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2019/02/02

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  • 動物園に巡る死は

    日本で初めてゾウの解剖をやったのは、帝大農科大学教授、田中宏こそである。 明治二十六年の幕が開いて早々だった。新年いきなり、上野動物園に於いてはその「花形」を失った。寄生虫症の悪化によって、ゾウが一頭、死んだのである。石油缶に湯を注ぎ、藁を被せて湯たんぽ代わりにしてやったりもしたのだが、今やすべては無為だった。 (上野公園前) 動物園では悲しみつつも、 「せめて学術参考に」 と、愛獣の死を最大限活かすべく、解剖の手筈を整える。 なにぶん日本で最初の試みであるということで、見学希望は引きも切らずであったとか。 そして、当日。 衆人環視の只中で、田中宏は汗みどろになっていた。 たいへんな悪戦苦闘だ…

  • 愛だの恋だのよく飽きもせず、満足いくまでやりゃいいさ

    古い『読売新聞』にラブホテルの雛形めいたモノを見付けた。 昭和六年三月十二日である、記事が紙面に載ったのは――。 「最近『円宿ホテル』といふのが多数現はれ安っぽいコンクリートまがひのアパートにベッドを置いて、ホテル営業を表看板とし待合ともカフェーともつかぬつれ込み客専門の宿をして盛んにエロ時代を謳歌してゐるものがあるので警視庁保安部風紀係では取締の必要を認め、管下各署からの調査意見書を二十日迄に集めることになりこの旨十一日通牒した」 (Wikipediaより、読売新聞ホーロー看板) 嘗てフェミニズムの権威、スウェーデンの誇る思想家、エレン・ケイ女史はいみじくも言った、「性の問題は生命の問題であ…

  • 敗戦国のみじめさよ ―そしてハーケンクロイツへ―

    『読売新聞』は幸運だった。 大正十年、彼らは期するところあり、ちょっと特殊な展覧会を開催(ひら)くことに決めている。 特殊とは、むろん出展される品。 第一次世界大戦中に帝政ドイツが刷り出したプロパガンダ・ポスターである。戦意高揚、スパイ警戒、エトセトラ。偉大なる勝利に至らんと智慧の限りを振り絞り、作製された掲示物。センセーショナルな「張り紙」の、同社が蒐集・保管するありったけ(・・・・・)を世間の耳目に晒さんと、そういうことを企画した。 彼らの視角に基けば、今の日本に何より欠けているものは、宣伝戦の心得だからだ。 (プロパガンダに余念のないチャップリン) 仕掛けるにせよ、邀撃にせよ、技術的に拙…

  • 春畝を忍ぶ ―伊藤博文、その巨影―

    偉人が語る偉人伝ほど興味深いモノはない。 「評するも人、評せらるるも人」の感慨をとっくり味わえるからだ。 福澤諭吉は『時事新報』の記事上で、伊藤博文を取り扱うに「国中稀に見る所の政治家」という、きらびやかな言を用いた。「政治上の技倆を云へば多年間政府の局に当りて自から内外の事情に通じ、或は失敗もし或は成功もしたる其間に、あたゆる政界の辛酸苦楽を嘗め盡して今日に至りしことなれば、事の経験熟練の点に於ては容易に匹敵するものを見ず。殊に日本の憲法制定に参して最も力あるの一事は内外人の共に認むる所にして、其功労は永久歴史上に滅すべからず」云々と。 べた褒めである。 満艦飾といっていい。 まるで鳴りやま…

  • 「幻華在目十四年」 ―秋田小町と犬養毅―

    正岡子規とて身体が自由に動いた頃は遊里にふざけ散らしたものだ。 況や犬養に於いてをや。 明治十年代半ば、犬養毅は特に招かれ、東北地方の日刊紙、『秋田日報』の主筆として活動していた時期がある。「才気煥発、筆鋒峻峭、ふるゝ者みな破砕せり」とて衆の威望を萃(あつ)めたものだ。 (秋田のなまはげ) それと同時に土地の名歌妓・お鐵にめちゃくちゃ入れあげて、交情熱烈大紅蓮であったのも、蓋し有名な逸話(はなし)であろう。 明治の青年たちにとり、艶彩迷酒の歓楽はほとんど通過儀礼の一種。酒で腸を焼き鉄拵えにするのと一般、娼妓(おんな)の肌に触れてこそ、志は磨かれる――と、大真面目に主張したとて誰も不審に思わない…

  • どうせこの世は男と女、好いた惚れたとやかましい

    デモクラシーの掛け声がさも勇ましく高潮する裏側で、人間世界の暗い業、望ましからぬ深淵も、密度を濃くしつつあった。 『読売新聞』の調査によれば、改元以来、日本に於ける離婚訴訟の件数は、年々増加するばかりとか。 大正四年時点では八百十三件を数えるばかりであったのが、 翌五年には九百五件に上昇し、 次の六年、九百五十一件にまで跳ねたなら、 七年、とうとう千百四十二件なり――と、四ケタの大台を突破して、 更に八年、千二百十八件を計上と、伸長にまるで翳りが見えぬ。 (タバコを吸う夏川静江) なお、一応附言しておくと、上はあくまで訴訟を経ねば別れ話が纏まらなかった事例のみの数であり、離婚そのものの総数は、…

  • 女神が握っているものは

    移民が増えれば犯罪も増す。 両者はまさに正比例の関係にある。 アタリマエのお話だ。 一世紀前、この論法に疑義を呈する白人は、ほとんど絶無に近かった。「自由の国」の金看板を衒いもせずにぶちあげる、アメリカとてもその辺の事情はまったく同じ。揺るぎなき金科玉条として、日本移民排斥の十八番としたものだ。 (いわゆる「日系二世」たち) なんといってもスタンフォード大学の名誉総長サマまでが滔々として述べている、 「アジアから群がり来る大勢の移民を歓迎する事は米国に取っては政治的に好ましからざる事である、…(中略)…人種が異(ちが)へば異ふ程、そして特に新来者の野心が大なる程、両者の軋轢は大きくなるのである…

  • 利通の遺産

    大正九年のお話だ。 帝都は水に苦しんでいた。 「水道、まさに涸れんとす」――ありきたりと言えば左様(そう)、単純に渇水の危機だった。 (江戸東京たてもの園にて撮影) 当時の市長、田尻稲次郎は事態を重く見、市民に対して犠牲心の発露を願う。トンネルの出口が見えるまで――解決の目処が立つまでの間、「娯楽目的の水道利用」を禁止すると声明し、ために深川あたりの労働者らは満足に体も拭えなくなり、必然毛穴は閉塞し、皮膚の痒みで夜もまともに眠れない、散々な目に遭わされた。 皇居御苑を筆頭に、各地公園の噴水も軒並み停止させられる。節水、節水、節水で、堅っ苦しい雰囲気が帝都に覆いかぶさった。 然るにだ。この状況下…

  • ビバ・キャピタリズム!

    造り過ぎた。 無限の需要を当て込んで国家の持ち得る生産力のあらん限りを発動させた、その結果。 第一次世界大戦後のアメリカは、げに恐るべき「船余り」に苦しめられる目に遭った。 (終戦の日のアメリカ) サンフランシスコに、シアトルに、タコマに、ポートランドに、それから勿論ニューヨーク。――北米大陸東西沿岸、ありとあらゆる港湾に、外形(ガワ)だけ造って機関も何も入れてない、所謂半成状態の木造船がずらりと並んでいたものだ。 当時アメリカを旅行した日本人のほとんどが、およそこの種の豪華なる「船の寿司詰め」状態を目の当たりにして驚倒し、その感情の振幅を紀行文に記入(つけ)ている。 有名どころを挙げるなら、…

  • 酔わずに何の人生か

    アメリカ政府がジャガイモを「野菜」ではなく「穀物」と認定せんとしていると、そんな挙動(うごき)が濃厚なりと仄聞し、思い出したことがある。 そういえば明治時代にも、合衆国は食品の分類如何(いかん)で揉めていた。新規のとある輸入品、日本酒をどのカテゴリにぶち込んだらいいのかで、お偉方が意見を闘わせたものだ。 酩酊感を齎すが、あからさまにビールではない、蒸留過程も経ていない、シャンパンともどうやら違う、なら何だ(・・・・)。何の仲間に含めればいい? ――なにしろ事は関税率に直接関わる沙汰だけに、財務省の役人どもの関心たるや並でない。眼を血走らせ、眉間の皴も濃く、深く。本気の注意を向けていた。 豈図ら…

  • 便所と大臣

    文部大臣多しといえど、学校視察に向かう都度、便所の隅まで目を光らせて敢えて憚らなんだのは、およそ中橋徳五郎ぐらいのものであったろう。 話は尾籠に属するようで若干引け目を感じるが、これは至って真面目なことだ。 少なくとも中橋大臣本人は、猟奇趣味にも変態性欲を満たす為にもあらずして、己が職務を全うするのに不可欠なりと判断し、この上なく真剣に、信念を持ってやっていた。 (フリーゲーム『操』より) なんでも彼に言わせれば、便所の壁こそ学生が、もっとも赤裸に、明け透けに、言論戦を展開できる場所なのだとか。なるほど確かにSNSも、電子掲示板すらも未発生な彼の時代。心の澱を吐き出す場所は現代よりもずっと限定…

  • 壁に耳あり障子に目あり、ならもう全部焼き払え

    屋根に関して、まま行政はやかましい。 東京、神奈川、京都あたりの一部地域でソーラーパネルの据え付けが義務化されつつあるように。 明治四十年代も、市民の頭上に「官」が嘴を入れてきた。茅葺屋根の根絶を、「お上」の威光を以ってして推し進めんとしたものだ。 「家屋其他建物の新築改築又は増築を為さむとするものは、瓦石其他の不燃物質を以て其屋上を覆復し、現在の燃質物屋上は十箇年以内に改葺する事とし…(中略)…違背したる者は二円以上十円以下の罰金に処す」 警視庁の名に於いて、如上の趣旨のお達しが発令されたわけである。 時恰も明治四十年、五月十六日だった。 (江戸東京たてもの園にて撮影) まさか当時の警察幹部…

