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評論家 三浦純平ブログ https://theoutsiderjp.blog.fc2.com/

評論家の三浦純平が、哲学・思想・政治・芸術・お笑い・映画・猫など全般的に語ります。

1983年岐阜県生まれ。評論家、「暫-ZAN-」編集長。 2010年、雑誌「表現者」30~32号に秋葉原事件についての評論「不安の現象学」を寄稿。2019年7月、電子書籍雑誌「暫-ZAN-」を発刊。

三浦純平
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2018/06/07

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  • 愛らしい家族達 映画『愛のお荷物』レビュー

    人口爆発をさせないために受胎制限を考える厚生大臣の家で続々と発覚するおめでたに翻弄される一家の物語。コメディとして終盤まで静かに展開するのだが、最後の最後でドタバタ喜劇の様相になる。登場人物達は誰一人として悪者は存在せず、のほほんと幸せを感じながら観られる作品。人物造形もそれぞれキャラ立ちしていて見事。家族内で行われる「政治」も、家族愛によって包含され、跡を濁さずハッピー・ドタバタ・エンド。大正モ...

  • 自己啓発系がダメな理由

    キングコングの西野亮廣が吉本興業のマネージャーに対して説教したことを表に出し、吉本を退社した。この件でも分かることだが、西野はすでに分かりやすい自己啓発系の教祖になった。彼は、批判的な視座を持った人間、つまりは他者をもう必要としない楽園で、自分の正当性を絶対的なものにし、好き勝手やるだけである。いや、別にやりゃいいんだけど、興味無いから。ただ、自己啓発系の人間たち、自己啓発を名乗らずとも、自分たち...

  • 物事をうまくやるということ

    政治上の立場というものを考えずに普通に考えてみると、ある物事について、間違いなく、支障が少ないように進めていくためには漸進的に物事を進めるしかない。そもそも急進的に物事を進めるということが、近代における組織運営・政治的な政策決定以外にあり得るのかが僕には疑問である。さらには、急進的な変化を求めたがる人々がその急進的な物事の進展によって期待しているのは、実際に物事がうまくいくかどうかにはない。それは...

  • 散らばった物語 映画『我輩はカモである』レビュー

    マルクス兄弟の映画は初見である。様々な所で光るアイデアが溢れているが、どうもマルクス兄弟の作風は好きではない。もちろん今日にまで引き継がれるネタがあり、特に鏡のシーンは笑えたのだが、ナンセンスがここまで来ると本当に意味が無くなってしまう。今作のマルクス兄弟のキャラクターも新首相役のグルーチョ以外はあまり好きにはなれず、いたずら好きで頭の弱いスパイ達には辟易としてしまう。だが、随所に出てくる笑いの中...

  • 宇宙もの映画はなぜ量産されるか

    ハリウッドのリベラル代表格であるジョージ・クルーニーの新作『ミッドナイト・スカイ』Netflixで公開された。ジョージ・クルーニーは『ソラリス』や『ゼロ・グラビティ』など宇宙ものの映画に出演していることが多いのであるが、最近ハリウッドで宇宙もの映画が多いのはなんでだろうなと思っていた。もちろん映像技術の進化や宇宙に関する知識の進歩もあるのではあろう。しかし、おそらく現代人の人間に対する絶望的な認識が宇宙物...

  • 自死の理由の乏しさの中に現代の若者はいる 映画『ベロニカは死ぬことにした』レビュー

    2006年公開作品、ブラジルの作家パウロ・コエーリョの同名小説を原作とした、真木よう子主演の日本映画である。--------------------まず、ある世代以上の方には、真木よう子演じるトワの心情のリアルさが分からないのであろうと思う。彼女の心情は、20~30代の人間にはリアルな心情なのである。本作に対する批判点として主人公の自殺の理由が分からないというようなものがあったが、現代の若者において自殺の理由の重要性など問題...

