HPVワクチン薬害訴訟を支える会・大分から被害者の生の声や弁護団の弁護士・全国からも様々な立場から分かりやすくこの問題を伝える冊子が届きました。107頁のブックレットサイズ読みやすく出来上がっています。多くの人に読んでほしいと思います。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークでもこの冊子を活用して被害者の生の声を社会に伝えていきます。HPVワクチン被害者の生の声を社会に届けようー大分支援から冊子が届く
薬害エイズを考える山の手の会のご案内 <br>病気でお悩みの方の保険相談 <br>尊敬する勝海舟や田中正造のコメント
新型コロナウイルス感染症の陽性者が全国で大きく増える中、人々は対話する機会を失い苦しみ悩む人々は孤立化するばかりです。人間は悩み苦しみ、それを誰かと話し共有することによって生きる力を与えられます。今日もHPVワクチン被害者のお話をオンラインで聴く機会がありましたが、治療や教育の現場でその存在すら否定され悩んでいます。こういう時だからこそ人をつなぐ機会を創っていかなければなりません。形だけではなく心でつなぐ手立てを考え創っていきましょう。こういう時だからこそ人をつなぐ
今日は夕方からHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークのHPVワクチンリーフレット問題勉強会をオンラインで行いました。全国各地の地方自治体議員が大勢参加して参加者は100名を超えました。各自治体のHPVワクチンリーフレットの対応も自治体議員さんから明らかになり議会での一般質問など事例も報告され各地でも様々な動きが出始めています。今日も被害者本人からHPVワクチン副反応被害者ということで診療を断られたり学校では被害を理解されず怠けていると注意されたり被害者の現状が訴えられました。被害者と共にさらに活動を続けていきます。HPVワクチンリーフレット問題勉強会
伊達保子は仙台藩主伊達家の娘として文政10年1827年に生まれました。伊達家仙台藩は62万石の大藩で江戸時代半ばであればなんら不自由なく暮らせたのですが、時は幕末ー徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで負けると徳川家は朝敵とされその影響は東北諸藩に及ぼし始めは中立の立場を取っていた仙台藩も奥羽列藩同盟をつくり新政府軍と対峙することになりました。新政府軍に降伏すると28万石に減封され藩士は食べることも難しくなり不毛の大地蝦夷地の開拓を決意します。伊達保子は分家の亘理伊達家に嫁ぎますが、亘理伊達家も蝦夷地を目指し伊達保子も自ら開拓に精を出し開拓の母と呼ばれるようになりました。北海道の伊達市は正に伊達保子との開拓の地です。なんら不自由なく育った姫様が時の流れの中で泥をかぶって開拓に精を出しました。自らを与えられた地に身を投じ全う...歴史から学ぶ人間学ー伊達保子の場合
足尾鉱毒事件の被害者の救済に国会議員として奔走した田中正造ですが、このような人物になりたいと思う国会議員は少ないでしょう。いやいないかもしれません。何せ国会で解決できないと思うと議員辞職して天皇に直訴して捕まり政府が芦尾鉱山を停止しせず治水事業に変えて谷中村を廃村にしようとすると一人谷中村に入り抵抗して最後には持参していたものは石ころと聖書だけだったという貧困ぶりです。ここまで被害民のことを思い自ら先頭に立って活動した人物はいないでしょう。しかし田中正造の出身地である栃木県の佐野市では今でも英雄として記念館もあり催事も後を絶ちません。この田中正造の姿勢が後世の人々を永遠に動かしているのです。歴史から学ぶ人間学ー田中正造の場合
最初から失敗を求める人間はいないでしょうが、若い頃の失敗を受け入れ人間の弱さを享受しながらその逆境からはい上がった矢島楫子と山田わかを私は尊敬しています。矢島楫子は幕末の武家に生まれ武家に嫁入りしますが夫の酒乱に耐えかね離縁して上京し年下の男性に恋しながらキリスト教に目覚め明治のキリスト教活動や女性教育に活躍した女性です。私が最初に注目したのは矢島楫子が1833年生まれで木戸孝充(桂小五郎)と同じ年の生まれで横井小楠の親戚であったことです。幕末動乱の時期に武家に生まれその環境に苦悩しながらも明治に入り自らの意思で女性活動家として生きました。もう一人は山田わかー明治の貧困家庭に生まれ家の生計を立てるため身を売り人に騙され渡米します。売春婦として渡米した先で娼婦救済施設キャメロンハウスに救済され恋をしながらも帰国し...歴史から学ぶ人間学ー矢島楫子と山田わかの場合
活動の難しさを感じながら進めるーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク
今日は全国から原告被害者・弁護士・支援者が集まってHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの支援例会を行いました。活動を進めていくうえで様々な問題を抱え難しさを感じながら関わっておりますが、司会進行をしていると自分の無力を感じるばかりです。しかし被害者が苦しんでいる現状の中であきらめるわけにはいきません。少しでも前へ進めるため活動を進めていきます。活動の難しさを感じながら進めるーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク
オンラインで様々な人々の声を聞くーがん哲学外来メディカルカフェと読書会をオンラインではしご
