searchカテゴリー選択
chevron_left

カテゴリーを選択しなおす

カテゴリーのご意見・ご要望はこちら
cancel
プロフィール
PROFILE

バンベンさんのプロフィール

住所
未設定
出身
未設定

自由文未設定

ブログタイトル
塩を売って緑を買う男・バンベンの日記
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/banben11
ブログ紹介文
塩や重曹を売りながら内モンゴル・オルドスの砂漠緑化を進めるバンベンの奮闘記。商品についてはHP(バンベンで検索)まで!
更新頻度(1年)

8回 / 365日(平均0.2回/週)

ブログ村参加:2019/04/03

本日のランキング(IN)
読者になる

新機能の「ブログリーダー」を活用して、バンベンさんの読者になりませんか?

ハンドル名
バンベンさん
ブログタイトル
塩を売って緑を買う男・バンベンの日記
更新頻度
8回 / 365日(平均0.2回/週)
読者になる
塩を売って緑を買う男・バンベンの日記

バンベンさんの新着記事

1件〜30件

  • 出前講座 in 北九州市立青山小学校

    1月28日9時起床。やや二日酔い気味。ゆっくり準備して10時にチェックアウト。用事を済ませながら北九州方面へ。出前講座の嵐第2弾。13時半に北九州市立青山小学校到着。今日は馬頭琴のマンダルワさん、モンゴル人留学生のデボさんと3人で授業を行う。3人講師がいるのに時間は45分。いつもより凝縮してやらなければならない。音楽室に通されると小学2年生約50人の子どもたちが待っていた。13:50スタート。まずは僕のお話。いつものようにスライドを見せながら淡々と話を進める。今回はエピソードなしで飛ばしながら話をしていく。僕としてはモンゴルでの体験談を中心に話したいのだが、モンゴル事情も欠かせない。10分で終わらせようと思ったが、15分ほどかかってしまった。続いてデボさんのモンゴル事情とモンゴルの遊びのコーナー。話は僕が話さな...出前講座in北九州市立青山小学校

  • 久々に小城鍋島家ten裏の畑へ

    4月20日雨上がりの月曜日。久しぶりに鍋島家tenの裏庭にあるバンベン菜園へ。今年は僕が小城ぱく畑に掛りっきりになるから、妻がここを管理することになっていたが、体調不良のため当分畑仕事ができない。でもずっとほったらかしにするわけにもいかないので、時間を作って農作業。小城ぱく畑で撒いた蕎麦の種が余っていたので、ここでも撒いてみることにした。9:30に作業スタート。まず刈払機で草を刈って、草を取り除いて、耕して、畝を作って、もう一度草を取って、慣らして、種まき、軽く土をかぶせて、水をたっぷりかけて12時過ぎに終了。耕しているときにカブトムシの幼虫みたいなのが5,6匹出てきた。早く発芽しないと鳥に食べられそうだが、まずは5月に白い可憐な花を見るのが楽しみだ。後は梅雨が遅れて無事に収穫できるのを祈るのみ。久々に小城鍋島家ten裏の畑へ

  • 水巻町立伊佐座小学校

    2月12日(水)雨の中、車で水巻町まで。これでもかと続く出前講座。この時期僕はまるで現地集合の旅芸人。10:10伊左座小学校に到着。しばし校長室で待機。今日のパートナーもマンダルワさん。10:30に音楽室に移動。約50人の生徒が体操座りの体勢で待っていた。学校は違ってもどこもだいたい同じようなパターン。まずは僕の体験談。モンゴル事情はさらっと流して、塩を売って緑を買う男の話に入る。内容は2日前に社会人向けに講演したものとあまり変わらない。砂漠化の話やどうやったら緑に戻るかなど小学2年生には難しいと思われるかもしれないが、これを話さなければ僕が小学校を回る意味もないと思っている。そしてそれはしっかり伝わっている。子供たちの目を見ればわかる。でも子供たちの最大の関心事は馬頭琴であることも承知しているので30分で話を...水巻町立伊佐座小学校

