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ブログタイトル
塩を売って緑を買う男・バンベンの日記
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/banben11
ブログ紹介文
塩や重曹を売りながら内モンゴル・オルドスの砂漠緑化を進めるバンベンの奮闘記。商品についてはHP(バンベンで検索)まで!
更新頻度(1年)

48回 / 295日(平均1.1回/週)

ブログ村参加:2019/04/03

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バンベンさん
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塩を売って緑を買う男・バンベンの日記
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塩を売って緑を買う男・バンベンの日記

バンベンさんの新着記事

1件〜30件

  • 九州ソーシャルビジネスフォーラムに参加

    8月25日(日)8時半に那珂川の妻の実家に健を預けて妻と2人で天神のフォーラム会場へ。今年で11回目となる九州ビジネスフォーラム。確か2009年の第2回の時に面白そうだということで参加。第3回の時はプレゼンをさせてもらい、そこからソーシャルビジネスのつながりが広がり、バンベンの売上・知名度も上がっていった。とても有難いイベント。以後、ほとんど毎年参加しているが、今年は久々にプレゼンの機会も与えていただいた。今年はプレゼンテーターが36人。9:30から19:00までと長丁場。これだけ長いと途中で飽きたりダレたりするだろうと思いきや、皆さんやっていることが面白い。素晴らしい。それぞれ個性的でずっと聴いていても飽きない。バンベン事業に参考になる。自分の存在が小さく感じられる。僕の出番は最後のほうの17時すぎから。妻は...九州ソーシャルビジネスフォーラムに参加

  • 箱わな再開

    8月1日(木)午前中はわなの整備。4月から箱わなを仕掛けたもののイノシシは全然かからず、小動物(多分アライグマ)がわなに入った形跡はあったが、隙間から逃げられたらしい。最近はほぼほったらかし状態だったが、今月から再び気合を入れなおす。まずは箱わなを仕掛けなおし、新しい餌を撒く。次に新兵器「アラホール」を設置。箱わなに括り付けた。今年の目標はイノシシ10頭だったが、今は「とりあえずアライグマ1匹でも・・・」という感じ。とにかく何かを捕まえないと始まらない。昼は小城鍋島家tenで中園さん家族とランチ。来年に向けていろいろコラボできそうだ。夜は佐賀市で体験塾のセミナー。少人数だったのでじっくり深くワークショップができた。今「小城農泊推進協議会」で進めている「神々の郷プロジェクト」構想を披露。今までになかった面白い体験...箱わな再開

  • 天山へ

    7月31日(水)来月からいよいよ小城での活動が本格化する、ということで今日はなぜか天山へ。上宮駐車場から登り始めた。駐車場までは何回か来たが登るのは初めて。標高差200m。結構ハード。40分ほどでやっと頂上へ。ちょっと休憩して、東側の尾根を1kmほど歩いた。この辺でドローンを飛ばしたいところ。しかし風がけっこう強い。とりあえず少しだけ飛ばしてみた。案の定、下から雲がどんどん湧いてきて何も見えない。ドローンも一時、操縦不能になって焦った。何とか狭い遊歩道の平らなところに着陸させた。しばらく待ったら、雲がなくなってきたので、果敢に2回目のフライト。今度は山の斜面がよく見える。広葉樹林を谷沿いに進めていくと、謎の巨石群。「これだ!」今日はここまで。下りのほうがつらい。足がガクガク。減量して鍛えなおさなければ・・・。と...天山へ

  • クラウドファンディングいよいよラストスパートへ!

    5年くらい前に勉強会に参加して以来、いつかは挑戦してみたかったクラウドファンディング。今年は活動15周年の節目の年。しかも現地で有機農業に本格的に取り組む転換期でもある。タイミングはバッチリ。しかし20%近く取られる手数料、失敗したときのリスク(恥ずかしさややる気の低下)などがネックになってなかなか踏み出せなかった。しかしある情報を経て一気にやる気になった。それはクラウドファンディング会社Campfireの手数料無料キャンペーン。5月中にプロジェクトを起こせば手数料無料とのこと。手数料という一番のネックがなくなって俄然やる気が出た。プロジェクトの起案はさほど苦労はなかった。いつも出前講座で話しているものを手直しして使えばいいし、リターン(商品)もそろっている。一番迷ったのはゴール(目標金額)の設定。本当は大きく...クラウドファンディングいよいよラストスパートへ!