今日は王子がん哲学外来メディカルカフェのスタッフ会議をオンラインで行い久しぶりに参加してくれた患者さんのお話を聞きメディカルカフェの必要性を感じました。コロナ渦中で対面でのカフェは難しくなりましたが、人と会う機会が少なくなり悩みを抱えてしまう患者さんも多くいます。オンラインでも話を聞いてもらえると思うと気持ちが少し楽になります。オンラインでも話ができる機会を作ることは重要です。メディカルカフェのスタッフ会議を終えると、今度はオンラインで渋沢栄一の「論語と算盤」読書会に参加しました。今のコロナ渦中で渋沢栄一が生きていたらどのように対応するだろうかと参加者と共に話し合いました。オンラインでも人はつながっています。人と人とのつながりの機会を増やしていく活動を続けていきます。オンラインで様々な人々の声を聞くーがん哲学外来メディカルカフェと読書会をオンラインではしご
幕末に西の緒方洪庵、東の佐藤泰然と言われた医師がおりました。緒方洪庵は大坂で適塾を開き橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉、長与専斉、佐野常民といった多くの人材を育て世に送り出しました。佐藤泰然は千葉の佐倉で佐倉順天堂を設立して佐藤尚中、松本良順、関寛斎などを輩出しました。緒方洪庵も佐藤泰然も医療者のみならず後に明治国家を作り上げる中心人物にも大きな影響を与えました。特に佐藤泰然は賊軍となった旧幕臣の榎本武揚などの助命嘆願に奔走して旧幕臣が明治政府で活躍する場をつくりました。がんや感染症などの対応が注目されている現代において緒方洪庵や佐藤泰然のような社会全体を見据えた視野の広い医療者がいま求められているのではないでしょうか。歴史から学ぶ人間学ー緒方洪庵と佐藤泰然の場合
本日はがん哲学外来在宅部会で「歴史から学ぶ人間学」をお話しさせていただきました
本日はがん哲学外来在宅部会のオンライン学習会で「歴史から学ぶ人間学ー徳川慶喜を中心に天璋院篤姫・皇女和宮・勝海舟・西郷隆盛・渋沢栄一の関係からその生き方を考える」という表題でお話しさせていただきました。それぞれの人間関係は複雑に絡み合い時代背景・出来事も見ながら、どう対応し生きてきたか、参加者と共に考えました。歴史はくりかえされると言いますが、歴史は人間が創るものーそれぞれの人物の生き方が時代を変えてきたのだと再確認した学習会でした。この学習会は歴史の勉強をすることでなく、歴史上の人物からその生き方を学び現代に活かしていくもので、参加者と語り合うことで新たな気づきが生まれました。このような機会を頂いたことに感謝いっぱいです。本日はがん哲学外来在宅部会で「歴史から学ぶ人間学」をお話しさせていただきました
その人物が短命であってもこれだけ後世に名を残した人物がいるでしょうかーその人物の名は吉田松陰と橋本左内。吉田松陰は30歳、橋本左内は26歳で大老井伊直弼の安政の大獄により処刑されて亡くなりました。二人のお墓は処刑者が眠る南千住の小塚原回向院にあり私もよく歴史散歩に訪れるところです。吉田松陰は長州藩士、橋本左内は越前藩士、お互いに藩や立場は違いましたが、幕末を日本のために奔走した人物でした。その前向きすぎる姿勢ゆえに時の為政者から目を付けられ処罰されてしまいましたが、二人の死後も多くの志士が惜しみ慕い幕末を動かす大きな力となっていきました。そして現代でもなお二人を慕い書物もたくさん出ています。後世にどう遺していくかーこれも生き方です。歴史から学ぶ人間学ー吉田松陰と橋本左内の場合
幕末の薩摩藩主島津斉彬と老中首座阿部正弘は盟友でちょうどペリー来航の混乱期に日本の行く末を案じ奔走しました。残念ながら両人とも島津斉彬は50歳、阿部正弘は39歳という若さで亡くなりました。誰もが幕末の危機の中でおのれのことしか考えない幕閣が多い中で必死に日本のため日本を再建するために奔走した二人でした。歴史にタラればはありませんが、二人がもっと長生きしていたら幕末の様相も大きく変わっていたことでしょう。それでも二人は身分にとらわれず多くの人材を発掘して世にのことしていきました。二人がいなければ西郷隆盛や勝海舟は現れなかったかもしれません。危機の時代は人の多くが保身に走り周りが見えなくなります。自分のことばかり考えて社会のことは他人事のようになります。現代も正に危機の時代ー島津斉彬や阿部正弘のような人物の出現が求...歴史から学ぶ人間学ー島津斉彬と阿部正弘の場合
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也」この言葉ほど二人の人物ー西郷隆盛と山岡鉄舟ー合った人物はいないでしょう。慶応4年、駿府にいた官軍参謀の西郷隆盛のところへ賊軍となった幕臣山岡鉄舟が乗り込んだ姿勢こそ西郷南洲遺訓に残した言葉です。こうとしか生きようのない武士道の精神を最後まで貫いた西郷隆盛と山岡鉄舟でした。歴史から学ぶ人間学ー西郷隆盛と山岡鉄舟の場合
皇女和宮と天璋院篤姫とは徳川将軍家の嫁と姑の関係。身分も天皇の妹と薩摩藩分家の出で段違い。二人の関係はなかなか難しくそうとうにぶつかり合ったようです。考え方も行動も違い、いくら大きな江戸城大奥でも大変でしたでしょう。しかし二人は奇妙に重なりあっておりました。一つは政の道具に使われ将軍御台所となり、幕府崩壊の時には里から攻められ敵方になってしまいました。そこで二人は徳川家存続のために力を合わせて奔走するのです。二人の性格は違い、皇女和宮は何事にも冷静に対して天璋院篤姫は人情深く、この二人の行動が多くの人々を動かして徳川家存続に結びついたのです。この二人も時代が生んだ生き方なのです。歴史に学ぶ人間学ー天璋院篤姫と皇女和宮の場合
幕末三舟とは幕臣であった勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟のことで、この呼び名は明治以降のものです。幕臣であった三人は幕府崩壊によりその地位を失いますが、明治以降も生き続けます。その生き方は三人三様で、勝海舟は一時は明治政府に出仕しますが、晩年まで薩長藩閥の明治政府に在野から批判し続け、山岡鉄舟は明治天皇の侍従として仕え、高橋泥舟は公職につかず隠遁生活を送ります。その生き方は地位を失って悲しみに暮れるのではなく、むしろ信念を持って自らの生き方に誇りを持って生きたと言えましょう。どんな境遇にあろうとも信念を持って生きるーこれが幕末三舟から学ぶ人間学です。歴史から学ぶ人間学ー幕末三舟の場合
