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2019/01/02

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  • 【退院】帰れるうちに帰ろうという医師の判断

    【退院】帰れるうちに帰ろうという医師の判断

    前回のブログでは、仮退院を乗り越え、退院が正式決定したことを書いてきました。 8月13日に仮退院して、8月17日に退院することが決定したのです。 6月23日に脳転移が発覚し、6月26日に入院。 命の危険にもさらされながら手術等を乗り越え、仮退院をなんとか乗り切りました。 医師からも退院の許可を得た父は、ついに帰宅することが可能となったのです。 肺がんの脳転移が発覚してから約1カ月半、ようやく帰ってきたのです。 もう、帰ってくることはないだろうという思いで、入院するときは見送りました。 しかし、お見舞いに行かずとも父に会える日が再びやってきたのです。 帰れるうちに帰るという意味の退院 前回のブログでも書きましたが、父の退院は健康になって実現したものではありません。 もちろん、できる限りの手術や治療は行いました。それでも、父の余命は半年だったのです。 そのため、家に帰る元気があるうちに、家で過ごす時間を持った方がいいという判断のもとでも退院だったのです。 はっきり言って、手放しで喜べる状態ではなかったのです。 父が半年で死ぬなんて信じていなかった 担当医からは、上記に示したような辛い宣告を受けましたが、私は全くそんなことは思っていませんでした。 医師の経験からの言葉で信ぴょう性も極めて高いのですが、仮退院で見た元気な父がそんな短期間で亡くなるなんてどうにも信じられなかったのです。 実際、父は今現在も、元気ハツラツとまでは言えませんが生きています。 当時の直感は、決して間違っていなかったのだと思います。 なにより、死なせてたまるかと言う思いも強くありました。 NK細胞が活発化されるような刺激のある生活をして、がんに効くと言われている春ウコンなどを飲ませていけば、がんの再発は絶対に防げるはずだと信じていました。 あのまま病院にいたら… 今でも時々思うことがあります。 もし、医師が退院を認めてくれなかったら、医師の余命通り半年で亡くなっていたかもしれないということです。 結局、父は半年以上生きているので、たとえ帰れる元気があるうちに帰った方が委員といいという理由であったとしても、退院を積極的に支持してくれた医師の対応には非常に感謝しています。 病院にいるときと、家に帰ってきて悠々自適に過ごしている父の姿は、明らかに違っていたからです。 入院中の父の暮らし(無言で向かい合わせ)

  • 【仮退院】ついに父が家に帰ってきた[肺がん・転移性脳腫瘍]

    【仮退院】ついに父が家に帰ってきた[肺がん・転移性脳腫瘍]

    仮退院が決まった話は、前回のブログの通りです。 仮退院といては、退院に向けての予行演習のようなもので、本来ならば両手を上げて喜ぶべき出来事です。 しかし、父の仮に退院囲ついては、帰れるうちに帰ろうというものでした。 つまり、今後、がんの転移などが見つかって、また入院せざるを得ない日が来るということを織り込んだ退院計画となったのです。 悲しい現実ではありますが、肺がんが脳に転移したということは、そういうことなのだそうです。 無事に、なんとか手術を乗り越えたのに、何とも言えない仮退院となりました。 前回のブログについては以下のリンクをご覧ください。 理由はどうあれ帰ってくるのは嬉しい 仮退院の話が出た時は、悪化することを覚悟しなければならないという辛い現実を突きつけられたため、喜ぶことはまったくできませんでした。 どう見ても元気な父が、余命半年ですよ。本当に信じられませんでした。 これから、新たな転移したがんが見つかり、弱っていくことを考えると、本当にいたたまれない気持ちになりました。 それは、医師も同じだったのでしょう。 だからこそ、一見元気そうな父を見て喜ぶ私達に、現実を覚悟させてくれていたのだと思います。 しかし、いざ、仮退院の日がやってきて、以前はもう帰ってくることはないだろうと思っていた父が家に帰ってくると、やはり嬉しかったです。 どんな未来が待っていようとも、家族が家に帰ってくることは、うれしいことなのです。 仮退院はあっという間 仮退院のプランは、1泊2日という、非常に短いものでした。本当にあっという間でしたよ。 父自身は、いつもと変わらずに家を満喫していました。 どういうわけか、普段はありますることのなかった料理に挑戦していました。 勝手に冷蔵庫を開けて野菜を取り出し、それらを危なっかしい手さばきで切り、グツグツと似て味噌汁を作り出したのです。 なぜ、料理をしだしたのかは不明ですが、病院食ではない食事を取れることがとてもうれしいようでした。 しかし、なによりも満喫していたのはお風呂です。 湯船にゆったり浸かれるのがとても気持ちいいと言っていました。

  • 【仮退院が決まる】喜ぶに喜べない現実[帰れるうち帰らせるという配慮]

    【仮退院が決まる】喜ぶに喜べない現実[帰れるうち帰らせるという配慮]

