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笑顔の江川 https://blog.goo.ne.jp/egawa_moritoshi

薬害エイズを考える山の手の会のご案内 <br>病気でお悩みの方の保険相談 <br>尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

笑顔の江川
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2019/04/06

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  • 貧舟の歴史人間学ー馬鹿になる?馬鹿になれる?

    いきなり馬鹿という言葉を出してあきれるかもしれません。人は表面を見繕って、よく体裁がどうのとか、人はなかなか馬鹿になれるものではありません。歴史上の人物をみていると、馬鹿になれる人物が世の中を動かしていることに気づきます。体裁を気にしていては動けない、どうにでもなれと火中の栗を拾うかのように激動の世を駆け抜けるー「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困る」と西郷隆盛が山岡鉄舟に言ったとかーそう馬鹿になれるから成し遂げられた駿府での談判でしょう。貧舟の歴史人間学ー馬鹿になる?馬鹿になれる?

  • HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加

    今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の被告側専門家証人尋問の原告側反対尋問が行われ夕方から報告集会がありオンライン参加しました。各地の地方裁判所でも被告側専門家証人尋問の原告側反対尋問が始まっており各地の原告弁護団も協力しながら尋問に当たっています。被告側専門家証人尋問が終わると原告本人尋問がありその後は判決となります。原告被害者の支援活動も判決に向けてより一層支援拡大に向けて活動していかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加

  • 歴史散歩の楽しみ方

    私も歴史が好きでずいぶんと歴史散歩してきました。遠くもあり近くもあり、また一人散歩もあれば団体での散歩もあります。歴史散歩の楽しみ方はそれぞれに面白みがあります。一人散歩は自由ですし行先を決めても行先で新たな発見があり方向転換する場合があります。これが一人散歩の面白さです。また行く先々で人に尋ねて新たな気づきや、場合によっては貴重な資料をもらうこともあります。この場合はマナーが大切です。例えばお寺で歴史上の人物のお墓を訪ねる時はお寺さんにご挨拶するとともに訪ねた趣旨を丁寧にお話しすることー歴史上の人物の理解が足りなければ、何しに来たとお寺さんも不機嫌になるけれど、理解があれば案内してくれたり貴重な資料をもらったりすることもあります。団体散歩の場合はまずは下見が重要でしょう。参加者に楽しんでもらうためには行...歴史散歩の楽しみ方

  • 勝海舟の会の歴史探訪の下見

    今日は春に行われる勝海舟の会の歴史探訪の下見に一日中かけて確認して回ってきました。勝海舟ゆかりの地の候補地を選びながら実際に現地へ行き確認すると同時に探訪コースを回り時間配分や夕方の懇親会場選びまで都内をぐるぐると回ってきました。候補地での関係者の聞き取りや車移動での駐車場確保などの重要な要素で下見の大切さをあらためて感じました。勝海舟の足跡を追いかけて歴史探訪の参加者に勝海舟気分を味わってもらうために準備を進めています。勝海舟の会の歴史探訪の下見

  • 貧舟の歴史人間学ー江原素六との出会いー人生における歴史上の人物との出会い

    もう何年前になりますか、ちょうどコロナ渦が始まろうとしていた時期でした。勝海舟の会の方からお誘いを受けて沼津の明治史料館に行くことになりました。あの当時は遠距離は控える傾向にありましたので少しは躊躇しましたが歴史好きの私にとっては行ってみたいところでありました。沼津の明治史料館は明治初期に徳川家が駿河藩として移封になった時に駿河藩士のために建てた沼津兵学校跡地に立っています。この沼津兵学校の創設に関わったのが江原素六でした。それまで江原素六のことをあまり知らなかった私は史料館を鑑賞する中で江原素六と関わった人物として矢島楫子の名前を見つけました。矢島楫子は私の尊敬する明治の女性活動家でキリスト教運動や女子教育の分野で活躍した人物です。ここで江原素六と矢島楫子の接点を見つけ江原素六に大変興味を持つようになり...貧舟の歴史人間学ー江原素六との出会いー人生における歴史上の人物との出会い

  • 寺子屋江川塾ー今回のテーマは松平定信ー性格が人生を左右する?