  • 映画にまつわる雑記

    哲学・思想領域は昔ほどではなくなったが、映画領域は海外の情報で稼ぐという構造が未だ残存している領域だ。哲学・思想領域では批判されるのに、映画領域では批判されないのはおかしい。※別に悪いとは言ってないが、ただ不公平だという話。※2020年12月28月のツイートを元にした文章です。--------------------映画「ザ・ファブル」がアマプラに出ていたので観た。岡田准一のアクションとカメラワークが日本のアクション映画として...

  • 色々な言論人について

    なんか誰も保守系でギリシャ哲学の研究者であった田中美知太郎を引用したりする人が少ないので、腹が立ってきた。一番今学ぶべきは多分田中美知太郎である。引用されない理由は分かる。今の言論人にとって、田中の言葉は、地味で常識的過ぎるからです。その常識的な、当たり前に感じる田中の言葉をどのように解釈するか、ときほぐすかということが評論家の力量であるのだが、小林秀雄とか福田恆存とかの派手な文学的な文章に吸い寄...

  • でたらめな言論、でたらめな政治

    「司令官爆殺でイラン国民は米国に激怒した」そんなニュースはウソだったタイトルを見て、「へえ、そうなのかあ」と興味深く思って見たら、記事の中盤で「イラン国民の悲しみや怒りは本物ですが」とあって、最初の「おい」が来た。ソレイマニ司令官は、イラン国内では人望の厚い人物でした。数々の戦闘を勝利に導いたイランの英雄であるだけでなく、人徳があり、ワイロも一切受け取らない、素晴らしい人。だから、彼がアメリカの空...

  • コロナで思考停止に陥る人々

    前も言ったが、コロナに対する対策を最優先にするのはよい。しかし、このコロナが広がっている状況で、他の災害(地震など)が起きる可能性は間違いなくある。そのための避難はどうあるべきか今のうちから考えとかないとめちゃくちゃ混乱する。三密防ぎながら避難するには避難場所増やすなり、行動基準を定めたりしないとあかんやろがい。今の収容可能人数で対応しなきゃいけないってなると、またコロナなんてただの風邪論が猛威を...

  • 表現の自制について

    https://www.afpbb.com/articles/-/3310391いわゆる表現の自由問題は、シャルリーエブド事件のようなことが日本で起こった際本当の問題になる。日本人は本格的に向き合うことができるだろうか。おそらく、今と同じように自主規制をしてごまかすだろう。イスラム教は怖いからね。僕はそもそも宗教的権威に対して諷刺をするというような行為の中に、表現の優秀性など現れないと思うので、あのような行為は称賛しないし、制限されて然...

  • 空虚な言論人

    ほんと政治的な言論人の争いのくだらなさが最近ひどい。「これからは古典を読むから若い奴らは頑張れや」というようなことを、東浩紀はTwitterで言っていたが、その東の態度が批評家として正当だと思う。しかし、一つ言いたいのは、これは若さの問題と言うより、学問に対する態度の問題だと思う。相手を言い負かすとか政策実現のために思想や学問をやる人間は、箸で人を殺そうとする人間のように、ものの使い方をそもそも履き違え...

  • 「自由万歳」時代劇 映画『放浪三昧』レビュー

    1928年(昭和3年)の稲垣浩監督、伊丹万作脚本のサイレント映画。僕が借りたものは松田春翠の活弁トーキー版であった。物語の解説が無いので紹介する。サイレント映画なだけあって、出来事が多く、心理描写が少ないため、冗長な解説になるが、悪しからず。--------------------佐幕派の侍であり、随一の剣豪である伊達主水(片岡千恵蔵)はある時、恋敵である関口蔵六(矢野武男)に対する方便が元になり、安藤つや(衣笠淳子)と...

