寺子屋江川塾も4年目41回目となった。今日のテーマは大塩平八郎の乱ーなぜ無謀な乱を起こしたのか?大坂町奉行与力と陽明学者の二つの顔を持つ大塩平八郎ーその背景には様々な人物の出会いがあり影響を受けたーそして時代背景と幕閣という組織ー苦しんでいる民のために動こうとも大きな組織の中で動けないーその中では解決できないと乱を起こすーその乱に対する評価は賛否両論ーいつの時代もあることー歴史は人が創るから繰り返すー大塩平八郎の乱は現代に向けられた課題でもあった。やはり大塩平八郎の乱は難解ー寺子屋江川塾
薬害エイズを考える山の手の会のご案内 <br>病気でお悩みの方の保険相談 <br>尊敬する勝海舟や田中正造のコメント
いきなり馬鹿という言葉を出してあきれるかもしれません。人は表面を見繕って、よく体裁がどうのとか、人はなかなか馬鹿になれるものではありません。歴史上の人物をみていると、馬鹿になれる人物が世の中を動かしていることに気づきます。体裁を気にしていては動けない、どうにでもなれと火中の栗を拾うかのように激動の世を駆け抜けるー「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困る」と西郷隆盛が山岡鉄舟に言ったとかーそう馬鹿になれるから成し遂げられた駿府での談判でしょう。貧舟の歴史人間学ー馬鹿になる?馬鹿になれる?
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の被告側専門家証人尋問の原告側反対尋問が行われ夕方から報告集会がありオンライン参加しました。各地の地方裁判所でも被告側専門家証人尋問の原告側反対尋問が始まっており各地の原告弁護団も協力しながら尋問に当たっています。被告側専門家証人尋問が終わると原告本人尋問がありその後は判決となります。原告被害者の支援活動も判決に向けてより一層支援拡大に向けて活動していかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加
私も歴史が好きでずいぶんと歴史散歩してきました。遠くもあり近くもあり、また一人散歩もあれば団体での散歩もあります。歴史散歩の楽しみ方はそれぞれに面白みがあります。一人散歩は自由ですし行先を決めても行先で新たな発見があり方向転換する場合があります。これが一人散歩の面白さです。また行く先々で人に尋ねて新たな気づきや、場合によっては貴重な資料をもらうこともあります。この場合はマナーが大切です。例えばお寺で歴史上の人物のお墓を訪ねる時はお寺さんにご挨拶するとともに訪ねた趣旨を丁寧にお話しすることー歴史上の人物の理解が足りなければ、何しに来たとお寺さんも不機嫌になるけれど、理解があれば案内してくれたり貴重な資料をもらったりすることもあります。団体散歩の場合はまずは下見が重要でしょう。参加者に楽しんでもらうためには行...歴史散歩の楽しみ方
今日は春に行われる勝海舟の会の歴史探訪の下見に一日中かけて確認して回ってきました。勝海舟ゆかりの地の候補地を選びながら実際に現地へ行き確認すると同時に探訪コースを回り時間配分や夕方の懇親会場選びまで都内をぐるぐると回ってきました。候補地での関係者の聞き取りや車移動での駐車場確保などの重要な要素で下見の大切さをあらためて感じました。勝海舟の足跡を追いかけて歴史探訪の参加者に勝海舟気分を味わってもらうために準備を進めています。勝海舟の会の歴史探訪の下見
貧舟の歴史人間学ー江原素六との出会いー人生における歴史上の人物との出会い
もう何年前になりますか、ちょうどコロナ渦が始まろうとしていた時期でした。勝海舟の会の方からお誘いを受けて沼津の明治史料館に行くことになりました。あの当時は遠距離は控える傾向にありましたので少しは躊躇しましたが歴史好きの私にとっては行ってみたいところでありました。沼津の明治史料館は明治初期に徳川家が駿河藩として移封になった時に駿河藩士のために建てた沼津兵学校跡地に立っています。この沼津兵学校の創設に関わったのが江原素六でした。それまで江原素六のことをあまり知らなかった私は史料館を鑑賞する中で江原素六と関わった人物として矢島楫子の名前を見つけました。矢島楫子は私の尊敬する明治の女性活動家でキリスト教運動や女子教育の分野で活躍した人物です。ここで江原素六と矢島楫子の接点を見つけ江原素六に大変興味を持つようになり...貧舟の歴史人間学ー江原素六との出会いー人生における歴史上の人物との出会い
寺子屋江川塾ー今回のテーマは松平定信ー性格が人生を左右する?
今日は寺子屋江川塾38回目、テーマは松平定信。江戸の三大改革の一つ寛政の改革を実行した老中首座ですが、老中の在籍期間は6年という短い期間でした。天明の大飢饉で全国に一揆が広がり幕府のおひざ元の江戸でも打ちこわしが発生して老中田沼意次が失脚、一時政治の空白がおきますが、白河藩主として一揆をおこさない仁政を行った松平定信が30歳の若さで老中首座となり貧困対策など寛政の改革を実行しました。しかし、倹約を徹底しその実直すぎる性格が周りから厳しすぎると依願退職に追い込まれました。実に36歳の時で72歳まで生きた生涯で半分のところでした。その後は白河楽翁と呼ばれ学問や趣味の世界で生きました。人生は分からないもので性格が左右したのではという分かち合いの時間でした。寺子屋江川塾ー今回のテーマは松平定信ー性格が人生を左右する?
