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笑顔の江川 https://blog.goo.ne.jp/egawa_moritoshi

薬害エイズを考える山の手の会のご案内 <br>病気でお悩みの方の保険相談 <br>尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

笑顔の江川
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2019/04/06

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  • こういう時だからこそ人をつなぐ

    新型コロナウイルス感染症の陽性者が全国で大きく増える中、人々は対話する機会を失い苦しみ悩む人々は孤立化するばかりです。人間は悩み苦しみ、それを誰かと話し共有することによって生きる力を与えられます。今日もHPVワクチン被害者のお話をオンラインで聴く機会がありましたが、治療や教育の現場でその存在すら否定され悩んでいます。こういう時だからこそ人をつなぐ機会を創っていかなければなりません。形だけではなく心でつなぐ手立てを考え創っていきましょう。こういう時だからこそ人をつなぐ

  • HPVワクチンリーフレット問題勉強会

    今日は夕方からHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークのHPVワクチンリーフレット問題勉強会をオンラインで行いました。全国各地の地方自治体議員が大勢参加して参加者は100名を超えました。各自治体のHPVワクチンリーフレットの対応も自治体議員さんから明らかになり議会での一般質問など事例も報告され各地でも様々な動きが出始めています。今日も被害者本人からHPVワクチン副反応被害者ということで診療を断られたり学校では被害を理解されず怠けていると注意されたり被害者の現状が訴えられました。被害者と共にさらに活動を続けていきます。HPVワクチンリーフレット問題勉強会

  • 歴史から学ぶ人間学ー伊達保子の場合

    伊達保子は仙台藩主伊達家の娘として文政10年1827年に生まれました。伊達家仙台藩は62万石の大藩で江戸時代半ばであればなんら不自由なく暮らせたのですが、時は幕末ー徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで負けると徳川家は朝敵とされその影響は東北諸藩に及ぼし始めは中立の立場を取っていた仙台藩も奥羽列藩同盟をつくり新政府軍と対峙することになりました。新政府軍に降伏すると28万石に減封され藩士は食べることも難しくなり不毛の大地蝦夷地の開拓を決意します。伊達保子は分家の亘理伊達家に嫁ぎますが、亘理伊達家も蝦夷地を目指し伊達保子も自ら開拓に精を出し開拓の母と呼ばれるようになりました。北海道の伊達市は正に伊達保子との開拓の地です。なんら不自由なく育った姫様が時の流れの中で泥をかぶって開拓に精を出しました。自らを与えられた地に身を投じ全う...歴史から学ぶ人間学ー伊達保子の場合

  • 歴史から学ぶ人間学ー田中正造の場合

    足尾鉱毒事件の被害者の救済に国会議員として奔走した田中正造ですが、このような人物になりたいと思う国会議員は少ないでしょう。いやいないかもしれません。何せ国会で解決できないと思うと議員辞職して天皇に直訴して捕まり政府が芦尾鉱山を停止しせず治水事業に変えて谷中村を廃村にしようとすると一人谷中村に入り抵抗して最後には持参していたものは石ころと聖書だけだったという貧困ぶりです。ここまで被害民のことを思い自ら先頭に立って活動した人物はいないでしょう。しかし田中正造の出身地である栃木県の佐野市では今でも英雄として記念館もあり催事も後を絶ちません。この田中正造の姿勢が後世の人々を永遠に動かしているのです。歴史から学ぶ人間学ー田中正造の場合

