中国北京市にある中日友好病院をご存知ですか?1984年の開院以来、中日友好のシンボルとされている病院です。これは中日友好病院国際部で、青年海外協力隊看護師隊員として活動する「私」の活動記録です。
現在中日友好病院国際部で働いている同僚たちには、北京オリンピックの医療サポートとして働いたスタッフもいます2020年東京オリンピックに向けて、私が日々関わる同僚たちが2008年北京オリンピックでどんな仕事をしていたのか、少しですがご紹介したいと思います。
中日友好病院の同僚を紹介するインタビュー。第二回目は馬さん。馬さんは以前あった中日友好病院附属の看護学校を卒業し、その後ずっと中日友好病院に勤務しています。日本で2回研修を受けたことがあり、日本語がとても上手!看護に関しては、特に看護管理について興味があるそうです。じっくりとお話を伺いました。
”国際交流”とは、何でしょうか?その国に住めば、国際交流になるのでしょうか?北京にきて10ヶ月経ちまた。学ぶことの多い日々の活動、そして学んで1年の中国語でのスピーチの機会を通して、中日友好病院だけではなく中国の人々を知ってもらいたいと思うようになりました。私が考える”国際交流”について、ぜひお読み下さい。
まさかの中国派遣要請、10年前の短期ボランティア報告書の衝撃を経て、中日友好病院で活動を始めました。しかし中国の方々の早い会話は聞き取れず、派遣開始早々私に何か出来ることがあるのだろうかと思う日々。そんな日々に反して、同僚達はとても温かく迎え入れてくれ、私はある決意をしました。
36年の看護生涯のうち、6回日本に行き、大学附属病院や老人施設などで研修しました。私の人生において一生忘れられない宝物です。看護師は素晴らしい仕事。つらい時、痛い時、最期の時、いつも傍にいるのは看護師です。
皆さんは中国北京市にある中日友好病院をご存知でしょうか?青年海外協力隊の合格通知を受け取った直後は「中日友好病院って…?」だった私。今では誰よりも「中日友好病院を多くの日本人に知って欲しい」と思っています。そんな私と中日友好病院の出会いを紹介します。
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