  • 【原点回帰・オルドスの風】最終回:それから

    時は流れ2001年2月、ボクは再び中国で働くことになった。今度は北京。今度はボランティアではなく、ボランティアをサポートする調整員という立場で仕事をしている。そう、いつかボクの活動を見に来てくれた人がいるが、それと同じように中国各地に散っている80人のボランティアのサポートが仕事。職場の同僚の半分は日本人。後の半分は中国人だが日本語はぺらぺら。職場のすぐ近くの外国人用のマンションで何不自由なく暮らしている。オルドスにはボクは行って以来、ボランティアは派遣されていない。ボランティアの要請もない。だから調整員になっても行く機会がない。オルドスでの3年間は過去のものとなっていた。いい思い出になっていた。2003年春、中国はSARS(重症急性呼吸器症候群)が猛威を振るい、中国全土に約80人のボランティアが派遣されていた...【原点回帰・オルドスの風】最終回:それから

  • 【原点回帰・オルドスの風】第40回:将来に向けて

    1994年3月に、また、早大生がやってきた。このように中身のある交流をきっかけに、文通の輪がまた、広がった。生徒の中にはこういう機会を確実にものにして、2人、3人と文通相手を増やしていった強者もいた。3年の後期、生徒たちは4ヵ月後に受験を控えている。その頃から、自分の将来について熱っぽく語りにくる生徒が多くなってきた。中には日本関係に進みたいという生徒も出てきた。「僕は、今は理系だけど、日本語に興味があるから、1年浪人して、日本語学科を目指す。」という生徒。「今、オルドスでは砂漠化が進んでいて、実家の放牧もこのままでは衰退してしまう。日本に行って砂漠緑化の勉強をし、故郷の発展に役立ちたい。」あるいは「砂漠にあるいろいろな薬草や元素を研究するために、日本に行きたい。」という生徒など。そういった生徒は確かに実力があ...【原点回帰・オルドスの風】第40回:将来に向けて

  • 【原点回帰・オルドスの風】第39回:事件

    ボクの部屋には訪問者が多かった。知り合いはもちろんのこと、まったく面識もない人がよく部屋を訪れた。いきなり部屋に入ってきて、「日本語を教えてほしい」と言ってくる若い女性。「俺は何でもやる。苦労を厭わないから是非日本へ連れて行ってくれ」と言ってくるむさ苦しい男性。「日本のカメラを買ったんだが説明書を中国語に訳してほしい」と言ってくる厚かましいおばさん。断ったり、少し相手をしてみたり、まったく知らない人でも適当に付き合っていた。うっとうしく思うこともたびたびあったが、そういった人たちは自分の希望を素直に伝えに来るだけで、断ってからといって怒ったりしないし、少なくとも悪い人たちではなかった。しかし、当たり前のことだがなかには悪者もいるようで、94年新年早々、こんでもない事件に巻き込まれた。昼の2時半ごろ、その日の午後...【原点回帰・オルドスの風】第39回:事件

  • 【原点回帰・オルドスの風】第38回:史上最大のイベント

    93年10月、東勝から150キロほど離れたクブチ砂漠のオンカクバイというところで日本の植林ボランティアの人々と共同で木を植えるという活動を行った。これは前から是非やりたかったイベントだった。ボランティアの方々に費用を負担していただき、学校側に何度も働きかけた結果、季節的にも、受験を控えている生徒たちにとってもタイムリミットであるこの時期にやっと実現した。ただ物理的な理由から、先生10名、生徒10名しか行けなかったのは残念だった。このボクの活動史上最大のイベントに校長は全面的に協力してくれて、教育局や公安への許認可関係などを一手に引き受けてくれた。10月12日午前10時、校長を団長とした「オルドスモンゴル族中学植林隊」の一行20名はマイクロバスに乗り込み、一路、クブチ砂漠のど真ん中にあるオンカクバイを目指した。バ...【原点回帰・オルドスの風】第38回:史上最大のイベント

