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猫町・雑言録
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2018/08/15

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  • 当分休眠します。

    当分休眠します。山の中の一軒家。当分休眠します。

  • えびすさん

    日曜の朝、体全体が縮んで動けなくなり、無理に立ち上がったらぎっくり腰のようになって、杖を突かなければ前に進めなくなった。我慢に我慢をかさね、スマホで町内の病院をさがして月曜に行こうと思ったが、残念ながら朝のバスは行き過ぎそれから2時間待ちなのだ。過疎地の試練とはこういう事か、やむ得ず、タクシーで病院に行くと月火は急に休診とのこと。事務員の憐れむ目を背に、杖をつきよろめきながら帰路につくと、奇跡的にとなり町行きのバスで、有無沿いの道を行き、橋を渡り、春の陽気に気分も旅行気分で、隣の整形外科にたどり着くとなんとその病院は今月で閉院運の悪いことよ、もう真昼ではないか、道路をよろよろ歩いて帰宅する、夕方、かみさんに20キロ離れた整形外科に連れて行ってもらう。診断は健康そのもの、運動不足とやら。先生曰く、もうちっと運動し...えびすさん

  • 最近の事。

    久しぶりにブログを書く。最近、軽い頭の混乱があり、ブログどころではなかったのだ。病気になって良かったことがある。もちろん奇跡的に命が助かったから言えることだけど。クモ膜下は死亡率30%で問答無用の即死。生き延びても30%が重度の障害で自立生活困難。最後の30%が各人各様。その最後の30%の人々がどうしているか、分からない。脳梗塞や脳卒中は、闘病記などが本でもサイトでもいろいろ出ているが、クモ膜下の残りの30%の人の記録はほとんどないか、途絶えたとしたら、亡くなっているか、障害がひどくなり、記録困難となられたのだ。僕の場合も、数日はいつ死んでもおかしくない状態だったのだろうが、そうして本人が気が付かないうちに死んでしまうと、頑張りようも悔しさもない。昔もことを思い出す暇もない。自分の部屋に隠した秘密のDVD(どう...最近の事。

  • 昨日は町の健康診断だった。

    昨日は町の健康診断だった。町営のグラウンドの横で、検診のバスが数台、レントゲンや超音波で腹部の検診をした。平日の昼にやってくるのは、ほとんどが老人。いちいち病院に出かけて、健康診断を受ける手間より、バスで検診車がやってくるのがありがたいのだ。僕の検診はすぐ済んで、時間があったので、近くを散歩した。桜は満開でちらほら散り始めている。手前の菜の花は終わりかけだ。整備されたグラウンドは人気もない。高齢化、過疎化で今やほとんど運動する人の姿は見えない。道路際の桜の花をみると、耳の奥で小さな小さな、ブーンブーンと音がする。ミツバチや虫たちの羽音があちこちで帯のように聞こえている。そのブーンブーンと言う音に重なって、グランドの周りの雑草の草刈りの機会の音がする。こちらも機械音だが、同じくブーンブーンという音だ。一人の老人が...昨日は町の健康診断だった。

  • 山奥の春。

    先週は久々、半年ぶりに山に行った。往復、4時間はかかったか。待ちに待った山奥の春だが、山道を歩くだけでも楽しい。病気の前はさっさと道を登ったが、今は、登山口から歩いて、数分。足元の花たちを探すのも楽しい。数分でもたっぷり楽しいのだ。ようやく撮れた写真の中で、自分でお気に入りの一枚。杉林の合間に、カタクリのピンクの花が咲いている。あと1週間。その期間に太陽の光を根っこに貯めて彼女たちはまた、眠りにつく。つまり、また会えたとしてもまた来年。標高1,000メートル近く。森を吹く風はまだ冷たい。去年は尾根にまだ雪が残っていた。帰路で、頭に激痛。おとなしく眼を瞑る。山奥の春。

