住所
出身
ハンドル名
なずなさん
ブログタイトル
いじめを乗り越えて人生を幸せに生きるための方法
ブログURL
https://syakadou77.hateblo.jp/
ブログ紹介文
いじめ体験、その後遺症をどう乗り越えてきたか、人生を幸せに生き直すためのコツを紹介しています。
自由文
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更新頻度(1年)

93回 / 63日(平均10.3回/週)

ブログ村参加:2019/01/21

なずなさんの人気ランキング

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なずなさんのブログ記事

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  • 新しい価値観を与える その3

    9.良いもの程受け取れない、他の人に譲ってしまう→私はいつも何でも遠慮していて、他者に譲ることが人としての優しさ、理想のあり方だと思っていました。だから、それが自分にとって良いでものであればある程、自分ばかり得をするのは悪いという気がして、それを受け取ることができませんでした。 でも、そういうことを繰り返していた時、あることに気づきました。それは、私が何かを譲ったことで、他者が必ずしも幸せになっていないということでした。 自分が本来受け取るべきものを受け取らないでいるために、全体に不調和、マイナスの出来事が生まれているということに気づき始めました。 むしろ私が他者のためと思って何かを譲ったこと…

  • 新しい価値観を与える その2

    5.「すみません」が口癖になる→この口癖はなかなかやめるまでに時間がかかり、約15年近くもその口癖が抜けませんでした。 思い返せば、そのことを自覚したのは高校生の頃でした。 当時、高校の図書室によく通っていて、司書の先生と顔馴染みになっていました。そして、その司書の先生が事あるごとに「すみません」と言っている私の姿を見て、「すみませんなんて言う必要ないのよ。何も悪い事なんかしてないんだから。」と言ってくれたことで、初めて自分がそれを無意識に使っているということに気づきました。 でも、その頃、いじめや差別の渦中にあり、自分自身がこの世に存在していることさえどこか負い目を感じるくらいにまで自己肯定…

  • 新しい価値観を与える その1

    以前、こちらの2つの記事で、自尊心、自己肯定感が極端に低くなってしまった時、どのような行動を取って生きてしまうのかということについてお話させていただきました。 syakadou77.hateblo.jp syakadou77.hateblo.jp それらを塗り替えていく過程で、私がそこにどんな新しい価値観を与えていったかを参考までにご紹介させていただきます。 必ずしもこう思わなければ変われないという訳ではなく、別の何か大きな価値観の変化が起こったことによって、相乗効果的に一気に複数の項目がまとめて消えていく場合もあります。 また自分が納得できる価値観の方がそこから脱却できる助けとなる場合もあり…

  • 現実的な行動を合わせる

    前回までの記事を通して、自分自身が心の底で何を信じているかということを把握し、それを塗り替えることについて紹介させていただきました。 そして、その上で「現実的な行動を合わせる」ということも同時に重要だということを伝えたいと思います。 例えば、私の場合、それまで勤めていた会社を辞めてよりよい転職先を見つけるために、やみくもにそれを探した訳ではありませんでした。 過去の経験を振り返って、何をしている時が楽しいと感じられたかをもう一度洗い出してみることにしました。 そして、それに少しでも近い仕事を選び、さらに何か自分の強みを持ちたいという思いから資格の取得に向けて勉強を始めました。 さらに実地での経…

  • 信じていることを塗り替える

    自分がそれまで生きていく過程で身につけた、刷り込まれた、親や周囲の他者から言われて信じてきた信念、価値観、評価、思い癖、固定観念、社会通念、過去の経験から導き出した予測などといったものを少しずつ塗り替えていきました。 例えば、「私は幸せになってはいけない」という思いが本心、根底にあったということに気づいたら、「私は幸せになっていい」と思うことに決めました。 実は、この書き換え、塗り替えを行えるのは本人のみで、他者はその決定権を持っていません。 でも、ここでこんな心の声が聞こえてくることがありました。 「あなたがこれ以上の幸せになるなんておかしい。周りにはもっと苦労している人たちがいるのにずるい…

  • 今の状況のメリットを把握する

    私は自尊心や自己肯定感を徐々に上げていく過程で、いくつのかの障害が目の前に立ちふさがりました。 例えばその一つは、それまで抱えてきたコンプレックスをどこか手離せずにいる自分がいることということでした。 一見コンプレックスをすぐになくしてしまえば、状況が改善されるように思いましたが、実はそのコンプレックスを持つことで自分が多くのメリットを得ていたという事実に気づくことになりました。 私は表面上は自分のコンプレックスを必要ないと感じていましたが、心の奥の自分はそれを持つことが自分自身の身を守るために必要だと思っていました。 心の奥にある本心が現実に作用しているため、当然そのコンプレックスを抱えたま…

