤原氏が台頭することに危機感を抱く人物って絶対いますよね。今回は橘家です。 橘奈良麻呂の乱 結論から言うと未遂に終わっています。果たしてどんな乱だ…

  • 聖武天皇は何がしたかったの?について考察

    どうも未来の日本史博士です。 今回は聖武天皇の謎の遷都の考察と、聖武の治世下の天平文化についてです。この記事を読む方はぜひ前回の記事を読んでからこちらに舞い戻ってください。以下リンクからどうぞ。 gonikyuroku.hatenablog.com 聖武天皇の謎の遷都についての考察 あの遷都にどんな意味があったのか。副題をつけるならばこんな感じですね。早速考察していきます。今回当方が挙げる考察は以下の通りです。 ①人民の寄付などから大仏を造営する資金を得ようとした場合 ②天変地異から逃れようとした場合 ③聖武が大仏を作る上で邪魔な勢力が平城京に存在していた場合 では順番に考察を述べていきます。…

  • 猿でも分かる平城京と律令と天皇に関わり

    どうも未来の日本史博士です。 今回の内容は藤原京から平城京に移るまでの流れの解説ですね。今回の話題は割とレアケースな運命をたどった天皇を紹介します。 じゃあ早速始めましょう! 平城京と元明天皇 前回紹介した文武が25歳で崩御しました。文武の息子には首皇子(おびとのおうじ)が遺児として残されていたんですが、たったの7歳で皇位を継承することができなかったので中継ぎとして文武の母である元明が即位しました。この血統での即位の仕方、つまり前の天皇から母親に継承されたという仕方は元明だけです。 じゃあ彼女の事績を解説しています。この翌年に秩父から和銅が献上されたことを瑞祥とみなして年号を和銅に改めました。…

  • 今こそ知りたいコブクロのおすすめ曲ベスト10

    どうも未来の日本史博士です。 今回は以前紹介したコブクロシリーズの第二弾です。 というわけで当方がおすすめする曲トップ10曲を紹介します。 20位から11位まではこちらから。 gonikyuroku.hatenablog.com 10位 虹 9位 バトン 8位 Million Films 7位 風を見つめて/晴々 6位 君という名の翼 5位 赤い糸 4位 未来 上位3位紹介の前に11位以下のおすすめ曲の紹介! 3位 蕾 2位 桜 1位 ここにしか咲かない花 10位 虹 バラード系が多い中で若干激しい曲調で思わずノってしまいます。落ち込んだ時などに聴くのもおすすめです。 コブクロ - 虹 9位 …

  • 今こそ知りたい仏教の発展と聖武天皇の関わり

    どうも未来の日本史博士です。 今回は教科書でも割と細かく掲載されている聖武天皇についてです。知らない人はいないと思いますが、できるだけ詳しく解説していきます。それでは早速行きましょう。 聖武天皇の即位の成り行き 聖武の父親の文武が若くして崩御し、祖母の元明、伯母の元正が中継ぎとなりようやく24歳になり元正からの譲位によってようやく即位しました。こうして聖武の誕生となりました。ここまでの成り行きの詳細は下のリンクからどうぞ。 gonikyuroku.hatenablog.com 長屋王の変 事の発端はこう。聖武の母・宮子に「大夫人」の称号を与えることにしました。ちなみに宮子は藤原不比等の娘で文武…

  • 律令政治とは何ぞや?について解説

    どうも未来の日本史博士です。 天武天皇の解説を終え、次は天武の妻であり、天智の娘の持統天皇についてです。 「令和」という元号が発表されて、徳仁皇太子殿下が即位した後、今上天皇はどうなるのかといいますと、上皇という称号に変わるんですよね。そこで今回の話に絡めますと、持統天皇こそが日本で最初に譲位をして、上皇となった天皇なんです! じゃあ、豆知識はこれくらいにして、解説をはじめます。 持統天皇の治世 この人物も立派なお方なようで歴史学の観点からも男女平等への活力剤にできればと思っているんですが、どんな人物なのか紹介していきます。 13歳で天武と結婚し、吉野へ隠棲した時や壬申の乱を起こした時も天武に…

