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2019/01/27

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  • お別れの時が来ました③

    2018年11月2日(金)HCUの面会時間も過ぎた。私は看護師に、今従姉夫婦がこちらに向かっていること。その際に、時間外にはなるが母と面会することはできるのかどうかを確認した。「大丈夫」とのことだった。私は廊下に出て、エレベータ前の椅子に座った。あんなにがんばっていたのに、2日前には変わらず元気だったのに、3日以内には母がこの世を去るという。医師はそのための気持ちの準備をしておくようにといった。あの暑い夏の日の朝、母が救急車で運ばれた時と同じように、沢山の荷物を抱えながらこんなに早く、その日が来るなんて。心構えなんてしたくてもすぐにはできない!できるわけがない!そう考えていた。従姉夫婦はなかなか姿を現さない。そもそもの病院の面会時間も終わってしまった。下に降り、警備員の方にHCUにいる母に会いに、従姉夫婦がやっ...お別れの時が来ました③

  • 余命3日「お別れの時が来ました」②

    2018年11月2日(金)母はHCUに運ばれたが、私は外で待つことに。その間に、リハビリ病棟の看護師が母の荷物をもって私のところにやってきた。今日は洗濯したものも大量に持っている。そこに入院した時に自宅から持参していたタオルケットなども手渡された。本当に大量の手荷物だ。なかなか呼ばれる気配がない。私は従姉に電話する。そう、母が手術をしたとき13時間一緒にいてくれた従姉である。血圧が昇圧剤を入れても60台から上がってこないこと。誤嚥性肺炎を起こしてショック状態であること。たぶん、ながくても3日以内で別れの時がくるといわれたことなどを伝える。従姉は「わかった!すぐ行くから」と電話をきった。漸く呼ばれてHCUの中に入る。看護師が、「急なことで驚かれたでしょう?」と声をかけてきた。薄暗いHCUの中で、母は入り口近く、看...余命3日「お別れの時が来ました」②

  • 余命宣告?「お別れの時が来ました」①

    2018年11月2日(金)手術を終えたのが8月2日。今日が11月2日。ちょうど3か月である。私に母の状態の説明をしたのは、この日の当直のN先生。朝、食事を吐き出したこと。その後、容態が急変したこと。母の担当医師が、誤嚥性肺炎を疑いレントゲンと血液検査などをすぐにしたこと。そのときの胸部レントゲンではまだ肺に影はないが、今撮影すれば影があるだろうこと。尿道にバルーンを入れたこと。その時に尿から膿が出ていたので、細菌による感染症があること。39度の熱が出ていること。そして何よりも、血圧が急激に低下して昇圧剤を入れても60台から上がってこないこと。などの説明があった。そしてN先生はこう続けた。「血圧が急激に下がり、ショック状態です。今晩か長くみてもこの3日間でお別れの時が来ます。」「もし今回乗り越えることができたとし...余命宣告?「お別れの時が来ました」①

  • 急変!

    2018年11月2日(金)母の病院と同じ方向に自宅があるスタッフと一緒に地下鉄に乗る。私は、洗濯をした肌着やタオルなどたくさんの荷物を抱えていた。若いスタッフと仕事のこと、そして母のリハビリの様子など笑いながら話した。彼女が途中で下車してからは、「母は金曜日はいつも疲れている。私が行っても気づかず寝ているかもしれない」そんなことを考えていた。エレベータを降りると、ナースステーションにいつもは見かけない医師が座ってパソコンをみていた。なぜか私はそのことに違和感を覚えた。母の病室に入ろうとするとカーテンがしっかり閉められていた。処置中の合図だ。でも今はご飯の時間。おむつ交換でもないだろう・・・看護師があわただしく出入りしている。そして私の顔を見るなり「今、処置中ですので廊下でお待ちください。先生からお話があります」...急変!

  • 患者家族の繋がり

    2018年10月28日(日)珍しい人から電話があった。急性期病院で一緒だった方。そう、NCUに居たときに妹さんにモーツアルトを聞かせていた方からだった。この女性Yさんは母と同じ年。母が倒れる前日に、妹さんが脳梗塞で同じ急性期病院に運ばれてきたのだ。急性期病院ではデイルームや廊下で顔を合わせるたびに言葉をかけあった。私が仕事をしているため、平日に顔を合わせることはほとんどなかったが休みの日にはお互いの病室を訪ねて、声をかけるようになっていた。どちらも同じ時期に入院したため、転院の話なども報告しあった。特にこのYさんからすると、私がどう動いているのかはいろいろと参考になるようだった。だが、「あなたは若いからお母さんのためにできることを全部しなさい。私はそこまで動くことはできないわ。自分の体だけでもしんどいもの。でも...患者家族の繋がり

