ひの新選組夏まつり(2019)に行ってきました|新選組イベントレポ
2019/8/17、第2回ひの新選組夏まつりに行ってきました。 個人の感想ですが、来年行ってみたい方のためにレポします。
智香寺(田村銀之助の墓)|東京都文京区の新選組ゆかりの地・観光スポット
文京区の智香寺には、12歳の新選組隊士・田村銀之助の墓があります。 ここでは、近藤勇や土方歳三の小姓をし、伊庭八郎を看取った田村銀之助の墓や、田村銀之助の生涯と、墓がある智香寺を紹介します。
新福寺(近藤勇・土方歳三たちが滞在)|東京都文京区の新選組ゆかりの地・観光スポット
小石川の新福寺は、近藤勇や土方歳三が隊士募集で江戸に来た時、一時滞在した場所です。 近藤勇が新福寺住職の代わりに頼まれて書いた手紙が、届け先の東本願寺に残っています。 近藤勇に同行した永倉新八や武田観柳斎、土方歳三に同行した井上源三郎たちも出入りしたと思われます。 新福寺と新選組の関わりや、現在の新福寺を紹介します。
護国寺(谷口四郎兵衛の墓)|文京区の新選組ゆかりの地・観光スポット
護国寺には、共葬墓地に新選組隊士・谷口四郎兵衛の墓があります。 また、護国寺墓地には盛岡藩主の南部家の墓や、大隈重信や三条実美、山縣有朋など、幕末の重要人物の墓があります。隣の豊島岡墓地には、奥羽列藩同盟盟主・輪王寺宮能久親王が眠っています(非公開)。 この記事では、幕末関係を中心に護国寺を紹介します。
湯島聖堂(斎藤一が明治に勤務・大野右仲が高杉晋作と学ぶ)|文京区の新選組ゆかりの地・観光スポット
明治24(1891)年から、斎藤一(藤田五郎)は湯島聖堂敷地にあった博物館の看守(守衛長)として働き、隣の東京高等師範学校や東京女子高等師範学校にも勤めています。 幕末ここにあった昌平坂学問所では、後の新選組隊士・大野右仲が、学友の高杉晋作と友情を育んでいました。 斎藤一や大野右仲のゆかりの地・湯島聖堂を紹介します。
吉村貫一郎ゆかりの地・観光スポット一覧|東京から日帰りの新選組スポット
浅田次郎の「壬生義士伝」で有名な新選組隊士・吉村貫一郎は、本名を嘉村権太郎という盛岡藩士でした。 「壬生義士伝」の設定とは少し違い、藩命で江戸に出、江戸で脱藩して慶応元年の隊士募集で新選組に入り、吉村貫一郎を名乗っています。 少ないですが、東京から日帰りできる範囲にある吉村貫一郎のゆかりの地を紹介します。
伝通院・処静院跡(浪士組結成の寺)|文京区の新選組ゆかりの地・観光スポット
伝通院の境内にあった子院・処静院(しょじょういん)で、新選組の前身・浪士組が結成され、ここから京に上りました。 新選組創設メンバーの多くが、処静院に集まっています。 また、浪士組を作った清河八郎の墓もあります。 徳川家ともゆかりの深い小石川伝通院を、新選組や幕末の関わり中心に紹介します。
小塚原回向院(横倉甚五郎の最初の埋葬地/永倉新八の友の墓)|荒川区の新選組ゆかりの地・観光スポット
小塚原回向院は、新選組隊士・横倉甚五郎が、獄中死した後最初に埋葬された場所です(後に八王子の大法寺に改葬)。 また、小塚原刑場で首を晒された雲井龍雄(永倉新八の友)の古い墓石があります(後に米沢に改葬)。 他にも吉田松陰や橋本佐内の古い墓石などがあり、解体新書の解剖が行われた場所でもあります。
延命寺(小塚原刑場跡で永倉新八が雲井龍雄の首級と再会)|荒川区の新選組ゆかりの地・観光スポット
南千住の小塚原刑場跡は、永倉新八が斬首になった友・雲井龍雄の首級と再会して涙を流した場所です。 現在、雲井龍雄の首級が晒された小塚原刑場跡には、延命寺という寺が建っています。 ここでは小塚原刑場跡と永倉新八のエピソードとともに、小塚原刑場跡に建つ延命寺を紹介します。
円通寺(新選組も慰霊する「死節之墓」と彰義隊の墓)|荒川区の新選組ゆかりの地・観光スポット