  • 歴史から学ぶ人間学ー矢島楫子と山田わかの場合

    最初から失敗を求める人間はいないでしょうが、若い頃の失敗を受け入れ人間の弱さを享受しながらその逆境からはい上がった矢島楫子と山田わかを私は尊敬しています。矢島楫子は幕末の武家に生まれ武家に嫁入りしますが夫の酒乱に耐えかね離縁して上京し年下の男性に恋しながらキリスト教に目覚め明治のキリスト教活動や女性教育に活躍した女性です。私が最初に注目したのは矢島楫子が1833年生まれで木戸孝充(桂小五郎)と同じ年の生まれで横井小楠の親戚であったことです。幕末動乱の時期に武家に生まれその環境に苦悩しながらも明治に入り自らの意思で女性活動家として生きました。もう一人は山田わかー明治の貧困家庭に生まれ家の生計を立てるため身を売り人に騙され渡米します。売春婦として渡米した先で娼婦救済施設キャメロンハウスに救済され恋をしながらも帰国し...歴史から学ぶ人間学ー矢島楫子と山田わかの場合

  • 活動の難しさを感じながら進めるーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク

    今日は全国から原告被害者・弁護士・支援者が集まってHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの支援例会を行いました。活動を進めていくうえで様々な問題を抱え難しさを感じながら関わっておりますが、司会進行をしていると自分の無力を感じるばかりです。しかし被害者が苦しんでいる現状の中であきらめるわけにはいきません。少しでも前へ進めるため活動を進めていきます。活動の難しさを感じながら進めるーHPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク

  • オンラインで様々な人々の声を聞くーがん哲学外来メディカルカフェと読書会をオンラインではしご

    今日は王子がん哲学外来メディカルカフェのスタッフ会議をオンラインで行い久しぶりに参加してくれた患者さんのお話を聞きメディカルカフェの必要性を感じました。コロナ渦中で対面でのカフェは難しくなりましたが、人と会う機会が少なくなり悩みを抱えてしまう患者さんも多くいます。オンラインでも話を聞いてもらえると思うと気持ちが少し楽になります。オンラインでも話ができる機会を作ることは重要です。メディカルカフェのスタッフ会議を終えると、今度はオンラインで渋沢栄一の「論語と算盤」読書会に参加しました。今のコロナ渦中で渋沢栄一が生きていたらどのように対応するだろうかと参加者と共に話し合いました。オンラインでも人はつながっています。人と人とのつながりの機会を増やしていく活動を続けていきます。オンラインで様々な人々の声を聞くーがん哲学外来メディカルカフェと読書会をオンラインではしご

  • 歴史から学ぶ人間学ー緒方洪庵と佐藤泰然の場合

    幕末に西の緒方洪庵、東の佐藤泰然と言われた医師がおりました。緒方洪庵は大坂で適塾を開き橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉、長与専斉、佐野常民といった多くの人材を育て世に送り出しました。佐藤泰然は千葉の佐倉で佐倉順天堂を設立して佐藤尚中、松本良順、関寛斎などを輩出しました。緒方洪庵も佐藤泰然も医療者のみならず後に明治国家を作り上げる中心人物にも大きな影響を与えました。特に佐藤泰然は賊軍となった旧幕臣の榎本武揚などの助命嘆願に奔走して旧幕臣が明治政府で活躍する場をつくりました。がんや感染症などの対応が注目されている現代において緒方洪庵や佐藤泰然のような社会全体を見据えた視野の広い医療者がいま求められているのではないでしょうか。歴史から学ぶ人間学ー緒方洪庵と佐藤泰然の場合

  • 本日はがん哲学外来在宅部会で「歴史から学ぶ人間学」をお話しさせていただきました

    本日はがん哲学外来在宅部会のオンライン学習会で「歴史から学ぶ人間学ー徳川慶喜を中心に天璋院篤姫・皇女和宮・勝海舟・西郷隆盛・渋沢栄一の関係からその生き方を考える」という表題でお話しさせていただきました。それぞれの人間関係は複雑に絡み合い時代背景・出来事も見ながら、どう対応し生きてきたか、参加者と共に考えました。歴史はくりかえされると言いますが、歴史は人間が創るものーそれぞれの人物の生き方が時代を変えてきたのだと再確認した学習会でした。この学習会は歴史の勉強をすることでなく、歴史上の人物からその生き方を学び現代に活かしていくもので、参加者と語り合うことで新たな気づきが生まれました。このような機会を頂いたことに感謝いっぱいです。本日はがん哲学外来在宅部会で「歴史から学ぶ人間学」をお話しさせていただきました

