なりそこないのブログ
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住所
町田市
出身
東住吉区
ハンドル名
デスパパさん
ブログタイトル
なりそこないのブログ
ブログURL
https://www.desupapa21.com/
ブログ紹介文
ミニマリストとか色んな物になりそこねた人のブログです
自由文
-
更新頻度(1年)

348回 / 346日(平均7.0回/週)

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  • 先天性ミニマリストと後天性ミニマリスト

    ミニマリストは大きく分けて2種類ある。 先天性ミニマリストと後天性ミニマリストだ。 知らず知らずにミニマリズムが身についていたミニマリストと、 ミニマリストになろうと思ってなったミニマリスト。 どちらもミニマリストに間違いないが、 実はこの2種類は大きく違う。 今回のテーマ 先天性ミニマリストと後天性ミニマリスト 先天性と後天性の説明は簡単に言うと、 先天性「生まれつき備わっていること」 後天性「環境などが原因で持つこと」 どちらも病気でよく使う言葉だが、 今回はこの言葉を使う。 要するに生まれつきミニマリストなのかどうかという事だ。 ミニマリストに憧れを持つ人は後天性となる。 僕はやや、先天性ミニマリストであろう。 ミニマリストという言葉を知る前から 「ミニマルな生活」をしている。 子供の頃から整理整頓は得意で、 物もあまり持たなかった。 オギャーと生まれた時からそうだったのか?となれば 違うと思うので「やや」先天性ミニマリストと思っている 後天性ミニマリストは、ミニマリストという存在を知り、 その生き方が自分に合っているかもしれないと ミニマリストになった人としよう。 ミニマリストの存在を知らないでも、 自分にはミニマルな生活が 能力的に合っているのかもしれないと思った人も 環境によって持つ性質なため後天性となる。 先天性ミニマリストは 「気が付いたらミニマリストだった」という事が多い。 だからミニマルな生活を送る事に なんの「ストレス」を抱かないのだ。 「ミニマリズム意識しなきゃ」と思わないでも ミニマリズムが身についている。 息を吸うように当たり前のように無駄のない生活を送れるのだ 「やや先天性ミニマリスト」の僕が思う 「後天性ミニマリスト」印象は、 「ミニマリストになるために苦労している人」となる。 ミニマルな生活を送るためにイライラしている人とか見ると、 なぜそこまでしてミニマリズムにこだわるのだろうか?と 思ってしまう。 生きていて辛くないのか?と ミニマリストは「快適な生活を送っている人」のイメージが強い。 きっとみんなそれに憧れて ミニマリストになりたいと思っているのだろうが、 ミニマリストになってみて、 前の生活より生き辛くないか?なんて人もよく見かける。 後天性ミニマリストは苦労してる人が多いと感じる なぜミニマリストになったのか? なんて質問をされる事がある。 ぼくはその質問には 「もし自

  • めんどくさいと怠ったその一回でいつか泣く。たった一回が大事。経験値に差が出てくる

    いつもやっている事、習慣づいている事を 「今日は気分がのらない」などの理由でやらない時ってある。 今日一日、一回だけやらない。 「一回くらい大丈夫だろう」といつもやっている事を休む。 この一回がすごく大きい。 一回が目に見えて変わってくる時もある。 それでも今日の一回を休むのか? 今回のテーマ 一回一回の重み 2019年、ラグビーワールドカップが日本で開催されている。 今までラグビー見た事無いという人も、 日本開催という事で初めて観戦してる人もいる。 我が家もそうだ。 家族みんなラグビーを初めて見る。 解らないまま見ているが、 一試合毎にラグビーのルールや戦術が解ってくる。 一試合毎に目が肥える 初めて見る物だからかもしれないが、 一試合見る毎に蓄積される情報が大きい。 仕事の関係でラグビー観戦試合数が2試合ほど妻の方が多い。 この2試合は大きく、 スポーツがそれほど好きじゃない妻が僕よりも ラグビーに関して詳しくなっているのだ。 試合を見るという経験数が僕より上回ったのだ ラグビーを一試合余分に見るという経験の差、 これはラグビーに限らず なんでも一回一回の経験値は増えているはずだ。 人よりも一回多く、いつもよりも一回多くという行動は 「たかが一回」ではなく「されど一回」でもなく 「大事な一回」なのだ。 一回を怠る代償はきっとどこかで返ってくる。 サッカーの三浦和良選手。 誰もが知ってるキングカズ。 先日カズの練習風景をテレビでみた。 彼は合同練習などで、 例えば腹筋を100回するという練習で 他の選手は100回キッチリと腹筋をするのだが、 カズは「101回」するのだ。 人よりも一回、回数を多くする。 これが彼の強みなのだろう 腹筋一回、人よりも多くする事で差が付く。 一円で笑う人は一円に泣くでは無いが、 一回で笑う人は一回で泣く。 腹筋100回を101回するというのは 「人より多く一回」だが、 自分自身との勝負だと、 「一回しないよりも一回する」と言う事が大きな変化になるはずだ いつもこなしている事を一回余分に増やす。 筋トレの回数を一回増やす。 一か月に読む本の数を一冊増やす。 毎日掃除する場所を一か所増やしてみる。 たった一回だ。 「たった」だ。 「たった」と笑った人が「たった一回」増やせない時点で、 自分の事を笑っているのと同じ事だ。 はたして今現状やっている事に 「たった一回」増やせるだろうか? 「た

  • 自分が一時間作業したら何円分の作業なのか?自分の労力の時給を設定してみよう

    近所のスーパーよりちょっと遠いお店の方が商品の値段が安い。 時間と労力を使い遠いお店まで買い物へ行き、 クタクタになって帰ってくる。 はたして何円の節約になったのだろうか? 1000円?2000円? こういう話は大体値段が高くても 100円くらいじゃないだろうか? 今回のテーマ 労力をお金で換算する 100円安いお店に労力を使い買い物へ行く。 喉が渇いてジュースを飲んでしまえば もう何をやりたいのか解らなくなる。 労力はお金になる。 世の中、労力をお金に変えている。 それが仕事なのだ。自分の労力を安売りしてはいけない。 自分の時給はいくらなのか? 設定するのもありだ お勤めをしている人は大体自分の時給って計算できると思う。 収入と労働時間を割れば、難しい事を考えずに時給換算できる。 収入としてお金をもらってない人は 時給換算が難しいと思う。 計算が難しいなら自分で自分の時給を設定すればいい。 その設定に合った仕事を時間内にこなせばいい 自分の時給を1000円とする。 一時間の間に1000円分働かなければ給料泥棒だ。 少し遠いスーパーへ値段が安いからと 買い物へ行くその値段と自分の時給は割に合っているだろうか? こうやって自分の労力をなんでもお金で換算すると 行動の質が変わってくる。 3時間で終わらせられる家事、 自分で設定した時給が1000円だとしたら、 家事は3000円の仕事だ。 この3時間で終わる家事を5時間かけてしまえば、 自分の時給価値が下がってしまうわけだし、 2時間も時間がもったいない。 これで労働時間分のお給料をもらったとすれば給料泥棒だ 自分で自分の時給を設定する事は自分自身の価値を見出すことだ。 自分の事は自分が一番解っている。 時給を設定していれば、 何が無駄で何が大事なことがハッキリ金額でわかるはずだ。 無料でドーナツ一つもらえるのに何時間並ぶか? 30分並んで100円のドーナツなら時給は200円の仕事だ ブログやyoutubeを開設している人がよく言うセリフ。 「1円稼ぐ難しさ」。 仕事で1円稼ぐ事は難しくない。 世の中最低賃金があり、 一時間働けば食堂で一食分くらいの食事は出来る金額がもらえる。 この「一円稼ぐ難しさ」とは「好きな事をして稼ぐ難しさ」である。 ちゃんとした仕事という言い方もおかしいが、 世の中が「仕事」と設定している仕事に就いた方が絶対にイイ。 好きな事でお金を稼ぐなんて

  • 家計簿を書かない理由がない。家計簿は自分の行動のすべてを語る。日記のようでもある。

    僕は自営業なので、 当たり前だが帳簿を付けている。 難しい事ではない。 お金の出入りを書いているだけだ。 やらなくてはいけないのでやっていると言ってもいい。 お金の出入りは誰しもに起きる事。 入ってくるお金より出費が多ければ赤字だ。 これは仕事も家事も個人のお金も同じ事。 今回のテーマ 帳簿を付けない理由はない お金の出入りを明確にする。 コレをやって無駄なことは一つもない。 当たり前の事だがいくらお金が入ってきて、 いくらお金が出ていく。 これが解るのだ。 帳簿を書かないとこれが解らないのだ。 コレを聞いてまだ帳簿を書かない理由がどこにあるだろう? 節約をしている人に限らず、 帳簿は書いた方がいい。 帳簿を書かないと「無駄」が解らない。 帳簿でお金の流れを見ていくと必ず「無駄」があるのに気づく。 節約している人は帳簿のお金の流れで「無駄」を見つける。 「無駄」じゃなかった項目も「無駄」にして削減する。 これが節約で無駄を削るだ お金は大切だ。 命の次に大切だという人もいるくらいだ。 ミニマリストですらお金は大事だという。 お金要りませんという人いない。 人はお金で悩むもの。 悩みは目に見えた方がいい。 帳簿を書いてお金の悩みと向き合う事はどんな人でも大事なことだ。 帳簿を書くまでのハードルが高いと なかなか帳簿を書く気にはならない。 「アプリなのか」「計簿を買うのか」。 あ~もうここでめんどくさいとなる。 そんな人はアプリも帳簿も買わないで、 一枚の紙から始めればいい。A4でもB5でもなんでもいい 仕事じゃない限り、普通生活では「出費」の方が多い。 借方貸方なんて気にしないでいい。 まずは白紙に一か月分の出費を書いていけばいい。 項目も気にしないでいい。 レシートの合計金額を書いていて行けばいい。 簡単なことだ。 この簡単な作業が出来なければ、 帳簿なんてつけれない。諦めよう 白紙の紙に一か月、 項目も気にしないでとりあえず出費だけを書いていく。 この作業が出来なければもちろん、 項目細かく書いていく事も出来ないし、 項目細かく書いて行けなければ節約なんかも出来っこない。 人生に「帳簿を書く」という文字は無いと思って諦めるのも手だ。 一か月、出費の金額を書いて 「書いた書いた」と満足してしまう人もそこまでだ。 この人も帳簿を書くのに向いていない。 節約したい人は一か月の出費を見たら「疑問」に思うはずだ。 何を疑