  • ナイフ一本、返り討ち

    研師にして剣士。 どちらの手腕(うで)も紛うことなき一級品。 そのまま時代劇中のキャラクターに具せそうな、――山尾省三はとかく刃物の扱いに熟達したる者だった。 (『Ghost of Tsushima』より、刀鍛冶) 米寿を超えてなおも現役。髪は落ち、皮膚は弛んで白髭をちぢれさせようと、指先の冴えは失わぬ。鳥取県は米子城下の四日市に居を構え、農具や庖丁等を手入れし日々の稼ぎに充てていた。 職人として好ましき老い方であるに違いない。「生涯現役」、ほぼほぼ理想に近かろう。 そういう山尾省三が、どうしたわけか、あるとき人を刺殺した。 正確な日付を示すなら、昭和五年の三月二日。 相手は若齢二十七歳、山尾…

  • 外面菩薩、内心夜叉

    役者というのは結婚すると人気が落ちる。 たった一人の生涯の伴侶を得ることは、何百、何千、何万倍の、異性のファンを失うのと引き換えである。 この俗説は、果たして真なりや否や――。 「そういうことは、事実、けっこう御座います」 神妙な面持ちで頷いたのは、六代目尾上菊五郎。 (Wikipediaより、六代目尾上菊五郎) 若干二十三歳の折、妻を迎えてまだ一年も経ていない、初々しい身であれど。効果というか周囲の変化は激甚で、嫌でもはっきり自覚せずにはいられない、猛烈性を帯びていた。 地殻変動にも喩うべき、ファン層の入れ替わりがあったのだ。 「独身時代の贔屓は婦人に多く、妻を有してより後の贔屓は男に多けれ…

  • 喜ばしき欠落

    明治三十九年一月十四日午前十時三十九分、東京、新橋駅頭は空前の熱気に包まれた。 凱旋したのだ、英雄が。 日露戦争の将星人傑多しといえど、わけても一際異彩を放つ、嚇灼たる武勲所有者。おそらくは東郷平八郎と国民人気を二分する、陸軍界に於ける聖将。第三軍司令官、乃木希典大将が、とうとう帝都に帰還した。 (水師営にて) いやもう、人、人、人である。 強きを欲し、強きに焦がれ、強きに向かう日本人の性情が極端に発揮されたと見るべきか。東亜に向かって伸ばされた帝政ロシアの魔の手を払い、みごと勝利をもぎとった、烈士の姿を一目(ひとめ)なりとも拝まんと、殺到して已まぬ民。東京どころか日本中の蒼生が新橋駅を中心と…

  • 尊皇攘夷の秋は今 ―明治三十七年、対馬―

    もはや開戦秒読みの時期。 再三の撤兵要求を悉く無視し撥ねつけて、帝政ロシアが持てる力と欲望を極東地域に集中しつつあったころ。 スラヴ民族の本能的な南下運動を阻まんと、大和民族が乾坤一擲、狂い博奕の大勝負に挑まんとしていたあの時分、すなわち明治三十七年、日露戦争開戦間際。 『報知新聞』に投書があった。 送り手は、玄界灘の一島嶼、対馬に住まう老人である。 (『Ghost of Tsushima』より) (ははあ) 担当記者は内心密かに、 (来るべきものがついに来たか) と頷いた。 中世期、元寇という日本史上稀にみる本格的な対外戦争を経験した土地だけに、およそこの種の騒ぎには敏感たらざるを得ないのだ…

  • 口内衛生小奇譚

    虫歯の痛みを鎮静させるためとはいえど、蛭を口に含むなど、考えただけでおぞましい。 到底無理だ。ヒポクラテスの勧めでも、鄭重に謝絶するレベル。万が一、喉の奥へと進まれて、食道にでも貼り付かれたらなんとする。不安で不安で、神経衰弱待ったなしではあるまいか。 (Wikipediaより、ヤマビル) 論外もいいとこに思えるが、しかしそういう療法が、嘗て本当に実在(あ)ったのだから驚きだ。前回示した『家庭療法全集』中に見付けてしまった項である。 「痛む歯の歯茎に、蛭をつけると、歯痛が止まる。膿を持ったのでも治る。蛭のつけ方は、巻煙草の吸口のやうに丸めた紙の中に、蛭を一匹入れて歯茎にぴったりと当てがって吸ひ…

  • 附録戦争

    猫を狂わせることだけがマタタビという植物の全能力ではないらしい。 保温効果たっぷりの良質な入浴剤として、人類(ヒト)の役にも立たせ得る。「五匁くらゐを袋に入れ、約二升くらゐの水で充分に煎じ、その汁をお風呂に入れて入ります。少しも厭な臭ひもなく大変よい気持です。このお湯は、少しくらゐ長湯しても、のぼせることがなく、上ってからも、随分長い間、体中がぽかぽかしてゐます」――こういう記述、用法が、戦前刷られた『家庭療法全集』中に載っているのだ。 如何にも古書でございといった、もう見るからにくたびれきったこの一書。 もと(・・)を糾せば単体で売り出された品でなく、婦人雑誌『主婦の友』昭和六年一月号の附録…

  • Malignant tumor ―不幸な双子―

    たぶん、おそらく、十中八九、畸形嚢腫なのだろう。 にしてもなんてところに出来る。 時は昭和五年、秋。山口県赤十字病院は佐藤外科医長執刀のもと、二十一歳青年の睾丸肥大を手術した。 (Wikipediaより、山口県赤十字病院) 患者にとっては十年来のわずらいになる。 十歳のころ、初めて股間に違和を覚えた。 小さなしこりに過ぎないが、確実に「何か」がそこにある。少年が成長するにつれ、「何か」も併せて体積を増し、少年から青年へ、身体が闌(た)ける時分には、もはや自然治癒などと希望(のぞ)むも愚かな、そういう規模に成り遂げた。 二十歳(はたち)の峠を過ぎたころ、いよいよ日常生活に支障を来すまでになる。金…

  • 米食ナショナリズム

    嘗て戸川秋骨は、日本人を「米の飯と、加減の宜い漬けものがなくては、夜が明けない」民族なりと定義した。 実に単純で、わかりよく、反論の余地のないことだ。 筆者としても戸川の論を首の骨が折れるほど力強く肯定したい。 美しく炊きあがった銀シャリには一種の威厳が付き纏う。 この感動を共有し得る者こそが、つまるところは日本人ではなかろうか。 福澤諭吉先生が保健のために日々嗜んだ運動は、散歩に居合い、それに加えて「米搗き」だった。本人の言葉を藉りるなら、「宵は早く寝て朝早く起き、食事前に一里半許り芝の三光町よりして麻布古川辺の野外を少年生徒と共に散策し、午後は居合を抜き、又約一時間米を搗き、而して晩餐の時…

  • 昭和五年の文士たち

    清廉居士、糞真面目、単純馬鹿、自粛厨、野暮天、潔癖症的正義漢――。 呼び名は多岐に及ぼうが、ここでは敢えて「確信犯予備軍」と、そういう区分けをしてみたい。 実に厄介な連中だ。 昭和五年の七月である、久米正雄が大衆向けに麻雀指南を施す運びと相成った。ラジオを通じて、電波に乗せて、『麻雀と人生』と銘打った斯道の講義を試みたのだ。 宣伝に凝っただけあって、前評判は上々である。 放送開始時刻たる、六日の午後六時にちゃんとラジオの前に座れるように多くの中年男性が予定調整に勤しんだ。 ところが前日、すなわち五日午後八時。局の電話が鳴り響き、応対すればどうだろう。 「久米の野郎を殺してやる、首を洗って待って…

  • 午年、午の日、午の刻

    案内状が舞い込んだ。 同窓会の開催を報せる趣旨のものである。 一九三〇年のことだった。一八七〇年生まれの戸川秋骨の身にとって――正確には一八七一年三月の「早生まれ」ではあるのだが、本人が「自分は一八七〇年の生まれだ」と繰り返し主張するがゆえ、ここではそれに従おう――、このとしは丁度六十歳目、還暦という人生の大きな節目に相当(あ)たる。 それにかこつけ、久方ぶりに小学校のクラスメイトで集おうぜ、わっと騒いで、旧交を温め合おうじゃねえか――と、つまりはそんな誘いであった。 聖書の登場人物で誰が一番好きかと問われポンテオ・ピラトと即答し、十二使途には「耶蘇の殺されたのは気の毒といへば気の毒だが、その…

  • ドイツに学べ ―牛乳讃歌―

    「日本人はもっと牛を飼わなきゃイカン。牛を殖やして、殖やしまくって、肉も喰らえば乳も飲め。そのようにして西洋人と渡り合うのに足るだけの、丈夫な身体を作らにゃイカン」 維新成立早々に、社会のある一部から盛り上がった掛け声だ。 畜産を盛んにせよという、つまりはそういう趣旨である。 (北大農学部の牛) 御国のためなら是非もなし。「追いつけ・追い越せ」精神を色濃く反映しているだけに、官民問わず賛同者は多かった。 福澤諭吉も、その顕著なる一人であろう。 「牛乳の功能は牛肉よりも尚更に大なり。 熱病労症等、其外都て身体虚弱なる者には欠くべからざるの妙品、仮令何等の良薬あるも牛乳を以て根気を養はざれば良薬も…

  • 赤門小話

    震度七は何物をも逃さない。 東京帝国大学の象徴たる赤門も、大正十二年九月一日、大震災の衝撃に、無傷で耐えれはしなかった。 無傷どころの騒ぎではない。木ノ葉よろしく瓦は落ちるし、土台は東に傾くし。おまけにその状態のまま長くほっぽかれた所為で、草は生えるわ朱は剥がれるわ、目も当てられない悲況に堕ちた。 将軍家の姫君を、加賀百万石前田家に嫁入りさせた際に於いての「引き出物」、由緒正しき持参門とて、儚や幽霊屋敷も同じ、浮世の無常を物語る、格好の縁(よすが)たるばかり。 散々たるその落魄ぶりを、 「赤門と云へば東京帝国大学の名称よりずっと通りのいゝあこがれの的であったほど有名であったが、初めてこの門を見…