  • 歴史から学ぶ人間学ー吉田松陰と橋本左内の場合

    その人物が短命であってもこれだけ後世に名を残した人物がいるでしょうかーその人物の名は吉田松陰と橋本左内。吉田松陰は30歳、橋本左内は26歳で大老井伊直弼の安政の大獄により処刑されて亡くなりました。二人のお墓は処刑者が眠る南千住の小塚原回向院にあり私もよく歴史散歩に訪れるところです。吉田松陰は長州藩士、橋本左内は越前藩士、お互いに藩や立場は違いましたが、幕末を日本のために奔走した人物でした。その前向きすぎる姿勢ゆえに時の為政者から目を付けられ処罰されてしまいましたが、二人の死後も多くの志士が惜しみ慕い幕末を動かす大きな力となっていきました。そして現代でもなお二人を慕い書物もたくさん出ています。後世にどう遺していくかーこれも生き方です。歴史から学ぶ人間学ー吉田松陰と橋本左内の場合

  • 歴史から学ぶ人間学ー島津斉彬と阿部正弘の場合

    幕末の薩摩藩主島津斉彬と老中首座阿部正弘は盟友でちょうどペリー来航の混乱期に日本の行く末を案じ奔走しました。残念ながら両人とも島津斉彬は50歳、阿部正弘は39歳という若さで亡くなりました。誰もが幕末の危機の中でおのれのことしか考えない幕閣が多い中で必死に日本のため日本を再建するために奔走した二人でした。歴史にタラればはありませんが、二人がもっと長生きしていたら幕末の様相も大きく変わっていたことでしょう。それでも二人は身分にとらわれず多くの人材を発掘して世にのことしていきました。二人がいなければ西郷隆盛や勝海舟は現れなかったかもしれません。危機の時代は人の多くが保身に走り周りが見えなくなります。自分のことばかり考えて社会のことは他人事のようになります。現代も正に危機の時代ー島津斉彬や阿部正弘のような人物の出現が求...歴史から学ぶ人間学ー島津斉彬と阿部正弘の場合

  • 歴史から学ぶ人間学ー西郷隆盛と山岡鉄舟の場合

    「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也」この言葉ほど二人の人物ー西郷隆盛と山岡鉄舟ー合った人物はいないでしょう。慶応4年、駿府にいた官軍参謀の西郷隆盛のところへ賊軍となった幕臣山岡鉄舟が乗り込んだ姿勢こそ西郷南洲遺訓に残した言葉です。こうとしか生きようのない武士道の精神を最後まで貫いた西郷隆盛と山岡鉄舟でした。歴史から学ぶ人間学ー西郷隆盛と山岡鉄舟の場合

  • 歴史に学ぶ人間学ー天璋院篤姫と皇女和宮の場合

    皇女和宮と天璋院篤姫とは徳川将軍家の嫁と姑の関係。身分も天皇の妹と薩摩藩分家の出で段違い。二人の関係はなかなか難しくそうとうにぶつかり合ったようです。考え方も行動も違い、いくら大きな江戸城大奥でも大変でしたでしょう。しかし二人は奇妙に重なりあっておりました。一つは政の道具に使われ将軍御台所となり、幕府崩壊の時には里から攻められ敵方になってしまいました。そこで二人は徳川家存続のために力を合わせて奔走するのです。二人の性格は違い、皇女和宮は何事にも冷静に対して天璋院篤姫は人情深く、この二人の行動が多くの人々を動かして徳川家存続に結びついたのです。この二人も時代が生んだ生き方なのです。歴史に学ぶ人間学ー天璋院篤姫と皇女和宮の場合

