どんな大企業も最初は小さな商店か小規模な町工場であったりすることがある。パナソニックやSONYや京セラと言ったところもそうだし、出光興産だってソフトバンクだってそうだ。大きな会社はその前身のDNAというか尾てい骨のようなものをもっている。創業者精神とでもいうのだ
どんな大企業も最初は小さな商店か小規模な町工場であったりすることがある。パナソニックやSONYや京セラと言ったところもそうだし、出光興産だってソフトバンクだってそうだ。大きな会社はその前身のDNAというか尾てい骨のようなものをもっている。創業者精神とでもいうのだ
ある経済評論家が、映画「ゴジラ-1.0」を何度も見てきたとラジオの番組で語っていた。今さらながら「何のために」と思って、映画館に行って見てきた。たしかに、もう一度見てもいいなと思う内容だった。前評判通りハリウッド版のようなカネはかかっていない。だが、しっかり
住宅ローンを組む際に、事前審査をするわけだが、個人信用情報機関にまったく記録のない人もいる。いわゆるスーパーホワイトというものだが、22歳で社会人になりたてというならまだしも、30歳で何の登録情報もないなら、金融機関も与信の判断がつかないことになる。金融機
コンビニ行くたびに、商店で何かを買うたびに、財布からカードを取り出してポイントを貯めるようなパターン化された行動を繰り返している。疑問にも思わなかったが、本当にそんなポイントが必要かどうか。どんな意味があるのだろう。一年で、千円か2千円か、多くても1万円に
12月になるとさすがに反響も落ちてきている。年末感が漂ってきていて活気がない。何も急いで家や土地を買わなくてもいいだろうと、もしくは、できるならもう少し考えてみたいという意識がどこかで決定を先延ばしにしてしまうのだろう。実際、年内に片づけないといけないこと
いつも胸のポケットに差しているボールペンがある。もう十年以上前になるか、ずいぶん長く勤めていた会社を辞める時に、送別会の席で後輩たちが餞別にくれたものだ。「契約ペンとして使ってください」とのことだったが、実際、胸に差しているだけで、一度もカートリッジのイ
若くして頭角を現して、優秀な業績を重ね、企業内のピラミッドを二段抜かしで登っていくような人がいる。技術や知識を周囲と競い合って階梯を登って行ったわけだから、何かと目立つ存在であるし、それなりの評価や地位や収入を得られていいし、多くの人を従え歩くことは当然
自分の好きなことを趣味や職業にすることはできるが、趣味なら、うまくなれなくても、楽しんでやっているのだからそれでいい。職業はそうではない。経験値をあげ、スキルを磨き、成果を上げないと居場所を失う。まして不動産業なら、営業なら、成果が必要だろう。うまくい
人には誰でも美意識があって、職業や立場、常識や法律以外で、自分の行動、言動を縛るものがある。理性で判断する以外に適、不適、ことの是非を無意識に判断している。生活に服装に言動に現れる。人にものをもらったり、施しを受けたりすることを嫌う人もいるし、負けず嫌い
無神経な人はどこにでもいるものだ。自己中心的で他人の気持ちを考えない人が多い。若いのならまだいいが中高年の中にも少なからずいる。周囲が精神疲労を起こしてしまうこともある。お客さんから担当を変えてくれと言われた上司もいるだろう。悪気はないのかもしれないが、
去年の10月、プロレスラーのアントニオ猪木が亡くなった。子供のころからのファンだった。毎週、金曜日のプロレス中継を楽しみにしていた。手に汗握るという表現がそのままなくらい熱心に見ていた。プロレスを見なくなったのは、ちょうど猪木が引退したからかもしれない。
家や土地を売る理由はたいていが住み替えだったり、相続がらみだったり、資金繰りだったりする。使わないから売りますと言ってもそれぞれ差し迫った理由がある。近隣と深刻なトラブルがあって嫌気がさして売ることもある。購入のときにも、買わねばならない理由がある。若い
仲介業者の営業のいいところは、実際に顧客の家を訪問することだ。建売業者の営業とは違う。しっかりとお客さんの目を見て話をすることは大事なことだ。対話の効果がプラスなのかマイナスに向かっているかをリアルに体感できる。場数を踏めばそれなりに吸収するものがあるだ
誰でも多くの顔を持っている。内気でもスポーツマンだったり。上品でも野心家だったり。優しく見えても快楽主義者で嘘つきで狡いこともあるだろう。人生がアンフェアであっても恐れずに立ち向かう人であるかもしれない。賢いと自分では思っているのに簡単に人を信じてしまう
去年の年末から、しばらく更新しなかった。アクセスしてもらっているのに申し訳ないことだ。忙しくて手に負えないほどの量の仕事があったからだ。目まぐるしく状況が変わった。重圧感もあったが挫けはしなかった。立場の弱さを自分で認めればお仕舞だから何とか耐えた。ずい
クリスマスは終わったが、サンタクロースを信じている子供はあどけなくて可愛いものだ。太った白人の老人は、一夜限りだが子供たちのヒーローだ。まだ幼いからと周りの大人は目を細めるが、では神仏を本気で信じている大人は幸せなのか。神仏に身ぐるみはがされたような人を
わからないことは、行政であったり、司法書士や土地家屋調査士、設計士や水道業者、地元の他業者に確認する。売主のかすかな記憶をたどることもある。契約の前の調査がしっかりできているかどうかは大きな問題だ。売買契約の前に重要事項の説明を行うが、重要事項を普通に
緊急事態宣言が解除され、コロナの感染者が激減しても、長い間外食する習慣がなかったから何か食べに行こうとは思わなくなった。透明であろうとアクリルボードに囲まれていては圧迫感が半端ない。食べたいものはテイクアウトで買って帰る習慣がいつの間にかできてしまいそれ
会社の帰りの電車で寝込んでしまって、降りる駅を通過して最終駅まで行ってしまうことがたまにある。疲れがたまっている。また、20分待って30分もかかって本来降りるべき駅に戻る。もう10時をずいぶん過ぎているのに駅前の不動産会社は蛍光灯がついていてまだ担当者が働いて
緊急事態宣言が解除になったが、マスクを付けなくていいわけでなく、目の前のアクリルのパーテーションが無くなるわけではない。商業施設や飲食店の制限が順次緩和されて再開されることになり、学校の行事ももとに戻る。去年、入学した大学生は入学式もなく授業もリモートで
無神経な人はどこにでもいるものだ。自己中心的で他人の気持ちを考えない人が多い。若いのならまだいいが中高年の中にも少なからずいる。周囲が精神疲労を起こしてしまうこともある。お客さんから担当を変えてくれと言われた上司もいるだろう。悪気はないのかもしれないが、
去年の10月、プロレスラーのアントニオ猪木が亡くなった。子供のころからのファンだった。毎週、金曜日のプロレス中継を楽しみにしていた。手に汗握るという表現がそのままなくらい熱心に見ていた。プロレスを見なくなったのは、ちょうど猪木が引退したからかもしれない。