ウォーキングと旅行でのひとり言
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ウォーキングと旅行でのひとり言さん
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ウォーキングと旅行でのひとり言
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ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました
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ウォーキングと旅行でのひとり言
  • ロマンの旅 山形 その12

    鳥海山から約1時間のバスの移動で酒田の山居倉庫までやってきました。バスの駐車したところのすぐ近くにあった農産物直売所です。”みどりの里こめ蔵”とありました。駐車場の近くにあった食事処や物産館のはいった建物です。地図の黄色の線に沿って番号順に歩きました。まず、山居倉庫を見に行きました。テレビの旅行番組などで、よくあらわれた風景です。これを見たくて、今回のツアーに参加したと言ってもいいほどでした。またここの風景を水彩画で描きたいと思っていました。でも、この風景は、山居倉庫の裏側らしいです。(有名な方が裏側なのですね?………………。)左側の木々が、有名なケヤキ並木です。日差しを遮ったり、日本海からの強い西風から、建物を守るために植えられたそうです。倉庫内の温度を一定に保つ目的もありました。御存知だと思いますが、山居倉...ロマンの旅山形その12

  • ロマンの旅 山形 その11

    今日の旅行三日目は、朝一番に鳥海山・鉾立に向かいます。前日の晩のリゾートホテルで、素晴らしい温泉と美味しい和食膳に満足しました。日本海を一望できる展望風呂は最高でした。また夕食の時に飲んだ日本酒はさすがに米どころの地酒と思いました。確か酒の名前は”なまいき”でした。(どういう意味なのでしょうね?…………。)リゾートホテルから、約1時間ほどで、鳥海山の鉾立に着きました。この鉾立は、標高1150mで、鳥海山の5合目にあたる象潟口(きさかたぐち)登山道の起点となる場所です。まず、展望台に行ってみました。展望台から鳥海山の方を見た風景です。上の方がガスっていて、鳥海山は見えていないと思います。(もっとも見えていても、鳥海山は初めてなので、どれがその山かわかりません。)鳥海山は、秋田県と山形県の県境に位置し、標高2236...ロマンの旅山形その11

  • ロマンの旅 山形 その10

    最上川の舟下りを終えて、今日の最後の目的地の「羽黒山三神合祭殿」に向かいました。約1時間ぐらいの移動時間で到着します。雨が相変わらず降っていました。(誰か、雨男、雨女がいるのでしょうか。実は私だったりして?…………。)傘をさしての行進です。周りの木がすごいでしょ……。上図の現在地から、「三神合祭殿」にお参りします。前に見えるのは「平和塔」鐘楼「三神合祭殿」にやってきました。社殿は合祭殿造りと呼ばれているそうで、高さ28m、で、主に杉材を使用していて、内部は総朱塗りです。屋根の厚さは、2.1mに及ぶ萱葺の豪壮な建物になっていました。月山や湯殿山は、遠く山頂や渓谷にあって、冬季の参拝や祭典を執行することができないから、三山の年中恒例・臨時の祭典は全て羽黒山頂の合祭殿で行われます。ここから次は、国宝の五重塔にいきます...ロマンの旅山形その10

  • ロマンの旅 山形 その9

    銀山温泉から最上川の舟下りの乗船場の古口港にある戸沢藩船番所跡までバスで移動してきました。戸沢藩船番所は、その昔、最上川船運のいわば関所跡です。幕府の改易で新庄には戸沢政盛が配転されのちの新庄藩が古口の地にも番所を設置したと言われています。今は、最上川舟下りの乗船場になっています。お土産や、食事や、そば打ち体験等ができる施設だそうです。ここから、我々ツアーの団体も船に乗ります。31人の全員が乗れるようです。雨が降り続いて、心配していたのですが、船に屋根がついていて大丈夫でした。船に乗ってすぐの最上川の風景この舟下りは、最上川の流れに身を任せて周りの景色を楽しみます。我々の船頭さんは、”ちょいワルおやじ”の愛称の逞しいひとが船をあやつりました。もう一人の船頭さんは素敵な女性で”癒し”の愛称がついています。20人以...ロマンの旅山形その9