荒川区の円通寺には、旧幕府軍の戦死者(新選組含む)を慰霊する「死節之墓」があり、近藤勇、土方歳三、野村利三郎の名が刻まれています。 彰義隊の墓もあるので、彰義隊で戦死した原田左之助の追悼もできます。 彰義隊の激戦地・寛永寺の黒門も移築されています。 ここでは円通寺と新選組や旧幕府軍の見どころを紹介します。
原田左之助居住地(伊予松山藩中屋敷跡)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
現在イタリア大使館などがある一帯は、原田左之助が15歳頃から数年住み込んで勤めた伊予松山藩の中屋敷があった場所です。 原田左之助が上役の子供とよく遊んで懐かれたこと、反抗的で仕置きを受けていたことなどの逸話があります。 この記事では、伊予松山藩中屋敷跡と、そこにいた10代の頃の原田左之助の逸話について紹介します。
青山霊園(元新選組隊士の加納鷲雄・篠原泰之進の墓)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
港区の青山霊園には、元新選組隊士で御陵衛士となった、近藤勇との因縁が深い加納鷲雄・篠原泰之進の墓があります。 また、旧幕府軍側や新政府軍側の墓など、明治維新関連の墓や、歴史上の人物の墓も多くあり、桜の名所としても有名です。 この記事では、新選組や旧幕府軍側の人物、歴史上の人物を中心に、青山霊園を案内します。
麻布警察署跡地(斎藤一=藤田五郎勤務地)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
麻布警察署は、斎藤一(藤田五郎)が明治21年頃から明治24年1月まで勤めていた場所です。 当時の麻布警察署は、増上寺の近くにありました。今は案内板も何もありません。 ここでは、当時の麻布警察署の跡地と、ここに勤めた当時の斎藤一(藤田五郎)の生活について紹介します。
最勝院(島田魁たちが明治に謹慎)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
芝の最勝院は、明治2年、箱館戦争で降伏した島田魁たち新選組隊士が、東京に移送されて謹慎した浄土宗の寺です。 増上寺の子院で、隊士たちはここで謹慎した後、各藩に引き渡されました。 現在は近くに移転し、マンションの地下や最上階が寺となっていて面影はありません。 ここでは島田魁たちの明治の謹慎地・最勝院を紹介します。
旧新橋停車場(斎藤一が西南戦争に出征した場所)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
明治10年、警察に入った斎藤一(藤田五郎)が西南戦争に出征する時、新橋停車場から蒸気機関車に乗りました。 当時の駅舎は関東大震災で焼けてしまいましたが、現在は、同じ場所に同じ建物が復元されて、展示室やビアレストランになっています。 ここでは、斎藤一ゆかりの旧新橋停車場を紹介します。
泉ガーデンタワー入口付近(藤田五郎=斎藤一の家の跡)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
斎藤一は明治に、藤田五郎の名で麻布警察署に勤めていた頃、現在の泉ガーデンタワーの入口付近にあった家に住んでいました。 今は案内板も何もありません。 この記事では、泉ガーデンタワー入口付近の家に住んでいた頃の斎藤一(藤田五郎)の状況や、現在のその場所の様子を紹介します。
勝海舟邸跡(土方歳三が近藤勇の助命工作に来た場所)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
