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2018/07/29

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  • 二重記述

    『視点という教養(リベラルアーツ)世界の見方が変わる7つの対話』(618,2022・深井龍之介・野村高文著)に』「二重記述(doubledescription)」というグレゴリー・ベイトソン/著『精神と自然セイシントシゼン・生きた世界の認識論』とう事が出ていました。「両眼視覚」という項(『精神と自然』、佐藤良明訳、所収)で、「片方の眼で集められたデータともう片方の眼で集められたデータとの比較から何が得られるのか?」という問いを発し、「目を解剖してみればわかるように、一見無駄使いのように見えるこの使い方が、実は多大の益をもたらしているのである。網膜上の視神経の分布の仕方、視神経交叉にできる情報再分配のための経路の存在ーーこれらは形態発生の演じる驚嘆すべき離れ業」「重要なのは、奥行きに関する情報が得られる点...二重記述

  • 葬式消滅

    『葬式消滅お墓も戒名もいらない』(6.2022・島田裕巳著)、出版して利益を得るために書いたような本でした。葬式消滅の理由は、夫婦とも高齢化して、どちらかが死んだら、死体処理として業者に頼むしかない。地方でも、次第に地域共同体の力は衰えています。高齢者が増えれば、葬式組は機能しなくなります。それに、車社会になったことなどで、セレモニーホールで葬式をあげることになったので、葬祭業者に依存する割合はどうしても大きくなります。葬式が消滅の方向にむがってきたのも、業者依存になったことがひとつの原因になっていることでしよう。いったい何のために葬式をしているのか。ただ、業者を儲けさせるためにしているのではないか。そのこうに思ってしまえば、できるだけ葬式の規模を小さくしようとします。私たちは今や、ようやく四○○年前に生...葬式消滅

  • 有難い 10行法話

    図書館で借りてきて返却した本の中に『お笑い10行小説Ⅱ』(5,2022・柿井優嬉著)がある。本の紹介には「クスッと笑ってください。退屈な日常にちょこっとスパイスの効いた157話。待望の第2弾!」とある。『すぐやる課にすぐ連絡を』『悲しき境遇』『教えてあげたい』『使命』『恥ずかしい』『スポーツ万能、武田くんの悩み』『やっぱり怖いよ、幽霊は』等、10行で書かれた小説がならぶ。本を読みながら「有難い10行法話」という本があれば興味深いがと思った。下記に書いた法話を加工して一つ創作してみました。『雪仙(せつせん)の寒(かん)苦(く)鳥(ちょう)と阿弥陀仏』「寒苦鳥」はヒマラヤに棲むという鳥がいた。ヒマラヤは寒いが、昼間は日差しが豊かで暖かい場所だった。日が落ちると急激に気温は低下し、夜ともなるとまさに凍えんばかり...有難い10行法話

  • 弱さにふれる教育⑤

    水野治太郎著『弱さにふれる教育』(ゆるみ出版・1996年刊)からの転載です。これで終わりです。近代合理主義の下で、人間は本来的には保持している弱さを乗り越え、強さを追求してきた。それまで自然に支配されてきた人間は、生産の合理的方法を工夫し、自然をモノ化することで大量の商品を生み出し、貧困や餓えという弱さを克服したかに見えた。しかし環境汚染や資源枯渇という生存の基盤を破壊し、かえって生命体としての弱さを顕わにさらけ出す結果に終った。また合理化されすぎた社会システムは、管理化されすぎて人間性の喪失を招くなど、文明の進歩が逆に人間の精神的世界の重要性を教示してくれたのである。生きものとしての繊細で複雑な人間の内的世界に暖かい配慮が求められるのである。いま人問の弱さにこそ目を向けそれを受容することが、人間と社会が...弱さにふれる教育⑤

  • 弱さにふれる教育④

    水野治太郎著『弱さにふれる教育』(ゆるみ出版・1996年刊)からの転載です。本章を結ぶに当たり、弱さの教育の意味する内容をまとめておきたい。人間の弱さは無限である。強さもまた無限である。なぜなら、弱さも強さもどちらも同じ人間性の表現であり、生きるものの姿である。西欧近代主義の思想や哲学・科学の強力な支配によって、われわれは弱さを侮辱し、それを克服する強さを求め続けてきたが、弱さにも意味があるはずである。そのことに気づかせる教育はいまだかつて誰も意図的に行なったものはいないような気がする。しかし、これからの人間教育には、人問の多様な弱さを知り、学んでゆく姿勢と、その弱さへの備えを準備する教育が必要である。退職準備教育、老いへの準備教育、看護教育、福祉教育、ボランティア教育、心のカウンセリング、災害救助活動の...弱さにふれる教育④