    無事に脳腫瘍の手術を乗り越えた父は、ついに仮退院にまで行き着くことができました。 一時期は、あまりにも唐突な脳腫瘍の影響で本当にもうダメだと思っていました。 手術でも合併症が発生しましたし、リハビリがうまくいっていると思えても医師からは余命半年と言われるわで、本当に辛い状況が続いていました。 仮退院という奇跡 絶望的な状態からなんとか復活してくれた父は、医師からは回復傾向は平行線と言われながらも、悪化はすることなくリハビリに順調に取り組めていました。 そんな時、私は医師に呼ばれました。 なんと、仮退院の話を進めたいというのです。この発言には正直驚きました。 まさか、こんな日が来るとは思っていなかったからです。 脳腫瘍で急遽入院することになった当時は、父が家で過ごす日はもうないだろうと覚悟を決めいたからです。それくらい、奇跡かと思えるほどに、医師からの言葉には驚きました。 ※緊急入院の時のブログは以下のリンクを書いています。 脳腫瘍が発生した時は、それもう驚きの連続と絶望的でいっぱいでした。 仮退院という暫定的な措置とはいえ、そんなことは到底想像できない状況だったんです。 今まで、本当にしっかりしていた父が、日を追うごとに変わっていくので、とてもみていられないというのが本音でした。 まさか、それが、治っていたと思っていた癌によるものだとは予想すらもしていませんでしたしね。 仮退院の意味 ただし、喜んでばかりもいられませんでした。 いや、とても喜ぶ心境ではなかったのです。医師から、仮退院の提案を言われた後すぐに、その理由を聞かされました。 仮退院の意味は、もちろん完全な退院に向けての準備を意味します。 家に帰ってきても、父が問題無く過ごせるかを確認するためです。 例えば、トイレに行けるのか、風呂に入れるか、ご飯は食べられるのかなどです。 入院中は全て看護師等の介助を通していたそれらの行動について、家族側が過度な負担無く対応できるかが重要となります。 これらのことについては、十分な自信がありました。 というより、父が再び家に帰って来られるのであれば、どんなことでもやり切ってみせるという強い気持ちがあったからです。 しかし、仮退院にもう一つの意味がありました。

  • 【肺がん脳転移・手術後】おかしな症状(言動)は改善します[外に出ることで劇的に回復する]

    【肺がん脳転移・手術後】おかしな症状(言動)は改善します[外に出ることで劇的に回復する]

    ここしばらくのブログの内容は、肺がんの脳転移手術後に現れた父のおかしな言動について書いてきました。 まとめてみると以下の通りになります。 共通していること やはり、叫び声といった騒音に関することが多いですね。 そして、それがうるさくて眠れないといったかとをよく訴えていました。 具体的には、ICUで聞いた女の子の霊の叫び声から始まりましたが、一般病棟に移ってからも、隣の患者にお見舞いに来た人が犬を連れてきた、赤ん坊が泣いていた、などです。 どれも、現実には起こり難いことですし、なぜそういったことを感じるようになったのかは不明ですが、脳腫瘍が影響を与えている可能性はかなり高いと思います。 とくに、前頭葉にできた腫瘍が、幻聴を作り出しているのではないでしょうか。 さらに、幻聴を事実だと信じ込み、そこから勝手に色々な想像を作り出してしまいます。 これには本当に困りました。非科学的なことはあまり信じることは無かった父が幽霊の存在まで口にし出すので、これについては多少なりともショックは受けました。 脳腫瘍ができておかしな言動を示すようになり、手術を受けてさらにその言動は顕著になってしまったので、このままでは、今後いったいどうなってしまうのだろうかと不安になりました。 認知症等とは違う 私は、父の症状はただ悪化していくものだと思っていました。 アルツハイマー型の認知症を抱えた方が家族にいる知り合いがいたこともあったのか、父も同じような道を辿っていくのだと勝手に思っていました。 しかし、父は脳腫瘍です。前頭葉の腫瘍については取り除くことができませんでしたが、これ以上に腫瘍が悪化しなければ、父の症状も悪化することはありません。 ※前頭葉の手術の時のブログは以下をご覧ください。

  • 【肺がん脳転移・手術後】リハビリ開始[回復するも医師の表情は暗い…]

    【肺がん脳転移・手術後】リハビリ開始[回復するも医師の表情は暗い…]

    肺がんの転移性脳腫瘍が小脳と前頭葉に発生した父は、昏睡状態になりながらも無事に手術を乗り切り、ガンマナイフという放射線治療も終えることができました。 よくもまあ、何とかここまで頑張ることができたといった感じです。 しかし、手術やら治療やらが終わると次はリハビリが始まりました。 手術後は歩けなくっていた 小脳の手術では、バランス感覚を司るという歩行に大きく関与する部位にメスを入れたことと、合併症である脳内出血も発生したため、手術直後は完全に歩けなくなっていました。 (前頭葉の腫瘍については、取り出すことはなく、穿頭手術という方法を行なっているので歩行能力には大きな影響を与えてはいないと思います。) いきなり歩けなくなってしまったので、その姿を見た時、私はかなりショックを受けました。 ほとんど寝たきりで、まさに虫の息状態です。 手術で、ここまで体力が低下してしまうのかと思ったほどでした。 リハビリが始まる しかし、手術が終わり、ガンマナイフといった治療も終了すると、リハビリが始まりました。 歩行訓練がメインです(リハビリといってもいろいろしていたようで、嚥下訓練なども行なっていたそうです)。 リハビリそのものは、私は見たわけではありませんが、日が経つにつれてみるみる回復していきました。 それこそ、以前のブログで書いたように、脱走を企てたりすることも可能となるほどになりました。 ※脱走を企てた時のことを書いたブログは以下の通りです。 もちろん、健康な時のように、完全に回復したわけではありません。フラフラとしながら、何とか数メートル歩ける程度です。 それでも、手術直後のように、全く歩くこともできない状態と比較すると奇跡のような光景でした。 少しでも歩けるようなると、看護師の指示に従わず勝手にトイレに行くこともあり、ヒヤヒヤさせられたりもしました。 このような他人への迷惑を顧みない行為も脳腫瘍が影響していたと思いますが、こういった行動もリハビリを重ねるにつれて徐々に改善されていきました。 リハビリは、肉体的な回復だけだと思っていましたが、多面的に効果があるようです。 余命はそれでも半年 リハビリも始まった頃、医師から話がありました。

  • 【肺がん脳転移・手術後】日記が書けない[謎のメモ]

    【肺がん脳転移・手術後】日記が書けない[謎のメモ]