どんな時代であろうと、どんな境遇に置かれようと前向きに生きる人物はおります。それが時代を生き生きとさせてくれます。幕末・明治を生きた天璋院篤姫もその一人でしょう。薩摩藩分家の姫として生まれ育ち本家の養子から公家の養女そして13代将軍家定の正室になった篤姫ー幕末動乱の最中、その道のりは決して穏やかではなく多くの障壁が襲い逃げ出したくなる境遇の中、自らをその境涯の中に身を置き、そして徳川家のため日本のために前向きに生きました。徳川家崩壊の危機にも自らが先頭に立って奔走して徳川宗家16代目を養育して徳川家を生き返らせました。どんな時代、いや、今の時代にも前向きに生きる人物はおります。天璋院篤姫を想いながら、そのように信じる私です。どんな境遇の中でも前向きに生きるー天璋院篤姫の場合
がん哲学外来メディカルカフェではがん患者さんと共に参加者それぞれの生き方を分かち合っています。がんと診断され思い迷っている時に仲間と共にその後の生き方を共有し合うのです。がんとなった時が終わりではなく始まりなのです。私は歴史好きでメディカルカフェの中でも歴史上の人物の生き方をお話しします。歴史というと世間ではドラマチックな場面を想像しますけど、人物の生き方を見ると、その場面は一点に過ぎず、その人物を理解するには一生涯を見なければわかりません。最後の将軍徳川慶喜も将軍であった時は31歳ですが77歳まで生きました。将軍で終わりではなく、むしろ明治時代の徳川慶喜の方が長いのです。様々な難しい出来事が起こる世の中でこれからどう生きるのか、正に一人ひとりの生き方が問われているのです。今こそ一人ひとりの生き方が問われている
一見してきれいに見える社会でも人の心は苦しみ、またコロナ渦中で生活が大変になり、人々の生活は暗くなるばかりです。現代は正に荒野の状況になりつつあります。しかし、これは人に与えられた試練であり、荒野の中にこそ生きる指標があるのです。人類の歴史はそれを証明しています。小手先で苦しみから逃れようとするのではなく、今こそ歴史と哲学を大切にするときです。現代は正に荒野
今日はHPVワクチン被害者支援で連携している地方議会の議員さんたちと7月30日にオンラインで開催する勉強会の打ち合わせをしました。いま全国の地方議会の議員さんたちがネッワークを結んでHPVワクチン被害者を支援しています。そのネッワークをさらに広げようとHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークでは地方議会の議員さん向けの勉強会を連続で開催しています。詳しくは:https://hpv-yakugai-shien.net/2021/06/22/post-314/HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク勉強会の準備
徳川慶喜を中心に歴史から学ぶ人間学という演題を頂き今準備しているところです。その生き方を見ながらも徳川幕府はなぜ崩壊したのかといろいろ考えさせられます。幕臣であった福地源一郎は明治に入ってジャーナリストとなり幕府の崩壊は討幕運動によるものではなく幕府内部の自己矛盾によって倒れたと書いています。幕末の幕府を見ていると、優秀な幕閣や幕臣がいながらも大きな組織ゆえに、その組織の中で改革を恐れ己の保身に走り崩壊してゆく姿が見て取れます。いつの時代も同じように見えるのですが⁉️徳川幕府はなぜ崩壊したのか
幕末の幕府の様相を呈してきた今の政府ー幕府に提出した勝海舟の「憤言一書」に想う
コロナ対応やらオリンピック対応やら混迷を深める政府の対応は緊急事態宣言も功を奏せず先行き不透明ーまるで幕末の幕府の対応に似てきました。幕臣であった勝海舟は慶応3年12月、いよいよ幕府が崩壊するその時、「憤言一書」なるものを提出して退職を願い出ました。それは「私に帰せずして公に帰す」ー己の身分や門閥ばかりを言う幕閣に対して「公」「正」に徹せよと言う怒りの一言でした。どの時代でも危機の時代には誰もが己大事と保身に走ります。今こそ誰もが公に帰す時ではないでしょうか。幕末の幕府の様相を呈してきた今の政府ー幕府に提出した勝海舟の「憤言一書」に想う
人は必ず死ぬものです。であればこそどう生きるか。それを考える本を紹介されました。イェール大学のシェリー・ケーガン教授の「DEATH」「死」とは何かです。なかなか興味深く読み始めました。人が魂を持つものであるから、人が亡くなっても魂が生き続けるー遺志ーどう伝えていくかということは、どう生きてきたかーどう生きていくかー人の生き方そのものであるということ。それを深く考えさせられています。「死」ついて考える
亡くなった作家の半藤一利さんは勝海舟の大ファンでした。世間では勝海舟と言えば幕臣として幕末を奔走し江戸城無血開城で注目されがちですが、これとて勝海舟がひとりで成し遂げたものではありません。それにその時の勝海舟は46歳で、それから30年明治を生きます。半藤さんは明治の勝海舟を「それからの海舟」と題して描いています。勝海舟らしさはここにあるのではないでしょうか。幕末英雄伝は本当の人の姿を見失いがちです。今の世の中も似たようなところがあるような気がします。人の本当の姿は一生涯の生き方を見なければわかりません。勝海舟の魅力は明治時代
薬害エイズを考える山の手の会25周年ーAIDS文化フォーラムに参加