  • 自分の心身をケアすることから その2

    私は自尊心や自己肯定感が低かった頃、自分が女性であるということをほとんど無視していました。 例えば、服装は機能性ばかりを重視して選び、茶や紺、黒など地味な色合いのものを好んで着ていました。 特に鮮やかでカラフルな色合いのものや女性を象徴させるようなピンク色は、絶対に着たくないとさえ思っていました。 もちろんスカートやワンピースなどはもってのほかで、恥ずかしくて着れず、毎日パンツスタイルでお洒落とは程遠い生活をしていました。 また、美容にも関心がなく身体のケアも全くしていませんでした。 女性なら当たり前にしている基礎化粧もほとんどせず、普段からノーメイク、日焼け止めも全く塗らずに過ごしていました…

  • 自分の心身をケアすることから その1

    私は社会人になった後、自尊心、自己肯定感が低かったため、「自分自身の心身をケアしようとしない=自分に無理をさせてしまう」という状態が続いていました。 例えば、仕事が忙しく残った仕事を家に持ち帰ったり、たまに会社に泊まって徹夜をしたり、3~4時間の睡眠時間で数か月間も仕事をし続けたりするという日々を送っていました。また休日はそのせいでどこか出かけようという気力も起こらず、体力の回復のために家で過ごすことがほとんどでした。 また、深夜近くでも休日でも関係なく仕事の電話が入ることもあり、仕事とプライベートの境界線が曖昧で気の休まる時がなく、とてもストレスフルな状態でした。 そういったことが積み重なり…

  • リバウンドしないように

    自尊心、自己肯定感が極限まで下がっている時、精神病が自分の中で特に猛威を振るっていたように思いました。 なぜなら、「自分の精神が病んでいる」「正常ではない」と思うこと自体が、自尊心、自己肯定感を低いままにしておくのに好都合だったからでした。 私がどこか劣等感や負い目を感じ続けるためには、精神病を利用し、それを持ち続けることが一番手っ取り早い方法だったのです。 つまり、「精神病だったから、自尊心、自己肯定感が低くなった」のではなく、「自尊心、自己肯定感が低くなったから、精神病が発症したのだ」ということに気づきました。 ということは、自尊心や自己肯定感を低いままにしておきたいという裏にある自分の本…

  • 自尊心、自己肯定感が低くなる その2

    前回の記事の続きです。 9.良いもの程受け取れない、他の人に譲ってしまう何かふいに自分が思いもよらず良いものを受け取ると、どこか自分の身に不相応な気がして、誰かに譲ってしまったり、それを受け取ることをあえて拒否してしまうことがありました。そうするように誰かに勧められたり、強制されている訳でもないのに、なぜか自分にとってプラスになる物やチャンス程、遠慮したり無意識に避ける、受け取らないという行動を取っていました。何でも他者を優先し、自分は残りもので十分だと思っていました。 10.待遇の悪い環境でもそれに甘んじてしまう 自己評価が低いため、自分の現在の待遇や環境、仕事が合っていなくても、自分はこれ…

  • 自尊心、自己肯定感が低くなる その1

    私がいじめや差別を体験したことによって様々な後遺症がありましたが、その中の一つに、自尊心、自己肯定感が極端に低くなってしまったということがありました。 例えば、その頃の私は以下のような状態でいました。 1.自分自身の心身をケアしようとしない=自分に無理をさせてしまう熱があっても無理をして仕事をしたり、自分の身体をケアするということを一切していませんでした。重い病気になって初めて休むという選択を自分にさせてあげるというようなことを繰り返していました。 2.頼まれ事を断れないいつもイエスマンのようになっていて、頼まれ事を断れずに何でも引き受けていました。そのことで自分が後で大変な思いをするというこ…

  • スクールカウンセラーとの出会い その2

    誰にも自分の悩みを相談できない、精神科の病院にも行けないという理由から、自ら図書館で本を読み知識や治療法を得て、自分で治すしかないということを思いました。 でも、本当に辛くてどうしようもない時、大学のスクールカウンセラーには無料で相談ができることを知り、初めて相談してみようという気が起こりました。 また、自分のことを全く知らない赤の他人で、カウンセリングが終われば二度と会うことがないという点も、恥を捨てて飛び込むことのできた理由の一つでした。 さらに、その大学のスクールカウンセラーの先生の粋な計らいによって、私でも相談することのできる条件がそろっていたからでもありました。 まず一つ条件だったの…

