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2019/04/03

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  • 2023春オルドス出張⑯:4月29日:「縁」

    オルドス最後の夜は空港の近くのカンバシに泊まることにしました。ノリブがいろいろ連絡してくれて懐かしいメンバーが集まってくれました。いつもの白酒の激しい宴会ではなく、ビールをチビチビ飲みながら懐かしい話が静かに繰り広げられました。中でもゲゲリアとは10年ぶりの再会。彼女は2005年。僕の母校の明治大学に留学、2006年に行われた大学の留学生日本語スピーチコンテストで優勝しています。タイトルは「縁」。そこには僕とのほのぼのとしたエピソードが語られています。このコンテストに出るにあたって当初は僕の緑化事業のことを訴えたかったようですが、メンターにバッサリ切られて、ほのぼのとした感じになったとのこと。彼女としては僕の緑化事業のことを多くの人に知ってもらいたいと思っていたのでちょっと不服だったようですが、結果的にそ...2023春オルドス出張⑯:4月29日:「縁」

  • 2023春オルドス出張⑮:4月29日:ウランダワ砂漠

    9時ごろ起きて遅い朝食を食べて、10時ごろノリブと出発。ウーシン旗から100㎞ほど西にあるウランダワ砂漠へ。昔はでこぼこのアスファルトの道と未舗装の道を半日かけていっていましたが、今ではほぼ直線のきれいな舗装道路を快走して1時間半。本当に便利になりました。「ウランダワ」とはモンゴル語で「赤い丘」という意味です。数十年前まで「紅柳」という枝が赤い灌木が一面に生い茂っていたところ。過放牧や伐採によりあっという間に砂漠になってしまったということでした。2005年から2011年までここで村の人々と植林を進め、600haの砂漠を緑に戻すことができました。その後、教え子や植林パートナーがこの村を去ったためにいったんここでの緑化活動を中断し第2の植林地のノリブ実家で活動を続けていますが、ノリブの実家で「環境と経済の好循...2023春オルドス出張⑮:4月29日:ウランダワ砂漠

  • 2023春オルドス出張⑭:4月28日:宴会(夜編)

    統万城からウーシン旗に戻りましたが、ホテルの部屋で休む間もなく、宴会場へ。EFポリマーの実験をやってくれる農場の社長さんからのお誘い。オルドスでは仲良くなる儀式みたいなもの。断れません。大きなテーブルを20人近くが囲む。2日連続の羊のしゃぶしゃぶ。そして53度の白酒。まだ昼の白酒が残っているので最初からきつい。あいさつで乾杯、一人一人個別に乾杯、歌って乾杯、1人1本コース、エンドレス・・・。結構フラフラですが、宴会の時間が長いので潰れそうで潰れません。日付が変わるころやっと解放されました。そして次はノリブの友人たちとカラオケ。ここはビールを好きなだけ。なぜか復活。90年代に覚えた中国語の歌を歌いまくりました。ホテルの部屋に戻ったのは4時過ぎ。朝から第一の植林地「ウランダワ」です。(つづく)*只今クラウドフ...2023春オルドス出張⑭:4月28日:宴会(夜編)

  • 2023春オルドス出張⑬:4月28日:統万城

    昼の宴会を何とか耐えて、そこから30分ほどのところにある統万城に行くことにしました。統万城は五胡十六国時代末期の夏が413年から427年まで首都とした都市でNHKの「大黄河」でも紹介されました。10年位前に行ってその白い美しさが印象深い城跡。10年前は舗装されていない道を何時間もかけていって、地図もないのでなかなかたどり着かず、途中、道に溝を掘って車を通れなくして、通行料を払えば通してやるという山賊みたいな農民集団の関門を突破してやっとたどり着いたところ。今は高速と舗装された立派な道路を通ってあっという間に着きました。10年前は周囲14キロほどある城壁や楼閣をじっくり歩きましたが、今回は風が強かったし時間がなかったので外から見るだけ。大きくて白くて美しい姿をしっかり目に焼き付けて、ウーシン旗に戻りました。...2023春オルドス出張⑬:4月28日:統万城

  • 2023春オルドス出張⑫:4月28日:オルドスの宴会(昼編)

    砂嵐のため、農場でのEFポリマーの実証実験は延期。現場の担当者と意見交換をして帰ろうとしたのですが、ちょうど昼時。なかなか帰してもらえません。そのまま村の食堂へ。昼間から50度を超える白酒の宴会が始まりました。静かに淡々と1人1本白酒を飲みました。もうフラフラ。オルドスではまだまだ酒を飲んで親交を深める文化が残っています。でもここで仲良くなっておくと後がスムーズに進んだりします。命を削りながら(笑)の交流が続きます。15時ごろやっと解放してくれました。ウーシン旗に帰る前に久々に統万城に行きたくなったので、お酒が飲めないシュワンダライさんに運転をお願いして行くことにしました。(つづく)*只今クラウドファンディングに挑戦中!黄砂を止めよ!砂漠を緑に!「塩を売って緑を買う男」~第2の創業~2023春オルドス出張⑫:4月28日:オルドスの宴会(昼編)

  • 2023春オルドス出張⑩⑪:4月28日砂嵐

    ウーシン旗南部にある畑でEFポリマーの実験をやることになっていましたが、朝から風が強い。いやな予感。9時に車で出発。どんどん風が強くなり、台風並みに。あちこちで砂塵が舞い上がっています。アスファルトには砂の波。そして砂嵐の中、車で2時間かけて農場に着きました。しかし砂嵐は収まらず残念ながらEFポリマーの実験は延期。後日現地の人たちでやってもらうことにしました。砂漠化が進んだ大地の他、こういう開墾地からも黄砂が飛んでいきます。防風林の整備や飛びにくい土作り(有機土壌、団粒化)なども考えなくてはなりません。*只今クラウドファンディングに挑戦中!ぜひご覧ください。黄砂を止めよ!砂漠を緑に!「塩を売って緑を買う男」~第2の創業~ 2023春オルドス出張⑩⑪:4月28日砂嵐

  • 2023春オルドス出張⑨:懐かしい友人と飲み会

    4月27日のつづき:植林が終わって、ウーシン旗のホテルにチェックイン。しばらく休んで夜はまた宴会。近くの羊火鍋のお店へ。そこで待っていたのがオルドスモンゴル族高校で同僚だったシュワンダライさん。約30年ぶりの再会。当時、僕の部屋の隣に住んでくれて生活面でいろいろ面倒を見てくれていました。当時は酒飲みで有名で一緒に飲むときは大変でしたが、今はお酒が飲めなくなったとのこと。ちょっぴり残念でしたが、白酒なしでビールをほどよく飲んで、懐かしくも楽しい時間を過ごしました。そしてまた午前様。翌日は有機農場の視察です。*シュワンダライさんとの思い出話は「体験記オルドスの風」で紹介しているのでここに貼っておきます。ーーーーーーーーーー●となりのクマさん:1992年9月ようやくボクの家が完成した。場所は校舎の北側、生徒たち...2023春オルドス出張⑨:懐かしい友人と飲み会

  • 2023春オルドス出張⑧:植林

    4月27日、9時起床。植林の日。前夜の宴会のダメージはそれほどありません。50度を超える白酒もあまり残っていません。平日なので参加できる教え子も限られていましたが、何とか6人集まってもらいました。10時半にノリブの実家着。お茶を飲んでから作業開始。植えるのは楊柴というマメ科の潅木。EFポリマーの実験を兼ねているので、何も施さないところ、EFポリマーだけ施したところ、有機肥料だけ施したところ、EFポリマーと有機肥料を施したところと4か所に分けて植えていきました。秋には結果が分かると思うので楽しみです。今回の植林の様子は日本テレビが取材したいということでしたが、諸事情でスタッフが来ることができず、僕のスマホで撮った映像を提供して後日ニュースにすることができました。植林が終わって、遅めの昼食。羊の干し肉とジャガ...2023春オルドス出張⑧:植林

  • 【お知らせ】クラウドファンディングに挑戦します!

    2004年に「塩を売って緑を買う会社・バンベン」を立ち上げ、規模は小さいものの着実に緑化の歩みを進めてきました。しかしコロナ禍に見舞われ、主力の飲食店向けの販売が激減。この3年間何とか耐えてきました。やっとコロナ過が終わろうとしている今年は「第2の創業」という決意で臨んでいます。やれることは何でもやってみよう、ということで、まず、「みんなの夢アワード」に挑戦。1次2次審査を突破して、ファイナリストとして1500人の聴衆の前で自分の「夢」を思い切り語ることができました。次に、4月には3年半ぶりのオルドス。教え子たちと今後の緑化方針を確認するとともに持続可能なビジネスにするための新たな商材も見つけました。そして今月から、今まで低迷していたビジネスを成長軌道に乗せるために、クラウドファンディングに挑戦することに...【お知らせ】クラウドファンディングに挑戦します!

  • 豊前で梅ちぎり

    5月28日(日)9時に豊前にある親が所有する梅林に到着。毎年恒例の草刈り&梅ちぎり。まずは僕が一人で道路側の梅の周りを草刈り。草刈りが終わったところで妻と健が梅ちぎり&枯れ枝の整理。薄曇りの天気で風が涼しく、去年に比べたらだいぶ作業が楽でした。12時半に終了。今回は梅シロップ用に5㎏だけ収穫。あとはほったらかし。枯れ枝は袋に詰めて、キャンプ用の薪にします。近くの「卜占の郷」の温泉でゆっくり汗を流し、これまた恒例のラピュタファームへ。(つづく)豊前で梅ちぎり

  • 出前講座IN福岡デザイン専門学校

    5月26日(木):出前講座IN福岡デザイン専門学校今回は国際理解教育の豪華版。70名の学生を相手に前半は僕の「塩を売って緑を買う男の話」。後半は地雷撤去キャンペーンの大谷さんの講演。13時半スタート。85分間たっぷりあるのでモンゴル事情や協力隊時代のエピソードも交えながらゆっくり進めました。砂漠化の恐怖あたりから語気を強め、植林の話や塩を売る苦労話など。そして最後は世界に向けての夢のような話をして終了。10分の休憩をはさんで15時過ぎから大谷さんの話。身振り手振り、映像を駆使して、地雷の残像性・無差別性・残虐性を訴えかける。特に国際協力に関心がなくても引き込まれていく、行動を起こそうと思わせる素晴らしい講演でした。僕も久しぶりに大谷さんの講演を聞きましたが、やはり熱量がすごい。とても参考になりました。出前講座IN福岡デザイン専門学校

  • 2023春オルドス出張⑦:オルドス式宴会(4月26日)

    2023春オルドス出張⑦:オルドス式宴会(4月26日)18時過ぎにハンジン旗の農業関連の会社を出発。ウーシン旗まで150㎞。ほぼまっすぐの道を快走。20時過ぎにウーシン旗に到着。教え子たちが待っていてくれているということで、そのままレストランへ。教え子など10人ほどでオルドス式宴会。50度を超える白酒と羊と馬頭琴とオルドス民謡で盛り上がりました。終わったのは午前2時。楽しかったけど疲れた!ホテルが見つかれず、ノリブが借りているアパートで泥のように眠りました。2023春オルドス出張⑦:オルドス式宴会(4月26日)

  • 2023年春オルドス出張⑥:農業会社視察(4月26日)

    2023年春オルドス出張⑥:農業会社視察(4月26日)17時過ぎにハンジン旗の農業関連の会社に到着。花卉や漢方薬草など高付加価値の農業を実践していました。EFポリマーをお渡ししてしばし意見交換。それにしても立派で巨大な温室でした。風が強く砂嵐が頻発するオルドスでも全く問題なし。「文冠果」という油が採れる果樹も紹介してもらいました。緑化後、植える果樹として高収益が得られるかも。秋の植林の時に試してみたいと思います。2023年春オルドス出張⑥:農業会社視察(4月26日)

