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kame710のブログ https://kame710.hatenablog.com/

55歳の時 胃がんと仕事中に頭部外傷、の人生の大きな転機があり、後遺症とつきあいながら まるで「カメ」のような歩みでここに至っています 出来ることは少ないけれど 日々の想いを書き連ねています

カメキチ
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2019/02/15

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  • 2021.6.29 「忘れること」と「自分であること」

    終りは、「忘却」(忘れること)と「アイデンティティ(自分であること)」。 ーーーーーーーーーー 「忘却」 【引用】 「「忘れたこと」は何であったのかを忘れてしまうのだ。 つまり、「忘れたこと」の内容は忘却しているにもかかわらず、「『忘れたこと』を忘れた状態」 であることを感受しているため、一層の〈不安〉に晒されることになる。これこそが「認知症」と 呼ばれる当事者の〈不安〉を形成するのだ。 … 「忘却」とは、言うなれば、私たちが「自分」を保つ上でこの上なく必要な情報処理の装置なのだ。 また「記憶」とは、日々の様々な出来事を「過去」の情報へと変換して飼い慣らしていくための、 これまた必要な情報処理…

  • 2021.6.25 「できたことが、できなくなる」…

    またまた「老い」の話。 こんどは大学の社会学の先生が著者なのですが、アカデミックな中身ではありません。 〈老い衰えゆくこと〉は「できていたことができなくなる」ことであるとし、それが行き着いたところ 「介護」の現場で見聞きした具体的なケースごとの体験を下敷きに、その具体的事実を述べ、考察する 形で述べられます) 『老い衰えゆくことの発見』 天田城介 という。 (グーグル画像より) 「はじめに」で、〈老い衰えゆくこと〉という誰にも訪れる生命現象への対応を 人は「介護」という形でなそうとしているが、その際、現代でも日本は親子という 「運命の呪縛」により、家族が親の介護をするのがあたり前だとされている…

  • 2021.6.22 諦めよう! 流されよう!

    「老い」の本が続いているが、また読んだ。 (若いお坊さんが仏教の立場で書かれたもの。情熱をこめたやさしい言葉で語られた平易な話だった。 前回の科学の視点からとはまた違い、「老い」といっても切り口によりいろいろある。 それがいい) 『老いて自由になる』 平井正修 という。 二つ書きます。 ーーーーーーーーーー ① 諦めることのたいせつさ ふつうは(あくまで愛情からの叱咤激励のつもりで)「諦めるな!(もっと)頑張れ」 と言う。 しかし、努力・忍耐・辛抱・根性がたいせつでも、これら「頑張り」だけでは どうにもならないものが生きるなかにはあるということは、誰だってわかる。 人生には「運」とか「定め」、…

  • 2021.6.18 老いの意味

    3回目、最後です。 ③ 「老い」の意味 老いの盛りにある私のような者だけでなく、若い人に読まれてほしい。 (と、強く思った) 終りのころ、「人間にとっての老い」ということで次の一文があった。 【引用】「〈人間にとっての老い〉 生命体に宿っている死というシステムが存在する意味は一体何なのでしょうか。 科学的には、「新たな遺伝子として生命を更新するためにある」と言えるでしょう。 哲学的には、「個人としてのアイデンティティを確立するためにある」と言えるかと思います。 「死」の存在を知ることによって、人間は宇宙という「全」のなかで「個」としての己を認識できる ようになっているにちがいありません。 そこ…

  • 2021.6.15 「老化」はなぜ起きるのか、「死」はなぜあるのか

    ② 「老化」はなぜ起きるのか、「死」はなぜあるのか 著者は医学者である。 専門の生命科学の眼から、人生現象としての「老化」を、生物現象としての「死」 の仕組みを述べ、人間らしい老いと死はどうあるべきか、どうあったほうがいいか を深く考え、提唱される。 (死を想っていまを一生懸命いきる、という意味の人生訓、名言はたくさんありますが、私がこの本で とても新鮮に感じたのは、「老い」と「死」を生命の科学から解き明かし、科学的にも人間は人間として きちんと生きなければならないと、強い情熱をこめて書かれておられることでした) ーーーーー 【引用】 「「死」はなぜあるのか 〈二つの細胞死〉 ①ネクローシス …

  • 2021.6.11 唯一無二の存在として生きている自分

    「懐古」。 歳をとれば、昔のできごとがなつかしく思いだされる。 過去は「悲」も「喜」もこもごもなのに、「悲」は薄められ浄化され、それさえ なつかしい。 (耐えがたかった悲しみ、苦しみ、辛さを時の長い流れは水と同じように洗い流し、忘れさせてくれる 「昔はよかった」という大いなる「幸せな勘違い」は、そういうことをいっている気がする。 もしそうなら、「人生」はなんとうまくできていることか) ーーーーー たまには懐古という個人的なことだけではなく、「老いる」こと自体を思ったり 考えてみることもある。 (私の場合は身体の障害もあるので「これ以上フラフラしたり、歩けなくなったら…」と実際的に) 『ヒトはど…

  • 2021.6.8 ニヒリズム

    図書館で私の借りる本は古いのが多く、順番待ちはない。 本の題名に惹かれただけで借りることもあり「ハズレ」も多く、パラパラめくる だけで「やーめた!」となって、返すものがよくある。 これもそんな1冊だった。 『哲学の密かな闘い』 永井 均 著 新書版よりちょっと大き目の本。 10分の1くらい読んで、やめた。 (グーグル画像より) (なぜやめたか?続かないか?→根本は「根性なし」。よく自覚している。 ただ読書に限っていうと、とくに哲学が好きというわけではないけれど、「あたり前」、「常識」、 「普通」といわれているものをいったんくつがえし、「そもそも…」と根本から問うのは好きだし、 世の大勢に惑わさ…

  • 2021.6.4 壺中一壺の天

    前回、あんなことを書いたので、久しぶりに禅語を書こうと思った。 (禅語も本から教わったので「読書感想記事」か) 広い意味での禅語は、狭い意味の「禅の言葉」に限らず「仏語」(「フランスご」 でなく「ブツご」)はもちろん、中国の名詩からとった言葉が多い。 多いから、いちいち感動していたら追いつかないので心が自動的に選択(制御) していたようで、これまで書いたのは選択された「好きな禅語」だけだった。 もう4回、繰りかえし読んでいるが(本はいまトイレ)、以前はそれほど感じなかった 言葉が新たに好きになった。 そういうのを、これからまたときどき、書いてゆきたい。 ーーーーーーーーーー 壺中一壺の天 (こ…

  • 2021.6.1 読書記事

    ブログをやろうと思った動機は、自分の人生にはまったく予定になかった障害者に なり、「さて、どういう気もちでこれから生きてゆくか…」と悩んでいたころ、 偶然、本屋さんで禅語の文庫本に出会い、知ることになった言葉がとても新鮮に 心に響き、その禅語を多くの方に知っていただきたいからだった。 (それもあるけれど書くことが自分には復習になるからです。 それに前回書いたように、退職して 自由な時間がいっぱいできたからです) 禅語も知っているものが少なくて底をつきかけ、このごろの記事はもっぱら 本のことばかりになっている。 (しかし、禅語も本もテレビも要はみなさんに「よろしかったら聞いてください」ということ…

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