これでいいのだ。と自分の限界を決めてしまう。 これでいいのだ。と自分に言いきかせる。 これでいいのだ。と決めればそれ以上進展しない。ようにぼくは感じる。と決めればそれ以上発展しない。ようにぼくは感じる。 にほんブログ村
心構え次第で人はどうにでもなる。たとえ不幸な状況でも。 これだけできる。と思えば。どうにかなる。 これしかできない。と思えば。だんだんとできないことが増えてくる。だんだんと不幸が増えてくる。 だんだんと。だんだんと。不幸のどん底に。 にほんブログ村
ぼくはびっくりした。 ぼくの街のターミナル駅の駅前で。 電動車いすに乗って歩道を自力で走行中の40代くらいの女性。人通りが多い中。車いすに乗って。脚を組み。タバコを吸っていた。 にほんブログ村
雨が降れば人は嫌がる。雨が降れば人は悲しむ。 面倒だから。汚れるから。濡れるから。と。 でも。日照りが続いたとき。カラカラな地面を一度で潤し。木々に緑を与える。野菜、果物、草花などにも。 普段はみんなに嫌われるけれど。雨はいっきにぼくの街の水不足を解消する。 にほんブログ村
ぼくの常識。君の非常識。ぼくが大好きな言葉だ。 ぼくがあたりまえと思うこと。を。君はあたりまえではない。 でも。 みんな自分の常識を押し付ける。そんな世の中なのかもしれない。 自分ができればみんなができる。と思い込んで。自分ができればみんなができる。と押し付ける。 そんな人が多い世の中なのかもしれない。 にほんブログ村
ダメになれば誰かのせいにする。失敗すれば何かのせいにする。 どうしてだろうか?人は。 誰かのせいにすれば楽なのはわかる。何かのせいにすれば楽なのはわかる。が。 にほんブログ村
ぼくは草むらを歩いていた。月明かりのきれいな夜に。道路わきの草むらで。 外国人らしい男性は。ぼくに。君、楽しんでいるね。と声をかけてきた。お酒でも飲んでいるのかい?と。 ぼくは。首を振った。 お酒を飲まずに。君、よく楽しんでいるね。と。 ぼくは道を素直に歩くことをしない時がある。ぼくは道を変な歩き方をすることがある。草の中を楽しみながら。土の感触を楽しみながら。木の根っこの凸凹を楽しみながら。 ぼくの声をかけてきた外国人らしい男性は素面のぼくが楽しんでいることを羨ましがっていた。 にほんブログ村
今年も終戦の日が来た。戦争のことを忘れないように。平和の大切さを考えるために。犠牲者を悼むために。 太平洋戦争では300万人以上の人たちが死んだときく。国のために命を落とすことが英雄とされた時代。 お国のために死ねて本当に幸せだったのだろうか?自分のために命を使えなかったことで後悔はなかったのだろうか? 78年前までの日本の教育は。78年前までの時代の流れは。 にほんブログ村
どんなことでも年齢ではない。高齢だからできない。と思うのはぼくだけだろうか? どうしてなのだろう?もったいないと思う。もったいないと思う。のはぼくだけだろうか? 何もやらず。最初からあきらめて。何もしようとしない。なぜなのだろうか? にほんブログ村
子供たちの苦手な教科。運動をして苦手な教科を勉強すれば成績が向上する。と統計にもあるようだ。 勉強と運動の因果関係がある。のかもしれない。 もしかしたら子供も大人も同じようなことがいえるのかもしれない。 頭のかたい人間はぼくの街にとても多い。頭のかたい人間は動きも鈍いように思う。頭のかたい人間は運動というものと程遠い生活をしているのかもしれない。 もしかしたら頭がかたい人間にも運動をさせれば頭が柔らかくなるのかもしれない。とぼくは思う。 動かないから、だんだんと。だんだんと。頭がかたくなり。だんだんと変なことを言うかもしれない。だんだんと頑固になって。 にほんブログ村
日本の国は何でも資格を取らせる。日本の国では資格が重要視される。 資格がなければ。と。 資格で仕事を決めて。できる仕事に付加価値を与える。 資格がなければ。と。 資格でみんなと同じことをさせ。資格があればみんなと同じことができて当たり前。と言い。と評価をしない。と評価されない。そんな時代なのかもしれない。 一昔前特技を商売にしていたらしい。アロマの世界では。鼻の利く人が香りを調合していた。そんなことを言っていた人がいた。 今の時代。何でも資格を重視する。資格によって同じことしかしない。そんな人が増えているのに。 斬新なことを評価しない世の中。新たな発想をを評価しない世の中。のかもしれない。今の…