  • スクールカウンセラーとの出会い その1

    私は大学に入り、精神病の症状が特にひどかった時期、親に知られたくないという思いから精神科の病院に行くという選択肢を自ら断ちました。 そして、自分の精神病のことを誰にも相談できずにいました。 自分がそのことを告げたら家族の恥になるのではないかという怖れがあり、両親だけでなく、仲の良かった兄妹にすら相談できませんでした。 おそらく家族は私が言わなくても薄々察してはいたかもしれませんが、はっきりと自分の口からは言えませんでした。 また、大学の講義が一緒の時だけ話す友人が一人、二人はいましたが、身近に連絡を取る友人は一人もいなかったので、家族以外にも相談できませんでした。 そして、精神科の病院に行くこ…

  • 自分の道を切り拓く その2

    自分の道を切り拓く、自分自身を確立するとは、社会や他者からの物差しではなく、私自身で自分がこの世に生きる目的や存在意義を意識的に付与するという意味です。 そもそも私たちの命は、存在している時点で、すでに目に見えない大いなる存在の恩恵、愛に包まれていると言われます。 私がそのことを実感として感じられるようになったのは、だいぶ大人になってからでしたが、たとえそのことに気づけない場合でも、この世界で自分だけはどんなことがあっても自分を裏切らない、自分を愛する、自分を幸せにしようと思いながら生き続けると誓うことができれば、それはどんな状況においても自分自身を救うことに繋がります。 自分が属している環境…

  • 自分の道を切り拓く その1

    この世界には沢山の種類のいじめや差別が存在します。 私の場合は、そのいじめ、差別を生むきっかけが単に生まれつきの体質、容姿、見た目といった肉体的な特徴の違いにありましたが、より広い視点に立てば、国籍、人種、性別、階級、学歴など様々です。 私は自分がいじめや差別を受けている当時、どこかで私を受け入れてくれない周囲の存在や社会が悪いのだと決めつけていました。 そして、いつか周囲が心を変えて、もしくは社会が成熟して、私に対する受け止め方、接し方を変えてくれることを願い期待して待っていました。 でも、結局そんなことをしていても、自分の外部にあるものに自分を委ね、流されて生きることにしかならないのですが…

  • インナーチャイルドの願いを満たす

    誰の心の中にも「インナーチャイルド」がいます。 これは心理学用語ですが、一人一人の中にある「内なる子ども」の側面のことを指します。 インナーチャイルドは一番自分自身に理解されたがっています。 そして、理解してもらえた時とても喜びます。 それがインナーチャイルドにとって一番欲しいものだからです。 そして、その時なぜか心地よい、幸せと感じられます。 私はそのインナーチャイルドの声を聞いていくうちにこんなことを求めているということがわかってきました。 「いつも自分の味方でいて欲しい。」 「どんな時も自分を守って欲しい。」 「いつも変わらず優しく接してくれると信じさせて欲しい。」 「安心させて欲しい。…

  • 物事はすべて中立であった

    悟りの境地に至った先人たちが共通して伝えている言葉は、「ジャッジメントを無くすこと」、「中庸」、「中立」、「ニュートラル」、「ゼロ」であるという言葉でした。 つまり、何か物事に対して、定義や判断、観念、レッテル、自分の見方をそこに当てはめることをやめることだという意味だと思いました。 物事は本来すべて中立であって、それを善か悪か、正しいか間違いか、幸せか不幸かなどと決めているのは、自分自身であるということにも気づきました。 究極を言えば、それが善や悪か、正しいか間違いか、幸せか不幸かも存在せず、それをどう捉えるか、意味を与えるか、どのように感じるかに、すべてがかかっているということなのだと思い…

  • 苦しみの果てにあったもの

    私は自分の精神が病み、苦しみの渦中にあった時、この苦しみの先には同じ苦しみが永遠に続くか、もしくは絶望か、死しかないと思っていました。 苦しみというのは直線で、その先は奈落の底へと続く崖になっていると思っていました。 でも、実際には私が精神が病んだことがきっかけで、自分自身の内面を深く追究することになり、結果として〝目覚め〟〝悟り〟の境地を至ったことは、それまでの考え方、思い込み、概念を覆すことになりました。 その時に気づいたのは、苦しみ、苦難、不幸の果てには幸福があるということでした。 それまでは苦しみはただ直線となって続き、その果てでやがてその線がぷっつりと途切れて、最終的に死という形で終…