  • ロマンの旅 山形 その8

    銀山温泉街の奥にある白銀の滝の前にいます。この滝の奥の方に「銀坑洞」の跡があります。江戸時代の寛永期(17世紀前半)にはここの銀山も非常に栄えたようでしたが17世紀中期には銀採掘は衰退し、替わって温泉湯治が盛んになりました。温泉は、銀山の鉱夫が発見したそうです。時間があったら、ここの奥の銀坑洞に行ってみたかったのですが、許された時間が少なくなってきたので諦めます。次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩いています。(今は⑧番の白銀の滝)ここから入ってきた道を戻ります。戻りながら、滝の方をふりかえった風景再び、あのカリーパンの店を通ります。温泉街の旅館のあるところに戻ってきました。相変わらず雨が降っています。(そんなに強くありませんが。)行きとは違って、銀山川の反対の側の道を歩きました。能登屋にきました。おしんの”母...ロマンの旅山形その8

  • ロマンの旅 山形 その7

    立石寺からバスで銀山温泉まで移動しました。約25分ぐらいかかります。移動のバスの中で、ガイドさんが銀山温泉の紹介をされたのですが、”NHKの連続ドラマのおしん”の舞台になったことで有名な温泉らしいです。温泉街から少し離れたところでバスを降り、歩いて行きました。地図の黄色の線に沿って番号順に銀山温泉を散策します。「白銀橋」に着きました。(地図の番号①番です。)正面の先の方に温泉街は広がっています。橋の下を流れる川は銀山川です。この川の両岸に沿って旅館が軒を並べていました。橋を渡ってすぐのところにある「野川豆腐店」立ち食いで豆腐を食べさせてくれるそうです。(すぐ、売り切れてしまうということでした。)そこから少し先に歩いたところの川側に「和楽足湯」がありました。ここで足湯に入る予定で、前のホテルでいただいたタオルを持...ロマンの旅山形その7

  • ロマンの旅 山形 その6

    今、立石寺(りっしゃくじ)の仁王門のところにいます。これから、「性相院」によってから、「五大堂」を目指したいと思います。仁王門をくぐってさらに石段を上がりますお堂がいくつか見えます。周りの木々がまっすぐ天に向かって伸びてました。さらに急な石段を上がります。高いところに、「納経堂」と「開山堂」が見えました。「性相院」にきました。本尊は阿弥陀如来で、運慶作と伝えられる毘沙門天像が安置されていました。伊達政宗公の生母、義姫の日牌所(位牌を安置して毎日供養するところ)です。さらに、上に向かって石段を上がりました。開山堂に向かう石段にやってきました。左に小さく見える赤いお堂が納経堂」で、右側正面にあるお堂が「開山堂」です。納経堂は、堂内の中ではもっとも古い建物だそうです。その中には、宗徒による貴重な写経が納められていまし...ロマンの旅山形その6

  • ロマンの旅 山形 その5

    今、立石寺(りっしゃくじ)の念仏堂の近くの山門のところにいます。(念仏堂は④番です。)山門をくぐって、ここから本格的な登りの石段になります。決められた90分以内で、上まで登って帰ってこなければいけないので、少し不安でした。1000段以上の石段という数にも少し不安です。一緒に登っている人と話しながら、石段を上って行きました。途中に、たくさんの石の地蔵さんがおられます。ひたすら、登りました。私たちと同じツアーのメンバーが前後で歩いています。登る前に、ガイドさんが高齢者のグループということで、くれぐれも無理をしないように心配されていました。石段を上がりながらも、すごく新鮮な空気を感じました。パワースポットというのでしょうか?…………。石の仏様も数多く見られます。ちなみに、前のおじさんの二人も我々のグループの人たちでし...ロマンの旅山形その5

  • ロマンの旅 山形 その4

    ”ロマンの旅山形”のツアーの二日目に入りました。昨日の晩は、バイキングの夕食が最高でした。何を食べたら良いのか迷いました。(食べたいものがありすぎて、…………量をそんなに食べることが出来ない年齢になっているので。)豪華なものがいっぱいあったのですが、結局一番良かったのが「芋煮」でした。温泉も素敵でした。山形はどこの町に行っても温泉があるようなところだそうです。今日は二日目で、朝早くから「立石寺」に行きました。宿から約1時間で立石寺に到着します。まず、「根本中堂」に向かいました。この立石寺では、一番上まで行くには、1000段以上の石段を登らなければいけません。決められた90分の時間で、一番行きたかった「五大堂」まで行けるか不安でした。(五大堂は、よくテレビなどでも出てくる岩に突き出したお堂です。)目の前に見えてき...ロマンの旅山形その4

