41才で脳幹出血を起こした4児の劇団員パパの奮闘記。海綿状血管腫による脳出血の脳卒中。めまいとしびれでフラフラです。
退院は突然言い渡されます。これは入院あるあるのようです。「経過いいですねー、この調子だと今月中には退院できますねー」・・・・・・などと呑気なことはまず言われません!実際はこう↓「じゃ今週退院しましょう」・・・は?ていうか週も半ばなんですけど
入院しているといろんな人に出会います。若くして病気になった人、中年の劇団員、社長さん、プロのサッカー選手を目指していたのに車イス生活になっちゃった人、半身不随になって定期的に入退院を繰り返している人、病気になったけど完治して元の職場に戻って
「クリスタルパズル」。手のリハビリのために何かを作ってみようと思い、おもちゃ屋さんで見つけてきました。もちろんプラスチックです。トトロとかドラえもんとかありました。42ピースということで、そんなに難しくはないだろうと思いましたがこれがなかな
リンおばさんお迎えに始まり、初日からまったく懐かしくもないキッコーマン醤油に出会い衝撃を受けたのでした。食事の後、寮まで連れていってもらう道すがらリンおばさんが「オクラホマは道も広いから車やバイクも楽しいわよ」と言ってきたので、「日本でバイ
転院して初めのころは移動するのも大変だったのもあり、病室のベッドに座ったまま食べていました。その後、妖精ちゃんの飲み込み検査で誤嚥が発覚してからは、少しずつよく噛み、右を向いて飲み込み、どろどろのお茶を一口、それを繰り返しながら食べるので1
ダンボールピザって知ってます?説明すると長くなりますが、一言でいうとダンボールで作ったピザ窯です。(笑)小学校の親子工作で作ったものです。もちろん男親の力の見せ所・・・といきたいところでしたが手作業が多そうだったのでカミさんに行ってもらいま
69回。いい番号ですね。今回はまたまた妖精ちゃんのリハビリ教室ですが、基本的には毎日繰り返しのお口の運動です。たまに検査もあります。ベロの強さ測定、噛む力の測定、肺活量の測定、などなど。定期的に測定することでリハビリの効果が出ているかどうか
「負けず嫌い」ってよく聞きますけど、負けるのが好きな人っていますかね?みんな誰しも負けたくないはずです。だってくやしいもん!そもそも勝ち負けが決まるということは何かしらの勝負をしているということです。勝負しなければ負けることもありませんから
なんとか乗り継ぎもおわり、ようやっと目的地の「オ~クラホ~マシティ」に着きました。テキサスの空港とは打って変わって、小さな空港でした。この時から5年間何度も何度も来ることになる空港ですが、実際に飛行機に乗るのは行きと帰りの2度だけです。飛行
マイナーチェンジ発表されましたね。主にセンサー機能のアップとフロントマスクの変更のようです。発表前に購入しちゃいましたが、すぐ型落ちになるのを分かった上で安くしてもらっているので問題ありません!見た目は気になるところですが、写真を見た限りで
自分が住んでいた(?)病院では、「ご家族はどんどんリハビリに参加してください」という感じでした。それは、患者の現状を知ってもらい、どんなことをしているのかを見て、退院後も継続して家庭でもリハビリができるようにということなのです。最初に搬送さ
手足のマヒには刺激を与えるのが一番効果的です。ボールを握ったり、ザラザラしたものでこすったりするうちに少しずつ感覚が戻ってきたという話はたくさん聞きました。刺激によって神経から脳まで影響し、「信号を伝えなきゃ」という思いで神経が手と手を取り
片道切符でアメリカ留学、初めての海外、しかも英語がわからない。そんな状態でのまさかのフライト乗り継ぎ失敗。巨大ターミナルを徒歩で自力で移動しようとしたのが敗因です。その当時の自分には英語で行き方を聞く勇気はなかったです。ようやっと辿り着いた
入院中は右手がしびれていて感覚が全くなくなっていました。なので物を持ったり、字を書いたりがうまくできなかったのです。そこでエンピツを持って書く練習もしました。脳卒中や怪我などのリハビリでもよく使われるようで、ちゃんと専用の練習用紙がありまし
留学準備も終え、いよいよアメリカに向けて出発の日を迎えます。その後失踪してしまう実の兄が都内から成田空港まで車で送ってくれました。いや、兄は車どころか免許も持ってなかったので、正確には「兄の後輩が運転する車」で送ってくれました。兄は当時都内
