死のプログラムがなくて個体がずっと生きていると、子孫はエラーのある遺伝子ばかりになってしまい、種が生きのびる可能性が減る。種のために個は死ななければならないのだ。これが私たちが死ななければならない理由である。
書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』『通勤自転車から始めるロードバイク生活』小説『ツバサ』執筆者。
生きることへの恋歌を綴っています。
長期間留守・不在にするのにネット通販ついポチっちゃったらどうすればいいの?
長期不在の場合は、品物の発注元(楽天市場ではなく、発注した商店へ)に連絡するか、宅急便の発送完了の連絡メールがあれば、運送会社へ不在のむねを通知することとしています。要冷蔵の腐りものなどを、ついポチってしまう人もいるだろうと思います。その場合、被害額を実費請求されるようなので、お気をつけください。
ロードバイク乗りが、クロストレーニングとしてマラソンを取り入れることのメリット・デメリット
トレーニングというのはある意味、時間との勝負です。年に一度の決戦レースまで、持ち時間は限られています。これはその限られた時間の中でいかに効率的なトレーニングをするか、という勝負なのです。時間の使い方の上手下手で勝つことができる勝負なのです。
最初はラクダに乗っていたのだが、股裂きの刑が辛すぎて、降りてしまった白人。せっかくのラクダ・キャラバン・ツアーなのに、ラクダを降りてしまう人がいるのは、ラクダの座席の開脚具合がえぐいから。それほどヒトコブラクダは開脚の角度がえぐかったです。
南房総は常春の楽園。南房総の水滸伝。曲亭馬琴『南総里見八犬伝』
曲亭馬琴『南総里見八犬伝』は、南房総に(里見家の)楽園を築くという話しです。それは南房総に常春の楽園ができればいいのにと願っている私の希望そのものだからです。南房総は山で仕切られた半島の南端。独立王国の様相を呈しています。南房総は常春の楽園です。
ロビン・フットとウイリアム・テルを混同していた人が、両者の違いを解説します
ロビン・フッドとウイリアム・テル。どちらも自由を求めて悪政・権力と戦った弓の名手ですが、どちらも架空の人物だとされています。イギリス人も、スイス人も、民族を問わず自由を求める英雄を民衆は必要としているということかもしれません。
サドがつくろうとしたのはエホバ神のいない世界観でした。しかしマゾッホはヴィーナスをつくろうとしました。そしてその女神と契約しようとしたのです。わたし以外は信じるな、というエホバ神から見ると、これもたいへんな背教ということになります。
FIRE! 隠居の本質は仕事を辞めることではなく、人間関係の位置を占めることを望まないということ
隠居の本質は仕事を辞めることではなく、人間関係の位置を占めることを望まないということです。ハンパに「中心タイプ」になろうとして失敗したら、センターにはなれず、自分らしさも失ってしまいます。自分をつらぬくことが、いちばん大切なことです。
自転車は自分の足で地球を動かして前に進む。→いい表現ですね。自分が進む、と書くのが普通ですが、地球を動かす、という表現にしびれました。人生すべてが書くためのネタ探し、みたいなところが作家志望にはあります。石田ゆうすけさんもわたしも同じです。
『聖母』マゾッホ文学をマゾヒズム文学として読むと理解できない
マゾッホ文学をマゾヒズム文学として読むと理解できないだろうと思います。脳髄から発した性欲を否定して忘れ去ろうとした宗教と、それを真正面から見つめた文学というのは、やはりどこかで対決する運命なんだろうと思います。
ブロガー、ユーチューバー、アフィリエイト、株式投資は、リタイアメントビザの就業禁止規定に抵触するか?
アパート暮らしの人が1年間外国で暮らすならば、日本の家具はレンタル倉庫にあずけてアパートは引き払ってしまった方が安く上がるでしょう。宿も長期滞在用アパートを借りた方がいいと思います。三セットのパンツやシャツを毎晩手洗いする生活を1年続けるのは辛いのでは?
飛行機の窓枠だけあって外が見られない視界が塞がっている座席の謎
飛行機の窓枠だけあって外が見られない視界が塞がっている座席の謎について解説します。室温調整のためのダクトの通り道なのでふさいでいるというのが正解です。普段、バス感覚で利用している飛行機が、おそろしく精密で高度な技術の結晶なのだということがわかりました。窓を開けるだけで換気できるバスとはぜんぜん違うんですね。
サマセット・モーム『淵』は『エドワード・バーナードの転落』と対をなす作品です。「南洋に同化しきれなかった白人男の悲劇」と「南洋に同化しすぎて白人社会を捨ててしまった白人男の生き様」。「転落しなかったバーナード」と、転落してしまったローソンの差は何でしょうか?
