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  • ■ - さあ来い 卒サラ! ~悔いのないセカンドライフを目指して~

  • 自分で道を切り拓け!

    よしをです。 諸外国と比較して、日本のサラリーマンは、出世欲が希薄で、 独立や起業意欲も低い一方で、 会社や職場への満足度が低いといわれていますが、 それにもかかわらず、転職意欲もなく、自己研鑽の努力をしていないという、 困った結果が出ています。 わたしは嫌いな言葉ですが、まさに社畜というやつです。 居酒屋で、中高年のサラリーマンが、 会社の愚痴を、熱心に語り合っている姿を目にすると、 自分で何らかのアクションを起こせばいいのに、と同情してしまいます。 まあ、これこそが、日本のサラリーマンの原風景ですが…。 わたし自身を含め、多くのサラリーマンというのは、 新卒で会社に入るまで、 仕事の内容や…

  • 10万円のリゾートマンション

    よしをです。 かつて、全国各地の避暑地やスキーリゾート、ゴルフリゾートなど、 魅力的なリゾート地に、たくさんの別荘やマンションがつくられましたが、 その多くが廃墟化したり、空洞化するケースが目立っています。 80年代のバブル期に建設され、数千万円~1億円以上で取引された、 高級リゾートマンションが、タダ同然の価格で販売されています。 リゾート物件というのは、メンテナンスにお金がかかります。 建物そのものだけでなく、 テニスコートや温泉施設、プールなどが併設されている場合、 管理費用は、莫大なものになります。 リゾートマンションの場合、 管理費用には、入居者の積立金が充当されることになっています…

  • 大韓航空機爆破事件

    よしをです。 1987年11月29日、 バクダッド発アブダビ経由ソウル行の大韓航空858便が、 アブダビからソウルへの飛行途中で爆破されました。 犯人は、日本の偽造パスポートを所持した、 北朝鮮籍の金勝一(蜂谷真一の偽名)と金賢姫(蜂谷真由美)の2人です。 858便はビルマ上空で爆破され、115名の乗客乗員全員が亡くなりました。 2人はアブダビで、同機から降りていました。 韓国当局は、搭乗名簿から、この2人の男女の犯行への関与を疑い、 日本当局にも、その情報が伝えられました。 日本大使館が男女のパスポートを照会すると、偽造であることが判明し、 2人が、バーレーンの空港に移動し、 ローマ行の飛行…

  • 社会保障の財源を考えてみる

    よしをです。 公的年金の支払いにおいて、 年金保険料の収入がカバーしているのは、全体の70%程度で、 不足分は、税金で補填しています。 医療費についても、医療保険料収入は全体の50%で、 残りは、税金からの補填に頼っています。 年金と医療費の合計金額は、年間100兆円に迫る勢いで、 これは、日本の国家予算に匹敵します。 さらに今後、高齢化がすすむと、 現在の年金制度や、医療制度を維持するためには、 財源はさらに不足してきます。 高齢化に対応し、社会保障の水準を維持するためには、 現在のシミュレーションで、少なくとも10兆円の追加が必要です。 国民が、年金制度の改悪も、 医療制度のサービス低下も…

  • AIIBの現状

    よしをです。 アジアインフラ投資銀行(AIIB)は、 2013年のAPEC首脳会議で、習近平国家主席が提唱し、 2015年に発足しました。 2019年12月現在で、加盟国・地域は100に到達しました。 先進7か国(G7)では、アメリカと日本だけが、AIIBに未加盟です。 日米主導で1966年に設立された、 アジア開発銀行(ADB)の加盟国・地域は67ですから、 AIIBへの参加国は、それを上回り、 先進国も、途上国も、こぞって潤沢なチャイナマネーに群がりました。 日本の現時点での不参加のおもな理由は、 AIIBが、国際金融機関として、 公平性や透明性が確保されていない懸念を抱いていることです。…