  • 【原点回帰・オルドスの風】第37回:任期の延長

    ボランティアの任期は2年だった。しかし、文通や日本の学生との交流も経験したせいか、生徒たちの日本語に対する意欲は高まるばかりだった。それに高校1年から、持ち上がりでずっと教えてきたのですっかり愛着が湧いてきた。ボクはどうせ日本に帰っても何もすることが決まってなかったし、なんとか彼らが卒業するまで見届けたいと思って、任期を1年延長することにした。しかし、生徒たちは高校3年生。中国の受験戦争は日本よりも厳しく、この時期日本語を教えるということは、日本の高校3年生の生徒に教養科目として中国語を教えるようなもので、生徒たちの負担は相当大きい。だから彼らの意志を尊重して、今まで教えてきた2クラスのうち、続けて勉強したい生徒だけを集めて1クラスにして、週5時間の授業を行った。大変なスケジュールの中、50人の生徒が日本語を続...【原点回帰・オルドスの風】第37回:任期の延長

  • 【原点回帰・オルドスの風】第36回:チンギスハン陵

    ジンギスカンは今でもモンゴル族の英雄。その陵はオルドスのほぼ中央のイジンホロというところにある。東勝から南に車で1時間。そう、かのジンギスカンが西夏遠征時に鞭を落としたとされるところ。今は古代のモンゴル宮殿を模した3つのドームを有する巨大な建物が聳え立っている。実際はここにジンギスカンが眠っているわけではないが、年に4回祭事が執り行なわれ、モンゴル民族の聖地となっている。ボクは何度もこの陵を訪れたが、特に早春の祭事を学校の先生たちと見に行ったときは印象深かった。その日は朝から、日本語を勉強している先生とその夫、小学校2、3年くらいの子供と一緒に車をチャーターしてジンギスカン陵へ向かった。車窓から周りを見渡すと東勝の周りのような地層がむき出しの浸食溝はあまり見られない。乾燥した大地に所々木が生い茂っている。アフリ...【原点回帰・オルドスの風】第36回:チンギスハン陵

  • 【原点回帰・オルドスの風】第35回:歴史のこと

    中国で暮らす場合歴史のことはしっかり抑えておかなければいけない。ボランティアとして派遣される前に言われていたことで、特に近代史については一通り勉強しておいた。ただ普段中国で生活していて戦争のことについていろいろ聞かれることはあまりなかった。過去の戦争について謝れと言われたこともないし、謝ったこともない。だが、3年間もいると色々な場面に出くわす。ある日、仲のいい先生のうちに行ったとき、小学校6年生の娘さんとしばらく話をしていたが、その子が何気に「昔、日本人がたくさんの中国人を殺したこと知ってる?」と聞いてきた。すると間髪を置かずにパチンッと乾いた音。隣に座っていた先生が自分の娘の頬っぺためがけて思いっきりビンタしたのであった。その子は一瞬びっくりして動けなかったが見る見るうちに頬っぺたに手形が現れ、泣いて部屋を出...【原点回帰・オルドスの風】第35回:歴史のこと

  • 【原点回帰・オルドスの風】第34回:文通作戦その後

    最初に文通を始めた9人の生徒に届く。日本からの手紙の影響は絶大で、その後も多くの生徒が文通を希望した。ボクもあらゆる機会と捉えて、文通の機会を作った。もちろん交流会の後、早大生との文通も始まった。しかし順調に続いたものもあるが、途絶えたものもある。なぜ途絶えてしまったのか。いろいろ原因はあると思うが、モンゴル族の生徒にとっては日本語で手紙を1枚書くにも、大変な労力を費やす。それに文通とは回を重ねるごとに内容がより深く、細かくなっていくものだが、彼らのその時の日本語のレベルでは、まだそこまで表現できない。このことは、日本の文通相手にとっても、最初は物珍しさで始めた文通が、だんだん物足りなくさせている原因かもしれなかった。ある日、日本の女子高生と文通をしていた53組の「リーダー」が私の部屋にやってきて、文通している...【原点回帰・オルドスの風】第34回:文通作戦その後

  • 【原点回帰・オルドスの風】第33回:日本人との交流

    オルドスは砂漠化が進んでいる。ちょうどボクの活動が始まった91年ごろから、東勝の北西150KMほどのところにあるクブチ砂漠に日本のNGOが入って、砂漠緑化を進めていた。後にNHKの「プロジェクトX」などにも登場される鳥取大学名誉教授の遠山正瑛先生率いる「沙漠緑化実践協会」という団体。ボクはまたとないチャンスとばかりに、そのNGOの方々にボクの生徒たちとの交流を働きかけた。そして交流が実現するときがきた。93年2月、早稲田大学の学生を中心とした「緑の訪中団」10名がクブチ砂漠での砂漠緑化の合間に蒙古族中学を訪れたいとの打診があった。この頃になると、校長を始めとした学校の指導者たちも少しずつボクの活動に理解を示すようになってきた。共にオルドス式宴会を何度もこなしてきた仲、気心が知れてきたということもあるし、2年目か...【原点回帰・オルドスの風】第33回:日本人との交流