    今日は寺子屋江川塾38回目、テーマは松平定信。江戸の三大改革の一つ寛政の改革を実行した老中首座ですが、老中の在籍期間は6年という短い期間でした。天明の大飢饉で全国に一揆が広がり幕府のおひざ元の江戸でも打ちこわしが発生して老中田沼意次が失脚、一時政治の空白がおきますが、白河藩主として一揆をおこさない仁政を行った松平定信が30歳の若さで老中首座となり貧困対策など寛政の改革を実行しました。しかし、倹約を徹底しその実直すぎる性格が周りから厳しすぎると依願退職に追い込まれました。実に36歳の時で72歳まで生きた生涯で半分のところでした。その後は白河楽翁と呼ばれ学問や趣味の世界で生きました。人生は分からないもので性格が左右したのではという分かち合いの時間でした。寺子屋江川塾ー今回のテーマは松平定信ー性格が人生を左右する?

  • 貧舟の歴史人間学ー愛する日本史

    残念ながら戦争、紛争、災害、貧困、社会問題といつの時代も起きています。これを解決するのは人間愛でしかない!日本も一見平和のように見えますが、今も様々な社会問題が起きています。人はどおして問題を起こすのでしょうか。歴史は人が創るから繰り返すーでは問題だけ起きているのではなく解決もしてきました。解決する糸口は人間愛でしかないでしょう。日本の歴史をみても紛争から解決の糸口は人間愛です。対立したもの、敵対したものをつながり直すーそれは人間愛です。そんな愛する日本史を探ってみようと思います。貧舟の歴史人間学ー愛する日本史

  • 貧舟の歴史人間学ーいつの時代もストレスに悩まされるー歴史の中のストレス解消法

    いつの時代も人というものはストレスで悩まされます。相対する人と人との軋轢ー対立する人と人の間に入って物事を進めるときなどは大変なストレスを感じ身体が蝕められます。幕末から明治にかけて生きた勝海舟は正にその人と人との軋轢の中に生きた人物でしょう。しかし勝海舟と言う人物はこのストレスをうまく利用した人物のようです。幕末には長州征伐で対立する幕府と長州の間を幕府側の使者として取り持って和解交渉して和解は成立したものの上司から敵である長州とつるんでいると疑われ左遷されてしまいます。ストレスを感じるというかたまったもんではありません。正にストレスが溜まる状態。しかし勝海舟はここからが人と違います。悩むどころか暇が出来たと喜んで大坂から江戸に帰り好きな読書に専念するのです。ストレス解消法のキーボードは好きなこと楽しい...貧舟の歴史人間学ーいつの時代もストレスに悩まされるー歴史の中のストレス解消法

  • 更なる支援拡大に向けてーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク支援例会

    HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者を支援するHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークは毎月1回原告被害者と共に支援例会を開いて1か月の活動報告とこれからの活動計画を話し合っています。なによりも原告被害者が近況を生の声で話すことによって支援者は頑張らなければと気持ちを入れて活動に力が入ります。今日もオンラインで九州や静岡、栃木の原告被害者や被害者家族が参加してお話ししました。更なる支援拡大に向けて活動を続けます。更なる支援拡大に向けてーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク支援例会

  • HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加

    今日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟の期日で被告側専門家証人尋問があり夕方からの報告集会にオンライン参加しました。名古屋の弁護団をはじめ各地の弁護団からも被告側専門家証人尋問の内容が報告されました。原告被害者からは被害による厳しい日常生活と共に被害の原因究明が行われていないことに怒りの訴えもありました。原告被害者は10年以上も苦しみ続けています。一日も待てない苦しみに支援者としてはなお一層の支援拡大に活動していかなければなりません。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害名古屋訴訟報告集会にオンライン参加