  • 今こそ知りたい天智と天武〜日本を変えた兄弟〜

    どうも未来の日本史博士です。 以前、大化の改新や皇極天皇について書きましたが、今回は大化の改新を断行した天智天皇、そしてその弟・天武天皇について解説していきます。では早速始めます。 天智天皇 弘文天皇 天武天皇 天智天皇 言うまでもなく大化の改新の中心人物ですよね。中大兄皇子というのが即位前の名前です。大化の改新の記事についてはこちらから。 天智についてはそれなりの量を書いたのでここはあっさりと… そもそも即位するまでにいろいろありまして、そこからお話します。皇極の亡き後称制(即位しないまま政治を行うこと)に就いていました。なぜなら乙巳の変を起こした天智は天皇の位につくために蘇我氏を滅ぼしたと…

  • 知る人ぞ知る独立星系連合の真相

    どうも未来の日本史博士です。 とはいいつつも今回の話題はスターウォーズシリーズですね。以外と忘れられている独立星系連合という政治団体ですので、しっかりと解説します。ではいきましょう。 独立星系連合の基本データ 名称 独立星系連合 代表 初代 ドゥークー伯爵 二代 グリーヴァス将軍 三代 ヌート・ガンレイ 執行機関 分離主義評議会 通貨 連合クレジット 連合の成り立ち 基本データをふまえた上でさて、どのようにして誕生したのでしょうか。 そもそも銀河共和国が銀河を統治していた時代です。しかし、汚職や重税などで求心力は低下していました。そこに目を付けたのが最終的に共和国を乗っ取り銀河帝国を創立する作…

  • 今こそ知りたい過去の元号を解説!

    どうも未来の日本史博士です。 4月1日の菅官房長官の会見で新元号は「令和」に決まったわけですが、さて今回の話題は新元号にちなんで過去の有名な元号について掘り下げていこうと思います。ではどうぞ。 大化(たいか) 和銅(わどう) 霊亀(れいき) 天平(てんぴょう) 貞観(じょうがん) 保元、平治(ほうげん、へいじ) 治承、寿永(じしょう、じゅえい) 承久(じょうきゅう) 文永、弘安(ぶんえい、こうあん) 建武(けんむ) 観応(かんのう) 嘉吉(かきつ) 応仁(おうにん) 文禄、慶長(ぶんろく、けいちょう) 江戸時代の有名な年号 明治、大正、昭和、平成 大化(たいか) 日本最初の元号ですね。中大兄皇…

  • 誰もが知るヴェイダー卿の素顔に迫る!

    どうも未来の日本史博士です。 という自己紹介とは一線を画して今回はスターウォーズ、特にタイトルにあるように誰もがその名を知るであろうダース・ヴェイダー卿についてです。 例えスターウォーズに縁がない人でも名前くらいはご存知ですよね?できる限り控えるつもりですが、それなりにネタバレするつもりなので注意して頂きたいですが…とにかく導入はこの辺にして本題へ行きましょう! ただ今回は映画のエピソード順に紹介していくつもりなので生い立ちを知りたければ、目次のエピソード1から見始めてください。 エピソード4(初登場) エピソード5 エピソード6 エピソード1(時系列的にはここから始まる) エピソード2 エピ…

  • 先日発表!お城総選挙で選ばれたお城たちを解説!

    どうも未来の日本史博士です。 今回の話題は先日放送されたお城総選挙についてです。その中でも今回は30位から26位まで詳しく解説していきます。 30位 丸岡城 29位 岐阜城 28位 広島城 27位 忍城 26位 高知城 30位 丸岡城 〈基本データ〉 名称(別名) 丸岡城(霞ヶ城) 築城年 1576年(天正4年) 築城者 柴田勝豊 主な城主 柴田勝豊、本田氏、有馬氏 居城とした藩 丸岡藩 遺構 天守、石垣 所在地 福井県坂井市丸岡町霞1-59 特記事項 日本100名城36番1月1日は無料開放 公式ページ 丸岡城特集| たび・あそび 丸岡 坂井市丸岡観光協会公式サイト この城は現存天守のなかで最…

  • 今さら聞けない仁徳天皇陵について解説

    どうも未来の日本史博士です。 先日仁徳天皇陵を訪れまして、ボランティアの方、堺市文化財課の職員さんに話を聞いてきました。と言う訳で、今回は仁徳天皇陵について、そして宮内庁との共同調査の内容についてさらに詳しく掘り下げていきます。 いきなり詳しく解説していくのでとりあえずざっくりと説明した記事を読んでからどうぞ。 gonikyuroku.hatenablog.com 仁徳天皇陵の概要 百舌鳥古墳群の1つ。全国で最も大きな古墳です。面積は濠を含めて約47万平方メートル(甲子園球場12個分)、一日2000人のべ680万人が働いても15年は軽く超えます。正式名称は百舌鳥耳原中陵(もずみみはらのなかのみ…