  • 水素水で、すー

    またまた発見、極私的路上観察学会熊本支部なんと街角に「水素水の給水機」がある。日本初か?(調べようがない)しかも相当古い。何しろあの水素水なのだ。水素自動車の燃料スタンドとなるかもしれない。僕には水素水について、後ろめたい経験がある。県南のある健康食品会社の社長から商品のラベルデザインを依頼されたのだが、その事務所に行くと、受付用の机の上に、握りこぶしくらいの大きさの白いかたまりがゴロンとある。何時ものように待たされている間に事務所の周りを見ると、弥勒菩薩の写真が壁のあちこちに貼ってあったり、「感謝」と筆書きされた短冊が四方の柱に張り付けてある。そんなお札に囲まれていつもこの会社の事務員数名は仕事をしているのだが、みんなとてもいい人ばかりで、奥から出てきたのが、これまた人のいい、日に焼けた小柄な田舎のじいさんで...水素水で、すー

  • 「こんとん」とした世界

    もともとの性格が病気で拡大したのか。いろんなことにイラつき、いちゃもんつけたくなる。(害獣くまモンの駆除は間違っていない)そんな時には瞑想して気分を落ち着けるのが一番と友人の勧めで、マインドフル瞑想法の本を買ったり、寝る前にCDを流したりした。ついでにというか、日本のお坊さんで独自の思考、瞑想法を広めている小池龍之介氏の本や同じくCDを買い流した。小池氏の言い分もわかる。ひとはもともと怒りに満ちた生き物で、その怒りが自分を傷つけ他人も傷つけ、言わば諸悪の根源、怒りたい時はまず、瞑想して気を落ち着けよとある。まず鼻から息をし、空気を頭(脳)、お腹、足の先まで行き渡らせて、今度は逆、お腹、頭(脳)、鼻から出す。座禅をし、体の中心軸を探し、体の真ん中から、その繰り返し。雑念が湧いたら、どんどん川下に流しなさいと。すー...「こんとん」とした世界

  • 電柱牢獄発見。

    極私的路上観察学会熊本支部もたまには遠征することにした。いろいろ用事もあり、八代駅に降り立ったのだが、ついでに、肥薩オレンジ鉄道にも乗り込む。そして日奈久温泉に行くことにした。日奈久温泉は僕から見れば宝の山だ。県内でも指折りの寂れた温泉街だ。種田山頭火が投宿した宿「織屋」もあるのだが、補助金での悪あがきのかいもなく、結果誰も居なくなった。「昔は栄えたのに」、と勝ち誇ったように言われると、今や「日本全国、昔は栄えたのにぃ」と言っていいのにねと最近、言い返したくもなる。コンサルのキタオカ氏から、あそこは関わらないほうがいいです。歩いている猫さえやる気がないと忠告を受けたのだが。そういう先生も、毒舌ばかりではないかと、今頃になって思う。そうして大好きな日奈久温泉街を歩くと、毎回、出くわす、金縛りの電柱に出会う。いった...電柱牢獄発見。

  • ダムに消えた村。

    ダムに消えた村。なかなか身動きできない日々でもある。最近通勤用のママチャリを買った。JRの新水前寺駅から出水の事務所までぼちぼち漕いで10分の距離である。最初マウンテンバイクを買おうかとも思ったが、周りから馬鹿かと猛反対された。ヘルメットだけはそれなりのデザインで、しかしママチャリに初老の男がヘルメット被って道路を漕ぐ姿は怪しくもある。昨日なんて、目の前の子供連れの自転車がどんどん、僕から逃げて行き、ついつい僕は負けじと追いかけたのだ。山にまだ行けない分、アマゾンでカメラ雑誌の古書を買う。これまで全然写真の勉強をしていない僕には、いろいろ新鮮な情報をたくさん得ることが出来て面白い。五家荘図鑑を販売するに地元の知り合いのカメラマン、カメラ女史にも数冊送ったが、今のところ反応がない。(長崎書店にも置いてもらった)も...ダムに消えた村。

