ギャンブル依存症です。妻子がありながらおよそ130万円もの借金をつくる。パチンコ、ボートレース依存症の廃人です。克服を目指すブログ。
昨日免許更新に行ってきたました。 運転免許を取得して14年目。 初のゴールド免許! 最後に違反キップを切られたのは 8年程前だったと記憶しています。 私の本業は営業マン。 仕事柄、1日の大半を営業車に乗って生活しています。 そんな中、なんと今の会社に入社して8年間。 1度も違反キップを切られたことがないんです!(ドヤァ) 正直、スピード出すことかなり多いですが ネズミ捕りと警察車両には人一倍目を光らせ。 一旦停止は必ず守る。 電話は必ずハンズフリーを使う。 信号機のない横断歩道は 歩行者は必ず優先で必ず止まる。 車線変更禁止は絶対に跨がない。 等々、かなりメリハリつけた運転を心掛けています。 …
お久しぶりです。 ここ最近労働漬けでブログというか 個人のギャンブル依存性の生き様記録が 途絶えています。 ななころびです! 誰も待っていない← 必ず完結はさせたいとは思っています。 下書きはちょこちょこ書いています! ついに禁ギャンブル50日を達成しました。 私の人生で50日もギャンブルに 手をつけなかったのは人生初です。 ところで50日を迎えて ここ最近のギャンブル欲求なのですが 妻に先日に聞かれました。 『ギャンブルしたいって思わないの?』 と。 いや。 そりゃぁ。 もう。 アレよ。 『思いますよ。』 伝わりますかね? ギャンブルやろう! とは思わない。 ギャンブルやったら楽しいだろうな…
番外編!ギャンブル依存症の両親再登場。母、街金に追い詰められるの巻】
以前【番外編】で父が闇金に追い詰められる記事をアップしましたが nanacorobi1225.hatenablog.com 今度は母が街金への支払いが滞り首が回らなくなります。 とんでもない家庭ですよね… 本当に負の連鎖しかありません… ギャンブル依存症一家。 ギャンブルに全てを奪われた一家です。 ---------------------------------------------------------------- 婚姻届を提出し、妻と私は夫婦となった。 そして妻のお腹には新しい命を授かっていた。 妻は出産へ向けて里帰り中。 前回、里帰り中にギャンブルに どっぷりのめり込み 連戦連勝…
重度のギャンブル依存症者 ななころび 当時26歳。 ついにパパになる それと同時に配偶者を迎えることになった。 つまりは結婚生活のスタート。 妻にとっては地獄のスタートだった。 妻の妊娠が発覚してからは 目まぐるしく物事が進んだ。 妻の両親への挨拶。 結納。 婚姻届の提出。 日を追うごとに妻のお腹も大きくなって 『新しい命を授かる』という神秘的な出来事。 これからの幸せな家族生活を想像して 私の鼓動は高まった。 それと同時にどんどん家族を背負って立つという 責任感のようなものも芽生えていった。 私の給料が入る銀行口座、定期預金口座の管理は妻に任せることにした。 妻との短い新婚生活は本当に楽しか…
遂にど田舎からの脱出 希望していた勤務地へ転勤が決まった。 当時は貯金は100万円程あった。 転勤ということで住んでいた街の地銀に預金していた 定期預金は解約して普通預金で管理することになった。 引越しで部屋の家具等を思い切って買い替え 20万円程使っただろうか。 友達も彼女もいる街へ引越しをして 充実した日々の訪れを期待した。 そこからは確かに毎日が充実していた。 沢山、友達と飲みに行ったり。 彼女と遊んだり。 しかし、どうしてもスロットが辞めれなかった。 毎日、仕事帰りにも通うようになる。 負けても、負けても通う。 しかし、あまりに勝てない最近の機械に嫌気がして 再びボートレースをやり始め…
前回、日本海側の小さな街で働いていたブログを書いたのだか 実はこの時、もう一つの事件が起きた。 当時24歳の私。 ギャンブル依存症を患いながらも必死で仕事を頑張っていた。 そこに久々に妹から電話。 妹も久々の登場だ。 ブログの【幼少期編】で登場した 幼少期編の頃にパチンコ屋で 行動を共にした妹だ。 電話に出てみると 『兄ちゃん!やばいっちゃけど!』 すでに電話が鳴った時点で嫌な予感はしていた。 久々の登場 『ギャンブル依存症の父』だった。 妹『あの糞ジジイ、闇金に手を出してやばいことになってる。どうにかして!』 開口一番それだった。 ついに来たか。 いずれはこうなるかとは思っていたが まさかだ…