  • ペルシャとアラブ

    よしをです。 イスラエルとイランは、政治、軍事的に敵対関係にあります。 イスラエルは、イランによる、シリアやレバノンのヒズボラ支援を強く非難し、 核開発疑惑についても、警鐘を鳴らしています。 一方、イランでは、イスラエルの核武装を危険視し、 パレスチナ人への弾圧を、厳しく批判しています。 しかし、歴史をたどると、2500年以上前、 ペルシャは、イスラエルの恩人であり、救世主だったのです。 ヤコブから始まったイスラエル民族は、 エジプトにおける、400年もの間の奴隷生活の後、 モーゼに率いられて、出エジプトを果たして、カナンに入りました。 後に、サウル、ダビデ、ソロモンの三王時代になって、 イス…

  • 香港からの脱出先

    よしをです。 華僑(あるいは華人)の歴史は、古くは唐代(8~9世紀)に遡り、 明代(16世紀)、清末期(19世紀)などに、 東南アジア各地への、中国人の大きな民族移動の波が起こりました。 華僑の多くは、社会の底辺部にいた人たちですが、 団結心の強いかれらは、 移住先で、同族や同郷出身者で構成される「幇」という組織を結成し、 ネットワークを広げて、社会的地位を向上させていきました。 現在、シンガポールやマレーシアなどでは、 華僑が、政治経済の中枢を掌握しています。 清代以降は、東南アジアだけでなく、 北米やオーストラリアにも、かれらの移住地域が広がり、 その地域において、アメリカのチャイナタウン…

  • 聖徳太子の犬

    よしをです。 日本書紀によると、 推古21年(613年)の冬、聖徳太子が片岡山を通りかかったところ、 飢えて瀕死の状態の異人に出会いました。 太子は、食物と自分の衣類を与え、 翌日、使いをやって異人の様子を見に行かせると、すでに息絶えていたので、 丁重に葬りました。 またしばらくして、墓の様子を見に行かせると、死骸は消えていて、 衣服が畳まれて、棺のうえに置かれていました。 里の住民は、あの異人は達磨禅師の生まれ変わりに違いないと噂し、 聖徳太子は、自ら達磨像を刻み、祀りました。 これが達磨寺のはじまりとされています。 聖徳太子といえば、豊聡耳伝説が有名です。 一度に10人の人の話を聞いて理解…

  • 空白の一日

    よしをです。 江川卓投手は、わたしが知るなかで最高の日本人投手です。 作新学院時代は「怪物」とよばれ、 完全試合2回、ノーヒットノーラン9回を達成しました。 高校3年のドラフトで、阪急に1位指名されると、 入団を拒否して法政大学へ進学し、 大学4年のドラフトでは、クラウンライターに指名され、 入団を拒否して、1年間の浪人生活に入りました。 翌年の1978年11月22日のドラフト会議の前日に、 江川卓は巨人と契約しました。 巨人の説明によれば、ドラフト会議の前日は自由の身分であり、 ドラフト外の選手としての入団契約が可能であるというものでした。 そんなバカな、というところですが、トリックが隠され…

  • 鮭の殿様

    よしをです。 出羽の国の大名・最上義光は 伊達政宗の伯父にあたる人物で、最上家を繁栄させた名君です。 もともと最上家は羽州探題の斯波家の系統であり、 清和源氏の流れを汲む名門ですが、義光の二代前の時代に領地を失い、 伊達家の与力として保護されていました。 義光の父である最上義守が、伊達家の内乱に乗じて独立を果たしています。 最上義光は秀でて長身(一説に身の丈6尺)であり、武勇に優れ、 度量の大きい人物だったといわれています。 義光が目指したのは、 村上の国衆(天童、寒河江、上山、白鳥氏ら)を支配下に置くことでした。 織田信長に書状をおくって、村上の当主を僭称する白鳥十郎を、 山形城に呼び出して…