  • 2023春オルドス出張⑤:牛とカササギと砂漠(4月26日)

    地鶏屋さんから150km離れたハンジン旗にある農業関連の会社を訪問するために移動。最近は道がよくなって遠くでもスイスイ行けます。途中で牛の群れに道を阻まれて、そのまま休憩。オルドスの北に広がるクブチ砂漠。ここは元々の砂漠。緑化するより広がらないように周りを緑にすることが重要。オルドスはカササギたくさんいます。佐賀との意外な共通点。2023春オルドス出張⑤:牛とカササギと砂漠(4月26日)

  • 2023春オルドス出張④:地鶏料理(4月26日)

    13:30分にオルドス空港着。教え子のノリブと3年半ぶりの再会。オルドスモンゴル族高校の音楽の先生と昼食。モンゴル料理と言えば羊ですが、オルドスは地鶏も美味しい。ということで空港近くのイジンホロ旗の地鶏屋さんへ。美味しい料理に舌鼓を打ちながら、モンゴル族高校の懐かしい話で盛り上がりました。(つづく)2023春オルドス出張④:地鶏料理(4月26日)

  • 2023春オルドス出張③:オルドスへ(4月26日)

    (黄土高原。まるで火星です)9時ホテルを出発。歩いてすぐの地下鉄三元橋駅へ。ここでミス。空港線の入り口から入らなければいけないところを、10号線の入り口から入ってややこしいことに。黄色いベストを着た女性に事情を説明すると、一緒にエレベーターを降り、改札を抜け、ずっと歩いて空港線のところまで送り届けてくれました。有難い。無事地下鉄空港線に乗れたのにまたミス。第2ターミナル駅で降りるべきところを、その手前の第3ターミナル駅で降りてしまった。連絡バスに乗って第2ターミナルまで。だいぶ距離があるので一般道に入って渋滞に巻き込まれながらゆっくり進む。待ち時間も合わせると40分以上かかりましたが、早めに空港についていたので、何とか間に合いました。チェックインや安全検査はスムーズ。11:55発のフライトは予定より10分...2023春オルドス出張③:オルドスへ(4月26日)

  • 2023年春オルドス出張②:出国(4月25日)

    11:30出発なので9時前に着くようにしました。チェックインは9時半からですが、アシアナ航空のカウンター前は結構並んでいました。3時間前とかにチェックインできるとスムーズなのにと思いました。9時半からチェックインが始まっても結構時間がかかりました。フェンシングの大会が韓国であるらしく選手がたくさん並んでいてそれぞれが大きな荷物を持っているので超過料金の手続をしているのでなかなか進みません。1時間くらい並んでやっと自分の番。僕はすぐ終わると思っていましたが・・・。中国入国に際し「健康申告書電子版」の入力および発行されたQRコードの提示が義務化されていて、WeChatのアプリから記入していくことは知っていましたが、出国審査が終わってからゆっくりやろうと思っていて、チェックインの時に必要とは知らなかったので、グ...2023年春オルドス出張②:出国(4月25日)

  • 2023年春オルドス出張①:出発前

    今回はEFポリマーの実証実験を行うために3年半ぶりにオルドスに行くことになりました。コロナ明けとはいえ、中国に行くにはビザが必要だったり、出国前48時間以内のPCR検査が必要だったり、手続きが結構大変。特にビザは時間がかかるとのことで、まず1か月前に4月25日出国5月1日帰国フライトとホテルを予約。(ビザを取るのに往復航空券とホテルの予約表が必要)。福岡空港から中国への直行便はなく、関空か羽田からと思っていましたが、まだ便が少なく価格も20~30万円します。どうしたものかとHISの佐賀カウンターに相談したら、ソウル経由だと安く行けることが分かりました。それでも12万円します。コロナ前の約2倍。これは仕方ありません。そして福岡領事館のHPから、「中华人民共和国签证申请表」を作成。その後、実際に領事館に行って...2023年春オルドス出張①:出発前

  • 「約束の地」の約束を果たす

    4月11日(火)去年秋に石体の伝説をモチーフに創作された舞台「約束の地」に市民キャストとして参加。その打ち上げの時に同じ市民キャストの原田さんと昔の石体の人が毎年行っていた徒歩での功岳寺を参拝しよう、という約束を交わしました。劇中に出てくる草野鎮永の奥方(鶴姫)が龍造寺隆信との戦の時に天山を超え、石体に逃れご神体の前で子供を産んだという伝説があり、毎年4月11日に行われる草野家の菩提寺功岳寺の法要には石体から3人が参詣することになっています(今では車で1時間)。どうせやるならその時に合わせてということで、6時に石体ご神体の地を出発。不動の滝を登り、途中道なき道を登り去年発見した謎の祠(鶴姫の墓?)へ。手を合わせてまたひたすら登る。九州国体山岳コースに合流し、七曲峠までひたすら登り。7時40分。ずっと山道を...「約束の地」の約束を果たす

  • 天山巨石巡りルートの整備

    4月9日(日)久々に巨石巡りルートの整備。大石啓太さんと出発地点の林道入り口からヤマモミジ&石室まで枝打ちや目印のリボンつけを行いました。前につけていたビニールの目印リボンは所々劣化しているので、綿とポリエステルでできた丈夫なリボンを結束バンドで枝に固定していきました。これで当分大丈夫。いずれは小城ぱくオリジナルのリボンや看板なども設置したいのですが、現状はこれで精いっぱい。冬の間にロープなどが増設されていて中高年登山さん?など愛好家の方々も整備をしてくれている模様。2時間弱でヤマモミジ&石室スポットに到着。ここはいつ来ても気持ちいい。ヤマモミジは立派な幹や枝ぶりに対し、葉っぱが小さい。元々こういう品種なのか、元気がないのか・・・。いずれにせよ天然記念物級の巨木。見ていて飽きない。帰りは新緑や桜やツバキな...天山巨石巡りルートの整備

  • 神様巡りルート整備

    4月8日(土)週末は神様巡り、巨石巡りルートの整備を行いました。まず、8日は石体から七曲峠の間にひっそり佇む「乳仏様」周辺の草刈り。草に隠れていたお顔が道から拝むことができるようになりました。次に去年発見した「謎の祠(鶴姫様のお墓?)」までの道、そこからご神体までの道の開拓。県道から稜線沿いに降りていくと「祠」。急な斜面はなく、藪もそれほど気になりません。問題は祠からご神体までのルート。この前は直線で結ぼうとしてかなり危険な状態になり引き返しました。今回はご神体の上のほうの沢に降りていく感じで進んでいきました。急斜面ですがそれほど危険は感じません。藪も最初のほうだけでそれほど気になりません。とりあえずこれでいいかと思いましたが、初心者には厳しいと思い、今度は下(南)のほうの使われていない林道を枝打ちをしな...神様巡りルート整備

  • JICA海外協力隊まつり in Fukuoka に出店

    3月18日(土)商品をいっぱい詰めて家族で7時に出発。まだ雨が上がらない。9時前に天神の会場に到着。ここからは妻と健は実家へ。僕だけのんびり設営。11時にスタート。ちょうど雨も上がり、音楽イベントも盛り上がり、お客さんも増えていった。国際色あふれる商品やイベントが繰り広げられる。そして商品も売れていった。特にクセになる塩は人気。あと知人やOBOGにはラーモンが人気。快調に進んでいったが、風が強くて寒い。夕方から妻が駆けつけてくれて、やっと食事休憩。協力隊OBOG自慢のエスニック料理を堪能。18時半からスタッフの懇親会があったが、風邪をひきそうだったので早めに撤収。妻の実家に泊まって次の日に備えた。3月19日(日)10時に会場に入り、ゆっくり設営。11時スタート。快晴で気持ちいい朝。しかし売上はさっぱり。前...JICA海外協力隊まつりinFukuokaに出店

  • みんなの夢アワード13を終えて

    3月14日の夢の舞台が終わって、ずっと過密スケジュールでしたが、今日は時間があったのでやっとゆっくり「みんなの夢アワード13」のYouTubeを見ることができました。僕にとって大きなイベントだったので、いずれ詳細をまとめたいと思いますが、とりあえず自分のプレゼンの感想を一言でいうと、「夢の大きさに比べ実績(特にビジネス)が小さく、バランスが悪い」でも今の自分を精いっぱい表現できていました。とにかく今年は行動あるのみ。そして売上と緑化の実績を積み重ねていくこと。ファイナリストとしては惨敗でしたが、決意を新たにできたのはよかったと思います。7人のファイナリストの雄姿。お時間があるときにゆっくりご覧ください。https://yumeaward.org/みんなの夢アワード13を終えて

  • 農作業の記録

    3月9日(木)午前中に小城ぱく畑へ。ハーブ園が菜の花畑?になっていたので、まずは枠内の菜の花や雑草を引っこ抜きました。ニンニクの畝にはこの間抜いたのにまたヨモギが蔓延っています。ハーブが全体的に元気がないのに対し、野草系は元気いっぱい。早く野草活用にシフトしていかなければ・・・。農作業の記録

  • 『social good DAY!』で登壇&出店

    3月4日(土)13時に会場のウィズスクエア福岡へ。打ち合わせを経て13時半からまず「ソーシャルピッチ」。3人の登壇者がいて僕は3番目。福岡会場・東京会場・オンラインで計100名の聴衆がいるとのこと。ペット支援や子育て支援など素晴らしいピッチの後にバンベン登場。みんなの夢アワードファイナリスト選出後、発表するのも少し恥ずかしいほど壮大な内容になっていたので、正に夢物語(お花畑)と判断されないか不安があった。また普段30分~1時間の講演をメインに話をしているので、8分という時間でどれだけ伝えられるかも不安。しかし、始まってみると自然にスムーズに話を進めることができた。まずまずの出来。終わってからの感想も聞けてきちんと伝わっていると思いホッとした。ピッチが終わって会場をマルシェに変更。15時からは「ソーシャルグ...『socialgoodDAY!』で登壇&出店

  • 「みんなの夢AWARD13」でファイナリストとして登壇します!

    【お知らせ】3月14日(火)15時からLINECUBESHIBUYA(渋谷公会堂)にて、「みんなの夢AWARD13」を開催いたします。なんと僕も7人のファイナリストの一人に選ばれました。30数年前、青年海外協力隊で内モンゴルに派遣された時から抱いていた「夢」を2000人の聴衆に向けて発表します。他のファイナリストの方々の夢も教育や農業や地域振興など素晴らしいものばかりです。ちなみに今回は年齢層が幅広くなんと中学生が2名、そして大学生1名、社会人の20代、30代、40代が1名ずつ。僕が57歳で最年長です。また地区は東京が4名、長野、岩手が1名ずつ。僕は佐賀で最遠方。つまり僕は中高年代表かつ九州(西日本?)代表としてアウェィ感漂う会場?で夢を語るということになりそうです(^-^;。入場無料なので、もし当日東京...「みんなの夢AWARD13」でファイナリストとして登壇します!