Twitterでは報告していますが トリプルワーク始めました。 人はどれだけ働くとぶっ倒れるのか 壮大な人体実験のスタート というのは冗談で… 私は、ご存知かと思いますが 妻と2人の子供がおりますので 死ぬわけにはいきません。 借金を返済して ギャンブル依存症を克服して 素敵な一戸建てだって欲しいし 新車だって買いたいです。 死ぬわけにはいかないんです 死を感じたらトリプルワーク辞めます 『いつ寝るのそれ?』 って何人かに言われたので 1週間の流れだけご報告。 赤色が労働 水色が睡眠 んーなんかやばいなぁ。 やばい奴や!笑 いやー。 やれるのか? やれるのか本当にお前 何より、家を開ける時間が…
第2の職場。 仕事は本当に楽しかった。 職場の仲間も楽しい人ばかりで 昔から人には恵まれていたと思う。 しかしながら低賃金に我慢できなくなった 私はまた転職活動を始める。 友達や彼女が住む 専門学校時代に過ごした街への 企業で転職を目論む。 今度目指すのは営業職だ。 給料が沢山もらえる営業職を探した。 未経験で当時24歳。 転職は難航するものと思われたが あっさり1発合格。 希望の勤務地での合格であった。 これでまた充実した生活が始まる! ばずだった。 まずは本社で数ヶ月で研修があった。 引越し資金はまた銀行で借りた。 2度目の借金。 30万円。 前回のブログにも書いたように 当時、借金するこ…
ギャンブル依存症のエリート。 幼少期から英才教育されたななころび。 フリーター生活も終わりを告げる時が来る。 再就職が決まったのだ。 再就職先は以前と同業種。 つまり夢の続きが始まったのだ。 大手ではなかったが 新規参入の若い企業だった。 配属されたのは住んでいた場所から 300キロ程離れた地方都市。 引越しが必要であった。 しかし、フリーターでパチンコ通いの私に 辛うじて借金はなかったが、 貯金なんてものは勿論なかった。 もちろんギャンブル依存症の親は 支援してくれるはずもなく。 フリーターだった私は 銀行でお金を借りた。 初めての借金。 フリーターの私によくぞお金を貸してくれた。 30万円…
新社会人になった。 晴れて社会人。 いよいよ本当に自ら社会の役に立ってお金を稼ぐのだ。 専門学校があったとある都会の街から 1時間ほど離れた都市へ配属になった。 私も彼女も夢は叶い。 抱いてきた夢の実現となった。 仕事が始まり、夢であった職場で働けこともあり、 仕事はめちゃくちゃ楽しかった。 毎日、キツイこと、辛いこともあったが 本当に大好きな仕事でやりがいもあった。 毎日、職場へ行くのが楽しみだった。 彼女とは遠距離であったが 休みの度に車を走らせ、会いにいった。 彼女も私も休みは土日休みではなかった。 休みが毎回会うわけではなかった。 それでも会いに行った。 彼女が仕事の時の昼間は 暇だっ…
楽しかった高校生活も終わり ついに育った劣悪な環境からの脱出。 ギャンブル依存症家庭からの脱出。 しかし、時すでに遅しかと思えた。 小、中、高一貫教育の ギャンブル依存症家庭で 育ったななころびの脳みそは すっかりギャンブル依存症へと染まっていた。 高校生活ではろくに勉強しなかった。 勉強したのはボートレースとパチンコ、パチスロばかり。 ギリギリで卒業した。 もちろん大学に行く学力や気力など 残されていなかったのだが。 僅かに夢だけは持っていたのだ。 将来なりたい職業があったので その職業への近道である専門学校へ進学した。 18年間僕を立派なギャンブル依存症に 育ててくれた両親にお礼を告げ 誰…
高校生も2年から3年へと成長を 遂げていった。 私が夢中なっていたのは 勉強でも部活でもない。 パチスロだ。 初めて海物語の確変状態を遊戯した 私は当然のように虜になった。 小さい頃、パチンコで親が勝つと何かを勝って貰えたあの頃を思い出すかのように。 当時まだ高校生の私は 羽根モノも沢山打った。 親父の隣でも打った。 仮面ライダーやレレレのレとか。 でもスロットがどうしてもやりたくて 沢山勉強した。 やるからには負けたくなかった。 ギャンブルだけは負けず嫌い。 ギャンブル依存症としてはかなり危険な性格だった。 まずはゲームセンターでスロット北斗の拳について沢山勉強した。 今度はスカパーでパチス…
高校生活も月日経ち 2年生になろうとしていた。 私は小学生から続けていた陸上部へ入部した。 幽霊部員だった。 いつしか、きつい練習が嫌で走ることが嫌になり。 次第にサボって悪い友達の家でたむろした。 タバコを吸いながらゲームをしたり 時には酒も飲んだ。 さらにお金への執着心は増していく。 中学生から交際を続ける彼女は定時制の 夜間に学ぶ高校へ行っていた。 昼はバイトをしていた。 私もお金が欲しかった。 そうするとバイトをやるしかなかった。 勿論、部活は辞めた。 最初は親に反対された。 しかし、例によって例の如く 私は持った手綱は緩めない。 怒涛のお願い攻撃だ。 根負けした両親は部活を辞め バイ…