  • 「九州の食」で講演

    2月10日(月)博多駅からゆっくり歩いて40分。18:20に天神の定例会会場に到着。パソコンの調子が悪くプロジェクターにつなげるに時間がかかったが、今日は時間がたっぷりある。18:40に10分遅れでスタート。参加者は26名。バンベンのことを知っている人と知らない人が半々くらい。ちょうどいい。最近、社会人向けのプレゼンは15~20分くらいでこなさなければならない場合が多いので、あらすじだけになってしまうが、90分あればいろんな話を加えることができる。「糧票の話」や「教え子との再会」「塩を探して3000里」など普段話すことのないエピソードを紡いでいく。これから本格化する小城での取り組みもじっくり語ることができた。気が付いたら100分。まだまだしゃべり足りないがいったん終了。司会の若林さんとのやり取りや質疑応答など会...「九州の食」で講演

  • 出前講座 in 福津市立南福間小学校

    2月4日(火)7時起床8時チェックアウト。まだ時間があるので昨日行けなかった御船神社周辺を歩くことにした。ここもなかなか趣がある。歩いていると「宗像四国西部第1番霊場」という看板があったので階段を登って行ってみるとズラッと仏像が並んでいた。少し歩くと何と「馬頭観音」という仏閣が・・・。今から子供たちに馬頭琴を披露しなければならなかったので、うまく弾けますように(音が出ますように)とお祈りした。小1時間ほど散歩を楽しんで、まだ時間があるので懐かしのなまずの郷へ。福津時代はよくここでテニスをした。ゆっくり朝の時間を使いながら10:10に福間南小学校へ。ここは4回目くらいか。今日のパートナーのバイゲさんと合流。しばらく校長先生と歓談。ここは急激に児童数が増えていて、2年生だけで8クラス。260人を超えるという。福岡県...出前講座in福津市立南福間小学校

  • 出前講座 in 福津市立神輿小学校

    2月3日(月)車で一路福津市へ。10時15分に神輿小学校着。今日も「スーホの白い馬」に合わせたモンゴル講座。今日のパートナーは馬頭琴演奏者でもあるマンダルワさん。10:40に音楽室に。2年生(約30人)以外になぜか4年生(約45人)も授業に参加。自己紹介を済ませると僕は隣の図工室へ。講師2人が分かれて授業を行うパターン。子供たちも2グループに分かれてマンダルワさんの馬頭琴演奏やモンゴルの遊び文化を中心とした講座と僕のモンゴル事情&塩を売って緑を買う男の講座を1コマずつ交互に受ける。子供たちにとってはきめ細かく話が効けるが、講師にとっては同じことを2回しなければならないので大変。1回35分をめどに淡々と話を進める。スライドをプロジェクターに映し出すが、カーテンがない図工室。日差しが容赦なく降り注ぐ。うっすらとしか...出前講座in福津市立神輿小学校

  • 出前講座in 小郡市立大原小学校

    1月29日(水)前日福岡市内のホテルに泊まって、飲み会もなかったので体調万全。10:20に大原小学校到着。確か数年前にもお邪魔したような・・・。中庭にウッドデッキがあり、廊下が広い特徴のある校舎。思い出した。間違いない。しばらく担当の先生と歓談し。10:40に音楽室へ。小学2年生約50人が床に体操座りの状態で待っていた。ここまでは昨日の青山小学校と同じ。昨日は1コマを3人で担当して少々窮屈だったが、今回は2コマを1人で担当しなければならない。小学2年生を90分一人で飽きさせないで講座をするのは至難の業。いつものようにスライドをスクリーンに映しながら、淡々と語り始めた。モンゴル事情は少めに。自分の体験談は物語を紡いでいくようにたっぷりと。初めての授業。水が貴重な生活、草原はどこへ?砂の恐怖・・・。話しているとあっ...出前講座in小郡市立大原小学校

  • アーヤ藍さんトークとsigns from Nature上映会

    1月27日(月)午後から車で福岡市内まで。用事を済ませ、清川のホテルにチェックインして、ホテルの部屋でしばし事務仕事。19時に出発。雨の中、傘をさして歩いて20分。イベント会場のComoescinemaまで。19時半から「アーヤ藍さんトークとsignsfromNature上映会」スタート。北海道の漁師、長野のスキー場、岡山の西日本豪雨被災者、沖縄の観光従事者などがそれぞれの立場で気候変動によってもたらされた生活の変化について淡々と語っていく。学者や活動家ではなくあくまでも生活者の立場から語られているので、かえって心惹かれるものがある。もっといろんな事例を知りたいと思ったところで映画終了。20分。もう終わったの?といった感じだが、ここからのトークショーや意見交換が面白かった。プロデューサーのアーヤ藍さんの想いや撮...アーヤ藍さんトークとsignsfromNature上映会