    これまでのブログでも書いてきましたが、父は何度も入院してきました。 それこそ、胆嚢摘出、肺がん、脳腫瘍と、病院嫌いで、数年前まではほとんど病院に行かなかった父でも、あっと言う間に病院の常連になりました。あんまり喜ばしくないことなんですけどね。 そんな父は、入院するたびに、いつも日記を書いていました。 入院していると暇なのか、手書きでノート1ページ分くらいは毎日書いていたと思います。 しかし、それらができたのは、胆嚢摘出と肺がんの摘出手術の時まででした。 脳腫瘍の手術で入院した時には、全く日記が書けなくなってしまっていたのです。 父が日記を書けなくなってしまった理由 ①文字が書けない まず、前頭葉の腫瘍が影響していたのか、文字がうまく書けなくなってしまいました。 これについては、父自身、かなり辛かったと思います。 もちろん、パソコンでのタイピングや、携帯電話での文字入力もできなくなりました。 書きたい文字が頭に浮かんでも、うまく書けないそうなんです。 これだけは、脳腫瘍がある本人じゃないと分からない気持ちねすね。 ②論理立てた文を考えられない 言葉ではうまく説明できないのですが、難しいことを考えられなくなりました。 数字についてはとても弱くなりましたし、文章を考えるにあたっても、論立てて構成することができなくなってしまいました。 そんな状態で頭を使うとこんがらがってしまうのか、全く集中力が持続出来ず、作業を放棄してしまうことが増えました。 数学の難しい問題て訳が分からなくなるといった状況のようなものだと思います。 それが、父には簡単な文を作ることで起こってしまっていたのです。 ③自分の状態を理解できない 脳腫瘍という病気である以上、自分の症状や治療内容を適切に理解することは不可能でした。 一応、父にも説明はありますが、基本的には家族側にしっかりと伝えられます。 いずれにせよ、自分がどんな状態であり、どんな治療が行われているのか、これまでの胆嚢摘出や肺癌摘出のときように、十分に理解できてはいなかったと思います。 そのため、日記の内容も思い浮かばなかったのではないでしょうか。 付箋にメモを残す そんな状態の父でしたが、何かを残そうと必死でした。 病室にあった付箋に、フラついた字体で誤字を織り交ぜながらも、その日の出来事や思いついたことなどを簡単にメモしていました。

  • 【肺がん脳転移・手術後】昏睡状態時に「幽体離脱」したり「三途の川」を見たりしたのかを聞いてみた

    【肺がん脳転移・手術後】昏睡状態時に「幽体離脱」したり「三途の川」を見たりしたのかを聞いてみた

    前回までのブログでは、「霊の叫び声を聞いた」、「親戚のおじさんが同じ病室で入院している」などと、どう考えてもあり得ない話を言い出したことなどについて書いてきました。 今回のブログも、肺がんの転移性脳腫瘍の手術後に父に現れたおかしな言動についてです。 ちなみに、前回までのブログでは、父から言い出したことについて書いてきました。 しかし、今回は、私から、霊体験などは無かったのかを聞いてみたときの話です。 その点が、今までは少し違うところです。 そもそも霊体験はあったのか 父は、小脳にできた肺がんの転移性脳腫瘍の摘出手術を行った後、合併症の脳内出血が発生して、一度昏睡状態となりました。 この時は、もういつ死んでしまってもおかしくない状況で、私達家族は、再手術が無事に成功するのをICU前でハラハラしながら願っていました。 見守る側であっても、生きた心地がしませんでした。 ※この時のことは以下のブログを確認してください 結果的に、手術は無事に成功して父は生還することができました。 それからしばらくした後で、昏睡状態中に霊体験などはしなかったのかと聞いたことがあります。 たとえば、よく言われている、幽体離脱です。 病院のベッドで寝ている自分の姿を、上から眺めたりしたという話とか、聞いたことありませんか? しかし、父はそんな体験は一切無かったようです。 そのため、幽体離脱と同じくよく言われている、三途の川も見ていません。 川を渡ろうとすると、対岸にいる先祖の霊に「まだ早い」とかを言われて、来た道を引き返すと、意識を取り戻して目を覚ますことができたなどいう話です。賽の河原とかの話もありますね。 「せっかくだから、それくらいの体験はしておきたかった」と、笑い話になって終わってしまいました。 なにも覚えていない そもそも、父は自分が昏睡状態になったことすら覚えていませんでした。

  • 【肺がん脳転移・手術後】いるはずのない人の存在を感じる[妄想を信じる]

    【肺がん脳転移・手術後】いるはずのない人の存在を感じる[妄想を信じる]

    前回のブログでは、肺がんの脳転移によって入院した父が、霊体験について話し出したことについて書いてきました。 ただし、どうにも信じることができない話ばかりで、なによりも父が実際にその霊達を見たわけではなかったのです。 ※詳しく以下のブログ 以上の前回のブログでは、父の霊体験は脳腫瘍による幻聴等が作り出した父の想像だという結論に至りましたが、今回のブログは、引き続き父のおかしな発言に関連するものです。 前回のように霊が出てくる話ではありませんが、今度はいるはずもない人の存在について話しだしたのです。 同じ病室に親戚がいる 父は、小脳と前頭葉に脳腫瘍を抱えており、手術の間はずっとICUのベッドで入院していました。 しかし、無事になんとか手術を乗り越えると、一般の病室に移されることになりました。 いるはずのない人のことを言い出したのはこの頃からです。 ある時、父のお見舞いに行くと、「病室を出たところにたこ焼き屋かあるから買ってきてくれ」と言うのです。 なぜかと聞くと、「向かいのベッドに親戚のおじさんも入院しているから、渡したい」とのことでした。 もちろん、そんなはずはありません。 もしいたとすれば、お見舞いで時々にしか病室にしかいない私でも流石に気づきます。 そしてなにより、病室の近くにたこ焼き屋もありません。 幽霊の話と同じく、本当に不思議なことを言うなあと思っていたのですが、やはりこれも父が想像でした。 前回のブログでも触れましたが、脳腫瘍の手術を終えたばかりの父は、歩くことはおろか、ベッドから自力で降りることもできず、ずっと寝たきりでした。 そのため、周りから得られる音だけで色々なことを想像しては、それを現実だと信じていました。 想像が生まれる背景には必ずきっかけがある 今回、親戚のおじさんが向かいのベッドにいると信じこんでしまった背景には、調べていくとちゃんとした理由がありました。 それは、看護師の声です。甲高い看護師の声が、親戚のおじさんの奥さんの声に似ていたのです。 その看護師がいつも病室にやってくるために、親戚のおじさんも、父と同じ病室に入院しているに違いないと信じてしまったのです。