  • 「あんな大きな声出せません」

    2018年10月27日(土)何が理由なのかはよくわからないが、以前から10月27日に計画停電を行うという張り紙が貼りだされていた。エレベータの前や中にも。トイレも水を流すことはできるが、ハンドドライヤーなどは使えない。室内も薄暗い。エレベータも時間制限で一基ずつだ。病室に行くと、STさんの訓練真っ最中だった。母は私の顔を確認すると、笑った。STのHさんは、「娘さんがくると表情が一変しますね」と笑う。その後、Hさんが教えてくれた。「ボケ原さんに『お隣さん(98歳のおばあちゃん)ぐらい、大きな声を出しましょう!』といったんです」「そしたら『あんな大きな声は出せません』って言われました」「それもそうだね?って返したんです」とまた笑う。そして母に「ね?」と同意を求めた。母は顔の表情を緩ませて「うん」と頷いた。私は母が「...「あんな大きな声出せません」

  • 母親の顔

    2018年10月24日(水)月曜に面会に来た時に、私はどうやら自分のお弁当箱を忘れていったようだ。私は年齢を経るのと並行するように、そういうことが多くなった。「やったつもりでやっていない」とか「持ったつもりで忘れている」とか。もちろん、どこに置いたかがわからなくなるということも。ただし、お弁当箱は母のところに忘れていったことだけは明らかだったので私は「来たよ」と母に声をかけると同時にお弁当箱を探し始めた。棚のまわり、クローゼットの中(そんなところには入れていないが)、ベッドの周り。そして笑うが、掛布団の中まで(あるわけないやろ!って感じですが)どこを探しても見つからなかった。私は母の両手のミトンを外し、指を広げ、マッサージを始めた。「おかしいな、どこに置いてきたんやろ?」と考えながら。すると、お隣さんに人がやっ...母親の顔

  • 歩行訓練

    2018年10月20日(土)いつもよりも早めに母のところに行った。午後からはPT(理学療法士)さんのリハビリが2コマ連続で入っている。最初の訓練は元気で可愛いIさんのリハビリだ。今日はエレベータに乗って、1階のリハビリ室まで行く。ここは活気がある。たくさんのスタッフと患者さんが行き来し、母にとっては情報満載、刺激いっぱいである。(集中力は途切れてしまうのだが)母に向かって「やっぱりここは刺激がいっぱいやね?」と話しかけると、母は左手で耳をかきながら、「うん」と大きく頷いた。両脚に装具を付けて、2本のバーを握って立ち上がり歩行練習をする。バーを握ってIさんの介助を受けながら立ち上がるまではできるがどうにも1歩がでない。もう一度やってみる。1歩なんとか擦るように少しだけ前に出すことはできたが、そこからは進めないIさ...歩行訓練

  • お隣さんは98歳

    2018年10月17日(水)仕事を終えて母のところに行く。母のベッドは4人部屋の入り口側にある。その母の隣の窓側ベッドに新しい方が入られていた。昨日は面会に行っていないので、今日なのか昨日からなのかはわからない。ご家族の方がお家にいるときと同じように日常の出来ごとを報告されている。「こんなことがあったよ」「××がどこにいったよ」「〇〇が美味しかったよ」「今から△△がおばあちゃんのところに来るって」と。そのたびに「ほにゃほにゃむにゃら」とおばあちゃんは返答をしている。それが不思議なことに、聞いているこちらにも「そうなんかいな」「××に行ったんか?」「△△が来るんかいな」と話しているように聞こえるのだ。母と同じように経鼻栄養で、母の場合は舌が奥に入りがちであるがお隣さんは舌が左前側に力なく出ていて、そのためうまくお...お隣さんは98歳

  • 「眠たくて・・・」から、「歩けそうですね?」

    2018年10月13日(土)今日はまず、母の肌着を買いに行く。前開けの物の方がいいとのことだったので、前開けのものを購入。介護用のシャツではなく、婦人物のシャツだけれどもボケ子さんはこの方が喜ぶだろう、と思った。ついでにハンガーも購入。今年の10月は暖かいとは言っても、車いすで玄関前に出ることもある。母のお気に入りのカーディガンも持っていこう。下着や肌着をリース契約することもできたけれど、余分な毎月の出費は抑えたかった。タオルや肌着の洗濯は私がすればいいと考えていた。どうせ、面会に行くのだし、その時に持参すればいいだけのことだから。病室にいくと、言語聴覚の訓練中だった。担当者のHさんから「今日は眠たくて・・・」と伝えられる。母は言語聴覚の訓練にはあまり積極的ではない。ゴックンをさせられる訓練だからだろうか。その...「眠たくて・・・」から、「歩けそうですね?」

  • 意思の表出

    2018年10月12日(金)最近のここ、リハビリ病院はいつもよりもスタッフの数が圧倒的に増えている。それも、みんながみんな若い。すぐに看護学生であるとわかる。実習に来ているのだろう。病室に入ると、母は横向きに寝ていた。壁には「仰臥位禁止」という張り紙がされている私が来ているのを見かけた看護師さんがやってきて「日中は車いすに座ってもらっていることもあるんですよ」と教えてくれた。リハビリの他にも、多分ナースステーションのところで車いすに座って過ごしているということだろう、と想像した。『そういう時間がどんどん増えていくといいな』と思う。そして、さらに「お母様の看護に、学生も入らせてもらってもいいでしょうか?学生だけということはありません。必ず、看護スタッフが一人つきますので」と申し出があった。私自身の考えとしては、学...意思の表出