  • 出前講座in福岡市立和白東小学校

    1月21日(火)7時過ぎに車で出発。三瀬峠を越えて博多まで。博多で1件仕事を済ませて、10時過ぎに東区にある和白東小学校に到着。この時期は小学2年生を対象に出前講座の依頼が殺到する。スーホの白い馬を学習するタイミングでモンゴルについて理解を深めたいということのようだ。この日のパートナーはバイゲさん。10:30スタート。音楽室には100名を超える子供たちが座って待っていた。インフルエンザの影響はまだないのか、マスク姿はゼロ。まずは僕の話から。大草原やゲルや羊などモンゴル関係の写真をさらっと見せるが、詳しくはバイゲさんに任せて、僕の体験談に移っていく。28年前に初めてモンゴルに行って日本語の授業を行った時の様子。砂漠化の恐怖。木を植える人たち・・・。そして「透明な塊」を見て、触って、舐めて・・・。今回も素晴らしいリ...出前講座in福岡市立和白東小学校

  • 2019秋オルドス植林のアルバム

    中国内モンゴル・オルドスでの砂漠緑化活動と交流の旅をアルバムにまとめました。お時間のある時にご覧ください。https://www.facebook.com/pg/banben.ordos/photos/?tab=album&album_id=3122481304448386&https://www.facebook.com/pg/banben.ordos/photos/?tab=album&album_id=3126870710676112&2019秋オルドス植林のアルバム

  • 出前講座in 地球環境戦略研究機関

    9月12日(木)やや二日酔いの中、10時に江坂のホテルをチェックアウト。なぜか尼崎のベローチェでパソコン作業。昼食を食べて、14時に地球環境戦略研究機関(IGES)関西研究センターへ。モンゴル人研究者2名を対象にした森林再生研修の一環で「塩を売って緑を買う男」の話をする。実は3月にホッとメールのアドレスに講師依頼のメールが来ていたのだが、今ホットメールは全然使っていなかったので、ほったらかし状態。8月中旬にふと自分のホットメールはまだ使えるのだろうかと、開いてみたところ大量のメールが・・・。ほとんど迷惑メールかどうでもいいメールだったが、その中に講師依頼のメールが・・・。もう5か月も経っている。もう講師は決まっているだろうけど、とりあえず謝罪のメールを送ると、ぜひ来てほしいとのこと。バタバタと出張が決まったのだ...出前講座in地球環境戦略研究機関

  • 「砂漠に挑む日本人」同窓会

    9月11日(水)昨日の夜遅くまで、今日は5時に起きてひたすらクラウドファンディングのリターンの発送作業。商品のパッケージも簡素だが、使用済みの段ボールに古新聞。見かけが大事と言われ続けてきたが、環境のため、経費節減のため、極力、簡易包装に努めている。見かけはあまりよくないかもしれないが、中身には自信を持っている。午前中に何とか100個を超えるリターンの発送を終えた。もう少し残ってしまったが、来週には完送できそう。昼食後、妻に佐賀駅まで送ってもらって、博多で新幹線に乗り換え、一路、大阪まで。江坂のホテルにチェックイン。車内やホテルの部屋で溜まっている仕事を少しずつ片付けた。19時前に出発。御堂筋線を難波まで南下。19時半にウイグル料理レストランムカームへ。昨年、放映された「黄砂を止めよ!砂漠に挑む日本人~中国内モ...「砂漠に挑む日本人」同窓会

  • 九州ソーシャルビジネスフォーラムに参加

    8月25日(日)8時半に那珂川の妻の実家に健を預けて妻と2人で天神のフォーラム会場へ。今年で11回目となる九州ビジネスフォーラム。確か2009年の第2回の時に面白そうだということで参加。第3回の時はプレゼンをさせてもらい、そこからソーシャルビジネスのつながりが広がり、バンベンの売上・知名度も上がっていった。とても有難いイベント。以後、ほとんど毎年参加しているが、今年は久々にプレゼンの機会も与えていただいた。今年はプレゼンテーターが36人。9:30から19:00までと長丁場。これだけ長いと途中で飽きたりダレたりするだろうと思いきや、皆さんやっていることが面白い。素晴らしい。それぞれ個性的でずっと聴いていても飽きない。バンベン事業に参考になる。自分の存在が小さく感じられる。僕の出番は最後のほうの17時すぎから。妻は...九州ソーシャルビジネスフォーラムに参加