港区赤坂には、土方歳三が近藤勇の助命工作に訪れた、勝海舟の幕末の屋敷跡があります。 勝海舟の屋敷跡は他にもありますが、この記事では、新選組と手紙をやり取りしたり、坂本龍馬が訪れて門弟になったり、江戸城無血開城に奔走したり、土方歳三が訪れた時に勝海舟が住んでいた、幕末の勝海舟邸跡を特集します。
真浄寺(最後の新選組隊士・池田七三郎《稗田利八》の墓)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
港区麻布台の妙光山真浄寺には、昭和13年まで長生きした最後の新選組隊士・池田七三郎(稗田利八)の墓があります。 池田七三郎は回顧録「新選組聞書」という新選組の貴重な資料を残し、フィクションでも「壬生義士伝」(浅田次郎著)で語り部の一人として登場しています。 ここでは真浄寺と池田七三郎の墓を紹介します。
山崎宿(原田左之助と永倉新八の別れの地)|千葉県野田市の新選組ゆかりの地・観光スポット
現在の千葉県野田市にあった山崎宿は、原田左之助が永倉新八と別れて江戸に引き返した宿場です。 原田左之助は江戸に引き返した後、彰義隊に入って上野戦争で重傷を負い、2日後に亡くなりました。 山崎宿が、原田左之助と永倉新八の今生の別れの場で、運命の別れ道でした。 ここではその山崎宿を紹介します。
金地院(近藤勇が建てた近藤周助の墓)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
港区芝の金地院には、近藤勇が建てた養父・天然理心流3代目、近藤周助の墓があります。 墓石には「近藤勇昌宜謹上」の文字があり、近藤勇が墓参りにも来ています。 幕府側で戊辰戦争を戦った盛岡藩の家老たちが幽閉された寺でもあります。 ここでは、徳川家康の「黒衣の宰相」以心崇伝が創建した「金地院」を紹介します。
内藤新宿関門跡(四谷大木戸跡)|新宿区の新選組ゆかりの地・観光スポット
内藤新宿の関門跡(四谷大木戸跡)は、土方歳三に関する逸話が残る場所でもあり、試衛館と多摩の行き来にメンバーが通った場所でもあり、甲陽鎮撫隊が通った場所でもあります。 現在は碑と案内板だけが残っている、内藤新宿の関門跡を紹介します。
深大寺(天然理心流奉納額)|調布市の新選組ゆかりの地・観光スポット
深大寺の元三大師堂(がんざんだいしどう)の堂内には、明治40年に近藤勇五郎(近藤勇の甥・娘婿)が奉納した、天然理心流の大きな扁額があります。 日露戦争従軍記念で奉納され、「門人」のところに近藤勇の孫・近藤久太郎の名もあります。 近藤勇が生まれた調布の由緒あるお寺、深大寺を紹介します。
JR日野駅前には、土方歳三デザインのマンホールがあります。 日野にしかない、土方歳三マンホールを紹介します。
白河藩下屋敷跡(沖田総司生家跡)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
沖田総司は、現在の港区西麻布、櫻田神社の裏手にあった白河藩下屋敷内の江戸詰め藩士の長屋で生まれました。 現在は住宅街で、案内板も何もありません。 ここでは沖田総司の生まれについて紹介します。
櫻田神社(沖田総司の氏神)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
櫻田神社は沖田総司が氏子だった神社です。 沖田総司生誕地のすぐ近くにあり、沖田総司がお宮参りをしたと伝わっています。 新選組デザインの御朱印帳やお守り、絵馬などがあり、時々出る期間限定の御朱印も人気です。 ここでは、櫻田神社を紹介します。
専称寺(沖田総司の墓がある寺)|港区の新選組ゆかりの地・観光スポット