  • 「者」を「物」と同じように捨てるミニマリスト。

    ミニマリストにフォローを外される事が多い。 僕はフォローしてもらえば フォローを返すスタイルを取っているので、 誰がフォローを外したかすぐに解る。 別に管理している訳ではないが、 フォロワー数は一つのステータスとして見ているので 意識はしている。 だから減るとなぜ減ったのかを確認する 今回のテーマ 「物」と「者」の違い 当たり前の話をする。 人は物じゃない。 ミニマリストは人間関係の整理もする。 物を整理するように人間関係を整理しようという考えだ。 悪い訳ではない。 要らない人間関係はもちろんある。 切らなければならない人間関係もある。 だが、相手の気持ちを蔑ろにするのはどうだろう? 人間関係を切る方法はいくらでもある。 相手に気付かれないように疎遠になる。 そういう切り方であれば、相手を傷つけない。 だが、やり方を間違えると相手を傷つけてしまう。 はっきりと 「あなたと付き合っていても何の得もないので関係切ります」と 言って関係を切った場合の相手の気持ちはどうだろう 僕はミニマリストなのでツイッターでは ミニマリストのフォローフォロワーが多い。 自分自身ミニマリストのイロハは知っているつもりだ。 知っているからこそなのか、 ミニマリストにフォローを外されると 「必要なくなったのか」と思ってしまう。 ゴミ箱に捨てられた気分だ 相手がミニマリスト、もしくは僕がミニマリストでなければ こんな気持ちにならなかったのかもしれないが、 お互いミニマリズムを知る身として、 この行動をするにはこの理由があると思いついてしまうから タチが悪いのかもしれない。 ツイッターでフォローを外すのは自由だ。 勝手にフォロー外してはダメというルールもない。 ただ、相手がミニマリスト、無駄な物は捨てる人、 そういう人に外された時の空しさを感じるのは僕だけだろうか? 僕はすごく感受性豊かなのか? ただ女々しいだけなのか? 「ミニマリストと物」は 生きていく上でずっと考えていくテーマである。 「なぜ捨てるのか?」「なぜ買うのか?」「なぜ必要とするのか?」 など色々あるが、「なぜ買うのか?」にスポットを当てる。 「なぜ買うのか?」と同じように、 「なぜフォローしたのか?」疑問になる フォローを整理する人は人も物と同じように 整理するんだなと思ってしまう。 なんとなく物を買って、なんとなく使ってみたけど、 何となく要らないから手放す。 そして手放した

  • 自分の環境に合ったミニマリストを探すのは難しい。色んな人の情報をパズルのように合わせて行こう

    ミニマリスト同士って理解しあえているのだろうか? ミニマリストは敵を作らない。 必要最小限主義だから、 敵対する存在は「無駄」になるからだ。 だからなのか、 それぞれのミニマリストの情報には 比較的共感を得る素振りを見せている。 だけど、素振りは所詮素振りだ。 今回のテーマ 環境が似てないミニマリストの情報 ミニマリストにもいろんな環境の人がいる。 独身、夫婦、子供がいる、親と同居、 犬を飼っている、友達と住んでいるなど。 生活環境でも変わってくる。 専業主婦、営業マン、在宅ワーク、出張ばかりの人など。 正直これらが一致しないと ミニマリストとしての情報も薄く感じてしまう 僕は妻と子供と住んでいる。 僕以外はミニマリストではない。 そんな僕が一人暮らしのミニマリストの情報を まったく同じようにするには少し無理がある。 僕一人ならマネできるだろうが、 人数が2人増えれば物もその分増える訳だ。 だから共感できる事もあるが、出来ない事の方が多い 仕事の種類によってもミニマリストとしての生活が変わってくる。 通勤がある人とない人で所持する物が全然違ってくるし、 お金の使い方も変わってくる。 職種によって仕事道具も変わってくる。 餅つき職人は杵と臼が必要だが、 餅こねる職人にはそれらは必要ない。 餅を商売とする人でもこの差が生まれる。 ツイッターなどで情報収集していると、 パソコン一つで仕事をする人なども見かける。 ノマドな人などはパソコンさえあれば、 どこでも仕事ができる時代だ。 ミニマリストに限らずこれは魅力的で、 パッと見スマートでカッコイイ。 仕事として言えばこれらはミニマルな仕事に見える。 仕事道具が要らない、 ミニマリストとして魅力的な仕事は 「しゃべる仕事」なのかもしれない。 講演する人、芸人など。 体一つあれば仕事になる、パソコンも必要ない。 これからはAI化が進み「手作業」が少なくなる時代に「 しゃべる」という仕事は無くならない職業の一つだ しゃべりを仕事に出来る人は少ない。 センスや技術が重要になるからだ。 世の中の仕事はセンスや技術で成り立つものは少ない。 努力、苦労でお金を作る仕事の方が圧倒的に多い。 この二つの仕事、 お互いに思考共有が出来るかどうかとなれば それは難しいかもしれない。 同じミニマリスト同士でも解り合えない事が多い。 だが、ミニマリストとしてミニマリストの情報は役に立つはずだ。 環

  • 日課は「習慣」につなげるいいトレーニングだ。無理せず、出来そうなことを日課にしていこう。

    人は絶対に忘れ物をする。 買い忘れ、やり忘れなど。 でも絶対に忘れない事もある。 靴履き忘れて外まで出るとか、 国民的アニメのあの人でも お魚くわえたドラ猫を追いかける時くらいだ。 何かをやり損じないようにするにはどうすればいいのだろう? それはやっぱりシステム化だ。 型にはめてしまえばいい。 今回のテーマ 日課週課月課を作る システム化するというと難しいが、 要は忘れないようにすればいいのだ。 自分がなんでやらないとダメなことを忘れるか、 よく考えてみて、理由を出す。 その理由、原因を解消する事を思いつき、 その思い付きを実行出来る様な環境作り、 これが生活でのシステム化。 チェックリストを作ってやり忘れをしないようにする。 こういう「チェック」って大事だと思う。 どんなことにでもチェックが入る。 バスの運転手さんが「ヨシ!ヨシ!」と確認チェックをする。 あれだ。アレをしないから忘れるんだ。 自分で自分を管理しなければ忘れ物は無くならない チェックをしなくても忘れない事もある。 靴を履き忘れる、服を着忘れる、お風呂入り忘れる。 これらはやらないと「不快感」を感じるから忘れないのだ。 靴を履かないと痛い、服着ないと恥ずかしい、 お風呂入らないと臭いなど。 不快に感じないものほど忘れるという事だ。 不快に感じない事はそれほど必要じゃないともとれる。 でもやらないとダメな事ってある。 これらを忘れる事が多いのだ。 おそらく自分に不快感を感じない行動を 「仕事」とおもってしまうのだろう。 それほどやりたくないけどやらないとダメなこと。 後回しにして忘れるなどあるだろう チェックに入れる項目に「靴を履く」と入れない。 これは自分の「欲」によって行動する事だからだ。 「欲」を感じない行動を忘れないようにする。 それはチェックが必要になるのだ。 自分の「欲」にない事を目視できるシステムが必要なのだ。 僕は「日課」「週課」「月課」を設けている。 毎日これを見て、順番に作業を行っていく。 何も考えず、優先順位に並べた通りに行っていく。 これは絶対にやり忘れない。 「週課」など今週中にやらなければならない事も 週の頭にやってしまう。 なぜなら忘れてしまわないようにという気持ちが強いからだ 「日課」などは自分に厳しく作ってはいけない。 確実に出来る物、そして忘れてはいけないもの。 それほどあるだろうか?無いなら無いに越したことはない