  • 介護認定調査

    2018年10月9日(火)最近の私は、賃貸物件の検索が習慣になっている。支出を減らさなければ、という思いともしもボケ子さんがお家に戻れるのならお引越しをする必要があるから。うちはエレベーターがない。階段で3階まで登る。ボケ子さんにはとうてい無理である。車椅子でも無理だ。1階の物件を中心にみているが、その話をするとボケ子さんの聞こえないふりをする。引越が嫌なのではなくて、1階が嫌なのだと思う。でもね、エレベータ完備になると家賃が上がるんだよ~~。ところで、今日は介護認定の日だった。要介護1のボケ子さんの区分分け変更のための認定調査だ。調査員の人が病室までやってきた。「リハビリの回数は週に1~2回ですかね?」と質問された。ほぼほぼ何もできない状態の母をみて、まさかリハビリ病棟にいるとは考えられなかったのだろう。そん...介護認定調査

  • イケメンが来た!

    2018年10月7日(日)日曜日に面会に行くのは、リハビリ病院に転院してからは初めてだ。母は、親切にしてくれる慣れたスタッフには笑顔を見せている。(顔の筋肉が硬くて、引きつり気味ではあるが・・・)今日も2コマのリハビリに立ち会った。言語聴覚訓練の時間は、とろみ茶を昨日と同じく飲んだ。3口ほど。3口というと多く感じるが、舐めるほどの量である。通常でいう所の飲み込むという量ではない。そういえば、昨日から作業療法士が入っていない。2コマが理学療法士で組まれている。母の場合、それも理解できる。その新しい担当さんが、「こんにちは、ボケ原さん」と入ってきたときに私は一瞬、心臓が止まりそうになった。「めっちゃ、男前さんや!」心の中で、こう叫んだ。私の姿を見て「昨日からボケ原さんの担当になりました、Sです」と優しい声でいう。「...イケメンが来た!

  • 在宅に向けての訓練

    2018年10月6日(土)母の病室を訪れると、母の足元側のベッドのご家族がそろっていらしていた。前にも話したが、このご家族は明るくていつも話し声と笑いで満ちている。リハビリをしている時間になかなか面会に行くことができないので気づかなかったが、ご自宅に戻られるための訓練を行っているようだった。この方は、母と同じように経鼻チューブ栄養である。車いすから立ち上がる訓練を中心に行っている。時々はこの起立訓練に対して「満面の笑みで首を横に振った」と担当リハビリスタッフがご家族に報告していることもあった。それについても「お母さん、笑ってごまかしてやらへんかったんやぁ」とニコニコしている。ここに書いたタイトルの訓練というのは、家族の訓練だ。自宅に戻るために、家族もベッドから車いすへ、車いすからベッドへの移乗のための介助練習を...在宅に向けての訓練

  • 検査とリハビリ

    2018年10月5日(金)母は私が行くとやはり少し安心するようだ。帰るときも、「また来るね」よりも「また明日来るから」の方が落ち着いている。口呼吸は相変わらずだ。リハビリ病棟のスタッフは忙しい。特に夜のスタッフの人数が減ってからはなおさらだ。食事の時間になると、介助などもありいくら介護士が入っているといえども忙しさはかなりものだ。そんな中で、母のようにベッドで経鼻栄養、ミトン着用でナースコールも押せないものは放置されている印象にどうしてもなってしまう。家族だから、分かってはいても、「放置しないで!」という気持ちも湧いてくるというものだ。ナースステーションに近い部屋なので、同時に複数のナースコールが入っているのも聞こえる。母にまで手が回らないのだろう、と思った。母の検査表を見た。昨日は面会に来なかったので知らなか...検査とリハビリ

  • 「辛い」と言われる

    2018年10月3日(水)口呼吸が激しくなっている。不安だけでなく、リハビリの疲れもあるのだと思った。言語聴覚訓練のときに顔の筋肉を柔らかくするようにしていたのを思い出して、携帯用美顔ローラー「通称コロコロ」を持参していく。私は気分転換もかねて、母に美顔ローラーを見せ「コロコロしようね、って話したのを覚えている? 持ってきたよ」と話しかける。「ねえ、覚えている?」返事がないのでしつこく「覚えているの?」と聞き返した。すると母は「覚えていません!」って、はっきりと言葉にした。母が私に言葉を発するときは否定語が多いようだ(笑)「もう今はそれどころじゃないのよ」って体全体で表現しているように感じた。そこで私は「辛い?」ときいてみた。「しんどい?」ではなく、あえて「辛い?」と。あまり弱音を吐かない母だが、すぐに大きく頷...「辛い」と言われる