  • タンポポ畑に向けて

    3月1日(水)午前中に小城ぱく畑へ。午後から雨ということで絶好の種まきチャンス。まず1週間前に刈っていた雑草を隅に除けてこまめで耕運。去年、拾い集めたタンポポの種を蒔きました。フワフワ飛んでいくので風のないタイミングでそっと離します。みんないい感じでばらけて着地。中には遠くまで飛んで行ったものも・・・。5月には花を咲かせるはずなので、そのタイミングで野草・ハーブ・バンベンの塩を使ったイベントでもやりたいと思います。後は奥の野菜畑へ。菌ちゃん農法で作った大根の最後の収穫。週末両実家に帰るのでちょうど配れます。いい汗をかきました!タンポポ畑に向けて

  • 出前講座IN福津市立神興小学校

    2月27日(月)渋滞に巻き込まれたくないので、5時半出発。飯塚方面を経由して8時前に福津着。起業後しばらく住んだことのある懐かしい地。宮地浜の駐車場に車を停めて昔よく歩いたコースを散歩。最低気温は氷点下だったがぐんぐん気温が上がって、最後は上着を脱いで汗ばんでいた。カフェで時間調整して、10時半前に学校に到着。2年生約40名を対象にしたモンゴル講座。今回もパートナーはマンダルワさん。3時間目、10:40スタートそれぞれ1組と2組に分かれて、僕はモンゴル事情と塩を売って緑を買う男の話、マンダルワさんはモンゴルの遊び、衣装、馬頭琴の演奏。1クラス20人くらいだったが反応がいいので、こちらも大きな声で対応。のどが弱いのですぐ痛めてしまう。40分しゃべって質問や感想を受けて終了。みんなモンゴル岩塩を珍しそうに触っ...出前講座IN福津市立神興小学校

  • 出前講座IN大野城市立大野小学校

    2月22日(水)渋滞に巻き込まれたくないので、早起きして5時半に出発。スイスイ進み、7時前に大野城に到着。河原のウオーキングコースを歩いたり、カフェでゆっくりしたりして9時に大野小学校に到着。5年生160人を対象にした国際環境理解講座。他にインドネシアとスリランカにかかわりのある講師がそれぞれ3つの教室に分かれ、2時間目:1~3組、3時間目:4,5組、を3つのグループに分け、それぞれの国の環境事情について学ぶというもの。9:15に2時間目スタート、テーマが環境ということもあり、思い切って塩を売って緑を買う男の話ができる。いつも2年生を対象に話すことが多いが、5年生にもなると理解力も格段に上がる。社会人を対象にした講座と同じ感じで話を進めた。約30人に対し、内モンゴルの砂漠化や黄砂について、またその解決策に...出前講座IN大野城市立大野小学校

  • キャリア講演IN宇部市立藤山中学校

    2月16日(木)11:25に岩鼻駅着。N先生に迎えに来ていただき、藤山中学校へ。控室でお弁当をいただき、しばらく待機。一度、動作確認を兼ねて体育館に行くと、生徒たちが講演の準備をしていた。13:05から2年生95名を対象にしたキャリア講演スタート。翌日が「立志式」ということでその前に志を持った大人の話を聞くというのが趣旨らしい。校長先生のあいさつの後早速「塩を売って緑を買う男の話」。1時間あるので、まずはゆっくりモンゴル事情。草原や羊の写真を見せながらゆっくり話を進める。昼食後の眠い時間とあって、うとうとしている生徒もいる。続いて協力隊時代のほのぼのとしたエピソード。そして砂嵐の動画。砂漠化の恐怖。このあたりからこちらもギアを上げて力を込めて訴えかける。もう居眠りする生徒はいない。塩売りの現場や緑が少しず...キャリア講演IN宇部市立藤山中学校

  • みかん畑にキャンプ場を建国しよう!

    2月11日(土)石体で行われた「建国記念日に、みかん畑にキャンプ場を建国しよう!」イベントに参加した。自分の背より高い枯れたセイタカアワダチソウを草刈り機でバタバタ切り倒しながら進んでいった。鎌で刈る人や刈った草を運ぶ人など11名が力を合わせて2時間。だいぶきれいになって視界が広くなった。12時からお楽しみの大将のおまかアウトドア昼ご飯。腹に染み渡った。午後からも少し働いて、14時に終了。その後ほのかさんの畑に行ってふきのとうと白菜の収穫もあって皆さん大満足。また春にここを利用させてもらおう。帰りについでにうちの小城ぱく畑の草刈りもやって、充実した一日となった。みかん畑にキャンプ場を建国しよう!

  • webメディア「ともに暮らす」に登場!

    2月11日(土)webメディア「ともに暮らす」でインタビューを受けました。ぜひ、ご覧ください。(最後にリンクを貼っています)(以下、転載)【ともに暮らす|バンベン坂本さん】「孤独のない世界を創る」を目的に九州から新たな暮らし方や働き方を発信するwebメディア『ともに暮らす』。その中の私がMCをさせていただいている起業家インタビューにて、今回は“塩を売って緑を買う男”こと有限会社バンベン代表の坂本さんにご登場いただきました!元々、オルドスという地で日本語教師をされていたという坂本さん。その際にオルドスの砂漠化の問題を知り、学生と共に植林をするなど砂漠を緑にする活動をスタートしたのだそう。その後、植林活動の費用を稼ぐために目を付けたのが「モンゴルの塩」!この塩を日本で販売し、その利益を緑化のための資金として投...webメディア「ともに暮らす」に登場!

  • 出前講座IN筑前町立三輪小学校

    2月10日(金)まだまだ続く出前講座。今日は9時半から三輪小学校2年生約120名を対象にZOOMでのリモート講座。子供たちを体育館に集めてZOOMにつないだまではよかったが、なかなかプロジェクターからスクリーンに投影できないとのことで、四苦八苦されていた模様。こちらは40分でも30分でも15分でもそれなりに話ができるので、悠然と待機。9:45に無事スクリーンに投影できて、そこからお話がスタート。子供たちの反応がよくわからなかったが、モンゴル事情から塩を売って緑を買う男の話まで少々エピソードを端折って進めていった。最後3分ほど質問の時間を取ったが、ZOOMは40分で切れてしまうので途中で切れてしまった。最後は先生の携帯を使ってあいさつしたが、大きな声でありがとうございました、と聞こえたのでまあよかったのか。...出前講座IN筑前町立三輪小学校

  • 折尾で角打ち

    (2月8日のつづき)そして夜は折尾ナイト。若原酒店、一清庵、そして久々の酔いどれ列車。気の置けない仲間たちと思いっきり飲んで英気を養いました!折尾で角打ち

  • 出前講座IN水巻町立頃末小学校

    2月8日(水)6時半に出発。途中宗像で商品を引き渡して、ファミレスで昼食&仕事。14時に頃末小学校に到着。14:15分から音楽室で2年生55名を対象にモンゴル講座スタート。まずは僕のモンゴル事情&塩を売って緑を買う男の話。しかしいきなり学校の用意したパソコンが僕のUSBを読み取らないハプニング。幸いいつも自分のパソコンを持っているので、パソコンを入れ替えて改めて事なきを得た。5分遅れたがいつものようにスライドを見せながら淡々と話しを続ける。40分間子供たちは集中して聴いてくれる。こちらも気分よくスムーズに話ができる。好循環。5分休憩をはさんで今度はマンダルワさんのモンゴル遊び紹介やデールの試着、そして馬頭琴の演奏。今度は子供たちは五感をフル回転させながら楽しんでいる。この組み合わせは最高だと思っている。1...出前講座IN水巻町立頃末小学校

  • 大根の収穫

    2月3日(金)久々に小城ぱく畑に行き、大根の収穫をしました。大小さまざまです。間引きの仕方や糸状菌の付き方などでばらつきが出たのでしょうか?でも小さい大根は葉っぱが瑞々しく美味しいです。ニンニクと玉ねぎを植えている畝は先日の強風で一部マルチがはがれているところがあったので、もとに戻そうとしましたが、芽がマルチの穴にうまく入らないので、マルチをすべて剥がした畝が3列。手前の野草畑にするところはマルチを剥がし、草刈りし、一回耕そうと思いましたが、マルチが雑草と一体化して剥がすのが大変そう。次回やることに。そろそろ集めたタンポポの種を蒔かなければ・・・。大根の収穫

  • 佐賀新聞に掲載されました!

    1月28日(土)佐賀新聞に掲載されました!そのままバンベン一家の紹介に使えそうなよくまとまった記事です。今やり始めていること、これからやろうとしていること、たくさんありすぎますが、一歩一歩確実に成果を上げられるように進んでいきたいです。今後ともよろしくお願いします!ネットの記事はこちらから。https://www.saga-s.co.jp/articles/-/982090佐賀新聞に掲載されました!

  • マルシェへ

    1月28日(日)昼過ぎにシャディサラダ館巨勢店へ。「約束の地」市民キャストメンバーが出店するマルシェに行ってきました。岡さんのキクラゲ入り豚汁といやしの宿ほのかの特製カレー。寒い冬に最高の組み合わせで美味しかったです。さらに100円野菜詰め放題も。明日も10時~14時ごろまでやっているそうです。お近くの方ぜひ行ってみてください。今年は石体を盛り上げるイベントが目白押しです!マルシェへ

  • 出前講座IN小郡市立大原小学校

    1月27日(金)8時半に出発。途中コンビニなどで時間を調整して10:20に大原小学校着。今日も2年生を対象にした出前講座。パートナーはいつものマンダルワさん。今回は2クラスに分かれての講座。最初は僕が2‐2、マンダルワさんが2-1の教室に入ってそれぞれ講座を行った。10:40スタート。僕はいつものモンゴル事情と塩を売って緑を買う男の話。今週だけで何回話したことか。もう目をつぶってもスラスラ話が湧き出るレベル。反応も良く気持ちよく1コマ目終了。マンダルワさんと入れ替わって次は2-1でまた同じ話。もう飽きてしまうところだが、子供たちの反応も微妙に違うし、何より目を輝かせて聴いてくれるので何回話しても楽しい。2コマ目も無事終了。校長室に戻るときに付き添いの先生が「もしかしてバンベンさんですか?」と聞いてきた。ふ...出前講座IN小郡市立大原小学校

  • 出前講座IN小郡市立御原小学校

    1月24日(火)西鉄電車を乗り継いで9時前に端間駅へ。学校の方に迎えに来てもらい9時に御原小学校へ。2年生45名を対象とした出前講座。ここは初めての学校。今日のパートナーもマンダルワさん。9:30開始。今回は音楽室に全員集め。順番に話をしていく。まずは僕のモンゴル事情+塩を売って緑を買う男の話。昨日と全く同じ感じで進めた。塩の姿や緑化の広がりにみんな感心してくれた。休憩をはさんでマンダルワさんのモンゴルの遊び+馬頭琴。僕の話が「静」でマンダルワさんの演奏が「動」でバランスがいい。窓の外では吹雪いていた。最強寒波の襲来。帰りのことを少し心配しつつ、11時半に講座終了。子供たちも喜んでくれたし完ぺきに近い内容。問題はここから無事帰れるか。12時に端間駅まで送ってもらった。電車は12:12発。でも雪というか強風...出前講座IN小郡市立御原小学校

  • 【祝15周年!】

    今日から有限会社バンベンの15期目がスタートしました!単価も安く回転も遅い塩をメインによく15年も続いたなぁ、と自分でも感心しますが、前期はコロナの影響で主力の業務用(特に飲食店向け)の塩の販売が大きく落ち込んでしまいました。業務用は急には回復しないので、今期は個人向けバンベンオリジナル商品の販売に力を入れていこうと思っています。ラーモン・大草原のはみがきこ・これ一本・・・。いろいろオリジナル商品を作ってきましたが、作っただけで満足して、あまり販売に力を入れてきませんでした。ほとんど営業もせず、ネットショップもほったらかし状態・・・。一つ一つの商品にもう一度光を当てて、その魅力を伝え、地道に顧客を増やしていけたらと思っています。そして今年はもう一つ大事な節目の年。内モンゴル・オルドスに派遣されて30周年を迎えま...【祝15周年!】