高校生編〜前編〜 【ついにボートレースがいつでも見れる環境へ?テレビが水面へと変わる時】
@ななころび少年 高校へ進学する。 中学時代は前述の通り、途中からパッタリ勉強しなくなったので進路は かなり危ぶまれた。 でも安いプライドと 近所の人によく見られたい気持ちは変わらず。 滑り込みで沢山勉強した。 そうすると、中学生前半の勉強していた 貯金もあってか 倍率2倍弱のそこそこの高校へ進学することができた。 付き合っていた友達はみんな離れ離れになった。 誰一人として同じ高校には入学できなかった。 彼女もまた同じ。 更正への道が整った。 かのように思えたが 結局、どこにでも悪い奴はいるもので 様々な地区から集う高校は 私の活動範囲も広げていった。 活動範囲が広くなり 当然、お金が必要だ。…
中学生3年生になった。 中学生2年生から付き合う彼女とも順調。 結婚も誓った。 悪い友達も増えた 次第にキャプテンなのに部活もサボったりしていたし。 生徒副会長職も名ばかりで 全然活動していなかった。 先生に呼び出されては怒られた。 卒業式の祝辞も通例、生徒会長と生徒副会長がやるのだが、それすらもやらせてもらえなかった。 荒れていた。 悪い交友関係にはお金も必要だ。 彼女とのデートにもお金がかかる。 ギャンブル依存症脳をお持ちの方は 既に察しがつくであろう。 そう。 ボートレースで増やすしかない そう思った。 前述から申した通り 親がパチンコへ行く日曜日はお小遣いが貰えるというシステム ボート…
ごく普通の市立中学校へ進学した ななころび少年。 中学2年生くらいまでは 成績超優秀で学校でも噂になるほどであった。 人によく見られたかったので 沢山勉強した。 私の家庭はご想像通り 少し、他の家庭とは違う ギャンブル依存症一家である。 ギャンブル依存症の両親に育てられたので もちろんお金に纏わる喧嘩も沢山見てきた。 それも相まってか恐らくアダルトチルドレン なんだろうと 今になって思う。 今回はアダルトチルドレンについて書こうと思った。 しかしよく考えてみたら私なんて 大したアダルトチルドレンではなく 本当に悩んでいる方に失礼なので辞めておく。 軽く触れると ・周囲が期待しているように振る舞…
ギャンブル依存症の親に育てられ 小学生になった@ななころび少年 相も変わらず日曜日は親とパチンコ屋へ向かった。 小学校低学年。 僕は、パチンコ屋で知り合った親に放置されたお友達と共に成長を遂げて行った。 2歳下の妹。 パチンコ屋の前に住む“たかちゃん” 何故がいつもそばにいる“しょうこちゃん” その他諸々の子供たちと、僕たちは遊んだ。 小学生になるとゲームセンターに住み着く悪いお兄ちゃんとも友達になった。 これまでは、子供用の可愛いメダルゲームで遊んでいたが その悪いお兄ちゃんたちと知り合いになり 子供が遊ぶような『じゃんけんぽん』のメダルゲームや 『金魚すくい』のメダルゲームから 競馬ゲーム…
私はギャンブル依存症の家庭に育った。 小さい頃からパチンコは余りに身近なものだった。 保育園のようなごくごく当たり前の存在であった。 共働き家庭に育ったななころび少年。 土曜日は父と母は仕事であったが日曜日は必ずパチンコ屋へ行った。 皆さんご存知であろうが、かつてパチンコ屋の店内は沢山の子供で溢れていた。 勿論、私にとってそれは日常であった。 そして、そこには友達がいた。 保育園や近所の友達? 違う。違う。 同じ様にパチンコ依存症の親たちによって解き放たれた哀れな、お友達だ。 毎週、パチンコ屋には保育園の友達とは違う、パチンコ屋だけの友達が居た。僕たちはパチンコ依存症の親に放置された傍から見る…
Twitterで仲良くして頂いている皆様はご存知だと思いますが 私は、31歳。 妻と長女(3歳)長男(0歳)3人の大黒柱だ。 正確には、大黒柱の筈だった。 近所から見ると恐らく感じがいいお父さん。 幸せそうな家庭であろう。 私は営業マンということもあり、大変外面が良いのである。 後のブログで触れようかとも思うが、アダルトチルドレンであるという事もあり 人には良く見られたい。誰とでも仲良くしたい。 そう。属にいう八方美人なのだ。 まさか、あのお父さんがパチンコ依存症、スロット依存症、ボートレース依存症の 走攻守揃ったゴミ屑人間だとはお気付きないであろう。 先日引退を発表したイチロー選手も真っ青で…
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