  • 保守の経済思想は戦後民主主義の何を批判しているのか

    全般的に言うと今の保守は経済以外で語るものを持たない。経済学なんて近代学問丸出しの分野であって、一専門分野に過ぎないにもかかわらず、保守思想の全部であるかのように、保守の論客はここ5年くらい経済しか語らなかった。経済思想は僕たちの生活に一番影響のある分野を考える思想だと言ってもいい。しかし、やはりそれも専門的であるがゆえに部分的なものに過ぎない。経済しか語らない保守は、トータルに物事を把握しようと...

  • 科学の「真理」など実証主義的イデオロギーに過ぎない

    今どき「科学の「真理」」というようなワードを言ってしまう言論人は、現代科学の動きすら把握できていない非科学的な人種である。人文科学系の人間が自然科学的なデータに立脚して物を言うと、やけに「科学、科学」とうるさいのであるが、それが予定する科学性はただの実証主義に過ぎず、歴史では歴史主義でしかない。そのような科学的な方法論というものが第一次大戦以後、西洋では懐疑されてきたのではなかったか。実証主義はPo...

  • 清水幾太郎『オーギュスト・コント』が面白い

    清水幾太郎の『オーギュスト・コント』を読んでいるが、めちゃめちゃ面白い。清水の著作をまともに読んだのは初めてかもしれないが、論の展開がスッキリしていて良い。コントについては実証主義の祖だったり、「人類教」を創始したりと、近代主義の権化のように考えていたが、だいぶ認識を修正させられた。案外自分と考えが近い気がした。コントは、一時啓蒙主義の徒であったが、その後イギリス経験論・自由主義経済学にシフトする...

  • 永遠に遍在する不条理・不確実性

    ちょっと変な言い方になるが、不確実性や不条理は、通時的にも共時的にも実在している。どの時代の世の中にも、どこの場所でも、不条理や不確実性は実在するのだ。不条理や不確実性という概念は、第一次大戦後時折ブームのように喧伝されるが、そのブームが終われば無くなるというたぐいのものではない。何故なら、それらの概念が意味するのは、それぞれの時代における認識・知的枠組みでは理解不能なものを、どのように理解不能な...

  • 言論人による出版拒否は権力の行使に過ぎない

    菅首相による日本学術会議の推薦人に対する任命拒否があると、学問の自由が侵犯されたと大騒ぎする。Twitterがトランプ前大統領のアカウントを停止したりすると、SNSプラットフォームの言論統制だと言って、言論の自由が侵犯されたと大騒ぎする。このように公的な役職の政治家や、グローバル企業と言われる大企業についての言論統制のような動きには敏感に反応する人間たちは言論人にも数多い。しかし、最近著名な言論人によく見ら...

  • イデオロギー批判をする保守が保守イデオロギーを持ったら終わりである

    哲学・思想というのは、あるイデオロギーを説いて回れることを指すのではない。哲学・思想とは、当たり前になった言葉(認識)を疑うことである。その意味ではポストモダンは正しい。このような基本的な事柄を忘れた保守イデオロギストが、左翼批判を展開しているのを見ると笑えてくる。いや、泣けてくる。左翼に対するオーソドックスな批判というのは、彼らのイデオロギー性に対する批判である。左翼は、ある専門的な技術的知識を真...

  • アメリカ的「自由」はナショナリズムである 映画『マジェスティック』レビュー

    2001年公開、『ショーシャンクの空に』、『グリーン・マイル』の監督であるフランク・ダラボンが監督を務め、ジム・キャリーが主演をしたドラマ作品である。------------大テーマとしては第二次大戦と赤狩りがあるのかもしれないが、第二次大戦と赤狩りのプライオリティはどちらにするべきだろうかという逡巡が本作にはある。赤狩りや第二次大戦の史実との違いはさほど問題ではない。本作で問われている主要な問題は、アメリカの「...