今日。広島に原爆が落とされた日。昭和20年8月6日に。 日本の国では平和を大切にしている。 でも。今の日本の世の中は戦争のない平和の時代が続いているために。平和ボケしている人も多いのかもしれない。 平和とは何なのか?戦争とは何なのか? もっと。もっと。 本当の平和について考える日にしたほうが良い。とぼくは思う。 にほんブログ村
ぼくは毎年のように蝉の羽化の様子に出会う。羽化の瞬間は本当に神秘的だ。あの蝉の幼虫から。静かに。時間をかけて。いつもの蝉よりも白っぽい蝉が出てくる。 誰にも気づかないように。人などの動物に見つからないように。あたりが真っ暗になって。 神秘的なことはどうして夜中に行われるのか?神秘的なことはどうして夜中に営まれるのか? 地球上では見えない時に何かが生まれるのかもしれない。地球上では見えない時に何かが変わるのかもしれない。 にほんブログ村
カード勧誘。新たな店舗。同じようなことをする。多少は違うのかもしれないが。 同じようなところから。利益を分けようとするのか?全体が決まっているものをなぜ分散させるのか? 100あるものを。分けるのか?100個のものを5人で分ければ20個ずつ。100個のものを10人で分ければ10個ずつ。こんなことでは生活ができなくなる。収入を増やすために。企業は何を考えているのか? 同じようなことを人は取り合うのか?競合し。従業員を増やし。 事業を失敗したくないのはわかる。 でも?同じことをすればすべてが取り合い。共倒れになるのに。ほしい数は決まっているのに。売れる数は決まっているのに。 今持っているものを少し…
達成感は大事だ。達成感を重視するあまり何か別のことが起こるのかもしれない。 例えば良いと思ってやった運動。運動をしない人がいきなりマラソンをすれば膝を壊す。そんな人が多い。ときく。マラソンよりも膝に負担のかかりにくいウォーキングなどの運動もあるのかもしれない。達成感は少ないのかもしれない。が。 「大事なものは、たいてい面倒くさい。」宮崎駿監督の名言があるように。 本当に大切なことは達成感ではないものかもしれない。本当に大切なことは地道なことなのかもしれない。 にほんブログ村
ゴールがあるから頑張れるのか?ゴールがないから頑張れるのか? どっちだろうか? 辛いことをやるときはゴールがあった方が良いのかもしれない。探求心が必要なことはゴールがないから楽しいのかもしれない。 ぼく自身ゴールのないものを楽しむのかもしれない。ぼくの人生にはゴールがないから。ぼくの商売にはゴールがないから。 にほんブログ村
蝉。何年も何年も地下に潜って。何年も何年も土の中に潜って。大人になる。 そして少しの夏を楽しみ。繁殖をし。一生を終える。 蝉だけではない。多くの生き物は地中で生活をしている。多くの昆虫は地中で生活をしている。 果たして地中にはどれだけたくさんの生き物がいるのだろう。ぼくの目に見える蝉。1から2週間の短い命。ときく。 その何倍もの蝉の幼虫は地中にいる。幼虫時代のほうが長いから。 他の種類の生き物たちも地中にいる。他の種類の昆虫たちも地中で生活をしている。地中は生き物たちで満員にならないのか?地中は昆虫たちで満員にならないのか? そんなことをぼくは考えている。 にほんブログ村
今日。日本の国がすべて梅雨明けした。そんなニュースがぼくの耳に入ってきた。 でも。梅雨明け前から夏の暑さ。梅雨明け前から夏の空気。梅雨明け前から夏の食べ物。梅雨明け前から夏の生活。 昨日も。今日からも。何も変わらない。 情緒のないことを。季節感のないことを。言っているぼくだ。 にほんブログ村
福祉とは誰かにやさしくすること。誰かに何かを与えること。と思っている人が多いのかもしれない。 本当の福祉とはできないことをできるようにすること。自分で生活できるようにサポートすること。なのかもしれない。 今の日本に福祉は本当の福祉なのだろうか? にほんブログ村
奨学金とは自分の未来の投資のために借りるもの。なのかもしれない。 でも。でも。 現実返すことができず自殺する人もいる。ときく。 何のための奨学金なのか? 自分に投資するつもりが自分の人生の終止符となるものになってしまう。 奨学金を借りる。そのことをもっと考えるべきだ。進学することだけを考えるのではなく。自分に投資することだけではなく。 にほんブログ村