  • 寳満寺の天井画

    銚子市にある寳満寺での法話会。コロナのため一席のお説教でした。利根川に沿ってたゞひたすら100キロ、2時間10分なので、これほど効率の良い道は北海道や自動車専用道路以外ではないでしょう。,世話人のお連れ合いのお通夜が柏市であり、勤行中にお焼香だかでもと思っていましたが、一席だったので定刻30分前に着き、お勤め出来ました。寳満寺の本堂の天井は、米国の女流現代美術作家ジェニファー・バートレット氏の描いた合計321枚の絵からなる天井画で、制作者本人が銚子で取材した和食器、着物、道具、魚、植物などをモチーフにして、手すきの和紙に岩絵の具を使用して描いたもので,1992年11月に完成したとあります。寳満寺の天井画

  • 弱さにふれる教育③

    水野治太郎著『弱さにふれる教育』(ゆるみ出版・1996年刊)からの転載です。弱さの研究課題今後の弱さをめぐる課題を整理しておきたい。第一に、弱さの認識や課題が「老いと死」「尊厳死」「安楽死」あるいは「がん告知」などの、生命倫理やターミナルケアの場面に隕られた問題として認識されるだけでは不十分である。弱さはむしろ、広い社会的視野のなかに取り込み、弱さ・苦しみの受容といった人問形成の課題、福祉社会の新しい展開、差別や「いじめ」等にみられるよう人権問題や教育における「個性化教育」の推進、このような広がりのなかで、今後の人類の共通課題として検討すべき問題だということである。筆者は医療・看護・福祉・教育を特別な対象として人間学的探求をすすめるうちに、経済効率を優先する現代社会の今後の展開、ことに成熟社会への移行にと...弱さにふれる教育③

  • 弱さにふれる教育②

    水野治太郎著『弱さにふれる教育』(ゆるみ出版・1996年刊)からの転載です。「生老病死」の語にあるように、人間は元来限られた寿命を与えられて、限りある生命を生きるのである。先に「自然的弱さ」と名づけたとおりである。死は生命の誕生とともに、約束されたものである。死を約束しながらも、生命はある時間を生きぬく義務を背負っている。そこに自己矛盾がある。しかし、そうした生きものとしての弱さを、「自然的弱さ」と名づけてみることにしよう。この自然的弱さに対して、人間だけが独白の意味づけを行なうことができる。精神性豊かな伝統文化では、人間が「生かされて生きる生命」であることをよく認識していたといえる。従って「根源弱さ」を価値的に評価する目をもっていたのである。つまり「自然的弱さ」は、二重の意味を内包している。一つは寿命に...弱さにふれる教育②

  • 弱さにふれる教育①

    水野治太郎著『弱さにふれる教育』(ゆるみ出版・1996年刊)からの転載です。『広辞苑』の強い・弱いの説明文に示されていることをもう少し分析してみることにしよう。強さ・弱さには、第一に、「力が少ない」とか「力がすぐれている」というように「体力」に焦点を当てて見ている。第二は、「丈夫である。すこやかである」、さらに「すこやかでない。健康が衰えている」にみられるように「健康」を中心に見ている。さらに第三に「意志が堅固でない。気丈ではない」とか「気丈である。屈しない」のように「精神」「性格」「気質」をみている。第四は、「すぐれている」「欠点である」に対比されるように、長所と短所という意味で使われる。さらに第五に、強さには「きびしい。激しい」のようなマイナス表現もみられる。強さが昂じた時の問題である。しかし、弱さの...弱さにふれる教育①

  • 与える木

    古い本ですが『子どもとファンタジー―絵本による子どもの「自己」の発見(子どものこころ)』(1994・守屋慶子著)という本があります。シルヴァスタインの「与える木」(邦訳『大きな木』)という絵本.日本、韓国、イギリス、スウェーデンの子どもたちの感想文もとに、子どもの自己発見過程を捉えていくといった本です。内容は別にして「与える木」(邦訳『大きな木』)という絵本の内容をご紹介します。あらすじあるところに一本の木が生えていた(第1場面)その木はある小さな少年を可愛がっていた。(第2場面)彼は毎日木のところにやってくるのだった。(第3場面)木から落ちる葉を集め(第4場面)それでつくった王冠を頭に森の王さまごっこをしたり(第5場面)木にのぼって枝でブランコをしたり(第6場面)りんごの実を食べたりした。(第7場面)二...与える木

