初回の写真のふるい掛けも終わりアルバムの数も半分になった。それにしてもこういう形で振り返ると若い時に描いていた「未来」とはまったく違う「仕上がり」になったのがよくわかる。*ところでロングホリデーは2008年のインド・ネパール行きが最後となった。まったくの「異文
初回の写真のふるい掛けも終わりアルバムの数も半分になった。それにしてもこういう形で振り返ると若い時に描いていた「未来」とはまったく違う「仕上がり」になったのがよくわかる。*ところでロングホリデーは2008年のインド・ネパール行きが最後となった。まったくの「異文
次の目的地はネパール。その前にデリーにあるネパール大使館でビザを取得。インドルピーで手数料を払い発行日から60日間有効の観光ビザはすぐ発行された。今ならいろいろな方法があるだろうが2008年ではこれが確実で安全な方法だった。*ネパールへは陸路での国境越えだったので
2度目のインドはデリーから始まった。デリーの宿は格安宿が多くバックパッカーが多く集まるパハールガンジ(Paharganj)両側にびっしりと軒を連ねるお店この狭い通りを人だけでなく車もバイクも行き交う。リキシャのお兄さんもデリーは今「大気汚染」が深刻だがこの時も空気はあ
2001年のインド旅行の続きです。**体もインドに慣れてきたので少しずつ「奥」に入っていくことにした。またムンバイに戻りそこから列車でラジャスタン州のジャイプル(Jaipur)を目指す。まずは悪名高きインドの列車に挑戦だ。人であふれる駅でどうにか寝台列車の切符を手に入れ
インドは去年中国を抜いて人口世界一になった。また経済の成長も著しい。そんなインドに初めて行ったのは20年以上前の2001年。連れはインド大好きで既に3〜4回行っていたが私は不安いっぱいの初上陸だった。*クウェート航空でムンバイに飛んだのだがまわりはほぼインド人で機内
タイには2度行っている。1度目は1998年。この時から旅の仕方が変わった。まずはひとり旅からふたり旅になったこと。そして旅のスタイルが欧米式に変わったこと。それでは欧米式旅スタイルとは何ぞやというと、、長期滞在型で計画に縛られずのんびりと旅を楽しむですかね。*私にと
マルディグラ(Mardi Gras)は年1回シドニーで開催される世界最大級のLGBT のお祭りだ。一番の見どころは夜に行われるパレード。コスチュームも凝っていて華やかで 華やかで、、なんといっても参加者がめちゃめちゃ楽しんでいたのがいい。シドニーはサンフランシスコに次いでLG
メルボルンに滞在中1度引越しをしている。最初のシェアハウスは契約更新で家賃が高くなりシェアメイトが引越しを決めたためだ。*次のシェアハウスは中心街からもう少し奥の3人でのシェアになった。おかげで家賃も安くなった。新しいシェアメイトはひとりが看護師(仮名マリー)も
ノーザン・テリトリーは(Northern Territory)あの有名なエアーズロックのある町アリス・スプリングスから(Alice Springs )ダーウィン(Darwin )までの広大な州。南部のメルボルンにいるとなかなか行ける所ではない。*そんな時ツーリストオフィスで働いていた隣人が勧めてくれた
長期滞在のビザはやっぱり簡単に取得できる「語学留学」の学生ビザだ。まずはオーストラリア大使館で資料集めをし気になった語学学校とは直接FAX でやりとり。今ならメールでしょうがその当時はFAX が早くて確実だった。*そこから選んだのがラ・トローブ大学の語学学校。La Tro
1995年にオーストラリアに飛んだ。しかも長期滞在だ。この頃の日本はバブルが弾けて経済も急降下。*オーストラリア旅行のきっかけになったのはバブル期の終わり頃銀行に預けた預金が満期になったからだ。元金300万を5年預けて利息が150万位ついたはず。お金というのは「あれ?
今日の宮崎は26℃と初夏です。朝の日差しも初夏*中国から黄砂が飛んできているらしいが今日はそんなに風も強くないので花見に行くことにした。*今みやざき臨海公園で「サンドフラワーフェスタ」が開催されている。毎年この時期に行われる「サンド・アート」と花達とのコラボ
トルコの「じかん旅」の最後はカッパドキア。トルコの中央部アナトリア高原に広がる大奇岩地帯。*まずはイスタンブールからカイセリに飛びそこからガイドさんに案内してもらった。*まずは高いところから「ギョレメ国立公園」を眺めた。見渡す限り広がる奇妙な形の岩、岩、岩!