  • 東京帝大、異常あり

    大正十四年である、東大生が鉄道自殺をやらかした。 季節は盛夏、空の青さは嫌味なまでに濃く、深く。雲が層々と峰をなす、とても暑い日であった。 (東京大学) 苛烈な太陽光線が、散乱した血や臓物に容赦なく浴びせかけられる。湿度の高さも相俟って、たちまち蒸されるヒトの残骸。鉄路の上の悪臭は、形容不能な物凄さであったろう。清掃員の労苦たるや知るべしだ。 懐からは案の定、遺書と思しき封筒が。 そこまでは、まあ、珍しくない、予定調和といっていい。毎月何件かは起きる、典型的な鉄道往生の域を出ぬ。 しかし、しかしだ。動機を探る目的で遺書を開いた時点から、にわかに流れが変化(かわ)りだす。 (なんじゃ、こりゃ) …

  • 幻燈 ―夢と現を繋ぐもの―

    銀幕で濡れ場が開始(はじ)まると、客席中にもつられて血を熱くして、みるみる脳まで茹であがり、一切の思慮を蕩けさせ、過去も未来もまるきり喪失、ただ現在(いま)だけの、現在確かに存在している衝動だけの塊と化し、そのままそこで自分等もおっぱじめ(・・・・・)ちまう(・・・)奴(バカ)がいる。 これは戦前、白黒映画、どころか声も入っていないサイレントキネマの時代から、屡々生起し、問題視された事態であった。 (Wikipediaより、ローヤル映写機) 福岡県庁保安課による調査記録に基けば、昭和四年に劇場内にてつまりその、暗がりにまぎれてみだらなことをしたというので、八幡市だけで女性六名、男性十六名が捕ま…

  • 燃ゆる如月

    遡ること九十四年、昭和五年のちょうど今日。 西紀に換算(なお)せば一九三〇年の、二月二十四日のことだ。 中央気象台は異例の記録に揺れていた。当日の最高気温として、寒暖計は24.9℃なる夏日寸前を示したからだ。 (中央気象台) 季節外れの高温は関東平野のみならず九州から奥羽まで、日本列島全域にて観測されたことであり、 「今まで生きてきて、こんな二月は経験したことがない」「とても炬燵に足なんぞ突っ込んじゃあいられんなあ」 と、腰の曲がった老人たちまで涼風(かぜ)を求めて戸外に出てはさざめき合ったそうである。 地球はときどき、まるで思い出すように、こんな乱調をしでかすらしい。江戸期以来の小氷河期が未…

  • 我は越後の天狗也

    姓は石黒、名は政元。 どこぞの軍医総監殿と同じ名字であるものの、血のつながりは特にない。 越後国の産である。 物心ついた時には既に、彼は己の特性をはっきり自覚し終えていた。 どんな高所に立とうとも、少しも恐いと思えない。 他の童が脚を竦ます年代物の吊り橋を、鼻歌まじりに踏破する。家の屋根でも、鎮守の森の御神木でも、するする登って下界の眺めを楽しめる。なんならごろりと寝そべって、昼寝だって出来るのだ。 (『北越雪譜』より) 「坊ッ、危ない!」 良識的な周囲(まわり)の大人が悲鳴まじりに叫んでも、蛙の面に小便で毫も性行を改めぬ。どころかそういう年長者の狼狽を、 (どこが危ないのだ、こんな簡単な遊び…

  • 人に悪意あり

    その新聞は、立て続けに名を変えた。 創刊当時――明治十九年九月には『商業電報』であったのが、およそ一年半後には『東京電報』と改めて、更にそこから一年未満、ものの十ヶ月で再度改名、四文字から二文字へ、『日本』として新生している。 以後は漸く落ち着きを得たものらしい。大正三年十二月の終刊の日に至るまで、この紙名(カンバン)を掲げ続けた。 (Wikipediaより、陸羯南。『日本』新聞主筆兼社長) ――そういう『日本』の報道に。 ちょっとした愚痴、泣き言の類を見出した。重野安繹の挙動をめぐる一幕だ。「抹殺博士」と、渾名で呼んでしまった方が理解は早いやも知れぬ。日本史学に西洋的な実証主義を持ち込んで、…

  • 脳力と品性の不一致

    脳髄の出来と品位の高下は必ずしも一致せぬ、いやいやむしろ、釣り合う方こそ珍しい。 禍乱の因子(タネ)はいついつだとてそこ(・・)にある。才に恵まれ生まれ落ちると人間は、増上慢になりがちだ。あまりに容易く世界のすべてを見下して、「自分以外の誰も彼もが馬鹿に見えて仕方なくなる色眼鏡」を無自覚のまま装着(かけ)ちまう。周囲はむろん、本人にとっても不幸なことだ。 なればこそ、脳髄の出来と品性と、それから身体能力までもが見事に一致した漢(おとこ)、嘉納治五郎は言ったのだろう、 「品性の伴はない才能は世に害をなす事が少なくないが、才能の伴はない品性は、よし大裨益をなす事がないにせよ、害を及ぼすことはないの…

  • 日本、弥栄

    日本人の幸福は、その国内に異人種の存在しないことである。 維新このかた一世紀、外遊を試みた人々が、口を揃えて喋ったことだ。 鶴見祐輔、小林一三、煙山専太郎あたり――「有名どころ」の紀行文を捲ってみても、その(・・)一点に限っては同じ感慨を共有している。 (小林一三、晩年の姿) 外に出てみて初めて理解(わか)るありがたみ。――「ヨーロッパに参りますと、同じく財産を沢山持って居り、又社交上の位置も殆ど同じであっても、人種の異(ちが)ふ為に或者と交らぬとか、或者の言葉は信用せぬとかいふ傾が大分あるやうであります。之は諸国を廻るにつけて何処の国でも私の感じた一つの点であります」とは、明治の末ごろ、中島…

  • 明治監獄小綺譚

    明治十二年は囚人の取り扱い上に、色々と進展が見られた年だ。 たとえば皇居の草刈りである。 日本のあらゆる権威の根源、 皇国を皇国たらしめる御方、 すめらみことが坐する場所。 重要どころの騒ぎではない、そういう謂わば聖域を、美しいまま保つ作業は従来府庁の役目であった。 が、四月から、これが変わった。警視局が代わって任に就くことになり、移譲早々、彼らは皇居周辺の浮草並びに野草刈り取り作業に関し、すべて囚人の手によってこれを致す(・・)と決めたのだ。 罪を犯して裁かれた――懲役に在る身といえど、安易に「穢れ」扱いするな。そういう意図を迂遠に籠めていたのだろうか。でなくば「浄域」を管理するのに、態々彼…

  • 水利を図れや日本人

    日本人とは、井戸掘り民族なのではないか? 妙な言い回しになるが、そうだとしか思えない。 海の向こうに巣立っていった同胞たちの美談といえば、十に七八、それ(・・)である。 (江戸東京たてもの園にて撮影) アフリカ、中東、東南アジア、煎じ詰めれば発展途上諸国に於いて、言語の壁にも、甚だ不良な治安にも、決してめげる(・・・)ことなしに、時間と熱意を代価に捧げ、ついに「水の手」を確保した――と、大概そんな筋だろう。 全地球的観点から眺めても、清冽かつ豊富なる日本国の水資源。ありあまるほどの恩恵を、大して意識することもなく――「日本人は水と安全はタダと思っている」――享受し育った身としては、黄土色の濁り…

  • つれづれなるままに

    書棚を飾る『蠅と蛍』。 佐藤惣之助の想痕、あるいは随筆集。神保町のワゴンから五百円(ワンコイン)にて回収してきた品である。 本書の見開き部分には、 必要最低限度といった、ごく控え目な書き込みが、これこの通り為されてる。 白楊 辰澤様 と読むのであろう。 白楊――。 佐藤惣之助の雅号ではない。 では誰だ。 画家である。 本書の絵画装幀を担当したる絵描きの名。それが井上白楊である。十中八九、この人からの贈り物であったろう。 受け手側たる「辰澤様」がいったい誰を指すものか、こちらはどうにもわからない。個人的に親交のあった者であろうか? とまれかくまれ、著者謹呈は屡々見たし持ってるが、こういうケースは…

  • 愛は努力だ ―身持ちの堅い女たち―

    作品から作者自身の性格を推し量るのは容易なようで難しい。 あんな小説を書いていながら紫式部本人は身持ちがおっそろしく堅い、ほとんど時代の雰囲気にそぐわないほど頑なな、あらゆる誘惑を撥ね退けて貞操を断固守り抜く、まるで淑女の鑑のような御人柄であったとか。 (viprpg『かけろ!やみっち!!』より) 少なくとも与謝野晶子はそう信じていた。日本で初めて『源氏物語』の現代語訳を成し遂げて、しかもそれでも飽き足らず、『紫式部日記』すら新約せんと試みた、そして現に果たしたところのこの人は、ほとんど崇拝の領域で紫式部に親炙しきっていたらしい。 まあ実際、原著に対する愛が無ければ良き翻訳など到底望めぬモノだ…

  • 五千円になった人

    新渡戸稲造には日課があった。 本人の語りによるものだから間違いはない。それは札幌農学校に教鞭をとっていた時分、己に課した習慣だ。 (北海道帝国大学) 授業のために、指定の教場へ向かう都度、新渡戸はいきなり扉を開けず、把手(とって)を握り締めたまま、しばし瞑目、心の中で唱えたという。 ――生徒は大切である、仮令無礼なことがあり、又は癪に障ることがあっても必ず親切に導かねばならぬ、妄りに怒ってはならぬ。 自分で自分に暗示をかけたといっていい。 おまけに一日何回も、凄い厚塗りであったろう。 それだけ入念に細工をしても、「教場に入って居ると何時しかこの心がけを忘れることもあった」――我慢しきれずブチ切…

  • 九十九人の残留者

    大正九年十月の国勢調査に従えば、当時樺太――むろん南半、日本領――に居住していたロシア人の総数は、ギリギリ三桁に届かない、九十九人だったとか。 明治三十八年のポーツマス条約締結時、つまりこの地が「日本」になった直後では、およそ二百人ほどがあくまで居残ることを選んで引き揚げを拒絶したというのに。指折り数えて二十年、ずいぶん減ったものである。 (Wikipediaより、樺太の残留ロシア人) まあ、あと何年かしたならば、革命で祖国に居場所をなくした、いわゆる「白系ロシア人」らが東の果てのこの地にもはるばる流れ着いてきて、少しは人口恢復に寄与してくれる次第であるが。 とまれかくまれ、「丸太作りの小屋に…