  • ロマンの旅 山形 その3

    かみのやま温泉で宿泊するホテルの周りを観光している途中です。武家屋敷群と城への分岐点にいます。ここを右に行くと城に行けます。城への道を歩きます。知らない土地へ来て、初めて見る風景はいつも楽しみでした。上の地図の、月岡神社と上山城の間の道を歩きます。ちょうど、城の裏をまわって、行く感じでした。途中に足湯に入れる場所ががあり、いかにも温泉町だと思いました。(しかも、城のすぐ近くの公園にです。)上山城(月岡城)の正面に来ました。南北朝時代の天童頼直(最上氏の祖斯波兼頼の孫)の子「上山満長」が上山に配されたことに始まります。この後、伊達、上山、最上がここをめぐって争います。城が、一番存在が大きかった時には、本丸に三重の天守や各所に櫓門がありました。月岡・天神森にそびえるその壮麗な城郭は「羽州の名城」として有名です。時代...ロマンの旅山形その3

  • ロマンの旅 山形 その2

    蔵王からバスで約2時間かかって、1日目の宿の「かみのやま温泉仙渓園月岡ホテル」に到着します。添乗員さんから、「ホテルの周りにも素敵な武家屋敷や城がありますので、よかったら見てください。」という話があったので、部屋で少し休んでから観光に出かけました。(午後の5時ぐらいです。)月岡ホテルを出発して、まっすぐ武家屋敷に向かいました。最初の「森本家」です。先祖は丹波国多紀郡大雲郷出身です。代々藩主の随伴役が多く、寛永3年(1706)に、上山へ定住しました。文久年間(1861〜1863年)以降、現在の屋敷に移動したと言われています。森本家は個人所有のため軒先きのみ見学ができました。森本家の付近から、武家屋敷のある通りを遠望した眺めです。左側すぐ先に「三輪家」が見れます。三輪家の前に来ました。閉館のようです。(開館時間が9...ロマンの旅山形その2

  • ロマンの旅 山形 その1

    ”「ロマンの旅山形」まるごと山形県ぐるり大周遊”というテーマのツアーがありました。(読売旅行)私たち夫婦はこれに参加することになります。9月の初めに、朝早く伊丹空港から旅立ちます。搭乗ゲートの前の風景です。10年以上ぶりに飛行機に乗ることになり、少し、緊張しています。(搭乗手続きが少しめんどくさいですね。前はもっと簡単だったような記憶があるのですが?…………、記憶違いかも?……。)ここの窓の外の空港風景いよいよ、飛行機に乗り離陸しました。下の風景は、まだ空港の近くです。高さはだいぶん高くなっているとおもいます。雲の上にきました。雲が綺麗です。伊丹空港から仙台空港まで約70分かかりましたが、感覚的にはあっというまでした。着陸です。着陸後ひさしぶりに飛行機に乗ったので、子供のように楽しみました。これから、山形県をま...ロマンの旅山形その1

  • 姫路市網干 古い町並みを歩く その7

    龍門寺の大門の前にいます。これから、山陽網干駅に戻ります。(⑦番のところにいます。)黄色の線に沿って番号順にウォーキングしました。駅へ戻る途中に「旧網干銀行」によろうと思います。揖保川にかかる「本町橋」まで行くまでに、「浜田西屋台蔵」がありました。灘のけんか祭りは有名ですが、姫路はどこも祭りが盛んです。立派な屋台蔵です。ここからしばらく歩いて、本町橋を渡り、揖保川沿いを戻っていくと、「網干商工会館」の前を通りました。(地図のB地点です。)これを右にまがり、「旧網干銀行」に向かう通りに入ってくると、レトロな洋館に出会いました。(地図のE地点)こちらは、和の素敵なお家です。そうこうしている間に、網干銀行にやってきました。(地図の⑨番です。)龍門寺から45分かかりました。でも、あの大正時代の煉瓦造りの洋風建築は見るこ...姫路市網干古い町並みを歩くその7

