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播磨灘のメモ帳。 https://blog.goo.ne.jp/himejiitikawa

時空を超えて、播磨灘の周辺を徘徊する 姫路の市川のほとりに住む 豆石煌、豆石光と、市川のカッパの

【姫路の海】、播磨灘は、特に古代においては、思っている以上に 重要なポイントだと思われます。 この解明に、一石!

播磨灘のメモ帳。
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2018/11/11

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  • 縄文時代の星空

    明石市立天文科学館のプラネタリウム番組令和5年3月の話題は『縄文時代の星空』です。現在の星空と、どこがどう違うのか??地球の歳差運動によって変化するのですね。理解するのが、むずかしいですぅ~縄文時代の星空

  • 室津からも見える家島の巨岩。

    以前にも、「コウナイの石の見えるところ」「変化する限界線」などに記しましたが、最近、観光地でもある「室津」からも家島諸島の西島の西部にある、家島の謎の巨岩、「コウナイの石」が、見えるようになりました。不思議なことです。万葉歌碑のある「藻振り鼻」、賀茂神社からも、、、室の明神!!あいかわらず、相生市域からは、見ることが出来ませんね。2020,10、末日。室津からも見える家島の巨岩。

  • ?文書。『万葉集の三山の歌と 播磨 』 ~播磨国風土記1300年~

    播磨灘の入り日。(秋分の日の頃)(本文の某会報への記載は、平成17年9月です。)(その後、市町合併のため、市町名称が変わっています)万葉の三山の歌と播磨。奈良の藤原京に都が移るよりも約30年前、まだ都が明日香にあった(661年)頃に、中大兄皇子(のちの天智天皇)によって詠まれた万葉集の「三山の歌」について論じたい。***************************<三山歌>中大兄(近江宮に天の下治めたまふ天皇)の三山の歌一首香具山は畝傍ををしと耳梨と相争ひき神代よりかくにあるらしいにしへもしかにあれこそうつせみも妻を争ふらしき(万葉・巻1-13)(反歌1)香具山と耳梨山とあいし時立ちて見に来し印南国原(万葉・巻1-14)(反歌2)わたつみの豊旗雲に入り日さしこよいの月夜さやけかりこそ(万葉・巻1-15)**...?文書。『万葉集の三山の歌と播磨』~播磨国風土記1300年~

  • 姫路城の忍者 の密書。

    ある忍者からの謎の手紙。1、はじめに。『情報は発信するところに集まる』とは、HP【理科教師日記】のオーナーの楠田先生のキャッチコピーである。まったく同感。ブログ趣味の私のところへも、いまだにヨク分からないが、どこかのカッパさんから、「天の原ふりさけ見れば播磨なる五色の塚に出でし星かも」の、訳のワカラナイ歌の情報が送られてきた。これを解明すべく、いろいろ思案した結果が、わたくしめの先の「五色塚」や「風水」関係の記事につながった。2、忍者からの手紙。それ以前の、今から8年ほど前、わたしがブログを始めたころ、ドロンパという名前の忍者から、ある戦国武将の機密文書を受けとった。この忍者ドロンポさんは、なンでも、姫路城に住み城内図書館の方からやって来て、とちゅうに播但線京口駅前・東ロータリーをぐるぐる回って、私のほうへ来た...姫路城の忍者の密書。

  • 聖徳太子の天球儀?・渾天儀?

    聖徳太子の渾天儀(こんてんぎ)?<兵庫県揖保郡太子町の総合公園に出現した、新遊具。>蹴鞠や、囲碁は、聖徳太子の時代に日本に伝わったと云う。このシンボリックなモノは、蹴鞠をイメージしたモノだという。うん~~~~ん、けまり、ねェ~??さらにその下部には、白と黒のオセロゲームかと思えるモノもある。実は、そうではなく、囲碁をイメージしたモノだと言う。(下の写真)★囲碁と渾天儀の共通項は・・・・??○天球儀?地球儀?○『聖徳太子の地球儀』なるものは、実在!兵庫県揖保郡太子町・斑鳩寺に伝わるオーパーツ。・聖徳太子の天球儀?・渾天儀?

  • 変化する限界線。(コウナイの石が見える・見えない)

    変化する限界線。この写真は、たつの市御津町岩見からの西島。(撮影;2009年9月)<西島の巨石「コウナイの石」は写っていない?>・第2ピークの頂上にある。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以前(2009年頃)「地図z」の「コウナイの石が見えるところ」などに記した。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ところが、このたび(2012年9月)数日前、姫路から国道250号線を通って、たつの市御津町の室津まで行くとき、再度、これを調べてみて私は、オドロイタ!!。今までの、見える場所の西端は、たつの市御津町の世界の梅公園の「尋梅館」だった。(2009年)(世界の梅公園の「唐梅閣」や、岩見港からは以前には、見えなかった。)ーーーーーー★ところがなんと、見える範囲に変化がみられたのである。(先日の、金環日食...変化する限界線。(コウナイの石が見える・見えない)

  • りゅう と 北極星。

    龍と北極星・1、りゅうとは何だ?「龍りゅう」を見たこと、ありますか?・一度だけ、私は、姫路市街の北の、広峰山で見たような気がした。それも真っ昼間に!。玉をくわえた龍神のはたらきか?・しかまォ、それを写真にも、おさめたつの~。↓(これは、りゅうではなく、麒麟だ!という声も・・・)(雲龍とビールは、合うかも!★?)飾磨・姫路(家島群島・男鹿島)上空に見られた・・・(左下に、姫路城も小さく写っています)広峰神社から、南望(アサヒではなく、午後の光に映える・・・・)◎撮影方向は、南23度西。(==北23度東)地図は、「広峰山加島ライン地図z」をご検索を、~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~2、夜空に舞うりゅう。①東方青龍---中国の伝説上の神獣・四神の1つ。◎四神---高松塚古墳、キトラ古墳(奈良・明日香村)にも。...りゅうと北極星。