  • 食べる側の食べたい物と作る側の作るもの。これが一致しないと満足度は上がらない。

    毎食毎食満足して食べているだろうか? 食費の関係、時間の関係、付き合いの関係などで、 仕方なく食事をする機会もある。 一日に食事の回数は3回ある。 食の楽しみは大きい。 一日三回、毎食満足した食事ができる人生は 素晴らしいものじゃないだろうか? 今回のテーマ 食事の満足度 食事の満足にも色々あると思う。 例えば量。 ダイエット中だから好きな分量が食べれなかったり、 今時は聞かないが、 兄弟が多い家族はオカズの取り合いなどにもなる。 お腹いっぱい食べる事が満足度にもつながる事は間違いないだろう。 だが、何を食べるかは量よりももっと大事だ。 食事は食事であって、エサではない。 食事とエサの違いは何だろう? 生きていく上で仕方なく食べていればエサというのか? 人間が口にする物はどんなものでもエサと言わないのか? エサは美味しくないのか? 高級キャットフードなど人間が口にしたら美味しい物もある。 これはエサだけどエサじゃないのか? 人間が食べる物をエサと言わない。 でも生きていく上で仕方なく、 満足いかない食事を反復的に行っていけば、 エサに近いものになる。 食事をエサにしてはいけない。 嗜み、楽しみ、糧にする。それが食事なのだと思う。 エサではなくても、この嗜み、楽しみ、 糧として食事が出来ているだろうか? 先日、家族と外食をする事になり、 子供の意見を取り入れようと子供にどこ行きたいか聞いたところ、 自分がまったく食べたくない料理になってしまった。 聞いたからには連れて行かないとと思ったが、 本当に自分の胃袋の気持ちに反するものだったので、 もう何も食べないで帰ろうかと思った 自分が食べたい物を食べれない時の空しさ、 これを満たす事で食事の満足度が上がるのだと思う。 安いや美味しいは別で、 「今、自分が食べたい物を食べれる」 これが大事なのだろう。 家に帰ってきて「今日は〇○か~そんな気分じゃないんだな」と 勝手なセリフを吐かれると思うが、それが満足度につながる。 要するに食事は食べる側の気持ちが大事になってくる。 だから外食は自分が食べたい物を選べるから幸福度も高く、 満足度も高い。 コンビニなどもそうだ。 行けば自分の好きな物選んで食べれる。 家庭の食事はそうはいかない。家計の関係もあるし、 家族が多いといちいち家族分料理を作る手間もある。 食事の満足度は思った物が口に入ったことにより上がる。 だが、あんまり食べ

  • 生きていく上でどれくらいの備蓄をするのが正解か?僕の備蓄シュミレーションはこれだ。

    このブログを書いたのは2019年10月12日。 台風19号が今にも関東に上陸するかどうか? という段階で書いている。 台風が来る前日はスーパーに非常食を買いに行く人たちであふれた。 どれくらいの量の非常食を買うのかは人それぞれだ。 あなたはどれくらいの食糧を買っただろう? 今回のテーマ 生きていく上で必要なカロリー 非常食を買う時に何を基準にして買うか? たとえば3日間の非常食を買うとすると、 一日三食、毎回お腹いっぱい食べれるほどの食糧を備蓄するだろうか? これをしてしまうとかなりの量になってしまう。 家族が多ければその人数分増える。 いったい非常食はどれくらい買うのが最適なのだろうか? 今回の台風でテレビなどでは「非常食の目安」なども放送していた。 あくまで目安だ。 僕が見た限り非常の多いなというのが印象。 これもまた僕の印象などで見る人が見たら 少ないと思う人もいるだろう。 ちなみに水は一日3リットル用意するというのが目安だった。 台風と少し話が逸れるが、 もし日本に核ミサイルが飛んできた場合、 放射能が薄れるまで1 4日かかるとかいう話もある(詳しくはネットで調べてほしい) そうなると14日分の非常食が必要になる。 備蓄部屋みたいなのが無いととてもじゃないけど備えられない。 人は何を目安に備蓄しているのだろうか? 一日三食お腹いっぱい食べる程の非常食なのか、 3日をひもじい思いをしてでも「生きれる」ほどの 非常食なのかで全然量が変わってくる。 一日に水とカロリーメイト1箱、 これを3日続けると死ぬだろうか? 3食おなかいっぱいの非常食とカロリーメイト一箱の差は大きい。 生きていく上で必要なエネルギーってあると思う。 もちろんエネルギーだけじゃなく、栄養などもある。 たとえばだ。 先ほど言ったカロリーメイトなど 栄養補給食みたいなのを食べれば、 同じ分量のおにぎりを食べるのとどれくらい変わるのだろうか? 栄養補給食は日持ちするが、おにぎりは日持ちしない。 保管期間も考えなければならない。 できるだけ日持ちするものが非常食として使われる。 あとは調理がいるとかいらないとか。 これらの条件をまとめていくと 「これだ!」という非常食があるのではないだろうか? これは人や家庭によって発想が変わってくると思うが 思いつくものがあると思う。 ココから自分が今まとめた条件で なにを非常食とするのかシュミレーションしてみる

  • ミニマリストが行っている事はすべて「説明できる」。だから強気な姿勢でいれるのだ

    ミニマリストの人と そうじゃない人の見分け方があるのか? 家の物の数などは見た目だと解らないが、 ミニマリスト的行動ってあるのではないだろうか? 検証はしてないが、 比較的ゆっくり歩くとか、食べる量が少ないとか、 現金持たないキャッシュレス思考とか 今回のテーマ ミニマリストとそうじゃない人の行動の差 物が少ないだけがミニマリストではない。 思考や行動も少なくする人も ミニマリストと言えるのではないだろうか? 物に関してはマキシマリストだが、 行動に関してはミニマリストと言う人も世の中に入るだろう。 この場合この人はマキシマリストなのか? ミニマリストなのか? それともふつうの人なのか? 物の数だけでミニマリストかそうじゃないかを判断するのは難しい。 だからといって行動だけで判断するも難しい。 ミニマリストを判断する人がいれば、 その人は何を見てミニマリストを判断するのだろうか? 他人の判断じゃなくて、 自己判断でミニマリストになれるのであれば だれでもミニマリストになれる ミニマリストの行動にスポットを当ててみよう。 散歩してる人ってミニマリストのイメージがある。 おそらく時間の整理もうまく、 整理できた時間をセカセカ動かずに余裕を持って使う。 だから散歩する時間とかできる。 これらの理由で散歩している人はミニマリストっぽい。 セカセカ時間に追われていな人はミニマリストっぽいという事だ。 では、暇そうにしている人はミニマリストっぽいのか? どうだろう?ポイと言えばポイし、 暇を作れるほど時間調整がうまいと言ってしまえば それはミニマリストとしては褒め言葉でもある。 忙しい人はミニマリストじゃないのか?ともなる。 一体ミニマリストってなんなんだろう? 今は小説などもスマホやタブレットで読む時代だ。 かさばらない媒体でたくさんの書物をよむ。 これはミニマリストに近い行動だが、 ミニマリストは健康志向でもある。 目の事を考えたら 紙媒体で読み物をした方がいいんだよという人は さらに上行くミニマリストか? ミニマリスト全員が同じ方向を向いている訳ではなく、 バスタオル一枚とっても「要る派」「要らない派」でわかれる。 長生きしたいのか生き急ぎたいのか? これらの考え方が違うとまったく真逆の生活を送る事だってある。 もうミニマリストという肩書がよくわからない。 「人間」でいいのではないか? ミニマリストとして生活する上で大

  • ビジネスのためにミニマリスト情報を発信する。これが今のミニマリストの姿だ。

    無駄か事が嫌いで、 余計な持ち物や思考を省いて生活をしてた。 そんな僕がミニマリストという言葉を知ったのがここ1,2年だ。 ミニマリストというジャンルがあったのか! と驚き自分もミニマリストとして肩書を持ち、活動を始めた。 ミニマリストになってミニマリストが解らなくなった。 今回のテーマ ミニマリストがミニマリズムを勧める理由 色んなミニマリストがいる!と言ってしまえばそれまでだが、 ミニマリストは極限的に持ち物を減らす。 無駄は「悪」だ!と言わんばかりに自分が不要な物は徹底的に手放し、 だけど自分に都合のいいものは 「これくらいは持っててもいいんですよ」と肯定してしまう。 ミニマリストは結構都合がいい。 持ち物だけでなく、思考やお金、人間関係も整理する。 それもそれらは「悪」だと言わんばかり。 だけど不特定の沢山の人とつながるために、SNSを利用したり、 ミニマリスト同士で繋がったり、オフ会をしたり。 一体何を軸としてやっているのだろう?と思う事もしばしばだ。 ミニマリスト同士だから繋がってもいいんだよ、 というのも少し違う。 仕事の同僚などは仕事で繋がっているはずだが、 プライベートでは関わらないで! というスタンスの人もいる。 ミニマリストだってそうだと思う。 ミニマルな発想は共感できるが、人間性はまた別だ。 なのに繋がろうとする。 ミニマリストを広めたい。 という気持ちも僕には理解できない。 なぜ、広めなければならない? 活動をすれば必ず自分に負担にかる。 僕も小規模ながらの活動だが、それなりに負担になる事がある。 なぜ、こんな苦労をしてミニマリストとして 活動をしなければならないのか? 善意だけでは動けない。 ミニマリストとして活動している人を 非難するようなことばかり話しているが、 僕もその中の一人だ。 ミニマリストとして情報発信し、SNSで人と関わり、 あわよくばオフ会とか参加してみたいと思っている。 少しうらやましくさえも思っている。 自分の事を棚に上げてという感じだ 自分の事を棚に上げて ミニマリストが世のため人のためと 活動している事を理解できないと言っているが、 僕は世のため人のために活動はしていない。 自分のために活動しているのだ。 これはハッキリと言える。 誰かのために生きると思えるのは家族くらいで、 他人にその感情は湧かない。 ブログを書けば色んな人が見てくれる「楽しい」。 SNSで発