  • 言論をめぐる馬鹿騒ぎ

    「国士流は保守にあらず」「コロナをめぐって、国民はヒステリーになり過ぎだ!正しい情報を見ることができていない!全体主義だ!恐怖で頭が麻痺してしまっている!日本は滅びる!」というような思いの言論人が多いのでしょうが、滅びているのはあなたの頭だけなので、問題なく日本はこれからも生きていきます。なぜ自分たちが批判している当の対象(ヒステリーな国民)と同様の振る舞いをしていることに彼らは気づかないのだろうか...

  • 真正の保守はこのまま終わるか

    ほんと真正の保守、今のうちに修正しないともう終わるぞ。文系脳への批判は昨今とても多く言われるし、意味も分かるが、最近の言論界を見ていると、理系の人間たちがベタなナショナリズムに前のめりになって、めちゃくちゃな論理を言い過ぎである。『表現者クライテリオン』はもう西部邁とは何の関係もないと考えた方がいいですよ、みなさま。西部邁は議論の際、怒っているようでいつも冷めていた。議論中に本当に怒ることなど数回...

  • 生命尊重主義批判の無意味

    コロナをめぐる議論で生命尊重か経済優先かという二項対立がよく設定されている。しかし、この二項対立は不毛である。なぜなら、結局経済優先派もなぜ経済を優先しないといけないかという話の中で、経済が停滞すれば経済苦による自殺が増えるというような話を持ってきて、「コロナにかかりたくない。生命は大事だ」という主張と大差のない、生命尊重の話になるからである。それであるにもかかわらず、生命尊重派がなぜ批判されるの...

  • 多数派に嫉妬する少数派の偏狭

    トクヴィルがアメリカの民主主義社会を観察した時に発した言葉「多数派の専制(tyranny of majority)」という言葉に慣れ過ぎてはいけない。慣れ過ぎると、自分の主張を受け入れない多数の人たちはいつも間違っており、自分はいつも正しいと思ってしまいがちになる。多数派も正しい時はあるし、少数派が間違っている時もある。社会においても、自分においても、批判の契機というものを確保しなければ、健全というものは訪れない。政...

  • コロナはただの風邪?

    コロナはただの風邪論はことあるごとに吹聴される。コロナはただの風邪という言説の意味は何なのだろうか。普通の風邪を発症させるのはヒトコロナウイルスによる。ヒトコロナウイルスは、コロナウイルスの中の一種である。そして、新型コロナウイルスもヒトコロナウイルスと同様に、コロナウイルスに概括される。カテゴリーで考えた場合、新型コロナウイルスはコロナウイルスの一種であり、普通の風邪であるヒトコロナウイルスと同...

  • やべえやつとはなにか、やべえやつにならないためにはどうするか

    最近いろいろなところで「やべえやつ」を頻繁に見かける。言論界もそうだが、イチナナなどの動画配信を見ていても、リスナーの中にやべえやつが散見される。クレーマーと呼ばれるものがそれに近いような気もするが、「不当な要求をする人」というような定義らしく、その「不当」の内容が問題になってくる。僕が経験したそのような人たちとのやり取りや、振る舞いからやべえやつとは何なのかということの自分なりの定義ができつつあ...

  • ささやかな諦観、僕はただピアノを弾く 映画『ピアニストを撃て』レビュー

    1960年公開、ヌーヴェル・ヴァーグの代表者であるフランソワ・トリュフォー監督作品である。------------昔つかんだ「大ピアニスト」・サロヤンとしての栄光。それは、妻が興行師と寝たおかげで掴んだ偽の栄光だった。妻は良心に耐えかね、自殺した。今夢破れた場末酒場のピアニスト・シャルリの孤独。一度は栄光をつかんだ者の残余の人生の過ごし方。人生の傍観者として生きているシャルリ。妻の自殺後、誰とも関係を深めようとし...