  • 【肺がん脳転移・手術後】霊体験をする[脳腫瘍がもたらす幻覚か]

    【肺がん脳転移・手術後】霊体験をする[脳腫瘍がもたらす幻覚か]

    肺がんの脳転移による悪性脳腫瘍を抱えた父は、無事に手術やガンマナイフ治療を終えました。 脳腫瘍によって、手術前から、これまでとは明らかに違う父の行動に驚かせられ、ショックを受けてきました。 しかし、手術後になると、手術前とはこれまた違う行動を示し始めるようになりました。 前回のブログで書いた、病院から無意味に抜け出そうする行為も術後に現れた現象の一つです。 他には、霊現象的なことも度々口にするようになりました。 今回は、そのことについて書いていこうと思います。 ICUで女の子の叫び声を聞く 父は、小脳と前頭葉に腫瘍を抱えていました。 そして、最初に行った小脳の手術を終えた後、合併症の脳内出血が発生しています。 いっときは、そのまま亡くなってしまう可能性さえもありました。 そのため、術後しばらくはICUにいることになりました。 ICUであってもお見舞い行くことはできました(ただし面会時間はかなり限られている)。 術後から何日か経った頃に父に会いにいくと、なんと女の子の泣き叫ぶ声がずっと聞こえていたというのです。 あまりにもうるさくて、全然眠れなかったそうなのです。 ICUなので、もしかしたら、急病の女の子が運ばれて来たのかもしれません。 しかし、警察も捜査でICUに来ていたというというのです。 女の子叫び声の件で捜査に来ていたのだろうと推察していました。 話はそれっぽいんですが、どうにも信じられません。 そもそも、警察がICUにまで入ってくるものなんでしょうか。 警察や病院については詳しくないので絶対にあり得ないと言い切ることはできませんが、とにかく父は本気でした。 霊の存在を示唆する さらに、女の子の叫び声は、霊の仕業なのかもしれないと言い出したのです。 女の子が、事故か何かにあってICUに運ばれ、そのまま亡くなってしまったものの、今でも霊となって彷徨っているのだろう言っていました。 父はもともと、非現実なことはあまり言わない人だったので、このような発言をしたことには正直驚かされました。 霊現象ならば証明のしようはありません。 しかし、実際のところは、父は脳腫瘍やそれに伴う手術によって幻聴を聞いていたのだと思います。 前頭葉の腫瘍が影響しているのだと思いますが、この頃の父は幻聴を聞くようになっていました。

  • 【肺がん脳転移・手術後】帰ることができないのに帰ろうとする[プリズン・ブレイク]

    【肺がん脳転移・手術後】帰ることができないのに帰ろうとする[プリズン・ブレイク]

    ドラマの「プリズン・ブレイク」の主人公であるマイケル・スコフィールドも脳腫瘍を発症しますが、今回はそういう話ではありません。 とはいえ、マイケルも何度も頭痛に悩まされる場面があり、あれを見ていると、なんとも言えない気分になりますね。 いずれにせよ、今回のブログタイトルにつけた「プリズン・ブレイク」とは、肺がんの脳転移によって、父に現れたおかしな行動のことを指して付けました。 病院から本気で抜け出そうとする さて、無事に手術を終えた父ですが、術後の父は少し行動がおかしくなっていました。その1つが、病院を抜け出そうとすることです。 本来、父は絶対にそんなことをしようする人ではありません。病院(他人)に迷惑をかけることはとても嫌う人です。そんな父が、本気で病院を抜け出そうと考えていたのです。 ある日、私がお見舞いに行くと、「バイクで来たか?」と聞いてきました。 なぜかと聞くと、「バイクに乗って帰ろうと思っている」と言い出すのです。 冗談かと思っていたのですが、真面目な顔でそういってくるのです。 それこそ、「本気で言っているのか?」と聞くと、「なにかおかしいことを言っているか?」と聞き返される始末です。 ただ、なぜか電車では帰れると思っていなかったようです。とにかく、術後しばらくは、お見舞いに行くたびに、どうやってきたかを毎回聞かれていました。 まともに歩けないのに脱走を試みる 手術を終えたばかりの父は、実は歩けなかったのです。 すでに取り除いてはいましたが、やはり小脳に発生した腫瘍が影響していたのだと思います。 そのため、手術は、ずっとベッドで寝ていることしかできず、トイレも介助が必要な状況でした。それなのに、病院を抜け出せると本気で考えていたのです。 ただ、全く歩けないわけではなく、フラフラとよろめきながらも、壁伝いに歩くことはできました。 もちろん、そんな状態で歩ける距離はたかが知れています。せいぜい10メートルほどです。 しかし、父は脱走を本気で考えており、実際にベッドから自力で下りて、廊下にまで出て抜け出そうとしたそうなのです。 すぐに看護師に見つかってしまい、事なきを得ましたが、本当に迷惑な話です。 結果として、父のベッドには、振動があるとナースコールが鳴るように設定されてしまいました。 脱走を考える理由

