chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
無駄無し屋
フォロー
住所
尾道市
出身
未設定
ブログ村参加

2019/02/26

arrow_drop_down
  • 死や死後の世界についての考察

    別段意味はないが死神を描いた。 我ながらなかなかキュートに仕上がったものだと思う。 死神は神なのである。神にも色々種類があるようだが、八百万の神を受け入れるとする日本人ならばこの死神にも嫌悪を表さずに畏敬の念をもつべきである…のかどうかは知らんけども、とにかく自分はこの死神という存在にはどことなく魅力を感じていることだけはたしかである。 さて、せっかく死神を描いたことだし、今回は「死」というものについて書いてみようと思う。 まず、真っ先に気になるのが死んだらいったいどうなるのか?ということではなかろうか。 科学的には死んだら無になりそこで全てが終わりとの見解が強いような気がするし、宗教的には魂…

  • 自分流を見つけ磨く

    次の作品があらかた出来た。が、裏打ち作業が終わっていないので紙が波打つ。 自分流を見つけ磨くことで唯一無二となる。 この言葉を自分の部屋に掲げて五年の月日が過ぎ去った。 これは芸術の世界で勝負する者にとっての基本であり、奥義であると考えるので書いて部屋に飾ったわけなんだが、そこを徹底するために、本来は邪道とされる我流、つまり書にしても絵にしても誰にも教えを乞わずに一人ひたすら練習に励んでいる。 習字の先生や絵画の先生などから見るとデタラメなものに写る可能性が高いが、自分から見たら、習字や絵画の先生の作品が、上手には見えるけども退屈にも見えるので教えを乞いたいとは思わない。 作品に求めるものの相…

  • 謹賀新年

    さぁーてと、久しぶりにブログの更新でもしてみようかな。 二、三ヶ月ほったらかしだったから新鮮な気持ちだね。 なんの因果か最近は絵に夢中。描くのももちろん楽しいが、塗りがとにかく面白い。またこれが難しいのなんのって、そこがたまらなく夢中になれる中心点だ。呼び名は定かではないが、こんなの使って塗っている そしてこんなふざけた絵なんか描いて一人喜んでいる 出来上がった後の裏打ちというもう一枚紙を張り付ける作業もなかなか難しい。 色と色をかけあわせて気に入った自分だけの色が出来た時には年甲斐もなくテンションが上がる。我ながらまた良い遊びを発見したものだと自画自賛したくなりもする。 しかしそのせいでこの…

  • 残念な人

    こんばんは。 幻想的な空が好きなわりとロマンチストなふしがある無駄無し屋です。 本日も特に何が書きたいということもないのですが、たまには書いておかないといけないかな、という謎の責任感からこうして書き始めています。 二匹の真っ黒な子猫が庭に住み着いているようです。巷では野良猫に餌をやるのは無責任だと言われてるみたいですが、そんなのは関係ありません。無責任という言葉の本質を突き詰めていくと人間は皆無責任であると言えると思うし、小賢しい正論で理論武装している御仁達には解せない心情というものがあります。 餌を与えるのが正しいなどと言う気は更々ありませんが、餌をやらないのが正しいとも押し付けられたくあり…

  • 親友は、年齢性別立場を越えたところにいる

    おはようございます。 穏やかな朝の中に鳴く鳥の声と庭に咲く花に恍惚感を与えられて幸せな無駄無し屋です。 昨日は久方ぶりに親友に会いに行ってきました。 たしか会うのは半年ぶり位ではないでしょうか。 隣のそのまた隣の市にその友人は暮らしているので、車で約一時間ちょっとのところです。 93歳の半世紀祈祷師を続けてきたお婆ちゃん。 僕の親友を文字で形容するならば、こういうことになります。 知り合ったのはたしか10年ほど前だったと思います。それは今でもよく覚えている光景であります。当時の僕は廃品回収を生業にしておりました。あのトラックで拡声器を鳴らして「不用品はございませんか?」というようなやつです。あ…

  • 愛人

    こんにちは。 台風の風とスピーディな雲の流れに年甲斐もなくワクワクしてしまう不謹慎極まりない無駄無し屋です。 さて、本日もなんとなく書きたいなという心の内からの衝動に忠実に真面目に書いていこうと思います。 今日のBGMは80~90年代のHIPHOPでノリノリです。HIPHOPという音楽のなにが良いのかといえば、それはずばりリズムであります。リズムなんです。それ意外は求めていません。軽いノリの文章なんかを書くときには重宝する音楽です。 表面のみをオーブンでカリっと焼いたトーストの上に、ブルーベリーのジャムをしこたま乗っけて牛乳と一緒にほおばった今朝は気分が良かったです。 それから先日CD屋で中古…

  • 嘘つきなんです

    こんばんは。 夕暮れ時に橋の袂でたそがれるのも日常的な営みの一つとする無駄無し屋です。このような場所が生息地にあることをすこぶる嬉しく思います。 さて、本日は「嘘」ということについて少し書いてみようかと思います。 皆さんは嘘つきですか?それとも正直者ですか? かくゆう私は嘘つきも嘘つき、大嘘つきでございます。よくもまぁこうも思ってもいないことを素知らぬ顔していけしゃあしゃあと口にできるなぁ、などと我ながらその辺に関しましては良いとか悪いとかを凌駕して、ただただ凄いな、というふうに感心致すところです。 この世の中におきましては、嘘つきは泥棒の始まり、という言葉があるかと思えば、正直者は馬鹿を見る…

  • 不純な動機

    こんばんは。 貧乏でも心は豊かな無駄無し屋です。 大体、このブログを書くのは午前中であることが多いのですが、時には気分を変えてという意味も含めまして、こうして夜に書いている次第でございます。 夜はめっきり涼しくなってきたもので、只今ブラックコーヒーに蜂蜜を入れて飲んでいるのですが、これがまたうまいのなんのってな具合でございまして、先日友人に手土産としていただいた龍眼蜂蜜という、台湾製のものなのですが、別段舌が利くわけでもないので、他の蜂蜜と比べてもどこがどう違うのかはわかりませんが、とにかく蜂蜜はおいしいのです。 まぁそんな感じでくつろぎながら今この文章を書いているわけなのですが、秋の夜長にお…

  • 時代の流れに乗ろうとしない哀れな古い人間ですが、なにか?

    おはようございます。 今の世の中の善意というものの大半が茶番のように思えてしかたのない、そこはかとなく時代遅れ感の漂う無駄無し屋です。 先日幼なじみがママを務めるスナックに顔を出しました。昭和の香りがプンプンしてくる店舗に親しみが湧きました。そこにはカウンター席があるだけで、こじんまりとしたキャパ的に見ても大金を稼げるような感じがしないところに好感がもてました。そんなお店にお客は私一人で、カウンターの向こうにはバイトのホステスとママの二人が他愛のない世間話を繰り広げていました。私はお酒を飲みませんのでコーラを頼んで飲んでいましたところ、ドアが空きました。お客です。中年のカップルのようでした。そ…

  • 世の中とは実に複雑怪奇なものである

    こんにちは、今日からタバコが510円になっていることに買ってはじめて気づくという、まぁまぁ世間知らずな無駄無し屋でございます。 しかしながらこの先タバコがどれ程値上がりしてゆこうとも、自分が吸う気がなくなるまでは、買い続けることでしょう。話は変わりますが、今朝も海辺に散歩にでかけたのですが、そこに一人、釣りをしているおじさんがいました。コンビニで購入したと思われる、プラスチック容器に入った珈琲を片手に持っていました。その光景を遠目になんとなく眺めていたのですが、こともあろうにそのおじさん、飲み終えたあとのカップを海にポイ捨てしてしまいました。私は行き過ぎたモラリストではないので、別段注意はしま…

  • 朝の散歩

    おはようございます、無駄無し屋でございます。 本日は国民の休日であるはずの日曜日です。 のどかな朝でした。 ふと気が向いたので朝の散歩に出かけました。といっても歩いて25分位のところにあるコンビニまでなんですけれど。昭和の雰囲気を色濃く残した我が地元は、歩いていても懐かしく楽しいものです。途中で彼岸花を見かけました。 朝日を受けて光合成を行う植物を見ると、なんだかこちらまで元気になるような気がするので、是非皆さんも通勤途中などの際、少しでも道端の花に目を向けてみていただきたく思います。 そんな道中を経て、着いたのがファミリーマート。ここのコンビニの裏はすぐ海なので、サンドイッチとオレンジジュー…

  • 欲に乗る

    こんにちは。 おかげさまで特に深刻な悩みに苛まれることなく、暢気な日々を送ることができている無駄無し屋です。 本日も、書いていこうと思います。 はい、それでは突然ですが、欲に溺れるという言葉を皆様も御存知かと思います。はっきり言って良いイメージではない言葉ですね。欲に溺れる人だなんて形容されると、自分が駄目な人間だとの烙印を押されたようで、常識的な神経の所有者であれば、ガックリ&自己嫌悪に陥ることまず間違いないのではないでしょうか。 しかし、この言葉はですね、欲が悪いと言っているのではなくて、溺れることが悪いのだと言っているのですね。少なくとも私はそういうニュアンスでこの言葉を解釈しております…