  • 環境の変化

    2018年10月2日(火)2日間、病室にいかなかったのでとても気になっていた。母の病室の人は、面会率が高い。みな、ほぼ毎日訪れる。母の足元のベッドの人なんか、ず=っと家族がついている。お父さん(旦那さん)がついていて、夕方になると息子さんと交代する。娘さんが来られることもあれば、たぶん、息子さんのお嫁さん(?)が来られることもある。とにかく、誰かが来ている。そして、関西人らしく、おしゃべりが多い。いつも笑い声が響いている。だから、だれも知る人がいない病室で、母にとってはハードなリハビリをし、周囲には笑い声が広がっているという環境は負担が大きいのではないか、という風には考えていた。病室に行くと、母は予想していたよりもすっきりした顔をしていた。いつも笑い声が絶えない足元のベッドの方は、1リットルの酸素が入っていると...環境の変化

  • 番外編

    2018年10月1日(月)リハビリ病院に転院した時、日曜日だけはフリーの時間を持とう!私にとって、丸1日自由に使える日にしよう!と決めていた。もう、脳外科にいるのではないんだ。リハビリをしているのだから、それぐらいはありだろう!そう考えていた。そして今日、月曜日は通常なら面会に行く日なのだが、車を車検に出す約束の日だった。代車の都合で今日になってしまった。車検の予約を入れたときには母の転院先もまったく決まっていなかったし。代車に乗ってみると、この昔の持ち主はアクセルを踏み込む人だったのかアクセルに足を乗せただけで、アクセルがペタンとなった。。。思わず『ひえ~~~っ』と声が出た。運転が得意ではない私にとっては、かなりの恐怖を感じる車。それにバックモニターもついていない。車庫入れするのも、アクセルに足を乗せるのが怖...番外編

  • リハビリ病院

    2018年9月29日(土)土曜日なので、今日はリハビリの様子を見ることができる。母の血圧は90位。そのためか、覚醒も悪い。作業療法士さんと言語聴覚士さんのリハビリに立ち会う。言語聴覚士さんのリハビリでは明らかに無呼吸になっていた。途中から、ST(言語聴覚士)さんも気が付いて、無呼吸のタイムを計っていた。母は40秒以上息を止めていた。「ボケ原さん、ちゃんと息をしてくださいね、呼吸が止まっていますよ」と母に声かけをしている。私は「飲み込むのが怖いっていうんです」と失語の母の代わりに伝えた。「訓練のときは私がついているから、今は大丈夫。しっかり飲み込む練習をしましょう!」高齢者は環境の変化が苦手だ。転院をするだけでもかなりの負担だと思う。それも急性期の病院と、リハビリ病棟では対応もペースも違う。病院の違いだけではない...リハビリ病院

  • 母の不安と恐怖

    2018年9月28日(金)昨日はすごくハードな一日を過ごした。私も、そして何よりも母も。母は疲労がかなり残っているのではないかと、仕事中も気になっていた。仕事を終え、バスタオルやフェイスタオルを持参で病院へと向かう。地下鉄に乗り込み、自宅とは反対方向に進む。まだこれから一仕事あるような気分になる。実際、一仕事と言えば一仕事のようなものだ。病室に入ると、母が口をあけてハアハアしているのが見えた。このハアハアは体調が悪い時のハアハアではない。不安な時のハアハアだ!私はあわてて母のベッドの横に座り、母の胸に手を置いた。「ここはしんどいね。ボケ子さんには負担が大きすぎるね、いやなら病院変わろうか?」母から、反応はない。しばらくすると、時折、母のハアハアが止まることに気づいた。様子を見ていると、息をしていない!ハアハアし...母の不安と恐怖

  • 転院日。そして現実②

    2018年9月27日(木) こまごまの手続きを終え、やっと一息ついたころ、母は検査を終えて病室に入ったと連絡があった。私はリハビリ病棟へと上がる。 母が重症者だからなのだろう。ナースステーションのすぐ前の部屋。それも入り口のベッドだった。 担当看護師さんは席を外していて、ほかの看護師さんが説明をしてくれた。そして母のことに関しての聞き取りを私にする。相談員さんも姿を現し、挨拶にこられた。そこに母の主治医も覗きにきた。母の様子を見て「お、思ったよりも・・・・ま、まぁ、まぁやね。とにかくご飯をまずは食べれるようになってもらいます。3か月を目途に自宅に戻れるのか、施設に行くのかを判断します。施設に行くと決まっても、行き先が決まるまではここに居て構わない。前の病院からいろいろ情報をもらっているが、うちで1からすべて検査...転院日。そして現実②