  • 箱わな再開

    8月1日(木)午前中はわなの整備。4月から箱わなを仕掛けたもののイノシシは全然かからず、小動物(多分アライグマ)がわなに入った形跡はあったが、隙間から逃げられたらしい。最近はほぼほったらかし状態だったが、今月から再び気合を入れなおす。まずは箱わなを仕掛けなおし、新しい餌を撒く。次に新兵器「アラホール」を設置。箱わなに括り付けた。今年の目標はイノシシ10頭だったが、今は「とりあえずアライグマ1匹でも・・・」という感じ。とにかく何かを捕まえないと始まらない。昼は小城鍋島家tenで中園さん家族とランチ。来年に向けていろいろコラボできそうだ。夜は佐賀市で体験塾のセミナー。少人数だったのでじっくり深くワークショップができた。今「小城農泊推進協議会」で進めている「神々の郷プロジェクト」構想を披露。今までになかった面白い体験...箱わな再開

  • 天山へ

    7月31日(水)来月からいよいよ小城での活動が本格化する、ということで今日はなぜか天山へ。上宮駐車場から登り始めた。駐車場までは何回か来たが登るのは初めて。標高差200m。結構ハード。40分ほどでやっと頂上へ。ちょっと休憩して、東側の尾根を1kmほど歩いた。この辺でドローンを飛ばしたいところ。しかし風がけっこう強い。とりあえず少しだけ飛ばしてみた。案の定、下から雲がどんどん湧いてきて何も見えない。ドローンも一時、操縦不能になって焦った。何とか狭い遊歩道の平らなところに着陸させた。しばらく待ったら、雲がなくなってきたので、果敢に2回目のフライト。今度は山の斜面がよく見える。広葉樹林を谷沿いに進めていくと、謎の巨石群。「これだ!」今日はここまで。下りのほうがつらい。足がガクガク。減量して鍛えなおさなければ・・・。と...天山へ

  • クラウドファンディングいよいよラストスパートへ!

    5年くらい前に勉強会に参加して以来、いつかは挑戦してみたかったクラウドファンディング。今年は活動15周年の節目の年。しかも現地で有機農業に本格的に取り組む転換期でもある。タイミングはバッチリ。しかし20%近く取られる手数料、失敗したときのリスク(恥ずかしさややる気の低下)などがネックになってなかなか踏み出せなかった。しかしある情報を経て一気にやる気になった。それはクラウドファンディング会社Campfireの手数料無料キャンペーン。5月中にプロジェクトを起こせば手数料無料とのこと。手数料という一番のネックがなくなって俄然やる気が出た。プロジェクトの起案はさほど苦労はなかった。いつも出前講座で話しているものを手直しして使えばいいし、リターン(商品)もそろっている。一番迷ったのはゴール(目標金額)の設定。本当は大きく...クラウドファンディングいよいよラストスパートへ!

  • 【原点回帰・オルドスの風】最終回:それから

    時は流れ2001年2月、ボクは再び中国で働くことになった。今度は北京。今度はボランティアではなく、ボランティアをサポートする調整員という立場で仕事をしている。そう、いつかボクの活動を見に来てくれた人がいるが、それと同じように中国各地に散っている80人のボランティアのサポートが仕事。職場の同僚の半分は日本人。後の半分は中国人だが日本語はぺらぺら。職場のすぐ近くの外国人用のマンションで何不自由なく暮らしている。オルドスにはボクは行って以来、ボランティアは派遣されていない。ボランティアの要請もない。だから調整員になっても行く機会がない。オルドスでの3年間は過去のものとなっていた。いい思い出になっていた。2003年春、中国はSARS(重症急性呼吸器症候群)が猛威を振るい、中国全土に約80人のボランティアが派遣されていた...【原点回帰・オルドスの風】最終回:それから