  • 音の味わい方の一つ

    こんにちは、無駄無し屋です。 本日もなんとか読める文章を書いていこうと思います。 音楽を流しながらブログを書くのが好きです。できれば歌の入っていない楽器の演奏が良いですね。今も聴きながら書いてます。胡弓という、こういうのを弦楽器というのですかね、知識がないので呼称などはよくわからないのですけども、とにかく、要するに本体は三味線に似た風体で、その本体に付いている弦に、今度はバイオリンを引く時に使用するあの道具に近しい物で弦と弦を擦らせて音を奏でるのです。 これがなんとも言えない素晴らしい音で、それがどう素晴らしいのかと言えば、端的に申しますとキュッと引き締まった感じのしなやかで伸びのある、どこか…

  • 個人的見解をつらつらと

    はい、無駄無し屋です。こんにちは。 それでは本日二本目の駄文を綴っていきましょう。 台風はどうやら遠退いたみたいです。家の外の鉢植え植物はひっくり返っているものもありました。でもまあそれくらいの被害で済んだことに感謝しなければなりません。 ありがたや、ありがたや。 午前中の曇り空に強風といった台風の症状とは打って変わって、現在は穏やかな青空が広がっています。午後からの洗濯は問題無さそうです。気象自体は問題ないのですが、実は昨日の夕方に野良猫が洗濯機の上に乗っかってくつろいでるのを確認したのですが、その猫がどうやら吐いてしまったようなのです。洗濯機の上から猫は消えており、そのかわりに嘔吐物が鎮座…

  • 皿洗いの最中のポジティブな妄想

    はい、無駄無し屋でございます。 本日も元気に駄文を綴っていこうと思います。 いきなりなのですが、私、無駄無し屋は少々がさつなところがございまして、今日の朝などもお皿を洗っている最中にそのお皿を水道の蛇口にぶつけてしまい、あまり耳障りの良くない衝突音を出してしまいました。このような現象も、やはりお皿を丁寧に扱わない、この憎きがさつさからくるものかと思います。しかし、こればかりは持って生まれた性分のようなもので、なかなか改善できないものであることは否めません。 別段がさつなままでも人生を全うすることはできますが、しかし、そのがさつさを少しでも封じ込めることができたならば、今よりも更に人生が良くなる…

  • 無名ブロガーの今日の一日を書いてみようか

    朝は青空がひろがってたのに、今は雨。 気温は低い。なんだかこの雨でいよいよ秋がやって来ましたって感じになるのかな。うん、もういいね、秋が来ても。 しとしと、と振る雨は好き。なんだか心が落ち着くんだよね。こんな日は自宅でのんびりくつろいでればいいのさ、なんて自分に言い聞かせてこのダラダラを正当化したりする。 なのでダラダラついでに少しブログでも書いてみようかなって思ったわけで、こうしてとりとめのないことを文字に起こして遊んでる金曜日の午後。 なにっ。金曜日? あっ、いけない!今日は瓶と缶をゴミに出せる日だったぁ! ちくしょー、週一のチャンスを逃しちまった。 あーやれやれ。やっぱり忘れるんだよなぁ…

  • 気持ちの良い朝

    自分は世のネガティブ思考の人たちがお花畑と罵り蔑むポジティブ思考の人間だ。なにせB型だからな。 朝食に買った揚げたこ焼きがすこぶる美味であった。飲み物は牛乳。この組合わせは初の試みであったがなかなかマッチした。なのでやる気がむくむくと沸き起こってきて、つい、こうして朝の貴重な時間をこのブログに割いているわけなのだけれども、これも何かの導きだと思って心のままに書いている。 やる気に満ちた朝というのは本当に気持ちがいい。それは精神的に。肉体的にも朝は涼しくなって気持ちよく、言うことない感じな最高な一日の始まりである。 メンタル、フィジカル共に気持ちよく始められる朝には、今日という一日が素晴らしいも…

  • 暑くアツい夏が終わった

    秋の夜長というものは、こうして文章を書くのに持ってこいな環境だな、なんて思いながら久方ぶりにこのブログにやって来た。 あれほど毎日書いてたこのブログも、なんかの拍子で書かなくなると、それはまるでタバコを止めて数週間ほど経った時に感じるニコチン中毒からの目覚めのような感じで、全く書かなくても平気になってしまうから人間というものは面白い。 しかしブログは煙草と違って、一旦始めると、止めることが良しとはならない。むしろ、「なんだ、アイツ。結局続かなかったんじゃないか、駄目な奴め」とのレッテルをはられるかどうかは知らんけども、とにかく、続けなければ結果、成果は全くもって期待できない代物なのであるような…

  • フィリピーノとの一日

    フィリピーノに我が地元の因島を案内した。 梅雨の晴れ間はあっさりとした暑さで島特有の潮風が心地よい。 まずこのフィリピーノ、日本語は難しいとみえてなかなかおぼつかない感じなので細かいやり取りは困難だと判断し、とりあえず古典的パフォーマンスの一つでもある「加トちゃんペッ!」を教えておいた。 カトチャンペッ!を体得した図 なにやらわけはわかっていないが嬉しそうであったので何よりだ。 これさえ覚えておけば嫌われることはあるまいとの安堵感と、してやったり、ウフフというイタズラ心が満たされて大満足。 おそらく彼はこれからことあるごとにこのパフォーマンスを日本人相手に半ば得意気に披露してゆくことだろうと想…

  • 善人はお馬鹿さん

    この記事を投稿するかしないかは出来上がりを見て決めようと決めた。 blogにおいてくそ真面目なことを書いたとしてもそれはあまり意味のないことのように思ったりもするので、少し斜に構えてみたりおどけたパフォーマンスを披露してやろうかと思う。 ブラックジョークの類いだと思って目を通してもらえるとありがたい。誰かのためになんて押し付けがましい正当性を主張すること自体がすでに滑稽ですらあるように感じているもので、このような文章を書く時には、思いきり自分自身のストレス解消のために書くという方向に全力で舵を切ることを良しとする。 そうと決まれば話は早い。なにせ元からひねくれたところがあるというか、ひねくれて…

  • 本日をもって一日一本の記事投稿はおしまい

    六月も今日で終わり。 と、いうことはつまり一年の半分が終わったということ。 そして個人的にはこのblogが半年間続いたということ。 まぁ余裕(笑) 今年の一月途中から書き始めて約半年間、ほぼ毎日書いてきた。 記事数はいつの間にか170を越えていた。 とりあえず数をこなそうという目論みは達成されたと言っていいだろう。 さて、この半年という節目を境に次のステップへと進もうと思う。 その次のステップとは何か それはもちろん質である。 一日一本の記事を書くと決めて事実そうしてきた。 それはそれで大変勉強になったし面白かった。 ノリで乗り切るというパターンの継続はスリリングであった。 しかしそれは過程の…

  • とかげ

    窓から外を眺めていたら上から降ってきた。 こりゃなんかな、トカゲかな、トカゲだよね。 こいつはいい暇潰しが降ってきた、と思って眺めていると、まばたきが可愛いではないか。 食べたらおいしいかなとも一瞬思ったがね、そこは思うだけに留めておくほうのがベターな感じがしたので気持ちを切り替えて奴を食材として見ることをやめた。 しかしこいつ、なかなか動かんね。 動かざること山の如しの境地へと達観しているのではないかとさえ思わざるを得ないほどに。 残念なことにこの無駄無し屋の好奇心には持続力というものはない。 五分ほど眺めていたけれどもね、あまりに動かないもんだから飽きてきちゃってね、よせばいいのにつついて…

  • 因島発のウエアブランド「west」の紹介

    なんか暑い。 急に梅雨らしい蒸し暑さがやって来て驚いてみようかと思っている。 我が部屋にはエアコンなどという甘えたものは設置されていないという事実は、他人に熱中症の心配をさせてしまうほどのものであるが、当の本人はその不快感さえも風情として前向きに捉えているのだからどうしようもない。 暑い ので涼しく過ごす為に自分達でTシャツを作った。 仲間は服をデザインして売る仕事をしている。 ブランド名は「west」 筆でまずこの無駄無し屋が文字を書く。 いわゆる友情出演的なね。 それを彼がTシャツにする。 いいじゃん。 彼はそれを売って生計を立てる。 今はまだ始めて一年のひよっこブランドなんだけど、これか…

  • 支離滅裂

    朝から雨。 やっとこさ梅雨の到来か? 雨音が心地良い。 なんとなく、雨の日は読み書きに適しているような感じがする。 でもそんなことを書いちゃうといつもよりも良い記事を書かなくちゃ、なんてプレッシャーがかかってきちゃいそうなので早速前言撤回。 渾身の記事というものを書いてみたいが故にこうして毎日チャレンジしているのだけれども、なかなかどうして納得のいくものなんてそうは書けるもんじゃないことはここまで半年近く書いてきて痛感しているね。 何を以てして納得とするのかというところも漠然としているからね。 でもまぁ続いているということに対しては、順調に記事数が増えていっていることに対しては、小さな納得があ…

