ここ5年くらいでしょうか。仕事をリタイアしてから「出先の駅で家に帰れなくなる」という夢をよく見るようになりました。かつて仕事で遠方の会社や工場に取材にいくことがちょくちょくあり、駅の路線図を確認し時間調整をした、その記憶が「もしできなくなっ
ここ5年くらいでしょうか。仕事をリタイアしてから「出先の駅で家に帰れなくなる」という夢をよく見るようになりました。かつて仕事で遠方の会社や工場に取材にいくことがちょくちょくあり、駅の路線図を確認し時間調整をした、その記憶が「もしできなくなっ
離れて暮らす妻がおよそ1年ぶりにわが実家にやってきた。これまで毎年お盆にはお墓参りに来てくれていたが、昨年は雨予報のため見送ってもらった。ひとりで暮らす高齢の母を世話するため私が実家に戻った3年半前から別居生活が続いている。昨春は耐火レンガ
2月末に種芋を植えた春ジャガイモの芽がようやく出そろった。そしてこのところの初夏のような陽気でよけいな草の芽も生えだしている。このくらいならばまだ気にならないと放っておくと、後で厄介なことになるので注意が必要だ。昨年は気付いたらジャガイモの
小学生の頃、僕と2歳下の妹の二人で座敷で「電気あんま」を掛け合って遊んでいたことがある。「電気あんま」をご存知ない方のためにちょっと説明しておくと、それは体を仰向けにしたまま両足首を握り、相手の股間に足裏を押し当て、断続的に刺激を与えるもの
記事一覧掲載の画像はphoto by Lindsey K / Pexels「熱いお風呂に入ると日本人でよかったと思うけど、アメリカ人、ドイツ人のそれは何だろう?」。そんなツイートが僕のタイムラインに流れてきた。「熱いお風呂」以外にも「美味し
バターは1個がデカい塊を購入するようにしている。お安くはないので使い切りサイズに個包装された手間賃さえも支払うのがもったいないからだ。しかし包丁を使い自分で切り分けるのはなかなかに難しい。まな板の上に置き、銀色の包装紙を開き、刃を入れるが、
photo by photoAC夜8時過ぎに布団に入り、1時間ほど本を読み、仰向けになる。上手く眠りに入れそうと思ったのもつかの間、両足指がつりそうになる。一日中椅子に座りパソコン作業をしていたのがいけない。寝しなにグッと背伸びをして体をほ
まとまった休耕地を近隣の住宅団地の方々に家庭菜園としてお貸ししています。団地ができた当初に祖父が始めました。賃貸料はいただいておりません。賃借権の発生などいろいろ面倒なことが起こるのを避けるためすべて無償です。放ったまま荒れ地となり草刈りを
母の世話で一人実家に帰省して丸3年。この秋初めて干し柿を作りました。祖母が元気で僕もまだ幼かったころ。50年以上前のことです。古民家の母屋の軒先で祖母はよく渋柿の皮を剥いていました。それを祖父が2個対に紐で結び、竹竿に並べ掛けます。軒下の先
出逢って3ヵ月で結婚を決めいっしょに住もうとなった僕らは、まだ結婚指輪の準備もまだだった。指輪を作りにいくと刻印する日付はいつにするかとお店の人が尋ねる。同居を始める日以外は何も決まっていなかったのでその日にした。新居となるアパートにはまだ
Photo by Vie Studio / Pexelsこの冬で87歳になる母は4人姉妹の長女である。上に兄があるが、得意の洋裁で服を作ってあげたり実質的な世話役であったためか妹たちの信頼は篤い。なかでも7歳ほど離れた一番下の妹にはこのとこ
妻と離れて暮らしています。ちょうど3年前、私は高齢の母の生活支援をするため単身実家に帰りました。それまで妻と娘と暮らしていた家はリフォームし、小さな子どもを一人持つ息子夫婦を迎えました。以来、3ヵ月ほどの間隔で、私が帰ったり、妻が実家に来た
祖父が現役の頃から使っていたものだろう。きれいな長方形であるはずの砥石は滑らかにえぐられ、その年季の数を物語る。1992年、行年83歳で亡くなったのでそれから少なくとも30年、いや使用期間を考えたらきっと50年はいっている。昔は稲刈りや草刈