  • トーマス・マンは芸術を擁護したわけではない

    遅ればせながらトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』を読んだ。解説であった、理性・感性などの二項対立を矛盾のまま生きるというマンに関する解説は間違っていないが、ちょっとズレる気がする。マンは、感性に対して理性を称揚したのではない。さらには、現実に対して芸術を擁護したわけでもない。今の言葉で言い換えると、トニオ・クレーゲルは、非リア充(芸術家)であるが、彼は別にリア充に憧れているわけではないし、リア...

  • 人々の世界観だけが揺らいでいる

    批判をされることが自分の意見の正しさの証明だと思うようになったら、もう治しようがないね。※2020年1月12日のツイートを元にした文章です。いま世界は何も変わっていない。世界中の人々の世界観が揺らいでいるだけである。※2020年1月15日のツイートを元にした文章です。--------------------コロナに対するワクチンでは、DNA、RNAワクチンが研究・開発されているが、食物の遺伝子組み換えはダメで、薬物はいいのだろうか。遺伝子...

  • コロナと責任

    今の状態を前と変わらないとかコロナは風邪だとかいうロジックに拘束されると、財政政策をする緊急性が無くなることに気づいた方がいい。直接金を配るというバラマキも、コロナによる大恐慌以来の経済的なマイナスの影響により許される。社会的にも経済的にも、間違いなく緊急事態である。もちろん、デフレが30年間続いているというのも他国に比較するとあり得ない状態であるので、当然に財政政策はしなければならない。僕が言いた...

  • 愛、この不可欠なるもの

    愛とは別段ロマンチックに言う必要はない。ある精神の力により、不条理な世の中を良くしようという心のことだ。愛とは、人間への信頼をつなぎとめるための、人間ができる最後の救済の力のことだ。今、愛はくさすためにだけ知識人に存在する。しかし、この愛の力を信じられなくなった時、そもそも何のために人は生きていこうというのだろうか。人間への不信は、最後には人間を信頼したいという思いから出てこない限り、怨望と何ひと...

  • 差別は人間の知性に由来する

    敵/味方なり、わたしたち/あなたたちという区分が陥りがちな問題について批判ができるということは、そのような区分が人間から消滅するということを意味しない。区分は知識、認識に由来する。区別と差別の違いはたしかに現実的にはありえる。しかし、ある区別を行なうことが優劣をもたらすきっかけなのであれば、区別自体を問題にしなければならない。区別を設けるということは、理解をすることの方法論でもある。そして、そこに優...

  • 日本学術会議問題への小言2

    以前日本学術会議問題の法律的な論点について詳細に論じたが、これはその記事を書いたあたりの段階でのTwitterでのつぶやきレベルのものである。自分の発言を記録しておくのと同時に、ブログ記事を稼ごうとしている汚い執筆者の思惑である。法律的な問題についてちゃんと知りたい方は、こちらを見てください。【緊急投稿】日本学術会議推薦会員の任命拒否は違法とは言えない(前編)【緊急投稿】日本学術会議推薦会員の任命拒否は違...

  • 不信と信頼と 映画『スリ(掏摸)』レビュー

    1959年製作。キリスト教を主題にした作品を多く作ったロベール・ブレッソン監督作品である。---------------自意識過剰な孤独青年ミシェルが、彼の唯一の良心の紐帯としての母親を失うことにより、スリの世界へ没入して行き、自意識のみを信頼する人間になっていく。ミシェルが愛・人間への信頼を取り戻すのは、彼の身近にいた苦労を一身に背負っている女性ジャンヌによってである。ジャンヌは、ミシェルの友人でもある誠実な青年...

  • 日本学術会議問題への小言1

    以前日本学術会議問題の法律的な論点について詳細に論じたが、これはその記事を書いたあたりの段階でのTwitterでのつぶやきレベルのものである。自分の発言を記録しておくのと同時に、ブログ記事を稼ごうとしている汚い執筆者の思惑である。法律的な問題についてちゃんと知りたい方は、こちらを見てください。【緊急投稿】日本学術会議推薦会員の任命拒否は違法とは言えない(前編)【緊急投稿】日本学術会議推薦会員の任命拒否は違...