  • 変わり者と言われてる奴の思想

    本日薄曇りにて涼しい瀬戸内海。 午後からは雨のようだ。 やっとこさ梅雨の到来かいな。 全くのアウトドア派であった二年前までとはうってかわって現在はインドア派にシフトチェンジしてゆき、こうして柄にもないblogなんかを書いてみたり、ゆっくりと物思いに耽ったりと悠々自適にあまり社会とは関わり合わずに生きている。 愉快だ。 社会に未練は全くないし、そもそもすでに遠い昔に魅力を感じなくなっていたものだから、どうにかして自分の世界の中で暮らしていってやろうと目論むこと10年。 念願叶って、今はそれは周囲の人達からは、「アイツは何をして生きているのか?」 などという疑問を持たれているであろうが、そんな退屈…

  • 自慢話大会

    昨日は夜に事務所で友人達が集まった。 内訳は、30代が二人、40代が二人、50代が一人、80代が一人。 職種でいうと、町工場の経営、服屋、フィリピンからの出稼ぎ、絵描き、化粧品屋という、年齢、業種共にバリエーションに富んだ面子。 まぁ、こういう面子だとね、80代のお婆ちゃんを軸にカオスな状況となっていくんだけども、なかなかこういう雰囲気の会合もないわけで、それはそれで楽しめるわけなのである。 仲間が集まって雑談。 これは面白い。 色んな年代、職種の人間の色んな価値観が入り乱れての、時に自慢話、時に自虐ネタ、そして時に悪ノリもありながら、生意気にもシリアスな展開にだって発展していくこともある。 …

  • 単刀直入にね

    さぁて、今日も書いていきますか。 ってまだなにも書くこと決まってないのはもういつものことだからなんとかなる。 スリリングだよ、いつもこのblogの時間は。 スリルというものをこよなく愛する人間であるのだけれど、まさか文章を書くのにもスリルを味わえるなんて嬉しい誤算だよ。 一文の閃きなんていうと些か大袈裟かもしれないけどね、まぁでもとにかく何かが思い浮かばないことには自分のようなスタイルのblogは成り立たないからね。 想像力と感受性と思想のカクテル。 あとこれに図々しさを隠し味に加えると完璧。 自己表現の場、と、このblogを捉えているからには、ズケズケと言いたいことを人目をはばかることなく書…

  • 読むとイラつく人がいるかもしれないね

    他人の幸不幸には無頓着である。 別に人格者になりたいとは思っていない。 ただ、実力者ではありたいとは思っている。 そういった意味でも、このblogの世界でしぶとく生き残ってやろうという気持ちはつよい。 生き残ったものが勝者であるという考え方。 他人のblogも読む。 自分よりも後からこの世界に入ってきて、あっという間に自分を越える読者やPVを獲得していくBloggerは多いけれど、そういう人達は消えてゆくのも自分より先であることが多い。 なんだろうね、嵐のような人達だねって思うよ。 色々とうまくはあるんだろうね。 そこんところは認めざるを得ないわけだがね、でもやっぱり根性ねえなぁコイツら、とは…

  • 欲八分目の効果

    腹八分目、ならぬ欲八分目というのが広まればいいなと思っている。 人間には百八つの煩悩があると仏教では教えているらしい。 何と何を数えて百八つとするのかは知らないが、とにかく人間は欲が多いということを言いたいのであろう。 そんな欲望達の全て取り除くことを悟りというのならば、悟りには何の魅力も現実味もあったもんじゃない。 と、いうか欲望の全くない人間というのはもはや廃人でしかないだろう。 滑稽な話だ。 しかし、そうはいっても欲望というものは百八つどころか無限に広がる宇宙のように際限がないのではないかとさえ思わせる恐ろしくもあり、頼もしくもある存在であって、これを何の自制もなしに野放しにしておくこと…

  • 無理のない、は最善であって理想的。しかしこの世の中は…

    朝の九時からblogを書き始めるという決まりが自然と出来上がってきた。 散歩を終えて朝食を済ませ、一服してから書き始めるという流れ。 自然とベストなところに落ち着いてゆくもんだと思った。 自然と、というのがなんだかんだいってもベストだろう、と自分は思っていて、このblogの継続も自然な感じで成り立っているから無理を感じない。 無理をするということを全否定することはできないし、場合によっては多少の無理も必要なことがあるように思ってはいても、基本的には無理のないのが一番である。 無理は続くと必ず悪い方向へと向かう。 かといって、無理をしないと打開できない局面というのがあるのも事実。 判断力が必要だ…

  • 当たり前だと思っていては感謝はできなく幸福も感じられない

    因島という島に住んでいる。 本土の流れとは一線を画しているところが気に入っている。 大きな国道なんてものは通ってなくて、この島に何かしらの用事がある人間しか入ってはこない。 それでも島にしてはわりと大きく、人工は2万6千人ほどかな。 昼間はそこそこの活気があるといっていいほうだろう。 そしてそこそこのどかだと言っても差し支えない。 しまなみ街道のサイクリングのメッカ化に伴い自転車乗りが入ってくるようになってからは、近所の神社はいつの間にか自転車の神様を奉っているとかいう設定を打ち出して地元の人間達はすこし小馬鹿にしてるようなフシがある。 それでも因島はいいところだ、と、自分は思ってる。 山あり…

  • 読み書き聞き喋り+思惟=人間

    生まれて始めて小説を読んだのはたしか20年ほど前。 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」全8巻だった。 内容の細かいところまでは覚えていないけれど、とにかく文章だけでここまで面白いとは、とビックリ仰天したものだった。 漫画と違って文字だけの小説には自由な想像が許される範囲が大きい。 そういうところに新鮮なものを感じて肉体的自由を奪われた牢屋の中で想像という精神的な自由を楽しんだものだった。 それから特に熱心な読書家になったということはないものの、活字に抵抗はなくなり、面白そうだな、というものは読んでみたりもした。 読書という行為から、ただ単に面白いだけにとどまらず、見識を広めるであったりとか、感受性を養…

  • 待つということについての話なんだけどさ

    言葉が浮かんでくる時というのは、書こうと思った時ではない。 自分は身勝手でわがままな人間であるが、どうやら言葉まで身勝手わがままであるらしい。 浮かんでくるのを待つしかない。 書こうと思って書き始めるまでに一時間も白紙のまま座っていることなんてザラである。 浮かんでくるまで待つ時間があるというのは幸せなことだ。 待つ ということについて書いてみることに決定したようなので、そのように話を進めていきたいと思う。 元来、気が短いほうなので待つ、という受け身な姿勢を好んでいなかった。 好んでいなかった、というよりも、待つということをできるスキルが身についていなかった、といったほうのが適切な気がする。 …

  • 個人的な考えだけどもね

    こんなblogにでも書いていさえすれば、ポツポツとでも読者は増える。 Twitterやらなんやらしなくても。 それでいいと思ってる。 寧ろそのほうのがいいとすら思っている。 のんびり気長にやっていこう。 さぁ今日も日課の祈りと自己暗示を終えたところからの出たとこ勝負的blogの執筆に取りかかろうか。 なんもないよ、ネタなんて。 なんもないからこそ、なんでも書けるという面にスポットを当てると、これまたどこからともなく勇気が湧いてくるから人間の心理というヤツは、げに摩訶不思議なものだと実感する。 精神を制する者は現実を制する との経験から第六感にコンタクトした結果出てきたこのある意味真理とも言える…

  • やる気は自己暗示にて

    昨日とはうってかわって青空が広がっている。 雨も悪くはないが、青空を見てると気分も晴れてくるのでね。 自然が人間に与える影響とは心身共にだね。 とか思いながら、本日も日課のblogをこうして書いている。 もちろん現時点でも何を書こうか決まってはいない。 成り行き任せの出たとこ勝負な文章書いてくよ、今日も。 やる気。 これはねぇ、ないと何も始まらないね。 逆に言えばあれば大概のことは始まっちゃうね、マジで。 さすがに今から小学生に戻りたいなんてのは今のところは無理だけど、もうちょっと時が経ってゆくとそういうのもやる気でなんとかなっちゃう時代になるかもね。 やる気が起こらない時はなにもしないでもい…

  • 何かでないといけないわけではない

    なにかを書きたくなる衝動に駆られるからこそこうして書いている。 書かなくてはならない、ではなくて、書きたい、という欲求。 自分の心の中を描き出す作業。 それは文字に起こして目に見える形にしてはじめて「あぁ、自分はこういうことを実は思っていたんだ」なんてことになることも、別段珍しいことではない。 書いてるうちにやってくる新たな発見、自覚。 そういうものをどこかで求めているフシがないこともない。 瞑想だな、blogというものも。 書く、というこの能動的な行為に興味を持ち始めたのはいつからだったのかはハッキリしないが、とにかく今こうして毎日書いてるという事実だけはハッキリとしており、経験としてすこし…

  • 長老が逝く

    今日はドタバタした一日であった。 我が家にやって来て19年になる犬が死んだ。 あだ名は長老。 天寿を全うした感すこぶるつよし。 死んだからには埋めないといけない、と思いシャベルをもって穴を掘ろうにも、意外にも土が固くて苦労したが、その苦労も労いの念による心地よさにも似たものを自分に感じさせたことには少し驚いてみたりもしたのである。 長年連れ添ったペットにはもはや犬とか人間とかいう、あまり意味のないカテゴライズは不必要であり、それこそ人間の家族と同等の絆というやつが芽生えるものだ。 死別というものは、感情的には複雑なものがある。 第一にもちろん寂しい、というもの。 それからご苦労様、という労いの…