薬害エイズを考える山の手の会は1996年8月に設立して今年で25年になります。設立した年の3月に薬害エイズ裁判は被害者と国・製薬企業との間で和解しましたが、当時はエイズ治療薬も少なく被害者の多くは亡くなっていきました。当時は裁判で和解したことにより薬害エイズは解決した風潮が社会にありました。しかし治療薬もなく多くが亡くなり、またエイズによる差別偏見で被害者は社会から隠れた存在でした。この状況は解決したとは言えずおかしいと薬害エイズを考える山の手の会は地域で薬害エイズの啓発活動を始めました。薬害エイズ被害者と地域の学校へ行って話したり学習会を開いたりしました。毎年夏に行われるAIDS文化フォーラムにも毎年参加しています。様々なエイズ関連団体と交流して薬害問題を訴えてきました。今年も8月7日(土)14時30分からオ...薬害エイズを考える山の手の会25周年ーAIDS文化フォーラムに参加
歴史学者が80年周期論をよく論じられます。1940年の「大政翼賛会」は崩壊期、1860年の「尊王倒幕」ー歴史的に見て崩壊期ーさて1940年から80年は2020年ーコロナ渦。後世の歴史家は2020年をどうとらえるでしょうか。今まさに危機の時代ー私たちはどう生きるべきかーどう動くべきかー一人ひとりの行動が問われています。過去を見ると崩壊期には歴史と哲学を忘れ誰もが他人任せとなり崩壊に向かっています。今こそ歴史と哲学の大切さを痛感する今日この頃です。歴史と哲学を忘れた社会は崩壊するー80年周期を考える
今、HPVワクチン被害者支援活動は各地で支援組織が出来ており北は北海道から東京・名古屋・大阪・福岡・大分、南は沖縄まで活動しています。それぞれに独立して活動しておりその形態は様々ですが、徐々に各地と意見交換しながら全国のネットワークづくりに向けて準備もしております。各地にも被害者が多く支援者と連携しながら支援の輪を広げていきます。HPVワクチン被害者支援の全国ネットワークを
昨日の東京都議会議員選挙の投票率は42・39%だったということです。都民の半分以上が選挙の投票に行っていないということです。これで都議会は信任されたのでしょうか?立候補者の訴えは都民に通じたのでしょうか?当選したからと言って信任されたといえるのでしょうか?疑問が多く残ります。そして都議会は半分以下の都民の意思しか反映されていないということです。さて今年は必ず年内に衆議院議員選挙があります。今回の都議会議員選挙のような投票率にならないよう多くの選挙民が投票に行かれることを願うのみです。都議会議員選挙の投票率42.39%とは?
私がまだ20代の頃、カール・ベーム指揮のウィーンフィルに帯同して来日した若き指揮者リッカルド・ムーティを聴いてその情熱的指揮に感動してから半世紀近く、最近になってシカゴ交響楽団の指揮をしているリッカルド・ムーティを聴いて、その情熱的な指揮が健在であることに再び感動しました。今日は私の好きなチャイコフスキー交響曲をリッカルド・ムーティ指揮のCDで聴きました。半世紀も情熱的な精神を持ち続ける姿勢に驚きを感じるほどです。最近は目まぐるしく変わっていく時世に一人ひとりの個性とか存在すらが埋没して消えていくようです。人間として最期まで情熱を持ち続けたいものです。半世紀近く愛したリッカルド・ムーティーその情熱は健在
明日は東京都議会議員選挙の投票日です。都民一人ひとりが立候補者の政策や考え方を見極め都民一人ひとりの意思で投票に行きましょう。それが都政を良くする第一歩です。投票率も都民がいかに都政のことを考えているかの指標になります。投票率が低ければ都政は悪くなるということですね。明日は都議会議員選挙ー投票に行きましょう
コロナウイルスの感染者が増え続ける一方、人々は疑心暗鬼に陥り人との交流の機会が減りました。人々は保身に走り内向的になるばかりです。危機の時代はいつも人は内向的になります。苦しんでいる人は孤立するばかりです。こんな時にこそ、苦しんでいる人に目を向け行動する時なのです。それは愛の実践しかありません。増え続けるコロナ、減り続ける対話ー今こそ愛を
「仕方がないやね。誰だつて、勤王の士は、倒るるまでもしなければならないよ。己などは、慶喜公に嫌はれて、勝が在つては善くないとまで言はれた。何遍斥けられたか知れないよ。それでも、一言も責を避けたことはないよ。全く幕府の任だから、引受けたのだもの。明治政府の末路は、あの連中がよつて、出来ぬまでも片付けなければならぬ。仲間喧嘩だもの」(勝海舟「海舟語録」より)派閥争いで喧嘩ばかりしている明治政府の末路を見た勝海舟ですが、現代の政治も同じようなことをしているように見えます。明治政府の末路を見た勝海舟ーその末路は現代も似ている
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HPVワクチン薬害訴訟を支える会・大分から被害者の生の声や弁護団の弁護士・全国からも様々な立場から分かりやすくこの問題を伝える冊子が届きました。107頁のブックレットサイズ読みやすく出来上がっています。多くの人に読んでほしいと思います。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークでもこの冊子を活用して被害者の生の声を社会に伝えていきます。HPVワクチン被害者の生の声を社会に届けようー大分支援から冊子が届く
HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)副反応被害者の支援活動を話し合うため毎月1回開いていますが、今日で70回目になりました。被害者の生の声を聞き被害に実態を社会に伝えていくために学習会の企画をしたり公共団体をはじめ様々な団体への要請行動の企画をしたりしています。裁判の方では、現在、原告本人尋問が行われており東京では5月15日に東京地方裁判所で行われます。裁判傍聴も支援活動の一環として行っています。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク第70回支援例会