残念ながら戦争、紛争、災害、貧困、社会問題といつの時代も起きています。これを解決するのは人間愛でしかない!日本も一見平和のように見えますが、今も様々な社会問題が起きています。人はどおして問題を起こすのでしょうか。歴史は人が創るから繰り返すーでは問題だけ起きているのではなく解決もしてきました。解決する糸口は人間愛でしかないでしょう。日本の歴史をみても紛争から解決の糸口は人間愛です。対立したもの、敵対したものをつながり直すーそれは人間愛です。そんな愛する日本史を探ってみようと思います。貧舟の歴史人間学ー愛する日本史
貧舟の歴史人間学ーいつの時代もストレスに悩まされるー歴史の中のストレス解消法
いつの時代も人というものはストレスで悩まされます。相対する人と人との軋轢ー対立する人と人の間に入って物事を進めるときなどは大変なストレスを感じ身体が蝕められます。幕末から明治にかけて生きた勝海舟は正にその人と人との軋轢の中に生きた人物でしょう。しかし勝海舟と言う人物はこのストレスをうまく利用した人物のようです。幕末には長州征伐で対立する幕府と長州の間を幕府側の使者として取り持って和解交渉して和解は成立したものの上司から敵である長州とつるんでいると疑われ左遷されてしまいます。ストレスを感じるというかたまったもんではありません。正にストレスが溜まる状態。しかし勝海舟はここからが人と違います。悩むどころか暇が出来たと喜んで大坂から江戸に帰り好きな読書に専念するのです。ストレス解消法のキーボードは好きなこと楽しい...貧舟の歴史人間学ーいつの時代もストレスに悩まされるー歴史の中のストレス解消法
更なる支援拡大に向けてーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク支援例会
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者を支援するHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークは毎月1回原告被害者と共に支援例会を開いて1か月の活動報告とこれからの活動計画を話し合っています。なによりも原告被害者が近況を生の声で話すことによって支援者は頑張らなければと気持ちを入れて活動に力が入ります。今日もオンラインで九州や静岡、栃木の原告被害者や被害者家族が参加してお話ししました。更なる支援拡大に向けて活動を続けます。更なる支援拡大に向けてーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク支援例会
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の期日で被告側専門家証人尋問があり夕方からの報告集会にオンライン参加しました。名古屋の弁護団をはじめ各地の弁護団からも被告側専門家証人尋問の内容が報告されました。原告被害者からは被害による厳しい日常生活と共に被害の原因究明が行われていないことに怒りの訴えもありました。原告被害者は10年以上も苦しみ続けています。一日も待てない苦しみに支援者としてはなお一層の支援拡大に活動していかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加
よく人との関係で上手くいかないとその人の性格が損をしていると言われることがあります。歴史上の人物をみても、たとえば最後の将軍徳川慶喜は二様様と揶揄され部下に言ったことをくるっと変えて困らせることが幕末ではよくあったそうですが、これが徳川慶喜の性格と言えば、それは徳川慶喜らしさなのでしょう。確かに最終版の幕府崩壊の危機に徳川慶喜の命令で動いた幕臣の勝海舟はずいぶんと煮え湯を飲まされています。しかし勝海舟にしてみれば徳川慶喜の性格をよく熟知したうえで動いて徳川家存続までこぎつけています。人の性格はその人の存在価値で、この視点から歴史を見ていくと面白いです。貧舟の歴史人間学ー人の性格はその人の存在価値
貧舟の歴史人間学ー学校時代に不得意だった歴史が半世紀たって大好きに
もう半世紀も前になるけれど学校時代、私は歴史が不得意で成績もよくなかったのに今では大の歴史好きになりました。何と言っても歴史上の人物の生涯を追うのが面白く、人っていろいろな生き方があるなあと、また人物と人物の出会いが本当に面白いです。人物の意外性も発見したりするのも面白いです。この人物はこんなに前に生まれていたのか、とか、この人物とこの人物は同じ年の生まれだった、とか。実例を出すと、火消しの新門辰五郎(1992年生まれ)は12代将軍徳川家慶や江戸町奉行遠山金四郎景元、大塩平八郎、渡辺崋山より1歳上ですが新門辰五郎以外は江戸時代しかもほとんどが1853年のペリー来航までには亡くなっています。新門辰五郎はなんと1875年明治7年まで生き続けます。また明治の女子教育の先駆者である矢島楫子(1833年生まれ)は桂...貧舟の歴史人間学ー学校時代に不得意だった歴史が半世紀たって大好きに
寺子屋江川塾の準備を進めて、今回のテーマは松平定信ですが、この人物は72年の生涯を全うします。時代はもう少し後になりますが、同じ老中首座を経験した阿部正弘は39歳という短い生涯でした。老中首座としての重圧はご両人ともそうとうあったと思いますが、二人の違いも見えてきます。松平定信は30歳で老中首座になり36歳で辞めその後は学芸の世界で生き白河楽翁とも呼ばれていました。一方の阿部正弘は途中で老中首座を堀田正睦に引き継いだものの老中として亡くなるまで激務をこなしました。松平定信と阿部正弘は年代的に半世紀ほどの違いはありますが、両人とも政を行うには内憂外患の厳しい時代でした。面白いのは二人の性格というか対応の違いも見えてきます。江戸時代、政を行うのに老中としては将軍の他に大奥の対応が求められます。松平定信はそのま...貧舟の歴史人間学ーどんな時代でもストレスが人生を左右する
HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの裁判傍聴支援ーさらなる支援拡大に向けて