  • 【原点回帰・オルドスの風】第32回:大晦日のパーティー

    教室外での生徒との交流はたくさんあった。これは部屋が1年目は校舎、2年目からも生徒の宿舎の近くだったということもあるし、同じような条件で生活をしているので、一体感が沸いてくるのかもしれない。食堂もトイレも同じ、同じように水を汲みに行くし、同じように洗面器で洗濯をしていた。でも、本当にいろいろなことを語り合ったり、深い付き合いができていたのはごく少数だった。基本は日々の授業。あとは僕の部屋で日本語とモンゴル語で話し合ったり、外でバトミントンやサッカーをしたり、ほとんどの生徒とは「淡い交流」が続いた。そんな生徒たちの交流の中でも、毎年楽しみにしていたのが、大晦日のドンチャン騒ぎ。寮生がほとんどのモンゴル族中学の生徒は普段、朝晩は自習だの、夜10時消灯だの、厳しい校則で縛られている。しかし12月31日の大晦日だけは、...【原点回帰・オルドスの風】第32回:大晦日のパーティー

  • 【原点回帰・オルドスの風】第31回:隣のくまさん

    1992年9月ようやくボクの家が完成した。場所は校舎の北側、生徒たちの寮の隣。若手の先生数人と生徒たちが手伝ってくれたので引越しはあっという間に終わった。レンガ造りで外門があり、中庭もある。平屋の建屋は2つに分かれていて奥が僕の部屋、手前が若手の先生、クマさんの部屋だった。僕の部屋の広さは8畳くらい、校舎のときより心持広くなった。台所・シャワー・トイレはない。水道もない。基本的な条件は何も変わっていない。まあ、食堂や水場が近いので少しだけ便利になった。それと働く場所と寝る場所が別々になったので、プライベートは保てるようになった。これは大きい。今後は夜自習の時間に息を潜めて過ごす必要もなくなった。僕の部屋にはお湯を循環させる暖房(暖器)があった。そして暖器のお湯を沸かすのは隣のクマさんの仕事。隣の部屋には石炭を汲...【原点回帰・オルドスの風】第31回:隣のくまさん

  • 【原点回帰・オルドスの風】第30回:指定された教科書

    学校側から指定された教科書は非常に使いにくかった。しかし当時中国の中学高校で日本語を学ぶ場合、必ずその教科書を使わなければならないとのことだった。まあ、教科書はあくまでも日本語を教える上での1つに道具だと割り切って進めていったが、まったくこの教科書に触れないわけにもいかず、教案を考えるときはいつも苦しんだ。まず文が読み物中心で会話調の文章があまり出てこない。時々極端に難しい表現が出てくる。初級の段階で普段あまり使わない単語がどんどん出てくる。たとえば、毛主席・共産党・社会主義といった単語はだいぶ早い段階で出てくる。ちなみに「毛主席」という単語を練習しているとき、みんながいっせいに笑い出した。最初はなぜだかわからなかったが、モンゴル語で「モー(ハイ)」というのは「悪い」という意味になる。発音練習のときボクが「悪い...【原点回帰・オルドスの風】第30回:指定された教科書

  • 【原点回帰・オルドスの風】第29回:文通作戦

    夏休みが終わって、生徒たちは高校2年生。2年目の目標は日本語を学んでいる彼らに何とか実際に日本語を使う喜びを味あわせること。教室の中の活動だけで終わらせたくなかった。いろいろ考えていたが、その第1弾は「文通作戦」。日本の中高生の「モンゴル体験ツアー」の一行が来たとき、学校はまだ夏休み。残念ながらボクの生徒たちとの交流はなかった。しかし、体験ツアーの間、ボクの生徒のことをツアー参加者にしっかり宣伝しておいたところ、そのうちの一人から帰国後手紙が届いた。モンゴル族の生徒と文通がしたいとのこと、これは願ってもないチャンス。さっそく授業中、生徒たちに話して、文通希望者を募った。条件は日本語で手紙を書くこと。これは日本語の勉強を始めて1年ちょっとの生徒たちにとってはかなりの負担である。しかし、すぐに9名の生徒が、日本語で...【原点回帰・オルドスの風】第29回:文通作戦

