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2019/01/05

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  • 【親子で学ぶ3分偉人伝】 第十回 中江藤樹 米子へ行く

    今日の親子で学ぶ3分偉人伝は「中江藤樹(第二回 米子編)」です。 前回までのお話は、父母と別れ、祖父の徳左衛門と共に米子へ行く所まででした。 oedonogakko.hatenadiary.com 今回は、米子での藤樹の生活を描いていきます。 さぁ、藤樹がどのように成長していくのかをみていきましょう。 では、はじまりはじまり〜 長右衛門おにいさん こうして、米子で せいかつ を はじめた藤樹は徳左衛門おじいさんをよく てつだいました。 とく に藤樹はもじ を かく のが とくいで、徳左衛門おじいさんもおおだすかりです。 べんきょう も たくさんしました。 藤樹に べんきょうをおしえてくれる せ…

  • 【親子で学ぶ3分偉人伝】 第九回 中江藤樹 父母との別れ

    今日の親子で学ぶ3分偉人伝は「中江藤樹」です。 wikipedia参照 「近江商人」という言葉は、聞いたことありますか? 戦国大名であった蒲生氏郷が、経済振興策を講じたことによりこの地域で多くの商人が生まれたことから呼ばれるようになった言葉です。 布団の西川で有名な「西川産業」も江戸を起源とする近江商人から生まれました。 今回ご紹介する中江藤樹は「近江商人」に対して、「近江聖人」と呼ばれました。 江戸時代の初期には画期的であった身分を越えた教育を実践していった人物です。 そして、これが後に上杉鷹山、吉田松陰、西郷隆盛と言った改革者達の思想に影響していったといわれています。 そんな藤樹の生き様を…

  • 【親子で学ぶ3分偉人伝】 第八回 二宮金次郎 町づくり人づくり

    今日の親子で学ぶ3分偉人伝は「二宮金次郎(第五回)」です。 前回はコチラ↓ oedonogakko.hatenadiary.com 金次郎は服部十郎兵衛のお家立て直しに貢献したことにより、小田原の中で名を知られるようになってきました。 そんなある日、小田原藩主の大久保忠真(ただざね)より、直々にある依頼を受けます。 それは、大久保家の分家がある下野国桜町(現栃木県真岡市)の復興です。 今回は、その藩主忠真の依頼をどう引き受けていったのかを中心に描いていきます。 いつもと同じように最後の部分には、お子さんとディスカッションできるコーナーを設けていますので、そちらもチャレンジしてみてください。 で…

  • 【親子で学ぶ3分偉人伝】 第七回 二宮金次郎 積小為大

    今日の親子で学ぶ3分偉人伝は「二宮金次郎(第四回」です。 oedonogakko.hatenadiary.com 金次郎はこれまで不遇な人生を送ってきましたが、それらを前向きに捉え自らの原動力に変えていきました。 祖父の萬兵衛の元で働きながら必死に勉強をして「積小為大」という 「小さな事でも、やり続ければ大きなことを為せる」 という原理を体現しました。 これを皮切りに金次郎の人生は開けていきます。 さぁ、どんなことが待ち受けているのか学んでいきましょう。 いつもと同じように最後の部分には、お子さんとディスカッションできるコーナーを設けていますので、そちらもチャレンジしてみてください。 では、始…

  • 【親子で学ぶ3分偉人伝】 第六回 二宮金次郎と萬兵衛おじいさん

    今日の親子で学ぶ3分偉人伝は 「二宮金次郎(第三回」です。 まだ、第一回、二回を見てない人はこちらからどうぞ oedonogakko.hatenadiary.com 前回までに父親も母親も亡くなり、 遂には兄弟たちもバラバラに なってしまいました。 「もう一度、兄弟達と暮らしたい」 そんな思いを抱きながら、 祖父の萬兵衛の家に預けられてからも、 金次郎は一生懸命努力を続けていきます。 しかし、勉強をしたい金次郎とは裏腹に、 萬兵衛は「農民に学問はいらない」 という考えの持ち主。 さぁ、どんなふうに金次郎は葛藤しながら、 努力を続けていったのでしょうか? いつもと同じように最後の部分には、 お子…

  • 【親子で学ぶ3分偉人伝】 第五回 二宮金次郎 家族を支える

    今日の親子で学ぶ3分偉人伝は 「二宮金次郎(第二回」です。 前回、病気になってしまった父の代わりに どう働けば、村の人達の役に立てるか? を頭を使って考え実践した姿を 中心に描かせていただきました。 まだ、前回分を読まれていない方は コチラをどうぞ https://oedonogakko.hatenadiary.com/entry/2019/03/12/054030 その後、父親が亡くなってしまいました。 今回は 「弟が二人いる家庭を、 まだ13歳の金次郎がどう支えていったのか?」 について、中心に描いていきます。 いつもと同じように最後の部分には、 お子さんとディスカッションできるコーナーを…