  • 貧舟の歴史人間学ー人の性格はその人の存在価値

    よく人との関係で上手くいかないとその人の性格が損をしていると言われることがあります。歴史上の人物をみても、たとえば最後の将軍徳川慶喜は二様様と揶揄され部下に言ったことをくるっと変えて困らせることが幕末ではよくあったそうですが、これが徳川慶喜の性格と言えば、それは徳川慶喜らしさなのでしょう。確かに最終版の幕府崩壊の危機に徳川慶喜の命令で動いた幕臣の勝海舟はずいぶんと煮え湯を飲まされています。しかし勝海舟にしてみれば徳川慶喜の性格をよく熟知したうえで動いて徳川家存続までこぎつけています。人の性格はその人の存在価値で、この視点から歴史を見ていくと面白いです。貧舟の歴史人間学ー人の性格はその人の存在価値

  • 貧舟の歴史人間学ー学校時代に不得意だった歴史が半世紀たって大好きに

    もう半世紀も前になるけれど学校時代、私は歴史が不得意で成績もよくなかったのに今では大の歴史好きになりました。何と言っても歴史上の人物の生涯を追うのが面白く、人っていろいろな生き方があるなあと、また人物と人物の出会いが本当に面白いです。人物の意外性も発見したりするのも面白いです。この人物はこんなに前に生まれていたのか、とか、この人物とこの人物は同じ年の生まれだった、とか。実例を出すと、火消しの新門辰五郎(1992年生まれ)は12代将軍徳川家慶や江戸町奉行遠山金四郎景元、大塩平八郎、渡辺崋山より1歳上ですが新門辰五郎以外は江戸時代しかもほとんどが1853年のペリー来航までには亡くなっています。新門辰五郎はなんと1875年明治7年まで生き続けます。また明治の女子教育の先駆者である矢島楫子(1833年生まれ)は桂...貧舟の歴史人間学ー学校時代に不得意だった歴史が半世紀たって大好きに

  • 貧舟の歴史人間学ーどんな時代でもストレスが人生を左右する

    寺子屋江川塾の準備を進めて、今回のテーマは松平定信ですが、この人物は72年の生涯を全うします。時代はもう少し後になりますが、同じ老中首座を経験した阿部正弘は39歳という短い生涯でした。老中首座としての重圧はご両人ともそうとうあったと思いますが、二人の違いも見えてきます。松平定信は30歳で老中首座になり36歳で辞めその後は学芸の世界で生き白河楽翁とも呼ばれていました。一方の阿部正弘は途中で老中首座を堀田正睦に引き継いだものの老中として亡くなるまで激務をこなしました。松平定信と阿部正弘は年代的に半世紀ほどの違いはありますが、両人とも政を行うには内憂外患の厳しい時代でした。面白いのは二人の性格というか対応の違いも見えてきます。江戸時代、政を行うのに老中としては将軍の他に大奥の対応が求められます。松平定信はそのま...貧舟の歴史人間学ーどんな時代でもストレスが人生を左右する

  • HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの裁判傍聴支援ーさらなる支援拡大に向けて

    今日は先週に引き続きHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)東京訴訟の被告側専門家証人尋問の期日でした。先週の期日では裁判傍聴も無抽選で私も傍聴出来ましたが、残念ながら傍聴席には空席がありました。今回は何としても傍聴券抽選にして傍聴席を満席にしなければならないと声掛けしました。様々な人々にご協力頂き今回は傍聴券抽選となりました。私は抽選に外れ夕方の報告集会まで、裁判のある霞が関の東京地方裁判所は桜田門近くで江戸城の歴史散歩をしました。裁判傍聴はHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの活動目的の一つです。さらなる原告被害者の支援活動の拡大を目指して活動を続けます。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの裁判傍聴支援ーさらなる支援拡大に向けて

  • 貧舟の歴史人間学ーどこに目を向けて政をするのかー大塩平八郎

    江戸後期の陽明学者で大坂町奉行与力の大塩平八郎は救民を訴えて乱を起こしました。上司である大坂町奉行に苦しんでいる民のために米を支給するようにお願いしていたのですが、大坂町奉行は上司てある江戸の老中から米を江戸回すように言われ大塩平八郎の願いは聞き入れらませんでした。どこに目を向けて政をするのかーいつの時代も政を行う者の姿勢が問われています。貧舟の歴史人間学ーどこに目を向けて政をするのかー大塩平八郎