今日は朝から少し頭痛がするは身体がホカホカするは、体調が今一つ良くなかったので早めに買い物を済ませ、家で横になりながら「山紫水明」を読みました。お陰様で読了しました。今週から来週にかけて予定もあり、あれやこれやと考えようとしても気力がなく、逆に諦めて頼山陽の「山紫水明」を流して読むとスーツと落ち着きを取り戻しました。幕末の志士にあれだけ影響を与えた頼山陽ですが、53年の生涯は複雑なものでした。漢詩人として多くの漢詩を残した頼山陽は日本の心と自然美を最も愛したと言われています。頼山陽の大著「日本外史」を幕末のベストセラー、亡くなる数か月で書き弟子に託した「日本政記」。病と共にあった頼山陽の生涯は奥深いです。体調が今一つ良くない中、家で横になりながら「山紫水明」を読む
次回の寺子屋江川塾で取り上げる頼山陽ー江戸後期の漢学者・漢詩人ー幕末のベストセラー「日本外史」多くの志士に影響を与えたこの大著は頼山陽が病気で苦しんだ時期に書かれたものです。頼家からも廃嫡ー病的な人生の中に自然美を愛しその日本の美と心はどのように生まれたのかーその深さに遠く感じる自分がいます。貧舟の歴史人間学ー頼山陽の深さが遠く感じる
人はなぜ差別して弱いものを追いやり無きものとしようとしようとするのでしょうか。一見平和のように見える社会でも人を差別して弱いものを排除しようとします。地位や名誉にこだわらず、苦しんでいる弱い立場の人々に目を向けた勝海舟の言葉が現代へ警鐘をならしているかのように聞こえてきます。「人はどんなものでも決して捨つべきものではない。いかに役に立たぬといつても、必ず何か一得はあるものだ」(勝海舟「氷川清話」より)人はなぜ差別しなきものとしようとするのかー勝海舟の現代への言葉
寺子屋江川塾で取り上げる人物を探すために、植松三十里さんの「時代に生きた女たち」を読み直してみました。35人の歴史上の女性の人物を取り上げています。著者には申し訳ありませんけど、こんな人物もいたかとつまみ食いみたいな読み方をして最後まで読んでいなかったのですが、その最後にベラ・チャフラフスカでした。チェコスロバキアの体操選手で1964年の東京オリンピックでは金メダリストとして注目を浴びました。その4年後、故郷のチェコスロバキアでは民主化運動の流れに危機感を感じた当時のソ連が戦車が侵攻してきたのです。チャフラフスカはチェコスロバキアの民主化運動の旗手として先頭に立って運動していました。当然、ソ連当局に追われる身となります。最後はチェコスロバキアの民衆がソ連の戦車に立ちはだかりチェコスロバキアの民主化運動は勝...歴史上の女性の人物を探していたらーいろいろ考えさせられました
今日は福岡地方裁判でHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)九州訴訟の原告被害者の本人尋問が行われ夕方からは報告集会がありオンランで参加しました。今年からは全国4地方裁判所(東京・名古屋・大阪・福岡)で原告本人尋問が始まっています。原告被害者の生の声が法廷に響いています。次回の東京の本人尋問は5月15日ー全国一丸となって被害者を応援していきます。原告被害者の生の声が法廷にーHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)九州訴訟
東京の中央区小伝馬町に十思公園というところがあります。ここは江戸時代に伝馬町牢屋があり安政の大獄で処刑された吉田松陰も入っていたところです。ここに江戸時代初期に原主水とペトロ岐部というキリシタンが入れられ殉教しました。キリシタン禁教の時代に信仰を捨てず処刑された二人ー殉教ーキリシタン禁教の時代でも信仰を捨てず生き続け語り続けて、やがて幕末に長崎でキリシタンが発見されます。江戸キリシタン殉教
幕末のベストセラー、頼山陽の「日本外史」、なぜあれだけの大著が生まれたのかー頼山陽の生涯を追いながら考えています。その生涯を追えば追うほど大変な道のりでした。今月の寺子屋江川塾のテーマでもあり頼山陽の生涯、その著書、影響を受けた人物、様々な視点から考えています。やはり人物は一生涯を見なければわかりません。頼山陽の生涯を追う
今日はこの水曜日に亡くなったカフェ仲間の安置されている斎場に向かいお線香をあげてきました。斎場には途切れることなくカフェ仲間が来られていました。その人柄を象徴するように来る方来る方愛しんで語り合っておられました。こういう時に人のつながりを深く感じるものだと思いながら斎場を後にしました。安らかにお休みください。人のつながりを感じながら偲ぶ
今日は勝海舟の会幹事会があり10周年企画や歴史探訪企画など話し合いました。幹事会の後の食事会でも勝海舟のすばらしさを若い人たちに伝えて会を盛り上げていこうと勝海舟談義に花を咲かせました。争いごとを嫌い平和を愛した勝海舟ーしかしその生涯はけっして平坦なものではありませんでした。艱難辛苦を乗り越えた勝海舟の生き様ーこの学びを進めていくことが大切です。勝海舟談義に花を咲かせてーいかに勝海舟のすばらしさを現代に伝えるか
本日はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)問題で被害者と共に東京都に要請に行ってきました。東京都はHPVワクチン男子接種も進めており東京都の担当課にHPVワクチン副反応被害について実際に被害者にあって知ってもらうために被害者と支援者そして今回の東京都要請をつないでもらった都議会議員と区議会議員と一緒に要請してきました。被害者の生の声を伝えるためにこれからも活動していきます。HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)問題で被害者と共に東京都要請
がんカフェに積極的に関わっていた友人が亡くなりました。そう言えばマザーテレサの名前がよく出ていました。「あなたは、望まれてこの世に生まれてきた大切な人なんですよ」(「心が豊かになるマザーテレサ聖人の言葉」より)ご冥福をお祈りします。そう言えばマザーテレサの名前がよく出ていましたーご冥福をお祈りします