  • さまよえる北極星(その3)~古代の『北』は7度西偏?~

    おことわり。★方位の『真北』は、現在・過去・未来にわたって変動致しません。(地球の歳差運動があっても)(地上の「北極点」や、「ホッキョクグマ」が移動しない限り。)その上で、お読みください。おことわり。その2.ーーおわび。下記の5.の熊山石積遺構・熊山遺跡(岡山県)の方位方向は、再調べの結果、北15度西でした。以前に「北7度西」と判断し記載したのは、誤りでした。(現在の磁北からさらに7~8度西偏でした。)訂正し、お詫び申し上げます。<(__)>。-----------ー-----------ーーー1、日本の古代(西暦600年ころ)の『北』は、今より7度西偏していた?と聞いた。--方位方向--(飛鳥時代:聖徳太子の頃?:1400年前ごろ)ホンマかいなぁ~~!!調べなくっちゃぁ~。(姫路のカッパは旅をする!)◎磁石の...さまよえる北極星(その3)~古代の『北』は7度西偏?~

  • さまよえる北極星(その2)~現在の『真北』を求めて~

    真北の求め方。1、おことわり。◎この記事は、まったくの素人の天文ファンが書いております。誤解の部分もあるかもしれません。ご検討くださいませ。◎表題を「さまよえる北極星」といたしましたが、さまよっているのは、オイラのアタマ??現在、北極星は天の北極の直近にあり、これを半径1度以下で周回しているように見えます。(目で見ても、その動きはなかなか分かりません)◎それに、やっぱり、表題がオカシイ!『真北』は、現代も古代も変わらないですから『現在に』とすべきでしょう。★わたしが、いま持っているものは、・定規・分度器・コンパス(磁針)・道路地図・パソコン(マップ)・そしてデジカメと三脚・めげた時計。縄と糸と五円玉。・それと、星のガイドブック。星座早見。マックシェイクのストロー。~~~~~~~~~~~~~~~~~~2、「北」を...さまよえる北極星(その2)~現在の『真北』を求めて~

  • さまよえる北極星(その1)~古代のポラリス~。

    ★おことわり。小・中学生のみなさんは、いまは「北極星の位置は、真北にあって、ホトンド動かない」と覚えてください。ついでに、その高さ(仰角)はその観測地の緯度と同じ、だと。~~~~~~~~~~~あなたは、18才以上ですか?~~・・・では、どうぞ。~~~~~~では、・・・↓★(北極星は動く!)というと、(また何をバカなことを!)と言われた。しかし!・・・(バカ?~?)というと、(北極星も動いたカモ!)と言われた。こだまでしょうか?★それに、このはなしは、現在の北極星の日周運動(直径が約1,5度の小さな移動)の話でもありません。古代・中世には北極星は、大きく動いていたという。未来にも!←(地上から見て!ですよ)★地球の歳差運動!古来、動かないのは、「天の北極」である。←(地上から見て!ですよ!)(見えぬけれどもあるん...さまよえる北極星(その1)~古代のポラリス~。

  • 〔風水ー10・追記〕揖保郡の条里制の方向・『北3度西』を思案する。

    写真は、2010年11月7日:四天王寺ワッソ:於、なにわの宮跡。(⇒下のコメント参照。)聖武天皇役は、浜村淳さん。========================================揖保郡の条里の方向について。◎旧・揖保郡の条里の方向は、ほぼ東西南北の正方位を向くが、より細かく表現すると、北3度西の方向であると言えると思う。◎旧・揖保郡ーーーたつの市・揖保郡太子町・姫路市西部。◎播磨国国分寺(姫路市御国野町国分寺)--北3度西。時代は異なる?。偶然?~~~~~~~~~~~~~~これは、何によるものであろうか?同一の方位・方向を呈するモノを調べていて、私は、少しおどろいた。順不同で羅列してみる。(1)纏向遺跡・巻向遺跡--(記載は「北5度西」)(地図は北4度西?)主軸は西5度南?(2)四天王寺ーーー聖...〔風水ー10・追記〕揖保郡の条里制の方向・『北3度西』を思案する。

  • 〔風水-9〕姫路の条里・条坊制の方向・『北23度東』を思案する。

    当ブログの、「風水シリーズ」のもくじ。「風水ー1」--姫路バイパスの、夏至の日の、日の入り。「風水ー2」--風水都市・姫路を思案する。「風水ー3」--姫路城下町と、その周辺。「風水ー4」--姫路市役所周辺・飾磨の屯倉(みやけ)。◎-----姫路、飾磨の思案橋。「風水ー5」--「津田の細江」から廣峯神社。◎-----思案橋から広峰山。◎--ー--伝説「吉備真備(きびのまきび)」播磨灘。「風水ー6」--ふしぎな中央南北幹線。「風水ー7」--姫路・明治時代の地図。「風水ー8」--播磨の条里制の方向について。「風水ー9」--姫路の条坊制の方向について---この記事。追記⇒「風水ー10」--揖保郡の条坊制の方向について。↓============================↓====<風水シリーズ・第9報>。姫路の条...〔風水-9〕姫路の条里・条坊制の方向・『北23度東』を思案する。

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