今日は先週に引き続きHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)東京訴訟の被告側専門家証人尋問の期日でした。先週の期日では裁判傍聴も無抽選で私も傍聴出来ましたが、残念ながら傍聴席には空席がありました。今回は何としても傍聴券抽選にして傍聴席を満席にしなければならないと声掛けしました。様々な人々にご協力頂き今回は傍聴券抽選となりました。私は抽選に外れ夕方の報告集会まで、裁判のある霞が関の東京地方裁判所は桜田門近くで江戸城の歴史散歩をしました。裁判傍聴はHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの活動目的の一つです。さらなる原告被害者の支援活動の拡大を目指して活動を続けます。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの裁判傍聴支援ーさらなる支援拡大に向けて
江戸後期の陽明学者で大坂町奉行与力の大塩平八郎は救民を訴えて乱を起こしました。上司である大坂町奉行に苦しんでいる民のために米を支給するようにお願いしていたのですが、大坂町奉行は上司てある江戸の老中から米を江戸回すように言われ大塩平八郎の願いは聞き入れらませんでした。どこに目を向けて政をするのかーいつの時代も政を行う者の姿勢が問われています。貧舟の歴史人間学ーどこに目を向けて政をするのかー大塩平八郎
遠山金四郎と言うと時代劇でおなじみの桜吹雪の金さんを思い出し人が多いでしょう。時代劇は少し誇張して面白おかしく描いていますが、実際の遠山金四郎景元は実在の人物で江戸後期の江戸町奉行で将軍の前でお白州の場面を披露して褒められました。しかも江戸町奉行は北町奉行と南町奉行で月番交代で行っていますが江戸時代を通じて北町奉行と南町奉行の両方を勤めた人物は遠山金四郎景元だけです。それだけ注目されていたのでしょうが、私は遠山金四郎景元の親爺さんの遠山金四郎景普の方がもっと凄いと思います。遠山金四郎景普は目付、長崎奉行、勘定奉行を歴任しますが、役職よりもこの当時ロシアが南下して幕府の外交政策が大変なところロシア使節団の交渉や実際に蝦夷地や長崎へ東奔西走でことにあたったのでした。時代劇で名前が売れている息子の遠山金四郎景元...貧舟の歴史人間学ー遠山金四郎親子は凄い
貧舟の歴史人間学ーやはり勝海舟の親爺は面白いー貧乏からの立ち直り
やはり勝海舟の親爺の勝小吉には親近感があります。貧乏そのものの生活をしながら人の世話をするお節介ものーでもこれが人を呼び貧乏から立ち直ったそうです。夢酔独言は勝小吉が自分の真似はするなと晩年に自ら書いたものー夢に酔って勝手に書いたと洒落ているー夢を追う博打みたいな人生ですが、困っている他人を思いやる人の愛に生きた人でした。貧舟の歴史人間学ーやはり勝海舟の親爺は面白いー貧乏からの立ち直り
貧舟の歴史人間学ー歴史は事象ではなく人でみるー最後の参謀総長梅津美治郎
本日発売の歴史街道3月号に興味ある掲載があり購読しました。二・二六事件で鎮圧を主張した軍人という項目で三人の軍人を取り上げていました。石原莞爾・武藤章・梅津美治郎です。三人とも反乱部隊の鎮圧を主張したのですが、それぞれに違いがあることが語られていました。私は、梅津美治郎に関心があり以前にも新書本でこの人物のことを読みました。後始末をする軍人ー後始末とは二・二六事件、ノモンハン事件、終戦です。それぞれに陸軍次官、関東軍総司令官、参謀総長として後始末をしました。事象や肩書だけで捉えるとこの人物は理解できないかもしれません。この人物がどのような生き方をしてきたのか。さらにこの人物を読み続けたいと思います。やはり歴史は事象ではなく人でみるべきと思います。貧舟の歴史人間学ー歴史は事象ではなく人でみるー最後の参謀総長梅津美治郎
貧舟の歴史人間学ー旋律が人生を物語るーチャイコフスキー交響曲に惚れ込んで
学生時代に友人からチャイコフスキー交響曲5番を勧められレコードを買って聴いたとたんに惚れ込んでしまいました。貧乏生活が常の私ですが、苦しくなった時に力になるのが、勝海舟かチャイコフスキーでした。チャイコフスキーの生まれは1840年、帝政ロシアの下で司法省に勤務して苦しんでいる貧民を目にして自分の無力感を感じ挫折して退職して音楽家の道を歩みました。正にロシア革命前夜、日本でいえば幕末期に当たりますね。チャイコフスキーの交響曲は正に彼の人生を物語っているがごとく交響曲1番「冬の日の幻想」から2番「小ロシア」3番「ポーランド」と政治的色彩のものでしたが、4番は援助してくれた未亡人へ捧げた交響曲で、この辺から人に対する想いや人の生き方を考えさせられる旋律に感じます。私を勇気づけてくれた交響曲5番、そして6番「悲愴...貧舟の歴史人間学ー旋律が人生を物語るーチャイコフスキー交響曲に惚れ込んで
江戸時代、時の権力者でもある将軍や老中を操る大奥、大奥も人の集まりで、やはり人は同じことを繰り返しています。徳川幕府の260年の歴史の中でも大奥の将軍付御年寄などは老中とは対等に対話して政を動かしてきました。8代将軍吉宗から9代家重、10代家治の頃は御年寄松島が、13代家定、14代家茂御年寄瀧山が大奥の実権を掌握していました。瀧山は井伊直弼の大老就任にも動いていたと言われています。時の権力を陰で動かすーそれは大奥に限らず、人である以上、どの時代にも起きていることで、今も起きていることです。貧舟の歴史人間学ー大奥で起きていたことは今でも起きている
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者のご支援ご協力をお願いいたします
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の副反応で10年以上も苦しんでいる被害者がいます。被害者は今、全国4つの地方裁判所(東京・名古屋・大阪・福岡)で国、製薬会社を相手に闘っています。この問題はマスコミなどには取り上げられずあまり社会には知られていません。被害者は孤立して今も症状が改善されず苦しみながら闘っています。今日も東京地方裁判所で被告側専門家証人尋問がありました。来週2月10日の月曜日にも被告側専門家証人尋問があります。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者のご支援ご協力をお願い致します。詳しくはHPVワクチン薬害訴訟:東京期日傍聴のご案内(2025年2月3日・10日)-HPVワクチン薬害訴訟全国弁護団HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク–「子宮頸がん予防ワクチン」被害の真の救済を求めてHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者のご支援ご協力をお願いいたします
貧舟の歴史人間学ー歴史探訪の中での出会いと気づきー江原素六と矢島楫子