「今度この正造が斃れたのは、安蘇・足利の山川が滅びたからだー日本も至るところ同様だがー。故に見舞いに来てくれる諸君が、本当に正造の病気を直したいという心があるならば、まずもってこの破れた安蘇・足利の山川を回復することに努めるがよい。そうすれば正造の病気は明日にもなおる」(布川了「田中正造たたかいの臨終」より)足尾鉱山鉱毒事件、谷中村廃村問題に奔走して斃れた田中正造を見舞いに来た人々への最後の言葉ーこの田中正造の言葉こそ現代への警鐘!田中正造ー最後の言葉ー現代への警鐘
東京は雨が降っています。綺麗に咲いた桜も散ってしまいそうです。遠山の金さんといえば「金さんの桜吹雪、散らせるものなら散らしてみな!」と盗賊を捕える名奉行ーまあテレビの時代劇の話ですがー実際に江戸時代後期、遠山金四郎景元は江戸町奉行として北町奉行も南町奉行も経験した人物です。260年続いた江戸時代で北町奉行と南町奉行を経験したのは遠山金四郎景元だけです。遠山金四郎の名前が残ったのは将軍閲覧の場で名裁きをして褒められたこと。時代劇に出てくる遠山金四郎が江戸庶民の味方であるのは庶民の娯楽を粛清しようとした時の老中水野忠邦に庶民の楽しみを奪ってはならぬと物申したことがよく言われています。庶民の暮らしに目を向けた遠山の金さん、桜吹雪も散りそうなこの季節、金さんの怒りは現代に届かないのでしょうか。桜吹雪は散ってしまったのかー遠山の金さんの怒り
人は感情がつきまとい感情に動かされやすいでしょう。歴史を見ても、その時代その時代によって人は感情によって動き時には時代を大きく変わっていきました。感情も良い面と悪い面と様々です。志高く感情を表に出して時代を変革していった人物もいれば、他人の嫉妬から人を貶め世の中を乱した人もおりました。人には感情もあり欲望もあります。人の世はいつも感情の湖のようなものです。歴史は人が創るから繰り返します。現代もまた同じー歴史をたどりながら人の世を見つめ直す今日この頃です。感情が歴史を揺り動かす
前回の寺子屋江川塾では間宮林蔵を取り上げ蝦夷地や樺太のことなどを調べました。昨年も遠山金四郎と鳥居耀蔵を取り上げた時に遠山金四郎(父:景晋と子:景元)の父は幕府で対ロシア外交の担当者で、やはり江戸後期の日露関係を調べました。その前も司馬遼太郎の「坂の上の雲」を取り上げ明治の日露関係史を調べました。別の視点からですが、私はロシアの作曲家チャイコフスキーが好きでその人物の生涯を読んだりしましたが、帝政ロシア末期のことが出てきます。またチャイコフスキーの交響曲2番「小ロシア」は現在のウクライナ。なにか日露関係史を考える機会が増えてきました。最近、日露関係史が増えてきました
歴史に関心が薄れる昨今の状況ですが、どうしたら歴史の大切さが伝えられるか考える毎日です。そもそも歴史に関心が無い世の中ですから知識で歴史を語ろうとしても通じないのではないかと思います。「おれは歴史を知ってるぞ」と言って歴史上の人物の言葉をならべても、その人が上から目線で語っても相手には通じないでしょう。歴史上の人物を語ると言ってもその人物の生き様を語る人が良く理解して語る人自身の姿勢がなるほどと思われない限り通じないでしょう。まずは、自分自身が歴史を心で読み、自分自身の行動を歴史から振り返り、自分自身の姿勢をあらためて歴史を語ることが大事だと思います。反省しきりの今日この頃です。心で歴史を読む、心で歴史を語る
今日は勝海舟の会の人と9月に行われる講演会の打ち合わせを行いました。勝海舟の良いところをいかに現代に伝えていくか熱い話し合いがもたれました。考え方や地位や名誉と関係なく誰とでも話し、争いごとを好まず平和を大切にした勝海舟をどう伝えていったらよいか。勝海舟の会では知識よりも人の和を大切にする会で正に勝海舟の生き方を学び実践している会です。わたし良い刺激を受けております。現代にいかに勝海舟を伝えていくか熱い話し合いをしました
勝海舟は幕府が倒れる慶応3年暮れ幕閣に憤言一書を提出しました。事ここに至っても政治を司る幕閣が自分のことしか考えずあるべき日本の姿を考えて行動しないことに怒りの言葉でした。正に今の政治は自分の名声や保身のために動き、国民のための日本のあるべき姿を考えず行動しているようです。勝海舟のように私に帰せず公のために怒りをもって行動する政治家はいないのでしょうか。正に今、勝海舟だったら憤言一書を出すだろう
王子がん哲学外来も来年9月で10周年を迎えます。北区王子で始めたがん哲学外来も地域に根ざして北区や地元の社会福祉協議会、ボランティアセンターを利用しながら、スタッフも地域で活動する看護師、薬剤師などが参加しながら進めてきました。王子カフェの特性を生かしながら毎月第4日曜日の午後に定期的に開いてきました。今日も今後の活動と来年10周年のことなど話し合いました。今後もがん患者のために活動を続けていきます。王子カフェで情報交換ー来年は10周年
コロナ渦以来、オンラインカフェが多くなって、なかなかリアル参加が出来なくなっていたがん哲学外来メディカルカフェですが、今日は久しぶりにお茶の水メディカルカフェにリアル参加しました。私もお茶の水メディカルカフェはずいぶんとご無沙汰しておりましたので、久しぶりの皆さんと交流が出来ました。やはりカフェはリアルで分かち合うのが一番です。ちなみに王子がん哲学外来のカフェはリアルでやっています。明日は地元の王子で行います。今日はがん哲学外来お茶の水メディカルカフェにリアル参加しました
今日は午後から製薬企業労働者の集まりである全薬会議の厚生労働省交渉に参加してその後は5月14日に予定されているつくばでの学習会の準備をオンラインで行いました。厚生労働省交渉では薬害肝炎被害者と共にHPVワクチン副反応被害者も参加して厚生労働省の担当者に向かって自分の被害を訴えました。夕方からはHPVワクチン副反応被害者と共につくば地域での学習会企画の準備をしました。被害者の生の声を伝えていき被害者支援の輪を地域から広げていきます。薬害被害者と共に全薬会議の厚生労働省交渉そして学習会準備に
