20日目 上海→日本 浦東機場の綺麗なトイレを見て中国の行く末を思う
インドという戦地から離れた僕は、ホーリーの色粉で真っ赤に染まった顔で上海(浦東)に着いた。赤の染まり具合が、いかにインドが凶悪な場所だったかを物語っている。僕はさながら生還した勇者。赤い顔にも誇りが持てる。ちなみに今は朝6時前だ。ここで日本行きの便を4時間
19日目 デリー→上海 インド最終日にして最大のイベント、ホーリーに参加したらかなりきつかった
ついに待ちに待ったホーリーが来た!僕はインド出国日にホーリーという恵まれた境遇にあり、年末に航空券を取った際はそのことを全く知らなかった。まさに奇跡的幸運と呼べる。仮に出国日が昨日だったならば、キャンセル不可も気にせず余分に金を出して今日の便を予約し直す
18日目 デリー インドにいる日本人みんなキャラと人生が濃すぎて価値観変わりそう
今日の目的は「チェス盤を手に入れること」だ。自分用のお土産である。実はチェスは僕の趣味、というほどでもなくて将棋が好きでして、日経新聞に載ってる最新の将譜は欠かさず毎日チェックするし毎日出題されるアプリの詰将棋も常に欠かさずやってるし図書館でも「最強棒銀
17日目 デリー 二度目の下痢に襲われて数少ないトイレ探しに奔走するけど強がる
夜中から腹が痛く、ヴィシャルホテルのトイレで呻く。なんだか今回の下痢は7日目と違う。本格的だ。熱っぽさはなくなったものの、風邪菌が全て腹にやって来ている気がする。腹が重い……昼前には日本人宿へ移動した。同じ部屋にはインドに着いたばかりの初心者学生2人、kくん
16日目 バラナシ→デリー 1日くらい引きこもったっていいでしょ?
バラナシからデリーの距離は700km以上あり、列車の旅は12時間半に及んだ。広大な中国ではもっと長い列車旅もあったものだが、今回はこれが圧倒的な長さだ。インド旅で最も退屈な12時間半も無事終わり、最初の地、石を投げればリクシャーか悪徳旅行会社の勧誘にあたるデリーに
15日目 バラナシ→デリー 調子乗るリクシャーに堪忍袋の尾が切れ、キレ芸を身に付ける
「shut up!!!!」このように叫ぶ機会は日常生活でほとんどないだろう。しかしここインドでは違う。ときには怒り、ときには叫び、自分のソウルを曝け出してこそ道は開ける。常識の輪廻から解脱しろ。朝8時半にとある日本人宿をチェックアウトする。そこの日本人女将になぜそん
14日目 バラナシ 占いで子宝に恵まれ84歳まで生きると判明するも散財する
今日は郊外にあるサールナートへ。とりあえず前日のplease wait事件をきっかけに親しくなったリクシャーのもとへ。往復500ルピーで交渉成立。こぐ。まだこぐ。まだまだこぐ… まだまだまだこぐ…… あの、なんかすみません。よく考えたら10km離れたところに行くのに
13日目 バラナシ スマホを落としたことで、切羽詰まると人は強いと知る
バラナシの朝は早い。日の出とともに輝きを増すガンガー(ガンジス河)を見るために、早朝から多くの観光客が河岸に向かう。僕もその1人だ。6時半には宿の仲間とボートに乗った。ここで人は沐浴や火葬をする。火葬場の揺らめく大火を見ていたら、なんだか昨日までのイライラ
12日目 サトナ→バラナシ チェス発祥の地インドで小学生相手に本気を出す
サトナの宿では、なぜかチェックイン時にパスポートを預かり、チェックアウト時に返すというシステムを取っていた。 正直なところ、インドのホテルを信用していないので、パスポートを預けている昨晩は不安だった。ボロいくせに600ルピーも取られたし。その上、朝のチェック
11日目 カジュラーホー→サトナ 超マイナーな街で這い寄るインド人に怯える
昨晩は悩んだ。カジュラーホーからバラナシに行く最適な方法がわからなかった。火曜日の朝にカジュラーホーに着いたのだが、次にバラナシへ向かう列車はなんと3日後(金)の夜らしい。足止めだ。そんな田舎なんですかここは……なおかつ、すでにその列車は売り切れており、ウ