  • 赤い国へと、血は流れ

    日本人が死亡した。 遠い異境の地に於いて、政変に巻き込まれた所為だ。 政変とは、すなわちロシア二月革命。ペトログラードで流された血に、大和民族の赤色も、いくらか混じっていたわけだ。 (Wikipediaより、二月革命) その死に様は陰鬱に彩られている。彼は駐在武官でも、大使館の職員にもあらずして、全然一個の商売人の身であった。 純然たる民間人にも拘らず、居てはならない空間に、あってはならない一刹那、身を置いてしまったばっかりに、頭を砕かれ、むごったらしい屍を晒す破目になってしまった。 不運としかいいようがない、その男の名は牧瀬豊彦。 現地に於ける高田商会の主任であった。 (Wikipediaよ…

  • 空の鐘楼

    奥平謙輔が実権者として佐渡ヶ島に乗り込んだのは、明治元年十一月のことだった。 翌年八月には職を擲(なげう)って帰郷とあるから、彼の統治は一年足らず、十ヶ月かそこらに過ぎない。 だがしかし、と言うべきか。斯く短期にも拘らず、佐渡ヶ島が負わされた傷痕たるや重大で、まこと瞠若に値する、戦慄すべきものがある。 折から高まりつつあった廃仏の凶風(かぜ)。隠そうにも隠しきれない維新史の恥部。神仏分離の実行に、この長州系維新志士は度外れた情熱を発揮した――そりゃもう派手にやっちまった(・・・・・・)らしいのだ。 (Wikipediaより、佐渡ヶ島尖閣湾) 後年『東京日日新聞』所属の記者が該地を訪れ、物したル…

  • 騙して悪いが ―大正河豚毒浪漫譚―

    フグは身近な毒物だ。 入手が容易で、 高い致死性をもっていて、 おまけに日本人ならば、ほとんど誰もがその性質を知っている。 「喰えば死ぬ」という共通認識、この普遍性がミソなのだ。この特徴ゆえ、他人を揶揄う材料として、フグは非常に便利であった。 (Wikipediaより、クサフグ) 鯛なり鱈なり何なりと、別な魚類と偽って、こっそりフグを食べさせて。しばらくしてから――胃洗浄しても無駄な時分になってから、 「ありゃ実は……」 と、おどろおどろしくバラすのは、もはや定番のネタである。やられた方は蒼褪めて、瘧(おこり)のように慄えだす。そこを愉しむ寸法である。 人が悪いと言えばそう、毫も反論の余地がな…

  • 明治生まれのフェミニスト

    与謝野晶子は共学推進論者であった。 日本列島全土に於いて、男女席を同じゅうして学ぶ環境を創り出す。七つの峠を越えようが、敢えて隔てる必要はない。どんどん机をくっつけてゆけ。そういうことを念願とした人だった。 「さあ、それは」 いくらなんでも度が過ぎる、無意味なまでに極端に突っ走った話じゃないか――。 ある場面にて難詰されて、晶子、負けじと返した言葉が強い。 「逆ですよ。男は女に、女は男に、早いうちから慣れさせないと、後々突飛な真似をする。そうなってからでは遅いのです」 突飛な真似とは要するに、情死、駈け落ち、多淫に漁色、数次に亙って結婚離婚を繰り返す病的心理状態等々、そういう聞くだに忌まわしい…

  • 「自由」の重みを感じるか

    明治十年代半ば、自由民権運動は、すっかり時代の「流行り物」と化していた。 大阪あたりの抜け目のない商人(あきんど)が、「自由餅」だの「改新まんじゅう」だの何だのと、既存の品に耳触りのいい単語をさかんに焼き印し、たったそれだけの工夫であるにも拘らず、従来とは比較にならない、素ん晴らしい売れ行きを成就したのは、べつにいい。 後年早稲田の門前で「ホラせんべい」というのを売って――言うまでもなく校租大隈重信の大風呂敷を揶揄ったものだ――、まんまと地元の名物になりおおせたのと一般で、商法としてはむしろ王道に近いゆえ。 (viprpg『ライチエクスチェンジ』より) だがしかし、新生児の命名に「自由太郎」や…

  • 不良少年とばっちり

    北越屋が営業停止処分を食った。 理由はいわゆる、未成年との淫行である。 店の在所は浅草北部、新吉原の京町一丁目のあたり。なにを取り扱う店か、もうこれだけで凡そ察しがつくだろう。 想像通りだ。男どもが持て余す、日々の精気の発散場。血の滾りを抑えかねたる野郎どもを客として、紅燈緑酒の綺羅を張り桃色遊戯の悦楽(たのしみ)を提供するを事とする、典型的な遊廓である。 ――その北越屋に、柴田赤太郎なる男子が客として登楼(あが)り込んだのは、明治十七年七月十五日であった。 (Wikipediaより、新吉原仲の街) 赤太郎はひとばん遊び、翌十六日に帰っていった。 現象としてはそれだけである。相手役の遊女(おん…

  • 嘘か真か津田梅子

    津田梅子が光源氏を嫌っていたと示す逸話が世にはある。 英訳された『源氏物語』の校正作業を頼まれて、しかし内容の卑猥さゆえに断然これを拒絶した、と。こんなのはポルノと変わりなし――と、激しく罵りさえしたと。だいたいそんな筋だった。 目下、世間はこのエピソードを専ら「ガセ」と認識している。妄想の産物、学術的な裏付けは何一つないにも拘らず、取り合わせの妙、構図自体の面白味に引っ張られ、とめどもなく拡散(ひろま)ったデマ情報であるのだと。 (Wikipediaより、津田梅子) ところがだ。明治十七年十月二十日の『今日新聞』を覗いてみると、こんな記述が目に入る。 「いづれの御時にか勝れて時めき給ふ参議在…

  • 続・海原は誰のものなのか ―天下皆これ禽獣世界―

    前回の記事に追記する。 明治十五年度に於けるオットセイの総捕獲量が判明(みえ)てきた。 その数、実に二万七百匹以上。剥がれた皮の枚数のみに限定してさえコレだから、実態としてはもう幾ばくか上乗せされることだろう。大漁、豊漁、「当たり年」とはよくも言ったり。冒険的な外国漁船の跳梁で、日本の北の海獣はまさに虐殺されたのだ。 (Wikipediaより、キタオットセイ) 「忌々しい毛唐めが。やつら、程度を弁えぬ」「人の庭先で好き放題しおってからに。もはや一刻の猶予もならぬぞ」 加減を知らぬ根こそぎぶりに、政府も胆を潰したか。 法規制が急がれて、その翌々年、成立をみた。布告内容を以下に引く。 太政官第拾六…

  • 海原は誰のものなのか

    色違いは持て囃される。 みんな奇妙なのが好きだ。 明治十五年の晩夏、北海道増毛郡別苅村にて、ひとりの漁夫が白いナマコを引き揚げた。 白皮症とは独り哺乳類のみならず、棘皮動物に於いてさえ観測されるものらしい。たちまち大騒ぎになった。 抑々からして造化の神の悪ふざけにより誕生(うま)れたみたいな形状(かたち)をしているのがナマコ。 (Wikipediaより、ナマコ) ただでさえわけがわからないのに、かてて加えて雪をも欺く白さとあってはもう、もはや、一周まわって神々しさすら感ぜられるに違いない。 当時の相場からいって、干しナマコの一斤が、だいたい五十銭であった。 ところがたった一匹の白いナマコが出現…

  • 大和民族の精神解剖 ―占領軍の立場から―

    日本国憲法は前文からして間違っている。「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して」? 寝言をほざくな、そんなの(・・・・)が、日本の周囲(まわり)のいったい何処に存在してやがるのか。 支那に南北朝鮮に、それからもちろんロシアも含め。どいつもこいつも隙あらば、こちらの肉を啖(くら)わんとする餓虎ぞろいではあるまいか。 いや、彼らとて、あるいは平和を愛するだろう。だがそれ以上に自分の財布が満ちること、他者を踏みつけ、苦しませ、見下すことで味わえる優越感の方をこそ、より濃厚に愛すのだ。 そんな相手に「公正」を期待するなどと、アナコンダと添い寝するより愚かしい、信じて背中を預ければ、えたり(・・・)と…

  • 惜別 ―さらば、福翁―

    明治六年の発布以後、徴兵令は数次に亙って改訂され、補強され。より現実の事情に即した、洗練された形へと、段々進化していった。 初期のうちには結構あった「抜け道」、裏技の類にも、順次閉塞の目処がつき。 だが、なればこそ横着なる人心は、僅かに残った穴(・)めがけ、一か八かの吶喊を試みずにはいられない。 ――「戸主六十歳以上の嗣子は徴兵を猶予せらるゝ」。 穴(・)の中でもこの一条は、割合長く気息を保った方だった。 (Wikipediaより、徴兵検査通達書) 当局は何故こんな規定を態々設け、留めて置くに至ったか? 理由は、まあ、色々と、複雑多岐な事情とやらを勘案してのことだろう。 だがしかし、齎した結果…

  • ハワイ王国葬送歌

    ここに一書あり。 大雑把に分類すれば嘆願状に含まれる。 さるハワイアン女性からアメリカ国民全体へ訴えかけた文である。 一八九三年二月十三日というのが、その書の提出(だ)された日付であった。 左様、一八九三年、ハワイ王国落日の秋(とき)――。 (ハワイアンたち) 書き手は尋常(ただ)の女ではない。 やがて国を継ぐべき者だ。 その大任に相応しい「自分」を形成するために、故郷を遥か、地球の反対側まで行って研鑽に励んでいたところ、当の祖国が亡んだと、かたじけなくも現王は叛臣どもに取り囲まれて玉座を棄てるの已むを得ざるに至ったと、そんな悲報の入電だ。 疑いもなく踏みしめていた足元が、いきなり海に変化した…

  • 酔い痴れしもの

    日本土木会社の禄を食む若い衆五名がリンチ被害に遭ったのは、明治二十四年一月二十八日のはなし。「陸軍の街」青山で、その看板に相応しく、兵舎建設作業のために腕を揮っていたところ、突発したる沙汰だった。 (Wikipediaより、青山練兵場) 五人を囲むに、犯人たちは四十人もの多勢を以ってしたという。 「なんだ、てめえらァ!」 圧倒的な数の差だ。肉体労働を事として、如何に体力に自信があれど、覆せる不利でない。抵抗空しく、被害者たちは一方的に殴られ、蹴られ。意識に恍惚の皮膜がかかる間際まで、暴虐を加えられてしまった。 犯人たちの素性の方は、すぐ割れた。 そも、隠す気が無かったとすらいっていい。同業者(…