  • 姫路市網干 古い町並みを歩く その6

    今、龍門寺境内の大方丈(本堂)の前にいます。これから中に入って見学します。大方丈の前に広がる「不生庭」です。不生庭の説明本堂の中の様子ボランティアで案内の人がついていっしょに見学しています。大きな茶わん?………が見えます。茶会で使われるのでしょうか?。正面からの不生庭次に、「禅堂」の方へいきました。この龍門寺は、丸亀藩主京極家の保護と網干の豪商佐々木氏の援助を受け、盤珪国師が寛文元年(1661年)に再興したものです。盤珪国師は難解な禅をやさしく説きました。この禅道場は、一般の人も入門できるそうです。祠堂です。京極家の位牌が祀ってありました。京極氏の「平四つ目結」の家紋が見えます。(真ん中ぐらいの柱の上にあります。)1,658年に、京極家が播磨龍野から讃岐丸亀に国替えになりますが、この網干に飛び地が残され、興浜に...姫路市網干古い町並みを歩くその6

  • 姫路市網干 古い町並みを歩く その5

    旧山本家の正門のところにいます。今から、次の観光ポイントの「水井家」に向かいます。次の地図の黄色の線に沿ってウォーキングします。(⑤番のところにいます。)山本家の前の道を西へ歩くとすぐに、水井家に着きました。水井家の前の道路の、少し西側から見た風景です。この家は、戦前には材木問屋であったそうです。大正11年に建てられました。材木問屋を営んでいたこともあり、屋敷構えは豪壮で、太さの揃った材木は贅を尽くしていたようでした。もう少し西から見た風景さらにに西から……。いろんなところで見学に時間がかかって、初めの計画からはだいぶん時間が遅れました。ここから次の目的場所の「龍門寺(りょうもんじ)」に急ぎます。少し離れていました。約20分ぐらい歩いて、龍門寺の大門につきます。この大門をくぐって、境内に入りました。大門から右の...姫路市網干古い町並みを歩くその5

  • 姫路市網干 古い町並みを歩く その4

    旧山本家住宅にいます。これから2階に上がります2階から前の通りを見た風景です。正門の方向を見下ろした風景東側の方向を見た風景2階北側(正面街路側)の和室です。床柱は、外国産と思われる珍奇な銘木を使っているようでした。(でも、専門家が見てもはっきりなにの木かわからないとのことです。)東側の窓洋風の両開き窓がありました。2階の部屋は全て和室です。縁部分を半間ほど張り出し引き違いの掃き出し窓とし、外側には高欄を取り付けていました。一間半の床の間に付書院があります。三階の望楼に上がります。前に見えるのは、右側が正門で、左が勝手口です。右手方面を見た風景案内の方の丁寧な説明で、満足しました。(残念なことに、聞いた説明の半分も記憶に残りませんでした。メモを取りながらというのもたいへんですので…………。)ここにきている人の中...姫路市網干古い町並みを歩くその4

  • 姫路市網干 古い町並みを歩く その3

    今、旧山本家にいます。これから、洋館の玄関から中に入ります。玄関の上を眺めた風景素敵な意匠ですね。私を含めて3人の見学者と案内人とが一緒に住宅内をまわりました。玄関入り口玄関の大理石の床最初は、応接間です。応接間は洋館の中でも最も重厚華麗な造りになっています。照明器具や家具調度類が大正時代を感じます。応接間のシャンデリア山本真蔵氏と思われます。この洋館は大正7年(1918)に、山本真蔵氏が建てた和洋折衷の建物です。真蔵氏は、第11代網干町長、網干銀行の頭取を務めました。サンルームに入ります。書斎に入ります。床です。寄木造と言うのでしょうか?…………。戸の意匠がこっていました。窓のサンガラス戸船底天井と言うのでしょうか?……、船底を逆さにしたような形です。金庫室トイレ離れ和館に続く廊下の天井に、はめ込まれたステン...姫路市網干古い町並みを歩くその3