  • 春のツーリングSP〈潮岬〉一日目:大阪~ 谷瀬の吊り橋

    今週のお題「お気に入りの飲み物」 今週のお題「桜」 どうも未来の日本史博士です。 ツーリングの季節になったのでキャンプツーリングに行ってきました。大阪湾沿いにライドするルートもありましたが、山越えがしんどすぎるので紀見峠から出屋敷峠を越えて本宮市、新宮市を経由して潮岬に行くルートで行くことにしました。 という訳で一日目に通ったルートをもとに書いていきたいと思います。ただ峠を越えて和歌山、奈良に入っただけなので別に見せたい写真があるわけではないのでご容赦を。(時間はちゃんと計っていなかったので大雑把です。) 6時30分に出発。出発地点は天王寺です。 9時頃です。若干雨が降っていました。河内長野駅…

  • 史上初!2回即位した天皇

    どうも未来の日本史博士です。 今回は前回の続きで、前回の予告通りに大化の改新の時の天皇の動向を把握していこうと思います。ではではいきましょう。一応前回のリンク貼っておきます。 gonikyuroku.hatenablog.com 皇極天皇 引用:wikipedia 誰とは言わないでくださいね。前回出自は紹介していますから。さあ、詳しく紹介していきます。皇極が即位して以後蘇我蝦夷、入鹿が実権を握り専横の限りを尽くしていました。そこで危険を感じた中大兄、そして鎌足が乙巳の変を起こします。その後、皇極は中大兄に皇位を譲ろうとしたんですが、中大兄は時期尚早として断りました。そこで皇極の弟・軽皇子が孝徳…

  • 大化の改新とは何ぞや?を解説

    どうも未来の日本史博士です。 今回は古代史の中でも特に有名な大化の改新についてです。もちろん聖徳太子だけでなくこっちも知っていますよね。とりあえず推古天皇の後からいきましょう。 舒明天皇 導入 乙巳の変 大化の改新 舒明天皇 聖徳太子が薨去したのち推古天皇は皇太子を立てず後継者争いが起こります。蘇我馬子の子である蝦夷は田村皇子を推し、馬子の弟である境部摩理勢は太子の子である山背大兄王を推し紛議になり、事件が起こります。蝦夷が摩理勢を襲ったのです。摩理勢は亡くなり、田村皇子が舒明天皇として即位します。そこでさらに関係が悪化した大兄王を襲撃、死に追いやり、敵の消えた蘇我氏は専横の度を深めていきます…

  • かの有名な聖徳太子の実像に迫る!

    どうも未来の日本史博士です。 今回こそ聖徳太子についてじっくり語っていきたいと思います。まずは基本的なことからいくつもりです。 ではいきましょう! 厩戸皇子の素性 え?厩戸皇子?誰?って思った方へ、前回の記事を見てください。厩戸皇子というのは聖徳太子の本名です。とりあえず今回は聖徳太子特集なのでそういったことも含めて語っていきます。先ほども言った通り厩戸皇子というのが本名で聖徳太子というのは諡(おくりな)です。また別名として豊聡耳皇子(とよとみみのみこと)というのもあります。古事記での呼び方はこっちですね。 では基本データを 厩戸皇子 別名 聖徳太子 生没年 574~622(49歳病没) 父親…

  • 日本最初の女帝~推古天皇~

    どうも未来の日本史博士です。 今回は前回の予告通り推古天皇について解説していきます。もちろんおなじみの聖徳太子も登場しますよ。 ではでは早速いきましょう! 女帝登場 (推古天皇画像) 前回崇峻が暗殺されたところまで解説しました。そこでは推古の関与についても考察しましたが、今回は推古が即位するところからです。崇峻の死後すぐに敏達の皇后の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)が即位、推古天皇となります。もちろん知っていますよね。女帝の補佐をするために摂政がおかれ、厩戸皇子が就任します。これも有名ですよね。一度言っておきますが聖徳太子という名が一般的ですが、本名は厩戸皇子なのでここでは後者をとって書い…