  • インドネシア義勇軍と日本人

    よしをです。 1600年頃、東インド会社がジャワ島に進出し、 オランダ人によるインドネシアの植民地時代が始まりました。 1619年には、オランダ人はジャカルタを占領し、 この地をバタヴィアと名付けました。 20世紀になると、アジア全体で民族独立運動が盛んになりました。 1928年、この地域の独立を求める人びとは、 オランダ領東インドのあらたな国名に、「インドネシア」を採用しました。 その後、太平洋戦争の1942年に、日本軍の侵攻によって、 オランダの植民地支配は、あっけなく崩壊したのです。 オランダの植民地政庁は、 インドネシアに対して、愚民政策を採用していました。 これは、西欧列強の植民地政…

  • 人間・孔子

    よしをです。 孔子(孔丘)は、紀元前552年頃に魯(中国山東省)で生まれました。 貧しい母子家庭にあって、14歳で学問を志し、17歳で孤児となり、 27歳から魯の下役人として倉庫番や牛馬の世話係をしながら、 礼学を修めました。 魯国にクーデターがおきると出国し、諸国を転々としたのちに、 50代で祖国の魯の大司寇(裁判官)に仕官しますが、数年で辞職し、 その後は弟子たちとともに、ふたたび諸国を放浪して就職先を探しますが、 希望は叶わず、郷里で私塾を開いて弟子の教育をおこないました。 孔子の私塾には、最大で3000人の弟子がいたといわれています。 孔子は身長が216センチもある巨体で、「長人」と呼…

  • 戦争をおこさないための教育

    よしをです。 湾岸戦争以来、集団的自衛権の問題がクローズアップされてきました。 曰く、「なぜ、いま参加しなければならないのか」といった趣旨で、 左派勢力やマスコミが大きな声を上げるなか、 「なぜ、いままでこの問題が放置されていたのか」という当然の疑問が、 新聞やテレビの主張を見渡しても、どこにも見当たらないというのは、 いかにも不思議な現象です。 本来であれば、公平をモットーとすべきマスコミが、 その実態が不健全であるさまを、晒しているように思います。 戦後70年が経過し、ほとんどの国民は、安全保障問題に関して、 あまりにも無関心であり、知識も乏しいように感じます。 自衛権確保のために武力を保…

  • ベーシック・インカムは可能か

    よしをです。 ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)は、 国民が最低限の生活を営めるだけの資金を、 国家が国民一律に支給するという制度です。 経済格差が拡大し、無人化や自動化といった労働環境の変化をうけて、 UBIは世界的にも注目を集めています。 すでに外国では社会実験がおこなわれています。 2016年にはスイスでUBIの導入について国民投票がおこなわれ、 フィンランドやオランダでは、小規模の実証実験がおこなわれるなどの 取り組みがされています。 イギリスやスペインは、UBIの検討や導入を発表していますが、 まだ現時点では、UBIを全面的に導入した国はありません。 日本では武漢肺炎の経済…

  • 二人の縦横家

    よしをです。 春秋戦国時代に活躍した縦横家に、蘇秦と張儀がいます。 強国の秦に対して、他の6国が連合して対抗すべきと説いたのが蘇秦で、 張儀は各国に秦との同盟締結を説きました。 蘇秦の策を合従策、張儀の策を連衡策といいます。 一時期は蘇秦の合従策が実を結んで、 燕、斉、韓、趙、魏、楚の6か国同盟が成立し、 秦の侵攻をくい止めることに成功しましたが、 蘇秦が斉で政争に巻き込まれて殺されると、各国は張儀の連衡策になびき、 秦と個別に同盟を結ぶようになりました。 秦は遠国と同盟して、隣国を攻める遠交近攻策を採用して、 各個撃破をすすめ、ついに中国全土の統一を果たしました。 蘇秦は洛陽の生まれです。 …