  • 転院日。そして現実①

    2018年9月27日(木) 8時半過ぎに病室に着く。私が荷物をまとめていると、病院を移る前にお風呂に入る段取りをしているときいた。母がお風呂に入っている間に、転院先に渡す書類をたくさん手渡される。放射線化には母のCT画像ディスクを受け取りに行ったり、お金を清算したりと私もそれなりに動き回った。そんな中、エレベータで母のリハビリ担当のSさんと乗り合わせた。「今日転院なんですよね。K病院はここからは遠いですね」と言われる。「急に決まってしまって。遠いですけど仕事の帰りには寄れますから」と私。が、心の中では「このままSさんにみてもらいたかったんですよ」と訴えていた。 部屋に戻ると、母はまだだったが介護タクシーはすでに迎えに来ていた。お風呂から母が戻るとすぐに出発となった。下に向かうエレベータを待っていると、看護師さん...転院日。そして現実①

  • 寂しい気持ち

    2018年9月26日(水) いよいよ明日の朝、この病院を去って、新たな日々が始まることになる。母に意地悪かとも思ったが「寂しい?」と聞く。母はうなずいて「う===う===」と目を閉じて言い出した。呼吸がどんどん早くなり、はぁはぁ言い出した。私は母の胸に手を置いて「本当にみんなによくしてもらったね」「元気になって、こんなに元気になったよって挨拶に来ようね」と言うと「うん」と頷く。 母は寂しくてたまらないのだ。私だって寂しいのだから、母の寂しさはきっと想像以上なのだと思う。   にほんブログ村寂しい気持ち

  • 転院のこと・・・④

    2018年9月25日(火)お昼休みに相談員のKさんから電話があった。大阪市内のK病院に27日に転院することが正式に決まったとのこと。どうなるか分からなかっただけに、ものすごく急に感じた。・10時半までにK病院に移る必要があること。・当日は9時過ぎにこちらの病院を出ること。・それまでに荷物をまとめ、清算を済ませておくこと。・母のパジャマを用意しておくこと(・は病院着なので)・移動は介護タクシーを利用するようになることなどの説明があった。それを聞いた時の私の気持ちは「そうか、リハビリ病院に決まってしまったんだ・・・」というものだった。『母の運に任せよう!』と昨日決めたけれども、それが『リハビリ病院への転院』だったのだと。正直複雑だった。今の母で大丈夫なのかと。それでも進むしかない、とも思っていた。今は進もう、そうし...転院のこと・・・④

  • 「聞こえましたっ!」

    2018年9月24日(月)母が寝ている間にケアマネのMさんが来ていたようだ。3リットルの酸素が入っているという情報だけが彼女に伝わっていただろうから様子を見に来てくれたのかもしれない。忙しいのにありがたいと思う。病室にいくとモニターにはつながっていたが点滴はなくなっていた。母に「何がしたい?」と聞くと「起き上がりたい」でパタパタ瞬きをし反応した。おむつ交換の後、久しぶりにデイルームで過ごす。車いすもヘッドレストのないものになっていた。看護師さんに、髪を梳いてもらい編み込みにしてもらう。こういう時に、母は愛されているんだな、と感じる。(少なくとも私は母の髪を編み込みにしようとは考えない)二人きりになって「頑張りすぎてしんどくなるのが怖い?」「それとも頑張りたい?」と聞くと、「頑張りたい!」でパタパタ瞬き反応。私は...「聞こえましたっ!」

  • 不安・・・

    2018年9月23日(日)日曜日にはリハビリがない。そうなると母は眠り姫になる確率が高い。しっかり覚醒しているわけではないからだ。本来、元気なころから「眠り姫」の傾向はあったのだから尚更だとは思う。私が行った時には車いすにも座らず、モニターにつながれ、点滴が入っていた。その姿をみながら、『リハビリ病院はないな・・・』と再度思う。今の状況が転院先に伝われば、熱は下がっているものの「無理だ」という判断がおりるだろう。たとえあったとしても、今の母にはそれだけの体力はない。それに、母自身が無理をすることを怖がっているようにも感じる。瞳を左右に細かく揺らしながら私のことを見ている母に「無理せず、ボケ子さんのペースで前に進んでいこうね」と声をかけた。すると少し安心した表情になる。きっとリハビリ病院の話はなしになるだろう。だ...不安・・・

  • 1週間ぶりの歩行訓練

    2018年9月22日(土)私は母の病院に行く前に、お寺参りに行った。祖父母や母の姉などのお骨がこのお寺に預けられているのだ。「じいちゃん、ばあちゃん、Rおばちゃん、S木のおっちゃんにこれからのことや、元気になるようにってお願いしてきたよ」と母に伝えるとボケ子さんは頷いた。言い忘れていたが、私が病室を訪れたときには、母は窓際で車いすに座っていた。モニターも点滴も健在(?)だが、車いすに座れるようにまで回復している。私はちょっとだけ・・・安心した。そこにリハビリ担当のSさんがやってきた!「わっ!車いすに座っている!?ボケ子さん、これからリハビリ室にいきましょうか?」と母に声をかける。そして「装具をつけずに歩く練習をしていたと思ったら、突然酸素を3リットルも入れていてびっくりしましたよ!」と。ニコニコ笑いながら母に話...1週間ぶりの歩行訓練

  • むずかしいよね?

