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徳川家康公ファンの歴史ブログ
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「徳川家康公関連サイトNo.1!」を目指すブログです。敬愛する家康公や徳川家臣団に関する史跡巡りや解説・考察などメインに、関東のマイナーな歴史スポット等も紹介できたらと思います。
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2018/09/04
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takaさんの新着記事

1件〜30件

  • 徳川家康公の読書術|実は読書家だった家康公、何を読んでいた? 

    今回は、徳川家康公がどんな書籍を読んでいたかについてまとめました。 家康公は読書家であり、本から多くを学び、それが軍略や治世にも活かされています。 では、家康公はどんな書籍を読んで、何を学んでいたのでしょうか。 家康公が手がけた図書館事業や出版事業とあわせて、ご紹介いたします。

  • 徳川家康公の和歌一覧|家康公の詠んだ和歌とは? どんな和歌を詠んだ?

    今回は、徳川家康公が詠んだ和歌を特集します。 和歌は奈良時代末期に成立した『万葉集』など、日本における伝統芸能でも特に古い歴史を持ちます。 そんな和歌は詠み手の人間性や価値観、経緯や背景、理想や信念が滲にじみ出るものではないでしょうか。 家康公が詠んだ和歌から、家康公の人柄に迫ってみたいと思います。

  • 徳川家康公ゆかりの地めぐり:浜松編|家康公ゆかりの地を1日で観光するモデルコース

    徳川家康公は元亀元年(1570年)に三河国・岡崎から本拠地を移して以降、天正14年(1586年)に本拠地を駿河国・駿府に移すまでの17年間、遠江国・浜松を本拠地としていました。 今回は、そんな浜松の家康公ゆかりの地を巡るツアープラン・モデルコースをご紹介いたします。

  • 江戸時代の料理再現|徳川家康公の死因?「鯛の天ぷら」再現レシピ

    今回は、徳川家康公が亡くなった原因だと言われている『鯛の天ぷら』の再現レシピに挑戦しました。 『鯛の天ぷら』といっても江戸時代初期に家康公が召し上がったものは、今日の一般的な『鯛の天ぷら』とは違ったレシピだったようです。 当時は鯛や食用油が貴重であり、天下人であっても天ぷらを食べる機会は少なかったようですが、現代を生きる私たちは簡単に挑戦できます。

  • 三方ヶ原古戦場(静岡県浜松市)|徳川家康公の生涯唯一の惨敗「三方ヶ原の戦い」

    三方ヶ原古戦場は、若き日の徳川家康公が軍神・武田信玄に真正面から野戦合戦を仕掛け、生涯唯一の惨敗を喫した「三方ヶ原の戦い」が行われた古戦場跡です。 元亀3年(1572)12月22日、家康公の居城・浜松城の北に広がる三方ヶ原台地にて、徳川・武田両軍が激突しました。 この敗北が、後の家康公を作り上げていく大きなターニングポイントとなりました。

  • 江戸時代の料理再現|豚鍋『青天を衝け』渋沢栄一が西郷隆盛と食べた鍋料理に挑戦

    今回は、大河ドラマ『青天を衝け』第15話にて、主人公の渋沢栄一が西郷隆盛に振る舞われた鍋料理『豚鍋』の再現に挑戦しました。 放送直後からTwitterなどで「美味しそう」と話題になった『豚鍋』ですが、再現レシピを探しても中々見つかりませんでした。 そこで、情報の隙間を想像力で埋め合わせて、再現料理に挑戦してみました。

  • 太刀洗の池跡(静岡県浜松市)|家康公正室・築山殿(瀬名姫)を斬首した刀を洗った池

    太刀洗の池跡は、徳川家康公の正室・築山殿(瀬名姫)を斬首した刀を、池の水で洗ったと伝わる跡地です。 織田信長による「信康切腹事件」の際に、築山殿は徳川家家臣の岡本時仲と野中重政に自害を迫られますが、これを拒みました。 結果、築山殿は重政に斬首され、享年38歳でこの世を去りました。 その折、重正は刀に付いた血をこの地にあった池の水で洗い流したため、大刀洗の池と呼ばれるようになったそうです。

  • 宗源院(静岡県浜松市)|「三方ヶ原の戦い」で討死した成瀬正義らが眠る寺

    宗源院は、静岡県浜松市にある曹洞宗のお寺です。 宗源院には、徳川家康公の忠臣で「三方ヶ原の戦い」にて討死した成瀬正義の墓所があります。 また、同じく「三方ヶ原の戦い」にて徳川勢の旗手を務め、その撤退戦の最中に討死した外山正重の墓所もあります。

  • 西来院(静岡県浜松市)|徳川家康公の妻・築山殿(瀬名姫)の墓所

    西来院は、静岡県浜松市にある曹洞宗のお寺です。 西来院には徳川家康公の正室・築山殿(瀬名姫)の霊廟「月窟廟」があります。 築山殿は近年だと、大河ドラマ『おんな城主直虎』にて菜々緒さんが演じて話題になりました。