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人-修善寺-」を観た。アサシン善児が源頼家を殺害し損ね致命傷を負う。拾い子の弟子トウが使命を果たすが、善児もまたトウにより息の根を止められる。かつて善児により産みの親を殺されたトウの積年の恨みが爆発という凄ま
20年以上前のこと。実家のお盆は賑やかだった。まだ親父が元気で、叔母家族も一家で帰省してきていた。私と妹の家族それぞれの子が幼かったころは祖父母も含め総勢15名が築150年のちょっと傾きかけた古民家に集った。
午前6時53分。日曜早朝のわが家に玄関のチャイムが鳴り響く。
小学3年生で初めて男先生が担任となり、そのまま4年生に繰り上がった。すでに中年で経験豊富ゆえ子どものあしらいがうまかった。冗談を言っては笑わせ、共感のうちにみなのこころを導いていく、そんなタイプの先生だった。僕は4月5日生まれと学年一早かっ
最初の印象は「美しい」と言うのでしょうか。物語を構成するひとやもの、風景が瑞々しい存在感を放っています。それ自体の選択という手柄以外にも、それをひらたくかつ的確に表現した言葉の選択もまた一つの成果ではないかと思います。紙に記された文字が絵画のように連なり美しく佇んでいました。
血縁関係はないのですが、家が近いということで古い時代から村親せきとして懇意にさせていただいているお宅があります。僕の知るところでは先々代のご主人が家の者に邪見にされる(笑)と理由をつけてはわが家にたびたび茶を飲みに来ていたそうです。
両手を挙げて「無事」と言いたいところだが、若干そうでもなくなんとか63歳の誕生日を迎えることとなった。
父方の叔母は僕とひと回り違う。4人兄姉の末っ子で、僕が小学生のころ結婚し、埼玉県大宮郊外の貸家に住んだ。
新型コロナワクチン第3回目の接種を無事終えました。その直前離れて暮らす妻から電話がありました。
手始めに通路途中の掃き掃除をしていると坂道の下のほうから枝を挟む音が聞こえだした。道具を取りに下りるついでに確認すると同じ村内の年上のご婦人だった。
血圧測定とウクライナと更年期とポテトサラダと夏みかんの平均値
毎日血圧を測っています。5回計測し、最も高い値と最も低い値を除き、残り3値の平均を本日の血圧値としています。たとえば本日は…
昔むかし、僕が幼かった昭和30年代のころ、祖父は自転車で近くの繁華街まで出かけるとよく今川焼やくず餅をお土産に買ってきてくれた。
わかるわけもない相手のこの1年。それでも「来年もよいお年を」と口にする僕の「も」への微妙な、とはいえ思い巡らせば固い決意について
コミュニティ活動の先輩といつになく会話が弾んだので自分も映画が好きであることを打ち明け、自己紹介気分で好きな映画について語ってみた。
次女の娘の2番目がおっとりした長女に比べいろいろ活発でおもしろいという話になった。叔母の娘さんお二人自体も長女がマイペースであるに比べ、次女がしゃきしゃきして社交的であったので、次女の次女なんだから、たぶんうちの血ですよ、とご指摘すると驚くような反応である。
中学2年生の最後の頃だったと思う。バレーボール部活の町内大会で優勝したことがある。優勝といっても小さな町で中学は4校しかない。
妹がお裾分けをくれた入れ物はかわいいプラスチック容器。キッチン台の上に置き、夕飯づくりの作業をしながら、何気に蓋に記されている英文字に目が行く。
農家の叔父が長ネギとショウガをお裾分けしてくれた。 携帯で「あるか?」と聞かれたので「ない」と答えると「じゃあ、持っていくよ」と笑みを含んだ快活な声が届いた。
少年と母をたくさんの遊民たちが迎えたであろうある日のポケモンGO
それは平日の午後。ポケモンGOのフレンドを募集できるサイトにいつもとは異なる投稿がありました。
ひとはその存在の本質を確かめもせず、好きだとか、おすすめだとか感覚的にとらえていることが少なくありません。
僕は昔、腕時計の詐欺にあったことがある。実際の被害額は2万円であったが、はずかしくてつれあいには1万円と報告している。しかしもう1万円分くらいは大笑いされたので、彼女の評価は正しかった。