  • ネットで人と繋がっている人はネットを手放す事が難しい。結局切れないのは人との繋がり。

    ネットを使わない生活ができるだろうか? 僕は3日間ほどネットを使わない生活をすごしてみた。 ディズニーランドに行ってたからネット使ってないとかではなく、 普段通りネットを使える環境で使わない生活を送った。 普段だと、おそらく仕事以外の時はネットを利用している 今回のテーマ ネットを使わない生活 僕はミニマリストとしてネットで活動しているので ネットは結構重要だ。 現在ブログ毎日更新チャレンジ最中なので ここでブログをアップさせてしまったらネットを使ったことになるが、 この3日間はブログ記事がストックされていたので 自動更新となっていた。 こういう時ストックしててよかったと思う。 普段はツイッターにも結構張り付いている。 色んなツイートを見てネタを考えたり、 色んな考えの人がいるんだなと利用している。 それもこの3日は行わなかった。 ネット使わない生活をしますとだけツイートしたくらいか。 だったらネット使っているじゃないか!というのは チョット勘弁お願いしたい。 ネットを使っている時間帯にネットを使わないという生活だ。 スマホは殆ど見なかった。 この3日はメールもラインも特に来なかったので スマホに触る必要はほとんどなかった。 おそらくラインなどが来れば見ていたであろう。 ライン一つでこのチャレンジは終わる。 ココでネットの重要性を知る。 もちろんニュースなどもネットで情報収集するわけでもなく、 ラジオやテレビを利用した。 Rajikoはつかった。 これはネットじゃないか!とおっしゃるかもしれないが、 コレも今回はご勘弁願いたい。 Rajikoはラジオということで。 ネット使わない生活。 こんな生活してる時期もあったな そもそもネットでいつも誰かと繋がっているかと言えば そういう使い方をしていなかった。 ブログもツイッターも一方的に発信していたので 返事する事も特になかったし、 ラインも家にいる妻と会話するくらい。 内線替わりみたいな感じなので特に必要としなかった。 結論をもう言うと、 僕はネットを使わなくても生活できる。 結構ネットを利用していたが、 これはネットがあるから使っていたわけで、 なかったなかったでなんら生活に困る事はない。 なぜそうかと言いうと、 ネットで人と繋がっていないからという結論をだした 情報などはネットで簡単に入ってくる。 この「簡単に」というのがネットのいいところなんだと思う。 簡単に情

  • 捨てる事でミニマリストになれるわけではない。捨てる事より「快適」を意識する事が大事だ

    ミニマリストとはなんぞや! ここ最近このような記事を書いている。 考えれば考えるほど解らなくなる。 だったら一度「ミニマリストとは?」という考えを捨てて、 「物が少なく快適な生活をするには?」 という発想で物事を考えて行こうと思う。 ミニマリスト以前に整理整頓の話になるか 今回のテーマ 行動範囲を見直す 行動範囲、行動項目が多いと物は増える。 出かける事が無ければ靴も鞄もいらない。 さらに言うと服もいらない。 出かけるから、行動するから物は増えるのだ。 これは何も外出だけの話でもない。 家で動画サイトばかり見ていれば、本もいらない、趣味の物もいらない。 色々やろうと思うから生活が窮屈になる。 行動のために物を買ったが、今度は時間が足りなくなり、 行動すらできなくなる。 そしてそのために買った物も使わないで無駄な物になる。 自分の生活に何が本当に必要なのかを 考え直す事が快適な生活につながるわけだ。 家の中で、自分がいつもいる場所ってあると思う。 滞在する時間が長い場所。 主婦ならキッチンかもしれない。 テレビが好きな人はテレビ前のソファかもしれない。 まずはそこを拠点と考えてみよう。 自分が一番滞在時間が長い場所。 ココを中心に快適な生活を築きあげて行けばいい。 ソファが生活の拠点、滞在時間が長い場所なのに、 下駄箱を整理するの事が違うのは解ってもらえると思う。 まずは、ソファ周りを自分の快適な場所に作り上げる事から始める。 もうソファ以外は散らかってもいい。 自分の快適な場所を作るれるか。 この場所を作れなければ他の場所なんて片付けられない。 どのように自分の拠点を作っていくか。 それは冬のコタツの生活だ。 寒いからコタツに出たくない。 コタツに入る前に準備する物、 リモコン、マンガ本、ミカン、編み物、お茶飲むためのポットなど。 これらが揃った時、拠点となる訳だ。 自分に必要な物が必要な場所に揃う。 これが自分の拠点だ。 自分の拠点にどれくらいの時間滞在するか? 仕事から帰ってきて3時間か? 家にずっといるから10時間以上か? それによっても拠点作りが変わってくる。 3時間程度ならスマホがあって、 飲み物があって、あとは趣味の物があれば十分拠点として成り立つ。 滞在時間3時間で使わない物はいらない。 自分の拠点の滞在時間が10時間以上となると 少し拠点作りも難しくなる。 物の選別が難しい。と、思うか? 実はそれ

  • youtuberとして顔出しをしている人。撮影しているカメラの向こうにはたくさんのアンチがいる。

    youtuberの話。 必須条件とまでは行かないけど、 「顏を出す」事にだんだん抵抗がなくなってきていると思う。 「顏を出してからがyotuberだ」みたいな雰囲気もどこかある。 確かに動画を見ていると顔を出して、 人間味を出した方が親しみが湧きまた見たいと思う。 今回のテーマ 世間に顏を出すという事 youtubeやSNSで顔出しをする。 その理由は「どんな人間かを解ってもらう」。 どんな人間か解ってもらい、沢山の人に情報を聞いてもらう。 登録者数などは上がるが、 「どんな人間かバレてしまう」というリスクは計り知れない。 このリスクを計算して素性を出さないと怪我をする。 顔を出さなくても、 しゃべり方、字の綺麗さなどでも人は人を判断をする。 「勝手に判断すればいい」と言うのは自己解決であって、 傍は結局それらでその人をスケールで計る。 評価は他人がするものなので、評価を修正する弁明をするしかない。 だったら最初から評価されるネタを出さないようにしなければ 「手タレ」と言う人もいる。 手のモデルさんと言った方が解りやすいか。 この人たちは手だけを世間に披露する。 手だけだ。 でもこの手だけで色んな事を察する能力が人間にはある。 恐ろしいくらいの洞察力だ。 「手タレ」の人は無いだろうが サカムケ一つで「栄養足りてない」とかまで考える 手だけで人は人を判断する。 それなのにネットやyotuuberで顏まで出してしまうと、 どこまでその人の事を見抜いてしまうだろうか? 正直怖い。 どこのだれかとかという話ではない。 チョットした事でその人を見透かす人もいる。 カメラの向こうにはどんな人が見てるか。 これがネットの怖いところだ 僕が実体験で感じた事。 どんなつまらない動画でも見る人は見る。 僕があげた動画も非常に評価が低い。 誰も見ないに値するような動画を挙げたが、 これを見る人もいる。 そしてご丁寧に 「つまらない」とコメントを書いてくれる人もいる。 動画は挙げれば誰かが見る。 この感覚を忘れてはいけない 質のいい動画になれば見る人も増えるだろう。 見る人が増えたという事は カメラの向こうにその人数が自分の事を見ているという事になる。 みんながみんな好意的に見ているとは限らない。 アンチは存在する。 そんな人に一方的に自分の顏を見られるのは僕は耐えられない。 自分の事を敵対視している相手に 自分の顔を好きな時好きなだけ

  • 必要「最」小限主義の生活は快適な生活とは繋がらない。ミニマリストにこだわる必要性

    ミニマリストの絶対的定義は「必要最小限主義」だ。 色んなミニマリストがいるが、 ここは絶対にはずせないところである。 必要最小限な物で生活をする。 これよりも「快適な生活」を優先してはダメなのだろうか? 快適な生活のために必要最小限主義の枠から外れる事を 今回のテーマ 必要最小限主義と快適な生活のバランス 僕は快適な生活を目指していき、 結果ミニマリストになった部類だ。 探し物の時間を減らす。 気が散るものを手放す。 その結果今の生活だ。 だから「物を減らす」と言う事が主体ではなく、 「快適な生活」を主体にしている。 だから快適な生活のために必要な物は増やす。 ミニマリストが買い物をする時に問い生じるか? 「快適な生活のために物を買いたいが、 これは必要最小限主義に反するか?」 僕はここまで考えないけど、 こう考える人がいるのだろうか? これを問い始めてしまうと、もう何も買えない状況になってしまう。 実際ここまでのミニマリストも多いと思う。 「必要最小限主義」をとるか、 「快適な生活」を取るかだ。 ミニマリズムにこだわりを持つ人は「最小限主義」を取る。 だが、「快適な生活」を選んだ人は ミニマリストではなくなるのであろうか? 「必要”最”小限主義」ではなくなるのは確かだ。 はい、もうミニマリストではありませ~ん!となるのか? 「必要”最”小限主義」から外れたらミニマリストではなくなるのか? この問いに一つ疑問がある。 「何に対しての必要最低限なのか?」。 生きると言う事で必要な物を所持するのか、 豊かな生活をする上で必要最小限な物を選べばいいのか。 娯楽なども豊かな生活をする上で必要だ。 もし、ミニマリストの定義が豊かな生活をする上での 「必要最小限」であれば、すごく緩い条件になる。 自分にとって必要な物だけで生活しているのであればミニマリストだ。 「ゴミが宝物なんだ」という人にとってそれが必要な物であれば、 この人がミニマリストだと名乗っても誰も文句は言えない。 部屋が空っぽの人と、ゴミ屋敷で住んでいる人。 どちらも「自分の必要最小限な物で生活をしているんです」 と言ってしまえば、どちらもミニマリストとして成り立ってしまう。 そう思うと「豊かな生活をする上での必要最小限主義」は 少しミニマリストにとって邪魔なのかもしれない。 「豊かな生活をする上での必要最小限主義」となると ミニマリストのハードルが下がるが、