  • 広沢山普済寺(静岡県浜松市)|「三方ヶ原の戦い」で家康公が焼いた寺

    広沢山普済寺は、静岡県浜松市にある曹洞宗のお寺です。 「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に敗れた徳川家康公は、命からがら浜松城に逃げ帰りました。 その晩、家康公は普済寺を焼いて「浜松城が燃えている」と武田勢に思わせ、油断させました。 その直後、犀ヶ崖付近で夜営していた武田勢に対して、大久保忠世らが率いる徳川勢が夜襲をしかけます。 結果、武田勢に痛手を負わせることに成功し、家康公は信玄に一矢報いました。

  • 夏目次郎左衛門吉信の碑(静岡県浜松市)|「三方ヶ原の戦い」で家康公への恩を返して討死した忠臣

    夏目次郎左衛門吉信の碑は、静岡県浜松市にある犀ヶ崖古戦場の向かいにある記念碑です。 夏目吉信は徳川家康公の家臣でしたが、三河一向一揆の際には他の家臣らと共に離反して家康公に刃を向けました。 しかし捕縛された際、家康公の寛大な処置により許されます。 この時の恩義を忘れなかった吉信は、後年「三方ヶ原の戦い」において、家康公が武田信玄に敗れて浜松城へ逃げ帰る際に、家康公の身代わりとなって武田勢と戦い、犀ヶ崖の近くで討死を果たしました。

  • 本多肥後守忠真の碑(静岡県浜松市)|「三方ヶ原の戦い」で家康公を守るために討死した忠臣

    本多肥後守忠真の碑は、静岡県浜松市にある犀ヶ崖古戦場の一角にある石碑です。 本多忠真は徳川家康公の家臣で、あの本多忠勝の叔父です。 忠真は「三方ヶ原の戦い」において、家康公が武田信玄に敗れて浜松城へ逃げ帰る際に、殿(しんがり)を務めてこの地で討死を果たしました。

  • 犀ヶ崖古戦場(静岡県浜松市)|徳川家康公が武田信玄に一矢報いた合戦

    犀ヶ崖古戦場は静岡県浜松市にある、古戦場です。 徳川家康公が武田信玄に野戦を挑むも惨敗し、浜松城まで逃げ帰った「三方ヶ原の戦い」。 その敗走の晩に、徳川勢が武田勢の夜営地を夜襲しました。 今でも、その急峻な崖に古戦場としての趣を感じることができます。

  • 浜松城(静岡県浜松市)|徳川家康公が17年間過ごした「出世城」

    浜松城は静岡県浜松市にある城跡です。 元亀元年(1570年)、徳川家康公は岡崎城から本拠地を移して以降、天正14年(1586年)に本拠地を駿府城に移すまでの17年間に渡り、この浜松城を本拠地としていました。 今回は合計117枚に及ぶ写真を余すことなく掲載して、浜松城の魅力を大特集いたします。

  • 元城町東照宮(静岡県浜松市)|徳川家康公と豊臣秀吉の銅像が並ぶ神社

    元城町東照宮(もとしろちょうとうしょうぐう)は、静岡県浜松市にある神社です。 戦国時代に引間城(曳馬城)があった地に、明治19年(1886年)に建立されました。 かつて、浜松城を本拠地とした徳川家康公を祀っています。

  • 椿姫観音(静岡県浜松市)|徳川家康公と一戦交えて討ち死にした女性

    椿姫観音(つばきひめかんのん)は静岡県浜松市にある御堂です。 引間城(後の浜松城)城主・城主飯尾連竜の死後、その妻・お田鶴の方は城を守るために徳川家康公と一戦交え、そして討ち死にしました。 椿姫観音は、そのお田鶴の方を祀る御堂です。

  • 浜松八幡宮(静岡県浜松市)|敗走した徳川家康公が逃げ隠れた雲立楠

    浜松八幡宮は静岡県浜松市にある神社です。 徳川家康公が「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に惨敗し、敗走する際に逃げ隠れた雲立楠が現存しています。 また、浜松城の鬼門を護る神社でもあります。

  • 徳川秀忠誕生の井戸(静岡県浜松市)|二代将軍・秀忠出生の地

    徳川秀忠誕生の井戸は、静岡県浜松市にある秀忠の生誕地とされる場所です。 秀忠誕生の時に産湯として使われた井戸が、この辺りにあったそうです。 残念ながら現在は残っておらず、再現された井戸がある状態です。

  • 遠江分器稲荷神社(静岡県浜松市)|坂上田村麻呂・源頼朝・徳川家康公ゆかりの神社

    遠江分器稲荷神社は静岡県浜松市にある神社です。 古くは征夷大将軍の坂上田村麻呂が東夷征伐の折に神馬を奉納し、源頼朝公が神馬と幣帛を奉納し、徳川家康公が松平忠頼に命じて修造したという由緒があります。 また、家康公を支えた徳川四天王の一人・本多忠勝の屋敷跡が隣にありました。

  • 本多忠勝屋敷推定地(静岡県浜松市)|徳川家康公を支えた徳川四天王最強の武将

    本多忠勝屋敷推定地は、徳川家康公が岡崎城から浜松城に本拠地を移して以降、その家臣・本多忠勝の屋敷があったと思われる場所です。 現在の静岡県浜松市にあります。 忠勝はその生涯において、合戦では無傷だったと伝えられています。