昨夜も目が醒め、過去の過ちに苦しんだ。還暦を過ぎて何を言っておるのかと笑われるかもしれないが数多くの失敗を引きずっている。
Wink「愛が止まらない」の歌詞「せつなすぎるバラード」はビリー・ジョエルではないか説
もし「愛が止まらない」の二人がカーラジオでビリー・ジョエルの「Just the Way You Are」のフレーズを聴いたら、恋心が一気に燃え上がるのではないでしょうか。なぜならその曲は二人の理想的な未来像であり、主人公の「素顔の昔」は、今現在の私たちであることに気づくからです
Kは生前最高位のブランドを僕に打ち立て、死後、友人としての最高位の戒名を与えるに相応しい人物だった
イーグルス「ホテル・カリフォルニア」は「呪われた夜」ですでに完成していた
昭和30年代半ば生まれの爺のセンチメンタルゆえ単なる世迷言かもしれません。ただ生きてるうちにこのことだけははっきりしておきたいと思ったので記しておきます。 晩夏のBGMはイーグルス(Eagles)で決まりなのであります。
誕生日に彼女にかける「おめでとう」はじつは僕自身への「おめでとう」でもあります。 かけがえのないひとが生まれたことに感謝する「ありがとう」がそこにあり、その日を今年も迎えられた「おめでとう」なのです。
結婚する前か、後だったか、いまとなってはもうどちらか忘れてしまったけど 僕と後に結婚することになる彼女は、あるいは僕と結婚したての彼女は 東京渋谷の宮益坂入口にあった昔東急文化会館と呼んでいたビル上階の映画館で 「フラッシュダンス」を観た。
BUMP OF CHICKEN「なないろ」は「おかえりモネ」の、そして僕のまさに主題の歌でした
なぜ聴くたびにこころが惹かれ、胸が熱くなるんだろうと思い歌詞を紐解いてみたら、独創的な比喩が導く圧倒的なリアリティに気づきました。
僕と彼女の一番のたのしみは野球場でのアマチュアの試合だった。夕方、小さな観客席にビールを持ち込んでライトの灯されたグラウンドをなんとはなしに眺めるのが好きだった。
たしかあれは渋谷宇田川町の坂のたもとにあった丸井がアクタスとかいう家具専門店であった時代だったと思う。 僕と彼女はエスカレーターに身を任せ、なぜ大きなテーブルを買わなくてはいけないか議論していた。
もしもお宅に広い庭があり、大谷石6個と95cm×30cmの擁壁用コンクリート板7枚、10 cm四方×210cmの角材が2本以上余っていたら、ぜひガーデンテーブルをこしらえましょう。とはいえ、そんなことはまずないと思うので、これは偶然かつ奇跡の産物としてご覧いただければ幸いです。
今日Twitterで「人生を楽しんでる風なひとがうらやましい。毎日仕事は不安だし、家に帰ってもひとりぼっち」的なツイートが巡ってきた。
庭で作業をしていると見知らぬご夫婦が訪ねてきた。近所でカギの束を拾ったのだという。知り合いもない地ゆえ最寄りの家に駆けこんだものと思われる。鍵の束には苗字の名札が付いていた。しかし困ったことにその姓はこの村に数件あるのだ。
SDGsの何の説明もなしにいきなり本題に入る夕方のTVニュース
幅広い層が観ているであろう夕方のTVニュースの冒頭で「今日のテーマはSDGsです」なんていきなり言われると「あっ、ちょっと待って、それ何の略だっけ?」となるのは歳のせいでしょうか。
昨夜、十数年ぶりに同じ場所を訪ねる夢を見ました。それはアパート1階の小さな1室です。向かって右から2番目か3番目か、僕は久方ぶりにそのアパートを訪ねます。
朝の連続ドラマのオープニング曲の歌詞で聞き取れない部分がある。それにいつも不快な気分にさせられている。
家族で夕飯を食べているとき、我がつれあいは自分でこしらえたおかずを差し置き、わざわざ冷蔵庫から納豆と取り出し、新しいおかずとして食事を進めることがよくあった。
園芸の勉強をしてみるとどうにも不可解な事実に気づいた。それは「定番のマニュアルがない」ことだ。
ここ数年、テレビのインタビューを受けた方々の多くが「~の気持ちでいっぱいです」とおっしゃいます。