    2018年9月21日(金)今日もモニターにつながれ、点滴を入れている。1か月前にもこんな姿を毎日見ていたっけ!およそ1週間前には、装具なしで歩く練習をしたときき、母が名前を言ったとか、「おはよう」と言ったとか、そんな明るい話で盛り上がっていたのに・・・・3歩進んで2歩下がる、というのがあるけれど、3歩進んで2.5歩ぐらい下がっている感じ。とにかく、母が倒れてからおよそ2か月。一度たりとも、このまま回復していけば・・・という思いが満たされたことはない。たぶん、ずっとこの気持ちやパターンと付き合い続けるのだろう。ボケ子さんは今日は眠っていなかったので、私は髪を撫でながらいろいろなお話をする。高次脳機能障害の母は、短期の記憶がとにかく怪しい。覚えていないことが多いのだ。それもほとんどが最近のこと。もちろん、今月の頭に...むずかしいよね?

  • このタイミングで

    2018年9月20日(木)昨夜、泣いたせいで目が腫れている。ケアマネのMさんから電話が入っていたことに気づいたのは、昼休みのこと。あわてて電話する。介護認定の区分変更の書類に不備があって、少し手続きが先になってしまうとのことだった。そして「K病院への転院が決まったみたいで良かったですね」と聞く。私には何のことかわからない。続けてMさんは、「お母様が誤嚥性肺炎の疑いっていうことで、熱も38度以上出ているんですよね?酸素も3リットルも入っているそうですね。ここはリハビリ病院へ転院のために、乗り越えてもらって・・・・」よく話が呑み込めなかった。相談員のKさんに連絡する。彼女によると、大阪市内のK総合病院が母の受け入れをしてくれるらしい。転院日は一週間後の27日。現在3リットルの酸素が入っていて熱もあるためそれは下げて...このタイミングで

  • さらに悪化!?

    2018年9月19日(水)昼休みに職場の代表に時間をとってもらい、今の母の状況を伝える。そして転院しなければならないこと、そのために家族面談があり、連絡が入ればすぐに対応しなければならないこと。また、介護休暇を取得したいこと。。。など。個人的な話ではあるものの、急な休みが必要になることは理解していてもらいたかった。夕方、仕事を終えて病室へ向かう。少しは呼吸が楽になっているだろうか?一瞬、目を疑った!母は酸素マスクをつけている!それでも呼吸はかなり早い。母につけられているモニターがアラームを頻繁に鳴らしていた。血圧も高い!!!ナースはいない。夕方のため食事の介助に行っている。私はアラーム音を聞きながら、涙が次から次からあふれてきた。拭っても拭っても、とまることなく溢れてきた。「しんどいね」「お熱があるから尚しんど...さらに悪化!?

  • 何をしてあげられるのか?

    2018年9月18日(火)洗濯したタオルも持っていかなければ・・・私は仕事を終えて急いで病室へと向かう。母は苦しそうに、痰をからませ、精いっぱい呼吸していた。正に精いっぱい呼吸しているという表現がぴったりなぐらい苦しそうだった。「何をして欲しい?」と母の耳元で尋ねる。母からの返答はない。息苦しい呼吸音だけが迫ってきた。、とにかく吸引をしてもらおうと、私はナースコールをした。ボケ子さんからは昨日のような、獣の声は出ていない。それよりもとにかく息苦しそうだった。私は母の胸をなで、頭を撫でる。母の胸に手を置いていると、息苦しそうにしながらも彼女は眠る。少しは安心しているのだろうか。眠る母の耳元で「焦らせてごめんね。分かってあげられなくてごめんね。無理せずボケ子さんのペースでゆっくり進もう」と囁く。そして再び頭を撫でる...何をしてあげられるのか?

  • 油断

    2018年9月17日(月)油断していた。母のこのところの回復ぶり、進歩の仕方は私の想像を超えていたためこのままのスピードで(決して速いとは言えないが、母のペースで)「奇跡を起こす」という夢を、希望を、実現していくものだと勝手に思っていた。それは、たとえ転院先がまだ見つかっていない状況であっても・・・・そう油断。母はくも膜下出血で13時間もの手術をしたのだった。くも膜下出血には常に合併症がつきまとう。母のように高齢で体力もなければなおさらだ。そんなことは私の頭の中から抜け落ちていた。面会に行くと、母はかつて見たような姿で(大きく口を開いて顔をゆがめて)早い呼吸をしていた。熱が37.8度。体温調節がうまくいかないのか、微熱はこれまでもたびたび出ていた。しかし、単語が少しずつ出るようになり、声が出るようになった分「う...油断

  • おしゃべり

    2018年9月16日(日)昨日のリハビリ担当のSさんから聞いた、「母が名前を言えた!」という事件(?)は看護師さんの間でも話題になっていた。話題になっているだけではなく、私が病室に行くとある看護師が「お母さんが今朝、『おはよう』と声をかけると『おはよう』と言ってくれたんですよ」と伝えてくれた。そんなことを伝えてくれるのが一人や二人ではなかった。そして、「え=っ!私まだ聞いていないっ」と残念がる看護師もいた。(あの、私も聞いたことないんですけど・・・・・)今日もデイルームで車いすの母と過ごす。どんどん覚醒も進んできて、(私は聞いたことがないが)単語も発するようになったきた。その母に、母が今置かれている状況を話して聞かせた。「この病院は急性期病院と言って、救急で運ばれた人たちが入る病院なの。だから救急ではない人は2...おしゃべり

  • しゃべった!!!