トルコ旅行の続きです。トルコ旅行の本来の目的雑貨の買付けのためにまずは伝統工芸の工房を巡ることにした。*最初に訪れたのはイスタンブールの銅・真鍮の工房このお店の裏が工房になっていた。工房と住居ひとつひとつが手作業*次に訪れたのがメシャムパイプの工房メシャム
最低気温が21℃の宮崎からです。「春」は強風で吹っ飛んだようです。*ところで 今 小林製薬の紅こうじのサプリメントが問題になっている。そのサプリを摂取した人に「健康被害」が出て「自主回収」を発表したのだがサプリに使われている紅こうじを他の食品メーカーにも供給
すでに3月も末で来週から4月だ。春は季節の進むのが早い。*先日直売店で買ってきたのは宮崎産の「メヒカリ」と「金柑たまたま」両方とも季節が進んできたのでそろそろ終わりだろう。半額で買ってきた「メヒカリ」は早速フライパン天ぷらにして頂いた。宮崎に来て「メヒカリ」と
トルコはイスラム圏なので豚肉系の料理はないが羊肉 鶏肉がいろいろな料理に使われている。一番ポピュラーなのがシシケバブそして魚介類も豊富だ。そんな食材に合わせた香辛料も多い。香辛料屋さんまた野菜 果物も豊富だ。スイカも山積み!*散策中に食べたのが、、日本でも
グランドバザールはイスタンブールにある世界最大級の市場だ。3万700m2の広大な敷地に4000軒ものお店が軒を並べている。とにかくなんでも売っている。特にこの青い目玉のお守りは必ず見かける。「ナザールボンジュウ🧿」紀元前から伝わる「魔除け」のお守りだそうだ。*もちろ
1993年8月にトルコに行っている。ギリシャに次いで2カ国目のヨーロッパ方面の旅行だ。だがロンドンにはまだ遠い。*この時のフライトはTURKISH AIRLINE (トルコ航空)が初めて東京→イスタンブール間をノンストップで飛んだ記念すべき第一便だった。記念にもらったテレカ*イスタ
1987年の2月にギリシャに行っている。これは珍しくツアーに参加した旅行だった。*ツアーだったので成田に集合し説明を受けてからの出発だった。飛行機はFINNAIR (フィンランド航空)でヘルシンキまで飛びそこからOLYMPIC AIR(ギリシャの航空会社)でアテネに入った。途中北極点
写真がメインの絵日記のようなまたは備忘録のようなブログに温かいコメントを数多く頂きびっくりしています。本当にありがとうございます!60代は自分のために多くの時間を使う事の出来る「黄金期」だと思います。この時期を「有効活用」する為に以前から気になっていた事見
さて新年度が始まった。また個人的な事を言うと帰国してから丸4年が経ち5年目に入る。生活の基礎作りをやってきてどうにかそれなりの形になってきた。しかし世の中は思った以上に早く進んでいる気がする。*2年後の2025年は団塊の世代が75歳の後期高齢者になる。それに伴って全国
暖房費が大変!と言っていたが、、寒さが緩み桜の季節となり3月も終わった。早いねェ〜ところで4月になっても値上げの波は収まらないようだ。さて3月の支出はというと、、[3月の支出]管理費 7,000円固定資産税 3,300円(月割計上)生命保険料 2,000円国民健康保険料
野島神社から次に行く神社までは約9km 。距離はそうでもないが峠を越える、、「堀切峠トンネル」多くの車はこのトンネルを通るが自転車は矢印に従って「道の駅フェニックス」方面へ向かう。「堀切峠」頂上ここまでは軽い上りだった。これから先は下りが続く。*途中お昼休憩もと
この日は宮崎市と日南市の境目辺りにある小内海(こうちうみ)に行ってきた。ホームから海の見える小内海駅この駅は2021年の台風で土砂崩れにあい埋まってしまった。しかし3ヶ月後に再開!*この駅から3分位のところに浦島太郎が祀られている神社がある。(99) 野島神社(宮
この日は久しぶりの青空。早速自転車を走らせた。向かったのは国指定天然記念物の樹齢800年のクスノキ群の中に鎮座する神社だ。宮崎市郊外にあるので、、田植えが済んだばかりの水田の横も走る。*(98) 瓜生野(うりゅうの)八幡神社創建は不明だが、、聖武天皇の御宇天平9
この日は本殿が国の重要文化財に指定されている神社に行くことにした。以前から気になっていたが、、最寄りの佐土原駅から片道9.5km道に迷わず行けても往復19km 。なのでちょっと避けていた。でも今は自転車漕ぎも慣れてきたので行くことにした。*割と分かりやすい道のりなの