  • 姫路市網干 古い町並みを歩く その2

    「あぼしまち交流館」から出てきたところです。この交流館は、地元の人には交流活動や文化的活動に利用できる施設であり、私たち旅行者には網干観光の拠点になっていました。ここから網干の古い町並みを探すウォーキングを再開します。地図の黄色の線に沿って番号順に歩いていきます。(今は③の交流館にいます。)出発して少し歩くと、漁港の雰囲気がただよう川の風景に出会いました。地図のAの地点です。その風景を見ながら通った「新両浜橋」です。両浜とは、興浜と余子浜という、浜のつく二つの村を結ぶという意味があるとのこと。この眺めは私の好きな風景です。ここから少し歩くと、レトロな洋館にに出会います。(地図のBの地点)「網干商工会館」です。網干商工同友会の施設として昭和15年に建てられました。昭和のにおいがプンプンしてくるような素敵な洋館です...姫路市網干古い町並みを歩くその2

  • 姫路市網干 古い町並みを歩く その1

    山陽電車で、白浜の宮駅から網干駅までやってきました。ちょうど、正午を過ぎたぐらいです。山陽電車の網干駅です。午後は、この駅から網干の古い町並みを探して町をを歩きたいと思いました。黄色の線に沿って、番号順にウォーキングします。駅前から、歩きながら、昼食が食べれるところを探します。昼食に関しては、今まで、いい加減だったのですが、あることからきちんと食べなくてはいけないと思いました。駅前から、ゆっくりと歩きます。これから、この町で観光情報を得ようと考えていたので、地図とか持っていませんでした。交差点で250号線を渡って、歩いていると、昭和風の中華料理店に出会います。なにか、ピンときて、ここで昼食を食べました。(昭和風の店構えと、”浜さき”という店の名前に…………。)期待を裏切らず美味しい店でした。頑固そうなオヤジが一...姫路市網干古い町並みを歩くその1

  • 姫路市妻鹿 黒田官兵衛ゆかりの地を歩く その3

    国府山城跡(こうやまじょうせき)の一番高いところで、姫路の街を見下ろしながら休憩しています。市川が流れ、そのはるか向こうが姫路の街だと思います。この場所は、この絵図の本丸のところあたりだと想像しました。(この絵図自体がイメージとのこと)国府山城は、別名を妻鹿城、攻山城と言います。官兵衛が自らの居城であった姫路城を秀吉に明け渡し、移り住んだ城と言われていました。ここから、姫路城が見えるということは、見事なところに城を築いたと改めて驚きます。また、この城は城郭の観点から見て砦のような小規模なものですが、優れたところが多くあったと思われました。○たいへん堅困な要砦をなしているということ○瀬戸内海を一望のもとに眺めることができる見晴らしの良い城であること○市川、京口川を使って、姫路城の近くまで船で行くことができたこと築...姫路市妻鹿黒田官兵衛ゆかりの地を歩くその3

  • 姫路市妻鹿 黒田官兵衛ゆかりの地を歩く その2

    元宮八幡神社の境内から出てきたところです。次の地図の黄色の線に沿って番号順にウォーキングをします。(今は②番の位置です。)これから、次の目的地の「国府山城」に登る登山口の「荒神社」を目指します。元宮八幡神社の前の通りで、行く先を見た風景です。(左の大きな家は地図のFの位置)この通りをしばらく西へ歩きました。このすぐ先の四つ角を右に曲がります。曲がったところの風景ずっと向こうに見える山に「国府山城(こうやまじょう)」があリます。しばらく歩いて、ここを左に曲がりました。ここにも案内看板があります。(看板のある位置が地図のGの位置です。)(この案内看板は、非常に助かりました。)曲がって、歩いて行くと、「荒神社」につきます。石段を上がって境内へ入ります。「妻鹿城址(国府山城趾)」の石碑がありました。その近くに、「荒神社...姫路市妻鹿黒田官兵衛ゆかりの地を歩くその2