  • 貧舟の歴史人間学ー遠山金四郎親子は凄い

    遠山金四郎と言うと時代劇でおなじみの桜吹雪の金さんを思い出し人が多いでしょう。時代劇は少し誇張して面白おかしく描いていますが、実際の遠山金四郎景元は実在の人物で江戸後期の江戸町奉行で将軍の前でお白州の場面を披露して褒められました。しかも江戸町奉行は北町奉行と南町奉行で月番交代で行っていますが江戸時代を通じて北町奉行と南町奉行の両方を勤めた人物は遠山金四郎景元だけです。それだけ注目されていたのでしょうが、私は遠山金四郎景元の親爺さんの遠山金四郎景普の方がもっと凄いと思います。遠山金四郎景普は目付、長崎奉行、勘定奉行を歴任しますが、役職よりもこの当時ロシアが南下して幕府の外交政策が大変なところロシア使節団の交渉や実際に蝦夷地や長崎へ東奔西走でことにあたったのでした。時代劇で名前が売れている息子の遠山金四郎景元...貧舟の歴史人間学ー遠山金四郎親子は凄い

  • 貧舟の歴史人間学ーやはり勝海舟の親爺は面白いー貧乏からの立ち直り

    やはり勝海舟の親爺の勝小吉には親近感があります。貧乏そのものの生活をしながら人の世話をするお節介ものーでもこれが人を呼び貧乏から立ち直ったそうです。夢酔独言は勝小吉が自分の真似はするなと晩年に自ら書いたものー夢に酔って勝手に書いたと洒落ているー夢を追う博打みたいな人生ですが、困っている他人を思いやる人の愛に生きた人でした。貧舟の歴史人間学ーやはり勝海舟の親爺は面白いー貧乏からの立ち直り

  • 貧舟の歴史人間学ー歴史は事象ではなく人でみるー最後の参謀総長梅津美治郎

    本日発売の歴史街道3月号に興味ある掲載があり購読しました。二・二六事件で鎮圧を主張した軍人という項目で三人の軍人を取り上げていました。石原莞爾・武藤章・梅津美治郎です。三人とも反乱部隊の鎮圧を主張したのですが、それぞれに違いがあることが語られていました。私は、梅津美治郎に関心があり以前にも新書本でこの人物のことを読みました。後始末をする軍人ー後始末とは二・二六事件、ノモンハン事件、終戦です。それぞれに陸軍次官、関東軍総司令官、参謀総長として後始末をしました。事象や肩書だけで捉えるとこの人物は理解できないかもしれません。この人物がどのような生き方をしてきたのか。さらにこの人物を読み続けたいと思います。やはり歴史は事象ではなく人でみるべきと思います。貧舟の歴史人間学ー歴史は事象ではなく人でみるー最後の参謀総長梅津美治郎

  • 貧舟の歴史人間学ー旋律が人生を物語るーチャイコフスキー交響曲に惚れ込んで

    学生時代に友人からチャイコフスキー交響曲5番を勧められレコードを買って聴いたとたんに惚れ込んでしまいました。貧乏生活が常の私ですが、苦しくなった時に力になるのが、勝海舟かチャイコフスキーでした。チャイコフスキーの生まれは1840年、帝政ロシアの下で司法省に勤務して苦しんでいる貧民を目にして自分の無力感を感じ挫折して退職して音楽家の道を歩みました。正にロシア革命前夜、日本でいえば幕末期に当たりますね。チャイコフスキーの交響曲は正に彼の人生を物語っているがごとく交響曲1番「冬の日の幻想」から2番「小ロシア」3番「ポーランド」と政治的色彩のものでしたが、4番は援助してくれた未亡人へ捧げた交響曲で、この辺から人に対する想いや人の生き方を考えさせられる旋律に感じます。私を勇気づけてくれた交響曲5番、そして6番「悲愴...貧舟の歴史人間学ー旋律が人生を物語るーチャイコフスキー交響曲に惚れ込んで