冬眠から覚めた熊の様にいきなり行動的になり「神社参り」も残り5社となった。一様宮崎市内限定でやっていたのだが、、先日勘違いしていたのに気が付いた。一ツ瀬川一ツ瀬川は新富町と佐土原町のさかいに流れているが児湯(こゆ)郡と宮崎市のさかいでもあった。4社は宮崎市で
今週は家でのんびりすると決めたのでちょっと早いが食材の「使い切り」をかねて「食」を楽しむ事にした。*「カツオめし」はカツオを買ってきてすぐ食べたのでこれ以外に、、a. 宮崎の定番メニュー「チキン南蛮」b. アスパラが1束98円だったので家にあるものを寄せ集めて
昨日は「梅雨の晴れ間」の様に午後に雲の間から日が差して気温が上昇。それでも家にいて前から気になっていたものを片付けてしまう事にした。*それは3年前にやったリメイクのRe:リメイクだ。元は中国風の引き出しだったがもらった物なのでそのまま使っていたが、、元はこれ部
暖かくなってきたので朝食で食べていたポリッジがなくなりパワーサラダだけになった。買い置きしていたオートミールは時々蒸しパンや、、蒸しパンマシュマロを使うオートミールバーを作っておやつにしている。オートミールバー*これらもちょっと飽きてきたなぁ、、と思ってい
今週は「傘マーク」ばかり。「菜種梅雨」と言うそうだ。こんな時は家でのんびりです。*去年は南郷のめいつ港まで行き初カツオの「カツオめし」を食べてきた。「港の駅 めいつ」今年も「南郷カツオめしフェア」が開催されていて値上がり無しの550円(税込)で提供されている。*し
生目の杜遊古館でちょっとだけ歴史の勉強をした。生目の杜遊古館それによると7世紀末には日向国が成立。ここ跡江台地から西都原(さいとばる)台地までずっと発展したようだ。その後の伊東四十八城もこの辺りに集中している。それで神社も多いようだ。*(93) 白髭神社創建 建
この日もいい天気で市内を流れる大淀川を渡ってちょっと遠くまで行ってみた。*川を渡ってすぐのところに古社がある。(92) 跡江(あとえ)神社寛元4年(1246年)創建五穀豊穣の神様を祀っている。参道拝殿御祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)わかりやすく言えば海幸山幸
暑くもなく寒くもない今の季節は「ゆるチャリ」にぴったりだ。ありがたいことに「花粉症」ではないので何処へでも行ける。こんな風景にも出会う。*「神社参り」も順調に進みまもなく目標の100社になる。(一様宮崎市内のみ)99%が初めての神社なのでざっくりと地図で確認してか
歴史や伝説のある古社もいいが地域の人達に大切にされている小さな神社もまたいい。*(90) 原口正一位稲荷神社連なる赤い鳥居民家の一角にあるかわいい神社創建は江戸時代末期で御祭神は私の好きな猿田彦命。と手書きの案内板に書かれてあった。ところでこの神社には狛犬では
1600年の「関ヶ原の戦い」のあと1603年に「江戸幕府」が成立し此処にも佐土原藩ができ島津以久が初代藩主として佐土原城に入った。それから幕末維新まで島津家は11代続いた。佐土原城二の丸跡に建てられた「鶴松舘」本丸跡への入口ということでここ佐土原には島津家に関するも
日向大橋を渡り切ると左手の下方に赤いお社が目に入ってくる。(86) 恵比須神社天満宮恵比須神社と天満宮の2つのお社がある。天満宮左側は国道10号の橋で車がひっきりなしに走っているが、、お社の周りは竹薮右側は「昔ばなし」の世界だ。*ここからちょっと行くとまた古墳
これから行く神社も古墳のそばに鎮座している。(85) 富田八幡(とんだはちまん)神社大鳥居拝殿創建は天慶年間(936年)宇佐神宮の分霊を奉祀したのが始まりと言われている。本殿本殿の後ろに見えるのが円周7m 高さ2.5mの円形古墳「富田古墳第一号」*このあと一ツ瀬川に架かる日
「神社参り」も100社に近づいてくると場所も郊外になり自転車だけで行くのは難しくなってきた。今回もJR を使って移動。来たのは新富町新富町にはJ3 リーグのテゲバジャーロ宮崎のホームスタジアムがある。現在J2 を目指して奮闘中だ。*ところでここ新富町にも個性的な神社が