  • ミニマリストになるために頑張る事なんて一つもない。何か一つ行動に意識すればそこからミニマルは広がる。

    ミニマリストになるために励んでいる人をたくさん見かける。 目標を決めて物を捨てたり、一日一捨だったり。 ミニマリストとはがんばってなるようなものなのだろうか? そもそもミニマリストたちは頑張っているのだろうか? シンプルライフスローライフとも連結するのが ミニマリストではないのだろうか? 今回のテーマ ミニマリストは頑張らない ミニマリストって時間に余裕を持った生活をしているような イメージがある。 物を減らす理由は色々あるが、 生活にゆとりを作るためにミニマリストになる人も多いと思う。 物が多いと物の数だけ、 家の中での行動回数が増える為、 家の中の物を整理する人もいるし。 楽になるためにミニマリストになるのだ。 毎日の生活が慌ただしくせわしない。 その理由が目に見える無駄であったり、 目に見えない無駄であると判断した人がミニマリストになる。 無駄を無くす事が必要最低限な生活へつながる。 目標は物が少ない部屋でなく、 必要最低限な生活なのだ。 ミニマリストを目指している人はまず、 今の生活が基準と思った方がいい。 今まで何も考えないで生活していた今の部屋が自分本来の姿なのだ。 何の無理もしていなく、 自分の欲のままに生活している部屋。 その部屋をなぜがんばって ミニマリスト的な部屋にしないとダメなのか? その理由はなんなのか? 僕はいつもミニマリストとボディービルダーが同じだと考えている。 ボディービルダーはいつもあんなにキレキレな体をしていない。 大会まで食事制限、水分補給も制限するほど大変な作業なのだ。 部屋を極限に空っぽにしても、気を抜くと物が増えていく。 それに葛藤する。 それって楽な生活なのか? 元々物が多かった人がミニマリストになる場合、 苦労する人も多いだろう。 「なぜミニマリストになるのか?」その理由が強いものでなければ、 途中で挫折したり、ミニマリストになれたと思っても、 日々物が増えないようにと神経を研ぎ澄まさなければならないだろう 物が増えないか?とミニマリストになっても 日々物に捕らわれる生活をするのが本当の目標なのか? はたして物が無くなっても結局物に捕らわれてしまう。 これが自分が想像していたミニマリストなのだろうか? たとえば、目指しているミニマリストは そんなに何かに追われて生活しているか? 憧れのミニマリストは何にも捕らわれなく、自由でのんびり、 ステキな時間の中で生活している

  • ミニマリストであろうとなかろうと、備蓄してない人は多い。完璧な備えとは?

    日本は災害がよく起きる国と言ってもいいくらい多い。 災害に備えて備えて置くという事は国民みんな共通の意識だと思う。 ミニマリストと備蓄という点が最近話題になっている。 ミニマリストは備蓄しないのか? 災害が起きたときミニマリストは生き抜いていけるのか? 今回のテーマ ミニマリストと備蓄 ミニマリストとして情報発信している人のほとんどが 「備蓄している」になっている。ココは僕の勝手な見解だが、 災害が多いこの日本で備蓄していないは「悪」なのだ。 叩かれる要素が多い。 この時代に備蓄してないなんて! それをミニマリストとしての情報として流すなんて! と炎上してしまうだろう。 食事の回数も必要最低限に減らすミニマリストだ。 備蓄も省いている人も多いだろうが、 備蓄しないは「悪」。 情報発信者としての「建前」で 備蓄している人も多いのではないだろうか? 情報発信者はイメージ商売。 「備蓄してない」より「備蓄している」と言ってる方がイメージが良い 「災害の時、ミニマリストはどうするんだろう?」と 不思議がるのはミニマリストじゃない人だ。 ミニマリスト本人は災害時に どうしようという事はおそらく考えていると思う。 備蓄してるミニマリストもいるし、 備蓄しないで「餓死寸前」を覚悟しているミニマリストだっているだろう。 「備蓄して生き延びる」という人と 「災害時なのも考えてない」というこの二つの考え。 これはなにもミニマリストに限らずの話だ。 ミニマリストだから備蓄していないという発想が 少し違うのではないだろうか? ミニマリストじゃない人だって 備蓄している人と備蓄してない人がいる。 災害の時のミニマリストは大変ね。 というのは普通の人からの「ミニマリスト叩き」だ。 「ミニマリストなのに備蓄するの?ミニマリストなのに?」となるし、 「ミニマリストだから備蓄しないのね。 何考えてるんだろう?」とどちらに転んでもミニマリストは叩かれる。 「災害時の備蓄」というネタを基にミニマリストが叩かれる。 普通の人だって備蓄してない人もいるはずだ。 それを棚に上げてミニマリストにターゲットを絞って叩く。 こういうとき、ミニマリストって「嫌われているんだな」 と思ってしまう。僕もミニマリストなので少し残念だ。 ミニマリストとして今回の「備蓄問題」反論したいと思う。 災害時にミニマリストも何もない。 災害時にミニマリストだから助かる訳でもなく、

  • 家を住処としみる場合の最低条件は「寝る事」。寝に帰るだけの家はミニマリズムに適してる。

    ミニマリストの部屋をみて、 ミニマリストじゃない人は「快適?」と思うのではないだろうか? アレもないコレもない生活。 普通の人は彼らの生活を「牢獄生活」とまで言う人もいる。 でもミニマリストは絶対に「これで満足」と言い切る。 普通の人がミニマリストを理解できない部分である 今回のテーマ 寝に帰るだけの部屋 仕事で忙しい人が自分の家の事を 「寝に帰るだけの家だ」と表現する時がある。 夜遅くまで仕事して、食事も外で済ませ、帰って寝るだけ。 そして朝早く起きて出社。 この生活を毎日繰り返していたらもう完全に家の使い方は ミニマリストだ。 布団だけあればいいという生活になる。 「寝に帰るだけの家」がおそらく 「究極のミニマリストの家」となるだろう。 こう思うとミニマリストじゃない人も 想像しやすいんじゃないだろうか ミニマリストじゃない人も 「寝に帰るだけの家」で住んでいる人もいる。 この発想はすごくわかりやすいんじゃないだろうか??? 仕事が忙しく家に寝に帰るだけの人は家に寝具があればいい。 ミニマリストも家に求めるのが睡眠であれば寝具だけでいい。 ここまではこの二人の家にある物はほぼ同じだ。 では次にこの二人は生活に何を求めるか? こうやって自分の生活に 必要な物を足していくというのもミニマル生活への近道だ どんな人でも家で寝る。 これは家に住む「最低限の条件」だ。 寝て起きて何をする? お風呂に入る人は「お風呂セット」が必要になる。 食事をする人は「キッチン用具」 家で食事をしない人からしたら「キッチン道具」は要らない。 パソコンが欲しい人はパソコン。 机と椅子がいる人はこれらを買い足していく。 仕事で忙しく家には寝に帰るだけという人は、 家の「使用量」が少ない訳だが、 例えば「専業主婦」などは家にいる時間が長く、 家の「使用量」はすごく高い。 家を「寝に帰るだけ」としてしまうと、 生活するのに不便が生じる。 「仕事で忙しい人」と「専業主婦」が同じ思考、 同じ行動だと思ってはいけない。 「家は何するところ?」と考えると ミニマリストへ向けてのスタートも人それぞれ変わってくる。 「家で仕事をする人」だっている。 この人の家にはまず、「仕事道具」があり、 次に寝るのであれば「寝具」。 「家で生活する!」という人は 「生活」を少し分解してみよう。 生活の中にはカテゴリーが沢山ある。 「生活」のカテゴリー分け。 「食事」「