  • 知る人ぞ知る暗殺事件

    どうも未来の日本史博士です。 今回は誰もがその名を知るであろう聖徳太子について解説します。 前回からちょっとの間デザインの変更で間を空けました。いろいろ変わったんですけど、気づきましたかね。 では、前回の続き、すなわち崇峻天皇から解説していこうと思います。 丁未の乱 崇峻天皇 暗殺事件の謎 丁未の乱 そもそも崇峻天皇が即位するまでにいろいろあったんで、そこから書いていきます。 で、ことの発端は用明天皇が崩御した後、物部守屋が穴穂部皇子の擁立を図ったことから始まります。守屋は蘇我氏と血縁関係のない人物を擁立しようとしていたんですが、亡くなってしまったので仕方なく…という経緯で穴穂部皇子の擁立に至…

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    今回は当方が今まで書いた記事のハイライトとなります。 なので新しく知る情報はないでしょう。 このブログのメインコンテンツである日本史と天皇の関係についての記事のまとめです。日本史の話題を語るためにこのブログ始めたので、一番記事数が多いです。 ではどうぞ。 gonikyuroku.hatenablog.com gonikyuroku.hatenablog.com gonikyuroku.hatenablog.com gonikyuroku.hatenablog.com gonikyuroku.hatenablog.com gonikyuroku.hatenablog.com gonikyurok…

  • 仏教の伝来と皇室のかかわり(後編)~蘇我氏についての考察を交えて~

    どうも未来の日本史博士です。 前回、前編と題して欽明天皇までの歴史を解説しました。 gonikyuroku.hatenablog.com 今回は続きというわけで敏達天皇以降について語ります。 では、早速始めていきましょう。 敏達天皇 用明天皇 そもそも蘇我氏の出自は?なぜ仏教を信仰したのか? 敏達天皇 ここはさっといきたいと思います。あまり多くの情報はないので… 物部守屋を大連、蘇我馬子を大臣として政局にあたらせたんですが、 (蘇我馬子肖像画)引用:日本の歴史.com守屋は仏教を排斥したいと考え、馬子は仏教を崇拝するよう促したため、対立が激化してしまいました。 その後、守屋は敏達の許可を得て仏…

  • 仏教の伝来と皇室のかかわり(前編)

    誰もが知ってるであろう仏教の伝来。 そこに蘇我氏と物部氏の争いがあったことは周知の事実ですよね? じゃあ、その時皇室がどう関わったのか深く掘り下げていきましょう! 安閑天皇と宣化天皇 仏教が伝来した 安閑天皇と宣化天皇 安閑と宣化は同母兄弟です。もちろん父は継体ですよ。 継体についての話は以下をどうぞ。 で、安閑が即位したときにはすでに65歳で在位期間は短いにもかかわらず、各地に屯倉を設置するなどの功績を残し、天子を誉め称える声が天地に充満したそうです。どうでもいい話ですが、屯倉を設置したっていう天皇多いですよね。理由がとても気になります。 その後、安閑に実子がいなかったため、宣化が即位します…

  • 王朝交替説とは何ぞや?を解説〜継体天皇の治世〜

    どうも未来の日本史博士です。 今回は雄略天皇の後の話になります。 そして当方が日本書紀の話のなかで最も気になる話の一つの 継体天皇の皇位継承の話がメインになります。 では早速雄略天皇の次から始めます。 清寧天皇から仁賢天皇まで 越の国からやってきた皇子K 本題の王朝交替説 清寧天皇から仁賢天皇まで 雄略天皇の次は清寧天皇が即位します。清寧は雄略の皇子です。 善政を敷いたそうですが、目立った事績はありません。アルビノで幼少から白髪だったそうです。清寧には子供がなく、親戚筋をたどって播磨で見つけ出した兄弟の弟が顕宗天皇として即位しました。その次には兄の仁賢天皇が即位します。この兄弟は雄略天皇に殺害…

  • 久しぶりのスキー(備忘録風に)

    先日、久しぶりのスキー旅行に行きました。 まあ、弾丸旅行的な感じでしたが… 今回は行程を軽く書いてあとは写真を貼るだけの簡単な記事にさせてもらいます。 あくまで備忘録的な感じですね。(すみません、最近ちょっと忙しくて) 写真はリフトからの写真しかないので軽く流してください(笑) 行程 行先は栂池(つがいけ)高原スキー場で、3泊4日(車中泊二回だったので正味1泊4日って感じですかね) 交通手段についてですが、最も安くいけると思って夜行バスで行きました。だから車中泊になりました。 1日目 夜10時大阪某所を出発~あとは夜行バスで寝るだけ 2日目 朝6時くらいに栂池高原着(のはず)宿に入って朝食 ⇒…