  • 出前講座 in 北九州市立青山小学校

    1月28日9時起床。やや二日酔い気味。ゆっくり準備して10時にチェックアウト。用事を済ませながら北九州方面へ。出前講座の嵐第2弾。13時半に北九州市立青山小学校到着。今日は馬頭琴のマンダルワさん、モンゴル人留学生のデボさんと3人で授業を行う。3人講師がいるのに時間は45分。いつもより凝縮してやらなければならない。音楽室に通されると小学2年生約50人の子どもたちが待っていた。13:50スタート。まずは僕のお話。いつものようにスライドを見せながら淡々と話を進める。今回はエピソードなしで飛ばしながら話をしていく。僕としてはモンゴルでの体験談を中心に話したいのだが、モンゴル事情も欠かせない。10分で終わらせようと思ったが、15分ほどかかってしまった。続いてデボさんのモンゴル事情とモンゴルの遊びのコーナー。話は僕が話さな...出前講座in北九州市立青山小学校

  • 久々に小城鍋島家ten裏の畑へ

    4月20日雨上がりの月曜日。久しぶりに鍋島家tenの裏庭にあるバンベン菜園へ。今年は僕が小城ぱく畑に掛りっきりになるから、妻がここを管理することになっていたが、体調不良のため当分畑仕事ができない。でもずっとほったらかしにするわけにもいかないので、時間を作って農作業。小城ぱく畑で撒いた蕎麦の種が余っていたので、ここでも撒いてみることにした。9:30に作業スタート。まず刈払機で草を刈って、草を取り除いて、耕して、畝を作って、もう一度草を取って、慣らして、種まき、軽く土をかぶせて、水をたっぷりかけて12時過ぎに終了。耕しているときにカブトムシの幼虫みたいなのが5,6匹出てきた。早く発芽しないと鳥に食べられそうだが、まずは5月に白い可憐な花を見るのが楽しみだ。後は梅雨が遅れて無事に収穫できるのを祈るのみ。久々に小城鍋島家ten裏の畑へ

  • 水巻町立伊佐座小学校

    2月12日(水)雨の中、車で水巻町まで。これでもかと続く出前講座。この時期僕はまるで現地集合の旅芸人。10:10伊左座小学校に到着。しばし校長室で待機。今日のパートナーもマンダルワさん。10:30に音楽室に移動。約50人の生徒が体操座りの体勢で待っていた。学校は違ってもどこもだいたい同じようなパターン。まずは僕の体験談。モンゴル事情はさらっと流して、塩を売って緑を買う男の話に入る。内容は2日前に社会人向けに講演したものとあまり変わらない。砂漠化の話やどうやったら緑に戻るかなど小学2年生には難しいと思われるかもしれないが、これを話さなければ僕が小学校を回る意味もないと思っている。そしてそれはしっかり伝わっている。子供たちの目を見ればわかる。でも子供たちの最大の関心事は馬頭琴であることも承知しているので30分で話を...水巻町立伊佐座小学校

  • 「九州の食」で講演

    2月10日(月)博多駅からゆっくり歩いて40分。18:20に天神の定例会会場に到着。パソコンの調子が悪くプロジェクターにつなげるに時間がかかったが、今日は時間がたっぷりある。18:40に10分遅れでスタート。参加者は26名。バンベンのことを知っている人と知らない人が半々くらい。ちょうどいい。最近、社会人向けのプレゼンは15~20分くらいでこなさなければならない場合が多いので、あらすじだけになってしまうが、90分あればいろんな話を加えることができる。「糧票の話」や「教え子との再会」「塩を探して3000里」など普段話すことのないエピソードを紡いでいく。これから本格化する小城での取り組みもじっくり語ることができた。気が付いたら100分。まだまだしゃべり足りないがいったん終了。司会の若林さんとのやり取りや質疑応答など会...「九州の食」で講演

  • 出前講座 in 福津市立南福間小学校

    2月4日(火)7時起床8時チェックアウト。まだ時間があるので昨日行けなかった御船神社周辺を歩くことにした。ここもなかなか趣がある。歩いていると「宗像四国西部第1番霊場」という看板があったので階段を登って行ってみるとズラッと仏像が並んでいた。少し歩くと何と「馬頭観音」という仏閣が・・・。今から子供たちに馬頭琴を披露しなければならなかったので、うまく弾けますように(音が出ますように)とお祈りした。小1時間ほど散歩を楽しんで、まだ時間があるので懐かしのなまずの郷へ。福津時代はよくここでテニスをした。ゆっくり朝の時間を使いながら10:10に福間南小学校へ。ここは4回目くらいか。今日のパートナーのバイゲさんと合流。しばらく校長先生と歓談。ここは急激に児童数が増えていて、2年生だけで8クラス。260人を超えるという。福岡県...出前講座in福津市立南福間小学校

  • 出前講座 in 福津市立神輿小学校

    2月3日(月)車で一路福津市へ。10時15分に神輿小学校着。今日も「スーホの白い馬」に合わせたモンゴル講座。今日のパートナーは馬頭琴演奏者でもあるマンダルワさん。10:40に音楽室に。2年生(約30人)以外になぜか4年生(約45人)も授業に参加。自己紹介を済ませると僕は隣の図工室へ。講師2人が分かれて授業を行うパターン。子供たちも2グループに分かれてマンダルワさんの馬頭琴演奏やモンゴルの遊び文化を中心とした講座と僕のモンゴル事情&塩を売って緑を買う男の講座を1コマずつ交互に受ける。子供たちにとってはきめ細かく話が効けるが、講師にとっては同じことを2回しなければならないので大変。1回35分をめどに淡々と話を進める。スライドをプロジェクターに映し出すが、カーテンがない図工室。日差しが容赦なく降り注ぐ。うっすらとしか...出前講座in福津市立神輿小学校

  • 出前講座in 小郡市立大原小学校

    1月29日(水)前日福岡市内のホテルに泊まって、飲み会もなかったので体調万全。10:20に大原小学校到着。確か数年前にもお邪魔したような・・・。中庭にウッドデッキがあり、廊下が広い特徴のある校舎。思い出した。間違いない。しばらく担当の先生と歓談し。10:40に音楽室へ。小学2年生約50人が床に体操座りの状態で待っていた。ここまでは昨日の青山小学校と同じ。昨日は1コマを3人で担当して少々窮屈だったが、今回は2コマを1人で担当しなければならない。小学2年生を90分一人で飽きさせないで講座をするのは至難の業。いつものようにスライドをスクリーンに映しながら、淡々と語り始めた。モンゴル事情は少めに。自分の体験談は物語を紡いでいくようにたっぷりと。初めての授業。水が貴重な生活、草原はどこへ?砂の恐怖・・・。話しているとあっ...出前講座in小郡市立大原小学校

  • アーヤ藍さんトークとsigns from Nature上映会

    1月27日(月)午後から車で福岡市内まで。用事を済ませ、清川のホテルにチェックインして、ホテルの部屋でしばし事務仕事。19時に出発。雨の中、傘をさして歩いて20分。イベント会場のComoescinemaまで。19時半から「アーヤ藍さんトークとsignsfromNature上映会」スタート。北海道の漁師、長野のスキー場、岡山の西日本豪雨被災者、沖縄の観光従事者などがそれぞれの立場で気候変動によってもたらされた生活の変化について淡々と語っていく。学者や活動家ではなくあくまでも生活者の立場から語られているので、かえって心惹かれるものがある。もっといろんな事例を知りたいと思ったところで映画終了。20分。もう終わったの?といった感じだが、ここからのトークショーや意見交換が面白かった。プロデューサーのアーヤ藍さんの想いや撮...アーヤ藍さんトークとsignsfromNature上映会

  • 出前講座in福岡市立和白東小学校

    1月21日(火)7時過ぎに車で出発。三瀬峠を越えて博多まで。博多で1件仕事を済ませて、10時過ぎに東区にある和白東小学校に到着。この時期は小学2年生を対象に出前講座の依頼が殺到する。スーホの白い馬を学習するタイミングでモンゴルについて理解を深めたいということのようだ。この日のパートナーはバイゲさん。10:30スタート。音楽室には100名を超える子供たちが座って待っていた。インフルエンザの影響はまだないのか、マスク姿はゼロ。まずは僕の話から。大草原やゲルや羊などモンゴル関係の写真をさらっと見せるが、詳しくはバイゲさんに任せて、僕の体験談に移っていく。28年前に初めてモンゴルに行って日本語の授業を行った時の様子。砂漠化の恐怖。木を植える人たち・・・。そして「透明な塊」を見て、触って、舐めて・・・。今回も素晴らしいリ...出前講座in福岡市立和白東小学校

  • 2019秋オルドス植林のアルバム

    中国内モンゴル・オルドスでの砂漠緑化活動と交流の旅をアルバムにまとめました。お時間のある時にご覧ください。https://www.facebook.com/pg/banben.ordos/photos/?tab=album&album_id=3122481304448386&https://www.facebook.com/pg/banben.ordos/photos/?tab=album&album_id=3126870710676112&2019秋オルドス植林のアルバム

  • 出前講座in 地球環境戦略研究機関

    9月12日(木)やや二日酔いの中、10時に江坂のホテルをチェックアウト。なぜか尼崎のベローチェでパソコン作業。昼食を食べて、14時に地球環境戦略研究機関(IGES)関西研究センターへ。モンゴル人研究者2名を対象にした森林再生研修の一環で「塩を売って緑を買う男」の話をする。実は3月にホッとメールのアドレスに講師依頼のメールが来ていたのだが、今ホットメールは全然使っていなかったので、ほったらかし状態。8月中旬にふと自分のホットメールはまだ使えるのだろうかと、開いてみたところ大量のメールが・・・。ほとんど迷惑メールかどうでもいいメールだったが、その中に講師依頼のメールが・・・。もう5か月も経っている。もう講師は決まっているだろうけど、とりあえず謝罪のメールを送ると、ぜひ来てほしいとのこと。バタバタと出張が決まったのだ...出前講座in地球環境戦略研究機関

  • 「砂漠に挑む日本人」同窓会

    9月11日(水)昨日の夜遅くまで、今日は5時に起きてひたすらクラウドファンディングのリターンの発送作業。商品のパッケージも簡素だが、使用済みの段ボールに古新聞。見かけが大事と言われ続けてきたが、環境のため、経費節減のため、極力、簡易包装に努めている。見かけはあまりよくないかもしれないが、中身には自信を持っている。午前中に何とか100個を超えるリターンの発送を終えた。もう少し残ってしまったが、来週には完送できそう。昼食後、妻に佐賀駅まで送ってもらって、博多で新幹線に乗り換え、一路、大阪まで。江坂のホテルにチェックイン。車内やホテルの部屋で溜まっている仕事を少しずつ片付けた。19時前に出発。御堂筋線を難波まで南下。19時半にウイグル料理レストランムカームへ。昨年、放映された「黄砂を止めよ!砂漠に挑む日本人~中国内モ...「砂漠に挑む日本人」同窓会