  • 【原点回帰・オルドスの風】第40回:将来に向けて

    1994年3月に、また、早大生がやってきた。このように中身のある交流をきっかけに、文通の輪がまた、広がった。生徒の中にはこういう機会を確実にものにして、2人、3人と文通相手を増やしていった強者もいた。3年の後期、生徒たちは4ヵ月後に受験を控えている。その頃から、自分の将来について熱っぽく語りにくる生徒が多くなってきた。中には日本関係に進みたいという生徒も出てきた。「僕は、今は理系だけど、日本語に興味があるから、1年浪人して、日本語学科を目指す。」という生徒。「今、オルドスでは砂漠化が進んでいて、実家の放牧もこのままでは衰退してしまう。日本に行って砂漠緑化の勉強をし、故郷の発展に役立ちたい。」あるいは「砂漠にあるいろいろな薬草や元素を研究するために、日本に行きたい。」という生徒など。そういった生徒は確かに実力があ...【原点回帰・オルドスの風】第40回:将来に向けて

  • 【原点回帰・オルドスの風】第39回:事件

    ボクの部屋には訪問者が多かった。知り合いはもちろんのこと、まったく面識もない人がよく部屋を訪れた。いきなり部屋に入ってきて、「日本語を教えてほしい」と言ってくる若い女性。「俺は何でもやる。苦労を厭わないから是非日本へ連れて行ってくれ」と言ってくるむさ苦しい男性。「日本のカメラを買ったんだが説明書を中国語に訳してほしい」と言ってくる厚かましいおばさん。断ったり、少し相手をしてみたり、まったく知らない人でも適当に付き合っていた。うっとうしく思うこともたびたびあったが、そういった人たちは自分の希望を素直に伝えに来るだけで、断ってからといって怒ったりしないし、少なくとも悪い人たちではなかった。しかし、当たり前のことだがなかには悪者もいるようで、94年新年早々、こんでもない事件に巻き込まれた。昼の2時半ごろ、その日の午後...【原点回帰・オルドスの風】第39回:事件

  • 【原点回帰・オルドスの風】第38回:史上最大のイベント

    93年10月、東勝から150キロほど離れたクブチ砂漠のオンカクバイというところで日本の植林ボランティアの人々と共同で木を植えるという活動を行った。これは前から是非やりたかったイベントだった。ボランティアの方々に費用を負担していただき、学校側に何度も働きかけた結果、季節的にも、受験を控えている生徒たちにとってもタイムリミットであるこの時期にやっと実現した。ただ物理的な理由から、先生10名、生徒10名しか行けなかったのは残念だった。このボクの活動史上最大のイベントに校長は全面的に協力してくれて、教育局や公安への許認可関係などを一手に引き受けてくれた。10月12日午前10時、校長を団長とした「オルドスモンゴル族中学植林隊」の一行20名はマイクロバスに乗り込み、一路、クブチ砂漠のど真ん中にあるオンカクバイを目指した。バ...【原点回帰・オルドスの風】第38回:史上最大のイベント

  • 【原点回帰・オルドスの風】第37回:任期の延長

    ボランティアの任期は2年だった。しかし、文通や日本の学生との交流も経験したせいか、生徒たちの日本語に対する意欲は高まるばかりだった。それに高校1年から、持ち上がりでずっと教えてきたのですっかり愛着が湧いてきた。ボクはどうせ日本に帰っても何もすることが決まってなかったし、なんとか彼らが卒業するまで見届けたいと思って、任期を1年延長することにした。しかし、生徒たちは高校3年生。中国の受験戦争は日本よりも厳しく、この時期日本語を教えるということは、日本の高校3年生の生徒に教養科目として中国語を教えるようなもので、生徒たちの負担は相当大きい。だから彼らの意志を尊重して、今まで教えてきた2クラスのうち、続けて勉強したい生徒だけを集めて1クラスにして、週5時間の授業を行った。大変なスケジュールの中、50人の生徒が日本語を続...【原点回帰・オルドスの風】第37回:任期の延長

  • 【原点回帰・オルドスの風】第36回:チンギスハン陵

    ジンギスカンは今でもモンゴル族の英雄。その陵はオルドスのほぼ中央のイジンホロというところにある。東勝から南に車で1時間。そう、かのジンギスカンが西夏遠征時に鞭を落としたとされるところ。今は古代のモンゴル宮殿を模した3つのドームを有する巨大な建物が聳え立っている。実際はここにジンギスカンが眠っているわけではないが、年に4回祭事が執り行なわれ、モンゴル民族の聖地となっている。ボクは何度もこの陵を訪れたが、特に早春の祭事を学校の先生たちと見に行ったときは印象深かった。その日は朝から、日本語を勉強している先生とその夫、小学校2、3年くらいの子供と一緒に車をチャーターしてジンギスカン陵へ向かった。車窓から周りを見渡すと東勝の周りのような地層がむき出しの浸食溝はあまり見られない。乾燥した大地に所々木が生い茂っている。アフリ...【原点回帰・オルドスの風】第36回:チンギスハン陵