41.ピアノを弾きたい昔から楽器はやってみたかったのですが、なかなか続かないものですね。ピアノは両手を使うのでリハビリにもいいんじゃないかと思います。もともと両利きなものできっとピアノはいける、、、んじゃないかと思います。もしも~ピアノが~
リハビリの部位によってやり方はいろいろあります。足腰はとにかく歩いて、立って座っての筋トレが主になります。手に関しては最初は指先の運動から始まって、摘まんだり掴んだり。それができるようになると、持って投げてと、より運動量が増していきます。顔
面会はあちこちからたくさん来てくれました。劇団関係者、同僚、先輩、友人、親、兄妹、親戚、従妹、妻、子どもたち。一番多かったのがアメリカの大学時代の友人でしたね。いやあ、色々活動していてよかった♪お見舞いにはいろいろと差し入れをしてくれます。
留学先が決まったら連絡をします。今だとEメールやHPから連絡できるんでしょうが、1995年当時はまだEメールやインターネットどころか、パソコン自体も一般的ではありませんでした。なので連絡手段は「手紙」です。アナログ!当時家にあった「ワープロ
「大きいお風呂」と「小さいお風呂」どちらも経験しまして、それ以降は小さいお風呂に入るようにしていました。週に1~2回。まるで囚人です。なので、お風呂は楽しみなのですが、しかしながら入浴は全身運動の大仕事なので一苦労でもありました。以前「今度
いきなりですが、「大人の○○」てなんだかエロくないですか?「大人のビデオ」「大人の本」「大人のおもちゃ」「大人の情事」「大人の事情」「大人の時間」「大人のぬりえ」・・・「おとなのぬりえ」とはこれのことです。これはお手本ですが、ぬりえなので枠
60回まできましたね~。感無量です。がんばって続けますよ~。またまた今回もリハビリに関してなんですが、入院中は口周りの麻痺、主に顔の右半分が痺れていて例えるなら「歯医者で麻酔されあとの違和感」がずっと続いていたのです。感覚もないのに加え動き
食パン食べてますか?ほとんどの人はスーパーなんかで6枚切り、とか8枚切り、とか買って焼いて食べるだけだと思います。(個人的には4枚切りが大好きですが、子どもには量が多すぎるし、家族6人では数が足りません!)でも、ホームベーカリー派の皆さんは
リハビリのお話もいろいろ書いてきました。オセロしたり、輪投げしたり、にらめっこしたり、爆笑させられたり。でもいつもいつもそんな遊んでばかり(?)じゃないんですよ!「妖精タイム」、「手のリハビリ」、以外にもうひとつ「理学療法」というのも毎日あ
リハビリは日曜を除くほぼ毎日3時間行われました。1時間ずつ3回です。その日によって時間はまちまちで9時~5時の間に行われます。朝8時から朝食があり、その後その日の予定を告げられるのですが、9時からだととても慌てます!食事に慣れてなかったり、
1990年代当時はまだ今のようなインターネットはもちろんなく、情報源は主に専門雑誌や書籍などの紙媒体でした。田舎育ちなもので大した情報もなく、海外ドラマや映画で見た世界への憧れでただ漠然と海外へ一度は行ってみたいなと思っていた程度でした(こ
31. 主婦的な発明をしたい大発明じゃなくていいんです。痒いところに手が届く、お手軽発明をしてみたい。そして、みんなの幸せな笑顔を増やしたい。それで世界が平和になればいい。(あわよくば多少儲けたい)あ、ちょっと心の声が漏れましたか?気のせい
「作業療法」という手の動きや日常生活での動きに関するリハビリは多岐にわたります。入浴・立ちすわり・つまむ・にぎる・はさむ・持つ・書く・投げる、などなど。前回書いたオセロや将棋もあれば「輪投げ」なんてのもありました。輪っかを投げて的の棒に引っ
1995年5月から2000年12月まで、アメリカのオクラホマ州というところに住んでいました。19才~25才の時で、半年の語学学校→州立大学卒業を経て帰国しました。楽しいこと、大変だったこと、いろいろ感じたことも多いのでそんなことも書いていき
前回は妖精ちゃんとのリハビリを書きました。今回はおじさん、いやいや、お兄さんたちとのリハビリの模様です。えっ?あんまり興味ない?・・・気にせず書きます。妖精ちゃんは言語聴覚なので口や喉に関する運動をしますが、手のリハビリは作業療法といいます
前回の食パン作りに続きまして、ピザづくりにも挑戦しました!ちゃんと説明書がついてるんです。あとはこの通りつくるだけ。・強力粉 280g・バター 50g・砂糖 25.5g・スキムミルク 12g・塩 5g