    2018年9月15日(土)母の病室に向かうため、エレベータを降りると、ナースステーションの前で母のリハビリ担当のSさんに会った。Sさんは本当に若くてかわいらしい女性。そのSさんが私の姿をみるなり、笑顔で話しかけてきた。「今日は装具なしで歩いたんですよ(2人補助です)」「そして・・・おなまえは?と聞くと『ボケ原ボケ子』と自分の名前を言えたんです!」(ボケ原ボケ子は本名ではありません、お分かりですよね、(;^_^A)「ええええ?そうなんですか?私なんて話しかけても頷いてももらえない!(;´д`)トホホ」と私。この短期間での母の進歩は私にとっては信じられないほどなのだ。他の人から見たら、カメの歩みでもだ。毎日毎日、母の耳元でささやいていたそう、意識の戻らない母の耳元でささやいていた「二人で奇跡を起こそうな!おうちに帰...しゃべった!!!

  • 転院のこと・・・③

    2018年9月14日(金)今日は年休をもらった。11時からケアマネさんと相談員さんが母の様子を見ているはずだ。時間的には私も合流することはできたが、こういう時に弱い自分が出てくる。相談員さんの反応をリアルタイムで見ることが怖かった。そして、大事な場面で頑張らず、眠りこける母の姿を想像してしまい、逃げてしまった。というわけで、午後から母に会いにいく。いつものとおり、車いすに座った母とデイルームで過ごす。母は看護師さんの話かけに対して、頷いたり、首を横に振ったりしている!意思表示をしっかりしている!!!『そんなんできるようになったんですか?』と私は母の顔を覗き込む。そんな私をチラッとみやり、母は知らない顔をした。私と一緒にいる時間は、ミトンを外しているので手は自由に動かせる。母は右手で自分の鼻をほじり始めた。私はそ...転院のこと・・・③

  • 転院のこと・・・②(決戦は金曜日)

    2018年9月13日(木)ケアマネのMさんから、再び電話が入った。「娘さんの許可をとらずに勝手なことをしてしまったんですけど・・・明日の11時に、病院の相談員さんと一緒にお母様の様子を見に行くことになりました。事前に相談もなく、すみません。決めてしまってからの事後承諾の形になりますが、構わないですか?」私は快諾した。そして「ボケ子ちゃん、明日の11時が勝負だよ。ベッドの上で話しかけても寝てばかり!と言うのは止めてね」「神様、できることならば、この見学の時間と母のリハビリの時間が重なりますように!」と祈った。いよいよだ、療養型病院に行くか、リハビリ病院への転院の芽が少しでも残ることができるか・・・明日が勝負だ!ボケ子===!このチャンスをぜったいに逃さないで!!!転院のこと・・・②(決戦は金曜日)

  • 転院のこと・・・

    2018年9月12日(水)お金が出ていくときというのは、どうやら重なることが多いようだ。例えば電化製品。一つが壊れるとほかの電化製品も不調になる、特にうちはこのパターンが多い。12万円の入院費に、「キツイ」と心の声が漏れてしまったが、来月は車の車検もある。どうしてこうも大きなお金が出ていくのだろうか…大きなお金が入ってくることはないのに。仕事が終わり、母の様子を見に行くと、すっかり寝ていた。声をかけるも起きる様子もなく、私は洗濯物を持ち帰る。帰途、ケアマネのMさんから電話が入った。「調べてみたんですけど、老健ではやはりチューブ栄養OKの場所は見つからなかったんです」とのこと。さらに「お母様は今、要介護1だから、この際、介護の区分変更をしてはどうかと思うんです。その手続きをしてもいいですか?」と確認があった。お金...転院のこと・・・

  • 初めての請求

    2018年9月10日(月)母が入院したのは、8月1日。そして入院費用の〆は毎月の末日。請求は10日となる。そう、今日が初の請求だ。母の場合は、1日から31日までの丸々1か月分の請求だ。恐る恐る請求書を見る。「・・・・12万弱か。毎月、これが来るんだ!」その他、別途おむつなど自分で都度、購入しているものもある。格安のおむつを買いたいが、おむつは指定されている。正直、年金収入だけの母と、キャリアウーマンバリバリではないアラフィフ女の収入なんてそんなに多くないことは想像できるのではないだろうか?「キツイな・・・」思わず心の声が出た。「それよりも一日も早く、母が元気になることを考えよう!そのために自分が今できることをしよう!」そう、気持ちを入れ替えようとしていた。それでも、頭の中には「うちじゃなくても、どの家庭でもこの...初めての請求