  • 赤く染まったハンガリー

    この世のどんな悪疫よりも性質(タチ)のわるい病患が、一次大戦終結後のヨーロッパに蔓延った。 共産主義のことである。 マルクス教と言い換えてもよい。 (Wikipediaより、カール・マルクス) イタリアでも、ポルトガルでもアカのカルトは跳梁し、社会を喰い荒らしていたが。とりわけ無惨であったのは、なんといってもハンガリーであったろう。 分類上、中欧となる彼の地では、革命により二重帝国を解消してからものの半年も経たないうちに再度革命が勃発し――どんな因果の間違いだろう、ふと気が付けば狂人が、国の牛耳を執っていた。 シベリアの丸太小屋にでも永遠に隔離しておかるべき、その男の名はベラ・クン若しくはクン…

  • 野心礼讃

    「歯科医ほどつまらぬものはない」 暗澹たること、鄙びた地方の墓掘り人足みたいな貌(かお)で、真鍋満太は言っていた。 自分で選び、自分で修めた道ながら、この職業の味気なさはどうだろう。毎晩毎夜、布団にもぐりこむ度に、我と我が身の儚さがここぞとばかりに押し寄せて、いっそ消滅したくなる。――そういう愚痴を、昭和十年前後に於いて、くどくど掻き口説いている。 「何故かと言って、考えてもみろ。俺が虫歯を治療(なお)してやって、大変見事に出来たとしよう。いや、仮定じゃなく、何度も何度もなんべんも、到底義歯とは見分けがつかぬ、生まれながらの歯みたいに、完璧に仕上げてきたんだが。すると患者はお定まりの口上を、 …

  • 昭和五年のパレスチナ

    第一次世界大戦勃発以前、パレスチナの地に居住していたユダヤ人は、ものの六万。 そこからバルフォア宣言を経て、彼の地がユダヤの国であると認められ、十三年が経過した。 すなわち一九三〇年。なんとはなしに区切りの良い数である。もうひとつ区切りのいいことに、当時パレスチナの人口は、およそ百万だったとか。うち八十万がアラビア人で、十六万がユダヤ人となっていた。 (アーサー・バルフォア) 十三年で、十万の増加。 少ない。 アラビア人からしてみれば、おそるべき侵食なのだろう。が、全世界に散在せるユダヤ人、総数ざっと千五百万との見積りから観測すれば、まったく取るにも足らないような、雀の涙も同然である。 この統…

  • 明星よ、ベツレヘムの空にあれ

    「暮の二十五日になると必ずクリスマスセールが始まる。日本にも多くのキリスト教徒が居るからキリスト降誕を記念する催しのあるのは当然だと思はれるけれども、日本のクリスマス騒ぎはあまり宗教的な意義はなく、無論キリスト降誕は無関係であるらしい。…(中略)…商店のクリスマス祭はつまり年末大売出しの一様式と解釈すればよいので、考へやうによってはこれもイエス・キリストの徳の現れであるかもしれない」 昭和十年の段階で、既に日本はこう(・・)だった。 (viprpg『やみっちらいちで適当に2』より) 親鸞上人の命日だろうと、ぜす・きりしとの生誕だろうと、別になんだって構わないのだ。細かい理屈は野暮である。そんな…

  • 昭和変態医人伝

    「結石の美しさを知っているかね?」 これはまたぞろ、レベルの高い変態が出た。 阿久津勉という医師に、初対面にて筆者がもった、偽らざる印象である。 (Wikipediaより、尿路結石) 「結石は、尿道にこう、膀胱鏡を差し込んで、膀胱内に転がってるのを見るのがいちばん美しい。指輪やネクタイピンにでもしたいぐらいの煌めきだ」 断っておくが、筆者(わたし)はべつに、話を盛ったりしていない。 本当にこういう意見を述べている、悪びれもせず堂々と。昭和十三年に物した『尿路の石』なる、蓋し直截な題字の下の随筆で――。 「ところがいざ取り出して、乾燥させてみた場合、結石の美はたちまち消え失せ、むしろ汚らしさばか…

  • 老練百智のブリティッシュ

    こと諜報の分野にかけて、英帝国は玄人である。 何故こんな事を知っているのか、何処からソレを掴んだか――。 いっそ魔術的とすら謳いたくなる暗中飛躍は舌を巻くより他なくて。――日本の古い仏教系新聞に、あの連中の底知れなさを仄めかす記事が載っている。 「岩倉公が先年英国に赴かれし時、同国女帝が日本の経典を好まるゝ由を聞かれ、帰朝の後一切経を送られしかば、彼の国よりも種々の珍書を同公に送られしが、今度又同国より、我邦古伝の貝多羅梵莢を写し贈りてよと請ひ来りしかど、南都法隆寺より献ぜし物は正倉院の勅封中にて間に合はず、其他は何れにあるか詳かならねば、右大臣より西京妙法院住職村田教正に依頼され、心当りの寺…

  • 小金井巡礼 ―江戸東京たてもの園を散策す―

    高橋是清邸に惹かれてやって来た。 江戸東京たてもの園、都立小金井公園の一角を占める野外博物館である。 その名の通り、十七世紀――江戸時代からこっちにかけて四百年、関東平野に築造されたあれやこれや(・・・・・・)の建物を、集めて維持して展示して、文化的価値を守護(まも)り且つまた発信にも努める施設。概要としてはこんなところでいいだろう。 蒼一色の空の下、堪能させていただいた。 適当に紹介していこう。 さても立派な門構えの向こう側にたたずむは、三井家11代当主、三井八郎右衛門高公氏の御宅。 和洋折衷の邸内に、 五三の桐や、 三つ葉葵の長持ちが、さも当然な顔つきで腰を下ろしているのを見ると、流石は天…

  • 諦めるしかない場面

    あとで聞いた話によると、地面が揺れて半刻ほどもせぬうちに、もう家財道具一式を大八車に積み込んで、雲を霞と安全地帯へ避難した途轍もない「利け者」が神田辺には居たらしい。 そいつの家には旧幕生まれの老人が猶もしぶとく生きていて、第一震を感じた瞬間、 (こいつはまずい) 絶対に大変なことになる、今日の夜には東京全市が火の海だ、留まっていては死ぬるのみ――と、脳天に電極を刺された如く、鮮やかに確信したそうな。 (八丈島の牛) 「急げ、逃げるぞ。もたもたするな」 口角泡を飛ばしつつ、ときに擂粉木で息子の尻をぶったたき、老人は家人に支度を強制。 (因業じじいめ、とうとう物に狂うたか) あご(・・)で使われ…

  • ヒポクラテスの薬膳

    脚を折ったら豚足を、モノが勃たなきゃオットセイの睾丸ないしは陰茎を。 病み苦しんでいる時は、患部と同じ部位をむさぼり喰うことで、恢復がより(・・)早くなる。 異類補類、同物同治の概念だ。 漢方、すなわち大陸由来の智慧として、一般には知られるが。――どうも、どうやら、この発想は、漢民族の専有物ではないらしい。 「古代ギリシャにもあった」 指摘したのは明治生まれの日本男児、伊藤靖なる男。 東京帝大薬学科の出身で、卒業後には技師として、製薬会社に腕をふるった――早い話が大正・昭和という時期の、クスリのエキスパートだった。 (八意永琳。薬と云えばこの人) 医史に通暁していても、さまで不思議はないだろう…

  • 白昼夢「大陸維新」

    頭山満が支那へと渡る、玄洋社の志士五人を連れて――。 この一報に、 「ただでは済まない、何かが起こる」 朝野官民のべつなく、実に多くの日本人が同じ戦慄に苛まれ、神経過敏に陥った。 (Wikipediaより、頭山満) まあ、無理はない。 なにせ、時期が時期だった。 明治四十四年十二月下旬なのである。 清帝国の断末魔、辛亥革命進行の、真っ只中ではあるまいか。 誰がどう見ても数百年に一度の変事。トンネル長屋の日雇い人足だろうとも、道で拾った新聞片手に ――過渡期だな。 と、訳知り顔で物々しく頷いたに相違ない、漢民族の正念場。新たな秩序が展(ひら)けるか、それとも地獄の蓋が開いて混沌が溢れ返るかの瀬戸…

  • 数は雄弁

    古書を渉猟していると、数字の羅列によく出逢う。 遭遇して当然だ。自論に箔を付けるため、正当性を押し出すために数の威力を借りるのは、古(いにしえ)よりの常套手段、王道中の王道ではあるまいか。 例の抜き書く癖により、気付けば随分その種のデータが手元に積み上げられていた。 (製本作業中…) 筆者個人の独断と偏見に基いて、特に印象深いのを幾つか抽出するのなら、例えばこれなどどうだろう。 ロンドンに於いて一歳中に消費する食料の統計左の如し。 〇魚類 四千億斤(ポンド) 〇牡蠣 五千億個 〇蟹 六千万個 〇牡牛 四十万頭 〇羊 百九十万頭 〇豚 二十五万頭 明治の黎明、村田文夫が世に著した『西洋見聞録』中…

  • ハミガキ、エンピツ、子規の歌

    「歯の健康」。 蓋し聴き慣れたフレーズである。 口腔衛生用品なんぞの「売り文句」として日常的に耳にする。 あまりに身近であり過ぎて、逆に注視しにくかったが――どうもこいつは相当以上に年季の入ったモノらしい。 具体的には百五十年以上前。維新早々、明治五年の段階で、大衆の目に既に触れていたようだ。 そのころ東京赤坂で輸入雑貨を扱っていた斎藤平兵衛なる者が、「独逸医方西洋歯磨」なる商品に関連し、こんな広告を出している。曰く、 「我国従来の歯磨は房州砂に色香を添、唯一朝の形容のみにて歯の健康に害(わる)し。抑此歯みがきは西洋の医方にして、第一に歯の根をかため、朽(くち)ず減(げん)ず動(うごか)ざるを…