  • 疫病神と福の神

    継続、継続。 それが必ず未来に身を結ぶと信じきれているからこうして時には面倒だなとか思いながらでも、五ヶ月ほぼ毎日書いてる自分。 やるねぇ。と、誉めてやりたいよ。 自分に酔えば酔うほどに力を発揮する、まるで酔拳のごとくなこの文章には、下手な謙虚さや、行儀のよさなんてものはかえってクズだ。 自分に酔ってでもいなけりゃ到底毎日こんな文章なんて書き続けていられるもんかってなところがあるぜブラザー&シスター。 今日も変わらず機嫌は良いし図々しいし根拠のない自信は満ち溢れているのだから調子はまずまずな感じなんだろうな。 皆さんの調子はどうだろうか? まぁあんまり興味はないけれど。 ところでさ、調子が悪い…

  • 実利と魅力

    六月。 道を歩くと紫陽花の色とりどりの花が目の保養となる季節。 常に花が綺麗だと思える心の余裕はもっていたいものである。 そんなことを考えながら朝の散歩を終えてきた。 ところで自分が体にも心にも求めるものと言えば、つよさとしなやかさである。 つよくしなやかな心と体は自分のイメージする動きには必要不可欠なものであると心得ているので、そうあるための努力に対しては、出し惜しむというようなセコい感情は抱かないことにしている。 動きの一つとして、扱う言葉にしてもそうありたく思っているので、このblogで表現される文章にもつよくしなやかなところを読み手が垣間見れるように心がけてはいるつもりだ。 何故につよ…

  • 無用な心配には開き直りで対処しとこうよ

    揚羽蝶がつがいで仲良く飛んでいるが、あいつらの世界にも浮気とかそういう修羅場は存在するのだろうか、と余計な心配をしながらぼんやりと窓の外を眺めている。 心配といえばまず最初に思い浮かぶのが… いや、残念ながらというかなんというか特にないな。 それは残念なことというよりか、むしろ幸福なことなのかもしれないし、ただの呑気なお花畑気質であるのかもしれないが、心配がないぶん、希望はすこぶる豊富であり、ことあるごとにムフフとなってしまう自分が我ながら恐ろしく感じることがある。 でもあれだ、無用な心配に心を悩ませることよりも気分は良いのだからそれはそれでありなスタイルだろう。ありだよね? 大体において心配…

  • 厄払い

    朝の散歩が気持ち良かった。 朝食にマフィンと紅茶。 どうやら今日も機嫌良く一日が始められそうなことに感謝しよう。 ところが、である。 病んだキングボンビー的blogを目にしてしまった。 危うくそうした負の間合いに引きずり込まれそうになるも、既のところでそのページを閉じ、道連れになることなくこうして書き始めることができた。 お~怖い怖い。 ああいった病んだ言葉を発信して気持ちが落ち着くというのであれば、書き手はよっぽど病的な性質を有したキングボンビーに違いない。 君子危うきに近寄らず、である。 さて、病んだblogのことは捨て置いて、健全なる言霊を書き連ねていこうと虎視眈々と狙っているMr.ポジ…

  • 成り行きに任せてあるがままに

    植物に水をやるのが趣味の一つである。 動物に餌を与えるのも楽しい。 人にお金を支払うのでさえ気持ちがいい。 要するに何かを与える、という行為は歴とした快楽の一つだということをここでは言いたいのである。 だからどうしたなんて冷めた意見はお呼びではない。 施すことへの喜びを知った時点で人生は明るくなるといっても過言ではない。 施しに見返りを求めるのはご法度だ。 愛と保険は掛け捨てであるというような考え方のもとに立ち回ることによって道は開けてくるものだということをメダカに餌を与えている時に閃いた、などというドラマチック風に見せるための嘘をたまにはついてみてもバチは当たるまい。 寝言は寝て言え、なんて…

  • 無駄と時間とアーモンドクッキー

    本日はスタート出遅れた。 空は薄曇り。 暑くはない。 こんな時間帯からの執筆にはあまりやる気が起こらないのは何故なんだろうとか思いながらもとりあえずは書いていこうと思う。 土曜日。 自分には曜日の感覚がないし、特に必要な感覚でもない。 なんなら時計だって無用の長物であると言えないこともなく、事実腕時計は数年前に友人にやった。 スマホで日に数回確認するくらいで充分に事は足りている。 時間を気にしない生活というものはなかなか痛快であり愉快である。 陽が上れば朝だと認識し、沈めば夜だと認識するという至って原始的な暮らしには満足している。 時間に追われてる感を味わいたくはない。 それじゃなくても実際時…

  • ばびゅーん

    どうしたものか、年々運気が上がってきているような感じがある。 それはつまり年を重ねるごとに人生の調子が良くなってきているということだ。 羨ましい人は素直に羨ましがってもらってかまわない。 昔話に嫌悪感を抱くことはないけれど、そんな暇があるならば、今のことについて話すなり考えるなりしたほうのが格段に面白い。 「楽しい」が過去に置き去りとなり「楽しかった」などという過去形でしか今を語れないようなことになるのはつまらない人生の代表格だ。 と、いうことで今日も楽しくこのblogを思うがままに書き進めていこうと思い始めると、なんだか勇気も湧いてくるようなのである。 勇気、というのは何事においても欠くこと…

  • めだか

    朝、玄関先の火鉢の中を覗きこんだらメダカのチビ達が泳いでいるをこの目で見た。 二匹しかいなくなってしまい寂しく思っていたのでこれはおめでたい。 今日もなんだか朝から縁起のいい感じで出発できたことを天に感謝しなくてはならないわけではないけれど、自ら進んで感謝しようと思った。 話は全く関係のない方向に向かっていくんだけども、この度の免許の更新で人生初のいわゆるゴールド免許となることを相手からの通知で知った。 だからどうしたということもないんだけども、とりあえず自慢しとこうかなという浅ましい考えからその事実を文字に起こしてみたがどうだろう、羨ましがってくれる人はいるんかな?いるといいな、まぁいないで…

  • 別に大した意味もない文章でごめんなさい

    友達になったフィリピーノに珈琲豆を貰った。 ミルで挽いて、その新鮮でいてマイルドな味わいのブラックを嗜みながらの執筆となる。 凝ったカップに注がれたうまい珈琲を飲みながらblogで不特定多数の見ず知らずな人間相手に好き勝手なことを思うがままに書く。 なんと優雅な朝であろう。 自分で言うのもなんだしアレだけども幸せすぎてゴメンナサイ的境地の中でしたためられたこの記事なんかはもはや言霊。 意味不なんて言われたところでこちらは全くもって痛くも痒くもくすぐったくもないのでノープロブレム無問題(モーマンタイ)つまり大丈夫ということなのである。 心友というか戦友というかまぁ要するに悪友な絵描き通名リンベン…

  • 死後の世界を肯定することのメリット

    死ぬとどうなるのか? 死んだ時点で終わりなのか、はたまた次の世界があるのか。 これは誰にも完全に否定も肯定もできない、いわば最高にして最大の謎の一つである。 ちなみに自分は次の世界があるように肌で感じているし、そう感じて生きていたほうのがなにかと都合もよいというのもあって、俄然死後の世界の肯定派である。 実際にあるのかないのかという議論はあまり意味がない。 誰も証拠の出しようがないのであるから。 しかし、あると想定して生きることのメリットはある程度説明ができる。 死後の世界があるとすれば、死というものがゴールではなくなり、生まれて来た時と同様に一つの大きな通過点であるということになる。 それだ…

  • 言いたいことを言う人生

    建前というものは好きではないので常に本音一本で生きている。 なのであまり世間の表舞台には出られない。 まぁ出たいという願望もない。 小学生の頃から成長していないのかもしれない。 建前を使えないわけではないのだけれど、使う必要性を感じないのだから仕方がない。 大人の世界はややこしくできている複雑怪奇な怪しい世界だと感じているが、これは自分がそう主観的に感じているだけでは決してなく、事実、怪しい世界なのである。 表現の自由が憲法により保証されているなどというのも、とんだ建前であり、実際には本当のことを書いたりここでしちゃうと、とんでもないことになってしまうことなんか数えきれない程にある。 自分の本…

  • 怒ることも辞さない覚悟で気づかせるのが自分の仕事

    自分は元来平和主義者であり、和をもって尊しとする人間である。 短気な気質ではあるが揉め事は御免だ。 なにしろ時間と労力の無駄でしかないからな。 ところが、である。 自分は今、無駄無し屋という屋号を掲げて一般的な理解の範疇を越えた動き、つまり仕事に精をだし、その仕事によって和を以て尊しとする思想を思想で終わらせることなく現実的に体現してやろうと虎視眈々と狙っている、というような感じで日々を真剣に生きている。 その無駄無し屋、という組織だかグループだかなんだかカテゴライズするのに難儀するものをまとめるのが自分の仕事であるのだが、その無駄無し屋には別段これといった方針というものはないのだけれど、一つ…

  • 海で遊ぶ

    今年初の海遊び。 船で瀬戸内海をブラブラ。 海のお散歩。 一応釣りもしてみたが自分は釣果なし。 何せ糸を垂らしてものの15分で飽きちゃったもんだから話にならないよ、まったく。 仲間は鯛やら鱚やらを釣っていたね。 海の上でぷかぷか浮いてるだけでも楽しいよ。 瀬戸内海はいいよ、これからの時期が旬なエリアだ。 まぁいい。 今日は疲れたのでblogどころではない。