  • もう半分

    よしをです。 滑稽話や人情噺を得意にした五代目古今亭志ん生ですが、 ほかの落語家とは違い、陰惨な内容を滑稽に演じる独特のスタイルで、 「黄金餅」や「藁人形」などの怪談話をよく演じていました。 江戸永代橋脇に小さな注ぎ酒屋を営む夫婦がいました。 この店に、行商の老人が毎晩やってきては、 「(一合枡に)半分だけお願いします」と、五勺だけ酒を頼み、 それを飲み終わると、「もう半分」といって、また五勺注文するという、 かわった酒の飲み方をしていました。 1合の酒を半分ずつ飲んだ方が、得をしたように感じるというのです。 ある日、老人が店に風呂敷包みを置き忘れて帰ってしまいました。 店主が中を確かめると、…

  • 西郷隆盛は英雄か

    よしをです。 西郷隆盛は薩長同盟を結んで、明治維新を先導し、 江戸城を無血開城させた明治維新最大の功労者ということになっています。 その後、明治政府に反逆して挙兵し、最期は賊将として自決に至ったため、 悲劇のヒーローとして、国民的な人気も集めています。 勝海舟は、「今まで、天下に恐ろしい者をふたり見た。横井小楠と西郷だ」 と語り、熊本藩の改革に才能を発揮した横井小楠と西郷を並べて、 最上級の評価をしています。 また、坂本龍馬は、「少し叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」と、 西郷の度量の大きさを語っています。 しかし、坂本龍馬の言葉というのは、 西郷は自ら動くことをせず、周囲に背中を押さ…

  • 悲劇のエンジン

    よしをです。 第二次大戦中、三菱が設計した零戦は、 優れた機動性により、緒戦では圧倒的な優位を保っていましたが、 防弾装備の不備や、急降下性能の弱点から、 次第に劣勢に立たされていきました。 当時の日本の戦闘機に搭載されていたエンジンは1000馬力クラスであり、 アメリカの強力な戦闘機に対抗する大出力エンジンが望まれていました。 中島飛行機が開発したエンジン「誉(ほまれ)」は、 零戦などに搭載されていた14気筒エンジン「栄(さかえ)」を 18気筒に強化して出力を向上させると同時に、軽量化を図りました。 アメリカのエンジンよりも一回り小さく、軽量であるも関わらず、 2000馬力を出せる、驚異的な…

  • 経済制裁は静かにすすむ

    よしをです。 韓国は官民一体となって日本製品の不買運動を繰り広げ、 徴用工をめぐる裁判で日本企業に賠償を命じ、資産を凍結するなど、 あらゆる手を使って反日運動に熱をあげています。 もし日本企業が韓国から手を引いたら大変な事態になるはずですが、 かれらにはほとんど危機感がないように見受けられます。 韓国の政治家や企業のトップが楽観的なのは、 日本企業との数十年にわたる関係性や人間関係を重視しているからです。 要するに、日本政府と日本企業は別物だという考え方をしているのです。 「安倍や右翼は嫌韓だが、ほとんどの日本国民は親韓」といった類いの、 韓国の一般国民の思考回路と何ら変わるものではなく、 わ…

  • 漢字文化圏

    よしをです。 漢字文化を共有している国は、 中国、台湾、日本と、南北朝鮮とベトナムがあります。 しかし、現在、実際に漢字を運用しているのは、中国、台湾、日本だけです。 日本では、漢字は4~5世紀ごろ、大陸から伝わりました。 古事記と日本書紀も、それぞれ漢字によって記述されています。 その後、「かな」の発明により、 日本の文字表記は、漢字とかなの併用でおこなわれています。 ベトナムでは、1945年まで公式の表記文字として、 漢字が使われていましたが、残念ながら、現在は廃止されています。 1802年にグエン朝が全域を統一するまで、 ベトナムでは、北部、中部、南部に、別々の王朝が並立していました。 …