ソウル日本人学校は公立? 私立? 海外義務教育。教育のレベルと、教員になる方法と給料
日本人学校は、学校教育法上の「学校」ではありませんし、校舎を官側で建てていないので公立小学校とはとても言えません。公立小学校というよりは、助成(教員派遣)を受けた認可された私立小学校だといったほうが正しいでしょう。
<ロードバイク>アパートでローラー台トレーニングをすることは可能か?
ローラー台の下にミルフィーユ的なレイヤード対策を施せば、アパートでも騒音・振動を気にせずに問題なくトレーニングできました。バーチャル・トレーニング(ゲーム)。そんな新しい世界を展開してくれるのがローラー台です。VRカメラまで装着したらゲームだかロードバイクだかわかりません。
物語の元祖、トロイア戦争の「その後」は表ルート(オデュッセイア)も面白いが、裏ルート(アエネーイス)も負けず劣らず面白かったです。すくなくとも苦心惨憺たる航海の末、やっとのことで故郷イタキ島に戻り、愛妻ペーネロペーと夫婦生活を取り戻しただけのオデュッセウスよりも、アイネイアスの方が歴史的には大きな存在だったといえるかもしれません。
独居老人が、入院という強制的な集団生活の中で、はつらつとした感情を示すようになったというエピソードを聞いて、ああ人間っていうのは人の間で生きているんだあ、と強く感じたのでした。テレビドラマ(映像作品)の視聴は刺激にはならないのです。
「慟哭の法廷」と呼ばれた林の反省・苦悩する姿が、遺族をして「死刑をのぞまない」と評価されたことで、無期懲役となり死刑求刑をまぬがれました。いちはやくの自供が「自首」と認められ事件の全容解明に多大な貢献をしたことが評価されたからです。
離婚女性におすすめしたい自分をさがす女の書。イプセン『人形の家』
自我なんてそんなわけのわからないものよりそばにいる人と楽しくおかしく生きて行った方がいいという考え方もあります。個性があるということは特殊で、フツーじゃないってことです。こういう人とつきあうと女性は振り回されて疲れます。「自我なんかいらない」と彼女は言いたかったのでしょう。
永遠に勝ち続けられる者なんて、ひとりもいません。これが人間のさだめです。負けを知らない人間なんて、古今東西、ただのひとりだって存在したことはありません。 すべての人間は負けて終わる。だからこそ負け方が、負けてもなお意義を見つけることが、勝敗以外の価値を見つけることが重要なのです。
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死のプログラムがなくて個体がずっと生きていると、子孫はエラーのある遺伝子ばかりになってしまい、種が生きのびる可能性が減る。種のために個は死ななければならないのだ。これが私たちが死ななければならない理由である。
全身マッサージなどしてもらうときに粉瘤もちの人は注意してください。あまり強く揉みしだかれると粉瘤は爆発します。熱をもって化膿し、コブの袋が破けて、穴から臭い汁がダラダラ流れ出します。粉瘤大爆発です。
結局、どこに住むかというのは、ロケーション、ロケーション、ロケーションなのである。敷地面積とか、新築だとか築何年の家とか、そういうことはどうでもいい。ロケーションが悪ければ、どれだけすばらしい家に住もうとも魅力的とは言えない。
はじめてのコースだどこが危険かわからないので、常に周囲に気を配りながら走ることになります。同じコースを走るデメリットは、刺激が少ないということでしょう。しかし外界の刺激がすくなければ、自分の心の奥深くにまで沈潜して、そこに刺激をもとめればいいのです。
仕事が忙しかったり、自分の生活に懸案事項があるときには、わたしにとって文学は、頭に入ってこないものなんだなあ。これがわたしにとっての文学です。文学なんてその程度のものなのです。この世界の謎を解き明かしてくれたりとか、すべての悩みを消し去ってくれる悟りの境地を教えてくれるとか、そういう幻想を抱きがちですが、そういうものはないのです。
『赤毛のアン』は、思いがけないことから子供をもつことになった女性(マリラ)の話しだと捉えることも可能です。まるで「かわいい子犬を飼ったら家族はどうなるのか実験」のようなものです。小さなアンは暗くなりがちな兄妹の生活を明るく照らし、かけがえのない存在へとなっていったのでした。
シャーロット・ブロンテは現代日本に生まれていたら、作家ではなく少女漫画家になっていたんじゃないかな、と思います。それほど『ジェーン・エア』は少女マンガに欠くべからざる要素が詰め込まれた元祖のような作品でした。
これから葬儀をやる人は、とくに「小さな祭壇なんて恥ずかしい」と感じる人は、いっそ家族葬はやめて一般葬にすることも検討していいと思います。たくさん人が来れば、香典が増えてペイできるからです。
誰でも他人のウンコの方が自分のウンコよりも臭く感じるはずです。それはつまり他人のウンコは新しい病原菌に感染する可能性があるから気をつけろ、と強烈なアラームが鳴っているからです。臭気というのは「病原菌に感染」を警告するアラームなのです。
走らずには、他のもっと大切なものが成立しない。わたしにとって走るとは、気持ちよく生きるためのベース、それがわたしにとっての「走ること」だ。 あなたにとってランニングとは何ですか?
