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  • エピソード10 私の逃避

    前回、中学時代に母がどれだけ尽力してくれたかの話をしたが 私はそれ以外にも母と兄には大恩があり、かつ負い目がある 高校を中退して私は1年間引きこもりをしていた マジでガチの引きこもりだった、部屋から出ず、出るときは病院に行くときだけで、それも家の前にタクシーをつけてもらって帰りも病院からタクシーで帰るような(車を運転できる人間が家にいなかったためだ) そのレベルで引きこもりをしていた 部屋で何をしていたのかと言われるといまだから言えるが大半が何もしていなかったが 唯一やっていたことが出会い系だった 当然引きこもりなのだから実際にあったりはしない (この頃はまだ) ただ適当に目についた掲示板で適…

  • エピソード9 先生と私

    中学生の時、私はいじめられていた いじめられていたのだと思う、恐らく いじめの相手は中学1年生のときの担任だった 担当は英語で、高い声で喋る、生徒をあだ名で呼ぶタイプの女性の先生だった きっかけは何かと言われたらもうわからない 我が家が飲食店をやっていて、それが他の生徒に比べると「格が落ちる」だとか 商売をやっていたからお昼はいつもお弁当ではなく購買のパンだったからだとか 入学して早々に先生の発言に反論してしまったからだとか 驚くほどに英語が苦手だったからだとか まあそういう小さいことの積み重ねだったのだろうし あるいはもしかしたら、理由なんてなかったのかもしれない もっといえば、いじめなんて…

  • エピソード8 母と私

    前回の話の終わり的に、今回は中学生の時の話をしたいと思う が、その前に丁度最近母とした喧嘩、というよりも母から受けた説教について、 と私の母について少し話をさせてほしい これはまた別の機会に書かせて貰うが、以前にも書いたように父は機嫌が悪ければ物を投げて怒鳴る人だった 殴られたことはないのがきっと父にとっては最後のラインだったのだろうがこちらからすればどちらであっても変わらない話だ 母は病気で倒れてから、そんな父との関係の中で精神を病んで一緒に暮らすことができなくなってしまった これもまた別の機会に書かせて貰うが、結局父とは別居しており、いまだ離婚は成立していない それから母は感情の起伏を抑…

  • エピソード7 受験と病気

    家の、というよりは母の方針で私達兄弟は全員中学受験を行う予定だった それもまた当時随分と母と父で方針でもめたそうだが、それを知るのは随分成長してからのことだった 子供に将来やりたいことが出来たとき、「もう今更目指せない」という状態にならないようにいつであってもなんであっても子供が望む教育は全て与えるという考えだった母と 子供には勉強よりも大切なものがある、中学高校を卒業したら早く働きに出して家にお金を入れるのが親孝行だという考えだった父 どちらも自分がそう育てられたからこその意見だったせいか、最後まで相容れることはなかったけれど、 唯一の幸いは父は私達子供に全く興味がなかったので、 母が小学校…

  • エピソード6 わたし

    このエッセイに登場するメインの人々はおおよそ紹介出来たのでここからやっと本題に入ろうかというところ 今回はいまだ登場人物紹介できていない、最後の一人、私について綴らせて貰おう 本題まで随分かかったものだけど、ゆっくりと、ゆっくりと綴らせて頂きたい どこの家庭にもある、日常の風景を 今回は私が小学生の時の話をしようと思うのだが、偶然にもその話と繋がる出来事が丁度今日起きたのでそれも合わせて綴っていこうと思う 今日私は耳鼻科へ行った 理由は半年以上前に開けたピアス穴が膿んでいるので、いくらなんでも未だに膿むのはおかしくないか、程度のもの それから、最近耳の聞こえが悪いのでついでに見てもらおうと思っ…

  • エピソード5 姉と私

    前回兄の話を続くとしたが、やっぱり一旦置いておくことにしよう 特に理由はない、ただでさえとっ散らかっている文章をこれ以上とっ散らかせないためだ 順番で行くと次は姉について話すべきなのだろうが、姉についてはどこから話してどこまで話せば良いかがわからない まず前提として、私は姉が好きではない また姉も同様に私を好きではない だからきっと今回のエピソードはいつも以上に私の主観が入ってしまう 姉は私を要領と外面の良い都合のいいところだけ持っていって全部を自分に押し付ける妹と思っており 私は姉をどんな失敗をしても癇癪を起こしてヒステリーを起こして最後には仕方ないで許されて甘やかされてきた長女として 見て…