  • 九州ソーシャルビジネスフォーラムに参加

    8月25日(日)8時半に那珂川の妻の実家に健を預けて妻と2人で天神のフォーラム会場へ。今年で11回目となる九州ビジネスフォーラム。確か2009年の第2回の時に面白そうだということで参加。第3回の時はプレゼンをさせてもらい、そこからソーシャルビジネスのつながりが広がり、バンベンの売上・知名度も上がっていった。とても有難いイベント。以後、ほとんど毎年参加しているが、今年は久々にプレゼンの機会も与えていただいた。今年はプレゼンテーターが36人。9:30から19:00までと長丁場。これだけ長いと途中で飽きたりダレたりするだろうと思いきや、皆さんやっていることが面白い。素晴らしい。それぞれ個性的でずっと聴いていても飽きない。バンベン事業に参考になる。自分の存在が小さく感じられる。僕の出番は最後のほうの17時すぎから。妻は...九州ソーシャルビジネスフォーラムに参加

  • 箱わな再開

    8月1日(木)午前中はわなの整備。4月から箱わなを仕掛けたもののイノシシは全然かからず、小動物(多分アライグマ)がわなに入った形跡はあったが、隙間から逃げられたらしい。最近はほぼほったらかし状態だったが、今月から再び気合を入れなおす。まずは箱わなを仕掛けなおし、新しい餌を撒く。次に新兵器「アラホール」を設置。箱わなに括り付けた。今年の目標はイノシシ10頭だったが、今は「とりあえずアライグマ1匹でも・・・」という感じ。とにかく何かを捕まえないと始まらない。昼は小城鍋島家tenで中園さん家族とランチ。来年に向けていろいろコラボできそうだ。夜は佐賀市で体験塾のセミナー。少人数だったのでじっくり深くワークショップができた。今「小城農泊推進協議会」で進めている「神々の郷プロジェクト」構想を披露。今までになかった面白い体験...箱わな再開

  • 天山へ

    7月31日(水)来月からいよいよ小城での活動が本格化する、ということで今日はなぜか天山へ。上宮駐車場から登り始めた。駐車場までは何回か来たが登るのは初めて。標高差200m。結構ハード。40分ほどでやっと頂上へ。ちょっと休憩して、東側の尾根を1kmほど歩いた。この辺でドローンを飛ばしたいところ。しかし風がけっこう強い。とりあえず少しだけ飛ばしてみた。案の定、下から雲がどんどん湧いてきて何も見えない。ドローンも一時、操縦不能になって焦った。何とか狭い遊歩道の平らなところに着陸させた。しばらく待ったら、雲がなくなってきたので、果敢に2回目のフライト。今度は山の斜面がよく見える。広葉樹林を谷沿いに進めていくと、謎の巨石群。「これだ!」今日はここまで。下りのほうがつらい。足がガクガク。減量して鍛えなおさなければ・・・。と...天山へ

  • クラウドファンディングいよいよラストスパートへ!

    5年くらい前に勉強会に参加して以来、いつかは挑戦してみたかったクラウドファンディング。今年は活動15周年の節目の年。しかも現地で有機農業に本格的に取り組む転換期でもある。タイミングはバッチリ。しかし20%近く取られる手数料、失敗したときのリスク(恥ずかしさややる気の低下)などがネックになってなかなか踏み出せなかった。しかしある情報を経て一気にやる気になった。それはクラウドファンディング会社Campfireの手数料無料キャンペーン。5月中にプロジェクトを起こせば手数料無料とのこと。手数料という一番のネックがなくなって俄然やる気が出た。プロジェクトの起案はさほど苦労はなかった。いつも出前講座で話しているものを手直しして使えばいいし、リターン(商品)もそろっている。一番迷ったのはゴール(目標金額)の設定。本当は大きく...クラウドファンディングいよいよラストスパートへ!

  • 【原点回帰・オルドスの風】最終回:それから

    時は流れ2001年2月、ボクは再び中国で働くことになった。今度は北京。今度はボランティアではなく、ボランティアをサポートする調整員という立場で仕事をしている。そう、いつかボクの活動を見に来てくれた人がいるが、それと同じように中国各地に散っている80人のボランティアのサポートが仕事。職場の同僚の半分は日本人。後の半分は中国人だが日本語はぺらぺら。職場のすぐ近くの外国人用のマンションで何不自由なく暮らしている。オルドスにはボクは行って以来、ボランティアは派遣されていない。ボランティアの要請もない。だから調整員になっても行く機会がない。オルドスでの3年間は過去のものとなっていた。いい思い出になっていた。2003年春、中国はSARS(重症急性呼吸器症候群)が猛威を振るい、中国全土に約80人のボランティアが派遣されていた...【原点回帰・オルドスの風】最終回:それから

  • 【原点回帰・オルドスの風】第40回:将来に向けて

    1994年3月に、また、早大生がやってきた。このように中身のある交流をきっかけに、文通の輪がまた、広がった。生徒の中にはこういう機会を確実にものにして、2人、3人と文通相手を増やしていった強者もいた。3年の後期、生徒たちは4ヵ月後に受験を控えている。その頃から、自分の将来について熱っぽく語りにくる生徒が多くなってきた。中には日本関係に進みたいという生徒も出てきた。「僕は、今は理系だけど、日本語に興味があるから、1年浪人して、日本語学科を目指す。」という生徒。「今、オルドスでは砂漠化が進んでいて、実家の放牧もこのままでは衰退してしまう。日本に行って砂漠緑化の勉強をし、故郷の発展に役立ちたい。」あるいは「砂漠にあるいろいろな薬草や元素を研究するために、日本に行きたい。」という生徒など。そういった生徒は確かに実力があ...【原点回帰・オルドスの風】第40回:将来に向けて

  • 【原点回帰・オルドスの風】第39回:事件

    ボクの部屋には訪問者が多かった。知り合いはもちろんのこと、まったく面識もない人がよく部屋を訪れた。いきなり部屋に入ってきて、「日本語を教えてほしい」と言ってくる若い女性。「俺は何でもやる。苦労を厭わないから是非日本へ連れて行ってくれ」と言ってくるむさ苦しい男性。「日本のカメラを買ったんだが説明書を中国語に訳してほしい」と言ってくる厚かましいおばさん。断ったり、少し相手をしてみたり、まったく知らない人でも適当に付き合っていた。うっとうしく思うこともたびたびあったが、そういった人たちは自分の希望を素直に伝えに来るだけで、断ってからといって怒ったりしないし、少なくとも悪い人たちではなかった。しかし、当たり前のことだがなかには悪者もいるようで、94年新年早々、こんでもない事件に巻き込まれた。昼の2時半ごろ、その日の午後...【原点回帰・オルドスの風】第39回:事件

  • 【原点回帰・オルドスの風】第38回:史上最大のイベント

    93年10月、東勝から150キロほど離れたクブチ砂漠のオンカクバイというところで日本の植林ボランティアの人々と共同で木を植えるという活動を行った。これは前から是非やりたかったイベントだった。ボランティアの方々に費用を負担していただき、学校側に何度も働きかけた結果、季節的にも、受験を控えている生徒たちにとってもタイムリミットであるこの時期にやっと実現した。ただ物理的な理由から、先生10名、生徒10名しか行けなかったのは残念だった。このボクの活動史上最大のイベントに校長は全面的に協力してくれて、教育局や公安への許認可関係などを一手に引き受けてくれた。10月12日午前10時、校長を団長とした「オルドスモンゴル族中学植林隊」の一行20名はマイクロバスに乗り込み、一路、クブチ砂漠のど真ん中にあるオンカクバイを目指した。バ...【原点回帰・オルドスの風】第38回:史上最大のイベント

  • 【原点回帰・オルドスの風】第37回:任期の延長

    ボランティアの任期は2年だった。しかし、文通や日本の学生との交流も経験したせいか、生徒たちの日本語に対する意欲は高まるばかりだった。それに高校1年から、持ち上がりでずっと教えてきたのですっかり愛着が湧いてきた。ボクはどうせ日本に帰っても何もすることが決まってなかったし、なんとか彼らが卒業するまで見届けたいと思って、任期を1年延長することにした。しかし、生徒たちは高校3年生。中国の受験戦争は日本よりも厳しく、この時期日本語を教えるということは、日本の高校3年生の生徒に教養科目として中国語を教えるようなもので、生徒たちの負担は相当大きい。だから彼らの意志を尊重して、今まで教えてきた2クラスのうち、続けて勉強したい生徒だけを集めて1クラスにして、週5時間の授業を行った。大変なスケジュールの中、50人の生徒が日本語を続...【原点回帰・オルドスの風】第37回:任期の延長

  • 【原点回帰・オルドスの風】第36回:チンギスハン陵

    ジンギスカンは今でもモンゴル族の英雄。その陵はオルドスのほぼ中央のイジンホロというところにある。東勝から南に車で1時間。そう、かのジンギスカンが西夏遠征時に鞭を落としたとされるところ。今は古代のモンゴル宮殿を模した3つのドームを有する巨大な建物が聳え立っている。実際はここにジンギスカンが眠っているわけではないが、年に4回祭事が執り行なわれ、モンゴル民族の聖地となっている。ボクは何度もこの陵を訪れたが、特に早春の祭事を学校の先生たちと見に行ったときは印象深かった。その日は朝から、日本語を勉強している先生とその夫、小学校2、3年くらいの子供と一緒に車をチャーターしてジンギスカン陵へ向かった。車窓から周りを見渡すと東勝の周りのような地層がむき出しの浸食溝はあまり見られない。乾燥した大地に所々木が生い茂っている。アフリ...【原点回帰・オルドスの風】第36回:チンギスハン陵

  • 【原点回帰・オルドスの風】第35回:歴史のこと

    中国で暮らす場合歴史のことはしっかり抑えておかなければいけない。ボランティアとして派遣される前に言われていたことで、特に近代史については一通り勉強しておいた。ただ普段中国で生活していて戦争のことについていろいろ聞かれることはあまりなかった。過去の戦争について謝れと言われたこともないし、謝ったこともない。だが、3年間もいると色々な場面に出くわす。ある日、仲のいい先生のうちに行ったとき、小学校6年生の娘さんとしばらく話をしていたが、その子が何気に「昔、日本人がたくさんの中国人を殺したこと知ってる?」と聞いてきた。すると間髪を置かずにパチンッと乾いた音。隣に座っていた先生が自分の娘の頬っぺためがけて思いっきりビンタしたのであった。その子は一瞬びっくりして動けなかったが見る見るうちに頬っぺたに手形が現れ、泣いて部屋を出...【原点回帰・オルドスの風】第35回:歴史のこと

  • 【原点回帰・オルドスの風】第34回:文通作戦その後

    最初に文通を始めた9人の生徒に届く。日本からの手紙の影響は絶大で、その後も多くの生徒が文通を希望した。ボクもあらゆる機会と捉えて、文通の機会を作った。もちろん交流会の後、早大生との文通も始まった。しかし順調に続いたものもあるが、途絶えたものもある。なぜ途絶えてしまったのか。いろいろ原因はあると思うが、モンゴル族の生徒にとっては日本語で手紙を1枚書くにも、大変な労力を費やす。それに文通とは回を重ねるごとに内容がより深く、細かくなっていくものだが、彼らのその時の日本語のレベルでは、まだそこまで表現できない。このことは、日本の文通相手にとっても、最初は物珍しさで始めた文通が、だんだん物足りなくさせている原因かもしれなかった。ある日、日本の女子高生と文通をしていた53組の「リーダー」が私の部屋にやってきて、文通している...【原点回帰・オルドスの風】第34回:文通作戦その後