  • 気に食わないラーメン屋

    時々外に飯を食いに行って不愉快になることがある。 最初に書いておかなければならないのは自分は気が長いほうではない。 我がホームグラウンド尾道には尾道ラーメンという食の名物がある。 ここ数年で完全に観光地と化したこの小さな街では週末には外人を含めた観光客がわりとうろついている。 尾道の名物とあってラーメン屋には行列ができていることもさほど珍しいことでもなくなった。 尾道のラーメン屋はこの流れには感謝すべきだ。 ところがちらほら調子に乗ってるのか?と思わせるような店もある。 客に対しての対応が上から目線なのは自分達からしたら職人かたぎな俺らかっこいい位に思ってるのかどうかは知らんけれども、そもそも…

  • 素人の生々しさがblogの魅力

    なにを書くともなくこうしてとりあえずな感じで文字を打ち込んでいく。 明確に今日は何を書こうというのがないのにもかかわらず、とにかく書き始める。 他の人達がどのようなスタイルで日々記事を書き綴ってるのかは知らないが、自分の場合はこうした行き当たりばったりなところからしか何故か筆が進まない。 したがってタイトルは大体において後付けとなる。 先にタイトルをつけてしまうと、途端に書く気が失せてしまうのはどういうわけなのだろうかと小首をかしげる始末なのである。 しかしまぁ最近ではそれはそれで一つのスタイルとしてありなのではないか、と自分に言い聞かして勝手に納得するところで決着をつける。 特に書きたいこと…

  • 引き寄せの法則を使って

    今、非常に欲しいものがある。 値段は230000万円。 だがそんな大金はもっていない。 何かはここでは書くことができない。 しかし本当に欲しいので引き寄せの法則をここらで一発発動させてやろうと目論んでいる。 引き寄せの法則で大事なのはイメージし行動することなんだけど、その行動が崇高なものだと思い込むことが引き寄せる確率をグンと高くする秘訣なのである。 その欲しいものを手に入れること自体が崇高なことだと信じきることができたならば、それは実現することを過去の経験から知っているので、そういうのを実感したことのない人からしたら、 「なにを寝ぼけたことを」 と、なるのであろうが、それはそれで自分はぜんぜ…

  • 人間力を上げる方法

    自分の人間力を上げたい、と願うのならば、人間力のある人間と喋ることである。 会話というものはある意味で稽古だ。 自分よりも劣っていると思われる人間との会話には時間の無駄を感じることがないだろうか? これは建前的な道徳論とかは抜きにした本音のはなしである。 例えば黒帯の強い柔道家がいたとして、その乱取りの相手が昨日今日に柔道を始めた素人であった場合には得るものがあるのは素人のほうだけだと思われる。 やはり自分のギリギリのところの実力をいかんなく発揮して戦ってこそ、その実力は鍛えられ伸びるというものである。 黒帯と白帯との試合は普通成り立たない。 これは人間力においても同じことが言える。 成り立つ…

  • 諸行無常

    この日本には素晴らしい四季があると言えたのもいつの間にか過去のことになった感があるね。 近頃は夏と冬の二季と言った方のがしっくりとくる。 こういう現象が人間の自然破壊によるものなのか、単なる自然現象なのかは知らないけれど、とにかく昔の日本は今はもうないのである。諸行無常。 友人の耳が遠くなってきて最近は電話での会話が難しい。 91歳だ。仕方がない。生きてるだけで儲けものな領域である。 飼っている犬はもう家に来て18年。 それまでに野良として数年は経っていた模様。 足腰は弱り、正直いつ逝ってもおかしくはない状態だ。 できるかぎり美味いものを食わせてやりたく思う。 母は73。 気がつけばこんなに年…

  • 意味不か否か

    湧いて来るのか来ないのか。 閃きの泉というやつは気まぐれだ。 そういうところに人生はままならぬものだと感じている。 いつでも自由に閃きの泉からすくい取れるものならば、これほど簡単なことはあるまい。 しかし、そのままならぬさが人生を味のあるものにしていると思わないわけにはいかないだろう。 それが好みの味か、好まない味か。 それだけの問題なのである。 閃きの味は好みである。 試行錯誤は好みではない味だ。 これはあくまでも主観による好みの話であって、試行錯誤の味が好みの人だっていることもそこはちゃんと心得ている。 閃きは右脳的はたらきだと言われている。 試行錯誤は左脳的はたらきか。 両方好めるならば…

  • 書くことの奥深さ

    疲れている時にはblog書きははかどらない。 心身ともに充実している時でなければいい言葉が浮かんでこない。 blogを書くという行為は指先は使うけれども肉体労働とは呼ばないだろうが、それでも肉体が疲労していては駄目なことは確かだ。 自分のblogのスタイルは投稿した記事が130を越えた現時点でもまだ定まってはいない。 と、いうよりかは、これは死ぬまで定まるもんではないような気さえしてきている今日この頃である。 そもそも自分の文体というものは精神的な成長と共に変化してゆくのが自然であり、より高みを目指すためにも積極的に変化を求めるべきではないかと思うわけである。 書けば書くほどに味が出てくるので…

  • 段々と消えてゆくblog書きたち

    自分がブログを始めた4ヶ月前に読者登録していた人たちの中で、今でもコンスタントに記事を投稿してるのはすでにほんの僅かになっている。 ブログは継続が難しいというのは事前の下調べで知ってはいたけれども、実際に月日をかけてその様子を見ていると実感が湧いてくる。 敷居は低いが生き残るのは容易なことではないらしい。 書くネタがないとかなんとかいろいろと止める理由はあるのだろうが、つまるところメンタルの問題となってくるのは明白だろう。 モチベーションを保つには一般的なところとして読者が増えるとか、アクセスが増えるというのが主なんだろう。 しかしそういうふうに外側に頼っていてはなかなかこのブログを生き抜くの…

  • 雑な人間から丁寧な人間へ

    血液型がBだからというとなんか言い訳がましいようで後ろめたいのだが、雑である。 そこに気づいてもう三年ほどになるが丁寧にという心がけはあるものの、生まれ持った性質というものはなかなか一筋縄にはいかないようである。 しかし、丁寧にという心がけがあるだけで色々と損することなく得する場面のほうが多いように感じている。 丁寧に動く、丁寧に考える、丁寧にしゃべる、丁寧に人と接する。 まぁだいたいこれくらいの種類に丁寧さを持ち込んどけばなんとかなるんじゃないかと思っている。 今日は丁寧に動けたなぁ、なんて日はどこかしら満足感が漂うのでいい。 雑さというのはどちらかといえば悪く作用することのが多い。 自分の…

  • 愛すべきデブ

    とあるミカン問屋の主人の話をしよう。 年の頃は56、7、趣味はポケモン集めですこしオタク気質が入った常にだらしなくズボンがずり落ちていて肥満体の白いケツ半分を惜しげもなく晒しているユニークでありどこか憎めないその愛すべキャラクターには癒される。 理屈をこねるのが好きと見えて、ああ言えばこう言うところがありはするが、それはそれで別段こちらの害になることはないので時折イラっとする程度な許容範囲内であり、愛くるしいかぎりだ。 生活の中心がポケモン集めなんじゃなかろうかというくらいの熱の入れようで、暇潰しにポケモンの話題でも振ろうものならば食いつく食いつく。 いつも話が長くなって結局やぶへびとなってし…

  • サイキック芸人がやって来た

    昨日は地元にサイキック芸人のkickさんという芸能界の人が来た。 トークショウという形で一時間半に渡りいろいろとオカルト話や業界の裏情報なんかを語っていた。 このkickさんという男、タロット占いなんかもやるみたいで遊びに来ていたお客さんの数人を占ったりもしていた。 自分はTVを見ないのでこの人のことを知らなかったのだが、どうやらエンタの神さまとか超ムーの世界とかいう番組に出演しているとのこと。 友人に画家のリンベンという男がいて、その人が主催したトークショウであった。 その友人の画家は開運画家と呼ばれていて広島県に住みながらも今東京でブレイクしだしたこれからの人間であるのだが、すでに芸能人か…

  • 素晴らしい文章を目指した結果がこれだ

    たまには素晴らしい文章を書いてみたいとの願望が芽生えたので、そこを目指して今日は書いてゆこうと思う。 と、いっても別段良い話を持っているわけでもなし、公の場に書いて許されるような体験もパッと頭に浮かんでくるようなこともない、あまり世間の役には立ちそうもないボンクラブロガーであることを自分で否定ができない事実がある。 しかし、そんな事実に負い目を感じることが微塵もない強靭なメンタルというか図太い神経だけが、頼みの綱というよりも命綱だ。 いいんだ。そんな感じで。 世の中には色んな価値観の人がいることくらいはどうにかこうにか知ってはいる。 こんな文章でもあわよくば、奇特なご仁の笑いの種にでもなってく…