  • 【原点回帰・オルドスの風】第28回:オルドスの夏

    8月中旬にオルドスに戻った。粗末な部屋だがホッとできる。新学期までに旅の疲れを取っておかなくてはならない。オルドスは高原になっていて東勝は海抜1500mほどのところ。夏の気温はせいぜい30度くらいまでしか上がらない。乾燥していてとても気持ちいい。新学期までの10日間をボクは地元の友人とともにのんびり過ごした。昼間はバドミントンや外でやるビリヤードなどに興じた。ある日、カシミア工場の友人たちと自転車に乗って釣りにいった。自転車で埃っぽい道を1時間。釣り場に着いた。といってもただの養殖池。鯉がいるらしい。見張りのおじさんにいくらか渡すとそのまま釣り場になる。釣れた魚はその晩の夕食になった。オルドスは年間降雨量、200ミリから300ミリの乾燥地帯である。降る時は集中豪雨になる。わずか30分くらいで、乾いた土地が泥沼と...【原点回帰・オルドスの風】第28回:オルドスの夏

  • 【原点回帰・オルドスの風】第27回:夏休みの旅行

    中国に来て1年で迎えた約1ヵ月半の夏休み。冬休みはずっとオルドスで「凍りついていた」ボクにとって初めての旅行の機会。広い中国を縦横に動き回るほかのボランティアたちをよそに、ボクは今回、内モンゴルに的を絞ってみたいと思っていた。内モンゴルだけでも日本の3倍の面積がある。その上交通の便も悪い。とても行きたいところを全部回ることはできない。しかし今回の旅行で、西の砂漠地帯から東に行くに連れて草原が濃くなって、北東にある中国最大の森林地帯「大興安嶺山脈」へと繋がっていく地理をだいたい肌で感じることができた。旅行に出て3日目の夕暮れ時、モンゴル国との国境の小さな町、エレンホトにたどりついた。ここまで来るのに、フフホトから列車で14時間。指定席ではないので、その半分以上は席に座れず、食事も取れず、フラフラの状態。早く宿を決...【原点回帰・オルドスの風】第27回:夏休みの旅行

  • 【原点回帰・オルドスの風】第26回:1年の締めくくり

    6月27日。その学期の最後の授業の日。生徒たちに成績表を渡した。何度も言うが日本語は正式な科目ではない。学校の成績表の中にすら記入してもらえない。そこで1年間、ボクの授業に付き合ってくれた生徒たちに、自作の日本語だけの成績表を渡すことにした。まず、あらかじめ日本にいる親に頼んで100枚ほど富士山の絵はがきを送ってもらった。画用紙を小さく切って作ったシートに今まで行った3回のテストの点数と授業での平常点を加味した10段階の総合成績をゴム印で押し、空いたスペースに150字くらいのコメントをつけた。10段階の評価は独断で付けたがほとんどが6以上になっていた。そしてできた成績表を、親から送ってもらった富士山の絵はがきに張り付けた。とっても簡単なものだったが、100人も生徒がいるので、大変な作業だ。誰にどの絵はがきを渡す...【原点回帰・オルドスの風】第26回:1年の締めくくり

  • 【原点回帰・オルドスの風】第25回:いたずらっ子

    蒙古族中学の生徒たちは基本的にまじめで先生の言うこともよく聞く。日本語の勉強に脱落してしまった生徒も教室ではおとなしくしている。こういう生徒に対しては、時々授業に参加してもらおうとテキストを読むときなどに当てるが、たどたどしいながらもなんとか読むことができる。しかし、100人も教えていたら言わばいたずらっ子的な生徒はいるもので、僕にとって天敵とも言える生徒が一人いた。彼の風貌はあらいぐまそっくり。「いたずらっ子、ラスカル」とこっそりあだ名をつけた。ラスカルは授業で当てると露骨にいやな顔をする。ある日の授業で板書しているとワっと生徒たちが一瞬ざわついたので、振り向くとラスカルが顔を本で隠した。そしてラスカルの頭の上のほうに一筋の煙が立ち昇っていた。明らかにタバコを吸っていたのだ。平静を装い授業を続けたが、実はこの...【原点回帰・オルドスの風】第25回:いたずらっ子