  • 【親子で学ぶ3分偉人伝】 第四回 二宮金次郎の子供時代

    今日の親子で学ぶ3分偉人伝は 「二宮金次郎」です。 wikipedia参照 二宮金次郎と言えば、 本を読みながら薪を背負って歩く あの銅像ではないでしょうか? 今もアレは小学校にあるんでしょうかね。 僕の小学生時は 美術室か理科室かなんかの ベランダの隅に追いやられていていた のを覚えています。 その銅像は先生からそれが一体何なのか語られることもなく 当時流行った「映画 学校の怪談」で金次郎の持っている 本のページがめくれるシーンがあったり 僕にとって金次郎の銅像は謎と恐怖に満ち溢れていました。 大人になって気がつきましたが、 二宮金次郎はただの読書家の少年ではありません。 現代風に言えば、 …

  • 【親子で学ぶ3分偉人伝】 第三回 吉田松陰の幼い頃

    今日の親子で学ぶ3分偉人伝は 「吉田松陰(幼少・少年期編)」です。 吉田松陰の偉人伝はこちらにもありますので、 是非読んでみてください。 oedonogakko.hatenadiary.com これまで松陰がいかにして 世の中で活躍をしてきたか を学んできました。 今回は松陰の人間性を形成した 幼少・少年期に フォーカスを当てていきます。 今回も最後に お子様とディスカッションしてみるコーナーを 用意していますので、そちらも合わせて チャレンジしてみてください。 では、始まり始まり~ 松陰の誕生 吉田松陰(よしだしょういん)は 1830ねん に やまぐちけん の萩(はぎ) という まち で う…

  • 【親子で学ぶ3分偉人伝】 第二回 吉田松陰 正しく生きる

    今日の親子で学ぶ3分偉人伝は 「吉田松陰(後編)」です。 まだ前回の記事を読んでいない人は 是非読んでから、こっちを読んでみてください。 oedonogakko.hatenadiary.com 前回の記事では、 ペリーの船への密航計画が失敗に終わり 牢屋に投獄されてしまったところまででした。 今回は投獄されてからの松陰の 活躍について書いていきます。 今回も最後の部分に お子様とディスカッションしてみる コーナーを用意していますので、 そちらも合わせてチャレンジしてみてください。 では、始まり始まり~ 牢屋の中 でしの重之助と いっしょに ろうや に いれられた あとも、 松陰は かなしんだり…

  • 【親子で学ぶ3分偉人伝】 第一回 吉田松陰 海の向こう側

    今日の親子で学ぶ3分偉人伝は「吉田松陰」です。 今から200年近く前の幕末にもっと日本を 良くしようと権力に媚びず、正直を貫き、 わずか30年の生涯のうちにその後の日本に 大きな影響を与える人達を育てた先生が吉田松陰です。 育てた教え子の中には、 日本で初めての総理大臣(伊藤博文)や陸軍大将(山縣有朋)、 そして有名大学の創設者(山田顕義)などがいます。 そんな吉田松陰がどのように生きたのか、 その人生の一部をお子さんと一緒に学んでいきましょう。 最後の部分には内容を踏まえて、 お子さんとディスカッションできるコーナーを 設けていますので、 そちらもチャレンジしてみてください。 では、始まり始…

  • 江戸検1級合格者が江戸東京観光のアドバイスをします

    東京で観光するっていったら あなたならどこへ行きますか? 渋谷、新宿、六本木、浅草、秋葉原などなど、 東京には楽しそうなところがいっぱい!! でも、行って何します? 食べ歩き、カフェ、買い物、映画… うーん、なんか、もっと、こう、ディープに? いつもとは違う感じで… みたいな方に、オススメです!!笑 (あんまいないか。笑) そうでなくても、 都内の観光に関しては、お任せあれ! というわけで、新しいことしてみました。 江戸検1級合格者が江戸東京観光のアドバイスをします 買い物もするけど、何よりも江戸を感じたいって方にオススメ!! coconaraというプラットフォームを 利用させていただいでいま…

  • 今年の花見は桜餅と共に。

    3月に入りました。 今年は比較的暖かいので、 桜の開花も早いようです。 https://sakura.weathermap.jp/sp/ 桜シーズンの和菓子と言えば、桜餅。 その中で、江戸時代から残る 桜餅の名店が向島にあります。 それは「長命寺の桜餅」です。 始まりは8代目将軍吉宗の時代です。 吉宗がここを花見の名所にしたことを 皮切りに、山本新六という男が 長命寺の門前で桜餅を 売り出したのが始まりです。 随筆集「兎園(とえん)小説」によると、 この桜餅は文政7年(1824)に 年間38万7500個も売られたそうです。 当時の江戸の人口は町人が50万人、 武士を含めると100万人ほどと 言…

  • 参加者募集!!