  • 【原点回帰・オルドスの風】第33回:日本人との交流

    オルドスは砂漠化が進んでいる。ちょうどボクの活動が始まった91年ごろから、東勝の北西150KMほどのところにあるクブチ砂漠に日本のNGOが入って、砂漠緑化を進めていた。後にNHKの「プロジェクトX」などにも登場される鳥取大学名誉教授の遠山正瑛先生率いる「沙漠緑化実践協会」という団体。ボクはまたとないチャンスとばかりに、そのNGOの方々にボクの生徒たちとの交流を働きかけた。そして交流が実現するときがきた。93年2月、早稲田大学の学生を中心とした「緑の訪中団」10名がクブチ砂漠での砂漠緑化の合間に蒙古族中学を訪れたいとの打診があった。この頃になると、校長を始めとした学校の指導者たちも少しずつボクの活動に理解を示すようになってきた。共にオルドス式宴会を何度もこなしてきた仲、気心が知れてきたということもあるし、2年目か...【原点回帰・オルドスの風】第33回:日本人との交流

  • 【原点回帰・オルドスの風】第32回:大晦日のパーティー

    教室外での生徒との交流はたくさんあった。これは部屋が1年目は校舎、2年目からも生徒の宿舎の近くだったということもあるし、同じような条件で生活をしているので、一体感が沸いてくるのかもしれない。食堂もトイレも同じ、同じように水を汲みに行くし、同じように洗面器で洗濯をしていた。でも、本当にいろいろなことを語り合ったり、深い付き合いができていたのはごく少数だった。基本は日々の授業。あとは僕の部屋で日本語とモンゴル語で話し合ったり、外でバトミントンやサッカーをしたり、ほとんどの生徒とは「淡い交流」が続いた。そんな生徒たちの交流の中でも、毎年楽しみにしていたのが、大晦日のドンチャン騒ぎ。寮生がほとんどのモンゴル族中学の生徒は普段、朝晩は自習だの、夜10時消灯だの、厳しい校則で縛られている。しかし12月31日の大晦日だけは、...【原点回帰・オルドスの風】第32回:大晦日のパーティー

  • 【原点回帰・オルドスの風】第31回:隣のくまさん

    1992年9月ようやくボクの家が完成した。場所は校舎の北側、生徒たちの寮の隣。若手の先生数人と生徒たちが手伝ってくれたので引越しはあっという間に終わった。レンガ造りで外門があり、中庭もある。平屋の建屋は2つに分かれていて奥が僕の部屋、手前が若手の先生、クマさんの部屋だった。僕の部屋の広さは8畳くらい、校舎のときより心持広くなった。台所・シャワー・トイレはない。水道もない。基本的な条件は何も変わっていない。まあ、食堂や水場が近いので少しだけ便利になった。それと働く場所と寝る場所が別々になったので、プライベートは保てるようになった。これは大きい。今後は夜自習の時間に息を潜めて過ごす必要もなくなった。僕の部屋にはお湯を循環させる暖房(暖器)があった。そして暖器のお湯を沸かすのは隣のクマさんの仕事。隣の部屋には石炭を汲...【原点回帰・オルドスの風】第31回:隣のくまさん

  • 【原点回帰・オルドスの風】第30回:指定された教科書

    学校側から指定された教科書は非常に使いにくかった。しかし当時中国の中学高校で日本語を学ぶ場合、必ずその教科書を使わなければならないとのことだった。まあ、教科書はあくまでも日本語を教える上での1つに道具だと割り切って進めていったが、まったくこの教科書に触れないわけにもいかず、教案を考えるときはいつも苦しんだ。まず文が読み物中心で会話調の文章があまり出てこない。時々極端に難しい表現が出てくる。初級の段階で普段あまり使わない単語がどんどん出てくる。たとえば、毛主席・共産党・社会主義といった単語はだいぶ早い段階で出てくる。ちなみに「毛主席」という単語を練習しているとき、みんながいっせいに笑い出した。最初はなぜだかわからなかったが、モンゴル語で「モー(ハイ)」というのは「悪い」という意味になる。発音練習のときボクが「悪い...【原点回帰・オルドスの風】第30回:指定された教科書

  • 【原点回帰・オルドスの風】第29回:文通作戦

    夏休みが終わって、生徒たちは高校2年生。2年目の目標は日本語を学んでいる彼らに何とか実際に日本語を使う喜びを味あわせること。教室の中の活動だけで終わらせたくなかった。いろいろ考えていたが、その第1弾は「文通作戦」。日本の中高生の「モンゴル体験ツアー」の一行が来たとき、学校はまだ夏休み。残念ながらボクの生徒たちとの交流はなかった。しかし、体験ツアーの間、ボクの生徒のことをツアー参加者にしっかり宣伝しておいたところ、そのうちの一人から帰国後手紙が届いた。モンゴル族の生徒と文通がしたいとのこと、これは願ってもないチャンス。さっそく授業中、生徒たちに話して、文通希望者を募った。条件は日本語で手紙を書くこと。これは日本語の勉強を始めて1年ちょっとの生徒たちにとってはかなりの負担である。しかし、すぐに9名の生徒が、日本語で...【原点回帰・オルドスの風】第29回:文通作戦

  • 【原点回帰・オルドスの風】第28回:オルドスの夏

    8月中旬にオルドスに戻った。粗末な部屋だがホッとできる。新学期までに旅の疲れを取っておかなくてはならない。オルドスは高原になっていて東勝は海抜1500mほどのところ。夏の気温はせいぜい30度くらいまでしか上がらない。乾燥していてとても気持ちいい。新学期までの10日間をボクは地元の友人とともにのんびり過ごした。昼間はバドミントンや外でやるビリヤードなどに興じた。ある日、カシミア工場の友人たちと自転車に乗って釣りにいった。自転車で埃っぽい道を1時間。釣り場に着いた。といってもただの養殖池。鯉がいるらしい。見張りのおじさんにいくらか渡すとそのまま釣り場になる。釣れた魚はその晩の夕食になった。オルドスは年間降雨量、200ミリから300ミリの乾燥地帯である。降る時は集中豪雨になる。わずか30分くらいで、乾いた土地が泥沼と...【原点回帰・オルドスの風】第28回:オルドスの夏

  • 【原点回帰・オルドスの風】第27回:夏休みの旅行

    中国に来て1年で迎えた約1ヵ月半の夏休み。冬休みはずっとオルドスで「凍りついていた」ボクにとって初めての旅行の機会。広い中国を縦横に動き回るほかのボランティアたちをよそに、ボクは今回、内モンゴルに的を絞ってみたいと思っていた。内モンゴルだけでも日本の3倍の面積がある。その上交通の便も悪い。とても行きたいところを全部回ることはできない。しかし今回の旅行で、西の砂漠地帯から東に行くに連れて草原が濃くなって、北東にある中国最大の森林地帯「大興安嶺山脈」へと繋がっていく地理をだいたい肌で感じることができた。旅行に出て3日目の夕暮れ時、モンゴル国との国境の小さな町、エレンホトにたどりついた。ここまで来るのに、フフホトから列車で14時間。指定席ではないので、その半分以上は席に座れず、食事も取れず、フラフラの状態。早く宿を決...【原点回帰・オルドスの風】第27回:夏休みの旅行

  • 【原点回帰・オルドスの風】第26回:1年の締めくくり

    6月27日。その学期の最後の授業の日。生徒たちに成績表を渡した。何度も言うが日本語は正式な科目ではない。学校の成績表の中にすら記入してもらえない。そこで1年間、ボクの授業に付き合ってくれた生徒たちに、自作の日本語だけの成績表を渡すことにした。まず、あらかじめ日本にいる親に頼んで100枚ほど富士山の絵はがきを送ってもらった。画用紙を小さく切って作ったシートに今まで行った3回のテストの点数と授業での平常点を加味した10段階の総合成績をゴム印で押し、空いたスペースに150字くらいのコメントをつけた。10段階の評価は独断で付けたがほとんどが6以上になっていた。そしてできた成績表を、親から送ってもらった富士山の絵はがきに張り付けた。とっても簡単なものだったが、100人も生徒がいるので、大変な作業だ。誰にどの絵はがきを渡す...【原点回帰・オルドスの風】第26回:1年の締めくくり

  • 【原点回帰・オルドスの風】第25回:いたずらっ子

    蒙古族中学の生徒たちは基本的にまじめで先生の言うこともよく聞く。日本語の勉強に脱落してしまった生徒も教室ではおとなしくしている。こういう生徒に対しては、時々授業に参加してもらおうとテキストを読むときなどに当てるが、たどたどしいながらもなんとか読むことができる。しかし、100人も教えていたら言わばいたずらっ子的な生徒はいるもので、僕にとって天敵とも言える生徒が一人いた。彼の風貌はあらいぐまそっくり。「いたずらっ子、ラスカル」とこっそりあだ名をつけた。ラスカルは授業で当てると露骨にいやな顔をする。ある日の授業で板書しているとワっと生徒たちが一瞬ざわついたので、振り向くとラスカルが顔を本で隠した。そしてラスカルの頭の上のほうに一筋の煙が立ち昇っていた。明らかにタバコを吸っていたのだ。平静を装い授業を続けたが、実はこの...【原点回帰・オルドスの風】第25回:いたずらっ子

  • 【原点回帰・オルドスの風】第24回:1年目後期の授業

    調整員の視察後、気持ちも吹っ切れて、活動にますます力を入れたが、この学期は生徒に対する授業のことで悩むことになる。初めの半年はあれだけみんな授業についてきていたのだが、この学期から日本語もどんどん難しくなり、離れていく生徒が続出したのだ。いままで全員がボクの授業を楽しみにしていると思っていたのだが、よく見ると寝ている生徒、ほかの本を読む生徒、ただぼっと窓の外を見ている生徒。そういう生徒がだんだん増えてきた。一生懸命わかりやすく教えようと準備に十分時間をかけても、どんどん生徒が離れていくような気がした。授業中に私語をする生徒はいないが、つまらなそうに授業を受けている生徒の顔を見るのはつらい。そういう顔を見るたびにこちらも自信をなくし、テンポよく授業をやっていけなくなる。完全にスランプに陥ってしまった。彼らは大学に...【原点回帰・オルドスの風】第24回:1年目後期の授業

  • 【原点回帰・オルドスの風】第23回:調整員の視察

    オルドスは鉄道もなければ空港もない。通信事情もよくない。いわば陸の孤島だ。ボランティア派遣元のJICA北京事務所に緊急な用事で連絡しようと思ったら、まず、郵便局へ。長距離電話をかけるための手続きを済ませて、後はひたすら待つ。だいたい10人以上待っている。運がよければ30分くらいで呼び出され、電話ボックスに入るとオペレーターが電話をつなげてくれる仕組みになっている。運が悪ければ、2,3時間待つことになる。挙句の果てにボックスに入っても「今は回線の状態が悪いので、明日また来てくれ」と言われたこともあった。そのほか、中国に長期滞在をする場合は必ず必要になる「外国人居留証」の発行は2ヶ月も遅れたし、日本から生活費を送金してもらうための外貨用の銀行口座開設には半年以上もかかった。当時、外国人は中国人が使う人民元ではなく、...【原点回帰・オルドスの風】第23回:調整員の視察

  • 【原点回帰・オルドスの風】第22回:託児所での授業

    蒙古族中学の一角に託児所があった。教職員の1歳から6歳までの子供20人くらいが通っていた。そこの園長先生に、「週に1回5、6歳の子供を対象に日本語を教えてほしい」と頼まれ、とりあえず一度行ってみることにした。グラウンドの西側、教職員住宅の並びの一角にその託児所はある。レンガ造りのフラットで外門をくぐると中庭があって、ちょうどそこで体操や行進の練習をやっていた。部屋は3つあって、それぞれ2歳まで、3,4歳、5,6歳の部屋に分かれていた。ボクは5,6歳の部屋に入った。10人くらいの子供たちが小さな椅子に座って待っている。「老(ラオ)~師(シー)~好(ハオ)」とめちゃくちゃ間延びした挨拶を受けた。さっそく日本語に取り掛かる。まず、「こんにちは」「さようなら」などの簡単な挨拶言葉。みんな手を後ろに組んで不自然なほど姿勢...【原点回帰・オルドスの風】第22回:託児所での授業