  • エピソード4 兄と勉強

    ところで、このエッセイ(もはやエッセイというよりも日記に近い)がどこまで続くのか不安に思われる方もいると思う これは私が敬愛する佐久間一行さんという芸人さんが、「このネタはあと二分くらい続きます~、時間わかるほうがいいと思って」とネタ中に言うというネタがある それと同じで私のこのエッセイ(だからもはやエッセイではないけれど)もどんな流れになっていくのかわかったほうがいいかと思う ちなみに芸人さんは好きだしお笑いも好きだ テレビに出ていない芸人さんが好きだ、ここ10年ずっとLLRさんが好きだ お笑いは良い、疲れてるときも悲しいときも死にたいとたとえ思っても座席に座って幕が上がれば勝手に笑わせてく…

  • エピソード3 父と母

    エピソード3 父と母の話 私の父と母はお見合い結婚で、所謂政略結婚に近い結婚だった 母方の曾祖父が一代で作り上げた成り上がりの財を 祖父が元華族の祖母を嫁に貰うことで面目を保ち 見合いの席では「何もせず編み物をしていてほしい」と言われたのに結局豆腐作りは全て祖母がやっていたという結婚生活はまるで私の両親を見ているようで、血は水よりも濃いものだと思い知らされる そして、その跡継ぎ問題と面目は母と父の代となっても変わらなかった 母の家が前述通り一代でなしあげた財を豆腐屋という形で更に大きくしたのが母の両親、私にとっての祖父母だった そして、なしあげた祖父母が次に求めたものが跡継ぎである 母には姉が…

  • エピソード2 父と私

    私の父は家に帰ってこない人だった 飲食店を経営していた為か、店舗の上に居住スペースが有りそこに寝泊まりしていた きちんと自宅があるのだから帰ってきてくれと何度言っても帰ってこなかったと、ある程度成長してから母に聞かされるまで私はそれが普通だと思っていた かと言って仕事熱心だったタイプではなく、自分が嫌になると何時であろうとも店を閉めてパチンコや麻雀に行ってしまう父親だった そのため私は初めて父と同じ家に寝泊まりをしたのは商売を畳んだ20歳になることのことで、その頃になると父を父親、という関係として見ることはできなくなっており、家に知らないおじさんがいるという緊張感とともに過ごすことになった 子…

  • エピソード1 幼稚園

    おそらく私の中で一番古い記憶は幼稚園のときに4人乗りのブランコ、というんだろうか 二人ずつ座れる椅子が向かい合わせに箱型になっていて4人座ることができて揺れる遊具、そういえばゴンドラとも呼んでいたような気がする それに、今となっては一体誰だったかすら思い出せないけれど当時仲が良かった女の子、仮にAちゃんとしておこう そのAちゃんと二人で乗っていた記憶だ そのAちゃんはひどく可愛らしくて、そして今思えばひどく束縛家だった 例えば私が他の女の子と話そうとするととても怒るのだ、ごっちゃんの友人は私だけでしょといって なんというか、今もなのだけど今以上に流されやすかった私は、あっそうなんだとそれを受け…

  • エピソード0 最終話

    20代後半実家暮らし父親はいない母親は足腰を悪くしているから介護状態とはいえ本格的な介護ではなく、近場、例えば近所のコンビニやスーパーなら一人でも出掛けられるただ電車に乗る距離になると付き添いがいないと出掛けられないだから電車に乗る距離の外出にはいつもついて行く多分本格的な介護をしている人からすればその程度って位のものその程度の軽い介助自分も心臓に持病があるから一人暮らしして発作が起きるのが怖くて、持ちつ持たれつ暮らしてる幸い仕事も在宅の仕事だから丁度良いんだと思う兄弟は、私と違って仕事が忙しくて世界中飛び回ってる会う度いつも私にばかり任せてごめんと言ってくれる手伝えない分、と必要な費用は持っ…

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