コロナ渦の始まる少し前だったと思いますが、沼津の明治史料館を訪ねた時、江原素六の関係者の表を眺めていたとき、矢島楫子の名前に目がとられました。江原素六はその時初めて知ったのですが、矢島楫子は女性の中で尊敬する人物として以前から知っておりましたので、その関係を知り、また深く調べるようになりました。二人の出会いは明治に入ってからのキリスト教の関係からですが、矢島楫子がキリスト教矯風会で売春・公娼問題を取り上げ女性の地位向上を目指して活動していた時に、やはりキリスト教に深く関わって衆議院議員でもあった江原素六から女性参政権が必要であると説かれた時のことです。明治のこの時期に女性参政権を説かれるとはかなり先進的です。二人の前向きな活動が結びつけたのでしょう。貧舟の歴史人間学ー歴史探訪の中での出会いと気づきー江原素六と矢島楫子
貧舟の歴史人間学ー歴史にタラレバはないけれど、気づかせてくれるものがある
寺子屋江川塾の準備で2月のテーマである松平定信の準備をしていますが、この人物ほど、もし御三卿の田安家に残っていれば(タラレバ)将軍になっていたかもしれないと思うのですが、白河藩に養子に入り藩主として藩政改革をして仁政を行ったことが評価されて、のちに老中首座として幕政改革を行ったりもしたので、調べていくと様々なことを気づかせてくれます。タラレバは様々なケースが思い出されます。幕末に名君と言われた島津斉彬や老中首座の阿部正弘は早く亡くなりましたが、この両名が長生きしていれば幕末の様相もずいぶんとかわっていただろうし、逆に将軍になれない御三家の水戸藩出身の徳川慶喜が御三卿の一橋家に養子に入ったことで15代将軍にもなっています。徳川慶喜は将軍になれる御三家の紀州藩出身の14代将軍徳川家茂と将軍継嗣問題で候補にあが...貧舟の歴史人間学ー歴史にタラレバはないけれど、気づかせてくれるものがある
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寺子屋江川塾も4年目41回目となった。今日のテーマは大塩平八郎の乱ーなぜ無謀な乱を起こしたのか?大坂町奉行与力と陽明学者の二つの顔を持つ大塩平八郎ーその背景には様々な人物の出会いがあり影響を受けたーそして時代背景と幕閣という組織ー苦しんでいる民のために動こうとも大きな組織の中で動けないーその中では解決できないと乱を起こすーその乱に対する評価は賛否両論ーいつの時代もあることー歴史は人が創るから繰り返すー大塩平八郎の乱は現代に向けられた課題でもあった。やはり大塩平八郎の乱は難解ー寺子屋江川塾
今日はコンシュマーネットジャパンのたねまきの会にオンライン参加しました。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を取り上げワクチン被害者家族や産婦人科医や小児科医にワクチントークの方々からそれぞれHPVワクチンについてのお話がありました。あらためてHPVワクチンの問題点を確認するとともに社会にどのように伝えいくか、まさに社会への種まきをどうしたらよいか再認識した勉強会でした。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)勉強会にオンライン参加
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の報告集会にオンライン参加しました。現在は被告側専門家証人尋問が各地の裁判所でも行われており本日も被告側専門家証人尋問に対する原告代理人の反対尋問がありました。各地の裁判所でも今年9月までに被告側専門家証人尋問が終わり、その後は年内は原告被害者の本人尋問が行われ来年には裁判は結審して再来年に判決が予定されています。原告被害者の支援活動も裁判外の社会への訴えが益々重要になってきます。原告被害者のさらなる支援拡大に向けて活動を続けていきます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の報告集会にオンライン参加
今日は午後から静岡県三島市でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)研修会を行いました。中心になったのは三島市議会議員で娘さんもHPVワクチン接種後に副反応被害で苦しんでいるということでご家族の体験談を話されました。会場には多くの参加者が集まりオンラインでも多数の参加がありました。三島市近隣の市議会議員も多く参加してこの問題をより深く関心を持ってもらえるような研修会でした。市議会議員さんとも研修会の後交流が出来ました。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)研修会を静岡県三島市で行う
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の被告側専門家証人尋問期日でした。裁判終了後の報告集会にオンライン参加しました。報告集会では弁護士から裁判外の報告がありました。今、通常国会で議員の質問に対してHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)積極勧奨再開後、ワクチンの副反応被害が多数報告されていること、また積極勧奨再開前の審議会決定前にワクチンメーカーの担当者と当時の厚生労働副大臣と面会があったことが明らかにされました。裁判外でも様々なことが明らかにされつつあります。裁判も来年結審、再来年には判決が予定され、いよいよ大詰めです。原告被害者支援もさらに盛り上げていかなければなりません。HPVワクチン薬害名古屋訴訟報告集会ーワクチンの積極勧奨再開後に副反応被害が増えている
今年は千住宿開宿400年ということで吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェでは本日、北千住界隈を歴史散歩しました。旧日光街道の宿場町通りをゆっくりと探索ー江戸から東北へ向かう最初の宿場町で東北諸藩の大名や松尾芭蕉などの文化人や幕末には吉田松陰や尊王攘夷派志士なども千住宿を通り水戸や東北へ向かいまました。慶応4年には上野寛永寺で謹慎していた最後の将軍徳川慶喜が謹慎場所を上野寛永寺から水戸弘道館に移るため最初に昼食をとったのが千住宿でした。高橋泥舟・山岡鉄舟もお供しました。昼食とはいきませんが途中で槍かけ団子を参加者の皆さんと美味しくいただきました。がんカフェのメンバーと千住宿開宿400年歴史散歩しました