生活保護の人。生活保護の認定が取れれば仕事を全くしようとしない。何もしなくても生きていけるからか?そんな人も多いのかもしれない。 生活保護費が支給されればパチンコなどで時間を使い。 懸命に仕事をしもがいている人よりも。最低賃金で仕事をしている人よりも。生活保護費の支給額が良いともきく。 生活保護を悪く言うわけではない。が。 生活保護を与えてしまえば何もしない。生活保護を与えてしまえば何もする必要がなくなる。この生活保護の制度をもっと見直すべきでないか? 何もしなくても生活に困らないから。生活保護をもらえばいいのだ。そんな人たちがぼくの街には何人もいる。そんな人たちをぼくは何人も知っている。 に…
池にスイレンが咲いていた。 小雨が降る中。 整備された公園をぼくは歩いていた。 この公園でぼくは道を尋ねた。 どちらに行けば駅に行けるか?を。 男性は丁寧に教えてくれた。 この池のスイレンは外来種で減らすよう現在活動している。 と教えてくれた。 確かにあちらこちらで外来種の動植物はたくさんいるようで行政は頭を抱えているのかもしれない。 もしかしたら日本古来の動植物が絶滅の危機に来ているのかもしれない。 ペットが飼えないから 公園に逃がす。 山に。 川に。 海に。 それだけではない 。海外に行き服に付いた種から。 船にたまたま乗った動物。 などなど。と。 にほんブログ村
どうしてだろう?人は。君のことをきいているのに。 誰かにききこうとするのか?誰かと比べるのか?と。 自分で自分のことを理解できない人は多いことを。ぼくは不思議に感じる。 にほんブログ村
貧乏な人。家族で不幸があった人。何かの試験で失敗した人。怪我した人。成功しなかった人。そんな人々がかわいそうな人。とぼくは思っていた。 ぼくは友達にAさんの話をした。友達はAさんかわいそうな人だね。とぼくに言った。 確かにAさんはかわいそうな人だ。僕のために。私のために。と言う人だ 自分だけ良ければそれでいい人。まわりのことも考えず図々しいことをする人。自分のことだけ良ければそれでよいと行動する人。 そんな心の持ち主は本当に心がかいそうなのかもしれない。心がかわいそうな人だからなら。相手にする人も減るのかもしれない。そして孤独になっていくのかもしれない。 にほんブログ村
何もしない。でも。自分ほど不幸な人はいない。 何もできない。だから。自分ほど不幸な人はいない。 そんな風に感じている人も多いのかもしれない。 病気だから。貧乏だから。などなど。と。 本当に不幸な人もいるが、悲劇のヒロインになることによって誰かに自慢したいのか?悲劇のヒロインになることによって誰かにやってもらいたいのか?そんな人は多い。ようにぼくは思う。 にほんブログ村
負ける人。は多いときく。 自分との約束を。 他人との約束は守れても。そうしてなのだろうか? 自分で決めたこと。1回か?2回か?でやめて。 ましては1回もやらないで。 にほんブログ村
できないからなのか?わからないからか?理解できないからか?まわりが見えないからか? 自信過剰な人は、そんな人が多い。ようにぼくは感じる。 にほんブログ村
自律とは他人の意思でなく自分で考え物事を進めていくこと。他律とは他人に決めてもらいたい他人の命令に従うこと。のようだ。 今の世の中は自律している人は少ないのかもしれない。 現在自分のことを決めらない人が多いときく。 誰かに従い。誰かに決めてもらう。こんな人が多いのかもしれない。 人の目が気になるからという理由でずっとマスクをしている人もいるのかもしれない。暑さで熱中症になる人もいるのかもしれない。 乗っている車内で煙が出ていても周りの人が逃げようとしなければ自分も安心してしまう。のかもしれない。誰かが逃げなければ大丈夫だ。と。 にほんブログ村
自分ができれば友達もできる。全員が同じだ。と思い込んでいる。そんな人が多いようにぼくは感じる。不思議だけれど。どうしてだろうか? 同じ人間ではないのに。同じ人ではないのに。感情も違うのに。生活環境も違うのに。 にほんブログ村
