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2018/06/30

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  • 2018年、年の瀬のご挨拶

    2018年も今日でおしまい。 明日からは新しい年になります。振り返れば今年も、音楽がたくさんのご縁を結んでくれ、貴重な出会いを得ることができました。音楽の本質は調和にあると思っています。 人や楽器は違うけれど、それぞれが調和し、ひとつの音楽を奏でる。 自分で音を奏でなくても、それを享受し、共感する。その結果、音楽はその人と人をも結びつけ、調和させる。 人や社会と関わり、調和を育む。私の考える音楽とは、このようなものです。今年から始めました、当ブログを通しても、音楽が運んでくれた、たくさんの方々との、貴重なご縁がありました。 拙い自分の文章に、多くの方々が目を通し、コメントまでしていただき、本当…

  • 新しい音楽と出会う旅

    28日、今年最後の舞台を終えた。 学校の定期演奏会である。 指揮者として、吹奏楽やオーケストラなど、計10曲を指揮した。 無事に終了してほっとしている。いつからこうなったのかわからないが、私は終わった公演について、あまり余韻に浸らないタイプである。 録音を聴き返すこともほとんどなく、次のやるべきことにスイッチが切り替わる。今日もまた、新たな作曲に向かう。そんな自分を、淡白で冷酷な人間だという風に責め、悩んだこともある。ある映画のセリフに、「いい演奏をした喜びは一生残る」というものがあったが、確かにそのような演奏はいくつかあるが、それでも終わったあとは淡々としたものである。良い悪いの問題ではない…

  • 趣味と仕事

    高校の吹奏楽部で音楽に出会い、趣味のようなものになった。 大学では音楽を専攻したが、ここでもまだ趣味の延長のようなものだった。そして社会に出て音楽を生業にした。その時から、自分の音楽に対する意識や考え方、接し方が変わった。 趣味ではなくなったのである。「こんな曲、アレンジしたくないなぁ…」と思えば、趣味ならやめればいい。あるいは、「こんな曲」とも思わず、そのアレンジを楽しめるかもしれない。 趣味の場合は、その行為ができるだけで幸せだったりする(少なくとも私はそうだった)。しかし今は、「こんな曲、アレンジしたくないけど、仕事だから仕方ない」となる。これこそが一番大きな変化だったように思う。 そし…

  • バカの壁

    昔、養老孟司さんの『バカの壁』という本を読んだことがある。 もうあまり記憶に残っていないが、その中に、「言ってもわからないやつには、言ってもわからない」という言葉があり、これだけは大変記憶に残っている。つい最近、それを実感するような出来事があったのだが、もちろんその人がバカだというつもりはない。 そういう人は、話が通じないというよりは、自説を曲げない、人の話を聞いて、取り込んで、考えてくれないんだな、という印象が強く残った。自分の中で、「〜でなければならない」 「〜であるべきである」という哲学(?)が強烈過ぎるのだ。私などは世の中に100%のものなどないのではないか?という考え方から、人の意見…

  • プライベートスタジオ

    音楽室の片隅の、プライベートスタジオ。前にもご紹介したかもしれないが投稿。 それほど大切な空間なのだ。作編曲で楽譜を書いたり、Cubaseで音源を作ったり、指揮する楽曲の勉強をしたり…。 私の音楽はすべてここから生まれている。 本当に長い時間を過ごした空間、仕事場である。 素敵な言葉をご紹介する。 尊敬する安岡正篤先生のお言葉だ。 書斎①/安岡正篤一日一言人間にはどうしてもあるスペース、空間というものが必要だ。 われわれが生活するのにどうしても必要な空間・余裕-こういう環境をバイオトープ(biotope)と言う。 これはちょっと考えればわかることであって、たとえばお互いに家を成すのに、どうして…

  • 音楽と言葉の不思議な関係

    指揮は身振りや手振り、表情や視線などで音楽を奏者に伝え、表現するのであるが、リハーサルの時間には必ずと言っていいほど言葉が存在する。 つまり、言葉を使って奏者に指示を出し、望む音楽を引き出すのだ。かくして、音楽と言葉の関係が生まれるのであるが、本来言葉として伝えられるはずのない音楽を、言葉に置き換えて説明するのだ。 難しくないはずがない。 (ちなみに言葉をまったく用いない指揮者がいるのかどうかは確かめたことはない) 何でも二極化するのは危険だとは思うが、音楽の指揮や指導に使う言葉をあえて二分してみると、 具体的な指示 抽象的な指示 の二つに分けられる。 具体的な指示とは、たとえばテンポを数字で…

  • 言葉にしてあげよう

    誰かがつらそうな時は、 言葉にしてあげよう。言葉にしてあげないと、 気持ちはうまく伝わらない。言葉の裏にある、 優しさや思いやりも。たとえ言葉が足りなくても、 言葉を間違えてしまったとしても、話し方や、表情や、身振り手振りが持つ、 本当の気持ちは必ず伝わるはずだ。そんな当たり前のことを、 どうやら忘れていたようだ。少しだけ勇気を振りしぼって、 言葉にしてあげよう。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村

  • 音楽理論を学ぶ意味

    「音楽に理論なんていらない」 「音楽はセンスだ」という言葉を聴く機会が多々あるが、私個人としては、ディレッタント的ではない、スペシャリストな音楽家を目指すには、音楽理論の勉強が欠かせないと思っている。しかし、最近これを、「理詰めで音楽を考える」という意味にとらえなくなった。なぜかというと、時間芸術である音楽は、あまりにも瞬間的で刹那的な芸術だからだ。 演奏にしろ、指揮にしろ、そして作曲にしろ、限られた時間を持っている。 考えながらやることはもちろん大事だが、「ただ感じる」という時間しか与えられていないことも多々ある。 その感覚(センス)を研ぎ澄ませ、自分の血や骨とし、瞬間に表せるように鍛錬する…

  • 音楽を聴かない音楽家

    自分でもふと気づいたのだが、私は仕事以外で音楽を聴くことがほとんどない。ここには指揮者として楽団の練習で聴く音楽や、音楽鑑賞の授業中に聴く音楽など、義務としての音楽は含まない。 あくまでも自発的に聴く音楽に限ることにする。すると、 今作っている自分の音楽 勉強のための音楽 という2種類しか、自発的にはほとんど音楽を聴いていないということになる。 音楽を生業にする以前は、暇さえあれば音楽を聴いていた。 休みの日などは一日中音楽を聴くことが当たり前。 聴きながら眠ってしまい、朝方、流れている音楽に驚いて目を覚ますこともあった。 持っていたテープはすり切れるほど聴いた。それくらい音楽を聴くことに狂っ…

  • 常に行為する者であれ

    中学2年生の頃に読んだ本の一節に、「常に行為する者であれ」という言葉があり、胸を打った。それから、この言葉は、人生の座右の銘のひとつになった。 始めたことはやめるな。 継続は力なり。 批評する立場、評論家にはなるな。 人生の傍観者になるな。 … いろんな意味が込められていて、なおかつ前向きな言い方も気に入っている。 人生のいろいろな場面で、この言葉を選択や価値判断の基準にしてきた。ここまで何とか音楽を続けて来れたが、この言葉は一度や二度ではなく、私の背中を押してくれ、勇気をくれた。 そして、「昔、◯◯をやっていた」とか、「◯◯だから、◯◯できなくなった」という言い回しが嫌いである。人が使う分に…

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