  • 最近のルーティン

    季節に応じて生活のリズムを変えている。 近頃は空が明るくなるのがずいぶんと早くなったものだから、朝の散歩に力を入れている。 この時期朝はほっといても五時~六時の間に目が覚める。 寒さもないので布団からサッと出れて、朝の新鮮で栄養素の高そうな空気を思う存分吸い込むのがこの上ない喜び。 大体片道が45分、ゴール地点に30分ほど滞在の二時間コースが最近のお気に入りのコース。 六時に出発して八時に帰ってくる。それから飯。 朝の飯時には音楽に力を入れる。 やはりいいメロディーに包まれた中で紅茶をすすりたい。 朝はホット。冷たいのは邪道。それが無駄無し屋の掟。 今日の朝食時にチョイスしたのはこいつだ。 ポ…

  • 筆一本とスマホで遊ぶ

    画像の加工が面白い。 筆で描いた落書きにほんのちょっと手を加えるだけでこうなる。 加工前。 アナログとデジタルの融合といったところか。 こういう遊びが手軽にできる時代なんてのが来るとはね。 思いもよらなんだよ。 面白いから最近ちょっとハマってるね。 筆一本とスマホがあればかなり遊べるよ。 まことに楽しく金のかからぬ健全な遊びである。

  • 意味なく書くことにも意味があるから書く意味があるので書くのである

    今日なんかあれだね。 部屋の窓を全開にして心地の良い風を体に受けながらだよ。 書いてるんだけどね、今、このblogを。 最高にかぎりなく近い感じだよ。 乾いてほどよく冷たい風が吹き抜ける自宅の自室の机の前。 窓の向こう側には鉢植えの紅葉が二本と雑草が見える。 風に揺れる草木を眺めながら、気持ちの良い風が通り、すこぶる健全な感じで、降ってくる閃きというやつをのんびりと待ってる。別に急ぐ用事なんかないからのんきなもんだ。 降ってくるかもしれないし、降ってこないかもしれない。 まぁべつにどっちでもいいんだよ、実際。 田舎というのはどうしてこうも気持ちがいいのだろうか。 気持ちがいいったらありゃしない…

  • それでも世間は無頓着に回ってゆく

    昨日の午後に三回小さく ごほっごほっごほっと咳をして猫は逝った。 苦しむ時間が短かったのが幸いだ。 瀬戸内海の海が見渡せるところに埋めた。 自分の散歩コースなのでいいだろう。 さて、そんな自分の個人的な出来事には無頓着に世の中は今日も回っている。 相棒との死別は寂しいが、だからといって落ち込んでばかりはいられない。 できるかぎり毎日このblogを更新し続けることはもはやただの遊びの枠には収まっていない。 誰かに何かを表現したいのと同時に自分自身への語りかけでもある非常に重要な営みの一つだ。 自分にまざまざと生々しい命の儚さやら、どうしてやりようもない無力感、それから純粋な愛というものを見せてく…

  • 猫を自室で看取ることにした

    猫がどうやら生を終わらせようとしている。 病院に連れていくか一晩考えた結果、自室で最後を看取ることにした。 すでに水も食事もとらない。 体を時おり痙攣させながら今もこれを書いている机の下で身を隠しているつもりなんだろう、力なく横たわっている。 愛すべき相棒ゆえに病院での延命はしたくない。 ここ2、3日が山だろうと思われる。 生物がいつか生を終わらせるのは何も特別なことではない。 ただ、わかってはいるけれど感情的には辛いものがある。 目の前でその命を終わらせようとしている相棒を直視するのは辛いけれど、見とかないと、とも思う。 体をさすってやりたいが、さすると猫のほうが頑張ってニャアニャア鳴こうと…

  • 一個小隊

    何かがあってから動くのではなく、動くから何かが起きる。 犬も歩けば棒に当たる方式な無駄無し屋。 先月、うちの番頭が7年間の修行を終えて帰ってきた。 それから新たにもう一人加わって三人組一個小隊の布陣が出来上がる。 その番頭というのが機動力抜群な人間で、とにかく車で走る走る。 事務所は広島県の尾道なんだけれども、例えばコーヒー牛乳のうまいところがあるとかいって、その為だけに神戸まで行ってしまうような始末であるし、具体的な数字で言うと、月に平均20万円のガソリンを焚く。 無駄無し屋内でのあだ名は韋駄天。 恐ろしい男である。 とにかくその番頭が帰ってきたからには無駄無し屋の機動力は半端じゃないものと…

  • 夕方のドライブ

    若い頃はこんな瀬戸内海の片田舎なんか退屈でどうしようもないとよく嘆いたもんであるが、今ではすっかり地元の魅力を再確認して毎日この瀬戸内海を堪能している。 今日のドライブも最高の夕日で心が豊かになった感あり。 周囲が海で囲まれていることの素晴らしさに当たり前過ぎて気づかなかった過去が勿体ないような気がする。 島内ではこの時期みかんの花の甘い香りが匂ってきていい。 しまなみ街道がサイクリングのメッカみたくなってから自転車で走る人はこの時期から増えてくる。 外人も多い。 まさか自分の地元がこんな流れになるなんて夢にも思わななんだ。 嬉しいような、悲しいような複雑な気分ではあるが、まぁ活気があって世間…

  • 休日の一興

    今日は事務所でお遊び。 そして今回の傑作 お題「的」 不規則に動く的を射抜くといったイメージ。 筆を使って書くのはなにも文字でないといけないという決まりはない。 自分のイメージをより率直に表現するには文字ではリアリティを出せない自分の不甲斐なさを線の動きで補おうという苦肉の策だ。 しかしこういうのの方が好きな自分がいる。 見る人それぞれに違ったイメージを持たせることができる。 答えは一つじゃない。 見る者の想像力に期待するのもまた一興だ。

  • 物思いにふける

    あついなぁ。 もう五月だもんなぁ。 そろそろ梅雨の季節が手の届く距離にまで今年もやって来たか。 一年の折り返し地点まであとわずか。 まったく早いもんだ。 時々過ぎ去った時間に対して申し訳なく思うことがある。 もうちょっと有意義に時間を使えたんじゃないか、とかを反省の気持ちのような感じでである。 まぁそうはいってもこんなことを考えたところで何もはじまらないのはわかっちゃいるんだけどもね。 たぶんこういう考えは年を重ねていくごとにリアリティも増していくんだろうな。 40を越えると一般的に考えて、もう人生の折り返し地点にはさしかかってるはずだ。 と、いうか、季節で例えて早秋としたほうのがしっくりくる…

  • 悦ぶ言葉

    べつにみんなを喜ばせたいなんて下心は持っていない と、いえば嘘になるやもしれん。 人間なんて下心で生きてるようなもんだ。 なにを今さら隠す必要があるってなもんだ。 今日のこの記事一本に関しては一人でも多くの人が悦んでくれるようなのを目指して書いていく。 自分には他人を幸福にする力なんかないが、他人を幸福にする言葉ならば多少は知っているつもりである。 謙虚な心持で感謝の気持ちを抱きながら自分の非を認めて相手の非を許す。 「そんな綺麗事を言うな」 とかいう次元の低い解釈をするような人間はここにはいないことだろう。 おそらくみんな、そんなことはわかってるよ、といった感じなんじゃないだろうか。 そうだ…

  • 論と証拠

    このblogというものは基本的に文章で表現をする場である。 しかし文章で伝えたいことの全てを表現することは不可能であるというふうに自分は思っている。 しかし、だからといって何も伝えることができないというわけではなく、やっぱりある程度のところまでは伝えてくれる素晴らしい手段の一つであることにかわりはない。 そして映像では表現できない部分を文章は表現できる。 論より証拠という言葉もある意味本当だが、その証拠も論がなければ腑に落ちないことなどもザラにあるのも本当だ。 たとえば芸術作品などについての評価。 描かれた絵は証拠そのものである。 しかし、その証拠を見せられてそれが本当に素晴らしいものであるの…

  • 道具に愛着

    道具が好きだ。 このblogを書くのを続けられるのも、お気に入りのBluetoothキーボードを叩くのが心地よいからであることの占める割合は案外大きい。 道具には愛着が湧く。愛着が湧けば使いたくなる。だから必然的に記事を書きたくなる。 というような具合である。 これが道具を使わずにフリック入力であったならば面白くなくやめていた可能性は高い。 良い道具というのはただ単に便利というような物理的効果のほかにもやる気を起こさせてくれる精神的効果も兼ね備えているように自分は感じている。 どうやら物覚えが悪いのかこのキーボードを使い初めて三ヶ月が過ぎたが、いまだに少しスピードを上げて打ち込むと誤入力をして…

  • キラリと光るワンフレーズのために

    こう毎日記事を書いてるとね、時々ふとバカらしく思えちゃうこともあるわけよ。 そんな時のことを魔が差すというんだろうね。 でも書くよ。 なるべく毎日。 今までで三回はあったな、バカらしくなったことが。 でもそんなバカらしいことでも続けることで段々と徐々にそれなりに意味をなしてくるもんだと思ってるから続けるんだろうね。 そういうのが正しいか間違いなのかはまだ今のところは判断ができないから続ける一択でやってるよ。 時には気持ちのいいのが書けたりもするからね。 毎日が会心の出来になんて無理だな、自分には。 日頃苦痛を伴いながら書いて、時折生まれる傑作に救われるといった具合。 その傑作っていったって自分…