息子の嫁さんのご実家に筍を送った。しかし到着予定の日の夜になってもお礼の電話が入らない。
陽気に誘われ筍を掘った。 大豊作で一輪車にいっぱいの収穫。 道路から上の山の斜面に竹林があるため、掘った筍は道に止めた一輪車まで降ろさなくてはならない。 そこに4歳年下の村の旦那が通りかかる。小学生の頃は先輩風を吹かせ遊んだ仲だから声をかけないわけにはいかない。 「筍食べる?持っていきなよ」
今朝ほかのブログを書いていて「万事休す」という文言を使いました。 そのときふと「急須」という言葉が思い浮かび「万事急須」という意味ありげな四字熟語が生まれました。
お店でいただいたり、チラシに添付されていたり、宝くじを買ったらついていたり、そんな失礼とは存じながら、どうでもよいお気持ちばかりの花の種を、いつか撒く日が来るだろうと、ずっととってありました
たぶんテレビからだと思うのですが、最近こんな言葉を知りました。「恩送り」。 通常、恩を受けたら、そのひとに恩を返すという意味で「恩返し」という言葉を使います。 そうではなく、受けた恩は、また誰かに送ってあげればよいという意味で「恩送り」なのだそうです。
大寒の後期ともなると 面も手も皮の厚い前期高齢者の野郎であっても さすがに手荒れの症状が現れてきた。
娘がTwitterのアカウントを削除するひとのことを「成仏する」と評した。 なるほど、言うに言われぬ不満をTwitter上でぶちまけている人は もうそうした不満解消の場を必要としなくなったという点で「成仏」はまさにふさわしい例えだった。
現在取り組んでいるサイトを地域の有力者に宣伝を兼ねてご案内したところ、すぐさまある人物を紹介してくださいました。
Twitterのメインアカウントを新しく作成し先祖返りした。きっかけは昨年押しに押した12月31日。紅白中の坂本冬美「ブッダのように私は死んだ」の歌唱あと。僕は自分のふがいなさに苛まれていた。
12月23日。クリスマスイブの前日。晴れているとはいえ最低気温3℃。白い霜が庭とその先の休耕田を覆った朝、バッタに出会いました。
NHKの朝のニュース番組「おはよう日本」の「まちかど情報室」のコーナーで、こみ上げる怒りをこころのうちに押しとどめ鎮める方法について紹介していました。
昭和14年、伯祖母は息子たちを連れ潮干狩りのできる実家に里帰りした
実家の古民家を解体した。その際未整理の写真が押し入れからたくさん出て来た。そこにセピア色に変色した貴重な家族写真がいくつかあった。
冷蔵庫の野菜室に週末はだいたい先週の残りと大根半切りがまるまる1本入ってる状態です。そこにつぎつぎと大根がやってきたのでありました。
夢を見た。僕は作詞家で、プロデューサーらしき男の発言にハッとする。「この『カーキ色』ってさ、こんな言葉あるの? 何色よ」「カアキ色?」「樺秋色?」「柿色?」さて、カーキ色ってなんだっけ。僕はまったく混乱してしまう。
「手前→奥→手前」なのか、「手前のみ」なのか、「ランダム」なのか、三つの選択肢で悩んでおります。
僕は高校1年生のたしか2月に盲腸から腹膜炎を患った。腹痛で学校を早退し、家で布団に横になっていたのに妹に大好きな瓶入りのサイダーを買ってきてくれと頼んだ。ギンギンに冷えたそれを一気飲みしたことが悪化の原因だと、今でも信じている。
ダンスのスタート位置に立ち不安そうにあたりを眺める彼女。ほどなく正面でスマホを構えているパパを見つけ満面の笑みでこちらに手を振る。その瞬間画面が少しだけ揺れた。
無理をして作り笑いをする必要はないだろう。しかし自らの苦悩を受け止めたその上で自分を笑い、その状況を笑える客観的な視点を持ち得ていただろうか。笑いで他者を救う術、それが自分を救うことにつながることを本当に理解していただろうか。
今日、もうすぐ解体する母屋の勉強机からKの暑中見舞いと年賀状が見つかりました。Kからの才気あふれるハガキは、まるで彼が生き返ったかのように懐かしく捨てるわけには参りませんでした。「お前とは一生のつきあいだよ」を体現すべく、ここにご紹介させていただきます。