  • 【原点回帰・オルドスの風】第24回:1年目後期の授業

    調整員の視察後、気持ちも吹っ切れて、活動にますます力を入れたが、この学期は生徒に対する授業のことで悩むことになる。初めの半年はあれだけみんな授業についてきていたのだが、この学期から日本語もどんどん難しくなり、離れていく生徒が続出したのだ。いままで全員がボクの授業を楽しみにしていると思っていたのだが、よく見ると寝ている生徒、ほかの本を読む生徒、ただぼっと窓の外を見ている生徒。そういう生徒がだんだん増えてきた。一生懸命わかりやすく教えようと準備に十分時間をかけても、どんどん生徒が離れていくような気がした。授業中に私語をする生徒はいないが、つまらなそうに授業を受けている生徒の顔を見るのはつらい。そういう顔を見るたびにこちらも自信をなくし、テンポよく授業をやっていけなくなる。完全にスランプに陥ってしまった。彼らは大学に...【原点回帰・オルドスの風】第24回:1年目後期の授業

  • 【原点回帰・オルドスの風】第23回:調整員の視察

    オルドスは鉄道もなければ空港もない。通信事情もよくない。いわば陸の孤島だ。ボランティア派遣元のJICA北京事務所に緊急な用事で連絡しようと思ったら、まず、郵便局へ。長距離電話をかけるための手続きを済ませて、後はひたすら待つ。だいたい10人以上待っている。運がよければ30分くらいで呼び出され、電話ボックスに入るとオペレーターが電話をつなげてくれる仕組みになっている。運が悪ければ、2,3時間待つことになる。挙句の果てにボックスに入っても「今は回線の状態が悪いので、明日また来てくれ」と言われたこともあった。そのほか、中国に長期滞在をする場合は必ず必要になる「外国人居留証」の発行は2ヶ月も遅れたし、日本から生活費を送金してもらうための外貨用の銀行口座開設には半年以上もかかった。当時、外国人は中国人が使う人民元ではなく、...【原点回帰・オルドスの風】第23回:調整員の視察

  • 【原点回帰・オルドスの風】第22回:託児所での授業

    蒙古族中学の一角に託児所があった。教職員の1歳から6歳までの子供20人くらいが通っていた。そこの園長先生に、「週に1回5、6歳の子供を対象に日本語を教えてほしい」と頼まれ、とりあえず一度行ってみることにした。グラウンドの西側、教職員住宅の並びの一角にその託児所はある。レンガ造りのフラットで外門をくぐると中庭があって、ちょうどそこで体操や行進の練習をやっていた。部屋は3つあって、それぞれ2歳まで、3,4歳、5,6歳の部屋に分かれていた。ボクは5,6歳の部屋に入った。10人くらいの子供たちが小さな椅子に座って待っている。「老(ラオ)~師(シー)~好(ハオ)」とめちゃくちゃ間延びした挨拶を受けた。さっそく日本語に取り掛かる。まず、「こんにちは」「さようなら」などの簡単な挨拶言葉。みんな手を後ろに組んで不自然なほど姿勢...【原点回帰・オルドスの風】第22回:託児所での授業

  • 【原点回帰・オルドスの風】第21回:夜の授業

    2月24日から後期の授業が始まった。オルドスに来てちょうど半年、コミュニケーションもある程度できるようになり、友だちも増えて、生活にも慣れて、活動に本腰で取り組む体制が整ってきた。この学期から週に3回、夜7時半から9時まで蒙古族中学の先生や、一般社会人を対象にした日本語講座が始まった。もともとモンゴル族は日本にとても興味を持っていて、前から日本語を教えてほしいといったリクエストがあったのと、将来、ボクが帰国した後もこの学校に日本語教育がしっかりと根付くようにとの思いで始めたものだった。とはいっても、夜間クラスの受講生のほとんどがこの学校の先生。まだ若く教師としての経験もほとんどないボクがこの学校の「先生の先生」としてやっていけるのか不安もあった。最初の授業。あいさつなど短いフレーズから始めたが、とてもやりずらい...【原点回帰・オルドスの風】第21回:夜の授業