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問で原告被害者支援のHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークは午前中から有楽町マリオン前で街頭宣伝を行い、午後には東京地方裁判所前でのリレートーク、裁判傍聴そして終了後には日比谷の会議室で報告集会があり一日中の行動でした。裁判所も訴訟の進行と共に判決に向けての進行協議もあり、来年の結審の後、運動の方も法廷外での活動が主になってきます。支援活動もそれに向けて準備をしていかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問一日の行動でした
今日は午後から九州の宮崎で行われたHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の学習会にオンライン参加しました。宮崎市は男子にもHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を積極的に進めようとしている自治体で今日ワクチン接種により副反応被害に遭われた被害者本人や医師・研究者がお話ししました。10年以上いまだに苦しんでいる被害者の声は重く医師も最初は無関心であったけれど被害者にあって医師として当事者意識を持って支援していかなければならないと支援する会を立ち上げました。被害者支援の輪は少しずつですが広がってきています。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟は今年10月から最後の原告本人尋問があり来年は結審して再来年には判決が予定されています。裁判もいよいよ大詰めです。さらなる被害者支援拡大に向けて活動を続けます。宮崎でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の学習会にオンライン参加しました。
吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェでは5月16日(金)午後に千住宿開宿400年を記念して北千住界隈を歴史散歩します。旧日光街道には史跡がたくさん残っています。みなさんとゆっくりと歩きながら千住宿の歴史を感じたいと思います。千住宿は江戸から東北へ向かう最初の宿場町です。人はどんな気持ちで北へ向かっていくのか。歴史を振り返ると私の好きな勝海舟も日光へ向かう途中千住宿を通りました。吉田松陰も友人と千住宿でおちあい東北に向かっています。また尊皇攘夷の源流となった幕末の水戸藩へは多くの志士が千住宿を通って向かっています。千住宿は歴史上の人物の未来への分岐点になっているのです。吉田松陰記念北千住がん哲学外来カフェー千住宿をゆっくり歩きます
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京訴訟の被告側専門家証人尋問(反対尋問)が行われました。仕事で裁判傍聴は出られませんでしたが、夕方からの報告集会に会場参加しました。被告企業側はワクチンと被害に因果関係は無いと次々と専門家証人を出してきます。原告被害者にとって被害を否定され自分自身の存在すらも否定されて苦しんでいます。この厳しい状況の中でも原告被害者の生の声を聞き支援してくれる人も少しずつ増えてきています。次回の東京期日は5月12日(月)午後から行われ、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークでは午前11時から有楽町マリオン前で街頭宣伝を行います。ぜひご参加ください。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害東京期日報告集会ー次回は5月12日
今日は東北の名取市のコロナワクチンとHPVワクチンの被害者の生の声を聞く学習会にオンライン参加しました。コロナワクチンもHPVワクチンも共通していることは被害を訴えるとあり得ないと反ワクチンのレッテルを貼られ誹謗中傷を受けることです。苦しみ続けながら生きていかなければならない。ただ普通の生活に戻りたいだけなのに裁判に訴えると金が欲しいと言われ家族にも被害を受けます。コロナワクチンもHPVワクチンも裁判が継続しています。コロナワクチン・HPVワクチン被害者の生の声を聞くー名取市の学習会にオンライン参加
今日はHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの支援例会をオンランで行いました。裁判の方は今年10月から原告本人尋問が再び始まり来年には結審、再来年には判決があります。いよいよ裁判も大詰めを迎えています。支援活動も盛り上げていかなければなりません。それに対する世の中の風潮は大変厳しいものがあります。どのようにして支援活動を盛り上げていくかー正に支援活動の正念場に来ています。厳しさの中にこそ活動の意義は大きくあります。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク80回目の支援例会
江戸時代になぜ名君はうまれたのか?現代に無い江戸の名君の姿勢ーそれは無限の向学心ー常に公に尽くし私服を排するには学ぶことしかないー名君と言われる藩主には必ず儒学者がいたー藩主と儒学者との問答が新たなる気づきが生まれるーこの姿勢は現代にあるだろうかー常に問い続ける寺子屋江川塾ー歴史上の人物の生き様から現代に生き方を考える寺子屋江川塾。指導者のあるべき姿とはー寺子屋江川塾第40回幕府儒者林家中興の祖・林述斎
「人間の意識面における真の成長は、対話と愛に基づく行動でしか得られないものです。対話と愛には他者の存在や多様な考え方を認めることも含まれます。そうして初めて共同体としての価値観が定まってくるもの。自分の見方や尺度を振りかざし、従わせるわけにはいきません。相手の尊厳を奪うものではなく、他者を他者として認めたうえで対話する。多様性がみんなを豊かにするのだという意識でものごとを進めていく。そうでなければ単なる自己陶酔、帝国主義、愚行で終わってしまいます」(「教皇フランシスコとの対話」より)ご冥福をお祈りします。ご冥福をお祈りしますー教皇フランシスコの人類への教え