    桜シーズン到来!! 隅田川&吉原遊廓跡地を巡るツアーをやります。 http://hitotabi.co.jp/tour/15375.html この度、(株)ひとたびの南雲直樹さん (なぐさん)のご好意で、 「隅田川~吉原遊郭跡地を巡るお花見ツアー」をさせていただくことになりました。 正直東京の歴史散策なんて 東京に住んでてしないでしょ? 実際、人力車の営業を 浅草でさせていただいていると東京の方には 「東京に住んでるんで。。。」 って断られます。笑 いや、気持ちわかりますよ。 東京に住んでて、わざわざ高いお金払って 人力車乗るかって。 そりゃ景観や風情は京都なんかには負けます。 東京はビルばっ…

  • バレンタインデーでモテる男

    モテたい!! 特にバレンタインデーは 「自分がモテる男なのか?」が試される日であります。 学生時代、下駄箱や机の中にチョコが入っていないか こっそり確認するという作業を男子なら必ず一回はしたことがあるのではないでしょうか? しかし、モテる男は決まっていて 毎回期待をしながらも辛酸を舐めて帰路に着く。 そんな悔しい思い出が筆者にはあります。笑 なぜ、いつも悪ガキばかりがモテるのでしょうか?怒 真面目一辺倒で生きてきた筆者にとって悔しい事実ですが、 これは昔っからそうでした。 有名どころでいうと 江戸の大泥棒「鼠小僧次郎吉」。 鼠小僧は裕福な武家屋敷ばかりを狙い、 10両盗めば死罪になった時代に …

  • 「天地明察」主演岡田准一さんの着物ファッションに迫る!

    2012年に公開された 「天地明察」という映画は観ましたか? この映画は渋川春海という 天文学者(囲碁棋士でもある)が より正確な暦を作っていく物語です。 そして、何と言っても 主演は岡田准一さんと ヒロインは宮崎あおいさんという 最近第一子をご出産された二人が共演されています。 そういった意味でも大変注目されている映画ですが、 今回は安井算哲役岡田准一さんの ファッションチェックをしていきます。笑 使わせていただくのは この写真↓ 遠くを見ながら立つその姿がかなりカッコいい。。。 格好は袴を身に付け 刀も指しているので武士としての装いです。 着物の柄と色は 「浅葱色(あさぎいろ」に霰模様。 …

  • 江戸の”モテる男”が密かにやっている事

    「かっこいい男になる」 これはどの時代をみても 男達の永遠のテーマです。 今回は特に江戸時代中期以降の 町人達のが持つ 「かっこいい男」とは何か? に迫りたいと思います。 この記事を読むことで 気になる女子をキュンとさせる事が できるかもしれません。 江戸時代中期頃より、 江戸のモテる町人達が 最も大切にした美意識は 「粋」です。 粋とは、総合力です。 率いるグループに対する統率力や資金力 目下の者への包容力 仕事や事件での「情」を含む判断力 これらはもちろん大切な要素ですが、 最も大切なのは これらをいかに見せず でも、さりげなく見せるか?です。 例えると 雨宿りをしている女性に対して 「雨…

  • 吉原遊郭について書いてみました。

    やっと書き終えました。。。 昨年末、浅草の観光ブックを無料で出版させていただきましたが、 今回はそれに続く第二弾を出させていただきます。 (今回はすみません。。。200円だけ頂戴してます。) 第二弾は「向島・吉原編」です。 p.booklog.jp 向島は、スカイツリー近くの隅田川沿いで 対岸の賑やかな浅草とは反対に江戸時代は田園風景が広がり 料亭なんかも多くあった風光明媚な場所として、 文人墨客に愛されたエリアです。 吉原は言わずと知れた幕府公認の遊郭で 江戸時代の男性たちはもちろん、 女性たちも憧れる華のあるエリアです。 そんな二つのエリアを まるで実際に歩きながらガイドするように 写真も…

  • 吉田松陰が説く。あなたが今、学ぶ理由とは?

    今回は 「あなたが今、学ぶ理由」 について書きます。 この記事は ・何か現在の状況に絶望をしていて、前向きになるのが難しい人 ・何か仕事やプライベートでミスをしてしまい、自己卑下に陥っている人 ・家族や友人、同僚、部下に上記のような人がいる人 に向けて書いています。 この記事を読むことで ・どんな逆境においても学び続けることの必要性を感じ ・今日から再び前向きに人生を推し進めていく きっかけを得ることができます。 引用させていただく言葉は 幕末の志士・吉田松陰著の「講孟余話(こうもうよわ)」の一節です。 講孟余話とは? 嘉永7(西暦1854)年10月24日に吉田松陰はアメリカへの密航を謀り、 …

  • 長州ファイブゆかりの地

    萩市主催の「長州ファイブゆかりの地を巡るツアー」に参加してきました。 主に時代背景は明治維新後だったので、 知らないこと、というかティープ過ぎる内容でかなり楽しめました。 まず、長州ファイブについて少し説明すると。。。 長州ファイブは幕末に長州藩を脱藩し、 横浜から上海、そしてイギリスへと 西洋の最先端技術を学びに行った 5人の事を指します。 その5人とは… ・初代総理大臣、伊藤博文 ・初代外相、井上馨 ・鉄道の父、井上勝 ・工学の父、山尾庸三 ・貨幣局長、遠藤謹助 です。 今回のツアーでは東京、横浜にある 彼らゆかりの場所を巡りました。 まず、待ち合わせしたのは 東京駅丸の内駅前広場内井上勝…