サイクルジャージは記号です。このチームの一員ですよ、というシグナルを発しているのです。だから一番上に着ないと意味がありません。いちばん上に着てこそスイミー効果が発揮できるのです。
自分にとって最高の小説は、自分にしか書けない。私はこう思っています。最後の作品は「まだ見ぬ未来の作品」ではなく「あなたの作品」こそ選びたいのです。だから最後の一作はあなたの「その作品」を。
単一作物の栽培はそれほど難しくありません。小麦の奴隷になったといいますが、小麦だけなら難しくありません。農閑期というのは暇なんですよ。常に飢餓に追い立てられているのは狩猟採集民の方でしょう。従来の学説は間違いで、暇なのは農耕民族で、忙しいのは狩猟採集民なのではないかな?
生きていくことはたたかいだから、どんな物語でも、すべてはバトル(心の葛藤)ものなのです。少年マンガは肉体的に打ちのめされるのですが、少女マンガは精神的に打ちのめされるのです。人生を学びたいなら少年マンガよりも少女マンガを読むべきでしょう。接触系バトル漫画やバトルゲームばかりしていると、非接触プレイばかりの現実社会に適応できなくなるぞ。
私はすでに表現者であって、受け取り手ではないため、大人のつくったコンサートに我を忘れて熱狂することができないのです。だってそれは演出されたショーだから。作り手になると、創作物を昔ほど純粋に楽しめないのです。映画や芝居でも同じことになります。
日本各地に存在する農業試験場さん。これからの植物の品種改良はここじゃないでしょうかね? 「いちご」や「ぶどう」など他の植物も根粒菌を利用できるように品種改良すること。 そうすれば、たくさんの肥料を撒く必要がなくなります。痩せた土地でも作物が育つようになります。
『危険な関係』を「悪を描いている」と論評する人が多いのですが「悪を描きたかった」わけではないと私は思います。結果として「悪を描くことになった」というのが本当のところではないでしょうか。
最後に、我が第二の故郷・韓国ソウルに向けて、心からの愛とエールをおくりたいと思います。いつかまたきっと遊びに行くよ。私にとって韓国は「近くて遠い国」ではなく、「近くて近い国」だから。
「紅葉」と書いて「メイプル」とか、キラキラネーム系に難しい読み方はいくらでもありますが、私が感心するのはそういうタイプの漢字ではありません。読み方に物語性のあるものです。おもしろいな、その読み方。読み方にストーリー性があるじゃないか。
韓国語で見るディズニー映画で大爆笑してしまった件数年前のこと、飛行機内の小さなディスプレイで映画を見て、妻のイロハが腹をよじって大爆笑していました。笑いがこらえきれないという感じです。その様子を見ていてこっちまで楽しくなってきました。何やら
専門家と議論するとき、自分に資格がないからといって怯むことはありません。相手の資格がプレッシャーに感じるなら、資格を持つ人が書いた書物を盾にたたかえばいいのです。資格を盾に議論する人間は、資格に弱いものです。業界の大家の意見に尻尾をまいて逃げ出すかもしれませんよ。
明確な手術ミスによって下半身不随などの重大な後遺症が生じた場合、医療過誤の損害賠償請求はできます。手術前にどんな契約書、同意書を取り交わしていようとも、それが憲法、法律に違反する内容であった場合、取り交わした内容はそもそも無効なのです。
結婚式の花嫁の介添え人は、幸せな気分をおすすわけいただけるでしょうが、結婚する本人ほど幸せではありません。旅はアテンドではなく、お客として行くのがいちばんいいのです。このことだけは覚えておいてほしいと思います。
坐骨神経痛には別の理由があるかもしれない。坐骨神経痛に悩まされています。お尻が痺れる症状、自分でわかる自己診断方法。坐骨神経痛か、梨状筋症候群か坐骨神経痛になる原因はいろいろなことが考えられます。もっとも有力なのは脊柱管狭窄症、およびその一
椎間板ヘルニアも脊柱管狭窄症のひとつです。椎間板ヘルニアというのは、背骨の椎骨と椎骨のあいだにあるクッションである椎間板の中身である髄核(ゼリー状のゲル)が、椎間板の繊維輪が破れたことにより外に飛び出して、脊髄神経を圧迫することで坐骨神経痛を引き起こすという病気です。
小説『ムグケノ花ガ咲キマシタ』を読むかぎり、統一韓国は核保有国になるのではないか、という気がします。「アメリカなど強国の意志に屈服するな、韓民族よ誇りを持て。そのためには核保有国になるべきだ」というスピリットがこの小説を大ベストセラーにした要因だからです。
賞するならば、賞にあたいする人物を。将来、ノーベル文学賞は廃止され、その代わりに「ノーベル・イノベーション賞」「ノーベル・テクノロジー賞」のようなものが創設されるだろう。作家よりも、社会をよく変えた人のほうがはるかに賞に値いすると思いませんか?