  • 今だから知りたいコブクロの歴史

    どうも未来の日本史博士です。 実はコブクロが好きでして、歴史とは関係ないですが、ちょっと綴ります。 そもそもコブクロは宮崎県出身の小渕健太郎と大阪府出身の黒田俊介によるデュエットで、大阪でサラリーマンとして働きつつ路上ライブをしていた小渕とストリートミュージシャンをしていた黒田が堺市の商店街で出会って意気投合、ユニット結成という経緯で作られたものです。 では、おすすめの曲を紹介…と、その前に、コブクロの歴史を紹介します。 コブクロの歴史 1998年結成 1999年インディーズデビュー 2001年ワーナーミュージック・ジャパンからメジャーデビュー 2005年「桜」で紅白初出場 2006年「風」で…

  • 雄略天皇とは誰ぞや?を解説

    雄略天皇はご存知でしょうか。古代の天皇の中では群を抜いて有名でしょう。 そんな雄略天皇とはどんな人物なのかを解説しました。

  • 仁徳天皇陵とは何ぞや?を解説〜仁徳天皇の治世〜

    どうも未来の日本史博士です。 近年話題になっている仁徳天皇陵。宮内庁の協力のもと学術調査も行われ、堺市が世界遺産の登録を目指しています。 では、その仁徳天皇陵と仁徳天皇とはどのような人物だったのかわかりやすく解説します。 仁徳天皇とは? 大山古墳について 仁徳天皇とは? 古代の天皇のなかでは割と有名な天皇。さらっと解説します。 応神天皇の第4皇子。 仁徳天皇は実在すると言われている最初の天皇です。 高句麗地方の「好太王碑文」にある朝鮮遠征の事績は仁徳天皇の治世のことと考えられています。ここで、仁徳天皇の仁政をあらわすエピソードを紹介します。 「宮殿から家々を見た仁徳は炊事の煙が上がっていないこ…

  • 朝鮮出兵とは何ぞや?を解説〜崇神天皇から神功皇后まで〜

    どうも未来の日本史博士です。朝鮮出兵…そう聞いて何を思い浮かべますか? やっぱり豊臣秀吉のアレ?だと思いますが、 私が今回紹介したいのは、神功皇后の治世下のお話です。 というわけで始めます! って、急に言っても時代背景が分からないと思うので、 前回の欠史八代の続きからいきましょう! なお、欠史八代については以下の記事をどうぞ。(この記事は編集中です。) gonikyuroku.hatenablog.comgonikyuroku.hatenablog.com 10代目 崇神天皇 11代目 垂仁天皇 神功皇后 10代目 崇神天皇 引用:wikipedia この天皇の事績として有名なのは、やはり四道…

  • カッコ良すぎるシス卿たち

    どうも未来の日本史博士です! 今回は大好きなスター・ウォーズについては掘り下げて(というか紹介)みようと思います。というわけでスター・ウォーズ紹介シリーズ第一弾はシス卿たちについてです。 で、スター・ウォーズってほんとに奥が深いので(歴史的設定もちゃんとあります!)、個人的に面白いと思っていることを少しだけだけ語ります!ちなみに次回のスター・ウォーズ編ではダークサイドのキャラについて語るつもりです。 じゃあ、早速いきましょう! ダースヴェイダー ダースシディアス ダースモール ドゥークー伯爵 ダースヴェイダー ep1〜ep3(アナキンとして) ep3〜ep6(ダース・ヴェイダーとして) ep7…

  • モンベルのレラパック使用レビュー

    以前、紹介したモンベルのレラパックを更に詳しく紹介してみようと思います。 他のパックとの違い やっぱり背中の形ですね! レラパックのレラはアイヌ語で「風」を意味しているらしく、風通しがいいです。 VBPシステムっていう背中を蒸れにくくする仕組みがあるので、背面は緩やかなカーブを描いています。雰囲気はドイターみたいな感じ?で、ここがとてもよくて、本当に背中が全然蒸れない(というか暑くならない)。冬はスースーしてます(笑) (見えにくくてスミマセン) ポケットもいくつかあって便利です。 後ろや中はもちろん腰のベルトにもついてます。 容量も30リットルで十分日帰り登山は行けます。ただ持っていくものの…

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