  • 写真を送る

    2018年9月9日(日)母のところに2日間行かなかったのは初めてだ。今のところ、母がこの2日間をどういった気持ちで過ごしていたのかはわからない。日によっては私が来ていたことすら分からないこともあったろうから。それでもなぜか、母の記憶としてはなくても、私の声は聞き取っているだろう、といつも感じていた。お腹の中の赤ん坊と一緒で、耳というのはすごくよく聞こえていて、脳の中でかなりの刺激を与えていると思っているから。特に半世紀近く聞いてきた娘の声はしっかり聞き分けることができているだろうと確信していた。病室に行くと母は窓際で車いすに座っていた。少しだけ窓を開けてもらっている。看護師さんによると、母は自然の風を感じると、意識がはっきりするそうだ。理解できる。母は、いつでも窓をあけたがる人だった。天気の良くない日でも少しだ...写真を送る

  • 北国からやってきた嬉しいひと

    2018年9月8日(土)遠い北の国から従姉がやってきました。彼女が一人で大阪にやってくるのは初めて。東京に住むお友達と大阪で落ち合い、観光をするためだ。そんな彼女が大阪でも郊外にある母の病院まではるばるやってくるという。。。。私は断りを入れた。やってきてもすぐに街中に逆戻りしないといけない。それならと私が普段うろついている観光地ではない大阪を楽しんでもらおうと思い、私のお気に入りの紅茶とケーキの美味しいカフェに行く。こじんまりとした空間が私はお気に入りだが、従姉もとても気に入ってくれた。そして、彼女は私の眼鏡を見て「その眼鏡さ、もともとの顔を何倍にもよく見せていないかい?」と言い出した。「ここの眼鏡屋さんが私はお気に入りなの。個人のお店なんだけど、すんごくいいんだよ」ということで、急遽、市バスに乗って眼鏡屋さん...北国からやってきた嬉しいひと

  • ケアマネさんの存在

    2018年9月7日(金)今日は母のところにいかなかった。週に2日は「ノー面会デー」を作っただけで、ずいぶん自分の時間を持てたような気がするのだから、私のこの1か月はタイムテーブル的にはとても過密なものだったのだろう。その昔の若いころ、一月に80時間以上の残業をするのが当たり前になっていた時がある。今でいうなら、ブラック企業である。そこで働いていた時には、おかしな話ではあるが、22時前に家に帰ると、寝るまでの時間をどうやって過ごしていいのかわからなかったことをふと思い出した。忙しいのが当たり前になると、時間をもてあますという感覚になるということを。当然、疲労はたまっているのだが、本人はそれにあまり気づかないのだ。私もあの頃よりも体力も知力も何もかも、比べ物にならないほど衰えているのだら、忙しいなりにいいリズムを掴...ケアマネさんの存在

  • ありがとう、なの?

    2018年9月6日(木)昨日とは逆に、今日はいつもよりも少し早めに病室へ行った。早めの時間に行くと、母のお休みタイムなのだろうか・・・今日もいつも通り(?)に、スヤスヤ眠っていた。「来たよ==!」っと声をかけると、少しだけ目を開けて私のことを確認するが、すぐに目を閉じてまた寝息をたて始めた。お風呂の日だったこともあり、とてもすっきりした顔をしている。『これなら、今日は大丈夫だ』そう判断して、私は早々に帰ることにする。洗濯物をエコバックに入れ、寝ている母に向かって「帰るね~~」と声をかける。寝息を立てていたはずの母の右手が、顎へと向かい止まった。その動きは、「ごめんね」にも見えるが「ありがとう」にも見えた。私は勝手に「ありがとう」と判断して、「いいから、いいから、ゆっくり寝てて」と話しかけて病室を後にした。ありがとう、なの?

  • 新たなコミュニケーションの仕方

    2018年9月5日(水)昨日は本当にすごい台風だった。私の心も荒れていたが、それを忘れ去らせるほどの台風だった。夕方、仕事を終えていつもよりも少し遅めの時間に病室に行くと、母はすっきり目覚めていた。「昨日の台風はすごかったね?」と話しかけるが、母は私の目をとらえたままで、まばたきもせず。「台風が来たのは分かっている?」「・・・・・・」私の方を見たまま。「雨もすごかったけど、風が本当にすごかったんだよ。寝てた?」「・・・・・・」そんなことがあったのか?と言わんばかりの表情だ。母は高次脳機能障害でもあるから、台風が来たことも覚えていないのかもしれない。この話をつづけることはやめにした。昨日の私の心の中の荒れやモヤモヤは、母との時間で癒されている。最近は、1時間も病室にいることはないが、見舞いが癒しに感じることもたび...新たなコミュニケーションの仕方

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