今日はHPVワクチン薬害九州訴訟の期日で午後3時から会場とオンライン併用の報告集会が行われました。私はオンラインで参加しました。福岡の裁判所には全国から北は北海道、南は沖縄と全国各地から支援者が集まりました。今日は証人尋問前の最後の弁論期日で次回から専門家の証人尋問が始まります。全国各地の裁判所(東京・名古屋・大阪・福岡)でも証人尋問が始まります。来年には原告本人尋問も始まります。今日の報告集会では原告の意見陳述や証人尋問の専門家の紹介もあり、また来年から始まる原告本人尋問の原告も支援者の前で訴えました。いよいよ裁判は山場を迎えます。支援者も全国一丸となって原告被害者を応援していきます。HPVワクチン薬害訴訟ー今年から専門家証人尋問・来年から原告本人尋問
今日は夕方から寺子屋江川塾の第16回目ー津田梅子をテーマに参加者と語り合いました。私が当初、思っていた津田梅子の印象と今回テーマに取り上げて感じた印象が大きく違うことに自分自身も驚き、あらためて津田梅子に感服しました。日本最初の明治女子留学生と津田塾大学の創始者という事象でしか思っていなかった自分から、津田梅子の生涯を振り返りその生き様に深く考えさせられるものがありました。津田塾大学の名前も津田梅子が亡くなってからつけられたもので、津田梅子が生存中は女子英学塾でした。このこと一つとっても自分中心に考えず常に国のため女性のため女子高等教育に一身を捧げた生涯でした。明治時代の女性環境は良妻賢母ー常に女性は家庭で夫を盛り立てる役ー女性が仕事など考えられない時代に自らが実践して女性か仕事できるように女子高等教育の...津田梅子の生き方に感服ー寺子屋江川塾
寺子屋江川塾の準備をしながら歴史上の人物の生き様を見ていると、本当に人それぞれに様々な人生があることに気づかされます。私はいつも寺子屋江川塾では人物はその生涯を見なければ分からない、歴史上の事柄、事象だけを捕らえてはその人物を理解することは出来ないと言っております。人生には浮き沈みがあります。成功も失敗もその人物のすべてです。浮きや成功ばかり見ていてはその人物は理解できません。それは現代に生きる私たちも同じことです。その人の一日一日がその人と生きているすべてです。残りある人生に歴史上の人物を追って生きてみたいと感じる今日この頃です。人それぞれに様々な人生がある
HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークでは毎月1回、原告被害者支援の具体的な活動計画を話し合っています。今日も夕方から上野の会議室とオンライン併用で支援例会を行いました。5月18日には裁判もいよいよ証人尋問が始まり支援拡大に向けて地域での学習会や全国規模での学習会、また諸団体への働きかけなどの企画を進めています。支援例会には毎回、原告被害者本人も参加して、今日も街頭宣伝などの方法について具体的な提案を自らされました。原告の生の声が支援例会の場でも響き、より一層支援拡大に向けて動いていかなければならないと再確認した支援例会でした。次回の支援例会は5月12日(金)19時から、その翌週の18日(木)は専門家の証人尋問です。HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク例会ー原告からのメッセージ
「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現わされようとする栄光に比べると言うに足りない。・・・実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている」(新約聖書・ローマ人への手紙8章18~22)苦しみから逃げようとすると物事が見えなくなってしまいます。人のつくる被造物の中に様々な問題が起きて、それを見ることの苦しみにどう対応したらよいのか、いろいろ考えさせられ、自分の行動に反省しきりの日々です。日々反省しきりー苦しみの中に気づかされるもの
今日は午後からがん哲学外来あずまやカフェにオンライン参加しました。少人数ながらざっくばらんに歴史談議ー歴史上の人物の生き様を語り合う中で自分の生き方の浮き沈みを振り返りー歴史は人が創るから繰り返すーやはり自分も同じとここのところの体調不良もお陰様で回復基調に向かいました。一日一日に感謝して。がんカフェで歴史談議ーおかげ様で回復基調に
今日は夕方からHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークのオンライン世話人会を行いました。支援ネットを設立して6年半経過して活動を継続していくことの難しさを感じる今日この頃、いかにして支援の輪を広げるか議論しました。どこの団体も現状は厳しく活動を継続していくことは難しいとの認識をしながら、支援者層のを考えそれぞれの支援層の学習会企画していくことを確認しました。被害者支援をこれからも継続していきます。HPVワクチン被害者支援を進めるために
この土日は15日の寺子屋江川塾の準備のため津田梅子の調べもので終わりました。毎月1回の寺子屋江川塾は毎回歴史上の人物を取り上げますが、一人の人物に2~3冊読んでPowerPointにまとめます。津田梅子に関しては3冊用意して1冊は読み終わりました。津田梅子の一生涯を一通り把握してその生き様や人との出会いを振り返りながらまとめていきます。津田梅子の65年の生涯は人との出会いが多様で様々な人物が出てきます。直接会わなくても間接的に大きな影響を与えている人物もいます。そして女子海外留学生として津田梅子と一緒だった山川捨松・永井繫子も三人三様の生き方をしていて、その対比もなかなか面白いです。同じ時代でも人それぞれに生き方は違い、それぞれの人生を見ながら現代の生き方を考えるのもまた面白いです。歴史から現代の生き方を...この土日は寺子屋江川塾の準備のため津田梅子の調べもの