  • 日本喜劇の可能性を見せる 映画『やじきた道中 てれすこ』レビュー

    2007年公開、『学校の怪談』シリーズを担当した平山秀幸監督作品である。------------「弥次喜多」ものの古典的な笑いに、純粋な演技力を組み合わせたらこのような傑作が生み出される。本作は、演者の力が映画の可否を左右するのにこれほどまで重要なのだということを再確認させてくれる。中村勘三郎・柄本明・小泉今日子の三人は言うまでもないことだが、特筆すべきは、藤山直美。時間で言えば、5分程度にも満たない登場で、物語...

  • NIKE、アンジャッシュ、トム・クルーズ

    んんん、NIKEのCMは特に批判が出るほどの内容ではない気がするが、何を批判しているのだろう。偽善的だとか言うなら、NIKEのCMってもともとこういう作りなのでいつもと変わらない。「在日の人は被差別的な境遇を利用して、利益を得ている特権階級だ」と言うのであれば、特権を持つ人に対しては差別をしていいという話になる。このような批判をすることは「差別ではない」ということにはならない。もしも理由があれば在日の差別をし...

  • 三浦家の猫たち 第六回『ホクロから始まる猫じゃらしタイム』

    <仲良くおねんねするミルク(左)、タイガ(中)、半目のホクロ(右)>この5年間、ウチの猫たちに対して色々な遊び道具を試してきた僕ちゃんだが、結局猫じゃらしに勝てる遊び道具はなかった。猫じゃらしという名前、猫がその中に入っている名前を持つだけあって、猫じゃらしの人気はウチの猫たちにとってもすごいものだ。基本的に僕は猫とあまり遊んであげるタイプではない。一日で遊ばない日もあるくらい遊ばないのだが、そう...

  • ドラマ『24』について

    日本版のドラマ「24」を見たけど、やはりあんな感じになってしまうのか。予算の問題なのかもしれないが、撮影技術が全然似せられていない。それがあの作品の醍醐味であるのに…。第1話~第3話くらいまでしか観ていないが、アクションシーンはザルである。なんか第1話の冒頭に出てきたシーンは二丁拳銃で飛んでいた。たしかに本家『24』でもそのシーンはあるのだが、もっとリアリスティックにアクションシーンはしないと『24』にはな...

  • オルテガ・イ・ガセットの警戒と愛

    スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの大衆社会論がほんとに腹に落ちているのであれば、政治上の改革への可能性に対して疑義を持たないのはおかしい。自分の立場のものであれ関係がない。今のオルテガの使い方・引用の仕方は、「無知な大衆バカだね、俺たちはそれを指摘できて頭いいね」くらいの役割しか果たしていない。そんなクソみたいなエリーティズムのためにオルテガ使うんじゃねえ。オルテガ読みのオルテガ知らずとはこ...

  • 盗聴と不安 映画『カンバセーション…盗聴…』レビュー

    1974年公開、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞したフランシス・フォード・コッポラ監督作品である。------------現代社会では、盗聴の恐怖はいつでも存在する。主人公のように盗聴を生業とするものにとってはなおさらのことだ。彼らはどのような状況でも盗聴はできるという事を知っているために自らもされる事を覚悟しなければならない。現代社会では、孤独は付き物である。主人公のように盗聴を生業とするものにとってはなお...

  • ケルゼン、中野剛志、保守

    法実証主義で有名なハンス・ケルゼンの「デモクラシーの本質と価値」を読んでいるが、なかなか面白い。ちょっと言葉遣いが独特ですんなり入ってこないところもあるが、彼のような二元論的な物事のとらえかたはやっぱり分かりやすい。※2020年10月12日のツイートを元にした文章です。もう8年前くらいの本だが、中野剛志さんの『日本思想史新論』を読んだ。小林秀雄の『本居宣長』を読んだ後の福田恆存ではないが、僕よりもこれを楽し...