沖田総司は、千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で亡くなった後、生誕地に近い現在の港区元麻布の、専称寺に葬られました。 墓は普段非公開で、年一回の「沖田総司忌」の時のみお墓参りできます。 沖田総司の墓がある専称寺について紹介します。
井上源三郎ゆかりの地・観光スポット一覧|東京から日帰りの新選組スポット
新選組六番隊組長・井上源三郎のゆかりの地を、東京から日帰りできる範囲でまとめました。 現在の東京都日野市で生まれた井上源三郎には、日野や府中など、都内に多くのゆかりの地があります。
関東で入手できる新選組の御朱印帳一覧|新選組ゆかりの地観光スポット
新選組ゆかりの地で御朱印をいただく時、御朱印帳はどんなものでも大丈夫です。 でも、せっかくだから新選組っぽい御朱印帳に集めようかな、という方もいらっしゃいますよね。 そこで、関東の神社やお店で手に入れられる新選組デザインの御朱印帳や、関東からでも通販で手に入れられる新選組デザインの御朱印帳を紹介してみます。
永倉新八ゆかりの地・観光スポット一覧|東京から日帰りの新選組スポット
新選組二番組隊長、永倉新八のゆかりの地を、東京から日帰りで行ける範囲でまとめました。 永倉新八は江戸生まれで、育った場所や通った道場跡などのほか、新選組脱退後の靖共隊でのゆかりの地、戊辰戦争が終わって明治に、松前藩士に戻ってからのゆかりの地などがあります。
藤堂平助ゆかりの地・観光スポット一覧|東京から日帰りの新選組スポット
新選組八番隊組長、藤堂平助のゆかりの地を、東京から日帰りで行ける範囲で紹介します。 藤堂平助の墓は京都の戒光寺にあるため、東京から日帰りは厳しいです。 でも東京には、藤堂平助が京に上る前のゆかりの地のほか、御陵衛士として藤堂平助も合祀された靖国神社や、名が刻まれた北区の新選組慰霊碑もあるんです。
ひの新選組まつりに行ってきました(2019・土方歳三没後150年)|新選組イベントレポ
2019/5/12、ひの新選組まつりの2日目に行ってきました。 用があって1日目は行けなかったのが残念ですが、2日目の日曜はお天気もよくパレード日和でした! 2019年の一観客の体験ですが、来年以降行きたい方の参考になればとレポします。
埼玉県・神奈川県で御朱印がいただける新選組ゆかりの地一覧|新選組ゆかりの地・観光スポット
埼玉県・神奈川県で御朱印がいただける新選組ゆかりの地を、一覧にまとめました。
3月31日、春の東光寺ツアーに行ってきました。 少し時間が経ってしまいましたが、来年以降参加したい方や気になってる方の参考になればと思うのでレポします。
原田左之助ゆかりの地・観光スポット一覧|東京から日帰りの新選組スポット
新選組十番隊組長・原田左之助のゆかりの地を、東京から日帰りで行ける範囲でまとめました。
斎藤一ゆかりの地・観光スポット一覧|東京から日帰りの新選組スポット
新選組の三番組組長・斎藤一ゆかりの観光スポットを、東京から日帰りで行ける範囲でまとめました。
沖田総司逝去の地・植木屋平五郎宅跡(案内板)|新宿区の新選組ゆかりの地・観光スポット
沖田総司が療養し亡くなった植木屋平五郎の離れは、新宿区の大京町交番の近くにありました。 実際の場所から少し離れたところに、「沖田総司逝去の地」の案内板が立っています。 ここでは、沖田総司逝去の地について紹介します。
山南敬助ゆかりの地・観光スポット一覧|東京から日帰りの新選組スポット
新選組の山南敬助ゆかりの観光スポットを、東京から日帰りで行ける範囲でまとめました。
2019/4/28、平成最後の石田散薬製造体験会に行ってきました! あくまで一ファンの体験ですが、来年以降行ってみたい方の参考になればと思うのでレポします。
出羽公園(近藤勇ゆかりの藤)|越谷市の新選組観光スポット・ゆかりの地