成功する人は計画を立てる。そんなことをきいたことがある。確かに。とぼくは思った。 失敗する人は夢を追いかける。そんなこともきいた。確かに何も考えない。確かに理想だけで。 楽しいかもしれないが。 成功させたくても夢だけで何もしなければ何も変わらない。少しでいいから考えねば成功への道は進めない。少しづつでも計画を立てねば成功への道は進めない。のかもしれない。 にほんブログ村
ぼくは健康診断を受けた。中肉中背のぼくは血液検査はとてもいい結果だった。 でも、ぼくの食生活はひどい。大好きなお菓子を多量に食べているから。だからこそ健康診断の結果のことを気にしていた。のに結果はとてもよかった。 健康診断の結果が正常値だから。何をやってもよい。とそんなことを言っていた人がいた。 もちろん健康診断の結果が正常なら何をやってもよい。と思う人は多いのかもしない。 健康診断が正常値だから何食べようとどうでもいい。そんなことを言っていた人がいた。 たまたま数値が良いだけなのかもしれない。が。正常だから。何をやってもよい。と思ってしまう自分になってしまう。と思ってしまうぼくになってしまっ…
メディアによって叩き込まれた常識。本当のことだと信じている人々。は多い。 今までの自分の常識を。人はなかなかかえれない。 おかしいこと。と感じていても。声を出してなかなか言えない。 新たなことを常識だ。と思っていても。常識としてなかなか言えない。 新たなものを新ただ。と思っていても。メディアが言っていることを。信じてしまう。 新たなことを。メディアが新ただ。と言わなければ新たなことを信じない。 過去の常識を信じて。本当の新常識を理解しない。理解しようとしない。理解できない。 もともとの常識を変化させることはかなりの難問なのかもしれない。今の常識を変えることは本当に難題なことなのかもしれない。 …
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これでいいのだ。と自分の限界を決めてしまう。 これでいいのだ。と自分に言いきかせる。 これでいいのだ。と決めればそれ以上進展しない。ようにぼくは感じる。と決めればそれ以上発展しない。ようにぼくは感じる。 にほんブログ村
はみだすもの。捨てられるもの。そんなものを大切にされる時代になってほしい。 でも。でも。邪魔なんだよ。断捨離しないと。増えすぎるし、使いにくいし、 物も。人も。はみだすもの。あわないもの。相手にされない。でも。でも。何かいいものがあるのに。 にほんブログ村
無駄なことはやめるべきだ。無駄は減らすことだ。 そんなことは多い。のかもしれない。 でも。でも。この無駄が何かをつくる。この無駄だと思うことで何かの注目を浴びたり。などなどと。 無駄なことでも何かが起こるかもしれない。 にほんブログ村
今年もあと2週間足らずで終わる。 今年何かぼく自身に功績を残せたのか?今年ぼく自身に何か利益があったのか? いつもと同じ毎日が日曜日のぼく。そのように誰かから見ているぼくが。 残り2週間で考えている今日この頃。今年のうちに何か功績や利益を残したいとぼくは慌てている。 にほんブログ村
誰かの人生をかえれる一言が言える人。にぼくはなりたい。 ぼくの一言で。誰かが助かる何かを言える人にぼくはなりたい。誰かの何かをかえれる人にぼくはなりたい。 世間の常識ではなくても。どんなことでも。 にほんブログ村
クリスマス感が以前より感じなくなった。そんなことを言っていた人がいた。 年齢を重ねたから。年をとったから。クリスマス感がなくなったように感じるのかしれない。とぼくは感じる。 たぶん毎年のことなので、マンネリしているから。当たり前になっているから。何十年を同じことの繰り返しだから。新鮮さがないから。なのかもしれない。と思うのはぼくだけだろうか? にほんブログ村
いじめはやってはいけないこと。 でも。どうにかなることを言うことはいじめではない。どうにか改善できることを言うことはいじめではない。とぼくは思う。 どんなことをやってもなおせないことを言うのはいじめだ。どんなことをやっても改善できないこと言うのはいじめだ。とぼくは思う。 人は嫌なことを言われるとすべてすぐにいじめだ。と言うけれど。 にほんブログ村