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害の学習会が九州の大宰府でありオンライン参加しました。今日は唐津でも午前中ありました。今週月曜日には福岡地方裁判所でこの裁判がありその翌日の火曜日から周南市、水曜日には広島と山口の支援する会が主催して毎日のように学習会がありました。主催者は内科医でこの問題に疑問を持ち自ら会を立ち上げて山口を中心に活動を続けています。全国の支援する会では明日も奈良で学習会が行われ、私の所属する東京でも5月の裁判と学習会の活動を予定しています。全国津々浦々で原告被害者を支援する学習会が行われ全国が連帯して活動を続けています。10年以上いまだに消えぬ苦しみを持ち続けている原告被害者のために活動は続きます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害の学習会が全国津々浦々で毎日続くー今日は唐津と大宰府
現代使っているブログのサービスが今年で終了するということで、今年6月いっぱいで私のブログは終わらせて頂きます。長い間ご視聴ありがとうございました。ブログは主に薬害やがんやエイズの活動や歴史に関することを書いてまいりました。自分なりの活動のスタイルを書かせて頂きました。そもそもはSNSが不得意な自分でありましたが、ずいぶんと長い間書けたものだと思います。今年6月までは書かせていただきます。誠に誠にご視聴ありがとうございました。深く感謝申し上げます。ブログを6月いっぱいで終了いたします。長らくの間ご視聴ありがとうございました。
今日はHPVワクチン薬害九州訴訟の被告側専門家証人尋問で終了後報告集会がありオンライン参加しました。来週の21日にも被告側専門家証人尋問があります。来月には東京地方裁判所でも1日と12日に被告側専門家証人尋問があります。裁判は大詰めを迎えています。今週は明日から週末まで山口の支援会が山口や広島に九州と毎日学習会を予定しています。原告被害者の支援活動も全国で行われています。HPVワクチン薬害九州訴訟期日報告集会
現代ほど専門性が進み専門分野における分業化している時代はないかもしれません。専門家と表する者が物事を評価する時代ーしかし社会は専門家によって変わってきたのでしょうか。歴史的に見て会の不自然さに疑問を感じ社会を変えるべく前向きに生きた人物は、そのほとんどが人の心から生まれる熱き志が人を動かし社会を変えていきました。今の時代、専門家というより人ではなくシステムそのものなのかもしれませんが、何かの不自然さにぶつかった時、人の心の中でどう感じどう行動するかーその人の心、人としての動きを大切に生きたいと思います。貧舟の歴史人間学ー人の心が時代を動かす
SNSで情報が氾濫していこの頃ですが、いつのころから人ではなくシステムで情報をとってくるようになったのでしょうか?私の知るところでは明治初期の西南戦争での明治政府が使った電信ではないでしょうか。明治の文明開化は人々に多くの便利さをもたらしました。それは人ではなく文明の利器を利用したものでした。明治以前の江戸時代と情報の差はどこにあるのでしょうか?むしろ江戸時代の方が情報は自らの足とその人物の姿勢ー前向きな心で多くのネットワークを結びました。西国や東北の諸藩の武士は尊皇攘夷の発信源となった水戸へ足でとりに行き各藩の武士はネットワークをつくり情報が広まっていきました。それが世の中を動かす倒幕運動へとつながっていきました。都市部に限らず山岳地方にも松尾千勢子の国学ネッワークなど足でしか交通手段がない時代に全国に...貧舟の歴史人間学ー情報は足と心でとってくる
江戸時代260年の歴史を儒学思想史から見ると人の動きがよくわかります。徳川家康は江戸幕府を始めるにあたり人を治めるための支柱として儒学者林羅山を招き儒学に力を入れました。その中心は朱子学で江戸前期では幕府のみならず各藩も儒学者を招き入れましたが儒学思想は朱子学、陽明学、古学等、様々な流れがありました。五代将軍徳川綱吉は儒学に熱心で林羅山の上野にあった孔子廟を湯島に移し聖堂学問所を創設し朱子学を幕府の正学としましたが、時の流れの中で陽明学や古学も盛んになり天皇を中心とする尊王思想が幕府を批判する学問も出てきました。この流れに対して幕府老中首座の松平定信は朱子学以外禁ずる寛政異学の禁を政策に掲げました。しかし尊王思想は徳川御三家の水戸藩から水戸学が生まれ幕末の尊皇攘夷思想に起点となりました。その思想は幕末の尊...貧舟の歴史人間学ー江戸の儒学思想史から人の歴史をみる
1868年の今日、江戸は東京と名を変えた日ーしかしその後の東京はどうだろうか。すべてのものが新しいものに変わり技術革新、表向きは新しく見た目は良くなったように見えますが、人間そのものは後退しているように感じます。明治の東京は文明開化といいますが、真の文明は人間の心にあります。江戸には歴史と哲学を重んじる文明がありました。歴史と哲学を忘れた社会は後退していきでしょう。今日は東京の日ー1868年に江戸から東京になったというが江戸に戻った方が良い社会になるような気がする
毎年海の日には隅田リーバーサイドホールで勝海舟フォーラムが開かれています。今年で18回目ー勝海舟の誕生の地である本所は墨田区ー墨田区役所の前には勝海舟の像が建っています。今回のテーマは明治の勝海舟が行った人材周旋ー旧幕臣の勝海舟は幕府の後始末を行った後、徳川家が駿河に移封されると新政府の東京と静岡を行ったり来たりしました。勝海舟は人材不足の新政府に対して優秀な人材を抱えた徳川家臣団との調整役を担っていました。また各藩に人材紹介したり海外から講師を招いたり若い人材を留学させたりしていました。また戊辰戦争で亡くなった旧幕臣の遺族の世話をしたりしていました。正に困った時の勝海舟。常に困ったり苦しんだりしている人々のために動いていました。私はそんな勝海舟に惚れ込んで活動を続けております。海の日に勝海舟フォーラム
今日は勝海舟の会の講演会の打ち合わせに赤坂教会に伺いました。打ち合わせ前後には赤坂界隈を歩きましたが、久しぶりに赤坂を歩いてビルが無くなっていたり、変わっていることを感じました。赤坂教会は勝海舟の住んでいた氷川邸の跡地で、ゆかりの地でもあります。周りには勝海舟の史跡などもあり勝海舟と坂本龍馬の師弟像のある施設では、坂の上のカフェりんたろうという催しもしているといい、まだまだ勝海舟の面影が残っている赤坂を味わいました。久しぶりに赤坂界隈を歩いて変わったと感じるー勝海舟の面影はまだまだ
今日は福岡地方裁判所でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害九州訴訟の原告本人尋問が行われ終了後、夕方から報告集会がありました。オンラインで参加しました。原告被害者の辛く長い期間を法廷で証言することの辛さに加え被告弁護士からのいわれのないひつこい質問に自分の被害をしっかりと答えたとのこと。長い裁判の中で原告被害者は苦しんでいます。全国一丸となって原告被害者を支援して活動を続けていかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害九州訴訟原告本人尋問ー各地で被害者が訴え