  • ふみふみ

    我が家にはもともとが野良の出である白黒八割れな猫がいる。 猫は本当に自由気ままな生き物だ。 自分の欲望にかくもあからさまで潔く、もはや一種の清々しさすら漂わせることのできる生物がこの地球上にほかにいようものかとさえ思わせるポテンシャルをまざまざと見せつけてくる。 と、いうか押しつけてくる。 迷惑極まりないその自由奔放傍若無人ぶりには開いた口もふさがりようがないのだが、それでも、まぁ猫だから…の一言でカタがつくところにコイツらのつよみがある。 可愛いのは間違いない。 確かに可愛いというのは認めるよ。 あのふみふみとかな。 ふみふみふみふみ一生懸命にやってるとこなんかいいよ。 応援してやりたくさえ…

  • 好きであり続ける為に距離をおく

    考え方、価値観というものはそれこそ千差万別十人十色である。 何が正しいなんてのはないこともないが、だいたいにおいてはどの面から見たか、ということ以上のものではない。 と、いうふうにこの浮き世を眺めている。 さて、今日は自分の数ある価値観のコレクションの中から 「好きなものにはあえて適度な距離をおく」 というのについて書いてみようと思う。 とにもかくにも依存という症状を嫌うタチであるからして、人に対しても物に対しても思想に対しても嗜好に対しても、一定の距離をおくことを良しとしている。 遠くから眺めると美しい景色も間近でみると汚ならしく見える。 時々会うから嬉しく思う人間も毎日会えば煩わしく思うこ…

  • 無駄無し屋流blog運営四ヶ月報告

    こうして毎日せっせと記事を書くのに、義務感とか金の為などという陳腐な動機では到底それを継続してゆくことはできない。 言葉を紡ぐ、という行為そのものに対する愛がなければね。 これはもちろん自分の場合は、であることを誤解のないように始めに書いておく。 が、しかし、継続に必要なのは忍耐でも意志の強さでもなく対象への愛だというのはこの文章に限ることではなく、結婚生活でも仕事でもそうじゃないだろうかとわりと真面目に思っている。 物事の成功の秘訣の源泉は感謝と愛。 これだと思ってくれる読者の方がいたならば素直に嬉しい。 物に魂が宿るのも持ち主の愛着があればこそのものであるし、子供を叱る親もそれは本来暴力で…

  • 読書は目的ではなく手段

    べつに熱心な読書家ではないが本を読むのは嫌いじゃない。 損得抜きに楽しい読み物もあれば、自分の心になにかを訴えかけてくるような言葉に出会う喜びもある。 人生の為になるような教訓めいたものを目にしたときなどは、思わず緩んだ靴ひもを結び直すような心持ちにもなる。 そうした心的影響を与えてくれる書物に触れることは有意義な時間であることに疑いの余地はないが、読書というのはあくまでも手段であって目的ではないというのが自分の読書感でもある。 読書はべつに何にもまして最優先すべきことではない。 時間が許す範囲での、しなくてもいいがしたほうのがよいことの類いだ。 しかし言葉が人間に与える影響は思いのほか大きく…

  • 思い通りの未来を実現する方法のひとつ

    それは思い描いた未来の実現を信じて疑わないこと。 それだけ。 信じて疑わなければ行動も伴ってくるという不思議。 だけども信じきるということ自体がそもそも難しいという事実。 じゃあ信じきるにはどうすればよいのか。 はっきり言って努力や才能などだけでは信じきることなど不可能である。 愚か者になることだ。 虚仮の一心 という言葉がある。 意味が気になる人がいたら自分で調べてもらいたい。 読みは「こけのいっしん」 では愚か者になるにはどうすればよいのか。 それは雑念を遠ざけ純度を高めることだ。 不純物のない純粋なものには計り知れない力と魅力と価値とが宿る。 純粋なものがこの世の善悪をも超越することは現…

  • ネットサーフィンの醍醐味

    ネットサーフィン、略してネサフ。 いたずらに時を過ごす昼行灯にはこのネットサーフィンはもってこいな遊びである。 そこは知の宝庫であり、わからないことはないくらいの勢いであるから一日中画面にはりついていても目の玉が疲れることこそあれ、飽きるということはまずもってない。 まぁ昔インターネットなんかなかった頃に読書に精を出していた部類の人間と大きくジャンル分けすると同じになるんじゃなかろうか。 知的好奇心を満たしたいという欲求を持っているという面か点においては。 平成にして最高の文明の利器とも言えるスマホなんかはインターネットを一般に普及させた立役者でもある。 自分もつい三年前に遅ればせながらもこの…

  • 平成最後の一日

    平成が最後の日になっちゃった。 行く年来る年に近い感覚な今日。 しかし別に実際の暮らしにはなんの変化もなく、ホームセンターで半額になっていた高齢犬向けの餌を、お得かなという安易な考えで三つも四つも買って帰ってきた平成最後の午前。 ちなみにうちの犬は推定年齢20歳のよぼよぼ婆さんである。 帰りの途中でコンビニに寄り携帯料金を支払ったんだけど、ふとこんな本が目についたので買ってみた。 相対性理論という言葉は知っているが、それがどういうことなのかというのは知らん。 だから興味本意で手を伸ばした。 これで平成最後の夜は相対性理論について知るアインシュタイン的な夜となるだろう。 うん、相手にとって不足な…

  • 散歩中にもいろいろある

    時々フッとある閃きの如く、つい忘れていたことを思い出させる言葉が脳内に浮かんで来るのでメモをよくとる。 散歩の途中にもこの現象はしばしば起こるので、鮮度が命なこの言葉をすくいあげる、つまり立ち止まってペンをとることが頻発することで歩行が困難になるときもある。 やれやれとは思うがこれがまた新鮮な驚きを含んだ楽しみの一つでもあるのである。 まぁはやる心は押さえてまずは気の利いた音楽でも流すとしよう。 今日はこれ サックスとかいう楽器がメインかな。 サム テイラーとかいうその世界では有名な人らしい。 捨て曲はない。ものを書くのに良いムードが出せる音。 さてと、話は戻るが例えば今日なんかは散歩中にこん…

  • 愚か者の妄想

    巷がGWで浮かれていようがそんなものは何処吹く風な無駄無し屋である。 と、まぁ格好良く表現したらそうなるが、なんのことはない。ただの暇人なだけのことである。 暇人の特権として、色々と考えることができるというのがある。 それは瞑想とも想像とも空想とも妄想ともいう多岐にわたるものである。 今日はちとその中でも一番の快楽である妄想をこの場を借りて膨らませてみようかと思う。 自分は自分にとって都合の良い人間だけと付き合って自分にとって都合の良い人生を構築してやろうと目論んでいる人間である。 他人の賛否には耳を塞ぎ、ただ純粋にその願望の達成になんの躊躇いも疑いも持たず、むしろそれが崇高な行いであるとさえ…

  • 愛すべきキャリー

    このblogで自分の生活をさらけ出すつもりは更々ないんだけど、自分の考えはオフェンシブにさらけ出してゆきたいと常々、書くたび心で思っている。 今日は風邪が少し冷たい。 だがそんなことはどうでもいい。 もしかしたら世間はすでにGWにひょっとして突入してしまったのか? まぁそれもどうでもいいことだ。 何が今日、今、この時点でどうでもよくないことなのかと言えばそれは、 別に特にないのである。 つまり今日もすべてどうでもいい一日なのである。 どうでもいい一日なんて贅沢なものを手に入れた今日なんかは早くこの記事を書き上げて昨日ゲオで買ったマライアキャリーの中古CD五百八十円でも独り静かに熟聴したく思って…

  • 道徳と法則の食い違い

    人間の善意の感情と人生がうまくいく仕組み、つまりこの世の法則は必ずしも一致しない。 それどころか、善であろうが悪であろうが感情での判断では辻褄が合わずうまくいかないことのほうが多い。 たとえば可哀想という感情のみで相手に施しを与えたとする。 これはいわば善意であり、自分の気持ちは満足するだろうし、一見その相手も助かったかに見えるし、事実助かっていることもあるだろう。道徳的にも素晴らしい行いである。 しかし目線を少し離して遠くからこの行いを大局的に眺めてみると、また違ったふうに見えてくる。 施すことは助けにもなれば、甘やかしにもなることがある。 相手にもよるが、野良犬、野良猫のように一回餌をやる…

  • 人付き合い

    元来好き嫌いがはっきりしているタチなもんで嫌いな人間とは一言も口をききたくない。 嫌いな人間には話しかけないし話しかけさせない。 稀にそういう空気を読まずに話しかけてこられることもあるが、こう言う。 「話しかけてこないでくれる?」 と。 誰がどのように非難や忠告をしてこようが、お気に入りの物や人以外は身辺に置く気が全くない。 それじゃあ世界が狭くなるよとの忠告なんてありがた迷惑でしかなく、広く浅くよりも狭く深くが心地いいんだから仕方がない。 そんな生き方があったっていいはずだし、好きでもない物や人を身辺においてストレスを感じるよりもよっぽど自分にとっては快適だ。 八方美人を否定はしない。 それ…

  • NO pino NO life

    何を隠そう実はピノが大好物である。 あのミルキーなアイスをチョコレートで優しくタイト且つしなやかに包み込んだ至高の一粒。 その至高の瞬間を六回も味わえるお得感。 好きになる感情というものは理屈ではない。 プラスチックのつまようじのようなものでピノをプスッと突き刺す瞬間に唾液が口の中に充満する。 げに恐ろしき魅力と甘味とを兼ね備えた人類の希望とも言えるピノ。 ピノをこよなく愛する人間のことをピノラーと呼んでいいのかどうかわからないが、ただひとつハッキリしていることは、回数を重ねて食していくことにより発生するピノイズムは一種の信仰のようなものであるということだ。 この世の中で信じられるのは自分の実…

