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膠原病のこと、諸々 https://soranekox.hatenablog.jp/

膠原病(SLE、APS、SS)患者。脳梗塞、動脈瘤破裂、腎炎などになった経緯を綴ります。

全身性エリテマトーデス、抗リン脂質抗体症候群、シェーグレン症候群患者です。出産時、脳梗塞、動脈瘤破裂、全身筋痛で車椅子生活、肺炎、腎炎などになり、4ヶ月入院しました。膠原病の辛さ、ステロイドの副作用、長期入院などを乗り切るポイントもシェアできればと思います。

そらねこ
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2019/01/13

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  • 出産

    5月8日入院。 翌日9日、検査により、11日に分娩と決まる。 10日、分娩の前処置。 11日、無痛分娩のため、背骨に麻酔を入れ、陣痛促進剤投与。陣痛は起こったが、子宮口があまり開かず、その日は分娩に至らず。 翌日、再度無痛分娩の処置。夕方までかかっても、やはり子宮口が開ききらず、子どもの心拍がやや低下しているとのことで、急遽帝王切開に切り替える。 2015年5月12日夕方、約2900gの健康な子が誕生。 急転直下の展開は、間違いなく私の体調に影響を及ぼしたと思う。急な入院、検査、人工分娩のための処置、陣痛促進剤の投与、陣痛、麻酔の投与、そして緊急の手術、出産。膠原病の発症または増悪のきっかけと…

  • 入院

    そもそもの出産予定日は、5月24日。 逆子のままなら5月15日に帝王切開、と決まっていた。ところが逆子は治ったものの、痛みやむくみ、血液検査の結果が思わしくないため、早めに入院することに。 5月7日、膠原病科と産科での診察により、急遽翌日、8日の入院となった。もともと無痛分娩を希望しており、その日程について入院して様子を見ながら決めるということだった。思いがけない急な入院となり、あわてて準備をする。 産休に入ったらいろいろゆっくり楽しもうと思っていたのに、痛みなどで楽しむどころではなく、あっという間に終わってしまった。にほんブログ村

  • 入院

    そもそもの出産予定日は、5月24日。 逆子のままなら5月15日に帝王切開、と決まっていた。逆子は治ったものの、痛みやむくみ、血液検査の結果などから早めに入院することに。 5月7日の、膠原病科と産科の診察で、急遽翌日、8日の入院となった。もともと無痛分娩を希望しており、その日程について様子を見ながら決めることに。思いがけない急な入院となり、あわてて準備をする。 産休に入ったらゆっくり楽しもうと思っていたが、思いの外早く終わってしまった。 にほんブログ村

  • 異常なむくみ

    出産予定日が近づくにつれ、足が異常にむくみだした。日に日に水を含んで、水風船のように膨らんでいく足。いつか破裂するのではと、本気で怖かった。 足の裏も赤く炎症を起こしている…。入院の際外出するのに、どの靴も入らず困った。 幸い、夫の大きめなサンダルだけ、なんとか履くことができて助かった。 にほんブログ村

  • 全身性エリテマトーデスの疑い

    産休に入るまで、残り10日ほどになった頃から、手と足に異変が起こった。手の平、足の裏がひどくチクチクした。写真では見にくいが、細かい粒のようなものが皮膚の内部にある感じがあった。 日毎に傷みは酷くなり、ものを触ったり、歩いたりするのも大変になった。 手には常に手袋や軍手を着け、足にはモコモコした分厚くて刺激の少ない靴下を履いた。 なぜかそのときは膠原病のせいだとは疑わず、まず近所の皮膚科に行ったら、「オスラー結節」という、重い心臓病由来のものであると言われる。 当然ショックを受けたが、心臓病という割には、抗菌剤や痛み止などしか処方されず、しかも大学病院などへの紹介もなかった(つまりヤブだった)…

  • 妊婦生活

    妊娠中は基本的に平穏だったように思う。初期に一度、結構な量の出血があり、もうだめだと思った時はあったが。つわりというほどのこともなく、むしろ食欲が増した。 食べづわりと言うのか、食べ物がおいしかった。 日替わりで違うものが強烈に食べたくなり、それを食べると今まで食べたことがないほどおいしく感じられたりした。 かといって体重も増えすぎることなかった。体の痛みもわりあい落ち着いていた。一時、尿糖がとてもたくさん出て、妊娠糖尿病の検査を受けたが、二月ほどで数値落ち着く。しかし、穏やかな生活は、臨月に入り少し経つと一変。 そこから転がるように状況が変化していく。 にほんブログ村

  • 妊娠

    2014年9月、妊娠。 ありがたいことに、一度目の採卵、移植での成功だった。プレドニン5mg、バイアスピリン100mgは変わらず。 胎児に影響はないというが、なんとなく不安を感じる。膠原病の発病や、病態の変化には、女性ホルモンが関係するとのこと。 不妊治療自体、また妊娠、出産が、自分の膠原病を後々増悪させたのは恐らく間違いないだろうと思う。 にほんブログ村

  • 発症の引き金?