東京都知事選挙・都議会議員補欠選挙の投票日。SNSが目立った選挙期間中、政策よりも他陣営の批判合戦が気になりました。そのには残念ながら政策的な文言は少なく中身のないイメージが先行しているようです。今回の選挙に限らず、イメージばかりが先行して、政策的な視点が見えてきません。どうも現代の政治には歴史と哲学を忘れているようでなりません。歴史と哲学を忘れた現代は滅びる
今日は夕方から勝海舟の会の幹事会がありました。ゲリラ豪雨の中会議場所に向かうと目的地に着くころには雨も上がり勝海舟の力が自然豪雨にも響いたかと最後はいつもの懇親会談義まですっかり晴れ上がりました。6月の埼玉歴史探訪の反省と、いよいよ9月の会10周年および勝海舟生誕200年記念講演会の企画を進めました。ゲリラ豪雨があろうとも時代が激変しようとも常に先を見越し苦しんでいる民に目を向けた勝海舟をいかに現代に伝えていくかー9月に向けて再スタートです。勝海舟の良さをいかに現代に伝えていくかー勝海舟の会
今日は夕方から飯田橋の東京ボランティア市民活動センター会議室において薬害エイズを考える山の手の会の例会を開きました。毎年参加している夏のエイズフォーラムに向けて準備をしました。今年、英国政府は薬害エイズの被害者に対して謝罪をしました。英国でも日本と同じように血友病患者がHIVに汚染された血液製剤を使用して感染して多くの人がエイズで亡くなりました。英国政府は第三者機関を通じて原因究明を追求して、その隠蔽が明らかになりました。多くの人がHIVやHCVに感染してエイズや肝炎で亡くなっています。起きた構造は同じようですが時間の経過や原因究明に仕方が英国と日本で違うようです。その英国と日本の違いに焦点を当ててエイズフォーラムで発表する予定です。エイズフォーラムでの薬害エイズを考える山の手の会は日時:8月4日(日)午...エイズフォーラム向けてー薬害エイズを考える山の手の会
今日は午後からオンラインで哲学してみる読書会と寺子屋江川塾があり、歴史と哲学を考える一日となりました。「ある姿」=「歴史」、「あるべき姿」=「哲学」現代はあまりにも機能主義に陥り哲学を忘れたように感じています。数字さえ合えば、システムさえ動いていれば、人間本来の姿を忘れてもよいのでしょうか。人間が崩壊していくような現代社会。今正に歴史と哲学の必要性を感じています。歴史と哲学を考える日ー寺子屋江川塾
今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟の各地支援(北海道・東北・東京・名古屋・大阪・山口・福岡・大分・沖縄)の世話人会がオンラインでありました。それぞれの活動を情報共有して支援の拡大を行っています。全国津々浦々で活動を展開しています。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者支援ー全国津々浦々で
今日は夕方からHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの支援例会をオンラインと会議室のハイブリッド方式で行いました。参加者は両方合わせて30名で今後の活動について議論しました。10月の総会には原告被害者を中心に各地の被害者とも連携してサテライト会場も検討しようという企画も出ました。原告被害者の方は今でも多彩な症状で苦しんでいます。その被害者の生の声を多くの支援者に届けて支援の輪を拡大していこうと企画を進めています。被害者と共に運動を創りあげ被害者救済に結び付けよう!!HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者支援に向けてーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク支援例会
今月の寺子屋江川塾のテーマは大鳥圭介。江戸後期に医者の家に生まれ播州赤穂の地から閑谷学校・緒方洪庵の適塾を経て江戸に出て兵学を学び幕臣として取り立てられてからは歩兵奉行にもなりますが、時は幕末、幕府が崩壊して明治新政府が出来るも旧幕臣として戊辰戦争を最後の五稜郭の戦いまで参戦し敗北して投獄ーここで人生が終わると思うと、その才能が求められ明治新政府に出仕ー工部学校長、学習院院長、清国駐在公使を歴任して79歳の人生を閉じました。実に幕府が崩壊した時は35歳ーそれから44年生きました。同じように旧幕臣で幕府が崩壊してから明治を生きた勝海舟は46歳から77歳と31年生き、榎本武揚は32歳から72歳と40年生き、それぞれの分野で明治に活躍します。幕臣としての意地を失わず、本来の立場を失った後にも新しい時代を生きまし...喪失・挫折・失敗からの人生ー勝海舟・榎本武揚・大鳥圭介の人生から振り返る
薬害は繰り返されていますースモン・サリドマイド・エイズと近年繰り返されている薬害ーしかし薬害が起きる構造はすでに明治から存在しています。明治に起きた足尾鉱山鉱毒事件の起きた構造は、正に薬害が起きる構造と同じです。明治政府が殖産興業の中心である鉱山ー鉱業を推奨して企業が政府と癒着して起こした足尾鉱山鉱毒事件ー被害が大きくなると政府は鉱毒調査をしますが、原因である鉱山を停止せず鉱毒が流れ出た河川を修復しようと治水事業にすり替えて渡良瀬川流域の谷中村を廃村にして渡良瀬遊水地を作ります。そこには鉱業主だけでなく政府側にも歴史上の人物が関わっていました。構造的な問題でもう一つ指摘しておきたいのが薬害エイズの源流ともいえる関東軍防疫給水部いわゆる731部隊問題です。戦時中、関東軍はハルピン郊外に大きな化学工場を建設し...薬害が起きる構造は明治からあるー歴史の中で人は過ちを繰り返す
江戸時代には名君と呼ばれるお殿様がおりました。江戸前期では水戸藩主の徳川光圀、会津藩主の保科正之、岡山藩主の池田光政を三大名君と呼ばれていますが、他にも加賀藩主の前田綱紀、肥後熊本藩主の細川重賢、米沢藩主の上杉鷹山などもなかなかの名君がおりました。このような名君の共通点は、人倫の道を自らが学ぶべく学者を招いて学び藩校を創って自ら実践していること、そして苦しんでいる民のために名利を求めず救済の手を差し伸べていることです。このような名君が現代にはいないのか!?残念ながら自分の名前を売るために名利ばかりを求めているように感じます。江戸に名君ありー現代に名君はいないのか!?