  • 姫路市妻鹿 黒田官兵衛ゆかりの地を歩く その1

    7月のはじめ、かねてから歩いてみたかった姫路の妻鹿と、網干に行きました。播州赤穂からJRで姫路駅にやってきます。姫路駅前です。正面はるか遠くに、姫路城が望めました。ここを左方面に行くと、山陽電車の姫路駅があります。山陽電車で、妻鹿駅まで行きました。妻鹿駅についたところ。次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩きます。若い頃に、姫路の高等学校に勤めていたのですが、この妻鹿を歩いて観光することはありませんでした。今回、黒田官兵衛ゆかりの地を歩くということで、たいへん楽しみです。妻鹿駅を出て、市川沿いに歩きます。最初に、「黒田職隆廟所」を訪ねようと思いました。(地図のAの印の場所の風景)少し行ったところで、右へ鋭角的に曲がり坂を下りました。地図のBのところから見た風景です。大きな立派なお宅です。ここを道なりに行くと分岐点...姫路市妻鹿黒田官兵衛ゆかりの地を歩くその1

  • 奈良 城下町大和郡山を歩く その8

    源九郎稲荷神社から出てきました。これから、次の観光ポイントの「外堀緑地」に行きます。次の地図の黄色の線に沿って、ウォーキングを続けます。神社に入ってきた道を戻りました。ここをまっすぐ行くと、元来た道です。ここで左に曲がって、1本西の筋へ行きました。ハイキングMAPにある目印の「大信寺」を見つけます。この通りを、北へすぐのところに、「町屋物語館(旧川本邸)」がありました。大正11年に建てられた木造3階建です。細い格子がはまった、元遊郭の建物で、その当時、一世を風靡しました。昭和33年に廃業し、その後は下宿となり、客間は貸間として利用されました。内部には、意匠を凝らした欄間や上質な数寄屋造りの小部屋など特殊な建築技法を各所に取りいれ、素晴らしい造形美が見られるそうです。平成30年から一般公開されていますが、この日は...奈良城下町大和郡山を歩くその8

  • 奈良 城下町大和郡山を歩く その7

    ランチを食べて、「OSTERIAORBETELLO」から出てきたところです。地元の人でにぎわっていたので、人気店だと感じます。リーズナブルでしゃれた美味しい料理だと思いました。(今日の昼飯は、あたりでした。)ここから、次の地図に従って、ゴールのJR郡山駅を目指します。イタリア料理店を出て、前の通りを南へ歩きます。この辺りは、新紺屋町の町表示があります。しばらく歩くと、道路に埋め込まれた案内板がありました。箱本とは、外堀の内側に位置する13の町で始まった、町の自治組織のことです。内町13町といって、本町、今井町、奈良町、藺町、柳町、堺町、茶町、豆腐町、魚塩町、材木町、雑穀町、錦町、紺屋町で構成されていました。豊臣秀長が城主の頃にはじまり、江戸時代の中頃になると、枝町(14町)を含む27町に拡大し、さらに外町を含む...奈良城下町大和郡山を歩くその7

  • 奈良 城下町大和郡山を歩く その6

    今、大和郡山の三の丸緑地にいます。池の中の亀を見ながら、休んでいます。でもこの2匹の亀はなにをしているのでしょうか?…………。ここから次の地図の黄色の線に沿って歩いていきます。ここが、「三の丸緑地」という名称なので、簡単に考えると、この外側に外堀が囲んでいたわけです。緑地から出たところの交差点です。交差点を渡って、ふと、交差点の方向を見ると、大きな石垣が見れました。この通りを少し東へ歩くと、左側に市役所がありました。地図を見ながら、写真を撮りながら歩きます。さらに、ちょうど、昼に近づいたので、食べるところを探しながら…………。ハイキングMAPで、お土産に紹介されている老舗の和菓子店にきました。(間違わずに、順調に歩けています。)この店は、天正13年、豊臣秀長に従って、但馬出石から郡山にやってきました。ここのおす...奈良城下町大和郡山を歩くその6

  • 奈良 城下町大和郡山を歩く その5

    今、天守台にいます。周りの景色を見ながら休んでいるところ。次の地図の黄色の線に沿ってウォーキングを再開します。天守台から降りて、天守台の北面の石垣のところに行ってみました。「さかさ地蔵」があります。天守台の北面石垣の築石として積まれた地蔵で、頭部を奥にうつむきに積み込まれているために「さかさ地蔵」の名で呼ばれています。郡山城の石垣にはさまざまな転用石材が使われていました。寺院の礎石、石塔、石仏、日常の石臼などで、石垣の表面だけでも多くのものが確認されています。石材が乏しかった上に築城を急いだのが原因だと考えられます。信仰の対象だったものまで容赦なく使うところに、城造りの厳しさが感じられました。ここから、もと来た道を戻り、「柳澤文庫」へ向かおうと思います。戻っていくと、途中で、石垣の修復を行っていました。ここを過...奈良城下町大和郡山を歩くその5