さまざまな夫と妻がいます。幸、不幸はひとそれぞれでしょうが、いま僕はこのひとと夫婦になってよかったと感じています。
今年も夏の草刈シーズンがやってまいりました。お盆前に終わらせなければならないのに、梅雨明けは遅れるは、首が痛くて息がすぐ上がるは、でなかなか進みません。それはさておき、初日のビックリ出来事を2件ご報告。
お寺さんより今年もお盆の棚経の案内が届きました。感染予防に配慮し、僧侶はマスクを着用する旨断り書きが添えられていました。さらに希望であれば棚経の中止に応じるとのこと。長いお寺さんの歴史でこんなことは初めてなのではないでしょうか。菩提寺との関係も今後様変わりしそうです。
小学校の体育が苦手でした。通信簿は5段階評価でだいたいが「3」。鉄棒を握っても、グラウンドを走っても、ボールを打っても蹴っても、目立った活躍はほぼありませんでした。
実家のあるコミュニティの大事な宗教行事のひとつが今週末に迫っています。集落中央を流れる小川を挟んだ左右の山の頂にそれぞれ神が祀られ、その祠を清めなくてはなりません。そしてもうひとつ馬頭観音は長がひとりで清めるのが村の掟。
浪人時代、Kと僕は同じ部屋に住み込み、アルバイト生活を送っていた。
Kと僕はそろって大学受験に失敗し浪人生活に入った。そしてKの誘いで駅前の喫茶店でアルバイトをすることになった。
包丁に切れ味があるように、野菜には“切られ味”があるのをご存知ですか。以前から切って気持ちのよい野菜があったのですが、ああ、それぞれに個性があって、それぞれに味があるのだなと最近気付きました。
「南無」を宗教の世界に留めておくのはもったいないと今朝気付いた
母との朝食を作りながら、ふと、思い浮かんだのです。「今日に、南無阿弥陀仏だな」。そう、僕はそのとき「今日」という存在を前に「仏様、おすがり申し上げます」と唱えたのでありました。
僕が20代初めの頃働いていた広告会社の営業所は渋谷の道玄坂にあった。当時、営業所で制作チームの評判が最も低かったのが、ある女性チームリーダーだった。
なぜあのひとはジャーマンアイリスを救えと言ってくれたのか、咲き誇る花に触れ気付いたのでした。
母に教えを乞いトマトと小玉スイカの栽培に取り組むことにしました。
つれあいが布マスクを作って送ってくれました。ほかに心安らぐものが。単身赴任に持つべきものはやっぱり家族でありました。
50年後に蘇ったお習字界の「特選」と「金賞」どっちが上?問題
50年前悩まされた問題がいまだに人びとを悩ませているようです。「習字 金賞と特選」でググってみてください。2017年においてもなお「Yahoo!知恵袋」に疑問が寄せられているではないですか。
母が、父の顔を忘れたと言う。「これといった特徴がない平凡な顔立ちだった」と笑う。「だからときどき遺影を見るようにしている」のだそうだ。そして僕の妹が「なかなかの男前」と評したと続ける。この話、何かがおかしい。
差し出された熱燗徳利。若い店員さんの指を、不覚にも僕は上から握ってしまったのでありました。
母と同居をはじめて2ヵ月目の昨年末、実家の冷蔵庫の横のゴミ山を掃除したら奥底から20年前の未開封の養命酒が発掘されました。
今夜のメニューは子持ちカレイの煮つけ。焼きネギを添えようと思う。そこで庭先にある母の菜園からネギをおろぬいてきた。
LINEの途中でつれあいがこんなトークを送ってきました。「話は変わりますがキルタンサスって花、懐かしいので暇な時に画像検索してみて」。さっきまでやりとりしていたので忙しいわけがありません。僕はGoogleで「キルタンサス」と入力してみました。
正月から縁起でもない話です。昨年12月30日にカラスがたくさん舞い飛び、鳴きました。そのときは理由がわかっていました。しかし本日1月4日に同じようなことがおきたのです。
2007年1月31日、僕は親友Kを失った。いつものように夕方近くの公園の運動グラウンドに出掛け、8kmを走り終えたあと、スマホのメールを確認すると奥さんから今亡くなったとの知らせが入っていた。