ある年齢になれば友達はなかなかつくりにくいのかもしれない。心底話せる人たちは。 小さいときは何も考えず話し出せても。小さいときは気兼ねなくなんでも話せても。 ある年齢からは友達ではなく仲間をつくったほうが良い。そんなことを言っていた人がいた。 にほんブログ村
継続は力なり。とはいうが。継続は難しい。どうしたら継続ができるのだろうか? 飽きっぽいぼくが。 にほんブログ村
人は誰かから元気な人に見られたい。人はできる人だと見られたい。のかもしれない。 だからだろうか?元気なふりをする。できるふりをする。 調子悪どうだから。足が悪そうだから。声をかけたとしても。大丈夫です。と。 できない人に見られたくはない。何でもできる人だと思われたい。誰かに弱いところを見せたくない。のかもしれない。 にほんブログ村
人はすぐ油断する。大丈夫だと高をくくって。 油断なんかしなければいいのだけれど。人は油断する。どうにかなると思って。そんなことになるとは思わず。 にほんブログ村
どんなことでも。これだけやったから。これだけできたからなのかもしれない。失敗する理由は。 決めつけて。やった気分なのかもしれない。実際はやってなくても。 にほんブログ村
楽しさは楽しいことの連続に。幸福は幸福の連続を。不幸は不幸を集めるもの。どうしてだろうか? にほんブログ村
人は何でもさっさとしない。人は何でも。次に。次に。としてしまう。 人はさっさとすればいいのに。どうしても自分に負けてできない人になってしまうのか?ぼくは。 にほんブログ村
どんなことでもセンスが必要なのかもしれない。 センスは性格などで決まるものなのかもしれない。センスは感性で決まるんもかもしれない。 自分でしかわからないセンス。自分ではわからないセンス。個人個人でバラバラなセンス。 にほんブログ村
楽しんでいる人は楽しい人。人を楽しませることができる。自分も楽みながら。 誰かを楽しませるにはまず最初に自分が楽しいことが大切なのかもしれない。 にほんブログ村
同じことを言っても。誉め言葉になったり。イライラさせたり。 言葉は不思議なものだ。 にほんブログ村
ぼくの風邪は今回ひどかった。まだまだよくならない。どうしてなのだろうか? でも。やっと治る兆しが出てきた。唇の乾燥。食欲。などなど。だいぶ楽になってきた。 風邪は週間もすれば治る。そんなことを言っていた医者の言葉をぼくは思い出した。 にほんブログ村
ぼくは風邪をひいた。日曜日夜から。 月曜日これ以上眠れないというほど眠った。(20時間以上)水分も取らず。トイレもいかず。に。 火曜日もかなり眠った。(12時間は)少し食べ。水も飲み。 水曜日から少しずつ動き出した。 でも。でも。まだまだ動ける身体ではない。今日金曜日今度はお腹の調子もよくない。 いつになったら動けるようになるのか?風邪なのだが。いろいろな症状が。重なりすぎて。 にほんブログ村
正常値だから安心。そう思っている人は多いのかもしれない。 正常値と正常は違う。とぼくは思う。 個人個人で正常値は異なる。正常値とは誰かが決めたもの。 かなり数字上で悪くても。元気な人がいたり。正常値に入っていても具合の悪い人がいたり。と。 正常値とは。なんなのだろか?その正常値という言葉だけで安心しているぼくたちは。 にほんブログ村
誰もくれない。誰からも何もしてもらえない。と言う人。 誰かに何もしないのに。誰かに何もやらないのに。むしろ誰かに迷惑をかけているのに。自分のこともできない。のにやってもらおうとする。 感謝をされないのに。感謝をされるようなことをしないのに。今の自分の行動を棚にあげ。誰も何もくれない。と文句を言う。 誰も何もくれない。誰も何もしてくれない。と。 やってもらいたい人は、もっともっと今やっていることを考えてほしい。もっともっと自分の行動を考えてほしい。とぼくは思う。 にほんブログ村
ただでさえ日本の人は考えることが嫌いな人が多い。のかもしれない。 どうしてなのだろうか? 日本の文化が考えることをさせない。のかもしれない。 小さい時からみんなと同じことをさせ。そんな人生を送らせている。のかもしれない。 言われたことをすればいい子。みんなと同じならいい子。学校の勉強ができればいい子。と褒められて。 そんな子供時代だからなのかもしれない。 にほんブログ村