出羽公園には、近藤勇が「綾なる流れに藤の花にほう わが生涯に悔はなし」と歌を詠んだゆかりの藤が移植されています。4月中旬から5月上旬が見頃です。 流山から板橋に向かう途中に休憩に寄った、関根家(よしずや)の藤で、河川改修で出羽公園に移植されました。
板橋の「近藤勇152回忌と新選組諸隊士供養祭」に行ってきました|新選組イベントレポ
2019年4月21日、板橋駅前の近藤勇墓所で行われた「近藤勇152回忌と新選組諸隊士供養祭」に行ってきたので、ざっくりレポします。 あくまで2019年の一ファンの体験ですが、行ったことがない方、来年行ってみたい方の参考になれば。
2019年4月14日、流山の近藤勇忌に行ってきたので、ざっくりレポします。 あくまで2019年の体験ですが、行ったことがない方や、「来年は行ってみたいな」という方の参考になれば。
試衛館道場(近藤勇の道場)跡・試衛館稲荷|新宿区の新選組ゆかりの地観光スポット
試衛館道場跡は新宿区にある、近藤勇の天然理心流道場の跡です。ここに土方歳三や沖田総司など、のちの新選組幹部になるメンバーが集っていました。 現在は標柱と、近くにあった正一位稲荷神社(通称・試衛館稲荷)だけが残っています。 この記事では、試衛館跡について見ていきます
東京メトロ牛込柳町駅(試衛館跡と近藤勇デザインの駅スタンプ)|新宿区の新選組ゆかりの地観光スポット
東京メトロ牛込柳町駅には、試衛館跡の標柱と近藤勇がデザインされた駅スタンプがあります。 東京メトロ牛込柳町駅スタンプの場所などを紹介します。
東京23区で御朱印・御朱印帳がいただける新選組ゆかりの地一覧|新選組ゆかりの地観光スポット
日野などと違って、新選組ゆかりの地があちこち散らばっている東京23区は、どこで御朱印を受けられるか、最初のうち戸惑いますよね。 でも、東京23区には、まだまだたくさんの新選組ゆかりの場所があるんです。 ここでは東京23区の、御朱印が受けられる新選組ゆかりの地を一覧にしました。
JR南流山駅(近藤勇石碑デザインの駅スタンプ)|流山市の新選組ゆかりの地観光スポット
JR南流山駅には、近藤勇陣屋跡にある石碑がデザインされた駅スタンプがあります。 JR南流山駅の駅スタンプの場所などを紹介します。
流鉄流山駅(近藤勇デザインの駅スタンプ)|流山市の新選組ゆかりの地観光スポット
流鉄流山駅には、近藤勇がデザインされた駅スタンプがあります。 流鉄流山駅の駅スタンプの場所などを紹介します。
JR日野駅(新選組パレードデザインの駅スタンプ)|日野市の新選組ゆかりの地観光スポット
JR日野駅には、新選組パレードがデザインされた駅スタンプがあります。 JR日野駅の駅スタンプの場所などを紹介します。
千葉県で御朱印がいただける新選組ゆかりの地一覧|新選組ゆかりの地観光スポット
「流山の新選組まつりに行くけど、御朱印がある場所も回ってこようかな」 「千葉県で新選組ゆかりの御朱印がいただける場所ってある?」 そんな時のために、千葉県で御朱印がいただける新選組ゆかりの地を一覧にまとめました。
多摩・東京23区外で御朱印がいただける新選組ゆかりの地一覧|新選組ゆかりの地観光スポット
「この御朱印帳を新選組用にして、新選組ゆかりの地の御朱印を集めたい」 そんな時のために、御朱印がある新選組ゆかりの地を地域別にまとめました。 このページでは、多摩・東京23区外で御朱印がいただける、新選組ゆかりの地を一覧にしています。
寿徳寺(近藤勇菩提寺の一つ)|北区・板橋区の新選組ゆかりの地観光スポット
寿徳寺(じゅとくじ)は、板橋駅前にある近藤勇墓所を、境外墓地として管理しているお寺です。 近藤勇の命日付近には毎年法要を行っている、菩提寺の一つです。 北区滝野川の、近藤勇墓所から10分ほどのところにあり、御朱印もあります。 門前には墓所にあるのと同じ、近藤勇の肖像碑が建てられています。