  • 成人の日を終えて

    こんにちは! お江戸車夫のだいすけです。 昨日は成人式でした。 あの頃の僕は、 毎日遊んで楽しかったけど…。 コンプレックスの塊みたいに 人の目ばかり気にして、 何か失敗すると自己嫌悪に 陥っていたのを覚えています。 今回は色んな想いを抱えているであろう 成人式を迎えた方々にも役に立つ 吉田松陰の贈ります。 (最近吉田松陰の言葉の引用が 増えました…。) これは元服を迎えた甥っ子宛てた 手紙の一節です。 タイトルは士規七則。 武士の武士たる者の生き方について 綴った内容です。 僕らは武士ではないですが、 人として、社会人としての在り方の 参考になったらと思います。 士規七則の中の一文 凡(およ…

  • 好きなことで生きていく

    こんにちは。 お江戸車夫のだいすけです。 近頃の僕は、江戸検の勉強をしながら学んだことや江戸の楽しみ方を ブログを書いたり、本を出版してみたり、 観光ルートを作ったり、人力車を引っ張ったりしながら 結構気ままに好きな物を楽しみながらアウトプットさせてもらっています。 でも常に頭のどこかにあります。 僕のただの江戸好きが仕事になるのかを。 もちろん、現在は人力車を従業員として引かせてもらっているのですが、 その他に自分の事業として、仕事にできている、つまりお金を稼げていることは 現在たまにはあるけれど、ほとんどありません。 これからの時代は、 「好きなことだけで生きていく」 「好きな事を仕事にし…

  • 吉田松陰から学ぶ「仕事に向かう姿勢」

    おはようございます。 お江戸車夫のだいすけです。 正月休みも終わり 今日から仕事始めという方も多いのではないでしょうか? 今年こそは!という目標を掲げている人、 また同じような毎日が始まる。。。という人、 色んな感情を抱いているのではないでしょうか? そんなあなたへ 背中を押してくれる吉田松陰の言葉を紹介いたします。 跋自書産語語(じしょさんごのごにばっす) 糞水(ふんすい)を掬(きく)さざれば善農と成る能(あた)わず、 筋脈(きんみゃく)を断たざれば善工と成る能わず、 肩背(けんはい)を傷(やぶ)らざれば善賈(ぜんか)と成る能わず、 死地を踏まざれば善士と成る能わず。 (通釈) 糞水を両手で…

  • 新年ですし、吉田松陰の志の立て方について綴ってみました。

    明けましておめでとうございます。 ご挨拶遅れましたが、本年もよろしくお願い致します。 正月の浅草は門前が 歩行者天国になるほどの賑わいで 浅草七福神巡りや、上野・両国周辺を 人力車にてご案内させていただいていました。 正月の浅草はこんな感じです。笑 三ヶ日も終わり、ようやくひと段落です。 今回は新年の決意を固めるため、 吉田松陰の語る「志」について書きます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 志 天地の大徳、君父の至恩、 徳に報ずるに心を以ってし、 恩に復するに身を以てす。 此の日再び難く、此の生復(ふたた)び難し。 此の事終へずんば、此の身息まず。藤寅 ーーーーーーーーーーーーーーーーー…

  • 浅草観光をされる方、必見です!!

    2018年も今日で終わり。 年末をどうお過ごしでしょうか? 私、お江戸車夫のだいすけは 今日も浅草を人力車で駆け巡っております。 正月休みは世間の方々の 正月休みが終わってからですね。 さて、今年最後のブログでちょっと宣伝です。 これから江戸に関する色々活動を していきたいなと思っていることの一つが 執筆活動なのですが、 それを試しにやってみました。 浅草のプチ観光ブックを出版してみました。 p.booklog.jp 試しにやってみたので、「無料」です。 でも、良い物を書きたいと思ったので、 結構真剣に書きました。 浅草を観光する方にはもちろん! ガイドさん、添乗員さん、通訳案内士さんなど、 …

  • 大晦日にキツネが向かう先

    こんにちは。 お江戸車夫の大輔です。 まずこちらの浮世絵をご覧ください。 これは歌川広重による名所江戸百景の一つ 「王子装束ゑの木大晦日の狐火」です。 大晦日の夜になると、関東の稲荷総司である王子稲荷神社の元に 関八州の狐達が集まってくるという伝承が古くからあります。 その際、狐達はその付近にある古い榎の近くで衣装を直し王子稲荷にお参りをしたそうで この浮世絵はその榎に集まる狐達を描いています。 地元の人たちは、その榎に集まった狐の数で翌年の豊凶を占ったそうです。 そんな伝承が、近年復活し今回で26回目を迎えようとしています。 https://kitsune.tokyo-oji.jp 参加者た…