人は何を求めるのか? こんな人は多いのかもしれない。お金。だ。と。 確かに。お金がなければ、財産はなければ、生活ができない。生きていくことには不可能だ。 でも? お金だけ求めても何もならない。のに。お金だけでは何もできない。のに。 何が生きていくために本当に必要なものなのだろうか? お金を求める人は多い。が。 にほんブログ村
ぼくの人生。 今までは不幸。だった。 どうにもならない過去。かえることのできない過去。 でも。でも。ぼくの人生なのだ。 これからの人生。不幸な過去を引っ張って。いく。楽しい人生の見つけ方を知って。 今は。 過去の不幸がなければ今のぼくはいない。今の前向きのぼくではない。以前の不幸がなければ。 今の自分がいない。今のぼくがいない。あの不幸がなければ今のぼくはない。大切な過去の出来事なのだ。不幸の連続だった。が。 にほんブログ村
幸福は幸福を呼び。不幸は不幸を呼ぶ。 病気は病気を呼び。健康は健康を呼ぶ。 不思議だけれど。 何かをかえねば。何かをかえねば。連鎖を止めれない。 にほんブログ村
企業は物を売って儲ける。資本主義の世の中だから。 宣伝して。テレビやラジオネットのコマーシャルなどなどで。 何度も人はきき。何度も人は見。買わなくてはいけないもののように認識される。 消費者であるぼくたちはコマーシャルに騙されることに気づかない。どうしても必要なもののように感じさせる。 消費者であるぼくたちはその商品が本当に必要なもの。消費者であるぼくたちはそのサービスがなくてはならないもの。になってしまう。 にほんブログ村
人はなぜ?知りたがるのか?いろいろなことをきてくるのか? 家族のこと。仕事のこと。住まいのこと。などなどを。 想像すればいいのに。 話したくないから話さない。のに。知られたくないから言わない。のに。 わからないことを。想像できないから。 思い込んで。思い込んだことも。きいてくる。 知らないと不安なのかもしれない。答えがわからないと嫌なのかもしれない。 でも。でも。答えを言わないことを尊重してほしい。 自分との違いを知りたいからか?どこのだれかわからないと話すことができないからか?共通点がなければ話せないからか? 自分の中で想像すればいいのに。想像から人を理解すればいいのに。 話したくない人もい…
人は言い訳をみつけてやらない。口実をみつけて。 やるのが辛いから。やるのが億劫からやるのが面倒だから。何かにつけて人はやらない。何かにつけて人はできない。 切羽詰まらいと人はできない。期限が来ないと人はできない。不思議だけれど。言い訳をつけて。 にほんブログ村
今の世の中は刷り込みの世の中なのかもしれない。 日常生活で。学校で。メディアで。などなど。 今の日本の常識として話し。今の日本の考えと押し込み。正しいやり方だ。と思わせて。正しいことだ。と思わせて。 ぼくはこのように感じる。 自由な発想をつぶして。自由な考えをなくして。 にほんブログ村
ぼくは街の人々を観察している。そんなことが多い。のかもしれない。 いばりたい人は弱い人と一緒にいる。いばりたい人は対等に物事を話す人とは一緒にはいない。弱い人も対等に話せそうな人とは一緒にはいない。 いばりたい人はいばりたい人とは対等にはいられないからか?弱い人は誰にも相手にされないからか?だからいばりたい人と弱い人は一緒にいるのかもしれない。不思議だけれど。 いばりたい人の言いなりにされながら。弱い人は何も言わず。弱い人は従っている。 弱い人は何もわからないからか?何も考えられないからか?相手にされてうれしいからか? そうやって世の中は釣り合っているのかもしれない。そうやって世の中は成り立っ…
やってもらおうと口を開けて待っている人は多い。のかもしれない。 やってあげたい。と思われる人にならなければいけない。とぼくは思う。 だれもやってくれない。だれもやってくれない。と文句は言う。が。 何かやってあげたい。と思われる人。にならなければいけない。のかもしれない。 にほんブログ村
どんなことでも、○○だから。という人は多い。 どうしてなのだろう?人は何かのせいにして。やろうとしない。人は何かのせいにして。本当にできない人になってしまう。のに。 もったいない。もったいなくないのか?できることが狭まって。できないことが増えて。 一度しかない人生を。もっと楽しめばいいのに。と思うのはぼくだけだろうか? にほんブログ村