  • 【肺がん脳転移・手術後】春ウコンの摂取を再開するも断念[入院中は難しい]

    【肺がん脳転移・手術後】春ウコンの摂取を再開するも断念[入院中は難しい]

    前回のブログより、ガンマナイフという放射線治療も終えることができました。 脳腫瘍が発覚してからというもの、検査、手術、ガンマナイフ治療と、本当にいろいろなことが立て続けに行われ、それはまさに本当に激動ともいえる状況だったと思います。 よくもまあ、何とかここまで頑張ることができたといった感じです。 春ウコンの摂取再開を試みる 無事に手術・治療が終わると、是非とも取組みたいことがありました。 入院と手術によって中断していた春ウコンの摂取を再開することです。 ※少し前のブログでも、春ウコンのことは書いていますので、そちらをご覧ください。 しかし、脳腫瘍を摘出してからは、父の体力はかなり低下していました。 一次的に歩けなくなっていましたし、なにより、飲み込みや咀嚼といった機能も低下していたので、食事は嚥下食となっていたのです。 そのため、春ウコンの錠剤を飲ませることはかなり至難の業であるということがわかりました。 父1人ではとても管理しきれない 病院には何も言わずにこっそりと飲ませようと思っていたのですが、誤嚥の危険性もあり、とても飲ませられる状態ではありません。 なにより、勝手に飲ませて不測の事態を発生させてしまうと、それこそ洒落になりません。 誤嚥性肺炎などになると、命の危険さえもあります。 そもそも、父が自分で飲む薬を管理すること自体が難しかったので、別途で春ウコンを飲むということどう考えてもできる状態ではなかったのです。 この時は、確か、1日分の春ウコンを6回〜7回に分けて、袋に小分けしていたのですが、これを、脳腫瘍の摘出手術をしたばかりの父に適切に飲ませようと思うとかなりハードルは高いです。 ずっと側にいて飲むのを手伝ってあげれば可能かもしれません。 しかし、お見舞いに行くだけでも大変な状況下です。少し遠い病院に入院していたので、行くだけでもヘトヘトになってしまうのです。 実際、私は仕事があったので毎日お見舞いには行けていません。母親は毎日行っていましたが、真夏ということもあり、毎日クタクタになって帰ってきていました。 父の体力だけではなく、私たち家族の体力的にも、難しい話だったのです。 そういうわけで、春ウコンの摂取は、退院まで断念せざるを得なくなりました。

  • 【転院】ガンマナイフ治療を受ける[肺がん・脳腫瘍]

    【転院】ガンマナイフ治療を受ける[肺がん・脳腫瘍]

    小脳と前頭葉に肺がんの転移性脳腫瘍が発生した父ですが、とりあえずは、無事に手術やら検査は終わりました。 合併症の脳内出血が発生したり、腫瘍を取り出せずにリザーバーチューブを設置する手術になったりということもありましたが、まずは命を繋げたことにホッとしました。 もちろん、依然として余命が半年であることは変わらないのですが。 しかし、まだ脳の治療は終わっていません。ガンマナイフ治療が残っていたのです。 放射線治療をするのは分かっていた 父に脳腫瘍が発生した時点で、放射線治療を行うことは分かっていました。 そもそも、腫瘍が2つともゴルフボールくらいの大きさがあったので、外科手術などができるとは思っておらず、放射線治療くらいしかできないだろうと思っていたからです。 結果的には、手術をして小脳の腫瘍だけは取り出すことができたのですが、今となっては本当に幸いでした。 前頭葉に腫瘍が残っているのは確かに残念ではありますが、脳幹に近い小脳の腫瘍が残っていることを考えると、本当に恐ろしいからです。 どんな放射線治療を行うのか不安だった 放射線治療を行うことは前述の通り予想はしていましたが、不安もありました。 特に、全脳照射については、ネットで調べてみると、認知症などを併発するとあったので、実はこれはあまりやってほしくないと考えていました。 ただでさえ、前頭葉の腫瘍の影響で、認知症のような症状がでている状態でしたので、なおさらです。 そのため、医師からこの全脳照射だけは提案されたくないと思っていました。 私の性格上、医師からの提案に反論するなんてことはできないからです。 しかし、結果的にはガンマナイフという治療を提案されました。 これは、全脳照射と比べて副作用も少ない治療ですし、本当に有難かったですね。 ガンマナイフとは このガンマナイフという治療法は、ガンマ線の細かいビームをレンズの焦点のように病巣部(腫瘍)のみに集中照射する方法です。 そのため、照射を受けた腫瘍のみがその影響を受けて徐々に凝固・壊死するのであって、頭皮や、骨、脳、血管、神経などの影響は最小限に抑えられます。 実際、全脳照射による副作用の懸念から、現在はこのガンマナイフ治療が実施されることが多いようです。 このように、とりあえずは、副作用の心配はなくなりました。