今日は午後から九州の宮崎でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者の生の声を聞く学習会にオンライン参加しました。最近、全国各地ではHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を積極的に進めようとする自治体が増え、学生などに宣伝をしていく傾向があります。それはワクチンが安全で副反応被害が無かったかのような形で進めています。副反応被害者は現在でも多彩な症状に苦しめられ悩んでいます。宮崎でも積極的にワクチンを進めているという状況の中で被害者と支援者は宮崎で学習会を開きました。今も苦しんでいる被害者と共に全国各地で活動を続けています。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)被害者の生の声をー宮崎で学習会
今日は夕方からHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟全国弁護団のオンライン報告集会に参加しました。全国の原告被害者、弁護団、支援者がオンラインで集まり各地(東京・名古屋・大阪・福岡)の裁判所で行われている原告本人尋問の様子が報告されました。各地の裁判所では一日に2~3人の原告被害者が証言台に立って被害実態を発言しています。ワクチンを打ってから10年間も多彩な症状で悩まされ、学校の進学や希望の就職もあきらめ苦しんでいます。また学校では怠けていると言われ病院ではわかってもらえず、二重三重の苦しみを受けています。裁判の証言台に立つことはつらいことではありますが、原告被害者は被告側の質問に対してもしっかりと答えています。支援者としても原告被害者と共に活動を続けていきます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟全国弁護団オンライン報告集会ー被害者の苦しみが全国各地の法廷で証言されている
寺子屋江川塾の次回のテーマ大鳥圭介を調べながら、人物が生まれる基礎は何かを深く考えています。大鳥圭介は幕末に幕臣として歩兵奉行となり戊辰戦争、最後は五稜郭まで闘い明治政府に投獄されたのち学習院院長・工部大学校校長を歴任した人物です。実家は播州赤穂の医者の生まれ医業を学びながらも漢学に興味を持ち岡山藩の閑谷学校に学びます。閑谷学校は岡山藩主で名君の池田光政が熊沢蕃山を招聘して創った学校で武士だけではなく農民、庶民も受け入れました。この閑谷学校での学びが大鳥圭介の生涯の基礎となっていると言っても過言ではありません。国の基礎は教育とあらためて感じる今日この頃です。歴史が語る国の基は教育ー大鳥圭介から閑谷学校ー池田光政ー熊沢蕃山
昨日は勝海舟の会埼玉県歴史探訪でした。会のメンバーと史跡を散歩する中での対話が新しい気づきをもらい歴史の深さを感じました。本を読むだけでは歴史知識の積み重ねでしかないものを、その知識が、人との対話の中から歴史上の人物の人それぞれの人物評価の違いから、自分の人物評価の見直しを迫られます。それは決して重苦しい感じではなく新鮮な人との対話の中から生まれてくる新鮮な感じなのです。そこからまた歴史の深さを感じていきます。それは現代に生きる私たちへの歴史からの教訓なのです。歴史の深さを感じるのは人との対話の中から
今日は勝海舟の会埼玉県歴史探訪でした。朝、JR川口駅に集合してマイクロバスを借りて、午前中は川口市内の勝海舟ゆかりの場所(大砲鋳造と勝海舟の書のある神社)を回り、午後は関越自動車道を北上して深谷の渋沢栄一記念館と生誕の地へ行きました。参加者は皆和気あいあいと語りながらの歴史探訪でした。9月にはいよいよ勝海舟生誕200年(実際は昨年でしたが社会の諸事情を考慮して今年に)の記念講演会です。勝海舟の生き方を現代に、今年も活動します。勝海舟の会埼玉県歴史探訪ーマイクロバスで埼玉県を南北に横断
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害訴訟の原告本人尋問が各地で行われています。本日は大阪の裁判所であり夕方の報告集会にオンライン参加しました。原告被害者はワクチンを打った10年前から今まで副反応被害に悩まされ続けています。体調が悪い中裁判所まで足を運び証言台に立っています。このような被害者は全国にたくさんいます。裁判の方は全国4地方裁判所(東京・名古屋・大阪・福岡)で原告117名もいます。他にも原告に参加していない被害者もたくさんいます。また副反応被害が発生して接種勧奨が一時中止されていましたが国が接種勧奨を再開した後にも被害者は出てきています。国は被害実態を調査して原因を究明し、被害者の治療方法を確立すべきです。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)大阪訴訟原告本人尋問期日の報告集会
今日は夕方から飯田橋の東京ボランティア市民活動センターの会議室で薬害エイズを考える山の手の会の例会を行いました。今年夏のエイズフォーラムの準備のために話し合いました。イギリス政府が薬害エイズの件で公的な調査をして首相が謝罪したとのことー日本とイギリスと薬害エイズの対応の違いは何かー日本の薬害エイズ裁判は1996年に和解ー忘れさられようとしている薬害エイズー薬害エイズを風化させないためにどうしたらよいのかーいろいろ考えさせられる例会でした。次回は7月2日(火)19時からーさらにイギリスの出来事を調べながら議論します。薬害エイズを考える山の手の会ー日本とイギリスの対応の違いを考える