私の人生、とにかくいろいろなことを体験しましたー言ってみればボロボロの人生。貧富の差も私の中ではずいぶんと大きかったと思います。苦しくなると人の嫌がるアルバイトもずいぶんとやってきました。浮き沈みはずいぶんとあったけれども楽しかったですーたぶん歴史に興味を持ったからでしょう。最初は歴史に詳しかった親父の影響ーその親父が残した勝海舟の本から勝海舟にぞっこん惚れ込んで歴史にはまり込みました。歴史上の人物の生き様を見ていると良いことも悪いこともその人生の中で浮き沈みもずいぶんとあります。その生き様全てを追うと人間って同じことを繰り返すなぁと感じるのです。そこに人生の気づきー歴史の面白さがあるのです。この世に生きてこられたことに感謝して・・・ボロボロの人生の中で歴史を楽しむ
最近はどうも疲れ気味、ブログも進まない気分で帰るとバタン休。歩調も力が出ずずいぶんと時間がかかります。物忘れも出てきました。まあボチボチと動きますかね。今週はどうも疲れ気味、体の衰えを感じる今日この頃
今日は午後から東京駅近くの会議室で薬害エイズ裁判和解27周年記念集会が開かれ参加してきました。裁判当時は多くの被害者がエイズを発症して亡くなりましたが、裁判和解によりHIVエイズの治療技術は格段に進歩して治療さえ受ければ生きられる時代になりました。しかし数十年の月日の中で肝炎発症やがん発症も出てきています。また差別偏見はいまだに後を絶たない状況に被害者を悩ませています。それでも生き続けた被害者は、いまだ存在する差別偏見等の人権問題を取り上げて訴え続けています。今日も会場で当事者の生の訴えを聴きました。繰り返される薬害、繰り返される差別偏見、いろいろ考えさせられた集会でした。私も薬害エイズとの出会いから28年、当事者の生の声を大切にしながら活動を続けます。薬害エイズ裁判和解27周年記念集会
SNSなど人に情報を拡散するのに便利なものですが、人はシステムに誘導されるように情報が拡散していきます。その情報がどういう意味があるのか、考えもせずに情報を拡散していきます。情報を入手したものには哲学が無いのでしょうか、その情報のもととなるもの、哲学と歴史も忘れさられています。人間が哲学と歴史を忘れた時、それは人間ではなくシステムに誘導されたロボットです。人間はロボットになってしまったのでしょうか。どうも人間がシステムに誘導されているようだ
今日は午前中に書類作成もありましたが、午後からは寺子屋江川塾の次回の準備に本漁り本を読みながら頭の中で歴史散歩。次回のテーマは津田梅子。女子教育の江戸から明治の流れをまずは勉強しました。江戸時代に教育論をまとめた貝原益軒「和俗童子訓」この巻之五に教女子法があります。これも今回の発見。毎回、参加者からも様々なご意見ご感想を頂き、新たなる励みになって準備を進めています。歴史の中の新たなる発見は歴史の楽しみです。寺子屋江川塾準備の楽しみ
薬害の歴史を振り返るとどの薬害でも最初は薬害被害が無かったかのような状況に被害者は苦しめられてきました。それは様々な要因がありましたが、社会の中に被害実態が無かったかのようにする姿勢が多くあり他人事のように見てしまう傾向がありました。被害実態は被害当事者の生の声を聞くことから被害者と一緒になって動くことにより気づき運動へとつながって社会を動かしていきます。HPVワクチン副反応被害に関してはまだ被害実態が無かったことにするような姿勢と他人事のようにしてしまう社会の存在があります。被害者の生の声から被害実態に気づき少しずつその根が動き出しつつあります。その根を広げていくために支援活動を続けていきます。被害実態を無かったかのようにする姿勢ーHPVワクチン副反応被害
今日はがん哲学外来カフェあずまやにオンライン参加しました。人それぞれに生き方は違い思い悩むことがあっても話しやすい雰囲気が大切です。カフェは人を受け入れる器なようなものでざっくばらんに話せる場所つくりのようなものです。心の中につっかえたものがある時に少し取り除けたら心の中がすぅーとしたりします。それは各自様々でカフェにちょっと寄って帰りに心が晴れていればよいですよ。それがカフェでしょう。今日も一日ありがとうございました。カフェは器ーざっくばらんに話せる場所
昨年から始めた寺子屋江川塾も今日で15回目、毎回歴史上の人物を取り上げながら参加者と現代への教訓を学んでいます。今回は江川太郎左衛門英龍ー江戸後期の伊豆韮山代官でペリー来航までの日本の海防に尽くした人物です。江川太郎左衛門は伊豆韮山代官の世襲制ですが幕臣で旗本の地位にあり将軍や幕閣の老中などにも意見を具申出来る立場にありました。幕閣内の権力闘争もあり難しい立場にありましたが、常に国家のため民のために奔走して伊豆韮山代官としては領地の伊豆地方の農民のことを考えて仁政を行い世直し大明神とも言われました。組織内の権力闘争も常日頃、江戸時代であれ現代であれ時代背景は違ってもあります。そんな時、江川太郎左衛門だったらどうするだろうと参加者と共に考えるのが寺子屋江川塾です。今日も参加者からたくさんの学びと気づきを頂き...江川太郎左衛門英龍から学ぶ現代の生き方ー寺子屋江川塾第15回
今日は夕方から全国四つの地方裁判所で行われているHPVワクチン薬害訴訟の弁護団が主催するオンライン報告集会がありました。今年は全国各地の地方裁判所(東京・名古屋・大阪・福岡)で専門家の証人尋問が始まります。長い裁判となりましたが専門家の証人尋問の後はHPVワクチン副反応被害者である原告本人尋問があります。裁判も大きな山場を迎えます。各地の支援活動もそれぞれ連携しながら被害者支援を拡大していかなければなりません。多くのご支援ご協力をお願いいたします。HPVワクチン薬害訴訟ー今年は全国各地の裁判所で証人尋問