  • 【脳脊髄液検査(腰椎穿刺)】脳腫瘍の手術後に行われた検査

    【脳脊髄液検査(腰椎穿刺)】脳腫瘍の手術後に行われた検査

    肺がんの脳転移によって、小脳と前頭葉に脳腫瘍が発生した父ですが、なんとか手術は終わりました。 小脳にできた腫瘍は「開頭腫瘍摘出手術」で摘出できました。 前頭葉の腫瘍は「穿頭手術」という方法で、腫瘍内の液体を抜き取れるようになりました。 いずれにせよ、短期間の間に脳の手術を2回も行ったので、家族側である私にとっても、気の休まることの無い時間が続きました。それこそ、手術では合併症の脳内出血が発生するなど、本当に大変だったのです。 いつの間にか行われていた「脳脊髄液検査」 大きな手術を2回も行ったわけですが、検査もこれまでたくさん行ってきました。 たとえば、MRI検査やCT検査は頻繁に行われていましたし、心電図、HIVの検査、心臓超音波検査などもありました。 ※詳しくは、以下の記事に書いています。 そして、術後には、「脳脊髄液検査(腰椎穿刺)」という検査も行われていました。 この検査、するとは聞いていたものの、いつの間にか母親が説明を聞いており、いつの間にか実施されていました。 これまで、「手術」については、私が説明に来るように指示され、手術の同意書にもサインしていていたのですが、この検査については母親が行っていたのです。 手術ではなく検査なので、合併症などのリスクが高くないということなのでしょうか。 なんにせよ、医師からの説明を聞くのは精神的に辛いものがあるので、母親が言ってくれたことは有難かったです。 なんだか恐ろし気な「脳脊髄液検査」 上述の通り、検査をするとは聞いていましたが、改めて検査の内容を見てみると、少し怖い検査だなと思いました。 具体的には、側臥位(横向き)になり、おへそを見るような格好で寝て、背中を付きだすような態勢になります。 それから、麻酔を注射して、長さ約7㎝の太めの針を、骨(腰椎)の間から髄液腔(髄液が流れているところ)に刺して、髄液を採取するという検査です。

  • 【2回目の手術】前頭葉に転移した腫瘍の摘出[穿頭手術]

    【2回目の手術】前頭葉に転移した腫瘍の摘出[穿頭手術]

    肺がんの転移性脳腫瘍の摘出手術の2回目です。 1回目は小脳の腫瘍を取り出しましたが、2回目の今回は、前頭葉の腫瘍に対する手術です。 ※詳しい手術の内容については、前回のブログの通りです。 手術内容を簡単に説明すると、今回の前頭葉の腫瘍については、取り出すのではなく、穿頭手術という、リザーバーチューブを腫瘍に突き刺して、腫瘍の中の液体を取り出せるようにするという手術です。 つまり、腫瘍は液体を抜かれてしぼむものの、脳内に残ったままになるということです。 また、この液体はまた増えてくるので、都度抜かなければならりません。そのため、摘出のように、完全に取り切るというわけではありません。 手術日がやってきた 術後に合併症が発生した小脳の手術が7月5日。 ここで昏睡状態になってしまったことから、残った前頭葉の腫瘍の手術はどうなってしまうのかと心配していましたが、7月8日に手術の説明があり、予定通り7月11日に手術を行うことになりました。 目まぐるしいペースでいろんなことがあるので、息つく暇さえないような気分でした。 心配するだけでも疲れるのに、これだけのスピードでことが進むと、まさに疲労困ぱいとなります。 ただ、素早く対応してくれるのは、大変有り難くもありました。 癌は、時間が経過するとともに悪化していきますから。 肺がんのときがそうでしたが、状態がどんどん悪化していくのに、どうすることもできずに待つというのも、なかなか辛いものがあります。 今回の手術そのものについては、小脳の手術の時ほど心配はしていませんでした。 脳にチューブを突き刺すというのは怖いですが、もっとも怖いのは出血なので、摘出しないという点で、その不安はあまり感じてはいませんでした。 摘出してほしいという気持ちもありましたが、前回のように脳内出血が発生してしまうのは恐ろしいですし、摘出した場合の後遺症も不安でした。 摘出を試みた場合には、寝たきりになるほどの後遺症もあり得ると言われていました。 なにより、余命は半年と言われていたため、これ以上無理はさせたくないという思いが私にはありましたし、執刀医の先生にも当然あったと思います。

  • 【再び余命宣告】前頭葉の転移性脳腫瘍に対する手術の説明[穿頭手術]

    【再び余命宣告】前頭葉の転移性脳腫瘍に対する手術の説明[穿頭手術]

    肺がんの脳転移によって、小脳と前頭葉に腫瘍が発生した父ですが、小脳の腫瘍については、7月5日に開頭腫瘍摘出術によって取り出すことができました。 ※この時のことは、下記のブログの通りです。 小脳の摘出においては、術後に、脳内出血が発生し、いっときは生死の境をさまよいました。それでも、なんとか生還することができました。 手術の説明で、医師からまた指名される 小脳の手術が終わってホッとしたのも束の間でした。 次の前頭葉の腫瘍の手術についての説明があるということで、再び私が行くことになったのです。 小脳のときもそうでしたが、今回も母親ではなく私がまた指名されました。今は、子供に説明するのが一般的なんでしょうか。それとも、私の家族だけ特別なのか。 今度はどんなショッキングなことが言われるのか、不安で仕方ありませんでした。 医者からの説明は、本当に心臓に悪いです。 診察を受けるたびに白髪100本くらい増えていそうなかんじです。 手術の方針の説明 平成29年7月8日、前頭葉の腫瘍についての説明を聞くために病院に行ってきました。 7月5日に小脳の手術が終わったばかりでしたので、本当にあっという間です。 小脳の腫瘍についての手術は、開頭腫瘍摘出術という、頭を開けて腫瘍を直接取り出すものでした。 しかし、今回は、「穿頭手術」という​方法を行うことになりました。 以下のリンクである、小脳の手術の説明を受けたときのブログにも少し書きましたが、リザーバーチューブを使った手術のことです。 具体的には、前頭部に10円玉ほどの穴を開けます。そこから、超音波エコーを用いて、腫瘍の位置を確認します。 次に、リザーバーチューブと呼ばれる細い管を、腫瘍に穿刺します。脳腫瘍内溶液が抜けるようになれば、チューブの末端をポートに接続し、頭皮下に留置するのです。 これにより、術後に腫瘍内に溶液が溜まっても、ポートに穿刺することで取り出すことが可能になるということです。

  • 【肺がん・脳転移】全身麻酔の後に起こった気になる症状[喉がおかしい]