  • 秘伝??江戸検1級合格方法

    メリークリスマス!! お江戸車夫の大輔です。 今回はクリスマスということで。。。 僕の江戸検1級の勉強方法をプレゼント致します!!笑 ただ残念ながら、 これを全てこなした所で 合格できるかわかりません。。。 なぜなら「出題範囲」を見たらわかります。 『「出題範囲」 テキストの「江戸博覧記」から5割 今年のお題から2割(第13回は「江戸のヒロインたち」)』 あれ?? 残りは3割は?? 謎です。。。 しかも、合格基準は。。。 100点満点中80点以上です。 そうなんです。。。 出題範囲を全て網羅しても 7割しか取れず合格できないのです!! 僕も過去問10年分やりましたが、 毎年Googleさんに聞…

  • 江戸検1級合格しました。

    こんにちは。 お江戸俥夫の大輔です。 久しぶりの投稿になってしまいました。 実はその間、江戸文化歴史検定一級の勉強をして、その結果を待っておりました。 結果は… 84点でなんとか合格できました!! 毎年4〜5%くらいの合格率なのですが、今年はどれほどだったのか受験者データが公表されるのが楽しみです。 今後は自称『お江戸の専門家』として(笑)このブログを通じて、江戸の楽しみ方や江戸を生きた人達の生き様を沢山の方にお届けできればと思っております。 これから江戸検定を受けられる方はよければ今まで僕が投稿してきた記事を参考にされてください。 では近々また投稿致します!

  • 江戸のファッションリーダー

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。江戸のお洒落な女性達にとって茶屋の看板娘、花魁、女形役者は流行を創り出すファッションリーダーでした。勝山髷や島田髷といった髪型や吉弥結といった帯結びも花魁や女形役者が創ったファッションの一つです。その中でも多くの流行を生み出したとされるのが女形役者の『2代目瀬川菊之丞(きくのじょう)』です。菊之丞が舞台で身に付けた色、帯結、髪型など様々が江戸女子達の中でブームになりました。菊之丞の俳名は『路考(ろこう)』といい、『路考茶』『路考結』『路考鬢』『路考髷』など、彼が流行らせたものには今でも彼の俳名が付けられています。今流行している物は200年後も残されているのでし…

  • プレゼントはラクダ♡

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。文政7(1824)年、両国橋の西詰の辺りで『ラクダの見世物興行』が行われました。札銭(入場料)は32文(800円ほど)で1日多い時で5000人もの人が集まる盛況ぶりでした。このラクダを日本に持ってきたのは当時の長崎オランダ商館長だった『ブロンホフ』という男でした。でも実はブロンホフは見世物興行をするためにラクダを連れてきたのではなくお気に入りの遊女『糸萩』に贈ったものだったそうです。しかし、糸萩はラクダなんて飼えるはずもなくその代銀のみ受け取り、ラクダは興行師に売られていったという背景です。ブロンホフは果たして糸萩がラクダを喜んで飼ってくれると思って贈ったのか…

  • 江戸のマッド・ドクター

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。医療の発展によって大幅に人類は寿命を延ばしてきました。そしてこれからも更なる発展によってもっと多くの人が健康に生きられる世の中を誰もが望んでいると思います。しかし、江戸時代の医療の発展はまさに命懸けの業でした。そんな中、18世紀中期に『マッド・ドクター(狂った医者)』がこの世に生を受けました。彼の名は『華岡青洲(はなおかせいしゅう)』です。青洲は欧米のエーテルやクロロホルムより約40年も早く麻酔薬を完成させ、世界初の全身麻酔を行った人物です。偉大な功績を残した青洲ですが、それを完成するまでの過程がまさにクレイジーです。研究熱心な青洲は始め犬や猫を使って実験を重…

  • お江戸の不倫騒動

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。テレビをつけるとワイドショーでは芸能界の不倫騒動で持ちきりなんて事よくありますよね。江戸時代、不倫は想像以上の大罪でした。なんていったって町奉行所に突き出されれば『極刑』つまり死罪が科せられましたから。しかし、それでも人間の欲は止まりません。実際不倫は後を絶たず、結局当事者間の内済で事を済ますことがほとんどでした。内済の際には、『示談金(しだんきん)』というのが課せられ江戸での相場は7両2分(60〜120万円くらい)だったそうです。これで済めばいい話ですが、これで終わらないのが欲まみれの人間です。なんと示談金を目当ての『美人局(つつもたせ)』というものが横行し…

  • 江戸まで名を轟かせた京美人

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。18世紀中期、江戸の女性の間では『櫛まき』という髪型が流行っていました。この髪型は浅草寺境内にあった髪結の湊屋お六という者が京都祇園の茶屋女主人『梶(かじ)』の髪型を参考にしたと言われています。梶はその美貌だけではなく、歌集を出版するほどの和歌好きで祇園の才女として、その名を関東にまで轟かすほどの女性でした。京都の才女として名高い『祇園三女』はこの梶をキッカケに生まれました。次に話題をさらったのが梶の養女の『百合(ゆり)』です。百合も美貌と和歌に秀で、何よりも『字が綺麗』でした。そのため百合が書いた短冊は京土産として珍重されたそうです。そして百合の娘『町』が生…

  • 吉原の魅力

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。『悪所』と言われた吉原が江戸時代から現在に至るまで男女問わず魅了し続けた理由は『浮世離れ』にあると思います。江戸市内では当たり前のことが吉原遊廓内では通用しません。その一つが『贅沢』です。江戸市内は贅沢が禁止され着物の柄まで制限される中、吉原では派手な着物を始め斬新な髪型など多くの文化が生まれました。制限された社会の中で生きる江戸の女性達にとって、浮世絵などで見る斬新な遊女の姿はものすごく魅力的に映ったことでしょう。そしてもう一つが『時間』です。吉原の夜は暮れるのが世間よりも2時間遅かったと言われます。通常江戸市内では夜四つ(午後10時)になると店じまいをしな…

  • 恋人募集中!!?