  • ロビンフットおぐの爆笑ハゲネタ

    2年くらい前にある子にR-1のネタを観てと言われた。僕はあまりR-1、M-1を最近は追いかけていなかったので、面白いのかよと思いながら観てみた。そこで初めて観たのがロビンフットのおぐのネタだった。ここ数年で一番爆笑したネタで、これ以降おぐが大好きになった。その後のおぐを観ているとあのR-1ネタ以上のものが無いように思える。たしかに一発芸的な要素が強いネタなのだが、爆発的な爆笑を誘うネタなので、ぜひ観てほしい。...

  • 良い組織にも利権はある

    ある組織に利権が生じるかどうかは、その組織がいい組織か悪い組織かに関係はない。どのような組織であれ、そこに利益が発生すれば既に利権は生じている。別に僕は利権があるからダメと言う気はサラサラない。というか、利権があるということで批判をする人間たちにいら立っている。しかし、その組織が良い組織だから、役に立つ組織だから、そのような組織には利権は発生しないというロジックは単純に間違いである。新自由主義者の...

  • 分裂するコミュニケーション

    アイドルやアイドルを応援する人々、またはこういうような新しいアイドルグループの映像などを見ていると、ふと思う。日常的に「かわいい」とか「キレイ」というような性的な振る舞いを表で排除してしまうと、その感情が無くなってしまうわけではないため、女の子女の子な振る舞いが、アイドルとか歌手とかタレントなどに強調されて増幅される気がする。ジェンダー批判もいいが、ある程度そのような振る舞いも日常的に許容しないと...

  • 新年の抱負

    あけましておめでとうございます。2021年は自分自身が頑張らねばならないと思っておりまして、今年こそ書籍を出版しようと考えております。2019年は電子書籍で雑誌を発刊し、昨年まで継続いたしましたが、自分の活動が固まってから改めてやろうと考えております。基本的には自分は思想・批評関係の書籍を書いていこうと考えておりますが、今の時点で書きたい内容を箇条書きにしていきます。・カミュの本・保守思想の本・東洋思想の...

  • 何もしゃべらない母のまなざし

    自分が高校生までの間であろうか。世のティーンエイジャーと同様に、僕は親からの干渉を嫌がり、自分のことを親に話すということが無くなっていた。そのような時には夕食を食べている時も母親との会話はなく、ただダラダラとつけられているテレビを観るだけの食事をしていた。気分としても、早く飯食って、自分の部屋に戻りたいというような感覚だったのだと思う。そんな時、ふと気づくことがあった。無言で僕が飯を食っている時、...

  • 我々が喪失した丑松的高潔な人格

    1962年公開、原作は島崎藤村の同名小説、巨匠市川崑監督の白黒映画である。------------被差別部落出身である青年教師瀬川丑松の葛藤を綴る作品。映画でだけ評価すると、本作は見事な出来栄えだと思う。昔ながらの文学的な作品で、現代人には退屈に思えるかもしれないが(僕は少々懐古主義者なので一向に構わない)、市川昆の演出も良く、市川雷蔵・長門裕之をはじめ、演者も申し分ない。――丑松が、ある階層であるというだけでパー...

  • 読書に酔う

    そもそも読書というものが辛いだけのものであって、精神に何の高揚ももたらさないものであるのであれば、読書なんてしなくていい。ドストエフスキーを読むということにさえ、その描かれる物語は道徳的に否定的なものではあるものの、その読書体験には精神の高揚が間違いなく存在するのである。僕は読書をするということについて多分に西部邁への傾倒はあったものの、愛読という意味ではやはり小林秀雄だった。福田恆存ももちろん愛...