    【肺がん・脳転移】全身麻酔の後に起こった気になる症状[喉がおかしい]

    父の小脳に発生した肺がんを原発巣とする脳腫瘍は無事に摘出できましたが、再手術も行ったため、一日に2回も手術を行いました。 一時は危篤状態にもなり、もう死んでしまうかと思ったほどです。なんとか手術を乗り越えられたとはいえ、本当に大変な一日となりました。 詳しくは、下記のブログをご参照ください。 術後の後遺症は 翌日に意識を取り戻せたことは本当に幸いでした。 とはいえ、開頭して脳腫瘍を取り出すという手術を行っただけに、後遺症などは本当に気になるところです。 実際、意識を取り戻した当時の父は、もうろうとしていて、呼びかけてもほとんど反応がありませんでした。何度も何度も父を呼んでいました。 全身麻酔のせいなのか、脳腫瘍が影響していたのかはわかりません。 呼びかけても反応が無いというのは、本当に不安になりますよ。 ただ、これは徐々に回復していきます。時間が解決していくことなので、安心してください。実際、父は数日後には話せるようになっています。 喉が潰れてしまっている 以上の通り、意識障害は気になるポイントではありました。 しかし、実際にICUへ父のお見舞いに行ったとき、もっとも気になったのは、喉の調子がやたら悪そうだったことです。特に、以下の2つの症状が心配でした。 ①痰がでる まず、やたらと痰を吐いていました。それこそ、肺がんの症状がでていたときのような状態です。 必死で、痰を吐きだそうとしていました。何度も何度も痰を吐くので、ティッシュでボウルがいっぱいになっていました。 もしかしたら、肺がんが再発したのではと思ったほどです。 まあ、これについては、肺がんの症状が出た時のトラウマのようなものがあったのかもしれません。 肺がんの兆候については、すでに以前のブログで書きましたが(以下のリンク)、咳や痰を頻繁にされると、本当に不安に気持ちにさせられます。 ②声が枯れる 他には、声が枯れていて、何を言っているのかほとんど分からないかったことも心配になりました。

  • 【脳腫瘍・術後】脳内出血による昏睡状態からの回復

    【脳腫瘍・術後】脳内出血による昏睡状態からの回復

    ​​肺がんの脳転移によって小脳と前頭葉に脳腫瘍が発生した父ですが、まずは小脳の腫瘍から摘出することになりました。 9時15分に開始された手術は、難なく成功できたかにみえました。 しかし、夕方頃に合併症の脳内出血が発生し、一時危篤状態となりました。 それでも、執刀医の尽力もあり、22時ごろから深夜に渡って再手術を行われ、無事に危険な状態を乗り切ることができました。 ここまでが、前回のブログの通りです。なんにせよ、本当に大変な1日でした。 再手術は成功しても油断できない 深夜の1時30分、なんとか再手術が成功して無事に生還した父ですが、依然として危険な状態にありました。脳内出血が再び発生する可能性があったのです。 そのため、引き続きICUで様子を見ながら、午前7時にまた連絡するとのことでした。 再手術が成功しても、まだまだ予断を許さない状態であることには変わりないのです。 しかし、さすがに、もうことの時は私も母親もクタクタになっており、家に帰ることにしました。 もちろん、そのまま、病院で7時まで待とうとも思いました。 しかし、まだまだ何が起こるのか全く分かりません。だからこそ体力を温存させる必要もあったのです。 それこそ、再び昏睡状態に陥ることや、そのまま逝ってしまうかもしれないという不安もありました。 しかし、そうなれば、さらに休むことはできなくなってしまいます。 だからこそ、見通しは立たなくとも、休める時に休もうと考えたのです。 問題なしとの電話が鳴る 家に帰ると3時過ぎだったと思います。 そっこうで寝ました。精神的にも肉体的にも疲労困ぱいでした。なので、この時のことはあまり覚えていません。 朝7時ごろ、母親に起こされました。 病院から電話があったのです。無事に、容態は安定しているとの連絡でした。 この時の気持ちは、言葉で表すのは非常に難しいです。 正直、ホッとしたのは事実です。嬉しくないはずがありません。 しかし、まだまだ油断はできないという気持ちも強く、心の底からは安心できない気持ちでした。 このときは、もう、一喜一憂はしたくないという思いでいっぱいでした。 良くなったと思えば悪くなるし、悪くなったと思えは回復してくるからです。

  • 【脳腫瘍摘出】手術後に合併症発生!昏睡状態となり再手術…。

    【脳腫瘍摘出】手術後に合併症発生!昏睡状態となり再手術…。

    前回のブログの続きです。父の肺がんの脳転移の手術が成功して、喜んでいたのも束の間、いきなり崖に突き落とされるような出来事が発生しました。 手術開始から完了まで 概要を簡単に説明すると、私の父は、肺がんの脳転移によって、前頭葉と小脳にそれぞれゴルフボール大の腫瘍が発生しました。 そして、まずは小脳の腫瘍を取り出すことになりました。小脳にある腫瘍は、生命維持機能を司る脳幹部に近く、緊急性が極めて高かったためです。 そして、手術当日、朝から予定通りに手術が開始されました。私は仕事だったので手術には同行していませんでしたが、それはもう不安でしかたありませんでした。 昼過ぎに、手術に同行していた母親から電話がはいりました。無事に手術が完了したとの連絡でした。 父はもう死んでしまうと思っていただけに、手術が無事に成功したとの知らせを聞いたときは、それはもう嬉しかったですよ。 突然の悪夢のような電話 手術成功の喜びも束の間でした。 仕事を終えて家に帰ろうと思っていた20時ごろ、母親から電話が入りました。 電話に出ると、父の手術が成功したばかりとは思えない、不安気な声です。 なんと、父が危篤だというのです! 昼過ぎに手術を終えて、そのままICUに運ばれていたのですが、夕方頃から急に容態が急変したというのです。全身麻酔でしたので、術後に意識が戻っていたのかは分かりませんが、癲癇を起こし、昏睡状態になっているというのです。 腫瘍を摘出した部位から出血が発生していたのです。 手術の成功を心から喜んでいただけに、急に崖に突き落とされてしまった同様は計り知れないものがありました。 急いで病院に向かう この知らせを聞いて、すぐに職場を飛び出しました。1秒でも早く父のいる病院に行かなければと思いました。 どうすれば、病院に早く着くか、脳をフル回転して考えました。職場からは10キロほどありますが、すぐに原付で行くことに決めました。 ある意味で、頭は冷静だったのかもしれません。しかし、やはり運転中は不安で不安でしかたありませんでした。 再手術が決定 病院に到着すると、急いでICUに向かいました。 ICU前にある待合室で母親を見つけたので、話を聞いてみると、これから説明があるとのことでした。 昏睡状態ながらも父はまだ生きていました。