だいぶ身体も動かせるようになって、病室からリハビリ室まで歩行できるくらいまで回復してきたころ、腹筋メニューも加わりました。これは、口周り・ベロ・喉・腹筋と、しゃべったり、飲み込んだりする筋肉を、まとめて鍛えられるとても効率の良いトレーニング
ホームベーカリー(Panasonic SD-BMT1001)でパンを作った
最近、乳化剤や添加物が気になってます。原材料を見てなるべくそれらが入ってないものを買っています。安いパンには必ず乳化剤やその他諸々が入ってます。よくわかりませんが、あまり体によろしくないものらしいです。食パンを各メーカー見ると、「乳化剤不使
車いす生活からの卒業~に合わせて段階を追って様々な杖を利用してきました。今も使っています。今回は、杖にもいろいろあるのでそれらを紹介したいと思います。まず1番最初に練習したのはコレ。「4本杖」と呼んでたんですが、正式には「4点支持杖」「4点
発表会・卒園式・入学式、3大イベントもいよいよ大詰め。入学式にももちろん病院から行ってきました。歩行訓練も順調で、このころには車いすナシで杖や2本づえ(ノルディックポール)を使って院内の廊下を往復できるほどになっていました。入学式のある小学
21. 宇宙旅行に行きたいこれは男の子の永遠の夢ですよね。今でも20億円くらいあればできるみたいですけど、あれは地球のほんの表面の、「一応成層圏越えたから宇宙空間~」を体験して帰るくらいのツアーでしょ?せめて火星くらいは行ってみたいもんです
入院中に経験したのですが、他の病院でもこんなことってあるんでしょうか?それは、停電。こんな話は聞いたことありませんか?「病院がある地域は計画(輪番)停電から外れる」とか「万が一停電になっても予備電源があるから大丈夫」とか。でも知らないでしょ
11. 家族と海外旅行に行きたい幼い子どもたちはもちろんですが、カミさんも日本国を出たことありません。いつか日本がかつて戦った広大なアメリカの大地を見せてやりたいです。時速100キロで何時間走っても走っても、ただただ真っ直ぐな道路。それ以外
三男の発表会もおわり、ほっとしていましたが、今度は卒園式が待っていました。三男なので当然卒園式も3回目。慣れたもんで感動とは無縁でした(笑)それよりも、毎度の事ながら移動が大変!この時ばかりは遠方に住む母が駆けつけてくれました。朝一で病院を
大浴場と言う名の「極寒シャワー」に懲りた自分は、大きなつづらはやめて今度は小さなつづらを選んでみました。移動距離も近く、あったかく入れる、いわゆるユニットバスに挑戦することにしたのです。確かに近い!病室を出て廊下を行くとすぐ!しかも病棟フロ
リハビリの一環で始めたノルディックポール(2本杖)を使用して、ムーミンでもお馴染み、フェンランド発祥の「ノルディックウォーキング」を地域の方々と楽しんでいこうというサークル活動です。埼玉県飯能市にできた「メッツァビレッジ・ムーミンバレーパー
転院前は毎日のように看護師さんとシャワーか、看護師さんに洗髪台で頭を洗ってもらうか、体調によっては看護師さんに温かいタオルで身体拭きをしてもらってた懐かしい日々・・・。しかし転院してからは週に1回に。それもリハビリの先生に見張られながら(男
やりたいことの続きです。6.ブログを第100回まで続けたい! 昨日からなんだか色々考えてたんですが、いつの間にかやりたい事じゃなくて目標探しになっちゃってました。○○やりたい!じゃなくて、○○をやってやる!みたいに。ホント日本人まじめネ。w
妖精ちゃんとは日曜を除いて毎日リハビリします。もちろんお休みの日もあり、その時は代わりの人がきます。なので週5日、月20日、リハビリで会うことになります。これだけ毎日やっていると、日が進むにつれていつものルーティーンというか、だんだん流れ作
何かで見て何かで影響されたのでちょっと以前書きかけていたものを更新も含めて書いていきたいと思います。区切った方がいいのかな?少しずつ足して行こうと思います。1. 「天覧山」に登る (済) これは近所にある山、というか丘?なんですが、子どもで
病院といえど、建物ですのでメンテナンスや工事や補修なども当然あります。全国の病院を知っているわけではありませんので、あくまでワタクシの体験談でございますが、ある朝、部屋を追い出されました。年に一度のワックスがけの日に当たってしまったのです!