  • 統一教会批判に「危うさ」

    昨日(2022.8.20)の『毎日新聞』(夕刊)に『統一教会批判に「危うさ」―カルト脱会支援する僧侶瓜生崇さん』という記事が掲載されていました。転載します。安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件をきっかけに、報道やインターネットでは「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」への批判があふれている。逮捕された山上徹也容疑者(41)が動機として安倍氏と教団との関わりを挙げたとされるためだ。「霊感商法」や献金の強要などの問題や政治家との関わりは批判、検証されるべきだが、信者個人の人格や、旧統一教会以外の新宗教もまとめて否定するような言説も見られる。「危うさを感じます」。カルトからの脱会支援活動を続けている真宗大谷派の僧侶、瓜生崇さん(48)はそんな懸念を口にする。「旧統一教会の信者はいま、すごく苦しんでいるはずです」...統一教会批判に「危うさ」

  • 朗読法話

    ネットで「西原祐治」で検索したら、下記のページが出て来ました。おれは興味深い。9035朗読法話「月影」(西原祐治著『光風のごとく』より)-YouTube私も、マネして出来るものか、少しチャレンジしてみます。朗読法話

  • 水野淳子画家

    当寺の門信徒会員で昨年、ご往生された方に読売新聞(24.4.10)に、水野淳子画家(日本美術家連盟会員)という方がおられました。お連れ合いは、現在、ご不自由な身体をかかえておられますが、麗澤大学名誉教授の水野治太郎さんです。西方寺の玄関踊り場に、朱鷺の絵が飾ってあります。これは水野淳子画家(日本美術家連盟会員)の水彩画です。治太郎さんのご両親の葬儀に私が出勤したのですが、その時に「お布施はどうしましょうか」と聞かれたので、淳子画家の絵をお願いし、当寺には3枚の絵があります。19999年に佐渡・両津郷土博物館に「飛翔・トキよ永久に」60号が収蔵され、2000年に佐渡・両津郷土博物館主催でトキの絵をテーマに個展を開いておられます。また描かれた絵で、トキの絵本『トキってどんなとり?』(ゆるみ出版)も刊行しておら...水野淳子画家

  • お盆が終わりました

    昨17日の隣寺正満寺の盆法要出勤で、今年のお盆も無地済ませることが出来ました。お盆の外勤がコロナ前からですが極端に減少して、楽で良いのですが来年は少し広報に工夫する必要があるようです。14.15日の西方寺盆法要は190家族、383名の参拝がありました。コロナ禍のため、読経中の流れのなかで指名焼香だけして帰って頂きました。駐車場や本堂スペースうぃ越えた参拝に心配する必要が無く、お寺としては楽なのですが、参拝者の満足感を考えると、?です。昨日の正満寺は40分の法話も担当したのですが、新盆対象者なので、初めて法話に接する人ばかり出会ったと思われます。初めての方へのご法話は難しいものです。お盆が終わりました

  • 遊びは大切

    『恐怖と不安の心理学』(フランクファランダ著)に、次のことが記述されています。遊びは大切動物の世界では、遊びと恐怖と活力は、意味をもって織りあわさっている。カメからネズミまでさまざまな種を対象にした研究によれば、動物の生活から遊びが欠落すると他福感も減退する。人問の場合はさらに、遊びが欠落あるいは抑制されると、より重大な心理的機能不全につながることがわかっている。そこで遊びが抑制される原因を探ると、恐怖がその上犯として浮かびあがる。ある一種の調査にのなかで、殺人で収監された人の経歴を調べたところ、二つの際だった研究成果が得られた。欲望を抑制できる人のブルーフとくらべて、殺人を犯した人のグループでは身体的虐待が著しく多く見られた。そして虐待に伴って恐怖が生まれる。しかし、それ以上に驚きだったのは、殺人行為で...遊びは大切

  • ルネ・スピッツ③

    『母と乳幼児のダイアローグ―ルネ・スピッツと乳幼児心理臨床の展開』(丹羽淑子編者)のつづきです。関係性の中で発達してあります。スピッツの母子コミュニケーション論の研究の代表的なものは,否定[ノー]の発達過程の研究である。スピッツはここで,なぜ人類は「ノー」を,首を振るという身ぶりによって伝達する普遍的なコミュニケーション様式を獲得しているのかを生態学的,発達論的に解明した。それはただたんに生態学的というよりは,もっと積極的な神経学的な分析に立脚している。首ふりはそもそも人類の最も普遍的な身ぶりであり,それは系統発生的な基礎を持つ生得的反射を素材とする。この首ふり,すなわち頭の水平回転運動は,最初は反射的な現象であるが,生後3ヵ月ぐらいになると,お乳を飲もうとする欲求と結びついて,乳房を探し求める探索運動の...ルネ・スピッツ③