  • 【肺癌・脳転移】開頭腫瘍摘出術

    【肺癌・脳転移】開頭腫瘍摘出術

    ついに、7月5日に父の脳腫瘍の摘出手術が行われることになりました。 ブログの標題に示した手術名の通り、頭を開けて腫瘍を取り出す手術です。手術を受けるのは父ですが、家族である私であっても、考えるだけで怖くなる手術でした。 とにかく、この日のことは、今でもしっかりと覚えています。 喜びと絶望の両方を味わえた、本当に大変な1日だったからです。 いやあ、本当に辛かった。このブログを書くことでまた思い出しているのですが、それでさえも辛いくらいです。 発覚から手術まで かるくこれまでの経緯を説明します。 脳腫瘍が明らかになった診察が6月23日。 入院が6月26日。 手術の説明が6月30日。 そして、ついに手術が7月5日に行われることになりました。 入院してからは、怒涛のように各検査が次々と行われ、あっという間に手術に至ったという感じです。 毎日いろいろなことがあるので、本当にめまぐるしい日々でした。 手術の内容 手術は、7月5日に予定通りに行われることになりました。 9時15分開始で、5.5時間の手術です めちゃくちゃ長い手術です。素人の発想ですが、そんなに長い時間、脳みそをむき出しにしていて大丈夫なのだろうかと本当に気になりました。 手術は、全身麻酔で行い(挿管・人工呼吸)、頭を固定して、後頭部から後頚部にかけて切り込み、小脳内にある腫瘍を取り出します。 前回のブログでも触れましたが、もし腫瘍の性質が液体を多く含むものであった場合(水風船のような腫瘍といえばわかりやすいか)、摘出そのものが困難である可能性も手術前から示唆されていました。 ちなみに、手術をするまでは、どのような性質の腫瘍かはわからないのだそうです。 腫瘍の摘出ができない場合 腫瘍が液体を含むものであり、摘出が難しいと判断された場合には、無理に取り出すことはせず、液体成分のみを取り出す手術に切り替える予定でした。 脳圧亢進状態を抑えることが目的とする処置です。 具体的には、リザーハーチューブというものを頭に指して、液体を抜き取るという方法です。 要は、頭皮から腫瘍にかけてストローのようなものを指します。これをすることで、随時、腫瘍から液体を抜き取ることが可能となるのです。 ただし、この場合は、腫瘍が頭に残ってしまうので、癌と共存するという形になってしまいます。

  • 【脳腫瘍摘出】手術内容が決まる

    【脳腫瘍摘出】手術内容が決まる

    父に肺がんの脳転移が発覚してからというもの、診察に行くということは辛いものでしかありません。腫瘍の画像、余命、ステージ、これからのこと、どれもが心に突き刺さります。 しかし、家族として、聞かなければならないときがあります。 嫌な予感しかしない医師からの指名 入院し、手術日が近づいてくると、医師から説明があるので病院に来るように言われました。母親が毎日お見舞いに行っていたので、もちろん母親に行ってもらうつもりでした。 以前のブログでも書いたことですが、私は父に脳腫瘍があると発覚したときの診察に同行しました。そして、医師からの余命宣告(数カ月)で、貧血になって失神しそうになりました。 気の小さい私は、衝撃的なことを言われるとダメなようです。あの時は、なんとか堪えることができものの、もう診察には極力行きたくなかったのです。 ところが、手術前、担当医が私に説明を聞いて欲しいと言ってきたのです。なんと医者からのご指名です。 そもそも、私でないといけない理由がわかりせん。高齢の母親よりも若者の方が理解できるからなのか。 それとも、もし手術が失敗した時などは、インターネットなどでにわかに知識を付けた子供の方がうるさかったりするケースが多いとかで、先に子供を抑えておくということなのか。 いろいろ考えてみましたがよく分かりません。 なんにせよ、嫌な予感しかないこのご指名。軽い内容であれば、こんなことするはずがありませんしね。 小脳の腫瘍摘出を優先させる理由 不安はありましたが、医師からご指名であれば仕方ありません。 母親も毎日のお見舞いで疲れが溜まっているようでしたし、ここは息子の私が頑張らねばと、気を引き締めて父の病院に行ってきました。 7月ということもあり、凄く暑かったのを覚えています。病院に到着した時にはもうヘトヘト。なんとか病棟に到着すると、小さな部屋に案内されました。 早速、手術の説明が始まります。資料やパソコンで、とても分かりやすく説明してくれました。 父には、右前頭葉と左小脳にそれぞれ腫瘍があります。とくに、小脳の腫瘍は、このままでは、水頭症や脳幹圧迫などといった命にかかわる危険があるいうことで、こちらを先に摘出するということになりました。 手術を急がないと、かなり危ないといった様子が医師からも十分に感じ取れました。

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