  • 【原点回帰・オルドスの風】第35回:歴史のこと

    中国で暮らす場合歴史のことはしっかり抑えておかなければいけない。ボランティアとして派遣される前に言われていたことで、特に近代史については一通り勉強しておいた。ただ普段中国で生活していて戦争のことについていろいろ聞かれることはあまりなかった。過去の戦争について謝れと言われたこともないし、謝ったこともない。だが、3年間もいると色々な場面に出くわす。ある日、仲のいい先生のうちに行ったとき、小学校6年生の娘さんとしばらく話をしていたが、その子が何気に「昔、日本人がたくさんの中国人を殺したこと知ってる?」と聞いてきた。すると間髪を置かずにパチンッと乾いた音。隣に座っていた先生が自分の娘の頬っぺためがけて思いっきりビンタしたのであった。その子は一瞬びっくりして動けなかったが見る見るうちに頬っぺたに手形が現れ、泣いて部屋を出...【原点回帰・オルドスの風】第35回:歴史のこと

  • 【原点回帰・オルドスの風】第34回:文通作戦その後

    最初に文通を始めた9人の生徒に届く。日本からの手紙の影響は絶大で、その後も多くの生徒が文通を希望した。ボクもあらゆる機会と捉えて、文通の機会を作った。もちろん交流会の後、早大生との文通も始まった。しかし順調に続いたものもあるが、途絶えたものもある。なぜ途絶えてしまったのか。いろいろ原因はあると思うが、モンゴル族の生徒にとっては日本語で手紙を1枚書くにも、大変な労力を費やす。それに文通とは回を重ねるごとに内容がより深く、細かくなっていくものだが、彼らのその時の日本語のレベルでは、まだそこまで表現できない。このことは、日本の文通相手にとっても、最初は物珍しさで始めた文通が、だんだん物足りなくさせている原因かもしれなかった。ある日、日本の女子高生と文通をしていた53組の「リーダー」が私の部屋にやってきて、文通している...【原点回帰・オルドスの風】第34回:文通作戦その後

  • 【原点回帰・オルドスの風】第33回:日本人との交流

    オルドスは砂漠化が進んでいる。ちょうどボクの活動が始まった91年ごろから、東勝の北西150KMほどのところにあるクブチ砂漠に日本のNGOが入って、砂漠緑化を進めていた。後にNHKの「プロジェクトX」などにも登場される鳥取大学名誉教授の遠山正瑛先生率いる「沙漠緑化実践協会」という団体。ボクはまたとないチャンスとばかりに、そのNGOの方々にボクの生徒たちとの交流を働きかけた。そして交流が実現するときがきた。93年2月、早稲田大学の学生を中心とした「緑の訪中団」10名がクブチ砂漠での砂漠緑化の合間に蒙古族中学を訪れたいとの打診があった。この頃になると、校長を始めとした学校の指導者たちも少しずつボクの活動に理解を示すようになってきた。共にオルドス式宴会を何度もこなしてきた仲、気心が知れてきたということもあるし、2年目か...【原点回帰・オルドスの風】第33回:日本人との交流

  • 【原点回帰・オルドスの風】第32回:大晦日のパーティー

    教室外での生徒との交流はたくさんあった。これは部屋が1年目は校舎、2年目からも生徒の宿舎の近くだったということもあるし、同じような条件で生活をしているので、一体感が沸いてくるのかもしれない。食堂もトイレも同じ、同じように水を汲みに行くし、同じように洗面器で洗濯をしていた。でも、本当にいろいろなことを語り合ったり、深い付き合いができていたのはごく少数だった。基本は日々の授業。あとは僕の部屋で日本語とモンゴル語で話し合ったり、外でバトミントンやサッカーをしたり、ほとんどの生徒とは「淡い交流」が続いた。そんな生徒たちの交流の中でも、毎年楽しみにしていたのが、大晦日のドンチャン騒ぎ。寮生がほとんどのモンゴル族中学の生徒は普段、朝晩は自習だの、夜10時消灯だの、厳しい校則で縛られている。しかし12月31日の大晦日だけは、...【原点回帰・オルドスの風】第32回:大晦日のパーティー