  • お盆法要

    昨14日と本15日、西方寺のお盆法要です。Iいずれも午前9時から、11時から、13時30分からの三座です。コロナ禍のため、読経中に指名焼香でそまま帰って頂く形式です。世話人は7時30分集合です。記念品は拙著と絵ローソク、法話冊子です。コロナ禍の前、合計60座で500人を越える参詣で、狭い本堂でどうなるかと心配しましたが、コロナで参詣が減少して助かりました。以前、新年会に食事を出していましたが70人が一杯一杯なのみ90人近くの申込みがあり、寺のスペースの関係で参詣が少ない事を喜ぶ実体は良くないと思い、新しい寺を建立することとなりました。現在、設計中ですが令和7年落成です。お盆法要

  • ルネ・スピッツ②

    ルネ・スピッツのことを知りたくて県立図書館から『母と乳幼児のダイアローグ・ルネ・スピッツと乳幼児心理臨床の展開』(丹羽淑子編者)を借りてきました。一本原稿を書けると思ってざっと読みましたが読み込めませんでした。乳幼児は、関係性の中で育つとあり、次の様にあります。そして,母と子の交流は一方交通的でなく,二面交通的であり,相互的である。つまり,乳児の生理的な反応パターンである泣き笑いは母性愛を剌激し,泣いたり,ゆすったり,ミルクを飲ませたり,あやしたりする母性的な行動を誘発する。乳児と母の結びつきは,このような相互的な過程である。しかも,この場合,母親の側にはすでにでき上がった人間の“心”がある。そしてこの“心”が,赤ん坊の泣き,笑い,怒る態度表現,行動を「悲しい」「うれしい」「怒っている」というふうに読み取...ルネ・スピッツ②

  • 安永氏が、本願寺の執行長

    『中外日報』(2022.8.10号)に築地本願寺の宗務長の安永氏が、本願寺の執行長になったという記事が掲載されていました。執行長に安永氏選任浄土真余本願寺派本山本願寺(京都市下京区)は5日に第30回評議会臨時会を開催、新たな執行長に築地卦願寺宗務長の安永雄玄氏(68)を選任した。執行長は本願寺代表役員となり、任期は28日から2年間。大谷光淳住職は、執行長候補に安永氏のほかに光巌寺住職の北浦思朗氏(73)を指名した。出席した評議員14入が投票し、安永氏が12票を得て当選を決めた。今後、副執行長は教師のうちから住職の認証を経て執行長が任命し、執行は寺務職員のうちから執行長が任命する。安永氏は東京都出身、福岡市中央区の光圓寺衆。慶応義塾大経済学部を卒業し、イギリスーケンブリッジ大大学院博士課程を修了した。三和銀...安永氏が、本願寺の執行長

  • ルネ・スピッツ

    『恐怖と不安の心理学』(フランクファランダ著)に、児童心理学者の大御所、ルネ・スピッツのことが記されていました。第二次世界大戦のさなかのロンドン犬空襲のあと、数知れない子どもが孤児となりロンドンーファウンドリング病院に収容された。ちょうどそのころ病院に、オーストラリア人の外科と精神科の医師であった、ルネ・スピッツが勤務していた。スピッツがまず驚いたのは、病院の保育施設のなかが異様に静かなことだった。そこにいるたくさんの乳幼児は一歳にも満たず、放棄され一人ぼっちにもかかわらず、泣いている子が一人もいなかったのだ。スピッツは保育施設の乳幼児を対象に研究を始め、そこから幼少期に必要なものと母性愛の重要さを解明する道へと歩み始める。やがてスピッツは、こうして愛情を受けることなく育つ赤ん坊に何か起こるかを学んだ。保...ルネ・スピッツ