    膠原病の検査、不妊治療をしながらも、忙しい日々が続いた。私は編集の仕事をしているが、当時出張も多かった。その夏はちょうど富士山の本を作る企画があり、富士山に取材で登ったりもした。 また夫の趣味のよさこい祭を見に行ったり、旅行に行ったり。思えば前年に家を新築、年末に引っ越し、不妊治療の開始、度重なる出張や旅行と、体には負担が大きくかかっていたに違いない。 前年には飼い猫も亡くし、精神的なショックもあった。そういったことが膠原病発症の引き金になったのかもしれないと、今は思う。 にほんブログ村

  • 膠原病発覚の経緯⑧治療方針

    CTやMRIを撮るのに、意外に時間が、かかった。 どこも予約で埋まっていた。10日ほどでなんとか画像を撮り終え、J(i)大学病院にも受診した。大学病院の先生の方針を聞く。 不妊治療の再開とともに、ステロイドとバイアスピリンを服用する。妊娠中も継続。 ということだった。もともと薬には抵抗感があり、出産のことを考えても投薬は避けたい気がしたが、選択肢はなかった。クリニックに伝え、不妊治療を再開。 同時にプレドニン5mg、バイアスピリン100mgの投薬が始まる。 にほんブログ村

  • 膠原病発覚の経緯⑦症状等

    傷みは続いていた。それは、肩や背中であったり、手首であったり、指の付け根であったり、足のしびれであったりした。何か唇がぶわぶわするような違和感があった。 唇は日に日に黒ずむ感じがあり、夫にいやがられて悲しかった。旧来患っていた、閃輝暗点を伴う偏頭痛もたびたび起こった。漢方も毎日飲んでいたが、効果は不明。 にほんブログ村

  • 膠原病発覚の経緯⑥不妊治療のこと

    当時私は、不妊治療の最中だった。前年の末くらいから始めて、半年ほど経っていた。抗リン脂質抗体症候群と診断されたことを、クリニックに伝えると、「その病気は不育症につながるため、そのままでは治療を続けることはできません。 大学病院と連携を取り、どのように治療を進めるのかの方針がかたまってからの治療を再開します」 とのこと。今までとは別の、J(i)大学病院への紹介状をもらう。 そしてまずはCTとMRIを撮るようにと言われる。 にほんブログ村

  • 膠原病発覚の経緯⑤「抗リン脂質抗体症候群」

    紹介状を持って、J(u)大学病院へ。採血をし、また1週間ほどで結果が出た。膠原病の一種、「抗リン脂質抗体症候群」との診断が降りた。何度も調べたり口にした今でこそ、すらすら言えるようになった病名だが、当時は何と言っているのかすらよくわからなかった名前。血栓ができやすい。 不育症になる場合もあります、等説明された。不育症とは、胎盤に血栓ができることで流産しやすくなってしまう症状とのこと。また不安が増大…。とりあえず、その病気に効く漢方があると調べ、翌日近所の漢方医に処方してもらうことに。 「桂枝茯苓丸」と、「小柴胡湯」。にほんブログ村

  • 膠原病発覚の経緯④膠原病の疑い

    血液検査の結果は1週間ほどかかって出た。「リウマチではないようですが、その他の膠原病の疑いがあります。 紹介状を書きますので、大学病院を受診してください。」先生は、J(u)大学病院への紹介状を書いてくれた。にほんブログ村

  • 膠原病発覚の経緯③血液検査

    痛みが起こってから6日後、あまりに痛いので骨に異常があるのかもしれないと、成形外科へ行った。とてもよく診てくださる、信頼のおける先生のところへ。レントゲンを撮ったか、撮らなかったか…? ともかく先生は、すぐに言った。「痛みが移動するということは、内科的な原因が考えられます。」私「内科的な原因?」「リウマチなどの可能性があるので、血液検査をしましょう。」・・・・・・・よく意味もわからず。 でもショックだった。受診後、ネットでリウマチについて調べ、更に不安になる。にほんブログ村

  • 膠原病発覚の経緯②痛みの移動

    合宿から戻り、数日。 痛みは不思議な変化を見せた。痛みのある場所が、移動した。 つまり、右手(左手だったかも)の親指の付け根が痛かったのが、ある時から左手(右手なのかも)の親指の付け根がいたくなったのである。痛みかたも全く同じに。肩や背中も痛く、近所のマッサージ屋さんに行ったが、よくなるどころか痛みが酷くなってしまった。にほんブログ村

  • 膠原病発覚の経緯①ファスティング

    きっかけは、手の痛みからだった。ファスティング合宿中に、その痛みは起こった。2014年5月。 かねてから興味のあったファスティング。 アート的な活動も含めた魅力的な合宿に、なんとか都合をつけて行った。 合宿自体はとてもよかった。 皆明るい素敵な人たちで、絵を描いたり、付近の自然を観察したりするのも楽しかった。 ファスティングの効果もそれなりにあったと思う。が、これが膠原病発症を誘発させたきっかけのひとつには、なってしまったと思う。3日間の合宿中2日目くらい? 急に、右手(左手だったかもしれない)の親指の付け根が痛み、コップの取っ手が掴めなくなった。 ペットボトルのふたを開けることもできなかった…

  • ブログ開設のきっかけ

    最近、笙野頼子『膠原病、「混合性結合組織病」の未闘病記』を読んだ。 『金比羅』に続き、また大変面白く読ませていただいた。 同じ病のことが書かれていると、興味深い。また最近、こんなこともあった。 年始で実家に帰っていたときのこと。 両親と姉夫婦で話していたら、なんと誰一人、私が脳梗塞を起こしたことを認識していなかった。一番よく私の病気をわかっているい夫は席を外していたが。 他の人はまだ分かるが、母などはまめに看病に来てくれていたのに。歳のせいもあるのだろうか。といった流れで、自分の身に起こったことを何かの形で残しておきたくなり、ブログを始めることにしました。 手帳を掘り起こし、いろいろ思い出しな…

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