  • 自らの闇を受け入れる その3

    それに、これは私の主観ではありますが、自らに宿る闇の側面が他者よりも強烈であったと感じたせいか、それから他者に向ける目が徐々に和らいでいきました。 自分の醜さに比べれば、他者の醜さ、言動などかわいいものだと思えるようになっていました。 自分の中に宿った怒りや憎しみ、恨み、嫉妬、自殺願望などの、様々なネガティブな感情や、そのことによって引き起こされた自分の言動を思うと、時に自分の存在を人間として最悪、悪の権化とまで思う瞬間もありました。 自分の闇が深ければ深い程、そんな自分でも愛し、共に幸せを模索して生き直そうという覚悟ができた時、自分に対して向けた許しや寛容さが、他者にも自然と向けられるように…

  • 自らの闇を受け入れる その2

    その経験から、自分の中に闇の側面があっても、ただそれがそこにあるだけであって、私に対して何の効力も、威力も、脅威も持たないということを知った時、自分の中の闇さえも自然と受け入れられていました。 昔から伝わる諺に「清濁併せもつ」という言葉がありますが、私はそれを初めて聞いた時、なんで濁りというネガティブなものもあえて取り入れなければならないのだろう?とその言葉の意味が理解できませんでした。 よく人間的に深みのある人物や、重厚な雰囲気を感じさせる人物は、清濁両面をどちらも均等に大きく保持しているというような話を周囲から聞いていました。 人間としての深み、人間性の高さが、なぜ清らかな面だけを持ってい…

  • 自らの闇を受け入れる その1

    10代の頃の私は、自分自身が聖人君子のように心が清らかで無垢な存在であると信じて疑いませんでした。 いつの間にか自分の中に善か悪かという基準を持っていて正義を作り上げ、それに沿うように自分自身を演じたり、矯正するような生き方をしていました。 そして、その基準に合わない他者を憎んだり、怒りを向けていました。 でも、人生を歩む中で、そういった悪と思える闇の側面、卑劣で忌むべきものが自分の中にも宿っていることに気づくようになりました。 最初はそういった側面が自分の中にあることを無視したり、他者のせいにしたりして正面から向き合おうとしませんでした。 それは、自分にそんな側面があるということを受け入れた…

  • 鬱病が良くなる兆し

    当時、妹はそんな私の姿を見て察してくれたのか、よく家の近くの公園に行って昔のように一緒にバトミントンをしようと誘い、外へ連れ出してくれました。 でも、正直その時も重い腰をあげてやっとの思いと行くという感じでした。 ただ、子ども時代に戻ったかのように外に出て遊ぶということが、元気だった頃の昔の自分を思い出すことに繋がって、じっと家の中で籠りっきりになるよりかは良いのかもしれないと思って続けていました。 また、その時期、母の影響もあってガーデニングを少しずつ始めるようにもなりました。 当時、マンションに住んでいましたが、母がベランダのプランターに花を育ていたので、それを真似して私は妹と一緒にトマト…

  • 鬱病のような状態だった頃

    私は大学生の頃、スチューデントアパシーもしくは鬱病のような症状が現れ始めました。 何に対しても面白味が感じられず、無気力になっていました。 具体的な身体症状として、呼吸が浅い、動悸、冷や汗、手足の震えなどがありました。これはもしかすると、神経症の症状でもあったのかもしれません。 また、常に身体には変な脱力感、倦怠感があり、指先に力が入らずよく物を落としたり、食事中にはお椀やコップを倒してこぼすこともありました。 日中は惰眠をむさぼるようにいつも寝ていたり、ボーっとただ何時間もテレビを見ていることがほとんどでした。 また、記憶障害なのか、物忘れが急激に激しくなったりもしました。 精神面では躁鬱病…

  • 自己愛に気づき、自分を愛するとき その2

    今、改めて「自己愛とは何か?」ということを考えてみました。 いじめや差別の渦中にあって自殺したいと思っていた当時のことを振り返り、それを実行に移さなくて正解だったと思いました。 当時は、苦しみから自分を解放するためなら、自殺であっても許される、それが自分を救う唯一の方法だと思っていました。 また、自殺願望は、自己愛のなせる業だとも思っていて、どこか自殺を心の中で肯定していた自分さえいました。 でも、今はそれは自分自身に対する歪んだ愛情の形、その場限りの狭量な見方による愛の表現だったと思いました。 もしあの時私が自殺してこの世を去っていたら、乗り越えた先で待っていた今のような思考、考え方、視点を…