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。素敵な異性との出会いが欲しい!!そんな方々も多いのではないでしょうか?吉原の多くの遊女達も同じく願いは『素敵な男性に身請けされる事』でした。しかし、その想いとは裏腹に遊女の身請け金はとっても高額です。人それぞれですが、350両だとか1000両を越えたりだとか、庶民にはなかなか手の出せる金額ではありませんでした。しかも、その金を出せる男は『十八大通』と呼ばれる成金だったり、庶民の税金を無駄にする大名だったり、なかなかイケてる人がいません…。そんな中、安永4(1775)年に江戸中の話題をさらった身請けがありました。それは高利貸しの『烏山検校(からすやまけんぎょう)…

  • 花魁に学ぶ営業術

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。美容室や飲食店などのサービス業における悩み・関心事の一つに『リピーター戦略』があげられると思います。新規でお客様に来ていただくのはとーっても大変な事です。ですので多くのサービス業にとって一度来ていただいたお客様にリピーターになっていただけるかが重要なテーマになってきます。今回は魅惑の街『吉原』の遊女に学ぶリピーター戦略を書きます。『吉原三千娼妓』と言われたその時代にウカウカと鼻の下を伸ばす男達とは裏腹に遊女達は数いる遊女の中で目立ち、いかに売れるかが最大の関心事でした。その遊女達が使った重要な営業ツールが『お手紙』でした。客も遊女からの直筆の心のこもった手紙を…

  • 咳を治すには◯◯

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。やっぱりJAPANと言えば『Mt.Fuji』ですよね。日本のシンボルとも言える富士山はいつも堂々と穏やかに日本中を見守るように聳えています。しかし、そんな富士山も元々は活火山です。時々ある噴火は日本中が大騒ぎでした。宝永4(1707)年の富士山噴火が有名です。これは富士山最後の噴火です。周辺にあった須走村では降ってきた石や砂の重みで家屋は潰れ小田原でも農作物に被害を受け多くの人々が飢えました。この時降った火山灰は江戸にまで届くほどで火山灰を吸い込んだことによる咳が江戸では流行りました。江戸の人々は咳で苦しむ中どこからともなくある俗説が江戸中に広がりました。それ…

  • 将軍の避難場所

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。江戸城本丸内には表・中奥・大奥を含め多種多様な目的の部屋があります。その中でも中奥の御休息之間前の中庭中央部に『地震之間』という空間があります。そこは将軍の避難場所と言われています。江戸時代から地震対策がされていたなんて流石地震大国日本!と、褒めたくなるほどですが地震之間を設置するキッカケがちゃんとありました。そのキッカケは元禄16(1703)年12月23日午前2時頃、相模トラフを震源に南関東一円を襲ったマグニチュード8クラスの『元禄地震』です。この地震で川崎・神奈川・藤沢・平塚などの宿場は壊滅状態になり、小田原も地震後の火事で町の大半が消失しました。江戸でも…

  • 江戸の永久欠番

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。『喧嘩と火事は江戸の華』そんな江戸の人々を火事から救ったのがあの時代劇ドラマで有名な『大岡越前』こと大岡忠相(ただすけ)によって組織された『町火消』でした。町火消は隅田川より西を『いろは四十七組』が東を『本所・深川十六組』が担当しました。いろは四十七組は『い組』『ろ組』『は組』…本所・深川十六組は『一番組』『二番組』…と組織されました。しかし、不吉な意味を持つため実は名前を変更されたり、欠番になった組がありました。いろは四十七組の中では、オナラを連想する『へ組』が百組に摩羅(男性器)を連想する『ら組』が千組に火を連想する『ひ組』が万組に変更されました。本所・深…

  • 箸で家を建て糞で壁を塗る!??

