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akuto508
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2018/09/29

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  • 国分神社(こくぶじんじゃ:柏原市国分市場)~松岳山古墳や玉手山古墳群とご祭神大国主命

    当地からおよそ東1キロの所には、河内国分寺や、元正天皇、聖武天皇が利用したという竹原井頓宮(青谷遺跡)があり、古代から発展していた地に鎮座しています。とにかく当社というと、背後の松岳山古墳の墳頂で露出している石棺が有名ですが、同じく気になっていたのが、一般に語られる祭祀氏族とご祭神の関りが分かりにくい事でした。車で行かれるなら、神社前のこんもりした良い雰囲気の場所に駐車場はありますが、そこに至る直前の道がだいぶ狭いので、歩ける距離にある大和川親水公園の駐車場がお薦めと思います。・入口の鳥居【ご祭神・ご由緒】大国主命が主神、少彦名命と飛鳥大神を配祇します。地元の伝承では、当社の起源は鎌倉時代で、その頃に大国主命と少彦名命の二神を勧請し、さらに古代からの伝承にもとづいて飛鳥大神を併せ祀ったのかもしれない、と「...国分神社(こくぶじんじゃ:柏原市国分市場)~松岳山古墳や玉手山古墳群とご祭神大国主命

  • 飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ:高市郡明日香村)~酒船石遺跡と飛鳥山口坐神社の関係

    平日の休みを利用して、すぐ近くの奈良県立万葉文化館の見学と合わせて参拝をしました。万葉文化館の無料駐車場は110台停めれて飛鳥観光には便利ですが、土日祝は朝から一杯らしいです。常設展示(無料)を簡単に見学してインスタ映えする昼食を頂きましたが、飛鳥時代の生活風景を実物大人形で再現したユニークなエリアもあり、またじっくり見に来たいと思いました。コンサートなどイベントも工夫されています。そしてやはり、飛鳥はのどかで気持ちよいところだと、改めて感じました。゛謎の巨石゛とも久しぶりの再会でした。・万葉文化館入口では、せんとくんがお出迎え【ご祭神・ご由緒】現在のご祭神は、八重事代主神、大物主神、飛鳥神奈備三日女神(加夜奈留美神)、そして高皇産霊神です。当社の座数は、「延喜式」神名帳で初めて「飛鳥坐神社四座」と明記さ...飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ:高市郡明日香村)~酒船石遺跡と飛鳥山口坐神社の関係

  • 生田神社(いくたじんじゃ:神戸市中央区)~忽然として現れた稚日女尊と「日本書紀」区分論の天照大神

    昔からエキゾチックなイメージから゛おしゃれ゛とされてきた神戸三宮(今はどうなのでしょうか)。そんな駅前の一等地に一見不釣り合いにも見える大神社です。「日本書紀」に創建由来が載るというご由緒も十分な古社ですが、人と人の縁を結ぶ神として恋愛成就を願う参拝者が多いとされますが、神社は特に厄除け・安産祈願の御利益も案内されているようです。お名前の生田についても、活き活きとした生命力あふれる場所に由来するとされていて、パワー・スポットとしても人気があります。たまたま平日に参拝したのですが、それでも神戸っ子の心のよりどころと言われるとおり参拝者がひっきりなしで、やはり女性の比率が高かったです。また、境内奥の「生田の森」でも市民の憩いの場らしく思い思いにくつろがれていました。・一の鳥居を入ると右側に鎮座する松尾神社・同...生田神社(いくたじんじゃ:神戸市中央区)~忽然として現れた稚日女尊と「日本書紀」区分論の天照大神

  • 姫嶋神社(ひめじまじんじゃ:大阪市西淀川区)~゛アカルヒメ命゛が実際にやりなおしたらしい事

    主祭神アカルヒメ命の渡来のご由緒にあやかって「決断と行動の神様」として自立した女性の心願成就や、さらにこの地で再出発をされた姫神にちなんだ「やりなおし神社」としての再起復活など、現代人としては時としてすがりたくなるご神徳を掲げる神社です。新たな目標を目指すために断ち切らなければならない事柄があれば、「赤玉」に念じて「はじまりの碑」の穴に投げ通し、「帆立絵馬」を碑にかければ、背中を押してくれるといいます。そのようなユニークな御祈願で親しまれている神社ですが、なかなかその創祇起源はおぼろげ、複雑で興味を注がれます。・スポットが散りばめられた境内。近代的な建物は社務所です。右端は昔の敷石を石壁にした「長続き石」【ご祭神・ご由緒】阿迦留姫(アカルヒメ)命と住吉大神、そして神功皇后を祀りますが、神社名の゛姫゛とは言...姫嶋神社(ひめじまじんじゃ:大阪市西淀川区)~゛アカルヒメ命゛が実際にやりなおしたらしい事

  • 宗我坐宗我都比古神社(そがのそがつひこじんじゃ:橿原市曾我町)~蘇我氏の出自を語る「入鹿宮」、そして飛鳥伝承の大和と出雲

    飛鳥時代の超有名な豪族、蘇我氏ゆかりの神社で、そばには曽我川が流れ、住所にあるとおり地名にも痕跡が現われています。しかし、蘇我稲目、馬子、蝦夷と飛鳥時代に権勢を奮い、乙巳の変で殺害された蘇我入鹿にちなんで「入鹿宮」との呼ばれる当社は、その蘇我氏が活躍した舞台であるはずの明日香村とは離れた位置にあり、また現在は境内も結構こじんまりしています。蘇我氏に関わる定説や伝承、そして当神社の由来などに思いをめぐらしてみたいと思い、参拝させていただきました。「真菅よし宗我の河原に鳴く千鳥間無しわが背子わが戀(こ)ふらくは」柿本人麻呂の歌です【ご祭神・ご由緒】ご祭神は、曾我都比古と曾我都比売で、二体の木造神像が御神体になっています。「大和志」では当社について、曾我村の北に在り、今入鹿宮と称する、と書かれているようですが、...宗我坐宗我都比古神社(そがのそがつひこじんじゃ:橿原市曾我町)~蘇我氏の出自を語る「入鹿宮」、そして飛鳥伝承の大和と出雲

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摂津三島からの古代史探訪
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