月日がたち、私は気がつけば48歳になっていました。娘たちは19歳と21歳の大学生になりました。夫も歳をとりましたが、性格がまるくなるどころか、モラハラは更に酷くなっていました。相変わらず夫の帰宅時間が近づくと 今日のご飯のことで何か言われないか、何か粗相はない
こんなにも苦しくて惨めな結婚生活なのに、どうして私は26年ものあいだ、夫との離婚に踏み切ることができなかったのでしょうか。今なら少し客観的に考えることができます。そんなバカなと思われそうですが私はずっと モラハラの被害者だとは気づいていませんでした。夫から
まだ結婚をする前に 夫の実家に初めて行った時のことです。挨拶を済ませ一緒に食事をすることになりました。お義父さんとお義母さん、弟さんのごく普通の家族でしたが、何か異常な感じがありました。お義母さんはお義父さんの顔色をとても気にしているようで、ものすごく気
私は夫から無視されることがものすごく怖かった。夫は気に入らないことがあったり、自分が何か失敗したりすると、暴言を吐いた後 必ず私に対する無視を始めます。それは三日で終わることもあれば、何週間も続くこともありました。何を聞いても話しかけても 全く返事もせず
夫には色々なものを破壊されました。仕事で嫌なことがあったり、自分が何か失敗してしまったりしてイライラしている時、夫の怒りにじわりじわりと火が付き始めます。 そして家事の至らないところや、食事の気に入らないことを見つけて怒りを爆発させます。理不尽な言葉の暴
夫のモラハラ行為は子供たちにまで及んでいました。子供が小さい頃は全く育児を手伝ってくれませんでしたが、コミュニケーションがとれるくらいに成長してからはやっと普通の父親のように遊んでくれたりするようになりました。でも些細なことですぐにキレて子供たちの心を傷
よくお友達から、どうして離婚をしないのと聞かれました。私もブログを読み返して、よく26年も一緒にいたなぁと思います。でもその頃の私は いくら辛くても離婚をしようとは考えていませんでした。信じられないけど、どんな父親であっても家族が離ればなれになってはいけ
うちには夫の両親のお仏壇がありました。いつも夫は仕事から帰ってくるとお仏壇にお線香をあげるのが日課でした。その日は仕事帰りに飲みに行っていて遅く帰ってきました。いつものように仏壇の前にいってしばらくすると「おい線香は」の声。私は血の気がひくのがわかりまし
夫は「死」という言葉をいつも軽々しく使う異常なところがありました。テレビを見ていて気に入らない芸能人がでてくると、「こんなやつ死ねばええねん。」ニュースなどを見ていても、「こんなやつ公開処刑にしたらええねん。」子供の前でも平気で言うので 本当にそれはやめ
私は夫を大きな子供と思うようにしようと努力しました。子供の頃、母親にあまり愛情を注いでもらえなかったため、私に甘えているんだと、夫のことを理解しようと思いました。そう考えることで夫の行為を「あーまたイライラが始まったのね」と言う風に受け流してみようと考え
夫は 異常なほど食事にうるさい人でした。好き嫌いがとても多く、毎日の献立を考えるのに 私はいつも頭を悩ませていました。豚肉は食べても冷しゃぶは嫌いとか、同じ食材でも料理によって食べられないものがあり、昨日まで食べられていたのに 突然嫌いになったりすること
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