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。江戸っ子の気質と言えば、『細かいことはきにしない』。では、なぜこのような気質が江戸で育ったのでしょうか?それは『火事』にあると言われています。『喧嘩と火事は江戸の華』と言われるほど江戸は火事の多い街で江戸時代には数え切れないほどの火事が起こりました。江戸の三大大火と言われる明暦の大火では10万人もの死者が出ていて目黒行人坂の大火では1万4700人、丙寅の大火では1200人ほどだそうです。そして当時の消火方法は『破壊消防』で周辺の家を壊して火が広がるのを防ぎました。そのため、江戸市内の家はとっても粗末で『箸で家を建て糞で壁を塗るとは、江戸小屋のこと』と揶揄される…

  • 一生に一度は行ってみたい

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。一生に一度は行ってみたい場所はありますか?サクラダファミリア、モルディブ、ウユニ塩湖などなど、色んな憧れがあると思います。江戸時代、誰もが一度は行ってみたい場所は『伊勢神宮』でした。老若男女貧富問わず様々な人が訪れ享保3(1718)年の記録によると1月から4月中旬までで、42万7500人もの参拝者が訪れたそうです。そんな中、ちょっぴり変わった参拝者も訪れた記録があります。それは『白い犬』です。犬!!です!!この犬は伊勢には行けない人のための会津からの代理参拝者でした。犬の首にはちゃんと伊勢参りの旨を書いた木札と旅のお金として路銀をかけられて会津から出発をしまし…

  • 谷中感応寺はなぜ天王寺に改名したか?

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。今回は谷中にあった『感応寺』が江戸後期に入って以降、『天王寺』に改名させられてしまった理由に迫ります。すみません。かなりマニアックですね。谷中の感応寺は『江戸の三富』の一つで江戸時代の宝くじである『富くじ』がとっても栄えた寺です。しかし、その感応寺が突然改名を余儀なくされたのです。その理由は11代将軍家斉の側室である『お美代の方』のワガママです。お美代は日蓮宗のお寺の娘で大奥に出仕していたところその美しさを見初められ家斉に寵愛を受けました。その次々と3人の娘たちを産み大奥の中でも絶大な権力を振るうようになっていったのです。そのお美代の切なる願いは雑司ヶ谷村に日…

  • 『白牛』に跨る反吉宗の男

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。名古屋に破天荒な男がいました。その男はいつも白い牛にまたがり、真っ赤な装束を着て、2間(約360cm)の長いキセルの先端を茶坊主に持たせて町中を行きました。その男は尾張藩7代藩主『徳川宗春』です。破天荒なのは見た目だけではありません。八代将軍吉宗が『享保の改革』を行い世間が『節約志向』に傾いていたこの時代、真っ向からそれに反対するような政策を掲げました。例えば、『風俗開放政策』。これによって名古屋は役者、芸人、芸者、遊女達が集まり芝居興行や遊郭が増え町は一気に華やかになりました。参勤交代のお国入りの際も駕籠に乗らず馬に跨り虎の羽織を着ていました。さらに、家臣た…

  • Welcome to 江戸城!

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。江戸城は武家のもので一般の町人が入れる場所ではありませんでした。しかし年に一度だけ江戸城内に入れる日がありました。それが『町入御能』の日です。これは江戸中の家主を江戸城の大広間に呼んで能を見物させるイベントです。この時は弁当や酒も出ました。極め付けは『野次OK』です。笑日頃の政治に鬱憤が溜まっているものは率先して、町入御能に出向きました。そして老中が出てくると『しっかり頼むぞー!』と声を掛けたり、若年寄が出てくると『若いの!』だとか『じいさん!』とか言って声を掛けたそうです。しかし、町奉行が出てきて『しぃ!』と制するとたちまち静かになったそうです。この日ばかり…

  • 下級武士の生き様

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。東京は京都と違って空襲や地震などの影響によりあまり昔の建造物が残っていません。しかし、実は地名を見ることで当時そこがどんな場所だったかがわかります。例えば、『お台場』幕末に異国を追い払うために幕府が造った『砲台』があった場所です。『蔵前』は幕府の『米蔵』があった場所です。そして『御徒町』下級武士の『御徒』達が共同生活をしていた場所です。前置きが少し長くなりましたが今回は『御徒』について書きます。御徒とは、歩兵の様なもので戦へ行く時や将軍が遠出をする時などに護衛のため付き添う人達です。情勢が不安定だった江戸時代初期はそれなりに仕事はあったでしょうがそれ以降はなか…

  • ニセモノですが何か?

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。今でこそ『著作権』があるためデザインや音楽を模倣するとすぐに訴えられてしまいます。しかし、江戸時代はそんなものは存在せず比較的自由に作品の模倣が行われていました。というわけで今回は江戸の贋作絵師達をご紹介します。まずは『市川君圭(くんけい)』。近江出身京都在住の絵師で池大雅、与謝蕪村、伊藤若冲の贋作を描きました。続いては『東渓(とうけい)』。狩野探幽・尚信、久隅守景、円山応挙、呉春の絵を描き、当時の画工鑑定に出すと『正筆』とされることが度々あったそうです。中でも人気があったのが尾形光琳の贋作。『松田ユウアン』、『依田如水』、『下河辺玉水』、『大倉是水』といった…

  • 大晦日くらいは許して♡

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。最近お仕事忙しいですか?本当に目が回るほど忙しい日ってありますよね。江戸時代にも一際忙しく仕事をしていた職がありました。それは江戸城内だけでなく城外までの治安を守る『目付』です。しかも、10人程の人数で…。目付の忙しさは有名で目付部屋では呼べばすぐ坊主が薄茶を出せる準備をしていたり…。下部屋に設けられた風呂に毎朝入ることが許されていたり…。忙しい目付への優遇が江戸城内でされるほどです。しかし、毎年大晦日だけはピリピリ忙しい目付達の雰囲気は違いました。老中や若年寄が仕事を終え玄関から退出したのを見計らって、玄関にほど近い『虎之間』に集まります。そしてそこから『大…