  • 生態系

    前回は極私的路上観察学会などと調子に乗り、江津湖の湖畔をうろつき、時に、這いつくばりカメラを構える怪しい男を演じて、意気揚々と事務所に帰還し、デザイナー兼用務員のイワサキ君に、USBを渡したのだが、パソコンで開いてみるに、鼻息、フンッ!と掃き出し、こりゃ、ダメですね、使えませんと言う。まさかあのラーメン屋に行きたくて、出かけたんじゃないでしょうね、とまで言いやがった。彼は例年頼まれる環境系のNPOの冊子の編集、デザインを一人でやっているのだ。「この写真がどこが悪い。湖畔の自然の風景ではないか」と反論すると「これらは外来性植物、要するに、セイタカアワダチソウと同じですよ、いくらきれいでも、日本古来の植生を侵す、エイリアンのようなものですからね。単なる、ホテイ草、アマゾン血止め草、熱帯魚の水槽からはみ出て、湖で繁殖...生態系

  • 極私的 路上観察学会

    若かりし頃、亡くなった赤瀬川克彦氏が始めた路上観察学会の本を好きでよく読んでいた。知る人ぞ知る「トマソンの世界」なのだ。今でもその集まりはあるのだろうか。「学会」と言いながら何も学術的な裏付けがあるわけもないけど、そんな学会員の眼で身の回りの世界をみていると不思議なこと、信じられないこと、理解不能の景色に出加わす時がある。土曜日は熊本市内の我が猫の事務所も暖かく、カメラを持って外に出た。事務所の稼ぎ頭(その他はみんな仕事もせずにぼんやりお茶を飲んでいる)デザイナー兼用務員のイワサキ君の手助けでもしょうかと思い立ったのだ。我が事務所は熊本市内でも一等地、江津湖の近くにある。(廃屋に勝手にすんでいるのではない)自転車を漕ぐ事5分(クモ膜下は仮病である)河畔のラーメン屋で腹ごしらえし、空き地に車を停め(娘のおさがりの...極私的路上観察学会

  • 今年の桜

    3月になった。今年は裏山で、ウグイスの声を聴かない。どうしたことか。桜の開花もまだまだ。以前は、地域おこし一貫とやらで名札を付けた桜の植樹があり、老いも若きも裏山に樹を植えて、数年後、ちらほらその桜の木から花も咲いたが、もともと、海沿いの地で塩害もあるのか、みんな枯れてしまって、やはり山は、雑木林のままのぱっとしない景色のままなのだ。儀式として、桜さえ植えればなんとかなる。田舎町のそんな小役人の発想がきっかけなのだろうが、そうはいくか、そんな発想で桜が根付けば、どこもかしこも春は桜だらけになるではないか。植物は移動できないので、植えられた場所の環境に適応できなければ枯れるか、それでも小さな花を咲かすかどっちなのだ。半島の突端、どの方角からでも潮風は吹いてくる。しかし、いつもの散歩コース、石積みの港の奥にある、海...今年の桜

  • 押し入れのぼうけん。

    我が家には猫が6匹いて、みんな生い立ちも性格も全然違う。去年の9月、やむなく家に入れたキジ猫三兄弟も、すくすく育っている。みんな同時に生まれ柄も全く同じで最初は見分けがつかなかったが、今は3匹とも、見分けがつく。僕は名前をいい違えるけど、すぐに言い直す。長男が「ワラビー」で相当なイケメン猫だ。鼻筋も通り、目も丸くぱっちり、ジャニーズ系の顔立ちだが、残念ながら先週去勢手術となった。我が家で3番目のカマ猫である。長女は「マーガリン」その名の通り尻尾がギザギザに曲がっている。顔つきも美人、魅力的でちょうど、今風、おしゃれな女子高校生風。弓道部(何故?)で横顔がかわいらしい乙女猫だ。次女が「キナコ」この子は、超個性的で、キジ猫の柄がある日突然、体半分、黄色い毛に変わった。つまり、ワラビー(ワラビ餅)マガリン(マーガリン...押し入れのぼうけん。