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ここ5年くらいでしょうか。仕事をリタイアしてから「出先の駅で家に帰れなくなる」という夢をよく見るようになりました。かつて仕事で遠方の会社や工場に取材にいくことがちょくちょくあり、駅の路線図を確認し時間調整をした、その記憶が「もしできなくなっ
離れて暮らす妻がおよそ1年ぶりにわが実家にやってきた。これまで毎年お盆にはお墓参りに来てくれていたが、昨年は雨予報のため見送ってもらった。ひとりで暮らす高齢の母を世話するため私が実家に戻った3年半前から別居生活が続いている。昨春は耐火レンガ
2月末に種芋を植えた春ジャガイモの芽がようやく出そろった。そしてこのところの初夏のような陽気でよけいな草の芽も生えだしている。このくらいならばまだ気にならないと放っておくと、後で厄介なことになるので注意が必要だ。昨年は気付いたらジャガイモの
小学生の頃、僕と2歳下の妹の二人で座敷で「電気あんま」を掛け合って遊んでいたことがある。「電気あんま」をご存知ない方のためにちょっと説明しておくと、それは体を仰向けにしたまま両足首を握り、相手の股間に足裏を押し当て、断続的に刺激を与えるもの
記事一覧掲載の画像はphoto by Lindsey K / Pexels「熱いお風呂に入ると日本人でよかったと思うけど、アメリカ人、ドイツ人のそれは何だろう?」。そんなツイートが僕のタイムラインに流れてきた。「熱いお風呂」以外にも「美味し
バターは1個がデカい塊を購入するようにしている。お安くはないので使い切りサイズに個包装された手間賃さえも支払うのがもったいないからだ。しかし包丁を使い自分で切り分けるのはなかなかに難しい。まな板の上に置き、銀色の包装紙を開き、刃を入れるが、
photo by photoAC夜8時過ぎに布団に入り、1時間ほど本を読み、仰向けになる。上手く眠りに入れそうと思ったのもつかの間、両足指がつりそうになる。一日中椅子に座りパソコン作業をしていたのがいけない。寝しなにグッと背伸びをして体をほ
まとまった休耕地を近隣の住宅団地の方々に家庭菜園としてお貸ししています。団地ができた当初に祖父が始めました。賃貸料はいただいておりません。賃借権の発生などいろいろ面倒なことが起こるのを避けるためすべて無償です。放ったまま荒れ地となり草刈りを
母の世話で一人実家に帰省して丸3年。この秋初めて干し柿を作りました。祖母が元気で僕もまだ幼かったころ。50年以上前のことです。古民家の母屋の軒先で祖母はよく渋柿の皮を剥いていました。それを祖父が2個対に紐で結び、竹竿に並べ掛けます。軒下の先
出逢って3ヵ月で結婚を決めいっしょに住もうとなった僕らは、まだ結婚指輪の準備もまだだった。指輪を作りにいくと刻印する日付はいつにするかとお店の人が尋ねる。同居を始める日以外は何も決まっていなかったのでその日にした。新居となるアパートにはまだ
Photo by Vie Studio / Pexelsこの冬で87歳になる母は4人姉妹の長女である。上に兄があるが、得意の洋裁で服を作ってあげたり実質的な世話役であったためか妹たちの信頼は篤い。なかでも7歳ほど離れた一番下の妹にはこのとこ
妻と離れて暮らしています。ちょうど3年前、私は高齢の母の生活支援をするため単身実家に帰りました。それまで妻と娘と暮らしていた家はリフォームし、小さな子どもを一人持つ息子夫婦を迎えました。以来、3ヵ月ほどの間隔で、私が帰ったり、妻が実家に来た
祖父が現役の頃から使っていたものだろう。きれいな長方形であるはずの砥石は滑らかにえぐられ、その年季の数を物語る。1992年、行年83歳で亡くなったのでそれから少なくとも30年、いや使用期間を考えたらきっと50年はいっている。昔は稲刈りや草刈
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人-修善寺-」を観た。アサシン善児が源頼家を殺害し損ね致命傷を負う。拾い子の弟子トウが使命を果たすが、善児もまたトウにより息の根を止められる。かつて善児により産みの親を殺されたトウの積年の恨みが爆発という凄ま