  • ミニマリストがミニマルな生活の中で思う事。ミニマリストの「なぜ?」を考えてみた。

    今日はミニマリストの僕が 何気なくツイートした内容を 日記のようにブログ記事にしてみることにした 試験的な内容だが、もしよければ読んでいってほしい。 今回のテーマ ミニマリストが思うミニマリストとは ここからは日記だと思って読んで欲しい。 何かしらソワソワする日。 自分の予定や作業などは整理され、効率化もされているので 「何も考えないで行動できる」ようになっているが、 今日はなんだかはかどらない。 こんな気持ちの日を打破できる方法はあるのか? この打破する方法もミニマリスト的には物を減らせなのか? もう捨てる物ありませんぜ! 仕事をしながら、 自分の好きな作業をしているような日々を過ごしているのですが、 やろうと思えばゲームだってできる。 ギターを弾こうと思えば弾ける。 ブログもかけるし、ツイッターにずっといる事が出来る。 「時間の整理」をして「自由な時間」を手に入れたが、 「やる事」が出来るという「欲」で迷子。 仕事に追われる日々というのも悪いものではない。 僕も仕事に忙しい日々は「達成感」がある。 一日の自分の行動にどれくらい「達成感」があるか、 どれくらいの「達成感」を求めるか。 「仕事量」や「仕事時間」よりも「達成感」を基準に考えたほうが 「有意義な一日」をすごせるのではないだろうか? ここ最近「ミニマリストとはなんぞや?」 的なツイートやブログを書いてきたが、 実は「ミニマリスト」とかは「一つの考え方」であって、 ミニマリストに捕らわれる必要はないのだ。 「仕事に関してはミニマリスト」や「趣味に関してはマキシマリスト」 などと使い分けたほうが簡単だし都合がいい。 ミニマリストになりたいからと、 自分が生活するのに必要な物すべてを最小限に減らす必要はない。 「物を減らす」のが正解でもない。 でも正解かもしれないから物を減らしてみる。 やってみた結果やっぱり正解ではなく、 ミニマリストへの道を諦める。 そもそもミニマリストになりたいというのが正解じゃない 僕はミニマリストと名乗ってネット活動しているが、 今思うとなぜ、ミニマリストとして活動しているのか? ミニマリズムを広めようという気もない。 特におすすめのガジェットやツールを紹介している訳でもない。 おそらく「ミニマリスト」という得体のしれない存在、 主義が面白いからこの界隈にいるのだ。 ミニマリストと名乗って活動している人はなぜ、 今の活動をしているの

  • 2019年9月記事まとめ。評判のいい記事まとめました。僕のブログ読んだこと無い方ぜひお越しください

    一年間ブログ毎日更新を目標にしている。 それも今月で達成だ。 その後のプランも考えているが、 最後の今月で穴が空かないように気を付けたい。 毎月頭は先月評判の良かった記事をまとめています まだ読んで無い記事や興味がある記事などよければ 読んでみてください www.desupapa21.com www.desupapa21.com www.desupapa21.com www.desupapa21.com www.desupapa21.com www.desupapa21.com www.desupapa21.com 今月も、そしてこれから先もこのブログを 宜しくお願いします。 とりあえずここま…

  • 美味しいお店を教えただけで「自分の程度」がバレてしまう。情報提供は慎重に行うべき事。

    「口コミ」という言葉はネットが普及した今でもよく聞く言葉だ。 だが、この「口コミ」は本当にあの「口コミ」なのだろうか? 人と人との情報交換ではなくて、 ネットの「口コミサイト」などの「口コミ」ではないだろうか? 人から人の情報も無くなってはいないと思うが。 今回のテーマ 自分の情報は自分を評価される材料だ そもそも「口コミ」とはどういう意味か? 一般的には人から人への噂で広がる評判と言ったところか。 「あのお店美味しいよ」これが口コミになる。 飲食店に関しては「味の好み」などもあるので 噂に聞いた程までではないという事も多々ある。 どこまで「口コミ」をあてにしていいのか。 入ってくる情報はこちらが入れようと思わなくても入ってくる。 「自分が住んでいる所」「グルメ」などと検索すれば すごい数のお店が検索に引っかかるし、 ファストフード店などの情報も入ってくる。 これに関しては 結局は検索した自分が好きなお店を選べばいいだけなので問題ない 入ってくる情報とは逆。 自分が発信する情報に僕はすごく重みを感じている。 「口コミ」で言うと「噂を流す方」の立場だ。 自分が「美味しいですよ」と言うわけだ、 それにより「自分の舌の程度」が解ってしまうのだ。 これは実はすごくリスキーな事だと僕は思う。 「あの人はこれが美味しいのか」となる。 人に「美味しいお店」と紹介すると 「自分の舌の程度」が解る。 でも「老舗のお店」としてお店を紹介すると 自分の舌は試されない。 「あのお店は古くから営業している、僕もたまに行きます」となると 「自分の舌の程度」は少し誤魔化しが効くし、 老舗のお店だ。失敗はほぼないだろう 自分で「口コミ」を発信するという話だったが、 そもそも自分のお気に入りのお店を発信する状況はそれほどない。 自分が言ったお店をなんでもかんでも紹介するのは 「口コミ」ではなく「おしゃべりさん」だ。 「おしゃべりさん」はきっとどこかで自分の行動を狭くする傾向がある。 美味しいお店を「口コミ」する。 これはある意味「自分の行動範囲」を披露している事になる。 例えば自分のお気に入りのお店を紹介する、 紹介した人は気に入ってくれてその人も行く。 もし紹介した人と関係が悪くなった場合、 その人に会いたくない、 そういう時もしそのお店で会ったりすると。。。 自分の行動範囲はあまり人に教えない方がいい。 自分の行動範囲は自分の価値を披露する事

  • 「バカ」がバレないように勉強すると、「バカなフリ」も使いようと解る。

    子供に「なぜ勉強するのか?」と聞かれ、どう答えるか。 家庭それぞれ色んな答え方があると思う。 「将来のため」だとか「将来のため」だとか「将来のため」だとか。 子供の時の勉強ってなんでするんですかね? やっぱり「将来のため」ですよね? 言えば子供がやる事全部「将来のため」 今回のテーマ 勉強をする理由 なぜ勉強をするかで「将来のため」と言っても子供にはまず、 「将来」がよくわからないと思う。 これは大人も一緒かもしれないが、 今生きるだけで精いっぱいなのに 「将来」とか言うとビジョンがちょっとぼんやりし過ぎだ。 なぜ勉強するかを「今」の生活で必要な事を理解しなければ 「明日のテストでイイ点数取るために勉強するんだよ」と言うのも 「近い将来」の話だし。 そうなるとやっぱり勉強は「将来のため」になる。 一時間後に何かあるか解らないから勉強をするというのも 「将来のため」。 なぜ勉強するのか?の答えはやっぱり 「将来のため」で間違いはないという事だ。 子供は「将来のため」で勉強する事は難しいと思う。 大人でも難しい。 「将来のため」に勉強するのは間違いないが、 もう少し「身に迫る危機を回避するために」感をだした表現をした方が いいかもしれない。 たとえば、「バカと思われないように」とか 「バカ」と思われて評価が上がる事は一つもない。 「おバカタレント」というジャンルもある。 可愛げはあるかもしれないが、 それはその人のイメージがイイだけで、 それでも「おバカだね~」と言われてバカにされているのだ。 絶対に「バカ」じゃない方がいい。 「バカと思われないように勉強する」 これは「将来のために勉強する」より危機感もあり、 解りやすい理由だと思う。 「バカだバカだ!」といじめられない様にとか、 子供にとっては割と真剣な悩みにつながる。 子供は「明日のテスト」より「明日の友達関係」の方が大事だ 大人だって 「バカと思われないから」という理由で勉強する人もいる。 例えばペン習字。 習う理由にもよるが、 「字をきれいに書きたい」という理由が多いだろう。 これって「字が汚いとバカだと思われる」という気持ちもあると思う。 「バカと思われないように勉強する」イイ例だ。 どれくらい勉強して知識や発想を培うか。 上には上がいる。 上の人からにしてみれば下の人は「バカ」だ。 口にしなくても、思ってみなくても「バカ」になる。 相手よりも自分で自分を

  • 認知症とミニマリズム。人は本能的にミニマリズムになる事もある。

    高齢の方とミニマリズムは、以外と相性が悪い。 自分の人生を終えるための活動 「終活」などにも「生前整理」という項目も入る。 この生前整理も誰でもうまくできる物ではなくて、 苦労する人の方が多いと思う。 それはやはり物を捨てれないという 気持ちが強い時代を生きてきたからなのか。 今回のテーマ 高齢化社会とミニマリズム 昔の人、 例えば戦後を生きてきた人は物がない時代で生活していた。 だからミニマリズムに近い生活を送っていたのではないか? と言う人もいる。 昔は物がなくても生活できてたから、今だってできるはずと。 確かにそうだが、昔は無かったが、今の時代には存在する物も多い。 時代と共に技術発展し、 色んな便利な物が増え、量産化され、 手頃の価格で色んな物が揃う時代。 何も無かった時代の人達は物のある時代へと生活していった。 逆行して物のない生活へ戻る事はかなり難しいと思う。 僕ら若者は生まれた時から程度物が揃っていた。 だからミニマリズムという発想も出来るのだ。 いつ買ったか解らない物が部屋にある。 高齢者宅にあるよくある謎だ。 でもこの物は自分たちが生まれる前から合ったモノかもしれない。 ミニマリスト的には「不要だから捨てればいい」となるが、 人には「理由はないけど感情はある」という事が多々ある。 解ってはいるけど出来ないとか。 だから捨てれない 物が捨てれない気持ちを解ってあげるのも 若いミニマリストが高齢者に向けての優しさだと思う。 この優しさを無くして「捨てろ捨てろ」と発言してしまうから ミニマリストは怖いイメージを持たれてしまう。 その捨てれない物にどれだけの思い入れがあるかは他人は知らないし、 理解出来ない感情なのだ 結局生前整理や高齢者の生活なども「本人が決める事」なのだ。 「本人が決める」という事は何も高齢者の人に向けてだけではなくて、 同居してる人にも言える。 ミニマリストが家族に ミニマリズムを押し付けるのも 高齢者に生前整理をするように勧めるのとなんら変わらない。 高齢者とミニマリズム。 相性が悪いが、僕が思う 「これは人生最後に発生するミニマリズムではないだろうか?」 と思う事がある。 それは認知症だ。 今まで生きてきた記憶を忘れて行ってしまう病気。 良い事も悪い事も大事な人も忘れて行ってしまうが、 これは記憶を捨てて行くミニマリズムだと思っている。 人が生きる上で不思議な事が多い。 例えば