  • 自分の「トリセツ」

    コロナ禍、自分自身への関心が高まっているようです。昨日(2022.8.9)の『読売新聞』に『自分の「トリセツ」自分のためー軸となる価値観を明確に』という記事が掲載されていました。「取扱説明書(トリセツ)」は家電などの手引書のことだ。それが今、自分自身の扱い方をまとめた「自分のトリセツ」を作る人がにわかに増えている。理由を探ると、先行き不透明な時代の歩き方が見えてきた。(大石由佳子)静岡県内の公務員女性(30)は昨年末、自己流の「Myトリセツ」を作った。自分の状態を示した言葉に続けて、そのサインとなる具体的な状況を並べた。自分の状態が「故障かな?」と思ったら「ご機嫌」な状態を参照するよう関連づけて考える。苦手なことや対処法なども合わせて1枚の紙にまとめ、今も時々見返している。当時、仕事上の変化や結婚、転居が...自分の「トリセツ」

  • 仏教から示唆される倫理性

    島薗進氏が「原発の是非の倫理的問いと宗教会の声」の章に、本願寺光真前ご門主の意見の続きです。仏教から示唆される倫理性以上、三点をあげた上で、大谷氏は「阿弥陀如来に願われる「われら」として」という見出しの下に次のように述べている。人間には限りない欲望があります。時代を遡るほど、外部からの物理的・社会的制約が大きかったため、おのずから欲望に歯止めがかかりました。しかし、現代においては、知能がはたらき、さまざまの制約が取り除かれ、欲望がそのまま実現するようになりました。それでも人間の知能は不完全であり、欲望の実現から生じる負の結果を十分制御できません。その極端なものが核エネルギーの利用でしょう。いま必要かどうかだけで物事を決めず、将来の人類はじめ生物の生存と調和することができるかどうかを考慮しなければ、人類の将...仏教から示唆される倫理性

  • 原発の非倫理性

    『本願寺白熱教室―お坊さんは社会で何をするのか?』(小林正弥監修、藤丸智雄編)に、島薗進氏が「原発の是非の倫理的問いと宗教会の声」の章に、本願寺光真前門主の意見を紹介していました。その部分を転載します。大谷光真前門主が捉え原発の非倫理性『いまを生かされて』の「あとがき」では、三つの点で原発は「未解決の根木問題」を抱えていることが示されている。「第一に、現在の科学技術では、放射性廃棄物の無害化ができないことです。」放射性廃棄物が人類にとって危険でなくなるまでに、数万年から十万年、あるいは百万年かかるという。「原子力発電所の建設では、目先の利益に心を奪われて、将来のことが疎かにされたとしか考えられません。」「仏教的に見れば、長い時間軸で物事を考えていないといわざるをえません。これは原発だけではなく、昨今の内外...原発の非倫理性

  • 仏教で人生を変える

    拙著『仏教で人生を変えるー現代と救い』まえがきに一部です。二〇二一(令和三)年、世相は、新型コロナウイルスに翻弄されるなかにあります。東京の小石川植物園に「ケントの花」という木があります。植物学上は、セイヨウリンゴに分類され、そのなかの品種名にあたります。物理学者のニュートンは、一六六五年にリンゴが落下するのを見て万有引力を発見したと言われていますが、この木はその逸話のもととなった原木から、接ぎ木栽培したものです。ニュートンがリンゴの落下から万有引力を着想した頃、ロンドンではペストが大流行していました。勤務していたケンブリッジ大学が閉鎖されたことから、十八か月にわたり雑事から解放され、自由に思考する時間を得ました。その期間に、万有引力の法則をはじめ「ニュートンの三大業績」は成し遂げられたとされています。本...仏教で人生を変える

  • 欲望の投影 ―ブロッケン現象

    昨年11月に出版した拙著『仏教で人生を変えるー現代と救い』(本願寺出版社刊)が、再版され、5冊出版社から送付されてきました。6月初旬に、ある高校で夏休みの作文か題のテキストとして採用されたので再版しますとの連絡を受けていました。その本の中から一つ転載します。欲望の投影―ブロッケン現象弥陀如来は如(にょ)より来生(らいしょう)して、報(ほう)・応(おう)・化(け)種種の身を示し.現(あら)わしたまうなり(親鸞聖人顕浄土真実教行証文類「証巻」)如―ありのままの真実報・応・化―報身・応身・化身のことで、報身とは真如そのものから現れた阿弥陀如来であり、応身とはこの世において覚り人々の前に現れるお釈迦さまの姿、化身とは仏が人々の境遇にあわせて現す姿。ビデオ録画した登山番組の「にっぼん百名山」を観ていると、“ブロッケ...欲望の投影―ブロッケン現象