20年以上前のこと。実家のお盆は賑やかだった。まだ親父が元気で、叔母家族も一家で帰省してきていた。私と妹の家族それぞれの子が幼かったころは祖父母も含め総勢15名が築150年のちょっと傾きかけた古民家に集った。
午前6時53分。日曜早朝のわが家に玄関のチャイムが鳴り響く。
小学3年生で初めて男先生が担任となり、そのまま4年生に繰り上がった。すでに中年で経験豊富ゆえ子どものあしらいがうまかった。冗談を言っては笑わせ、共感のうちにみなのこころを導いていく、そんなタイプの先生だった。僕は4月5日生まれと学年一早かっ
最初の印象は「美しい」と言うのでしょうか。物語を構成するひとやもの、風景が瑞々しい存在感を放っています。それ自体の選択という手柄以外にも、それをひらたくかつ的確に表現した言葉の選択もまた一つの成果ではないかと思います。紙に記された文字が絵画のように連なり美しく佇んでいました。
血縁関係はないのですが、家が近いということで古い時代から村親せきとして懇意にさせていただいているお宅があります。僕の知るところでは先々代のご主人が家の者に邪見にされる(笑)と理由をつけてはわが家にたびたび茶を飲みに来ていたそうです。
両手を挙げて「無事」と言いたいところだが、若干そうでもなくなんとか63歳の誕生日を迎えることとなった。
2月末に種芋を植えた春ジャガイモの芽がようやく出そろった。そしてこのところの初夏のような陽気でよけいな草の芽も生えだしている。このくらいならばまだ気にならないと放っておくと、後で厄介なことになるので注意が必要だ。昨年は気付いたらジャガイモの
小学生の頃、僕と2歳下の妹の二人で座敷で「電気あんま」を掛け合って遊んでいたことがある。「電気あんま」をご存知ない方のためにちょっと説明しておくと、それは体を仰向けにしたまま両足首を握り、相手の股間に足裏を押し当て、断続的に刺激を与えるもの
記事一覧掲載の画像はphoto by Lindsey K / Pexels「熱いお風呂に入ると日本人でよかったと思うけど、アメリカ人、ドイツ人のそれは何だろう?」。そんなツイートが僕のタイムラインに流れてきた。「熱いお風呂」以外にも「美味し
バターは1個がデカい塊を購入するようにしている。お安くはないので使い切りサイズに個包装された手間賃さえも支払うのがもったいないからだ。しかし包丁を使い自分で切り分けるのはなかなかに難しい。まな板の上に置き、銀色の包装紙を開き、刃を入れるが、
photo by photoAC夜8時過ぎに布団に入り、1時間ほど本を読み、仰向けになる。上手く眠りに入れそうと思ったのもつかの間、両足指がつりそうになる。一日中椅子に座りパソコン作業をしていたのがいけない。寝しなにグッと背伸びをして体をほ
まとまった休耕地を近隣の住宅団地の方々に家庭菜園としてお貸ししています。団地ができた当初に祖父が始めました。賃貸料はいただいておりません。賃借権の発生などいろいろ面倒なことが起こるのを避けるためすべて無償です。放ったまま荒れ地となり草刈りを
母の世話で一人実家に帰省して丸3年。この秋初めて干し柿を作りました。祖母が元気で僕もまだ幼かったころ。50年以上前のことです。古民家の母屋の軒先で祖母はよく渋柿の皮を剥いていました。それを祖父が2個対に紐で結び、竹竿に並べ掛けます。軒下の先
出逢って3ヵ月で結婚を決めいっしょに住もうとなった僕らは、まだ結婚指輪の準備もまだだった。指輪を作りにいくと刻印する日付はいつにするかとお店の人が尋ねる。同居を始める日以外は何も決まっていなかったのでその日にした。新居となるアパートにはまだ
Photo by Vie Studio / Pexelsこの冬で87歳になる母は4人姉妹の長女である。上に兄があるが、得意の洋裁で服を作ってあげたり実質的な世話役であったためか妹たちの信頼は篤い。なかでも7歳ほど離れた一番下の妹にはこのとこ