  • 細川宗孝?間違えました…

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。平和な江戸時代において、巷の事件や名門のお家騒動など庶民の関心をさらう格好のネタでした。その中でも世間を騒がせたのが江戸城内での刃傷事件です。浅野内匠頭の吉良上野介に対する刃傷事件を筆頭に、 稲葉正休や佐野善左衛門など事件を起こしてきました。その江戸城刃傷事件の中でも最も残念な事件が延享4(1747)年に起こりました。事件を起こしたのは寄合の『板倉勝該(かつかね)』、被害者は肥後熊本藩主『細川宗孝(むねたか)』です。宗孝が厠に行ったところ背後から斬りつけられました。犯行の理由は自分を後継に選ぼうとしなかった本家『板倉勝清(かつきよ)』を恨んでのこと。板倉勝清?…

  • 夢は将軍の奥様!

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。今回はちょっと将軍の奥様である御台様のお小遣い事情に迫ります。時代によって多少の変動はありますが、寛政元(1789)年の御台様の合力金(お小遣い)はなんと5,000両!で、さらに1,000両は貸付金にして利子を上納していたとのこと。ざっと1両を今の10万円とすると、その額…約5億円!!もはや、プロ野球のトッププレーヤーです。相当お金持ちでいらっしゃいました。さらに、御簾中様(次期将軍の正室)も同額で御部屋様(将軍の男子を出産した女性)でも約3,000両(約3億円)でした。ちなみに、江戸の治安を守る町奉行所の経費が2,000両(約2億円)です。そりゃ将軍の妾にな…

  • 将軍の暇つぶし♡

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。天下の将軍とは言え、時にお城暮らしと退屈。鷹狩りをしたり、浜御殿で船遊びや釣りを楽しみたくても一人で出掛けることもできません。そんな退屈なお城暮らしを少しでも楽しくしようと変わった遊びを見つけ出した将軍がいます。それは12代将軍家慶です。家慶はます御前に江戸城中奥勤めの『奥医師』を呼び出し、金屏風で囲んだ場所をつくり彼らを籤で順番に中に入れさせます。中に入る奥医師は少し不安げな様子。すると外から家慶の『御用意はよろしいか?』という声が…。不安を覚えながらも『はい』と返事をすると上から褥などの柔らかい物が降ってきます。それをおもむろに頭に被って身構えていると今度…

  • 目安箱の中身を見てはいけません。

    こんにちは。 お江戸俥夫の大輔です。 『目安箱』という制度は 聞いたことありますか? 八代将軍吉宗が庶民からの意見を聞こうと 江戸城辰ノ口評定所前(現東京駅北口付近) に設置した意見箱のことです。 実際に吉宗は、庶民の意見を参考に 小石川養生所(貧しい病人達の病院)の設立 などを行いました。 目安箱の中身は将軍以外 見ることができませんでした。 意見書を確認するときは 江戸城中奥のプライベート空間である 『御次之間』にて一人でこっそり読みます。 鍵の管理もしっかりしていて 『錦の巾着』に鍵を入れて、 それを自身が肌身離さず持つ御守りの紐に 終始くくりつけていました。 ここまでしっかり管理すると…

  • 江戸最大の画派狩野家

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。江戸の名門かつ最大の画派といえば『狩野派』ですが、一口狩野派と言っても細かく分かれています。大きな違いは、将軍にお目見えできる『奥絵師』とお目見えできない『表絵師』です。表絵師の狩野家の数は駿河台狩野家、深川水場狩野家をはじめとする15家です。これに対して花形奥絵師は以下の通りです。『探幽』を始祖とする『鍛冶橋狩野家』『安信』を始祖とする『中橋狩野家』『尚信』を始祖とする『木挽町狩野家』『岑信』を始祖とする『浜町狩野家』です。これぞ、狩野のネットワークです。ただこの規模に反発しようと生まれた流派もあり、清から長崎に伝わった『南蘋派(なんぴんは)』なんかもその一…

  • 赤穂四十七士は本当は?

    こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。赤穂浪士と言えば、『四十七士』と答えるのが普通でしょう。しかし、切腹覚悟の討入りで志士達の心も動揺し直前で些細な人数の変動がありました。実は本当は討入り直前まで『四十七士』ではなく『四十八士』だったのです。あえなく抜けることになったのは『毛利小平太』です。小平太は討入りギリギリまで吉良邸内部の情報を探った人物ですが最後は兄の反対を受けて逃れることに決めました。また実際に討入りに入ったのは本当は『四十七士』は『四十六士』だったこともわかっています。なんと討入り直前で『寺坂吉右衛門』が恐怖のあまり逃げ去りました。無事吉良の首を挙げることができたものの毛利小平太や寺…

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