自分の経験で人は動くのかもしれない。経験豊かならいろいろ直面で何かができるのかもしれない。 人にやさしくすることも。人の役に立つことも。 自分の経験をもとにして何かができる。そんなことをきいたことがある。 意地悪ばかりされた人は意地悪な人になる。怒鳴られて育った人は怒鳴る。人のやさしさを知らないから。人にやさしくされた経験がないから。そんなことをきいたことがある。 自分がされて嫌だったことを誰かにしないで。とは人は言うが。自分がされたことを自分は誰かにしていくのかもしれない。 経験のないことには人はうまく付き合えないのかもしれない。 にほんブログ村
今の人々は身体が悪く。今の人々は心が壊れていて。 それでも生活のために。生きるために。 仕方なく仕事をしている人が多い。ようにぼくは思う。 時間に追われ。生活に追われ。 体調が悪くても。精神的に辛くても。 誰もどうにかしてくれないから。何もしてくれない世の中だから。仕方ないのかもしれない。 このままなら。壊れてしまう人々が多い。ようにぼくは感じる。 にほんブログ村
新型コロナウイルスの予防接種。 組織に所属していなければ自由に決められる。やるか?やらないか?は。 組織にいれば半強制で予防接種しなくてはいけなかった。自由がなく。 矛盾だらけの予防接種だ。とぼくは感じていた。 今回の予防接種の後具合が悪くなる人が多かった。ようだ。 予防接種とはきちんとした研究がされ安全性が立証されて予防接種ができる。とはきいてはいた。が。 今回の予防接種はどうだったのだろうか? ほんの数人の人は致命的な副反応がものもあらわれた。ともきく。 予防接種の効果は短期間しかなく。副反応が強かった。 こんな予防接種どうなのだろうか? 人工的な予防接種に頼らず。自分の免疫を高める工夫を…
元安倍総理が選挙活動中に殺された。そして統一教会などの宗教団体にメスが入った。 先日も岸田総理大臣が和歌山で殺されそうになった。選挙への不満。なのかもしれない。が。 国民の声を政治に反映させるため。こんな方法しか今の日本にはないのかもしれない。悲しいけど。 殺人ということをやって。殺人未遂ということをやって。自分を犠牲にして。自らの人生を犠牲にして。 今の日本をかえるために仕方ないのかもしれない。とぼくは感じる。悲しいけど。 今の政治家は国民の声をきこうとしないから。今の行政は国民の声をきこうとしないから。 にほんブログ村
不幸なこと。やりたいことがない人。やるべきことがない人。なのかもしれない。 みんな平等にある時間。この時間をどうしてよいのかわからない人。が不幸なのかもしれない。 やりたいことがない人ほど不幸。やるべきことがない人ほど不幸。なのではないかとぼくは思う。 一日の。一か月の。一年の。 にほんブログ村
会社 学校 などなど。組織が自由を奪う。組織が自由を阻止する。 組織がやりたいことを奪う。組織がやりたいことを奪う。ぼくたち個人のやろうとすることを。ぼくたち個人のやりたいことを。 組織から白い目で見られるのではないかと。 やりたいことができない現実が多いのかもしれない。そんな気がぼくはする。 にほんブログ村
ぼくはぼくのアイディアを商売にしようと試みた。 でも。 新型コロナウイルスのためにぼくのアイディアをきいてくれる人はほとんどいなかった。現在の日本での大問題の一つなのに。絶対に考えねばいけない社会問題なのに。 一般人に声をかけてもなかなかきいてくれない。 だから。 ぼくはダメごとで街の議員さんたちに声をかけることにした。ぼくはぼくの街の議員さんたちに電話をかけることにした。ぼくはぼくの商売を広めるためにいろいろな議員さんに声をかけた。 もちろん大体の議員が何もしようとしない。 日本の国での大問題。日本の国が頑張っても絶対にできない。と思っている人々は多いのかもしれない。努力すればどうにかできる…
ぼくは嬉しかった。こんなさくらの花を見たことがなかったから。 ぼくはさくらの木の脇をそっと歩いていた。でも。ぼくの服にさくらの花が木から折れてぼくにくっついた。 ぼくはこのさくらの花を見て驚いた。花弁が4枚。花弁が1枚落ちたわけでもないようだ。だから。 ぼくはよつばのクローバーのように幸せをぼくに運んでくるのでは。と思った。 にほんブログ村