それで納得した。私の家は高台を選んで入居したマンションの9階で、近隣の避難所の混雑を避けた知人一家や電気の消えた家の静けさに耐えかねた階下の家族が避難しにきたのだ。 私は隅田川が氾濫しているかもと思って街を見たくなった。ベランダに出ると、母親と避難してきた階下の部屋の女の子がいつもリヴィングに置いていた望遠鏡を顔に押し付けて片手で手を振っていた。 何が見えるの? 人がいるよ。 この望遠鏡じゃ見えるはずがないと思ったが、人がいるのは間違い無いのである。ラジオでは河川の氾濫の影響で四人が行方不明と報道されている。私がベランダから臨める街の景色に死体や、痛みや、不安が、隠れている。 風邪引くかもしれ…
雲の千切れた隙間から青空と燈色の太陽光が零れ落ち、天と地を結んで乳白色の光の柱を成して、私の部屋に窓硝子を通して差し込む。開いた瞼の中の瞳は太陽を視界の中央に捕らえて、光が私の頭部を突き刺している感覚を覚えた。 こんな朝方に目が覚めたのはいつぶりだろう。腕時計をしていないから今が何時かもわからない、しかし町の静けさや肌寒い大気は早朝の空気に違いなかった。 家族三人で暮らす杉並区のマンション、玄関口を入ってすぐ左側の四、五畳が私の部屋である。リヴィングに出ると驚いた。母子家庭で母親は働きに出ているので普段なら来客は稀であるにもかかわらず、十人前後の'ご近所さん'が集まっていたのだ。階下の家族や団…
なんども聞いた音楽にうんざり 見慣れた景色にうんざり 朝にうんざり 夜にうんざり 繰り返しにうんざり 予期にうんざり 瞬間にうんざり 明日に、自分に、さようならしても、そこで待ってるのが繰り返しだとしたら、ぞっとする
先輩はクスリを買ってた。 その先輩は飲酒運転もしてた。 そして交通事故が起きて逮捕された。 友達は彼女を妊娠させて赤ちゃんは殺した。結婚はしなかった。 お母さんは仕事を辞めても沢山買い物してた。家賃は払わなかった。お母さんは死んだ。 私は、お母さんのお財布から千円盗んで漫画を買った。お菓子も買った。 おじさんに五万円もらった。 深夜三時にライトの壊れた自転車で彼氏の家に通ってた。 バイト先のファミレスでハンバーグを食べたけど、伝票は作らなかった。 知らない人に裸の写真を売った。 友達の靴箱に「嫌いだ」って書いたメモを置いて帰った。 でも、バレなかった。 私は大学に通った。教員免許も取れると思う…
十代半ば、母親とは衝突が絶えなかった。 ある時は殺意を抱き、ある時は「死んでやる!」と叫んだ。思春期の大人への反撥、世の不平等や理不尽に対する嘆きである。そこで殺してやろうだとか死んでやろうだとか、物騒なことを考えていた時期もあった。 しかし、当時は真剣になって親殺しの肩書きを欲した。殺害方法のヒントを得るためにあまりに夢中で読み込んだのでカバーはビリビリになっていて、それを発見した母親が言うことには、「流石私の子供(まさか娘に殺害計画を練られているとは気づかず自信たっぷりに)」なのであるから「流石私の母親」なのである。 ビリビリのカバーはとっくに捨てたので丸裸になった文庫本、しかもページは珈…
松本清張の「張り込み」には「張り込み」の他に「カルネアデスの板」「一年半待て」「声」などが収録されていて、私たち人間誰もが感じたことのある"殺意"の行方が丹念に描かれている。 「張り込み」を文学好きの母親に勧められて初めて読んだ当時、私は14歳だった。勿論不気味な程に現実味を帯びた人物描写や周到に計画された殺人は女子中学生が物語に求める痛快さ、ロマンチシズムとはかけ離れていた。しかし気づくと私は松本清張の描く犯罪小説にある種の希望の光を見出していた。
私の母親はヘビースモーカーで、部屋には煙草の煙や匂いが充溢していた。当時、私は煙草の匂いに極めて鈍感だった。 ところで母親の煙草にはヒ素を極少量塗布しておいてある。一度口にしただけで死ぬ量ではなく、毎日毎日少量ずつ摂取することで体内に健康被害は蓄積されある日突然死んでしまう。致死量の毒を一度で摂取して死ぬのとは異なり、一見では毒死であるとバレない殺害方法だ。 彼女はまさか自分のタバコに毒が盛ってあるとは知らない。 この話は私が中学生の時に思い描いた完全犯罪のシナリオである。
小田急線千歳船橋駅から徒歩2分のアパート。 そこに引っ越してからは、夜は六畳の和室に二枚の敷布団、三枚の掛け布団を家族3人で分かち合う生活を大学進学まで続けた。 私はいつも母親のみているテレビの音で目覚めた。人間は、自身の所有しうる記憶や情報を整理するために夢を見るという。テレビが寝室にあるおかげで交通事故に遭う夢、一家心中の夢を毎朝交互に見た。ニュース番組で流れる不幸な事件事故を無意識に聴覚で捉えて、夢の中で日常的に追体験していたのだ。
昔ある所に、お母さんと、2人の幼い娘 花と緑が仲良く暮らしていました。 ある日3人の暮らす家に狼が訪ねてきてお母さんにこういうのです。 「幼い娘は食べ頃だ、おいしいに決まってる。だから2人を食べにきた。」 お母さんは困りましたが、とりあえず狼を外で待たせておくことにしました。 お母さんは自分の体をハサミで二つに切り分けて、外の狼に呼びかけました 「わたしが花と緑です。めしあがれ。」 お母さんはこうして花と緑を狼から守ってあげたのでした。