  • 欲望をいっぱい詰め込んだブログ

    未だにこのブログで稼いだ金といえばほんの雀の涙ほどのものなんだけど、金になるならないは別にして、毎日のこの執筆はすでに自分の中では立派な仕事であると解釈している。 書きたいときだけ書くという自由なスタンスも魅力的であるけれど、これは仕事であるから毎日確実に書かなくてはならないといったようなスタンスについて回る緊張感もまた捨てがたく魅力的なのである。 なにせ日頃がニートさながらのゆるい暮らしであるもんで、日常に緊張感というスパイスを欲しているのだろう。 メリハリがなければバランスを保てない。 緊張感のみだとキツいしユルいだけだと堕落への道を辿ってしまいそうな怖さがある。 正直なところ、たかがブロ…

  • 言語表現のコントラスト

    誰かを幸せへと導くようなのを目指してもそれは偽善となってしまいそうなので、せめて時間の無駄にならない程度のものを書けたらなどと思いながらの今日の執筆は始まってゆくのである。 他人に自分の文章を読んでもらうということは、他人の大切な有限なる時間を数分ばかりではあるが奪っているという見方もできなくはない。 そういう見方をすると、自分の表現に時間を割いてくれている方々にはありがたいという感謝の念を抱くことが誠意というものだろう。 時間をいただいて申し訳ないなどというのは建前上の謙遜として見ることもできるが、申し訳ないと本当に思うんならば、そもそもそんな申し訳ないものを書いて読ませるなよ、と思うわけで…

  • ちょっとしたドライブ

    昨夜はひょいとしまなみ街道に乗って愛媛松山の道後温泉郷まで足を伸ばした。 どうも聞くところによると千と千尋の神隠しに出てくる油屋のモデルにもなっているんだそうな。 まぁそんなことはどうでもいいことなんだけど、温泉には入らずただ歩いただけでもなかなか趣があって楽しめた。 自分が住んでる尾道も観光地ではあるが、こちらの方が観光地としての格は上っぽい。 なにせ温泉があるからね。 土曜の夜ということもあってかなかなかの賑わいを見せていたよ。 そんな感じで帰ってきたのは夜中だったもんで今日はゆっくり昼からこうしてブログを書いている。 しかしずいぶんと暖かいね、今日は。 こんな日は昼寝がはかどりそうだ。 …

  • あるがまま、思うがままに楽しく書こう、文章は。

    春の天気の良い午前中ののどかな時間にこうして自室でブログを書けることは幸せである。 何を書こうかというのは悩みではなく楽しみだ。 子供の頃に100円玉を一枚握りしめて駄菓子屋に目移りするほどに並べられたお菓子を吟味していた時のあの気持ちに近い。 色々と書きたい、今日はどれにしよう、というような感じ。 書くことを楽しむのはブログを運営していく上での基本中の基本だと思ってやっている。 この基本は別にブログに限ったことではなく、全てにおいて言えることではなかろうか。 楽しいという感情は素晴らしい。 積極的になれるし疲れを知らない。 何気ない一文にさえ趣向を凝らしたものにしようという意欲は、楽しいとい…

  • 百戦錬磨の物書きが磨く自分流

    苦節三ヶ月とちょいにしてついに百記事に到達した。 一記事一戦として百戦錬磨となったネット上の物書きの飛躍はここから始まるのである。 ものを書くという行為は命のやりとりこそないが、真剣勝負であることにかわりはない。 その真剣勝負を百回もこなしてくればやはりなにか得るものがある。 実戦あるのみ そう自分に言い聞かせて生きる癖ははるか昔からの言わば教訓のようなものだった。 ただのその場しのぎな文章を書いたことはこれまで一度もないつもりである。 すべてはまずは閃きにヒントを得、そこから丹念に練り上げてきた愛着ある言葉たちだ。 紆余曲折、七転八倒に悪戦苦闘しながらもここまでなんとか辿り着いた今は三ヶ月前…

  • 最強のニート志願者

    ニートの定義を仕事をしていない者とするならば自分は間違いなくニートなんだよね。 まぁ厳密にいうと世に認められた一般的なお金稼ぎの仕事はしていないだけで自分なりの仕事はしているんだけどもね。 でも隣近所の方々は間違いなく自分のことを無職のニートだと思っていることだろう。 それでいい。ニートでOKだ。陰でヒソヒソやってくれるのも大丈夫。 そもそも他人に雇われ、その価値観や常識というようなくだらんものを押しつけられるなんてことはまっぴらごめんである上に、物欲はないので金も生きていけるだけで充分というスタンスだ。 金は追いかけるもんじゃなくてついてくるもんだとの考えには賛成派である。 まぁ追いかけるこ…

  • 認める猛者か、認めない幼稚なる雑魚か。

    自分の落ち度を落ち度として認められない人間は幼稚である。 自分が未だ未熟だということを認められない人間は雑魚である。 こうした言葉を冒頭にもってくるのにはそれなりの訳がある。 世間じゃ成り立つの意味を知らずに成り立ってもいないのにそのつもりな人間がゴロゴロ。 会社の社長のような組織を束ねるべき人間でさえもそんな感じなのがチラホラいることには驚く。 騙し騙し無理矢理まかりとおすのにはいつか限界がくることを悟らなければならない。 精神的な成長というものは自分がこの世を去る時まで必要なものなのである。 と、まぁそんなふうに思うわけなんだけどもね、 「何を偉そうにっ!じゃあそういうお前はどうなんだ」 …

  • 布団の中で知的好奇心を満たす

    散歩か事務所に向かう時と、誰かからお呼び出し電話があった時以外は基本的に家から出ない。 LINEやFacebookも一切やらないし電話をかけるなんてことは月に数回程度。 とにかく布団の中でくつろぐのが好きで、あの平日の昼間に布団の中でゆっくりとする読書の味ときたらそれはもう広島名物もみじ饅頭の如くに高貴な甘味がある。 小学生の頃は時々学校をズル休みして布団の中で漫画を読んだりゲームボーイをしたりしながら 「みんな今頃はなんも面白くない授業を受けながら苦痛に耐えてるんだろうなぁ、うふふ」 などと、少々の憐れみと大半の優越感とを感じながら親が近寄ってくると調子の悪げな小芝居の一つも打ってみせていた…

  • 話を盛るにはスキルが必要であり難しく面白い

    どうでもいいようなことを、如何にもどうでもよくない重要なことのように大袈裟に盛って書いていくのは少年時代にスーパーマリオに熱中した時レベルで面白い。 その文章に意味があるとかないとか考えることに全く意味はない。 ただ単に表現で遊んでいるだけの話であって最優先すべきは自分が面白いかどうかというところ。 好きこそものの上手なれという言葉が本当ならばこうして無目的に表現で遊ぶことも文章が上手になっていく一つの手段として大いに認める価値がありはしないかと思ってみたりもする。 ハープの音色がポロロンいうてスピーカーから鼓膜を心地よく刺激している。 朝からスヌープドッグを大音量で流すような下手は打たない…

  • 奇人変人と呼ばれて

    昨日今日に始まったような青く成熟してない酸っぱいレモンの如くな我が儘とは訳のちがう、時を重ね熟成されたまるで晩秋から初冬にかけて軒下に吊るされた干し柿の外はモサモサ中はトロトロのあの感じに似た我が儘を嗜む無駄無し屋。 そういうモサトロな我が儘を好む酔狂な人間も決して多くはないが必ず何処に行っても一人や二人はいるもんだ。 そんな酔狂な人間達とだけ付き合いお互いが得をする関係を築くことが徳を積むことだと判断し、それを信じきり、実践している悪く言えば妄信的、良く言うならば崇高な我が信仰は現在進行形であって別に調子は悪くない今日この頃。 種を蒔いたら芽が出たなどと退屈極まりない表現なんぞに興味はない。…

  • 山賊いろり

    雰囲気の良い飯屋にドライブがてら行ってきた。今日は疲れたので写真だけで。

  • 面白い話

    タイトルに面白い話なんてつけてしまうと些か荷が重いようにも感じるわけだが、そこはとっておきの話をここに書き記すことで面目の躍如としたい。 さて、貧乏暇ありな自分の日頃の暮らしといえば、散歩、読書、ブログといった別段特筆すべきこともない平々凡々なものであるからして、そこからこのページを開いてくれた読者の皆さんを面白がらせるようなものを拾いあげることなどそう容易いことではない。 が、しかし、しいて挙げるとするならば、その精神的な営みであろうと自分では思っている。 では一体この平凡なる凡夫の暮らしの中において自分がどのような精神的営みに励んでいるのかをこれから書いてゆこうと思う。 まず、朝の目覚め。…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、無駄無し屋さんをフォローしませんか?

ハンドル名
無駄無し屋さん
ブログタイトル
よろず無駄無し屋
フォロー
よろず無駄無し屋

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用
よろず無駄無し屋

フォローできる上限に達しました。

新規登録/ログインすることで
フォロー上限を増やすことができます。

フォローしました

リーダーで読む

フォロー