  • 【原点回帰・オルドスの風】第21回:夜の授業

    2月24日から後期の授業が始まった。オルドスに来てちょうど半年、コミュニケーションもある程度できるようになり、友だちも増えて、生活にも慣れて、活動に本腰で取り組む体制が整ってきた。この学期から週に3回、夜7時半から9時まで蒙古族中学の先生や、一般社会人を対象にした日本語講座が始まった。もともとモンゴル族は日本にとても興味を持っていて、前から日本語を教えてほしいといったリクエストがあったのと、将来、ボクが帰国した後もこの学校に日本語教育がしっかりと根付くようにとの思いで始めたものだった。とはいっても、夜間クラスの受講生のほとんどがこの学校の先生。まだ若く教師としての経験もほとんどないボクがこの学校の「先生の先生」としてやっていけるのか不安もあった。最初の授業。あいさつなど短いフレーズから始めたが、とてもやりずらい...【原点回帰・オルドスの風】第21回:夜の授業

  • 【原点回帰・オルドスの風】第20回:オルドスでの冬修行

    冬休みは学校の食堂も閉まっているので、当初ボクは学校の外で食事をしていた。そのうち学校の敷地内に住んでいる先生たちが「それでは不便だろう」と代わるがわるボクを家に招いてくれるようになった。一日に一軒、毎日昼と夜、食事をご馳走になる。といってもほとんどは今まで話したことのない先生方ばかり。どう交流していけばいいか、お互いに手探り状態。ある日の11時頃、ボクの部屋のドアをたたく音。開けてみると8歳くらいの女の子が立っていた。色白で赤い頬っぺた、アルプスの少女ハイジを思い出す。「あなた日本人でしょう。パパが呼んでるから来て。」ボクはハイジに手を引かれてその先生のうちへ。ほとんど共通の話題がない中、まずはハイジが話題を提供してくれる。「これは日本語でなんて言うの?」「ハシ」、「ハシ?」「それじゃ、橋だよ。そうじゃなくて...【原点回帰・オルドスの風】第20回:オルドスでの冬修行

  • 【原点回帰・オルドスの風】第19回:オルドスの春節

    1992年1月17日から冬休みに入った。寮に住んでいた生徒たちは、終業式もせず、この日の朝、長距離バスに乗って何百キロも離れたそれぞれのふるさとへ帰っていった。ボクも冬休みは、親しくなった先生や生徒のふるさとを訪ねて過ごそうと思っていた。オルドスに来て半年経ったが、ボクはここ東勝の町以外どこにも行っていなかった。せっかく蒙古族中学に派遣されながら、彼らの本当の生活、牧民の生活については何も知らなかった。いつか見てみたいと常々思っていた。しかし当時そういった地域はすべて未開放地区。外国人が未開放地区に行く場合、通行許可証を申請しなければならない。ということで町の公安局に許可証の申請に行ったが、冬は安全面においても健康面においても危険が大きいということで、許可してもらえなかった。友人の家を訪ねるというごく当たり前の...【原点回帰・オルドスの風】第19回:オルドスの春節

  • 【原点回帰・オルドスの風】第18回:落ち込んだ時

    オルドスに来て最初の半年は言葉もわからず、生活するのも大変、その上学校からはボクの活動は軽視されていた。なぜこんなところに来てしまったのだろう。どうしてこんなに日本語を必要としていないところに日本語教師として来てしまったのだろう。大連や北京など、もっと日本語が必要とされているところはいくらでもあるはず。こんなつらい時期にボクを支えてくれたのは生徒たちだったといっても過言ではない。とにかくどんなに落ち込んでいても、授業をすることによって立ち直ることができた。あのバカでかい声でボクを励ましてくれるのだった。ただ、生徒たちがすべてを救ってくれるわけではない。ある日のこと。授業の段取りが悪く、生徒のノリもイマイチ。おまけに1日中誰も僕の部屋を訪れなかった。その前の日までは生徒がひっきりなしにボクの部屋に来ていたので、日...【原点回帰・オルドスの風】第18回:落ち込んだ時

  • 【原点回帰・オルドスの風】第17回:ボランティアって?

    活動を始めて半年間は言葉に不自由し、生活の不便さに閉口し、食事も口に合わず、寒さと乾燥のためよく風邪を引いていた。ただそのようなことは前から予想していたことだし、慣れてくれば、そう辛くは感じないものだ。その時一番辛かったのは、前に触れた「プライベートがない」こと、そして「周りの人がボクが何のために来たのか、まったく理解してくれない」ことだ。「ボランティア」ということを理解してもらおうにも、当時中国語でそれにふさわしい言葉がなかった。辞書で「ボランティア」を引いても「義務労働」という訳しかない。たぶん「金銭を受け取らない労働」を中国の実情に合わせたらこの訳になったのだろうが、これはどう考えても違う。ということで当初、周りの人はボクのことを「モンゴル語を勉強しに来た学生」あるいは「事情があって日本を追われてきたかわ...【原点回帰・オルドスの風】第17回:ボランティアって?

  • 【お知らせ】「塩を売って緑を買う男」クラウドファンディングに挑戦!

    今年は原点回帰の年、ということでオルドスでの体験談を綴ったり、写真を整理したりしていますが、この度、クラウドファンディングにも挑戦することになりました。砂漠緑化に取り組んで15年、これまでひたすら木を植えてきましたが、今年からいよいよ本格的に緑化した土地を利用した有機農業に取り組んでいきます。今度、この事業を10年20年50年と続けていくためにご協力をよろしくお願いします!タイトル:黄砂を止めよ!砂漠を緑に!~「塩を売って緑を買う男」15年目の挑戦~https://camp-fire.jp/projects/view/156785【お知らせ】「塩を売って緑を買う男」クラウドファンディングに挑戦!

  • 【原点回帰・オルドスの風】第16回:学校外の交流

    オルドスでの生活が進むにつれて、学校以外にも友人ができていった。その中でもカシミヤ工場の数人の日本関係スタッフや旅行社の人などは日本語が話せたので何かと面倒を見てくれて、本当に心強かった。日本語のことを重視してくれない学校の先生たちに比べて、ボクのことをよく理解してくれた。何より日本語で交流できるのがうれしい。ある日の夕方、旅行社の日本語を話せる人がボクを誘いに来た。「日本のビデオが手に入ったから見に来ないか。」喜んでその人のうちに向かった。舗装されていないがたがた道を自転車で15分、その人のうちに着いた。その人は日本留学経験があり、日本のこともよく知っている。そこで奥さんの手料理をつまみながら、日本のビデオを見た。ビデオの中身は日本のTV番組。バラエティーやドラマなど3時間ぶっ通しで見た。久しぶりの日本の番組...【原点回帰・オルドスの風】第16回:学校外の交流

  • 【原点回帰・オルドスの風】第15回:学校にとっての日本語

    赴任のときに校長が言っていた「ボクの家」は全く建つ気配がない。生徒用の教科書も買う気がないようだ。ここで言う「2、3ヶ月で用意する」というのは日本の「前向きに検討する」というのといっしょで「やらない」ということだと悟った。日本語などどうでもいい、とにかくボクを無事に日本に帰すことだけを考える学校側の態度に強い不満を持っていた。中間テストの時期、日本語もテストをやるのか教務主任に聞きに行ったことがある。「もちろんだ。」と言っておもむろにカレンダーを見て「13日の午後にしよう」と言ってくれた。それまでちょうど1週間しかない。次の日さっそく試験のことを生徒に伝えた。生徒たちにとっては始めての外国語の試験。日頃まじめにやっている生徒がいい点を取れるようにしたい。試験3日前にガリ版で試験問題を書き終え、印刷室に持っていっ...【原点回帰・オルドスの風】第15回:学校にとっての日本語

  • 【原点回帰・オルドスの風】第14回:日本の歌

    授業は相変わらず快調に続けていったが、毎回同じ流れで進んでいた。新出単語の紹介、文型練習、応用練習、本文音読、最後にその日の学習項目のまとめ。少々ワンパターン気味。45分間に少し変化を持たせたいと思い、日本の歌を紹介することにした。日本の歌は演歌からJポップ、童謡までいろいろな種類のテープを日本から持ってきていたが、最初にどの歌を紹介するか、悩むところである。本当は日本の高校生が好むようなJポップやアイドル系の歌を紹介したかった。日本で流行っているからといってこちらの生徒が好むとは限らないが、同じ世代の日本人が好む曲を知ることが異文化理解につながるのでは、と思ったからだ。しかし、彼らはもともと日本に興味を持って日本語を学習しているわけではない。日本の歌を紹介して「なんだこれは?」と思わせてしまったら、結果的に彼...【原点回帰・オルドスの風】第14回:日本の歌

  • 【原点回帰・オルドスの風】第13回:冬の生活

    オルドスの冬は寒い。冬の最低気温はマイナス15度くらい。時にはマイナス30度にもなる。それにとても風が強く、体感温度はさらに低い。気をつけなければいけないのは、「寒流」が来るとき。突然風が強くなり、数時間で気温が十数度下がる。風が強い日に出かけるとき、同僚から「耳を落とすなよ」とよく言われたものだ。しっかり耳当てをしていないと本当に落ちてしまうらしい。そして寒さよりいやなのが「砂」。風が吹くと近くの砂漠からすぐ砂が飛んでくる。大粒の砂は顔に当たって痛い。目も開けられない。それと細かい砂もたくさん飛んできて、服の上からどんどん中へ入り込む。部屋は2重窓だが、そこにも容赦なく入り込む、何だか毛穴のなかにも入ってきそうで息苦しい。校舎はお湯を循環させる集中暖房があるので、昼間、部屋にいるときは問題ない(夜は暖房が冷め...【原点回帰・オルドスの風】第13回:冬の生活

  • 【原点回帰・オルドスの風】第12回:映画館での出来事

    オルドスの人の娯楽というとなんと言っても映画。ボクもよく先生や生徒や学校以外の友人に誘われて映画を見に行った。冬のある日曜日。夕食を終えて、男子生徒たちに誘われて映画を見に行った。時々生徒や先生に映画券が配られる。金を払っても1元か2元だが、その時はただで映画が見られる。街のメインストリートに面した、東勝で一番大きな映画館に行った。けっこう広い。1000人は入れそうだ。そしてけっこう席が埋まっていた。椅子は木でできていた。2時間も座っているとお尻が痛くなりそうだ。何よりも暖房が効いていない。待ち時間にはひまわりの種を食べる。生徒のポケットにはいつでもこれが入っている。ちょっと暇があるとすぐ取り出して食べる。中国では暇なとき割って食べるから「暇割」か、と思うくらいいつでも出てくる。「センセイ、どうぞ」と一掴みもら...【原点回帰・オルドスの風】第12回:映画館での出来事

  • 【原点回帰・オルドスの風】第11回:銭湯の話

    *銭湯の写真がないのでここでもオルドスの子どもの写真を載せておきます。ボクの部屋にはシャワーがない。髪はお湯を張った洗面器とマグカップとバケツを使い、部屋で洗うことができた。体を洗いたいときは町の銭湯に行くしかない。自転車を飛ばして10分くらいのところにある銭湯に通っていた。オルドスは乾燥していたので、銭湯には週に1回くらいで十分だった。それでも地元の人より数倍は通っていた。寮生活をしている生徒たちは、普段昼間の暖かいうちに濡れタオルで体を拭き、夜、足を洗うらしい。ある日の授業で連続動作の「~て」を使った文を作らせたことがある。「みなさん、寝る前に何をしますか。」その場で口頭で答えさせる。みんな覚えた単語を駆使して文を考える。そして発表。まず一人目、「わたしは・・・、日記を書いて・・・、う~ん、歯を磨いて、足を...【原点回帰・オルドスの風】第11回:銭湯の話