またまた妖精ちゃんで思い出しました。ブブーっと思わず思い出し笑いするほどに。前回リハビリ中に数数え忘れたという話を書きました。言語聴覚のリハビリというのは口やベロの体操、いわゆるお口の筋力トレーニングですね。これは日曜日を除くほぼ毎日、1時
さて、次男の発表会に行く準備は万端で、いよいよ向かう当日のことです。面会は9時からなのですが、発表会は10時前にはじまっちゃうので、面会時間外ですが、朝早くからカミさんに迎えに来てもらいました。事情を話して許可をもらえば時間外でも滞在できる
第44回 次男の幼稚園の発表会をむりやり見に行った話 ~杜子春編~
入院中にどうしても参加したい行事が3つありました。なんせ12月頭~4月末の重要イベント目白押しの時期に入院していましたからね。しかも丁度次男が年長さん。卒園です。次男の「幼稚園の卒園式」「小学校入学式」、そしてもう1つは「発表会」。幼稚園の
ホラー続きだったのでちょっと明るい話題を。手や足のリハビリは、握ったり摘まんだり、立ったり歩いたり、と割と傍目にも地味で、でも結構つらい時間だけがただただ過ぎていきます。そんな中、唯一の癒しの時間が「言語聴覚」でした。顔の右半分が痺れて軽く
自分でやることがそもそも好きなんです。小さい頃はいろんなものを分解しては怒られてましたが、一人暮らし始めてからは、DIYにも目覚め、・水道フォーセット(蛇口)交換・こたつの電熱部の交換・壁紙貼り・パソコン自作(何度もPCショップに教えてもら
さてさて、本日ご紹介する便利グッズは・・・スマートウォッチ!妖怪は召喚できませんよ?妖怪ウォッチとは関係ありません。以前から気になっていたんですが、とにかく高いっ!大手メーカーから出ているものは数万円します。しかも電池持ちも悪く、2〜3日ご
さて、入院といえばもう一つ思い出したホラーな出来事がありました。実はこれが入院中の一番の恐怖でした・・・・・・あれは 寒ーい冬の よく晴れた日の晩 のことでした。数日前に新しく入ってこられた新人(?)のおじいさんがいたのですが、食事も終わり
さて、入院中のホラーな出来事ですが、これは本当に不思議な体験でした。うんこに悩んでた頃、昼夜問わず夜中にもしょっちゅうトイレに行っていたのですが、そこでの体験です。一度トイレに座ると30〜60分は頑張っていたと思います。お腹周りがマヒしてい
最初に入院した救急医療の病院は真新しく、病状が安定するまではナースセンター近くの個室(もちろんこちらが希望したわけではないので大部屋と同じ料金です笑)、その後、6人部屋をいくつか転々としましたが、夜間でもうっすらと間接照明が暖かく廊下を照ら
うんこが解決しかけてるそのころ、体力も奪われ、リハビリも軽めにしてもらっていました。実は転院前、北川景子先生(仮)にかなり脅かされていました。「救急病院と違って回復期病院に転院したら、朝から晩までみっちりとリハビリありますからね」と。確かに
近くて遠い観光地。誰しも経験あるかと思いますが、いつでもいけるからとなかなか行けずにいたのです。ところが!三男の小学校入学時に、地元民へのプレゼントとして親子1組招待券をいただいたのです!!!あざーっす!でも期限があるもので慌てて先日の週末
前回うんこの出し方を忘れてしまったうっかり者ですが、その頃は毎日、1~2時間おきにトイレに行ってました。便意は定期的に来るので、慌ててゆっくり車いすに乗ってトイレに行きます。1回トイレに行くと最低30分は座ってます。一体どれくらい出ないうん