『ローマの慈愛』という絵画のモチーフがあります。餓死刑に処された父親を救うために、娘が母乳を飲ませるという作品です。スタインベックは『怒りの葡萄』という物語のラストに現代アメリカの「ローマの慈愛」を持ってきました。
生きることが意味を持っていないならば、たとえ無限に子孫を残し得ても何の意味も持っていない。子どものいない女性が無意味であるとするならば、人間はその子供のためにのみ生き、その実存の意味はもっぱら次世代のうちに存ずるということであるが、各世代はこの問題を解決せずに次の世代へ押しやるに過ぎない。
死ぬ直前の文豪にしかわかりえない人生の秘儀、そんなものは「ない」のです。文豪にしか書けない「命の結論」「人間の生き方の隠された秘密」みたいなものは何もありません。それを知るために、本を読むのです。自分の死に自分が納得するために。
「イエスが裏切られて十字架の上で死ぬ」というのは定められた神の計画の一部です。そういう意味ではユダに自由意思はありませんでした。だって神の計画を実行した駒に過ぎないんですから。だれが神のプランに逆らえるでしょうか。むしろ選ばれた人だともいえます。
バックパッカーの場合、パスポートや税関、検疫、為替などに関する理解の他、出入国手続きなど得意分野が試験科目に入ってくる総合旅行業務取扱管理者の試験を受けた方が、国内旅行業務取扱管理者試験よりも合格率は上がるんじゃないでしょうか。
「高額紙幣強奪事件」海外では相手の商売人の目の前で財布を広げてはいけません。せっかく貧乏人のふりして長時間かけて値切り交渉したのに財布の中身は高額紙幣がずらりとならんでいたら相手商人に対して失礼ですし、値段交渉が振り出しに戻る可能性がありますぜ、ダンナ。
楽聖耳朶の英語学習が実を結んでいないのは、日本の英語教育が「読む」「書く」偏重で、「聞く」「話す」に重きを置いていなかったからだと思います。日本の英語教育の失敗ではないでしょうか?
「駐車の用に供する部分の面積が五百平方メートル以上ある駐車場」かつ「都市計画区域内にある」かつ「不特定多数が利用する時間貸し駐車場」これらすべてを満たす場合には、駐車場の届出がいるということでした。規制がゆるくてホッとしました。
語り継ぐにふさわしいストーリーをもつ男。劇的な生涯。その姿を見てようやくここにきてようやく男の偉大さにわたしは気づいたのです。燃える闘魂は偉大でした。みごとな生き様だったと思います。
妖怪っていうのは、今でいうAR(拡張現実)・VR(バーチャルリアリティー)なんじゃないか。現代では「妖怪が見られます」という趣旨のARグラスがあります。テクノロジーによって、いにしえの夢が実現したってことですね。
ちなみに牛乳の水分含有量は88%だそうです。牛乳よりもキュウリの方が水分含有率が高いというわけですが、水っぽいのは明らかに牛乳ですよね? この数字、本当に正しいんでしょうか?牛乳よりもキュウリの方が水分含有量が多いなんて、肌感覚で納得できません。 みなさんも、ちょっとおかしいと思いませんか?
もしも総収入が基礎控除額未満だった場合、アフィリエイト収入の源泉徴収税金は還付を受けることができるのか? 興味があったので調べてみました。結論は、還付を受けることができるようです。しかし戻ってくる金額に比べて、あまりにも手続きが面倒なので諦めました。脱税しているわけじゃないので(むしろ過大納税しています)、別にいいでしょ?
物語のラストで語り部はゾルバの訃報を受け取ります。その前に一度、緑の石を見に来ないかとゾルバから誘われていたのですが断っていたのでした。この緑の石は一種の象徴でしょう。ゾルバのダンスのようなものです。ゾルバから生き方を学んだ語り部でしたが、ゾルバのように生きることはできなかったのです。