  • 密のあわれ

    自宅から事務所まで約2時間、言わば小旅行てなものだ。今週は文庫ではなく単行本に挑戦だ。相当前に買った本で、何度が挑戦するも、途中断念。新品で買ったのに管理が悪く本はシミしわだらけの古書だ。ガタンガタンと、単線三角線のおんぼろ車両が揺れ続ける。膝の上で開くのは、室生犀星作の「密のあわれ」矢川澄子さんの編書で、オジサンと一緒に住む赤い金魚の話。この金魚がキュートでわがまま放題で、歯医者に行きたいだの、小遣いくれだのオジサンを困らせるのだ。3月の熊本はすでに春の陽気で、眠い、ガタンガタンと揺れてもう、我慢できない、つい眠りこむ。ハッ!ときがつくと膝の上に広げた本の上、僕の左の掌の上で赤い金魚が飛び跳ねている。これはやばいぞ、金魚がバタバタはねて、膝がしぶきで濡れるではないか。話は面白く、どんどんページをめくりたくなる...密のあわれ

  • 千年の干潟

    24日は家人に無理を言い、近くのオコシキ海岸に夕日の写真を撮りに行った。一年で、干潮の時期と、落陽のタイミングが合う今の時期は全国からカメラマンが集まる場所になっている。美しい砂浜の波の文様が夕日のオレンジに染まるのだ。一番の撮影ポイントは山の上の展望台だ。夕日が落ちるのは一瞬で、その瞬間を求め、山の上では壮絶な場所取り合戦が始まる。最近、マスコミにも取り上げられて、どんどどん人が集まり、その日は大型観光バスが一台公園に停車していた。マジな人はカメラを2台、三脚に取り付け、干潟全体のカットと、夕日のアップを撮る。千載一遇、その一瞬の為にシャカシャカシャッターを切るのだ。絵に描いたような景色だが、その中でもうまい人は異常に上手い。僕なぞ、ちょいと頭フラフラで、ぶらぶらして眺めてシャッタ―を切るだけの、その他大勢の...千年の干潟

  • 夕暮れになろうよ。

    2年間、車の運転禁止の身になり、JRで通勤し、病気のおかげで本が読めるようになった。出来るだけ、読書に時間をかける。とにかく文庫本を手当たり次第読む。時に古典とも言われる本も頑張って読む。先週の川端康成さんの「伊豆の踊子」には苦労した。書生と伊豆の踊子との切ない出会いと別れが、川端氏の文体で描かれているのだが、僕の心がすさんでいるからか、読んでも読んでも全然入ってこない。これはどうしたことだ。天下の川端文学が目に、頭に、入らぬか。何とか、読んだというか、いったん終了し、次の「眠れる美女」に取り掛かる。これがとんでもない作品で、退廃の美。究極の技法で、描かかれてある、まさか川端氏はこんな作品を書いていたのかと思い、驚く。当時はどのように受け入れられていたのだろうか。江口という初老の男がある秘密の宿に入りびたりにな...夕暮れになろうよ。

  • スマホにうつむく君に。

    スマホでついつい見る、ヤフーニュースがつまらない、くだらない。でも暇つぶしに見てしまう。これは悪い癖だ。暇つぶしのニュースを暇つぶしに見る。熊本駅から、市電に乗る。座席に横一列、みんなスマホを見るかいじっている。障がい者の座席に中年のおじさんが一人座って居る。突然、よこのスマホをいじる品のいいおじさんに、「すんまへん、ペースメーカーしているんで、スマホ止めてくれませんか」ときつい口調で言う。横の紳士は何も言わず、驚いてスマホをひっこめる。電車は揺れる、カーブを曲がる。今度は正面の若者二人に、「すんまへん、スマホ止めてくれませんか、電車で放送してるやろ」と言う、それでも止めない二人に更にきつい口調で、スマホ止めてくれ言うてるやろ!」と言う、二人はスマホを見ながら、スマホをしまう。電車は水道町で止まり、僕は降りる。...スマホにうつむく君に。