10日目 カジュラーホー ノーヘル2ケツで80kmオーバー出すもんだから死ぬかと思った
カジュラーホーは村というだけあって田舎だった。駅の周りになにもなく、ついでに外人も見当たらず、複数のリクシャーが僕一点に集中して声をかけてきた。この人たちのお世話になる以外の選択肢はなさそうだ。適当なホテルまで走ってもらい、それから有名な寺院群へ。ここに
9日目 アグラ→カジュラーホー 鉄道アプリの使えなさと車両番号の意味のなさに呆れて立ち尽くす
アグラは満足したのでバラナシに行くつもりだったのだが、少し旅程に余裕がありそうなので途中下車を考える。ここは地球の歩き方のプラン通り、カジュラーホーという街にしようか。しかしここは街というより村らしい。無事いけるか心配だ。鉄道アプリのixigo trainsを開き、
8日目 アグラ ギャグマシーンおじさんに着いて行ったら正体は宝石屋だった
病み上がりの身体に鞭を打ち、朝5時前に起きてタージ・マハルへ。昼は混むだろうし、朝焼けのタージを見たいからだ。日本にいたときの僕がインドと聞いて思い浮かぶものはカレーとナンとタージ・マハルくらいしかないが、このうちカレーは日本でも食べられるし、ナンはむしろ
7日目 ジャイプル→アグラ リクシャーも道がわからず、風邪とともにアグラの迷宮に入りこむ
今朝、ついに下痢が起きた。インドに行くと皆堪え難い下痢に襲われるというが、僕は今日この日まで屋台のものや民家のものを食べてもピンピンしていたので、少しショックを受ける。僕の胃腸が特別優れているなんてことは決してなかった。しかも、心なしか熱っぽい気がする。
6日目 ジャイプル 裏切り、逃亡、そして見つかり、嘘つきだと罵られる
前日はホテルに戻ってから、貴重な体験ができたことに満足して横になる。紹介してくれたホテルもなかなかのものだ。ん……?いや2004年のポスター!!15年前に取れよ!!しまった。まさかの手抜き物件だった。まぁしかしそれとは関係ない。明日もきっと素晴らしい思い出がで
5日目 デリー→ジャイプル なぜかインド人の民家に連れて行かれて家族の一員になる
幸い、今日はジャイプール行きの列車を取ることができた。オールドデリー駅の何番のホームにその列車がつくのか全くわからず、周りに聞きまくった。列車のホームがわかってからも何号車が僕の位置か全くわからず、周りに聞きまくった。最初は間違えて安い車両に乗り込んでし
4日目 デリー メインバザールでは徐々に「フレンド」が増える
昨晩は本格的カレーも食べ、ホットシャワーを浴び、最高の気持ちで朝を迎えることができた。場所は昨日と同様にデリー中心部のメインバザールの一画だ。そして昨日同様にまずはラッシー屋さんへ行き、今日はマンゴーじゃなくてアップルのラッシーを頼む。そして僕が言われる
3日目 デリー 「何で俺を信じないんだ」とインド人に責められる
2日目は宿についてから一歩も外に出なかった。腹も減っていたしミネラルウォーターすら持っていなかったが、僕はとにかく臆病なのだ(泣)外に出るどころか、水道水を沸かして飲む勇気すらなかった。朝になり、空腹と喉の渇きでフラフラしながらも喧騒にまみれた通りに出る。
2日目 上海→デリー やっぱりニューデリー駅でリクシャーに騙される
書くのが遅くなっちゃった。インドに着いてから少しの間simカードのアクティベートができず、スマホを使えなかった。とはいえ単純に書くのをサボっていた面が大きい。2日目も昼までは上海をブラブラした。 その後、どんな困難が待ち受けてるかと身構えていたもののすんなり
ついに始まった学生最後の一人旅。今回の目的はインドだが、初日の今日はトランジットの関係で上海にいる。僕は中国に留学(という名の旅行)をしていたから、上海なんてもはや日本と全く同じ感覚で歩ける。それくらい慣れてる。……はずだった。たしかに上海は今回で3回目だ
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