  • 歴史から学ぶ人間学ー幕末三舟の場合

    幕末三舟とは幕臣であった勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟のことで、この呼び名は明治以降のものです。幕臣であった三人は幕府崩壊によりその地位を失いますが、明治以降も生き続けます。その生き方は三人三様で、勝海舟は一時は明治政府に出仕しますが、晩年まで薩長藩閥の明治政府に在野から批判し続け、山岡鉄舟は明治天皇の侍従として仕え、高橋泥舟は公職につかず隠遁生活を送ります。その生き方は地位を失って悲しみに暮れるのではなく、むしろ信念を持って自らの生き方に誇りを持って生きたと言えましょう。どんな境遇にあろうとも信念を持って生きるーこれが幕末三舟から学ぶ人間学です。歴史から学ぶ人間学ー幕末三舟の場合

  • どんな境遇の中でも前向きに生きるー天璋院篤姫の場合

    どんな時代であろうと、どんな境遇に置かれようと前向きに生きる人物はおります。それが時代を生き生きとさせてくれます。幕末・明治を生きた天璋院篤姫もその一人でしょう。薩摩藩分家の姫として生まれ育ち本家の養子から公家の養女そして13代将軍家定の正室になった篤姫ー幕末動乱の最中、その道のりは決して穏やかではなく多くの障壁が襲い逃げ出したくなる境遇の中、自らをその境涯の中に身を置き、そして徳川家のため日本のために前向きに生きました。徳川家崩壊の危機にも自らが先頭に立って奔走して徳川宗家16代目を養育して徳川家を生き返らせました。どんな時代、いや、今の時代にも前向きに生きる人物はおります。天璋院篤姫を想いながら、そのように信じる私です。どんな境遇の中でも前向きに生きるー天璋院篤姫の場合

  • 今こそ一人ひとりの生き方が問われている

    がん哲学外来メディカルカフェではがん患者さんと共に参加者それぞれの生き方を分かち合っています。がんと診断され思い迷っている時に仲間と共にその後の生き方を共有し合うのです。がんとなった時が終わりではなく始まりなのです。私は歴史好きでメディカルカフェの中でも歴史上の人物の生き方をお話しします。歴史というと世間ではドラマチックな場面を想像しますけど、人物の生き方を見ると、その場面は一点に過ぎず、その人物を理解するには一生涯を見なければわかりません。最後の将軍徳川慶喜も将軍であった時は31歳ですが77歳まで生きました。将軍で終わりではなく、むしろ明治時代の徳川慶喜の方が長いのです。様々な難しい出来事が起こる世の中でこれからどう生きるのか、正に一人ひとりの生き方が問われているのです。今こそ一人ひとりの生き方が問われている

  • 現代は正に荒野

    一見してきれいに見える社会でも人の心は苦しみ、またコロナ渦中で生活が大変になり、人々の生活は暗くなるばかりです。現代は正に荒野の状況になりつつあります。しかし、これは人に与えられた試練であり、荒野の中にこそ生きる指標があるのです。人類の歴史はそれを証明しています。小手先で苦しみから逃れようとするのではなく、今こそ歴史と哲学を大切にするときです。現代は正に荒野

  • HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク勉強会の準備

    今日はHPVワクチン被害者支援で連携している地方議会の議員さんたちと7月30日にオンラインで開催する勉強会の打ち合わせをしました。いま全国の地方議会の議員さんたちがネッワークを結んでHPVワクチン被害者を支援しています。そのネッワークをさらに広げようとHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークでは地方議会の議員さん向けの勉強会を連続で開催しています。詳しくは:https://hpv-yakugai-shien.net/2021/06/22/post-314/HPVワクチン東京訴訟支援ネットワーク勉強会の準備

  • 徳川幕府はなぜ崩壊したのか

    徳川慶喜を中心に歴史から学ぶ人間学という演題を頂き今準備しているところです。その生き方を見ながらも徳川幕府はなぜ崩壊したのかといろいろ考えさせられます。幕臣であった福地源一郎は明治に入ってジャーナリストとなり幕府の崩壊は討幕運動によるものではなく幕府内部の自己矛盾によって倒れたと書いています。幕末の幕府を見ていると、優秀な幕閣や幕臣がいながらも大きな組織ゆえに、その組織の中で改革を恐れ己の保身に走り崩壊してゆく姿が見て取れます。いつの時代も同じように見えるのですが⁉️徳川幕府はなぜ崩壊したのか

