長年暮らした東京を離れ、生まれた街・山口県萩市に移住してセミリタイア中です。当ブログを開設した当時は、セミリタイアも地方移住も「計画中」だったのですが、すでに現実のものとなっています。少しずつ自分に起こったり感じる変化を綴っていきます。
みんなが同じ振る舞いをしていることに妙な感じを覚えてきて「そろそろ各自が、思い思いに緩んだり締めたりを決めたらいいんじゃない?」と思い始めています。緊張感とかこわばりみたいなものが連続することって、メンタルに良くない気がするのです。
自分のことしか考えない人のことを、僕はそこそこ肯定しているのです。自身にそういう気(け)があるからなのですが、何かの行動を起こすときに「他人のため」「社会のため」という考えを持つと、それが言い訳のタネになるような気がしているのです。
結局は「健康が大事だよね」という無難なところに着地してしまうのですが、老後を豊かに暮らす上で「お金を使わない生き方をするスキル」も資産のうちですよね。消費をして楽しむクセをつけてると、いくらお金があっても足りなくなってしまうのです。
こうしてブログを毎日更新している自分が信じられなかったりすることがあるのですよ。もともと僕は日記を書くことができない子供でした。理由はいろいろとありますが、とにかくダメなものはダメだったのです。「ピーマン嫌い」と一緒だったのです。
朝起きて「今日のブログネタ、何にしようかな」と考えると真っ先に「新型コロナ問題」を考えるようになってしまっています。頭の中のコロナ率が高まっていて、良くないですね。僕は、ちゃんとしてない人への道を歩んでいたはずだったんですけどね…。
みんなが自分の生き方とか、働き方を見直すチャンスになってるんじゃないでしょうかね? 「オフィス要らない」とか「都市から地方へ」とか、様々な選択肢を設けることがアリになってますからね。でも僕は、結局元に戻るんじゃない? と思うのです。
昔から「損得」を排して「好き嫌い」に従順であるほうが、いろいろとしっくりくるんじゃないかと思っていたのですよ。人って「嫌い」のほうが「好き」よりも、その理由を言語化しやすかったりしませんか? なんとなくそんな事を考えているのです。
新型コロナウィルスとの戦いは、どうやら長期戦になりそうな感じですよね。この抑圧された感じがしばらく続くものだと想定した「コロナ用の生活」イメージしておかなきゃなりませんね。僕は「自主トレ期間」のようなイメージを持つことにしました。
基本的に「電話嫌い」を表明しているのですが、それでもごく限られた人々とは定期的に長時間にわたって電話で話し続けることがあるのです。居酒屋で互いに好き勝手なことを言い合うような感じと似ていて、あまり大した内容は残らないものなのですよ。
物心ついてからずっと「夢を持て」とか「将来の目標は何?」とか言われ続けてきましたよね。僕もなんとなく「うん目標を持とう」と思っていた時期もありました。でもなんとなくしっくり来てなかったんですよね。「将来の目標なんて、いる?」と…。
こういう時期だからこそ、何か為さなくてはと思う一方で、せっかくだから徹底的にだらけるのも有りだな、などとも思っています。生産的なことから距離を置くことで、自然と自分の生命力のようなものが浮き彫りになってくれるような気がするのです。
これまでの人生の中で何度「○○やりたいけど、時間がないんだよなあ」と考えたことでしょう。他人の「時間がない」に対して「はい、それ言い訳」と責めたこともあります。とりあえずは、細かくて地味なことから始めるクセでもつけましょうかね…。
萩市にいる母親から電話があり、予定していた萩への移動を中止しました。僕は現在、二拠点生活をしているのですが、7都府県に対して緊急事態宣言の出ている今、ほうぼうでピリピリムードが蔓延しているようで、仕方なく今回は見送ることにしました。
ひとつのことに頭の中を支配されるって、それが何であれ良くないことだと思っています。ここのところ目につくニュースが新型コロナウイルスに関連することばかりです。「意識的に頭の中をチューニングしないとダメだな」と思っているところなのです。
街なかや公共の場で、他人の振る舞いや言動に不快感や怒りを感じたときに「この人、一緒に仕事したくない人だ」という感情が芽生えることがあります。僕がいろんな妄想を始めてしまうことが原因なのですが、こういうのって当たってる感じがするのです。