  • 子供に言い聞かせるにもタイミングがある。このタイミングを間違えるとうまくいかないし、効率も悪い

    子供の教育というのは永遠のテーマ。 親が一方的に支持する事も悪い事ではないと思うし、 押し付け過ぎると反発されそうな気もする。 一番いいのは子供から進んで物事を行ってくれるのがいい。 そこまで行く方法を僕なりに考えてみるが、 これもまた正解ではない。 今回のテーマ 子供を親の考えに引き付けさせるには 毎日親と子供の言い争いの一つに 「宿題」というのがある。 毎日毎日「宿題しなさい」と一回言って聞いてくれればいいが、 そうもいかない。 言う方も無駄だし、言われる方もいい気持ちがしない。 でもこの言い続けるというのが実は教育という物なのかもしれない。 子供に言い続ける。 大事かもしれないが、言わないで進んで行動してくれるのが一番良い。 親も楽だし、子も悪い気しない。 絶対に何か今よりも効率よくこれが出要る方法があると思う。 完璧には行かないが、 3回言い続ける事を1回で済むとか、それは出来ると思う。 どうやれば親が子供に言い続ける回数を減らせるか? まずは、言うタイミングって大事だ。 親のタイミングで子供に言っても聞かない時がある。 例えばゲームしてる最中に宿題しないなんて言われても ほぼ子供は聞かない。 これって聞かないんじゃなくて聞けないんじゃないだろうか? 親にだって気持ちがあれば、子供にだって気持ちがある。 この気持ちのタイミングが合えばどんな事だってスムーズに行くと思うが、 これが合わなければ、どんな簡単な事もうまくいかなくなる。 要するに親と子供に限らず、 身内との効率の良さは「気持ちのタイミング」次第なのだ。 親は大人だ。 子供と対等になってはいけない。 だからと偉そうになんでもかんでも上から言うのも 少し違うような気がする。 子供にも主張があるはずだ。 大人は子供が主張する事を予測して、 それに対して包容力ある対応をする。 これって難しいかもしれないが、出来るならした方がいい。 親は子供の「行動」「気持ち」「考え」を把握して、 タイミングよく子供に指導する。 ゲームの最中は親が色々言うタイミングではない。 ゲーム最中に親が色々言いたい場合はまず、 ゲームをしていない時に、 ゲームプレイ時間やタイミングについて話し合う事が大事だ。 ゲーム中に何話しても子供は聞いてない 子供が学校から疲れて帰ってきてるのに、 いきなり「宿題しなさい!」もまた違う。 大人だって外から帰ってきて いきなり細かい作業とか頭を使

  • 量産型ミニマリストが増えるのはネットの影響。同じツールを持ち、ミニマリストの仲間入りしたい人が増えてきた。

    「量産型」 量産型ザクなどが有名だが、ガンダムに無知な人には ピンとこない。 「量産型」で検索すると「量産型女子」というワードが出てくる 「量産型女子」とは 流行の髪型、流行のファッション、流行のメイク 流行に乗ってしまうと同じような女子が発生する。 それも大量に。 これらを「量産型女子」というようだ。 今回のテーマ 量産型ミニマリスト なぜだろう。ミニマリスト、みんな同じように見える。 落ち着いた服装。髪型も落ち着いた感じ、空っぽの部屋 ミニマリストじゃない人からしたらそういうイメージがあるらしい。 必ずしも上記にあげたようなミニマリストばかりじゃない。 僕も実際にミニマリストの人には会った事が無い。 「会った事もないのに勝手にイメージを作るな!」 そういう意見もあるだろう。 このイメージはやはり、SNS、youtube、ブログなどで ミニマリズムの情報を発信している人たちを 統計的に見た結果なのだろう。 統計的にみて、 落ち着いた服、落ち着いた髪型、空っぽの部屋 の持ち主が多い。 これ、仕方ないんですよ。 これがミニマリストなのです。 ミニマリストじゃない人が描くミニマリストのイメージは ミニマリストじゃない人が描いた通りなんです。 ミニマリストに特殊な人って早々いないのです。 ミニマリストは「必要最低限主義」というのが外せない定義で 不必要な物を減らしていくというのがみんなが思う事だと思う。 そのために、色んなことを削って行き、省いて行くと、 派手目な服を着るのをやめ、髪型も手がかからない様な髪型、 物が減ると空っぽの部屋になる。 ミニマリストのゴールに選択肢がそれほどないのだ。 ミニマリズムを突き詰めていくと、比較的多くの人が 同じ方向へ向かっていく。 それが僕が思う「量産型ミニマリスト」達なのだ。 「人と同じ事をしたくない」と思う事が 「ミニマリズム」に反するのかもしれない そんな「欲」を抱く時点でそれは「無駄」なのだ。 youtuberミニマリストも増えてきた。 youtuberが定番とする動画で「持ち物紹介」などがある。 もちろんミニマリスト達も持ち物を紹介していく。 ミニマリストが紹介した物を ミニマリストになりたい人がマネをして持つ。 マネをした人がミニマリストyoutuberになり、 また紹介して、また誰かがマネをする。 だからか、ミニマリスト達も比較的同じツールを持ちがちだ。 オリジナリティ

  • 家族を気にするな。ミニマリストは自分中心。他人の物は自分の物じゃない。だから何も思うな。

    このブログでもよく問題に出す 「家族のものが多くてイライラする」 というミニマリスト事情。 ミニマリストを目指すために家の物を減らしていく なのに家族がいらない物ばかり集めてくる せっかく片づけたあの場所を散らかす イライライライラ こういう話をよく聞く ミニマリストを目指す故、苦しみ始める もとは自分もその部屋の住人なのに。。。 今回のテーマ 家族の物は自分の物に非ず。 まず、そもそもなぜミニマリストになりたいのか? ココが大きな問題である。 色んな理由があると思う。 ミニマリストになりたい理由。 まずミニマリストになりたい人がその理由が ゆるぎないものなのか?決意は固いのか? そこが問題になる。 なんとなく物を減らすというのはミニマリストではなく、 片付けだ。 ミニマリストとは生半可な気持ちではなれない。 家族の荷物がどうだろうと、関係ない。 自分自身がミニマルな生活を送ればいいのだ。 隣の家の芝生が雑草ボウボウだから気になるか? ならないと思う。 自分の家さえ綺麗であればいい。 この感覚なのだ。 自分の生活、自分のテリトリー、自分の持ち物が キッチリと整理され、無駄を省けば、 家族の持ち物など隣の家の芝生と同じなのだ どうなって用途関係ない。 ここで「なぜ、ミニマリストになりたいのか?」というのが 出てくる。 空っぽの部屋を目指すのであれば、 物がたくさんある家族との共存は難しいと思う。 物がたくさんある家族の考えをまずミニマリズムに変えていく これが最優先だ。 じゃないといつまでも「物が物が!」と自分の物じゃない物に対して ストレスを感じてしまうだろう。 空っぽの部屋を作るのは一人でないとおそらく無理だ。 それか全く自分の思考と同じ持ち主の人とじゃないと。 だからと言って、家族で住んでいる家から自分だけ独立した生活をする そんな事は不可能だろう。 空っぽの部屋で住んでいる人が必ずしもミニマリストではない。 僕は物が沢山ある部屋に住んでいるミニマリストだ。 でもこの「物」は自分の物ではなく家族の物。 だからどこに何があろうと気にしない。 自分の物は自分の物で管理してあり、数少なく所有している。 共有するべきものも自分の物として持っている。 だから「片付ける場所が違うじゃないか!」という事もない ミニマリストの家とは言い難い家に住んでいるかもしれないが 僕はミニマリストだ。 家族にミニマリズムを押し付ける気も