電車はプラレールで十分 強く握りしめると掌に凸凹跡がつく そんなおもちゃで十分 ちっさい世界で十分 ちっさい世界があったらいいな ちっさい世界で一番になれないかな おもちゃを舐めるとすごく味気なくて よだれが染み込む余地もなくて すぐに吐き出した
線路沿いのアパート 始発の電車が朝を教えてくれる 寝るのが惜しくて、いつのまにか、今日も昨日を延長してる 朝日に笑われるのはきっとわたしが悪い子だから 踊った夜が終わる時朝日はわたしの身体を踏みつけてこう言う「目を覚ませ!」 それはわかるよ、でも目を閉じてたいよ 世間は皮肉を孕んでるからまだ慣れないな それはきっとみんなが正しくて、わたしがおかしいから わたしは皮肉を笑う、でも心は虚しく喘いでる そういう皮肉がよくわかる わたしがわかるのは、わたしがわかる事はよくわからない事だってこと 世界は皮肉を孕んでるからまだ慣れないな 夕方まで眠り続けるわたしを'今日'は笑ってる そういう皮肉がよくわか…
三歩戻れば不謹慎 三歩進めば恥さらし 知らなきゃよかった 言わなきゃよかった 生きててよかった 本を読む時、映画を観る時、音楽を聴く時、一瞬のときめきがそう思わせてくれる 人生はときめきを待ってる時間だと思う 退屈で冗長な人生の採算を合わせるために、ある刹那、ときめきが訪れる 人生と、時間と主観と意味と目的とが決して切り離せないことに根拠はない だからわからなくなる 前後ろがわからなくなる(わたしはそれを袋小路と呼んでいる) そんな時に、ときめきが前を向かせてくれる
お母さんがお母さんで良かった タバコを吸う時、お母さんのベロがわかる 本を読む時、お母さんの脳がわかる 映画を観る時お母さんの目がわかる お母さんお姉ちゃんを生んでくれて、わたしを生んでくれて、
人はただ生まれて 泣いて 叫んで 笑って 繰り返して ただ死んでく ねえ、はたから見たら呆気ないもんだよね みんな消えて生まれてもチクタクチクタク針は進むんだよ 置いてかないで 置いてかないで 置いていかないでよ 僕も連れてってよ 田舎の暮らし 都会のワンルーム 街行くカップル お手手繋いでる ねえはたから見たら味気ないもんだよね 自分以外の人はいつでもどこでも大したことないよ 置いていかないでよ 僕もここにいるよ 置いていかないでよ 僕も連れてってよ
who is it? excuse me what is your name? I am… 自分が誰なのか 自分がどんな人なのか みんな必死になって 自分のおなまえ作ってる 僕は日本人 わたしはハタチ サッカー大好き シンガポールに転勤 because we are what I am what I was who am I l think therefore i am マイネームイズなんだかなあ 嘘と噂はやだなあ 言葉も歴史も根拠のない偽物にしかみえなくて、綺麗な本物を見たい一心でああ生きている ワットアイアム ワットアイワズ フーアムアイ l think therefore i am マイ…
タバコを吸う時あなたのベロがわかる 映画を観る時あなたの目がわかる 本を読むときあなたの脳みそがわかる 曲を聴く時あなたの耳がわかる 死にたくなる時あなたがよくわかる 涙を舐めるとあなたがよくわかる 今日は日曜日夜ご飯でも行こうよ タバコを吸ってもいいよ ワインを飲んでもいいよ 沢山食べなくてもいいよ 恋をする時あなたの気持ちがわかる 泣きたくなる時あなたの気持ちがわかる 一人でいる時あなたがよくわかる お腹が痛い時あなたがよくわかる 今日は日曜日カラオケでも行こうよ 下手くそな歌もいいよ 明日は休んでいいんだよ 行きたくないなら休もうよ 全然あなたは悪くない 一番あなたが正しい 死にたくなる…
みんな、名前を付けると安心するらしいんだけど、なんでなんだろう? 私が私である根拠を、二十年間の中で、一度だって見つけたことがない。名前さえなければ、きっと、こんなに悩まむことないんだよ。 生まれた瞬間、一年前、昨日、今朝、そしてたった今、一度だって私がおんなじ人間だったことある?細胞だって死んで生まれて、記憶も、考え方も、死んで生まれるじゃん。 私の源の源の源に一貫性がなくて、困ってる。 今もわたしとわたしが、記憶が、環境が、容器としての身体が、変わっていく、それでも私は私だよ。 私は私の名前を追いかけ続けなきゃいけない。追いつくことなんてないんだけど。
バカって言ってくる人はバカダサいって言ってくる人はダサい変だよって言ってくる人はおかしい人輪郭のない言葉を疑いもせずに使う人達がまともって言われてる世界じゃんね、あたしまともじゃなくていいや、きちがいでいいや、綺麗でいたいもん、私が正しいかどうか決めるのは私だもん
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