  • 写真の友

    たまたまカメラを手にし、適当に写真を撮っていた。仕事のからみもあったが、山の写真を撮りはじめ、それがきっかけで山にも登るようになり、ついでに写真を撮った。おかげで知らない景色、知らない花をたくさん撮り、地球の思い出としては、シャッターを切るごとに、楽しい思い出が増えた。写真を撮った後に、なんでこんな写真を撮ったのか思い直すのも楽しい。祭りに行くとたくさんの写真マニアが場所取りで忙しい。八代の妙見祭では、飾り馬がとさきの河原を走るカットを撮るには橋の下が一番いい場所なのだが、たちまち場所取りで、オジサンたちの小競り合いが始まり、時に祭りの進行が止まる。川沿いを飾り馬が水しぶきを上げ、前足を上げながら、勢子を振り払いながら疾走するのだ。橋の下で、迫りくる被写体をカメラで連写するのだ。「あんた邪魔だけん、どきなっせ!...写真の友

  • 旅のように

    病気になりまる1年。車の運転も再来年の10月迄、運転禁止の身となった。やむなく事務所には週に4回、JRの三角線とバスで2時間かけて、通勤している。これまで、およそ30年近く、片道1時間の道をひたすら運転してきたんだな。途中、美しい(?)絵葉書的な海岸の景色があり、夕日が落ちる頃になるとさ、たくさんのカメラマンが群がって写真を撮っているんだな、僕もその中にいったん入ったのだけど、全然刺激的でも面白くもなんとも、なかった。そのひたすら走った習性で、結果何も気が付かなかったんだ。今は鈍行列車の窓から、これまで気が付かなかった景色を眺めているさ。なんでもない港町の景色、寂れた田畑、廃屋、冬枯れの景色。鈍行列車の車窓から眺める景色は飽きない。死については、だれも反抗なんて出来ないものさ。頑張って行き返るわけでもないし。す...旅のように

  • 猫はどうしてわがままか。

    「猫はどうしてわがままか」は有名な動物学者日高敏隆氏の著作なのだ。要するに、犬は昔から群れを成して生きてきて、群れにはリーダーが必要で、人間(飼い主)をリーダーと思うから、良くなつき、みんな仲がいいのだ。猫はまったく逆の習性で、リーダー不要、みんな勝っ手に生きてきたのだ。但し、猫族にも親子関係だけはあり、母猫は子猫の世話をし、オス猫は子供ができたら家をでる。うちの小弾はある日、やってきた子猫3兄弟を我が子のようにかわいがり、お乳もでない小娘なのに、今も3匹にお乳をやって、乳首がはれ上がっている。子猫が「助けてニヤー」と困った声を出すと一目散に駆けつける。餌も子猫がやってくると、全部、自分の分を子猫に与えてしまう。寛太は風来坊で我が家一番の大猫だが、そんな小弾の行動にわれ関せず、我が道を生きている。(実は小弾には...猫はどうしてわがままか。

  • 猫神家の一族。

    猫が嫌いだの好だの、犬が好だの嫌いだの、うちはともかく猫神家の一族なのである。猫神家らしく、自然に猫が寄ってくる家系なのだ。熊本には人間の赤ちゃんを捨てる「赤ちゃんポスト」なるものがあるが、我が家は猫ちゃんポスト。ここなら何とかしてくれると、猫どもが子猫を捨てに来たり、行き倒れ寸前の猫が宿を借りにくる。天涯孤独の風来坊、おれは誰も信じないと、野良猫のプライドをもった孤高の猫でもしばらくすると、ゴロニャー、ゴロンとなる。松二郎がいい例だ。松二郎は天下一匹、ある日うちにやってきて、他の外猫どものスキをついて餌を盗み食いしていた。いくら、人間がすりよっても、孤児のプライド、誰がなつくもんかい、それ以上近寄ると、ひっかくぜ!てな、感じだったが、今は丸々と太り、毛艶もテカテカ、僕が歩くとおともに付いてきて、道の真ん中でご...猫神家の一族。

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