  • 物がない部屋に不安を感じないメンタルが大事。ミニマリストは物を減らす前にメンタルを安定させる。

    物と精神状態ってよく結び付けられる 僕の見解だが、これは結構あると思う。 物と精神状態は深くつながっていると思う。 ただし、人による。 物を大量に買う症状の病気だってある。 大量に買う原因は人それぞれ違うが、 こうやって心と物は周り周って繋がっている。 今回のテーマ メンタルと物 よく見る案で 「モノを減らすとメンタルが安定する」 そう案ずる人も多い。 確かにモノを整理してスッキリした部屋は気持ちいい。 これは誰もが体験したことある事だ。 気持ちがスッキリする。この程度の物の減らし具合は よくある事。どこでも誰でもよくやる事。 一般の人の物を減らしましょうとミニマリストの物を減らしましょうは 桁が違う。 どこまで物を減らして行けば、色んなミニマリストが言う メンタルの安定が見込めるのだろうか? 状態の変化にもよる。 イキナリ空っぽの部屋に住むのと 物が沢山あった部屋から物を減らし空っぽの部屋に住むのと これは全然違うわけだ。 物が沢山あった部屋が空っぽな部屋になった場合感じる気持ち 寂しさ、寒々しい、孤独、虚無感、ぽっかり穴が空いた感じ これらを感じる事が多い。 引っ越しをする時、今まで住んでいた部屋に物が何にもなくなる。 あの感じだ。 何とも言えない気持ちになる。 引っ越しは新居に引っ越すが、物を減らした場合は そこに住むことになるのだ。 何とも言えない気持ちだ。 物を極限まで減らすとメンタルが安定するどころか メンタルを崩しかねない。 「とりあえず物を減らそう」という発案は結構危ない。 特にメンタルを促す場合、メンタルが弱っている人が 「物を減らせば!」と思い物を減らし、 寂しさ空しさを味わう事になる。 これは傷に塩を塗るようなものだ。 「物を減らす事」は悪い事ではない。 「物を減らすとメンタルが安定する」と促すのが危ない。 言い換えれば、 「物を手放せる強いメンタルを持つ」 これが大事になるのだ。 物より先にメンタルだ。 難しい事だと思うが、これをしなければ 今のメンタルを改善出来る事は出来ず、 悪化する事があると思う。 物が少ない部屋に住んでいる人のメンタルは強い。 メンタルが強いからこそ空っぽの部屋に住めるのだ。 少し逆に考えよう メンタルが乱れると部屋が汚れないだろうか? 要するにメンタルが安定していると部屋が片付くのだ。 片付いた部屋というのはメンタル安定のバロメーターと言ってもいい。 メンタルと部

  • 人生をイージーモードにする。ゲームの様にコツコツとレベル上げして行けばいい。

    人生をゲームの様に過ごすという話を以前した。 人生はお金を稼ぎ、仲間を集め、買い物したり、レベル上げたり これはゲームでもする行程だ。RPGというジャンル。 ゲームでこれらをするのであれば、 リアル生活、人生でやった方が自分のためにもなるし 楽しめれば人生そのものが楽しくなる。 こんな話を聞いてそうだな!って思う人はどれくらいいるのだろうか? 今回のテーマ ゲーマーほど人生ゲームと思えるのではないだろうか? まず、そもそもゲームをしない人は 人生がゲームですよ、とは思えない。 ゲームを知らないから、人生は人生! 人生をなんかよくわからないがゲームと一緒にするな! と思う人もいるだろう。 それはそうだ。ゲームなんて得体のしれない物を 人生と重ねる事なんて到底無理だ。 そうなると一番最初に話した お金を貯める、仲間をあつめる、レベルをあげるという事を ゲームで体験したことある人、もしくは熱中した人は 人生はゲームだという事に少しは賛同してもらえるのではないだろうか? ゲーマーにしか響かない「人生はゲーム」 響くかもしれない。 でもそれはそれ、これはこれ。 ゲームの世界に没頭している人が 人生もゲームだとリアルの生活を頑張るかといえば そうではない。 人生をゲームの様にプレイできれば最高な訳だが、 そうではないという事だ。 人生はゲームの様と解っていても、人生とゲームを分けて考える人が 殆どだろう。 ゲームは何度死んでも蘇れる。 失敗してもやり直せる。 楽しい。 寝ながらでもプレイできる。 ごもっともだ。 僕は何もゲームを辞めて人生をプレイしようぜ!とは言ってない。 ゲームもしていい。ゲームは楽しいし、達成感もある。 僕が言いたいのは 「ゲームもいいけど、人生もプレイしよう。」ということ ゲームと人生を置き換えるわけではなく、 人生もゲームと思って楽しもう。 もう一つ、「人生」というゲームを追加でプレイしよう。 それをいいたい。 今の時代ゲームでもネットで調べたり、 プレイ中も「あれはあーやってこうやって」と 試行錯誤する時代だ。 昔のファミコンのスーパーマリオみたいにピョンピョンする ゲームは少ない。 僕もゲームは好きだ。 オンラインゲームにハマった時期もある。 ハマったからこそ「これってリアル生活と変わらなくないか」 そう思い始めたのがきっかけだ。 オンラインゲームにも「その日のクエスト」などと言い その日にクリア

  • ミニマリストのパッキング。どれくらい「ひょっとしたら」という思考を捨てているのか?

    旅行などで荷物をつめる。 パッキングというらしい。 最近youtubeでよく見る「何泊のパッキングしてみたい」 何を見せられているんだろうと思う。 人の旅行の荷造り。 人それぞれじゃないか。 ミニマリストのパッキングとか見ても 意外と荷物が多かったりする。 本当に何を見せられているのだろうか。 今回のテーマ ひょっとしたら?が余分。 荷造りをする時に邪魔なのがこの「ひょっとしたら」 ひょっとしたらプールにも入るかもだから水着持って行こう。 で、プール入らないとかよくある事。 このひょっとしたらが荷物が増える理由になるのだ。 備えあれば憂いなし この言葉はミニマリストに必要なのだろうか? 僕は必要だと思う。 だからと言って、なんでも備えて持って行くというのは少し違う。 備える場面が違うのだ。 現地で何が起こるか解らない、だから備えて置くではなくて、 現地で何をするかを確実に把握して、行動をする。 現地に向かう前に情報や作戦を練り、「備える」のだ 絶対にプール入らない! こう決めてしまえば水着など要らないし、 絶対にプールに入る! と決めてしまえば水着は絶対に必要な物になる。 出先での行動を読み、必要不必要な物を判断する これが荷物を減らすコツになる。 旅行で目的地を増やせば増やした分、荷物は増える。 目的地や行動を厳選すれば持って行くものも減る。 海も山もあるからどっちの荷物も!となると 荷物は海と山のものになるが、 海と決めていれば、水着だけでいい。 これは旅行に限らず、身近な生活でもそうなる。 行動を制限するのはミニマルな生活の近道だと思う。 旅行では現金が強さを発揮する。 今現在、現金使えないお店は殆ど少ない。 旅行先となるとキャッシュレス機能を使えないお店もあるだろう。 この場面で「キャッシュレス使えないのか」と渋い顔をするのは お門違いだ。 そもそもここ何年も現金でやり取りをしてきた。 キャッシュレスが正義ではない。むしろまだ悪なのだ。 現金は強い。どんな場面でも使える。 使えない場面むしろ少ない。 急に親戚の子供と会った場合、お小遣いあげるのも現金だ。 旅行では現金を持って行けば、なんとでもなる。 むしろ現金だけでもなんとかなる。 それくらいの考えで荷造りをすれば さらに荷物は減っていく。 ひょっとしたら。。というのを完全に無視してはいけない。 難しいところだが、健康保険証などは必要だろう。 ひょっとし

  • 置いている物を見て貧乏と思うのか?着てる物?物の数?工夫の仕方?貧乏そうなミニマリスト。

    ミニマリストを思い浮かべて見ると 貧乏くさいというイメージを抱く人もいる 貧乏だから物買えないんでしょ?という あくまでイメージだが、 ミニマリストと貧乏のイメージは遠からず。 貧乏くさいと言われても仕方ない。 ミニマリストはかっこいい生活スタイル。 それを強調するかのように「物にこだわりを持つ」人もいる。 今回のテーマ 貧乏くさいミニマリストとそうじゃないミニマリスト 僕は自分の生活を見せないミニマリストだから 物もそれなりにあるし、特別物にお金をかける方でもない。 だからどちらかと言えば今回の話では 一般的目線になるのではないだろうか?と思う。 貧乏そうに見えるミニマリストを細かく分けると ①本当に貧乏で物買えない人 ②物を極限に少なく持ち、持ち物は厳選したアイテムのみの人 ③物を極限に少なく持ち、持ち物にもこだわらない人 こんなもんだろうか? パッと部屋を見た場合、①と③は部屋の感じが似てると思う。 こだわりを持たない物はきっと安価なものだろう。 100均のものだったり、使い捨ての物だったり。 これはおそらく普通の人がみたら貧乏くさいと感じるかもしれない あと、物を少なくしようと「工夫」するのはイイと思うが、 その「工夫」が貧乏くさく感じる場合がある。 とりあえず食器や洗剤を見えない場所に隠そうと 流しの下の排水管がある場所に置いてみたりするのを見て、 なんとなく貧乏くさいと感じてしまう。 排水が流れる管の横に食器は置きたくないな~ イイ悪いじゃない。貧乏くさいかどうかの話。 ②はどうだろう? 物が少ない分、余計な買い物せずに、 必要な物にお金をかけれるという理論で アイテム一つ一ついいモノを持つ。 これは一般的に見て「カッコイイ」というイメージが付く。 何もない空間にこだわりの品だけ置く。 きっと置いてる本人もその雰囲気がを目指し厳選しているのだろう。 ミニマリストとしてのイメージも上がるし、目指す人も増えるだろう。 だが、この厳選したツール、ミニマリストの定義でもある 「必要最低限」という枠からハミ出ないだろうか? この話を出してくると元も子もない話になってくるが 本当に自分が大好きな物にお金をかけるのはイイと思う。 そこだけは譲れない!という物は人にはある。 それを厳選していくのには違和感を感じない。 だが、部屋の物。数がすくないからと言って、なんでもかんでも 厳選の物にしてしまうのは少し違うような気

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