  • 【原点回帰・オルドスの風】第31回:隣のくまさん

    1992年9月ようやくボクの家が完成した。場所は校舎の北側、生徒たちの寮の隣。若手の先生数人と生徒たちが手伝ってくれたので引越しはあっという間に終わった。レンガ造りで外門があり、中庭もある。平屋の建屋は2つに分かれていて奥が僕の部屋、手前が若手の先生、クマさんの部屋だった。僕の部屋の広さは8畳くらい、校舎のときより心持広くなった。台所・シャワー・トイレはない。水道もない。基本的な条件は何も変わっていない。まあ、食堂や水場が近いので少しだけ便利になった。それと働く場所と寝る場所が別々になったので、プライベートは保てるようになった。これは大きい。今後は夜自習の時間に息を潜めて過ごす必要もなくなった。僕の部屋にはお湯を循環させる暖房(暖器)があった。そして暖器のお湯を沸かすのは隣のクマさんの仕事。隣の部屋には石炭を汲...【原点回帰・オルドスの風】第31回:隣のくまさん

  • 【原点回帰・オルドスの風】第30回:指定された教科書

    学校側から指定された教科書は非常に使いにくかった。しかし当時中国の中学高校で日本語を学ぶ場合、必ずその教科書を使わなければならないとのことだった。まあ、教科書はあくまでも日本語を教える上での1つに道具だと割り切って進めていったが、まったくこの教科書に触れないわけにもいかず、教案を考えるときはいつも苦しんだ。まず文が読み物中心で会話調の文章があまり出てこない。時々極端に難しい表現が出てくる。初級の段階で普段あまり使わない単語がどんどん出てくる。たとえば、毛主席・共産党・社会主義といった単語はだいぶ早い段階で出てくる。ちなみに「毛主席」という単語を練習しているとき、みんながいっせいに笑い出した。最初はなぜだかわからなかったが、モンゴル語で「モー(ハイ)」というのは「悪い」という意味になる。発音練習のときボクが「悪い...【原点回帰・オルドスの風】第30回:指定された教科書

  • 【原点回帰・オルドスの風】第29回:文通作戦

    夏休みが終わって、生徒たちは高校2年生。2年目の目標は日本語を学んでいる彼らに何とか実際に日本語を使う喜びを味あわせること。教室の中の活動だけで終わらせたくなかった。いろいろ考えていたが、その第1弾は「文通作戦」。日本の中高生の「モンゴル体験ツアー」の一行が来たとき、学校はまだ夏休み。残念ながらボクの生徒たちとの交流はなかった。しかし、体験ツアーの間、ボクの生徒のことをツアー参加者にしっかり宣伝しておいたところ、そのうちの一人から帰国後手紙が届いた。モンゴル族の生徒と文通がしたいとのこと、これは願ってもないチャンス。さっそく授業中、生徒たちに話して、文通希望者を募った。条件は日本語で手紙を書くこと。これは日本語の勉強を始めて1年ちょっとの生徒たちにとってはかなりの負担である。しかし、すぐに9名の生徒が、日本語で...【原点回帰・オルドスの風】第29回:文通作戦

  • 【原点回帰・オルドスの風】第28回:オルドスの夏

    8月中旬にオルドスに戻った。粗末な部屋だがホッとできる。新学期までに旅の疲れを取っておかなくてはならない。オルドスは高原になっていて東勝は海抜1500mほどのところ。夏の気温はせいぜい30度くらいまでしか上がらない。乾燥していてとても気持ちいい。新学期までの10日間をボクは地元の友人とともにのんびり過ごした。昼間はバドミントンや外でやるビリヤードなどに興じた。ある日、カシミア工場の友人たちと自転車に乗って釣りにいった。自転車で埃っぽい道を1時間。釣り場に着いた。といってもただの養殖池。鯉がいるらしい。見張りのおじさんにいくらか渡すとそのまま釣り場になる。釣れた魚はその晩の夕食になった。オルドスは年間降雨量、200ミリから300ミリの乾燥地帯である。降る時は集中豪雨になる。わずか30分くらいで、乾いた土地が泥沼と...【原点回帰・オルドスの風】第28回:オルドスの夏

カテゴリー一覧
商用