  • 幕末の幕府の様相を呈してきた今の政府ー幕府に提出した勝海舟の「憤言一書」に想う

    コロナ対応やらオリンピック対応やら混迷を深める政府の対応は緊急事態宣言も功を奏せず先行き不透明ーまるで幕末の幕府の対応に似てきました。幕臣であった勝海舟は慶応3年12月、いよいよ幕府が崩壊するその時、「憤言一書」なるものを提出して退職を願い出ました。それは「私に帰せずして公に帰す」ー己の身分や門閥ばかりを言う幕閣に対して「公」「正」に徹せよと言う怒りの一言でした。どの時代でも危機の時代には誰もが己大事と保身に走ります。今こそ誰もが公に帰す時ではないでしょうか。幕末の幕府の様相を呈してきた今の政府ー幕府に提出した勝海舟の「憤言一書」に想う

  • 「死」ついて考える

    人は必ず死ぬものです。であればこそどう生きるか。それを考える本を紹介されました。イェール大学のシェリー・ケーガン教授の「DEATH」「死」とは何かです。なかなか興味深く読み始めました。人が魂を持つものであるから、人が亡くなっても魂が生き続けるー遺志ーどう伝えていくかということは、どう生きてきたかーどう生きていくかー人の生き方そのものであるということ。それを深く考えさせられています。「死」ついて考える

  • 勝海舟の魅力は明治時代

    亡くなった作家の半藤一利さんは勝海舟の大ファンでした。世間では勝海舟と言えば幕臣として幕末を奔走し江戸城無血開城で注目されがちですが、これとて勝海舟がひとりで成し遂げたものではありません。それにその時の勝海舟は46歳で、それから30年明治を生きます。半藤さんは明治の勝海舟を「それからの海舟」と題して描いています。勝海舟らしさはここにあるのではないでしょうか。幕末英雄伝は本当の人の姿を見失いがちです。今の世の中も似たようなところがあるような気がします。人の本当の姿は一生涯の生き方を見なければわかりません。勝海舟の魅力は明治時代

  • 薬害エイズを考える山の手の会25周年ーAIDS文化フォーラムに参加

    薬害エイズを考える山の手の会は1996年8月に設立して今年で25年になります。設立した年の3月に薬害エイズ裁判は被害者と国・製薬企業との間で和解しましたが、当時はエイズ治療薬も少なく被害者の多くは亡くなっていきました。当時は裁判で和解したことにより薬害エイズは解決した風潮が社会にありました。しかし治療薬もなく多くが亡くなり、またエイズによる差別偏見で被害者は社会から隠れた存在でした。この状況は解決したとは言えずおかしいと薬害エイズを考える山の手の会は地域で薬害エイズの啓発活動を始めました。薬害エイズ被害者と地域の学校へ行って話したり学習会を開いたりしました。毎年夏に行われるAIDS文化フォーラムにも毎年参加しています。様々なエイズ関連団体と交流して薬害問題を訴えてきました。今年も8月7日(土)14時30分からオ...薬害エイズを考える山の手の会25周年ーAIDS文化フォーラムに参加

  • 歴史と哲学を忘れた社会は崩壊するー80年周期を考える

    歴史学者が80年周期論をよく論じられます。1940年の「大政翼賛会」は崩壊期、1860年の「尊王倒幕」ー歴史的に見て崩壊期ーさて1940年から80年は2020年ーコロナ渦。後世の歴史家は2020年をどうとらえるでしょうか。今まさに危機の時代ー私たちはどう生きるべきかーどう動くべきかー一人ひとりの行動が問われています。過去を見ると崩壊期には歴史と哲学を忘れ誰もが他人任せとなり崩壊に向かっています。今こそ歴史と哲学の大切さを痛感する今日この頃です。歴史と哲学を忘れた社会は崩壊するー80年周期を考える