  • 五社神社・諏訪神社(静岡県浜松市)|二代将軍・徳川秀忠の産土神

    五社神社・諏訪神社は、静岡県浜松市にある神社です。 五社神社は、戦国時代初期の曳馬城主・久野越中守が城内に創建したのに始まり、後に徳川家康公が三男・徳川秀忠の産土神としました。 諏訪神社は、奈良時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征の折に奉斎したのに始まり、こちらも後に家康公が秀忠の産土神としました。

  • 橘樹郡家跡第32次調査現地見学会に行ってみた感想(川崎市)

    昨日、川崎市教育委員会が行った『橘樹郡家跡第32次調査現地見学会』に参加してみました。 今回は、その概要と感想をまとめたいと思います。 橘樹郡家(たちばなぐうけ)とは、かつて武蔵国橘樹郡にあった郡家の事です。 郡家は、飛鳥時代以降の律令制度において、郡の官人(郡司)が政務を執った役所でした。 田租や正税出挙稲を保管する正倉や、宿泊所などから構成されていました。

  • 宗仲寺(神奈川県座間市)|家康公お手植えの銀杏が残る家康公ゆかりの寺

    浄土宗来迎山峰月院宗仲寺は、徳川家康公ゆかりの寺であり、家康公がお手植えされた銀杏の木が現存しています。 家康公が、鷹狩りの際に立ち寄ったとの言い伝えが残されています。 また、元和3年(1617)家康公のご棺を駿府の久能山東照宮から日光東照宮に移動する際は、この宗仲寺で休憩しました。

  • 昌平坂学問所跡|『新編武蔵風土記稿』を編纂した徳川幕府の学問所

    昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)は、地誌『新編武蔵風土記稿』や『新編相模国風土記稿』を編纂した、徳川幕府直轄の学問所です。 寛政2年(1790年)、神田湯島に設立されました。 正式名称は「学問所」であり「昌平黌(しょうへいこう)」とも称されました。

  • 多摩川浅間神社|源頼朝の妻「尼将軍」北条政子ゆかりの地

    多摩川浅間神社は、東京都大田区にある神社です。 多摩川浅間神社の創建は、鎌倉幕府を開いた源頼朝公の妻・北条政子が頼朝出陣の後を追って同地を訪れた際の出来事に由来しています。 文治年間(1185年〜1190年)に創建されました。 また、近年では映画『シン・ゴジラ』のロケ地としても有名です。

  • 源頼朝公落馬地|源頼朝公の死因は? なぜ死んだ? 怨霊説!?

    今回は神奈川県平塚市にある史跡『源頼朝公落馬地』を訪れました。 2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は鎌倉幕府執権・北条義時が主人公ですが、その物語は源頼朝公亡き後の鎌倉幕府における「御家人13人による合議制」が舞台です。 では、その鎌倉幕府を開いた源頼朝公は、なぜ亡くなったのでしょうか? その死因は何だったのでしょうか?

  • 『麒麟がくる』室町幕府「最後の将軍」第15代将軍・足利義昭のプロフィール

    絶賛放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』が各所で話題ですが、いよいよ後の第15代将軍となる足利義昭が登場しました。 今まで出家して覚慶と名乗っていましたが、第25話「羽運ぶ蟻」にてついに還俗して、足利義昭と名乗り始めます。 日本史の授業では散々な評価の将軍として説明を受けた記憶がありますが、この『麒麟がくる』ではどういう将軍として描かれるのでしょうか?

  • 『麒麟がくる』足利義輝討死シーンの掛け軸「八幡大菩薩」とは?

    大人気放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』2020年9月20日放送の第24回「将軍の器」冒頭にて、室町幕府第13代将軍・足利義輝(演:向井理さん)が襲撃を受け、壮絶な討ち死にするシーンが放送されました。 この義輝の討死シーンで、甲冑の後ろにかけられていた掛軸には「八幡大菩薩」と書かれていました。 「八幡大菩薩」とは、一体何でしょうか? 今回は、この「八幡大菩薩」という言葉の意味について、まとめてみました。

  • 扁額コレクション|扁額とは? 神社仏閣の鳥居や本堂の上にある看板

    扁額とは、神社の鳥居や社殿、寺院の本堂などに掲げられている看板のことです。 扁額の読み方は「へんがく」です。 扁額のうち、特に神社の扁額は神額、寺院の扁額は寺額と呼びます。 また、天皇の直筆による扁額は勅額と呼びます。 この記事では、筆者がこれまで訪れた神社仏閣で見つけた扁額をひたすら紹介いたします。

  • 雲光院(東京都江東区)|徳川家康公側室の才女・阿茶局の菩提寺

    今回は東京都江東区にある、浄土宗龍徳山雲光院を訪れました。 雲光院は徳川家康公の側室・阿茶局の発願により、慶長16年(1611年)に増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人として開創されました。 阿茶局の法号である「雲光院」の名が、そのまま寺の名称となっています。

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