8年前の熊本地震、2度目の震度7の揺れを観測したのが4月16日だったんですね。ほぼ震源地の真上と言われた益城町には当時義姉と、少し離れた同町内に甥一家が住んでいたんです。相棒の兄はあの2ヶ月前に他界していて、義姉が一人住まいだったので、心配しましたっけ...その家はほぼ全壊...。まあ、義姉は軽傷だったし、近くに息子たちがいたのでうちは出る幕はなかったんですけどね。すごく心配したのが熊本市内に住んでいる姉と姪でした。とくに姪は10代の頃からの透析患者なので連絡が取れるようになってすぐに、我が家に避難するようにと勧めたんですよ。でも、とりあえずいつもの病院に行って待機してみる...って。中学生の時からお世話になってきた大病院ですからね...ああいう時は、そこに頼りたいという心理も解らなくはなかったんですけど...大地震と透析