  • 貧舟の歴史人間学ー大奥で起きていたことは今でも起きている

    江戸時代、時の権力者でもある将軍や老中を操る大奥、大奥も人の集まりで、やはり人は同じことを繰り返しています。徳川幕府の260年の歴史の中でも大奥の将軍付御年寄などは老中とは対等に対話して政を動かしてきました。8代将軍吉宗から9代家重、10代家治の頃は御年寄松島が、13代家定、14代家茂御年寄瀧山が大奥の実権を掌握していました。瀧山は井伊直弼の大老就任にも動いていたと言われています。時の権力を陰で動かすーそれは大奥に限らず、人である以上、どの時代にも起きていることで、今も起きていることです。貧舟の歴史人間学ー大奥で起きていたことは今でも起きている

  • HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者のご支援ご協力をお願いいたします

    HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の副反応で10年以上も苦しんでいる被害者がいます。被害者は今、全国4つの地方裁判所(東京・名古屋・大阪・福岡)で国、製薬会社を相手に闘っています。この問題はマスコミなどには取り上げられずあまり社会には知られていません。被害者は孤立して今も症状が改善されず苦しみながら闘っています。今日も東京地方裁判所で被告側専門家証人尋問がありました。来週2月10日の月曜日にも被告側専門家証人尋問があります。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者のご支援ご協力をお願い致します。詳しくはHPVワクチン薬害訴訟:東京期日傍聴のご案内(2025年2月3日・10日)-HPVワクチン薬害訴訟全国弁護団HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク–「子宮頸がん予防ワクチン」被害の真の救済を求めてHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者のご支援ご協力をお願いいたします

  • 貧舟の歴史人間学ー歴史探訪の中での出会いと気づきー江原素六と矢島楫子

    コロナ渦の始まる少し前だったと思いますが、沼津の明治史料館を訪ねた時、江原素六の関係者の表を眺めていたとき、矢島楫子の名前に目がとられました。江原素六はその時初めて知ったのですが、矢島楫子は女性の中で尊敬する人物として以前から知っておりましたので、その関係を知り、また深く調べるようになりました。二人の出会いは明治に入ってからのキリスト教の関係からですが、矢島楫子がキリスト教矯風会で売春・公娼問題を取り上げ女性の地位向上を目指して活動していた時に、やはりキリスト教に深く関わって衆議院議員でもあった江原素六から女性参政権が必要であると説かれた時のことです。明治のこの時期に女性参政権を説かれるとはかなり先進的です。二人の前向きな活動が結びつけたのでしょう。貧舟の歴史人間学ー歴史探訪の中での出会いと気づきー江原素六と矢島楫子

  • 貧舟の歴史人間学ー歴史にタラレバはないけれど、気づかせてくれるものがある

    寺子屋江川塾の準備で2月のテーマである松平定信の準備をしていますが、この人物ほど、もし御三卿の田安家に残っていれば(タラレバ)将軍になっていたかもしれないと思うのですが、白河藩に養子に入り藩主として藩政改革をして仁政を行ったことが評価されて、のちに老中首座として幕政改革を行ったりもしたので、調べていくと様々なことを気づかせてくれます。タラレバは様々なケースが思い出されます。幕末に名君と言われた島津斉彬や老中首座の阿部正弘は早く亡くなりましたが、この両名が長生きしていれば幕末の様相もずいぶんとかわっていただろうし、逆に将軍になれない御三家の水戸藩出身の徳川慶喜が御三卿の一橋家に養子に入ったことで15代将軍にもなっています。徳川慶喜は将軍になれる御三家の紀州藩出身の14代将軍徳川家茂と将軍継嗣問題で候補にあが...貧舟の歴史人間学ー歴史にタラレバはないけれど、気づかせてくれるものがある

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