どんな人や、どんなモノにも「自慢の種」があって、それをアピールすることって大切なことだと思うのです。では、その自慢できそうな実績や物事を認識しているかというと、そうでもなかったりします。そもそも自慢することが恥ずかしかったりね…。
もともとフリーランスなので「それってリモートワークって言う?」問題はあるのですが、チームで働く仕事でありながら、好きな場所でやってるという意味で自分をリモートワーカーだと認識していました。それについて思うことを書いてみようと思います。
緊急事態宣言が出ています。僕の生活は変わっていませんけどね。社会的に大変なことになっていることには違いないのですが、僕たちひとり一人ができることって、日常の習慣を再度見直して、感染者にならないように心がけることくらいなのですよね。
無職になってしばらく経ち、だんだんとボーッと「なにもしない」状態でいることに苛立ちを感じなくなってきました。むしろ快適なのです。つくづく「自分の好きなように生きればいい」という考えが間違っていないんだな、という気がしてきています。
「風通しの良い場所へ環境を移したいな」と地方移住を決めたのですが、これって、いま盛んに言われている「三密」そのものなんですよね。新コロナ収束後もこのマインドって残ると思うのですよ。うまく地方移住が促進されるといいなと思っています。
無職になって、ネットが仕事道具ではなくなってから、快適な日々を過ごしていたのですが、最近またネット疲れを感じるようになってきました。SNS等を通じて、いろんな人々の感情が増幅しつつ次々とタイムラインを流れていくからなのでしょうね。
これまでに何度「あなたのためを思って」というたぐいの言葉を聞いてきたことでしょう。僕これダメなんですよ。「この人、地雷だ」と距離を取るためのトリガーに設定しています。相手のモノサシを無視して、自分の価値観を押し付ける言葉なんですよね。
ちまたでは「人によって態度を変えるヤツはクソ」ってことになってますが、自分を省みると、思ってることを言葉にする相手って限定的だったりしますよね。わりと当たり前に「人によって違う」をやっているし、それがとても自然なことだと感じるのです。
これまでに、人生が変わった瞬間を何度か経験しています。自分のチカラではどうにもならない偶然の重なりの結果とでも言いましょうか、僕にとって印象深いのは、フリーのデザイナーとして食べられるきっかけとなった、1本の留守番電話のことです。
空気を読みつつ、適度な人間関係を保持していたものが、加齢とともに「結構なエネルギー要るな」と感じるようになってきています。「この人、ちょっと距離感おかしいぞ」という場面で態度に出てしまうのですね。たぶん「空気読まない」が正解なのです。
僕は子供時代から50代半ばの今まで一貫して、やる気に欠けている人間なのですよ。それでも一応、それなりの社会生活を送るために「やる気スイッチ」をオンにする方法は身につけているのです。「とりあえずやってみる」って方法なんですけどね。
ずっとフリーランスで仕事をしてきたので「食べていける」ということについては、ずっと考え続けてきました。セミリタイア生活を始めるにあたって無職になった今も、そしてこれからもずっと、生涯にわたって考え続けるテーマだろうと思っています。
依存症ですよ。さしずめ「かつてはタバコ、今はインターネット」ってところでしょうか。9年前にタバコをやめたように「少しインターネットに繋がってる時間も減らそうかな」と思い始めています。便利なものなので完全に断つわけじゃありませんけどね。
新型コロナウイルスによる株価急落に加え、山口県萩市に購入した古民家の購入代金を支払うために一部を現金化(=売却)しましたので、金融資産が大幅に減少してしまいました。「こんなこともあるよね」という感じで、粛々と投資生活を送っています。
21回目の運用報告です。検索エンジンからの流入が40%程度増加し、ページビューも20%を超える伸びとなりました。それに伴いGoogle AdSenseの収益も少しずつ伸び続けています。たまにこういう月があると励みになりますね。
「ブログリーダー」を活用して、萩ドットライフさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。