第35~36回でおしっこが出なくなった話をしましたが、その次に便がでなくなりました。便秘になって苦労した方もいるでしょうが、ほんとうに辛いです!おしっこに気をとられていて気がつかなかったんですが、気が付いたらしばらくウンコしてませんでした。
前回はおしっこ出なくなった(「おしっこで亡くなった」と変換された。縁起でもない!)はなしをしましたが、こっからが大変でした。もう尿管カテーテルはこりごり、もう二度としたくないと感じたので、なんとか自力で出せないかと何度もトイレに行きました。
脳出血を起こし、何も手立てがないまま転院したわけですが、転院後徐々にしびれ・まひが強くなり、車いすが欠かせない状態になりました。もちろんトイレは車椅子で行ってました。ベッドから降り、ベッドの手すりを頼りに車いすの座面を確認し、後ろ向きになっ
飲み込みがうまくできなくてトロミのついたものしか飲めなくなったんですが、もう少し詳しくお話ししましょう。誰しも経験あると思いますが、慌てて飲んだ飲み物が気管に入って(入りかけて)ゴホッゴホッとむせることありますよね?そうやって気管や肺に水分
以前にも書いたかと思いますが、脳幹部に出血を起こすとマヒやしびれなどが出るのですが、左右どちらかにキレイに分かれます。自分の場合は右半身でした。口周りも右がやや強めでしたが、眼だけは左に影響がでて寄り目状態でした。首のところで神経が交差して
転院してから完全に車椅子生活になりました。もちろん前の病院でも車椅子は使ってましたが、主に移動のために乗って押してもらう事がほとんどでした。転院先では一人一台車椅子がありました。テーブルはないけど。リハビリのためにも、自分でトイレや食堂へ行
転院先でのリハビリは立つだけでも大変でした。移動はもちろん車椅子ですが、はじめはベッドから車椅子へ座るのも誰かの介助が必要でしたので、トイレに行くのも一苦労でした。リハビリはリハビリ室に行って行うのですが、その時の担当の先生が病室まで迎えに
さて、2017年1月も終わりに近づいた頃、新たな入院生活に入り思うように身体も動かせず、寝てばかりで冷たい食事に益々食欲がなくなり、早く退院したいと、そればかり考えていました。そんな中、新たなリハビリ担当さんがやって来ました。小麦色の肌をし
転院先に着き転院の手続きを済ませた後、CT検査、診察と続いたんですが、CT画像をみたお医者さんの一言目が、「君よく生きてたね?」お医者さんが普通そんなこと言います?縁起でもない!まあ、出血の跡が直径5cmくらいあったそうなので、普通それくら
いよいよ入院二軒目です。もう一軒いきますか?てなもんです。当日の朝、最後の食事を終え、会計をすまし、荷物をまとめたらもう後は出口へ向かうだけです。最後の病室は6人部屋でしたが、入れ替わりも多く、カーテンも締め切りで隣がどんな人かもわからない
自宅外泊から無事戻り、温かい我が家、いや病室でほっと一息。看護師さんたちは「お帰り~どうだった?」と出迎えてくれます。正直「疲れた」の一言です。そして、ほっとしたのもつかの間、いよいよ翌日は転院です。カミさんに翌日の着替えや歯ブラシなど必要
前回急きょ「転院」が決まったワタクシですが、転院の前に一度「自宅外泊」しようと考えました。聞きなれない言葉かと思いますが、「一時帰宅」とも言います。入院中なので、外出するには医師の許可がいります。宿泊ならば「外泊」、つまり、「一時帰宅+外泊
転院。それは突然訪れます。「転院決まりましたよ。今週の金曜か週明け月曜どちらがいいですか?救急車いらないですよね?」「え?テンインてなに?おいしいの?今週??救急車???」もうビックリマークとはてなマ...