  • 自己愛に気づき、自分を愛するとき その1

    いじめや差別を受けるという経験を通して、私自身は何に気づき、学んで欲しいと思っていたのかを考えてみた時、その最も大きなものは〝自己愛〟なのだという結論に至りました。 当時、私は自分の身体的コンプレックスを周囲の人たちと同じように、 「気持ち悪いと思われてもしょうがないよね。」「自分も逆の立場だったらそう思ってしまうかも。」 とどこか冷静に見ている部分がりました。 そして、それを欠点としてひどく気にしていて、それを持って生まれたことを受け入れられずにいました。 ありのままの自分の姿や、自分という存在そのものを愛せずにいたのだと思いました。 霊的な真理、知識を深めていくに従って、〝大いなるすべて〟…

  • いじめられる人生とは その2

    例えば、自分がこのような人生を青写真として生前に生きることを知っていたとして、自分がこの世に生まれることを選んでいたとしたら、どういう気持ちでこの人生の一連の流れを受け止め、そのことを決断したのだろうと思いました。 人生の醍醐味とは、善いことも、悪いことも、嬉しいことも悲しいこと、幸せも不幸も、様々な経験や感情を味わうことにあると言われていたりします。 実際、私は自分の人生を生きていく中で、そうなのかもしれないと思うようになりました。 さらに、この年齢になって自分の過去を振り返ると、自分の課題、学ぶべきこと、乗り越えるべき問題、変容させることが必要な要素が、一切の無駄がなく、盛り込まれていた人…

  • いじめられる人生とは その1

    私の人生で体験した出来事、思いなどをこれまで書いてきて人によっては、 「よくそんな辛い人生を生きてきたな。」「とても真似したい生き方じゃない。」「自分だったらそんな人生を生きるのはまっぴらごめんだ。」 などという感想を持つ人もいるかもしれません。 また反対に、 「お前の性格が悪いから、そんな人生になったんだ。」「性根を叩き直すためにはそれくらい苦しんで当然。」 などネガティブな意見も思い浮かびます。 私の人生にどんな判断や評価を下したり、思いを抱くのは自由であるし、その捉え方は人それぞれ異なってよいと思っています。 私自身も、「なぜ私の人生はこのようなものなのか?」と、時にふと思うことがありま…

  • 自分を愛せるか試されている

    私は自分の人生に、いじめられる、差別されるという出来事が起きたのは、自分自身を愛せず、無意識に心の中で自分が自分をいじめていたことが原因だったのかもしれないと思いました。 他者から投げかけられた言葉をそのまま受け入れて傷つくということは、自分自身がその言葉に同意している、その通りだと認める心が少しでもあるからなのだと思いました。 つまり、自分もまたいじめる人たちの共犯者になっているということに気づきました。 例えば、自分の何か欠点と思えることやコンプレックスを指摘されて傷つくのは、他者がどう思うのかということ以前に、自分が自分自身に対してそのように思っているからなのだと思いました。 言葉を変え…

  • ブログを書くことの意味

    今、いじめをどう克服するかについて語っているということは、私はもういじめの世界を卒業したことになるのかもしれないと思っています。 自分のいじめ体験を客観的に見られるということは、もうその世界に属していないという気がしたからです。 このいじめを克服するブログを書くということは、私にとってその過去の体験から本当の意味でお別れすることを意味しているように感じています。 初めはこの体験を生涯誰にも語ることなく、自分の墓場まで持ち帰ろうと思っていました。 でも、ある人にこのことを語ることを勧められ、徐々に打ち明けようという思いが生まれ始めました。 ただ、これを書くに至るまでには、 ・過去に私をいじめた人…

  • 強い自分を手に入れた

    私は、いじめや差別の体験の中、本当に心が疲弊し、何度も自殺を考えることがありました。 具体的にどこでどんな方法で死ぬのかを考え、死ぬ時の痛みはどれくらいなのかを想像してみたりすることもありました。 生まれつき想像力が豊かだったおかげで、その時の様子をいろいろと細部にわたって想像することができました。 そうしたら、それを今まさに体験しているかのように、傷みが強烈なものとして伝わってきて、現実に起きているかのように感じられたりもしました。 また、自分は死を直前にした時、いつも決まって母親のことを思い出し、「やっぱり死にたくない!助けて、お母さん!」と泣き叫ぶようにも思いました。本当は自分は死にたく…