近藤勇最期の地(何もなし)|北区・板橋区の新選組ゆかりの地観光スポット
近藤勇最期の地は、近藤勇墓所から板橋駅の方を向いて右斜め向かい方向にあった「馬捨て場(馬の埋葬場)」です。 当時は寿徳寺の土地で、元からの刑場ではなく、新政府軍がたまたま処刑に使った場所でした。 現在は商店が立ち並び、案内板などは何もありません。 ここでは、近藤勇最期の地と、近藤勇の最期について紹介します。
JR板橋駅(近藤勇墓所デザインの駅スタンプ)|板橋区・北区の新選組ゆかりの地観光スポット
JR板橋駅には、駅前の近藤勇墓所がデザインされた駅スタンプがあります。 JR板橋駅の駅スタンプの場所などを紹介します。
都営三田線新板橋駅(近藤勇銅像デザインの駅スタンプ)|板橋区・北区の新選組ゆかりの地観光スポット
都営三田線新板橋駅には、近藤勇の銅像がデザインされた駅スタンプがあります。 新板橋駅の駅スタンプの場所などを紹介します。
板橋宿 平尾脇本陣・豊田家屋敷跡(近藤勇が幽閉された地)|板橋区の新選組ゆかりの地観光スポット
平尾脇本陣の豊田家屋敷跡は、近藤勇が板橋で捕まった後、幽閉されていた場所です。 豊田家孫娘との交流や、見張り役(後の処刑役)横倉喜三次との交流がありました。 ここでは、平尾脇本陣・豊田家屋敷跡と近藤勇について紹介します。
板橋宿本陣跡(近藤勇が正体を見破られた地)|板橋区の新選組ゆかりの地観光スポット
板橋宿(いたばししゅく)本陣跡は、「大久保大和」の名で新政府軍に出頭した近藤勇が、元新選組隊士(御陵衛士)の加納鷲雄・清原清に正体を見破られた場所です。 板橋宿本陣は明治に火事で焼け、現在は碑と案内板が、商店街の一角に立っています。 ここでは、板橋宿本陣跡と近藤勇について紹介します。
近藤勇墓所・新選組隊士慰霊碑|板橋駅前(東京都北区)の新選組ゆかりの地観光スポット
近藤勇墓所・新選組隊士慰霊碑は、東京都北区(板橋駅前)にある慰霊碑です。 永倉新八が明治9年に建立しました。寿徳寺の境外墓地で、同じ敷地に永倉新八が分骨された墓もあります。 新選組隊士慰霊碑も兼ねており、多くの新選組隊士の冥福を祈ることができる場になっています。
飛地山(新選組が新政府軍に砲撃した山)|流山市の新選組ゆかりの地観光スポット
飛地山は、流山市の近藤勇本陣跡近くにあった高台です。 新政府軍が近藤勇本陣跡近くに来た時、新選組の別動隊が、ここから大砲を撃ちました。 現在は流山市役所になっている付近ですが、特に案内板などはありません。 ここでは、流山市の飛地山を紹介します。
「ゆかりの地巡りはしたいけど、お花見の季節だし、どうせなら、桜が綺麗な新選組スポットってないかな…?」 そんな時のために、東京・千葉・神奈川・埼玉の新選組ゆかりの地の中で、桜が綺麗なスポットを特集してみます。
矢河原(前間)の渡し跡(近藤勇が流山を去った渡し場)|流山市・三郷市の新選組ゆかりの地観光スポット
矢河原(やっから)の渡し跡は、近藤勇が流山を後にする時に使った渡し場です。 流山と対岸の埼玉県三郷市を結んでいた渡し場で、三郷市側ではそこにあった前間(ぜんま)村の名から「前間(ぜんま)の渡し」と呼ばれていました。 ここでは矢河原の渡しについて紹介します。
丹後の渡し跡(新撰組が流山に行く時使用)|流山市・三郷市の新撰組ゆかりの地観光スポット
丹後の渡し跡は、新選組が五兵衛新田(現在の足立区綾瀬)から流山に向かう時に使った渡し場の跡です。 近藤勇や土方歳三も、この渡し場から流山に渡ったと言われています。 現在の埼玉県三郷市から、対岸の流山市へ向けて、江戸川を越える渡し場です。 ここでは、丹後の渡し跡を紹介します。
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