  • 徒花街道 ―仮死を求めた紳士たち―

    途中で死ぬのが、永く英人の悩みであった。 羊のことを言っている。 牛と並んで、オーストラリアの名産品だ。 先住民(アボリジニ)を――主にあの世へ――叩き出し、土地を横領、くだんの植民大陸を牧場として整備したのは素晴らしい。 それ自体は上出来だ。 ただ、問題は、輸出であった。 羊毛、食肉――そういう部品(パーツ)ごとに分けての出荷ならば別にいい。さして苦もない作業であるが、 「生きた羊をそのまま寄越せ」 と註文されると難しい。 羊は陸上生物だ。 土の上でこそ活きる。 船旅に不得手であることは、いっそ惨めなまでである。慣れぬ環境、募るストレス、周囲のすべてが彼らを弱らせ、結果バタバタ死んでゆく。そ…

  • 島帝国のニヒリスト

    露帝ニコライ一世は身を慎むこと珍奇なまでの君主であって、例えば彼が内殿で履いた上靴は、生涯一足きりだった。 (Wikipediaより、ニコライ一世) むろん、時間の荒波により生地は痛むし穴も空く。しかしながら空くたびに、針と糸とを携えた皇后さまが駈けつけて、せっせとこれを繕った。 そんなこんなで、東郷さん家(ち)の障子のように滅多矢鱈と継ぎ当てされたその靴は、主人の没後も永く殿中に保持されて、遥か後世に向けてまで彼の徳を投射する触媒として機能した。これぞ王者の亀鑑なり、皆々仰ぎ候(そうら)えと、主にそんなニュアンスで。 「然り、亀鑑(・・)だ、いい手本だよ」 節倹こそは権力者の自衛策、富豪が行…

  • 無効票に和歌一首

    黒白を 分けて緑りの 上柳赤き心を 持てよ喜右衛門 投票用紙に書かれた歌だ。 もちろん無効票である。 明治四十二年九月に長野県にて実行された補欠選挙の用紙には、とにかくこのテの悪戯が、引きも切らずに多かった。 (信州諏訪の風車。「これは地下のアンモニア水を汲みあげ稲田に引いてゐるので、この地方を旅する者の旅情をそそる」。大正末には百個以上も立っていた) 当選したのは、上柳喜右衛門。 12代続く酒屋のあるじで、無効票には明らかに、それを揶揄ったやつもある。 飲まれても 酒屋なりけり 上柳 まず以って、この一首が例としては適当か。 候補者氏名を書く欄で大喜利を展開する阿呆は、こんな頃から居たわけだ…

  • 銃器と大和魂と

    伝統とは、ときに信頼なのだろう。 フランスがスエズ運河の開削に、オランダ人らを大挙雇用した如く。 村田銃の量産作業に際会し、明治政府もひとつ凝った手を打った。 玄人衆を引き入れたのだ。 彼らは西南から採った。種子島の鉄砲鍛冶に声をかけ、遥々帝都へ呼び集め、実務に当たらしめたのである。 (Wikipediaより、村田銃) 日本歴史に於いて初めて、国産銃器の製造を成就せしめた工人集団の末裔を、今度、これまた、またしても、日本史上初となる国産ライフルの製造に携わらせたワケだった。 実に妙味な配置であろう。 心憎い、とすら言える。 この方針はただの絵合わせ、ゲン担ぎ、判じ物にとどまらず、目に見えて良果…

  • 明治二十年の外道祭文

    非常に意外な感がする。 まさか天下の『時事新報』に、「キチガイ地獄外道祭文」を発見するとは。 不意打ちもいいとこ、予想だにせぬ遭遇だった。 明治二十年三月三日の記事である、 「西洋諸国にては遺産相続の際などに、一方の窺覦(きゆ)者が他の相続人を癲狂者なりと言ひふらし、医師に嘱して其の癲狂者なりとの診断書を作らしめ、斯くて無理に入檻させ置くその中に、遂に真の癲狂病に罹るの事例少なからず。弊害の容易ならざるものと言ふ可し」 どうであろう、チャカポコチャカポコの不吉なリズムが鼓膜を打ちはしないだろうか。 いや、絶対に打つ。日本三大奇書が一、『ドグラ・マグラ』を読んだ者なら必ず幻聴に見舞われる。筆者に…

  • Apocalypse Now

    「なあ、おい、聞いたか、あの噂」「どの噂だよ、はっきり言えや、てやんでえ」「どうも世界は滅ぶらしいぜ」 こんな会話を、人類はもう、いったい幾度繰り返し交わし続けて来たのだろうか。 千か、万か、それとも億か。たぶん、おそらく、発端は、西暦開始のずっと前、上古にまで遡り得るから、冗談抜きでそういう桁に及びそうな雰囲気である。 鉄板ネタというならば、これほど固いモノはない。 人間性の深部には、大破壊を求める心が絶えず疼き続けているのだ。 「滅ぶっつっても、どんな風にだ、馬鹿野郎」 これは時代と場所とによって多々変わる。 国民性を反映して、とも言っていい。 明治五年の日本に於いては、地球が割れると恐れ…

  • 真面目な変態野郎ども

    日光東照宮こそは、家光の狂信の結晶である。 (日光東照宮 陽明門) 先述の通り、家康をして日本歴史開闢以来、最大・最強・最高の英雄なりと百パーセント心の底から信奉していた家光は、神にも等しい、そういう祖父の、御霊を祀るための廟所は、これまた当然、日本史上最高の質(・)でなければならないと確信しきっていたらしい。 (そうだ、そうとも、権現様は、太閤などよりよほど格上なのだから――) 従って東照宮の建築は、かつて秀吉が生み出した聚楽・伏見を凌駕する、いやいや遥かに引き離す、空前絶後の究極構造体として昇華されなければならぬ。それでこそ徳川と豊臣の、歴史に対する格付けにもなる。こういうことを、彼は本気…

  • 外圧余談

    余談として述べておく。 度を越して過熱した欧化運動、その分かり易い例として、明治十二年一月の日枝神社を挙げておきたい。 同月十五日付けの『東京日日新聞』紙を按ずるに、 「今十五日は日枝神社の月次の祭典なるが、神楽は我が神代より有り触れたるものなれば、もはや神慮にも厭(あ)き玉ふらめ、夫よりも当時流行の欧州楽を奏したるが却て神も珍らかに思召し、且は参詣も多からんとて、氏子中が申し合せ、陸軍軍楽隊を拝借して、午後一時より奏楽するとか云へり」 こんな報道が見出せるのだ。 (Wikipediaより、日枝神社) ざっくばらんに噛み砕かせてもらうなら、 「雅楽なんざ時代遅れだ」、 「しょせん旧世代の遺物、…

  • 外圧こそが起爆剤 ―明治人らの相似形―

    明治の初め、本格的に国を開いて間もないころの日本に、どやどや上がりこんで来た紅毛碧眼の異人ども。我が国固有の風景を好き放題に品評した彼らだが、こと建築に限っていうと、嘆声を放ったやつはほぼ居ない。 「なんだこの、薄っぺらな紙と板の小細工は」 大抵が悪口に終始した。 「マッチ一本投げ込むだけで、たちまち灰になるだろう」 そんなことを大声でがなり立てるのである。 人目を憚らず――というよりも、黄色人種を最初から人間と認めていない風だった。 ――相手にするな。 と、後世に棲むわれわれならば言うだろう。 どうせあんなのは一旗組だ、祖国に立つ瀬がないゆえに、遠く離れた異郷の地にて原住民をだまくら(・・・…

  • 獅子のまねごと ―ロッペン鳥奇話―

    我が子を崖下に突き落とすのは、ライオンのみに限った習性、――専売特許でないらしい。 「ロッペン鳥もそれをする」 と、三島康七が述べている。 昭和のはじめに海豹島の生態調査をした人だ。 (Wikipediaより、ロッペン鳥ことウミガラス) そう、海豹島――。 座標系で表せば、北緯48度30分・東経184度39分。大日本帝国の北限近く、南樺太に属す島。北知床半島の岬から、更に南に12キロほど行った場所、オホーツクの蒼海中にぽつねんと浮かぶ、岩礁めいた小島であった。 しかしながらこの小島こそ、プリビロフ諸島やコマンドルスキー群島にも比肩する、オットセイの一大繁殖地なのである。 そういう点で、物理的な…

  • Linga ―雄の象徴―

    昭和十五年十月二十三日、大日本帝国、オットセイ保護条約の破棄を通告。 その一報が伝わるや、たちまち社会の片隅の、なんとはなしに薄暗い、陰の気うずまくその場所で、妙な連中が歓喜を爆発させていた。 猟師でも毛皮商でも、はたまた国際社会のすべてを憎む病的国粋主義者でもない。そういう「わかりやすい」連中ならば、態々「妙」など銘打たぬ。 彼らの正体――慈悲を交えず述べるなら、「不能者あるいは不能になりかけている者」。男性としての自分自身の機能に対し、深刻な危惧と不安とに苛まれている人々が、つまりこぞって快哉をひしりあげていたわけだ。 何故か。 敢えて論ずるまでもない。 オットセイが性豪(・・)だからだ。…

  • 薪の子

    アイヌラックル然り、ポイヤウンベ然り。 アイヌの世界観に於いて、雷神はよく樹木を孕ませ、そして英傑を産ましめた。 前者はチキサニ、すなわち春楡(ハルニレ)の樹木から、 後者はアッツニ、すなわち於瓢(オヒョウ)の樹木から、 それぞれ誕生したのだと、北の大地に伝わる神話は物語る。 (Wikipediaより、春楡) 部族によって父(・)の顔はまま変わる。雷神ではなく日の神だったり、歳神とする場合もあるが、母だけは絶対に変わらない。勇者は必ず、特定の樹木より生ず。 民族学者に言わせれば、これは原始人類が火を手にするまでの最も露骨なメタファーだそうだ。落雷は山火事の原因(もと)である。山火事こそは我らの…

  • 継がれゆくもの

    商人の仕事は金儲けだ。 守銭奴が彼らの本質である。 世界に偏在する富を、己が手元に掻き集めること、一円一銭一厘たりとも忽(ゆるが)せにせず、より多く。それ以外にない、ある筈もない。またそうしてこそ、それに徹してみせてこそ、敏腕とも呼ばれ得るのではないか。 (強欲な鳥) 「明治を代表する個人」、福澤諭吉はいみじくも言った、 「商売は何のために営むものに御座候。其目的は利を博し富を得るより外には有之間敷(これあるまじく)候。人間の幸福は富ならでは買ふべからず、人生七十古来稀、幸福を享くべき時限も極めて短きものに候へば、富を得るの工夫も十分に精神を込め、大急ぎに急がざれば間に合ひ兼る事と存じ候」 と…