  • 【原点回帰・オルドスの風】第10回:トイレの話

    *トイレの写真はないのでオルドスの子どもたちの写真を載せておきます。ボクの部屋にはトイレがない。だから用を足すときは、外の公衆トイレに行くしかない。中国の一般的なトイレは、男女は明確に分かれているものの、同姓同士ではオープンで大便用の個室などはない。あるのは長方形の穴のみ。しかも職員用のトイレといったものもない。当然生徒たちの前で大きいのを出さなければならないことだってある。初めは、生徒たちの前でズボンを下ろして「考える人」になるのに屈辱すら覚えた。しかし生徒のほうはあっけらかんとしているので、ボクもそういうものかと割り切って、「中国式トイレ」に割と早く慣れていった。ある日トイレでしゃがんでいると、頭がボサボサでちょっと風来坊っぽい生徒「武蔵」がボクの横に座ってきた。そして、おもむろにボクが授業のときに渡したガ...【原点回帰・オルドスの風】第10回:トイレの話

  • 【原点回帰・オルドスの風】第9回:怖い話

    *本文とは関係ありませんが、よく部屋に遊びに来てくれた子供の写真を載せています。校舎は夜の9時半を境に不気味な静寂と暗闇に包まれる。それ以前とは全く違った世界となる。ボクは日本でも大学時代はずっと一人暮らしだった。しかし4畳半の狭いアパートに住んでいたので、夜は隣の電話の音やテレビの音に多少なりとも悩まされた。ここの夜は一人ぼっち。部屋の外は真っ暗で何も聞こえない世界。怖い夢もよく見たが、中でもはっきり覚えていることがある。ある日の土曜日、仲のいい先生がボクの部屋にやってきて、「今から知り合いの葬式に行くが、君も来ないか」と言われた。全然知らない人の葬式に行っても意味がないし、面倒だったので断った。「それじゃ、君のカメラだけでも貸してくれないか」といってくるので、小型のカメラを貸してあげた。翌日、日曜の夜、彼が...【原点回帰・オルドスの風】第9回:怖い話

  • 【原点回帰・オルドスの風】第8回:ボクの部屋

    ボクの部屋は校舎の2階の西の隅っこにある6畳ほどの空間。窓からの眺めはいい。運動場がよく見える。特に朝7時から全校生徒がクラスごとにグラウンドを3周走る姿と、午前中2時間目と3時間目の間に全校生徒が教室から一斉に出てきてラジオ体操のようなものをやっている姿を見るのが好きだった。しかし、ボクの部屋にはトイレ、シャワーはもちろん水道すらない。毎日、朝一番の日課は水汲み。20リットル入りのポリバケツを持って校舎から200メートルほど行ったところにある食堂のそばの水場に行って汲んで来る。その水を電気湯沸かし器で沸かしてお茶を飲んだりもすれば洗濯もする。髪を洗ったりもする。日本では考えられない生活だが、人間大抵のことは慣れるもので、そんなに大変とは思わなくなった。ただどうしても慣れなかったことがあった。それはプライベート...【原点回帰・オルドスの風】第8回:ボクの部屋

  • バンベン号の交代

    4月30日(火)世の中は「平成」から「令和」に向かって大きく動き出している中、バンベンでも大きな変化が・・・。雨の中、バンベン号に乗ってトヨタの販売店へ。13年一緒に歩んできた2代目バンベン号とも今日でお別れ。13年間17万キロ。来年3月まで車検があるのでそのタイミングで新車と交代させたかったのだが、ツルツルのタイヤや弱くなったバッテリーなど来年まで乗り続けるといろいろメンテ費用もかかる。資金的にはきつかったが、この時期の新車購入となった。バンベン号は人だけじゃなく塩(商品)も運ばなければならない。安全性と容量と快適性を考慮し購入したのがサクシード(ちなみに1代目は中古の軽ワゴン)。ある時は商品や長机を目いっぱい積んで展示会に挑んだ。またある時は車中泊をしながら九州営業の旅に出かけた。家族ができてからは保育園送...バンベン号の交代

  • 【原点回帰・オルドスの風】第7回:その後の授業

    授業が始まって1週間後、待望の教科書が届いた。といっても届いたのはボクの分のみ。「生徒の分は今注文しているが、届くまで2,3ヶ月かかる。それまで蝋紙を使ってくれ。」と教務主任からあっさり言われた。「蝋紙?」教務主任から渡されたのはガリ版用紙。「君はこれを使ったことがないだろうから、特別に使いやすいものを買ってきた。大切に使いなさい。」と蝋紙の束を置いていった。ガリ版を切るのはやぶさかではないが、ボクは小さい頃から字が下手で有名だった。そんなボクの字が書かれたプリントを使って日本語を勉強しなければならない生徒たちは不幸だ。とにかく早く教科書が生徒の手に渡ってほしいと願うしかない。最初の半年間は、とにかく生徒たちの授業のためだけを考えて活動を進めていた。そして生徒たちも本当によくボクの授業についてきてくれた。授業中...【原点回帰・オルドスの風】第7回:その後の授業

  • 【原点回帰・オルドスの風】第6回:アンケートの結果

    部屋に戻り、しばらく授業の余韻に浸っていた。なんだかバタバタしてしまい落ち着きのない授業だったが、思った以上に生徒たちが声を出してくれたので満足だった。しかし、今日何気なく当てた子にはかわいそうなことをしてしまった。「しぐさはおしとやか。顔がすぐ真っ赤になるから『りんご姫』だな。」勝手にあだ名をつけてしまった。実際100人の生徒を区別するためにはあだ名をつけるのが一番手っ取り早い。その後ゆっくり1つずつアンケート結果を見た。まず、生徒一人一人の名前にびっくり。普通中国人の名前は漢字2、3文字のはずだが、蒙古族の名前はやたら長い。例えば「吉拉嗄拉吉吉格」。これで「ジラガラジジガ」と読む。そのほかにも「ウドンガリラ」、「アラタンウラ」、「ウユンブラゲ」などまるで恐竜か或いはプランクトンの名前。後でわかったことだがモ...【原点回帰・オルドスの風】第6回:アンケートの結果

  • 【原点回帰・オルドスの風】第5回:最初の授業

    部屋ではひたすら授業のことを考えていた。高校で言わば第二外国語のような形で日本語を教えることになる。週に4時間だけでは2年教えてもとても話せるようにはならないだろう。では、何のために日本語を教えるのか?到達目標は?どんなやり方で???。日本にいるときアルバイトで一年ほど日本語を教えていたが、1クラス10~20名、日本の大学に入るという明確な目的があったので教えやすかった。ここでは、いくら考えても授業のイメージが沸いてこない。それに加え、蒙古族といえば騎馬民族でジンギスカンの末裔、豪快で荒々しいというイメージを持っていた。しかも相手はいたずら盛りの高校生。小柄で童顔のボクがはたして教師としてやっていけるのか。考えているうちにだんだん不安になってくる。「日本語教師、生徒にいじめられて帰国」といった新聞の見出しが何度...【原点回帰・オルドスの風】第5回:最初の授業

  • 【原点回帰・オルドスの風】第4回:町の様子

    【原点回帰・オルドスの風】~塩を売って緑を買う男の始まりの物語~第4回:町の様子その後、新学期が始まるまでの1週間はオルドス式宴会もなく、自転車で小さな東勝の町をぐるぐる回ったり、日本語の授業の教案作りなどをして過ごした。東勝は自転車で15分走れば端から端へたどり着いてしまうほどの小さな町。カシミヤと石炭が有名だそうだ。北のはずれにモンゴル族中学があり、南のはずれにカシミヤ工場がある。当時は信号機が1か所。しかも壊れていた。車が非常に少なく、車道には自転車とロバ車が幅を利かせていた。モンゴル族中学から自転車で10分行ったところにメインストリートがありデパートが2件、郵便局、銀行、レストラン、映画館などが立ち並ぶ。とりあえず生活用品などを買おうとデパートに入ってみた。デパートといってもだいぶ小規模で中は薄暗い。モ...【原点回帰・オルドスの風】第4回:町の様子

  • 【原点回帰・オルドスの風】第3回:学校の様子

    【原点回帰・オルドスの風】~塩を売って緑を買う男の始まりの物語~第3回:学校の様子翌朝、頭が割れそうに痛い。オルドスに来る前に北京で1ヶ月間、語学を中心とした訓練があった。しかし、ボクには語学以外に訓練しなければならないものがあった。それはバイチュウ。先輩のボランティアから「内モンゴルではバイチュウが飲めなければやっていけない。」そう脅されたボクはすぐにスーパーに行き、バイチュウ売り場へ直行した。どうせ味はわからない。安いのでいいや、と一番安いバイチュウを買って帰った。その日の晩、寝る前にバイチュウのキャップを開けた。そのキャップにバイチュウを注ぎ、一口、グイッとやってみた。化粧品と洗剤を混ぜたような味、強烈な匂い。みるみる冷や汗が出てきて、そのままフラフラとベッドに倒れた。次の日はかなりの高熱が出た。その上腹...【原点回帰・オルドスの風】第3回:学校の様子

  • 【原点回帰・オルドスの風】第2回:オルドス式宴会

    【原点回帰・オルドスの風】~「塩を売って緑を買う男」の始まりの物語~第2回:オルドス式宴会ジープでの6時間の旅を終え、ボクの受入先である「オルドスモンゴル族中学」に着いた、もう日は暮れかかっていた。とりあえず学校の近くの「招待所」と呼ばれる安宿にチェックイン。部屋の中でしばらく途方にくれていた。「大草原は何処へ。」そうしているとモンゴル族中学の校長先生がやって来た。どっしりとした風貌、浅黒い顔、まさにボクが想像していた典型的なモンゴル族だ。簡単に挨拶するとすぐに招待所の食堂に連れて行かれた。そこには学校の指導者や地方政府の関係者など10人ほどが集まっていた。「お茶を飲みなさい。これはモンゴル族が好むスーテイチェイ(ミルクティー)だ。」隣に座った校長に勧められるまま、お碗に入ったお茶を飲んでみた。「ん?しょっぱい...【原点回帰・オルドスの風】第2回:オルドス式宴会

  • 【原点回帰・オルドスの風】第1回:オルドスへ

    【原点回帰・オルドスの風】~「塩を売って緑を買う男」の始まりの物語~新年度が始まり、オルドスでも小城でも新しい取り組みがいよいよ本格的にスタートします。しかし今年度のテーマは「原点回帰」。28年前に青年海外協力隊でオルドスに派遣されたことで人生が劇的に方向転換し、今に至っています。もう一度初心に立ち返るためにオルドスでの3年間を振り返ろうと思います。全40回、長編小説並みの長さになりますが、お時間のある時にお付き合いいただけたらと思います。よろしくお願いします!第1回:オルドスへ1991年夏、中国内モンゴル自治区。ボクは夜行列車で15時間。北京から内モンゴルの首府フフホトへ。そこから1台のジープに乗り込み、オルドスを目指す。右手に岩肌がむき出しになった陰山山脈、左手には一面のひまわり畑、バス・トラクター・馬車・...【原点回帰・オルドスの風】第1回:オルドスへ

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