  • 【原点回帰・オルドスの風】第20回:オルドスでの冬修行

    冬休みは学校の食堂も閉まっているので、当初ボクは学校の外で食事をしていた。そのうち学校の敷地内に住んでいる先生たちが「それでは不便だろう」と代わるがわるボクを家に招いてくれるようになった。一日に一軒、毎日昼と夜、食事をご馳走になる。といってもほとんどは今まで話したことのない先生方ばかり。どう交流していけばいいか、お互いに手探り状態。ある日の11時頃、ボクの部屋のドアをたたく音。開けてみると8歳くらいの女の子が立っていた。色白で赤い頬っぺた、アルプスの少女ハイジを思い出す。「あなた日本人でしょう。パパが呼んでるから来て。」ボクはハイジに手を引かれてその先生のうちへ。ほとんど共通の話題がない中、まずはハイジが話題を提供してくれる。「これは日本語でなんて言うの?」「ハシ」、「ハシ?」「それじゃ、橋だよ。そうじゃなくて...【原点回帰・オルドスの風】第20回:オルドスでの冬修行

  • 【原点回帰・オルドスの風】第19回:オルドスの春節

    1992年1月17日から冬休みに入った。寮に住んでいた生徒たちは、終業式もせず、この日の朝、長距離バスに乗って何百キロも離れたそれぞれのふるさとへ帰っていった。ボクも冬休みは、親しくなった先生や生徒のふるさとを訪ねて過ごそうと思っていた。オルドスに来て半年経ったが、ボクはここ東勝の町以外どこにも行っていなかった。せっかく蒙古族中学に派遣されながら、彼らの本当の生活、牧民の生活については何も知らなかった。いつか見てみたいと常々思っていた。しかし当時そういった地域はすべて未開放地区。外国人が未開放地区に行く場合、通行許可証を申請しなければならない。ということで町の公安局に許可証の申請に行ったが、冬は安全面においても健康面においても危険が大きいということで、許可してもらえなかった。友人の家を訪ねるというごく当たり前の...【原点回帰・オルドスの風】第19回:オルドスの春節

  • 【原点回帰・オルドスの風】第18回:落ち込んだ時

    オルドスに来て最初の半年は言葉もわからず、生活するのも大変、その上学校からはボクの活動は軽視されていた。なぜこんなところに来てしまったのだろう。どうしてこんなに日本語を必要としていないところに日本語教師として来てしまったのだろう。大連や北京など、もっと日本語が必要とされているところはいくらでもあるはず。こんなつらい時期にボクを支えてくれたのは生徒たちだったといっても過言ではない。とにかくどんなに落ち込んでいても、授業をすることによって立ち直ることができた。あのバカでかい声でボクを励ましてくれるのだった。ただ、生徒たちがすべてを救ってくれるわけではない。ある日のこと。授業の段取りが悪く、生徒のノリもイマイチ。おまけに1日中誰も僕の部屋を訪れなかった。その前の日までは生徒がひっきりなしにボクの部屋に来ていたので、日...【原点回帰・オルドスの風】第18回:落ち込んだ時

  • 【原点回帰・オルドスの風】第17回:ボランティアって?

    活動を始めて半年間は言葉に不自由し、生活の不便さに閉口し、食事も口に合わず、寒さと乾燥のためよく風邪を引いていた。ただそのようなことは前から予想していたことだし、慣れてくれば、そう辛くは感じないものだ。その時一番辛かったのは、前に触れた「プライベートがない」こと、そして「周りの人がボクが何のために来たのか、まったく理解してくれない」ことだ。「ボランティア」ということを理解してもらおうにも、当時中国語でそれにふさわしい言葉がなかった。辞書で「ボランティア」を引いても「義務労働」という訳しかない。たぶん「金銭を受け取らない労働」を中国の実情に合わせたらこの訳になったのだろうが、これはどう考えても違う。ということで当初、周りの人はボクのことを「モンゴル語を勉強しに来た学生」あるいは「事情があって日本を追われてきたかわ...【原点回帰・オルドスの風】第17回:ボランティアって?

  • 【お知らせ】「塩を売って緑を買う男」クラウドファンディングに挑戦!

    今年は原点回帰の年、ということでオルドスでの体験談を綴ったり、写真を整理したりしていますが、この度、クラウドファンディングにも挑戦することになりました。砂漠緑化に取り組んで15年、これまでひたすら木を植えてきましたが、今年からいよいよ本格的に緑化した土地を利用した有機農業に取り組んでいきます。今度、この事業を10年20年50年と続けていくためにご協力をよろしくお願いします!タイトル:黄砂を止めよ!砂漠を緑に!~「塩を売って緑を買う男」15年目の挑戦~https://camp-fire.jp/projects/view/156785【お知らせ】「塩を売って緑を買う男」クラウドファンディングに挑戦!

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