年も明け、世間が日常に戻りだしたころ遂に満を持して田舎から母と妹がやってきました。里帰りは毎年していたものの、母が訪ねてくるのはこれが初めてでした。車・飛行機・電車を乗り継いで1日がかりで移動なものですから、年老いた母には大変なことです。「
病院って何かにつけて急に言われることが多いです。転院、退院、検査、回診。本当に、「えっ今から?」なんてこと日常茶飯事でした。もちろんこちらは患者なのでプライベートな時間なんてありません。その中でも毎回困るのが回診。ほぼ毎日。それも朝一だった
ひっそりと年が明けました。昼間も寝ていたのに、ぐっすり熟睡。気が付けば朝の回診でした。みんなが嫌がるクリスマスイブや年末年始の夜勤を自らすすんで引き受ける男性看護師さんと、また一夜を共にしてしまいました(笑)「あけましておめでとうございま
2016年12月31日大みそか。英語で言うと「ニューイヤーズイヴ」。元旦前日。全然情緒がないですね。大みそかの病院内とは言ってもいつも通りの日常です。病気に休日はないですからね。まさかこんなところで年を越すとは思ってもいませんでした。ギリギ
忘れもしない2016年12月30日晴天、曜日は忘れました。親戚に子ども4人を預け、片道4時間かけて、日帰りでカミさんが会いに来てくれました。子どもは入室禁止なので、ゆっくりと会いに来てくれるのは初めてでした。着替えを交換し、「痺れ・めまいが
子どもたちの学校は冬休みに入り、家族そろって親戚の家で待機、リハビリも年末年始はお休みで病院内の職員さんも少なく病棟もいつもにも増して静かになっていました。身体の右半身はしびれが続き、手先、足先は感覚も鈍く、ほとんど右手は使い物にならなくな
新しくできたムーミンのテーマパークへの行き方を写真付きで解説します。
第18回 年末の病院で点滴チューブの気泡の安全性の実験をした
年末が近づいてきて病院内も慌ただしく・・・なると思いました?至って静かです。いつもにも増して。というのも「正月くらいは家で過ごしたい」と、一時帰宅される方が多いんです。もちろんそれどころじゃない自分みたいな人もいますが、職員さんも休みがちで
いよいよ年末も差し迫った頃、また笑わせてもらいました。北川景子先生(仮)に。担当のリハビリの先生は口・手・足と3人いるのですが、それぞれ全く連携取れていません(笑)「〜先生今日来ました?」なんて景子先生によく聞かれていました。俺に聞くなよ!
2016年のクリスマスは土日でした。週末は当然、お医者さんや看護師さん、リハビリの先生達も大半がお休みなので、いつも以上に静かです。休日は病院にもよりますが、ここは救急病院だったためかリハビリに関しては「日曜休み・週2回1時間程度」でしたが
前回の続きになりますが、リハビリ担当の黒髪の北川景子先生(仮名)の笑い話をひとつ。まず驚かされたのが、1回目と2回目のリハビリで苗字が変わっていた事。以前書いたかと思いますが、初対面からわずか数日で名前が変わっていたので、記憶障害が起きてる
「理学療法」とは歩けるようになるためのリハビリなのです。口・手・足の内の「足」に関するリハビリテーションですね。足の動き、歩行の練習、歩行や立ちすわりに必要な筋力トレーニング、などなど行います。最初の方に出てきましたが、この担当の先生は女優
前回、家族が呼ばれ説明があったわけですが、現状ではなすすべ無し、身体(脳)の回復を待ちましょう、ということになったわけです。とりあえずこれで自分の状況がわかったわけですが、手術はできず治療法もない、つまり一言でいうと「お手上げ状態」なわけで
手術並みのカテーテル検査から数日後、カンファレンスの日がきました。要は、検査で撮った画像を見ながら、今の状況の説明と今後の治療方針を話し合うのです。家族以外に、親兄弟、叔父まで駆け付けてくれたのですが、まだ気楽に構えてた自分は「みんな大げさ
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