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歴史逍遥『しばやんの日々』 https://shibayan1954.com/

わが国の歴史は第二次世界大戦後、戦勝国にとって都合の良い歴史に相当書き換えられました。GHQ焚書など戦前の国内外の書物や新聞記事から、歴史の真実を自分なりに探るブログです。

引き続き戦後タブーとされている史実などを考察していく所存です。 著書:『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』

しばやん
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2019/03/14

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  • 戦前期にファシズムが台頭していった頃の新聞記事を読む~~その1

    戦後の歴史叙述では「ファシズム」について、共産主義や社会主義への台頭への反動といういうニュアンスで解説されていることが大半だが、わが国における「ファシズムの台頭」の経緯について、当時の新聞記事で確認してみたい。 「神戸大学新聞記事文庫」に

  • 『日英外交裏面史』(GHQ焚書)を読む~~その2

    国際連盟と英国 前回に引き続き『日英外交裏面史』の中から、戦後の歴史叙述ではまず出てこないような解説をいくつか紹介したい。1920年11月15日にジュネーブで開かれた国際連盟第1回会合(Wikipediaより) 「国際連盟」については、第一

  • 韓国の近代化はわが国の資金援助や民間投資がなければ不可能であった

    韓国の近代化は、わが国の莫大な資金援助や民間投資がなければ不可能であったのだが、戦後はその史実が殆んど封印されている。 わが国の財政支援が開始されたのは1904年以降のことで、韓国の財政の過半から2/3を日本が支出し、さらに民間投資が積極的に行われ、ダムや鉄道などが建設されていった。

  • 柴田俊三『日英外交裏面史』(GHQ焚書)を読む~~その1

    このブログの江戸幕末期に関する記事で、GHQに焚書処分された柴田俊三著『日英外交裏面史』という本の一節を三度ばかり紹介させていただいたのだが、もう少しこの本の内容を紹介させていただくことにしたい。 著者の柴田俊三がどういう人物であるかはよ

  • 一進会の李容九に影響を与えた樽井藤吉の『大東合邦論』

    1885年に清国、ロシア、英国が朝鮮を狙う動きがあり、隣国の問題はわが国にとって国防上の危機でもあった。福沢諭吉は『脱亜論』隣国には何もするなと書いたが、樽井藤吉はアジアを白人の侵略から守るためにまず日韓合邦すべきと説き、この考えが一進会の李容九に多大な影響を与えた。

  • 共産主義に関する戦前期の記事を読む~~「転向」を考える

    前回記事で、コミンテルン(1919年にレーニンの指導のもとに創立された共産党の国際組織)による日本赤化(共産主義化)工作が進み、昭和七年に五・一五事件が起きた記事までを紹介した。赤化工作は軍部と青年に向けて重点的に行われていたのだが、対策

  • なぜ日本政府は安重根の凶行とすることで幕を引いたのか~~伊藤博文暗殺3

    伊藤博文の暗殺事件の犯人は、伊藤の近くにいた室田義文の証言によれば安重根ではありえない。室田の証言が葬り去られた理由は「日ロ国交上」の理由であった。伊藤はロシアにとって日露協商・満韓交換論路線の裏切者であり、ロシアに出向いたことが寿命を縮める原因となった。

  • 共産主義に関する昭和初期の新聞記事を読む

    前回は大正時代の記事を紹介したが、昭和に入り急速にわが国で共産主義思想が広まっていった。大正十一年(1922年)に堺利彦、山川均、近藤栄蔵らが日本共産党(第一次日本共産党)を設立し、十一月にコミンテルン*に加盟し、「コミンテルン日本支部 日

  • 伊藤博文を撃ったのは安重根だったのか~~~伊藤博文暗殺その2

    明治42年の伊藤博文暗殺事件の犯人は安重根というのが定説になっているが、伊藤の随行員として最も近くにいた室田義文は、犯人が別の人物であることを証言している。伊藤の体内に残っていた銃弾は、安重根の放ったものではなく、安重根が真犯人でなかったことは明らかであった。

  • 共産主義に関する大正時代の新聞記事を読む

    今の若い世代には共産主義国家を理想国家と考える人は少ないと思うのだが、現在六十八歳である私の後輩や先輩には、一時期そのような考えに染まった経験を持つ人は少なからずいる。しかしながら、その親の世代である明治末期から昭和初期にかけて生まれた人

  • 伊藤博文暗殺事件を機に日韓併合が早まった~~~伊藤博文暗殺その1

    明治38年に韓国統監府が設置されると伊藤博文はその初代統監に就任し、その後三年間で韓国は大きく近代化していった。しかし明治42年に伊藤はハルビンで暗殺されてしまう。伊藤自身は韓国併合に長らく反対していたが、彼が暗殺された後日韓併合が早まる結果となった。

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