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2018/07/24

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  • 老いの自由死

    老いの自由死いつのまにやら八十代半ばとなり、心身ともにかなりガタがきている。まだ日常の身の周りのことを人手に頼ることなく自力でできるが、死が身近なものになっているのは日々感じている。老いれば死ぬのは定め、死は怖くない。私なりに十分生きてきて、今はいつでも死を受け入れられるだろうと自分では思っている。とは云え余生をあきらめたのでもなければ、人生がつまらなくなったわけでもない。健康なあいだはまだ生きていたいという本能もあれば、好奇心も世事への関心もある。ただ、関心はあるものの、世事には傍観者となっていることが多い。死は怖くないが、自分の死に際の状態を想うとき、それにまつわる別の怖れが私にはある。それは終末期が身に迫った際の老耄状態である。肉体的に衰弱し切って飲食排泄入浴など身の周りのことが自力ではできなくなり、すべ...老いの自由死

  • ウグイス

    ウグイス日頃ウグイスの声を聞かない都会に永年住んでいて春の休日などにウグイスの声を聞きながら野山を歩くのは、毎年のように繰り返してきた私の快いレクリエーションだった。と過去形で書く今は、同じ市内でも別の郊外に転居して様子が一変した。付近に低い山林があちこちに散在していて春になるとホトトギス、シジュウガラ、ヤマガラ、メジロ、コジュケイ、オナガなど多くの小鳥の声を近くで折節聞くことができる。近年市街地にも現れるようになったヒヨドリやハクセキレイなどは年中見聞きする。特にウグイスの声は季節となれば随所で聞けるようになり、当初は良かったが、そのうちにその声は特に珍しくなくなってしまった。そうなると、新鮮な感興はもはや湧いてこない。もっとも、秋から冬の数か月間聞かなかった後の初春の頃に聞く啼き声の走りを聞くのは、その都度...ウグイス

  • 老いの自由死

    老いの自由死いつのまにやら八十代半ばの歳となり、心身ともにかなりガタがきている。まだ日常の身の周りのことを人手に頼ることなく自力でできるが、死が身近なものになっているのは間違いない。老いれば死ぬのは定め。死は怖くない。私なりに十分生きてきて、今はいつでも死を受け入れられるだろうと自分では思っている。とは云え余生をあきらめたのでもなければ、人生がつまらなくなったわけでもない。まだ欲望もあれば好奇心もある。但し、エネルギーの衰えに伴い欲望の制御は楽に自然にできる。死は怖くないが、自分の死に際の状態を想うと、それにまつわる別の怖れが私にはある。それは終末期が身に迫った際の老耄状態である。現今では、高齢になると老人ホームに入るのが一般化している。今の日本には万を超すさまざまな老人ホームがあり、入院している高齢者は多い。...老いの自由死

  • 日本人名の欧米式表記

    日本人名の欧米式表記昔から日本人は姓名を名乗り或いは書き記すには、姓を先に名を後にしてきた。これを今仮に«姓名式»表名法と呼ぶことにする。この方式は今も変っていない。これは韓国も中国も同じである。これに対し、欧米人の表名法は名が先、姓が後、の名姓式である。ところが日本では、敗戦後、外国人相手に表名する場合は、伝統的な姓名式を捨てローマ字による名姓式を採用してきた。学校での英語の時間にわれわれは、外国人に対してはそのように名姓式にするように習ってきた。しかし、国際的に、氏名の表示は姓名式ではなく名姓式でなければならないということが規制されているわけでも、それが全般的慣習になっているわけでもない。現に中国人や韓国人は昔から今も国内的にも国際的にも自国流に姓名式を通している。他にも同様の国は多いようである。どの国も外...日本人名の欧米式表記

  • トンボ釣り

    トンボ釣り釣りは魚釣りだけとは限らない。餌・針・糸・竿の四点セットで釣り上げる原理は魚以外にもさまざまな動物に応用できる。この同じ原理で、する気になればであるが、カエルでも蛇でもカラスでも釣れるだろう。私の子供の頃の遊びとして、昆虫釣りというのもあった。その一つはギス釣りで、キリギリスのことを地元である京都の街外れではギスと呼んでいた。ギース・チョン、或はチョン・ギースと鳴くところから、又、キリギリスという語を短縮した語感から、そう呼ばれていたのだろう。キリギリスというと平安朝以来の歌などで寂寥感をもって謳われる静的な秋の虫のイメージがあり、古くはコオロギのことをさす場合もあってそのイメージに弱弱しいところもあるが、私の想い出の中の少年時のギスは真夏の日中の焼けるような陽射しを浴び、草いきれの強い野原とか田畑の...トンボ釣り

  • 言葉遊び

    言葉遊び遊びをせんとや生まれけむ、戯(たはぶ)れせんとや生まれけむ、遊ぶ子供の聲聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ【梁塵秘抄】仕事から解放された遊び、或いは仕事の合間の息抜きの遊びは、大人になっても楽しい。年寄ると肉体的な遊びは少なくなるが、頭脳を使う言葉遊びや読書といった遊びは比較的永続きする。謎々、尻取り、早口言葉、語呂合わせ、一休さんの頓智噺、パズル等々の言葉遊びは子供の頃から遊びを通していつしか自然に覚える。大人になっても地口、しゃれ、回文、ものはづけ、その他いろいろな言葉使いの表現を楽しむようになる。漫才、落語、講談といったものも、すべて形式を定めた言葉遊びと云える。古来の和歌や俳句の中にも言葉使いの技巧を楽しむだけのものは多い。現代の俳句や高踏詩なるものにも言葉遊びとしか思えないものも少なくない...言葉遊び

  • あなた

    あなた㈠二人称単数代名詞を便宜上ここでは略して「二単代」と略称することにする。日本語の二単代はいうまでもなく、きみ、あなた、おまえ、などの代名詞であるが、これら以外にも実に無数にある。明らかに代名詞とわかる形のものが多くあるだけではなく、一見代名詞とは思われない形をしているものも少なくない。それら全てをひっくるめた膨大な数にのぼる二単代の実態はあまり意識されてはいないようである。先ずそのおびただしい数を概観してみよう。きみ、あなた、おまえ、の他にも、あんた、おたく、そちら、そっち、きさま、貴方、貴殿、等々がある。あなたさま、そちらさま、といった丁寧語、あーた、おみゃ、といった俗語、おめえ、てめえ、等の罵倒語等、さまざまなバリエーションも加えれば裾はさらに広がる。そういったバリエーション、方言、俗語など全てを併せ...あなた

  • 花は咲けない

    花は咲けない日頃無意識に使っている簡単な言葉の慣用表現には論理に合わないものが少なくない。その幾つかを一部は英語ともからめて、問題点を見てみよう。【雨が降る】大気中の水分が凝結して上空から落下する水滴やその落下現象が雨である。大気中に懸かっていて落下しない微水滴は雨ではなく、地上に落ちて落下現象の終わった水ももはや雨ではなくただの水である。落下運動中の水滴が雨である以上、つまり、降っている水滴を雨という以上、その雨がさらに降るというのは重複表現であると同時に、論理にもとる。「明日雨が降らなければよいが」といった表現になると、論理をなさない。但し、「雨が降る」は重複表現ではあっても、この表現に冗長感はない。当然、降雨という名詞も重複表現である。英語の場合、「雨が降る」は通常itrainsと云い、rainfalls...花は咲けない

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