  • メキシコ情緒 ―天地殺伐、荒涼の国―

    メキシコ。 血に塗(まみ)れた国名だ。 殺人、強盗、誘拐、密輸。拷問、処刑も付け足していい。そして勿論、麻薬もだ。この名前から呼び起こされるイメージは、邪悪を煮詰めたモノばかり。それが正直な心情だ。マラカス振って陽気に踊り、タコスを頬張るなんてのは、よほど皮相な感がする。 形としては山羊の角に酷似した、彼の地の治安が半分破綻に瀕しているのは、べつに昨日今日はじまった危機でないらしい。サラザールによる独裁以前、政情不安の極みにあったポルトガルの賤称が、 ――ヨーロッパのメキシコ。 だったという一事だけでも、おおよそ察しがつくだろう。 事実、そのころ記された紀行文やら概説やらを捲ってみても、ロクな…

  • 続・屠殺街 ―肉食系の中心地―

    不思議なものだ。 日本で過ごしていた頃は油絵を長く観ていると陶酔よりもくどさ(・・・)を感じ、濃厚すぎる色彩に胸がむかつくばりであった。 ところがひとたび海外に出て、獣肉を常食にしてみたならばどうだろう。 かつてあれほど不快に感じた油絵が、まったくしつこく迫らない。水彩画同様、なだらかな心地で受け止められる。容易ならぬ変化であった。食生活とは、美的センスの上にまで影響するものなのか。仮名垣魯文が明治五年にしたためた、 「人生健康ならざれば報国の志よわく、年歯長生ならざれば勉励の業強からず。健と寿の二つを保つや所謂命は食にあり」 『西洋料理通』序文に於ける一節を想起せずにはいられない。日本でもし…

  • 栗本鋤雲を猜疑する ―彼の伝えたヨーロッパ―

    身を滅ぼすという点で、疑心暗鬼も軽信も、危険度はそう変わらない。 しかるに世上を眺めるに、前者を戒める向きは多いが、後者に対する予防というのは不足しがちな印象だ。「疑う」という行為自体に後ろめたさを感じる者も少なくないのではないか。ことによっては「疑って安全を保つより、信じて裏切られた方がいい」などという噴飯物の痴言が、なにか高尚な男気のように大手を振って罷り通っている始末。 まったくもって冗談ではない。病弊もまた極まれりというものだ。敢えて病弊と言い切ろう。日本人という民族の、これは明らかな弱点である。それだからこそ福澤諭吉は、明治の時点でもう既に、 「猜疑は人生に免かれざる性質のみか、人事…

  • RAGE ―「千倍にして返すべし」―

    いやもう、怒髪天を衝かんばかりと言うべきか。 公使遭難の報を受け、当時滞在中だった英国人らは軒並み色めきたってしまった。彼らの激昂ぶりたるや、予測を遥かに上回る、日本の要路一同を冷汗三斗に追い込まずにはいられない、猛烈無上なものだった。 慶應四年二月三十日、パークス暗殺未遂事件の際の景色を述べている。 (Wikipediaより、襲撃されたパークス一行) 「コルシカ人の語に、一人殺さるれば一人を殺すといへる事あれども、吾等は是に倣ふ事無く宜く一人殺さるれば千人を殺すの心を以て復讐を行ふべし。吾等一度命令を下せば日本は外国の才智兵力に屈服せざる事を得ず。日本人若し頑固なるときは遂に印度人の轍を履む…

  • 血で血を洗う

    行き過ぎた精神主義が齎す害を、日本人はきっと誰より知っている。 八十年前、骨身に滲みて味わい尽くしているからだ。「痛くなければ覚えない」。苦痛とセットになったとき、記憶は最も深刻に、脳細胞に刻印される。あの戦敗は、計り知れぬ痛みであった。 (Wikipediaより、サンフランシスコ平和条約) 「一人十殺」「一億総玉砕」「月月火水木金金」――。意気ばかり盛んで少しも実の伴わぬ、内容空疎なスローガンを横目に一瞥するだけで、誰もが嫌悪に顔を歪めて吐き気を催すことだろう。 が、しかし。だからといって、およそ精神教育をまるきり欠いた組織というのも、それはそれで役に立たない、仏作って魂入れずな三流品である…

  • 洋行みやげ ―文久遣欧使節団―

    馬のみならず、ロバにも乗った。 福澤諭吉のことである。 文久二年、エジプト、カイロに於いてであった。 咸臨丸で太平洋を往還してから、およそ一年七ヶ月。福澤は再び洋行の機会に恵まれた。幕府の遣欧使節団に選ばれたのだ。幸運でもあり、実力ででもあったろう。総じて時代の潮流が彼の背中を押していた。 この当時、スエズ運河は未だ開通していない。紅海から地中海へ――中東から欧州世界へ抜けるには、鉄道の便を間に挟む必要がある。スエズからカイロを経てアレキサンドリアの港まで、熱砂の国を汽車でゆくのだ。距離にして百七十一里の旅だった。 その途中、一向はカイロで二晩ばかり脚を留め、先に訪問するべきは英仏どちらであろ…

  • 馬上風を切る

    「ものども、よろしく馬を飼え」 こういう趣旨の「お達し」が、政府の威光を以ってして官吏どもに下された。 明治十七年八月一日の沙汰だった。 世に云う乗馬飼養令である。 内容につき要約すると、 「官員にして月給百円以上の者は最低一頭、 月給三百円以上の者は最低二頭、 各々の責任に基いて、乗馬を所有し飼育せよ」 こんな具合になるだろう。 軍馬の不足は当時の政府の大なる課題の一つであって、いざ鎌倉という際に必要量を「どこから」「どうして」掻き集めればよいものか、容易に目処が立てられず、そろばん片手にウンウン懊悩し続けて、考えあぐねた挙句の果てに生み出されたのがコレだった。 窮余の一策といっていい。 「…

  • 相模の水がめ

    心如水――心は水に似ると云う。 「堰けば瀑津瀬(たきつせ)、展ぶれば流(ながれ)、澱ませれば水底に雲が行くかと思ふばかりの碧を凝らす深淵となる。淵、瀑津瀬何れを取っても水であると同時に直にそれをもって水を定義することは出来ない。それと等しくかの張りつめた時とこの展やかな時と何れも心の有様であるけれど、その一を捉へて心の標本だといふ訳には行かない、無理にさう決めればそれはもはや形骸である」 岡本一平の言だった。 (Wikipediaより、岡本一平) 禅をやっていた賜物か、この漫画家はおよそこの種の言い回しに堪能である。 そういうわけで、水を観にゆくことにした。 目指すは秦野市、神奈川西郊。 表丹…

  • 三千世界の何よりも

    「汝の妻を汝の霊の如くに愛せよ。而して汝の毛皮の如くに打て」「最愛の人の殴打は痛くない」 ロシアの古い諺である。 夫の暴力にさらされないと妻は却ってこれを侮辱と認識し、「不実」となじり、本気になって憤る。あの国の下層社会にはどうもそういう精神上の偏りがたいへん永らく根を張って、そこから生じたモノらしい。 (10月のモスクワ) スラヴ民族の心理というのは、まったくわけがわからない。 なんといってもあそこらへん(・・・・・・)は、入信に際し乳房をごっそり抉り取るカルト教団が蔓延っていた土地柄だ。入信希望者が女性の場合、まず第一に通過儀礼的な意味合いで胸にナイフを刺し込んで、あのなだらかな膨らみを、…

  • 奇妙な肉の舌触り

    「…頬は唯々筋肉のみから出来て、笑窪さへなければ、奈良の三笠山の様な平凡極まるものでありますが、例へば庭園の芝生と同じ様に、之が広いか狭いか、又どんな形をしてゐるかゞ目、鼻、口等の道具を引立てるか、見殺しにするかの、重大なる役割をするのであります。…」 高田義一郎の講演集的著作たる『人体名所遊覧記』をこのあたりまで読み進めたとき、突如として筆者(わたし)の脳裏にネオンサインの燈るが如く、はっきりくっきり鮮明に浮かび上がったものがある。 スマトラ島の輪郭だった。 (そういうことか) 深く合点がいったのである。 (Wikipediaより、スマトラ島。赤く着色された部分) 面積473600平方キロ、…

  • 御稜威かがやく地の事情

    ちょっと信じ難いような話だが――。 京の街では昭和三年に至るまで、江戸時代が生きていた。なんと牛車が街中を相も変わらず往行し、その巨体が、体臭が、日々の暮らしの風景に、ごくさりげなく溶けていた。 (昭和初頭の京都駅) 牛車といっても貴人が使う、籠に簾に蒔絵にと、漆を塗られ黒光りする車体を更に装飾して彩った、高級車輛のことでない。 もっと簡素な、米だの酒だのなんだのと、重量のある荷物を運ぶ、輸送車輛の方を指す。 そもそも論を展開すれば、何かにつけて守旧を好む住民の気質も手伝って、京都は他の諸都市に比較(くら)べ、発展の遅れた街だった。 「時流に取り残されている」ということが、いっそ、却って、もう…

  • 追憶・東京日日新聞

    『東京日日新聞』の調査に信を置くならば、満洲・ソ連国境地帯はキナ臭いこと野晒しの火薬庫も同然であり、昭和十年と十一年と、たった二年の期間の中に四百を超す不法行為がソ連側から仕掛けられたそうである。 もっともこれはあくまでも、「事件」として表沙汰になり処理された数であったから、実際には更に、更に、挑発的侵入が相次いだと見て相違ない。 (Wikipediaより、日ソ国境紛争) 不安定も不安定、戦雲渦巻き四時暗澹たる彼の地の事情を『東日』記者は、 ――まるで異常痙攣症にかゝった人体のやうで事件が起ってゐることが常態であるやうにさへ見える。 このような比喩で以ってして表現したるものだった。 単純に、言…