  • HPVワクチン被害者支援の全国ネットワークを

    今、HPVワクチン被害者支援活動は各地で支援組織が出来ており北は北海道から東京・名古屋・大阪・福岡・大分、南は沖縄まで活動しています。それぞれに独立して活動しておりその形態は様々ですが、徐々に各地と意見交換しながら全国のネットワークづくりに向けて準備もしております。各地にも被害者が多く支援者と連携しながら支援の輪を広げていきます。HPVワクチン被害者支援の全国ネットワークを

  • 都議会議員選挙の投票率42.39%とは?

    昨日の東京都議会議員選挙の投票率は42・39%だったということです。都民の半分以上が選挙の投票に行っていないということです。これで都議会は信任されたのでしょうか?立候補者の訴えは都民に通じたのでしょうか?当選したからと言って信任されたといえるのでしょうか?疑問が多く残ります。そして都議会は半分以下の都民の意思しか反映されていないということです。さて今年は必ず年内に衆議院議員選挙があります。今回の都議会議員選挙のような投票率にならないよう多くの選挙民が投票に行かれることを願うのみです。都議会議員選挙の投票率42.39%とは?

  • 半世紀近く愛したリッカルド・ムーティーその情熱は健在

    私がまだ20代の頃、カール・ベーム指揮のウィーンフィルに帯同して来日した若き指揮者リッカルド・ムーティを聴いてその情熱的指揮に感動してから半世紀近く、最近になってシカゴ交響楽団の指揮をしているリッカルド・ムーティを聴いて、その情熱的な指揮が健在であることに再び感動しました。今日は私の好きなチャイコフスキー交響曲をリッカルド・ムーティ指揮のCDで聴きました。半世紀も情熱的な精神を持ち続ける姿勢に驚きを感じるほどです。最近は目まぐるしく変わっていく時世に一人ひとりの個性とか存在すらが埋没して消えていくようです。人間として最期まで情熱を持ち続けたいものです。半世紀近く愛したリッカルド・ムーティーその情熱は健在

  • 明日は都議会議員選挙ー投票に行きましょう

    明日は東京都議会議員選挙の投票日です。都民一人ひとりが立候補者の政策や考え方を見極め都民一人ひとりの意思で投票に行きましょう。それが都政を良くする第一歩です。投票率も都民がいかに都政のことを考えているかの指標になります。投票率が低ければ都政は悪くなるということですね。明日は都議会議員選挙ー投票に行きましょう

  • 増え続けるコロナ、減り続ける対話ー今こそ愛を

    コロナウイルスの感染者が増え続ける一方、人々は疑心暗鬼に陥り人との交流の機会が減りました。人々は保身に走り内向的になるばかりです。危機の時代はいつも人は内向的になります。苦しんでいる人は孤立するばかりです。こんな時にこそ、苦しんでいる人に目を向け行動する時なのです。それは愛の実践しかありません。増え続けるコロナ、減り続ける対話ー今こそ愛を

  • 明治政府の末路を見た勝海舟ーその末路は現代も似ている

    「仕方がないやね。誰だつて、勤王の士は、倒るるまでもしなければならないよ。己などは、慶喜公に嫌はれて、勝が在つては善くないとまで言はれた。何遍斥けられたか知れないよ。それでも、一言も責を避けたことはないよ。全く幕府の任だから、引受けたのだもの。明治政府の末路は、あの連中がよつて、出来ぬまでも片付けなければならぬ。仲間喧嘩だもの」(勝海舟「海舟語録」より)派閥争いで喧嘩ばかりしている明治政府の末路を見た勝海舟ですが、現代の政治も同じようなことをしているように見えます。明治政府の末路を見た勝海舟ーその末路は現代も似ている

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