  • 呂布

    よしをです。 三国時代、武勇絶倫の名を欲しいままにし、戦乱を駆け巡った呂布は、 数多い三国志の英雄のなかでも異彩を放っています。 呂布の人生は、裏切りの連続でした。 かつての主君である丁原と董卓を殺し、 袁術に身を寄せますが、裏切って逃亡し、 袁紹に与力して、兵力1万の黒山賊を手勢の数十騎で打ち破りました。 その後、呂布は独立勢力を築いて、 1年以上にわたって曹操と激戦を繰り広げて破れると、 放浪の果てにたどり着いたのが、劉備が治める徐州でした。 ところが、ここでも呂布は劉備を裏切りました。 呂布は、劉備の出陣中に城を奪うと、劉備は曹操と組んで反撃に転じました。 劣勢に立たされた呂布は籠城の末…

  • フッ化水素の謎のからくり

    よしをです。 日本政府による、いわゆる3品目の輸出管理適正化措置に関して、 韓国政府は世界貿易機構(WTO)に不正措置として提訴しました。 日本に対するいつもの一連の嫌がらせのようにみえますが、 注目したいのは、かれらの液体フッ化水素への執着です。 現実的に、フッ化水素については輸出規制をしているわけではなく、 問題のない申告に対しては、適切に輸出許可が出ています。 韓国が強い反応を見せている理由はただひとつ、 これまでかれらがフッ化水素を他国に横流ししていたからです。 原子力兵器への転用が可能であることから、 日本から韓国に輸出されたフッ化水素は、 イランあるいはイラン経由で北朝鮮に流れた可…

  • 改名について

    よしをです。 ネットの質問コーナーで、このような相談を見つけました。 娘の名前が、「みなみ」なのだが、 結婚を前提にお付き合いをしている男性がいて、 その人の苗字が、「みなみ」だというのです。 もし、結婚すると、名前が、「みなみ みなみ」になってしまうので、 悩んでいるという相談でした。 昔、阪神タイガースにいた、真弓選手について、 「奥さんの名前が『まゆみ』だったら、笑うな」、などと思ったものです。 男だったら、五郎丸五郎とか。 当たり前ですが、本人にしてみれば、深刻な悩みです。 理由があれば、戸籍上の名前を変更することは可能です。 家庭裁判所に、申立書など、必要な書類を用意して提出するだけ…

  • 人口爆発を止めなければならない

    よしをです。 100億人の人口を抱えることになった場合、 地球がどうなってしまうのか、わたしには想像ができません。 人口は、いずれ臨界点にまで達し、 その後、人類が、急速に滅亡に向かってしまうのかもしれないと想像すると、 暗然たる気分になります。 人類の歴史において、 産業革命が起こるまで、爆発的な人口増加は発生していませんでした。 限られた地域のなかで、 食糧生産を超えるような人口増加はあり得ないからです。 キリスト誕生の時代から1000年を経過して、 地球上の人口は、1億人から2億人に増えただけでした。 しかし、産業革命によって生産性が高まり、未開発の土地が開拓され、 人の移動範囲が劇的に…

  • 日本人奴隷の行き先

    よしをです。 1990年、日本で出入国管理及び難民認定法の改正により、 多くの南米出身の日系人が来日するようになり、 日本に定住する日系ブラジル人は、2008年には30万人に達しました。 かれらは明治時代以降、 日本からブラジルなど、南米へ渡った移民の子孫ですが、 400年以上前に、南米に日本人が渡ったことはあまり知られていません。 1596年、日本人の青年が奴隷としてアルゼンチンに売られました。 アルゼンチンのコルドバ歴史公文書館で発見された記録に記述があったもので、 そこには、「日本人、フランシスコ・ハポン、戦利品(捕虜)、担保・人頭税なしの奴隷を800ベソで売る」と書かれていました。 「…