  • 語り部、ふたり ―咸臨丸夜話―

    咸臨丸の航海は次から次へと不便続出、安気に暮らせた日こそ少ない、冒険というか、苦行であったが。わけても特に苦労したのは、水に関することだった――。 当の乗組士官たる、幕臣・鈴藤勇次郎はそんな風に回顧する。 左様、鈴藤勇次郎。 江川太郎左衛門に兵事を学んだこの武士は、また絵心にも恵まれた。むしろそちらで聞こえた名前とすら言える。後には切手のデザインにも使われた『咸臨丸難航図』の描き手は、誰あろうこの鈴藤である。 (Wikipediaより、咸臨丸を描く切手) 絵だけではない。 文章でもまた、咸臨丸を伝えてくれた。『航亜日記』がそれである。亜は、亜米利加(アメリカ)の亜であろう。日本人として史上初め…

  • 志士の肖像 ―板垣退助、会津戦争の戦利品―

    中江兆民は奇行で知られた。 とある酒宴の席上で、酩酊のあまりにわかに下(・)をはだけさせ、睾丸の皮を引き伸ばし、酒を注いで「呑め呑め」と芸者に迫った件なぞは、あまりにも有名な逸話であろう。 その兆民の語録の中に、 「ミゼラブルといふ言葉の標本は、板垣の顔である」 という短評がある。 短いながらも、これほど板垣の本質を鋭く穿ったものはない。 (Wikipediaより、板垣退助) 板垣退助の絶頂期、一個人としての黄金時代は幕末維新の騒擾に、もっと言うなら戊辰戦争の砲煙にこそあったろう。彼の生命がもっとも溌溂とした期間であって、それゆえ一旦そこを過ぎてしまってからは、どういう立場、どういう仕事に就い…

  • 「勝ったものが強いのだ」――ver.1939

    数理で全部を割り切れるほど、闘争とは浅くない。 生きて、物を考える、心を有(も)った人間同士が競い合うのだ。番狂わせでも何でも起きる。強さは一定不変ではなく、常にうつろう(・・・・)ものだから。年がら年中、カタログスペック通りに動く機械のようにはいかないし、いかないからこそ面白い。百の力の持ち主が、状況次第で五十になったり二百になったりする点にこそ、真骨頂は宿るのだ。 「強いものが勝つのではない、勝ったものが強いのだ」とは、そのあたりの要諦によく通じたるものである。 通常、上の金言は、西ドイツのサッカー選手、フランツ・ベッケンバウアーが1974年に発したものと看做される。 (Wikipedia…

  • 大演説者 ―グラッドストンの六ヶ条―

    およそ門外漢にとり、財政演説ほど眠気と倦怠を催すものは他にない。 頭の中にソロバンが入っていない身としては、小難しい専門用語と無味乾燥な数字の羅列がべんべんだらだら、連なりゆけばゆくほどに、意識は白濁、五感はにぶり、阿呆陀羅経でも聴いてるような徒労感がただ募る。初っ端から最後まで、集中力を保っていられた例(ためし)なし。――これが筆者の、従来の、偽らざる認識だった。 なればこそ、興味を持たずにいられない。 一八五三年四月十八日、英国下院議会にて、実に五時間ぶっ通しという長丁場の財政演説を試みながら、誰一人として退屈させず、出席者すべてを魅了した、ウィリアム・グラッドストンの雄弁に――。 (演説…

  • 志士の肖像 ―井上馨のねぎま鍋―

    「おれは料理の大博士だ」 とは、井上馨が好んで吹いた法螺だった。 ――ほんまかいな。 と、疑わずにはいられない。 発言者が伊藤博文だったなら、納得は容易、抵抗らしい抵抗もなく、するりと呑み下せただろう。伊藤の素性は、武士とは言い条、下級も下級の出であった。 (Wikipediaより、長州五傑) あの階層の貧窮ぶりは――特に江戸時代後期にかけて――まったく凄絶そのものであり、ややもすれば勃興する資本主義的風潮の割(・)というのを一身に引き受けた如き観すら呈し得る。 文化年間成立の『世事見聞録』を捲ってみると、 「…なべて武家は大家も小家も困窮し、別て小禄なるは見体甚見苦しく、或は父祖より持伝へた…

  • 凶事はいつも突然に ―日本人、ブカレストにて大震災の報を聞く―

    「空気」と「爆発」ほどでなくとも、「災害」と「虚報」の相性も、到底笑殺しきれない、頗る上等なものである。 天変地異で社会がみだれ、安全保障に揺らぎが生じ、大衆心理が不安へ不安へ傾きだすと、根も葉もない噂話がまるで梅雨時の黒カビみたく猛烈な勢で伝播する。過去幾度となく確認された現象だった。 (Wikipediaより、虚偽報道の風刺画) 大正十二年九月一日、関東大震災突発の時。たまたま何かの用向きで国の外へと赴いていた日本人の、実に多くが、この乱れ飛んだ虚報のために血の気を失い、顔色を紙より白くした。 くだんの早稲田大学教授、煙山専太郎なぞもまた、その一員に数え入れていいだろう。 この人は、ブカレ…

  • 夏よ引っ込め、うんざりだ

    暑い。 いつまでも暑い。 週間天気予報には心底うんざりさせられる。 「このあたりから涼しくなります」と発表されても、いざその日付が近付くと、さながら蜃気楼の如く低い気温が掻き消えて、変わらぬ夏日が顔を出す。ゴールポストを延々と動かされている気分であった。 勢い気象庁に対し、意趣を抱かずにいられない。 (Wikipediaより、気象庁庁舎) 不都合な天候への苦情、慨嘆、鬱懐、憤懣、愚痴を彼らに対しぶつけるという風潮は、大正時代に既にこれを見出せる、百年以上連綿と続く、ある種伝統とも言える。 そういう庶民の気質に対し、 「困ったものだ」 と、露骨に顔をしかめるは、ごぞんじ武田久吉博士。 当時の彼の…

  • 明治やきとり小綺譚

    心に兆すところあり、浅草寺を訪れる。 日差しはまだまだ夏である。 この熱気の中、かくも鮮やかな朱色に取り巻かれていると、余計に体温上昇し、汗がだらだら溢れるようだ。 明治のむかし、この境内に飛び来る鳩を殺して焼いてかぶりつき、口腹の慾を満たしていたのはすなわち早稲田の学生だった。 振り子運動で下駄を射出し、油断している鳥類どもへ手痛い一撃を喰らわせる。そういう技の使い手が五指に余るほど居たのだと、某OBの随筆にて読んだのだ。 むろん、皆、牛鍋など夢にもつつくことの出来ない貧乏書生ばかりであった。 (昭和の浅草、木賃宿) 不足しがちなタンパク質を補うために、いわば生存の必要に迫られての已むを得ざ…

  • 水銀中毒、待ったなし ―マドリードの民間療法―

    アコスタが工房を訪ねると、職人どもはもう既に今日の仕事を終えており、せっせと金貨を飲んでいた。 比喩ではない。 日給を安酒に変えてとか、そういうワンクッション置いた、取引を交えたものでなく。 率直に、物理的な意味合いで――金貨を砕いて粉にして、一定量をざらざらと、喉の奥へと流し込むのだ。 (Wikipediaより、砂金) 「やあ、精が出ますな」 と、この品のいいイエズス会士が言ったかどうか。 ここはスペイン、マドリード。 ジャコモ・デ・トレゾの作業場。 この日の業務は幾点かのブロンズ像へ、金メッキをすることだった。 その具体的なやり方は、日本に於いて奈良時代、東大寺の毘盧遮那仏をきんきらきんに…

  • 引かれ合う魂

    名刺が一葉、はらりと落ちた。 ついこの間の熱い盛りに、神保町で購入した書籍から、だ。 たぶん、おそらく、栞代わりに用いていたものだろう。 拾い上げ、印刷された文字を追う。 たいへん景気のいい地名、小石川区金富町を拠点としていた出版社、東方社の部長から手渡されたものらしい。 ちょっと興味をそそられて社名で検索してみると、「旧陸軍参謀本部直属で、戦時中にはプロパガンダに従事した」とか、香ばしい報せに直面し、危うくのけぞりかけるほどに驚いた。 手触りはいい。 名刺自体の質に関して言っている。 門外漢ゆえ確言するには至らぬが、柔らかなこの触感は、あるいは和紙ではなかろうか。東方社が小石川区金富町に在っ…

  • 治乱興亡、限りなし

    ギリシャは「勝ち組」のはずだった。 第一次世界大戦で、彼らはちゃんとつくべき側についていた。連合国に属したのである。おかげで戦後のお楽しみ、パンケーキ(領土)のカッテング(分割)にも与(あずか)れた。オスマントルコを喰い荒らし、アナトリア沿岸に地歩を占め、諸々併せてメガリ・イデアの実現に、大きく資するはずだった。 (Wikipediaより、講和会議でギリシャが主張した領土) ところが、である。 英雄の崛起が彼らの理想(ユメ)を、木っ端微塵に砕いてしまった。 ムスタファ・ケマル・アタテュルク。 救国の軍人にして改革の旗手。維新志士に擬するなら、高杉晋作と大久保利通を一身に兼ねたような者。九分九厘…

  • ラジオを讃えよ ―黎明綺譚―

    ラジオが世に出たあの当時、能力の限界を測るため、それは多くの実験が執り行われたものだった。 (Wikipediaより、レトロラジオ) 何ができて、何ができないのか。 誰にも未だ知られざる、隠された効果・効能が何処ぞに潜在してないか。 そういうことを把握しようと、ありとあらゆる角度から、突っついたり撫で回したり、趣向を精いっぱい凝らし。後世から観測すれば滑稽としか言いようのない試行まで、ガンガン着手したそうな。 新奇なモノに遭遇した際、花火のように鮮やかに好奇心を弾けさせ、勁烈一途にむしゃぶりついてゆけるのは、その民族が若々しい証明だ。 ワイマール共和政ドイツでは、第一次世界大戦で心をやられた兵…

  • どれほど高く昇ろうと

    オートパイロットの発明は早い。 第二次世界大戦以前、1930年代半ばにはもう、北米大陸合衆国にて実用認可が下りている。 従来、大型旅客機は、運航に当たって最低二名の操縦士を要したが、オートパイロットを搭載してさえいるならば、一名でも構わぬと、思い切った規則改定も敢えてした。 開拓者の末裔らしさ(・・・)というべきか。新しいものをどんどん使い、採り入れる、進取の気質は流石であろう。 が、およそ人間のやることで、いいことづくめ(・・・・・・・)は有り得ない。 一利を新たに加えれば、必ず一害、どこかから湧く。物理的必然性すら垣間見える反動現象、社会の、いわば生理であった。 この場合も、やはり出た。 …

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