  • 奈良 城下町大和郡山を歩く その4

    今、永慶寺から出てきて、山門の前にいます。この山門が、郡山城の残った唯一の遺構とは、なにか特別の思いがします。ここから次の観光ポイントの「郡山城」を目指します。次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩きました。(今は⑦の永慶寺にいます。)約5分ぐらい北へ歩くと、城跡の入り口に来ました。右側の鷺池(中堀?)左側の城址公園(西公園)ここから城址の中に入って行きました。次の堀は内堀と思います。さらに、石垣に囲まれて歩きます。右側には、白壁が続きます。(白壁のむこうは、県立郡山高校と思います。)地図の「仕切り屏」の記載のところに来ました。永慶寺から約15分かかっています。「柳澤神社」に行く前に、「文学碑」に寄り道することにします。郡山城のすごい石垣を堪能してください。道の左側の石垣を見てきましたが、右側は郡山高校です。竹林...奈良城下町大和郡山を歩くその4

  • 奈良 城下町大和郡山を歩く その3

    金魚池を見ながら休憩しているところです。大和郡山は金魚のふる里と言われています。郡山で金魚を養殖することが盛んになったのは、この藩の最後の領主の柳澤家と関係が深いのでした。柳澤吉保の子の吉里が、甲斐の国(山梨県)から大和郡山に国替えとなった時に、持ってきたと伝えられています。次の地図の黄色の線に沿ってウォーキングをします。今は、⑤の金魚資料館の付近にいます。これから、黄色の線に沿って歩いて、「大納言塚」を目指します。少しの間、西へ向かって歩くと、金魚池の低い場所から、上の道へ上がるようになります。道へ上がって先を見た風景です。上から、金魚池を見た風景ここから、少し、北へ歩きます。次の目印のポイントの場所に小さな祠がありました。地図(詳細な方)に祠の記載がありますので、コースはきちんとあっています。ここから下へ降...奈良城下町大和郡山を歩くその3

  • 奈良 城下町大和郡山を歩く その2

    今、賣太神社の拝殿の前にいます。何か、清々しい空気を味わいながら、少し休憩しました。賣太神社(めたじんじゃ)は、古来より、日本最古の書物”古事記”の語り部であった稗田阿礼を主祭神として祀ってきました。地元の人は、「ちえの神・記憶力の神・お話の神様」として、崇敬して、お参りされます。これから、次の地図に従って、ウォーキングを続けます。境内のトイレの横から外へ出るコースになっています。草がいっぱい生えていて、わかりにくい道でしが、なんとか、境内の外へ出ることができました。(この小さな鳥居を通って出ました。)ここから、稗田集落の中を地図に従って歩きます。地図のBの印の場所を確認できました。ここをまっすぐ先へ歩きました。次の風景は、脇道の小路の家、家です。稗田環濠は、大和の環濠の代表例として有名です。(学校の教科書にも...奈良城下町大和郡山を歩くその2

  • 奈良 城下町大和郡山を歩く その1

    前日、奈良駅のほんすぐのスーパーホテルでゆっくり泊まって、今日は朝早くから大和郡山にやってきました。(奈良から郡山まではひと駅です。)地図の黄色の線に沿って番号順に歩こうと思います。この地図は、10年以上も前にJR西日本から発行された「郡山駅からはじまるハイキングMAP」を参考につくりました。なんとか、この地図の指定通りに、郡山を歩くことを目的としました。もとの地図は、もっと詳細で、道の分岐点となる目標物もたくさん記入されています。それを参考にして、なんとか間違いなくコースを歩き通せたらと考えています。もっとも、10年以上も前の地図ですから、目標物も変っていて、あてにならないことがあるので、それも考慮しながら歩くのが面白いところです。まず、スタート地点の郡山駅です。駅の西側へ降りて来たところの風景です。スタート...奈良城下町大和郡山を歩くその1

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