  • 士別れて三日会わざれば刮目して見よ

    よしをです。 三国時代、呉の呂蒙は勇猛果敢な武将として知られていました。 かれは、家が貧しく、学問に触れる機会がなく、 文字の読み書きもできなかったため、自分が話す内容を部下に聞き取らせて、 書類や手紙を代書させていました。 同僚はみな、呂蒙の無学をあざ笑って、「呉下の阿蒙」とからかっていました。 「阿蒙」とは、「蒙ちゃん」という意味で、 「愚かな」とか、「幼稚」といった嘲りのニュアンスが込められています。 呂蒙のほうは、そんな連中の評判には耳を傾けず、 自分が無学で武辺一辺倒であることに、誇りをもっていました。 君主の孫権は、いつまでも「阿蒙」のまま成長のないことを危惧して、 呂蒙に学問を勧…

  • おぞましき村山談話

    よしをです。 戦後日本の政治史上もっとも醜悪な体制といえば、 自民党と社会党が連立政権を組んだ村山富市政権でしょう。 それまで、日米安保反対、自衛隊の違憲を主張してきた社会党が、 過去の主張をすべて否定して、 突然、日米安保や自衛隊を容認する発言をしはじめたのですから、 当時の社会党支持者はさぞ驚愕したことでしょう。 村山政権の負の遺産は現在まで受け継がれています。 それが、いわゆる「村山談話」です。 1995年、戦後50周年記念式典において、 村山総理が閣議決定にしたがって談話を発表しました。 談話の一部に、以下のような一節があります。 「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道…

  • すてまがり

    よしをです。 関ケ原では、結局、最後まで島津軍は動きませんでした。 やがて、西軍の敗勢が決定的になり、 西軍は戦場の後方にある、北国街道に殺到しましたが、 退路はすでに大混雑で、初動が遅れた島津義弘率いる島津隊300は、 周囲を東軍に囲まれてしまいました。 戦場から逃れるためには、北国街道ではなく、 敵中を正面突破して、別のルートで離脱しなければなりません。 島津隊は敗走する小西行長、宇喜田秀家隊に鉄砲を向けて追い払うと、 軍の誇りである、十字の旗指物を捨て、徳川本陣に突撃しました。 そのまま南方の伊勢街道に進路を変えると、 徳川軍は、島津隊のあまりの大胆さに衝撃を受け、 しばらく、呆気にとら…

  • アウンサンスーチーの限界

    よしをです。 ミヤンマーの国家顧問にして、事実上の国家元首である、 アウンサンスーチーは、 長期間の軟禁状態に耐えて、非暴力主義を貫いて、ミヤンマーの民主化を導き、 1991年にはノーベル平和賞を贈られました。 そのアウンサンスーチーが、 イスラム系少数民族ロヒンギャに対する非道な迫害に加担したとして、 非難にさらされています。 ミヤンマーの先住民の多くは、仏教徒のビルマ人(人口の70%)で、 ビルマ人以外の少数民族も加えると、 国内の仏教徒は、人口の90%以上を占めています。 仏教国といえるミヤンマーにあって、 イスラム教徒のロヒンギャは、推定人口200万人のマイノリティでした。 あらたな入…

  • 張飛の妻と2人の娘

    よしをです。 三国志の英雄・張飛といえば、豪快無双の武将として知られ、 三国志演義には、 豪勇の士である反面、思慮が浅い酒乱として、やや滑稽に描かれ、 その容貌は「身長8尺、豹頭環眼、燕頷虎鬚」と描写されています。 主君の劉備、義兄の関羽とともに、戦国の野を駆け巡った張飛でしたが、 関羽の戦死ののち、弔い合戦への出陣の準備中に、 部下の張達、范疆によって暗殺されてしまうという、 あっけない最期を迎えます。 ある日、張飛の陣営から上奏文が届いたと聞くなり、 劉備は、「ああ、張飛が死んだ」と嘆いたといわれています。 劉備は日頃から、張飛の軍紀に厳しすぎる態度を諫め、 「罰を与えた者を傍に置くな」と…

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