  • 一人称複数の「われら」という言葉

    『本願寺白熱教室―お坊さんは社会で何をするのか?』(小林正弥監修、藤丸智雄編)、お寺や仏教のポピュラーなイメージといえば、お葬式や年末の除夜の鐘、あるいは仏像などの美術品なのではないでしょうか。他方で、社会や政治のような公共的な問題にはあまりタッチしないという印象もあります。この本は、2013年に京都本願寺で開催されたイベントとテーマごとの論考をまとめたものです。テーマは「11のジレンマ」と題され、「お寺を離れて被災地の終焉活動に行くべきか」とか「どこまで宗教色を出してもいいのか」といった宗教者の実際の活動にかかわる問題から、「原発再稼働に反対声明を出すべきか」、「地域の集会やイベントに寺の施設を使っていいのか」といった、政治的・公共的な問題などが議論されています。本の中で4月にご往生された丘山新先生が、...一人称複数の「われら」という言葉

  • 小さな世界問題②

    「小さな世界問題―スタンレー・ミルグラム・野沢愼司・大岡栄美訳」前述のように、アメリカのどこに住んでいるのかにかかわらず、無作為に選ばれた個人の間を連結するには、平均してたった5人の媒介者がいれば充分であるという事実は、多くの人にとって驚きであった。そこで、直感と事実かすれてしまう理由についても説明を試みておくべきだろう。第1に、私たちが直接問題にしたのは5人の媒介者だけであったが、それぞれの背後には、500人から2,500人に及ぶ膨大な人々の群が控えていることを忘れてはならない。つまり、参加者には各自500人から2,500人にのぼる知人がおり、参加者はそのなかから、連鎖を進めるという目的にとって最良の位置にいると思う人物を選択する。したがって、私たちは徹底的にふるいにかけられた最終結果だけを相手にしてい...小さな世界問題②

  • 小さな世界問題①

    本題の「小さな世界問題―スタンレー・ミルグラム・野沢愼司・大岡栄美訳」です。「小さな世界問題」とは、「無作為に選ばれた個人AさんとBさんをつなぐには、平均してたった5人の媒介者がいれば十分である」という事実を指します。以下転載です。小さな世界問題に対しては、大まかに言えば二つの基本的見解かおる。ひとつには、世界のなかに存在する2人の人間は、たとえどんなに離れていようとも、媒介する知人をたどれば相互に連結することが可能であり、しかも媒介する連結数はかなり小さいだろうと考える立場がある。この見解は、知人が無限に交差し合っている状態を想定しており、それゆえに一連の人々の連結をたどっていくことによってひとつの社会集団から別の集団へと移動することが可能になると考える。第2の見解は、様々な集団の間には越えがたい溝がさ...小さな世界問題①

  • 服従の心理④

    『服従の心理』(2008.11・ストランレー・ミルグラム著・山形浩生翻訳)からの転載です。なぜ服従するのかの分析ここまでで、服従実験で数百人の被験者を見てきたが、そこでの服従の水準は心穏やかならぬほど高いものだった。いやになるほど常に、善良な人々は権威の要求に屈して、冷酷かつ熾烈に行為を実施するのが観察されたのである。日常生活では責任あるまっとうな人々が、権威の仕掛けにとらわれ、知覚を操作されて、実験者による状況定義を無批判に受け入れることにより、残酷な行動を実行するようし向けられてしまった。この現象を理論面から理解し、服従の原因についてもっと深く探求してみる必要がある。権威への屈服は人間において強力でとても優勢な条件だ。なぜそうなのだろうか?まず分析の手始めとして、ヒトが単独ではなく、ヒエラルキー的な構...服従の心理④

  • 服従の心理③

    『服従の心理』(2008.11・ストランレー・ミルグラム著・山形浩生翻訳)からの転載です。読者はこの実験を一見して、そもそも正気の人間なら最初の電撃すら加えるはずがないのではと不思議に思うかもしれない。みんないやだと言って実験室を立ち去るのでは?でも実際には、だれ一人そんなことはしていない。被験者は実験者の手伝しにきているので、みんな最初はこの手順にはおとなしく従おうとする。別にこれは特に驚くべきことでもない。多くの被験者は、電撃を受ける人物の懇願がどんなに切実になろうとも、電撃がどんなに苦痛をもたらすように見えようとも、被害者がどれほどやめてくれと懇願しようとも、実験者に従い続ける。では、人が実験者に服従し続けるのは何が原因だろうか。まず、被験者をその状況に縛りつける「束縛要囚」がある。被験者自身の礼儀...服従の心理③

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