  • 2700は売れなければならない

    まだ若手と言っていいのだろうか。お笑いコンビの2700は、いわゆるリズムネタで人気を博している。一時期ブレイクしたかに見えた彼らは、2017年に1年間コンビ名を改名したりしていてあまりうまくいっていないのかという印象だったが、とあるインタビュー記事で「引退を考えていた」という発言を見て、ショックを受けた。リズムネタをやる芸人はだいたい一発屋であまり爆発的な面白さというよりも、子供に人気が出るようなリズムを...

  • 政治なつぶやき

    田原総一郎は「戦争を知らない人間ばかりになったら戦争をしてしまう」ということをよく言う。だから、「戦争を知っている人間が必要」だと。これを聞くと、「戦争は避けなきゃいけないから、俺も戦争を知る必要があるなあ。じゃあ、戦争しよか」っていう反論を招かないかと危惧している。僕は放言としてこれを言いたい気持ちにいつも誘われる。※2020年10月31日のツイートを元にした文章です。----------------------英国のEU離脱...

  • 三浦家の猫たち 第五回『余はいかにして寝ているか』

    三浦家の猫たちミルク、タイガ、ホクロの紹介を終わったので、これからはこの3匹との生活についてお話ししていきたいと思う。僕は今一人暮らしなのであるが、寝る時も猫たちを別の場所に隔離していない。そのため、基本的に猫たちは僕と一緒に布団で寝ることになる。そうなると、それぞれ思い思いの場所で僕に引っ付きながら寝るということになり、そこにも個性が出ていて面白い。女帝ミルクは、僕がうつ伏せだろうが仰向けだろう...

  • 時枝誠記の枠で生きる

    時枝文法の創始者である時枝誠記の『日本文法 口語篇・文語篇』、『国語学史』を読み始めたが、こんな偉大な国語学者がいたのかと自分の不勉強を恥じた。僕の批評上の方法論・やりたいことは、この人が既に発明・発見していたのであり、僕が尊敬する批評家たちは、時枝が言う「国語の発見」をしていた人たちなのだということだ。いわゆる保守につらなる批評というものは、時枝の枠を出ない。というよりは、時枝に連なることによっ...

  • 西部邁とのささいな思い出 第七回「西部邁からの手紙」【ブログオリジナル記事】

    西部邁からの手紙は普通の郵便はがきで送られてきた。あまり達筆とは言えないが、彼の直筆なのだと思う。「平成21・12.18」の消印がついているので、2009年である。見返してみると、三つの原稿を送っていたらしい。内容をちょっと紹介しよう。送って下さった三種の原稿、とくに「不安の現象学」が私には大変に面白かった。というより、その論述のすべてに納得がいきました。カミュから始めたのもよかったですね。エピキュリアニズ...

  • ダウンタウンのオススメコント2

    ダウンタウンのオススメコント第2弾を紹介する。まずは、「記者会見」である。ドラマ「愛に賭けろ」の制作発表記者会見が行われた。出演者が自分の役どころを説明していくだけのネタなのだが、役紹介が進んでいくほどどんなドラマなのか分からないようなカオスな内容になっていくというネタ。最後の写真撮影の時の松本、東野にも笑わされる。次は「ガタンゴトン」である。電車の「ガタンゴトン」という音をどんどん展開していくネタで...

  • 名作に現れた致命的欠陥 映画『パリ、テキサス』レビュー

    1984年公開、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞したヴィム・ヴェンダース監督作品である。------------名作ではある。中盤までは、親子の絆を取り戻す姿がとても麗しい。道を挟んだ真似のし合いも愛らしい。スーパー8ミリの映像もいい。しかし、結末に問題があると言わざるを得ない。主人公のトラヴィスがやらなければいけなかった事は、やはり家族全員で暮らすことだったはずである。平凡であろうとそれ以外ない。息子・ハン...

  • ルネ・クレールとロベール・ブレッソン

    昔白黒映画に対する忌避感があったため、観られるようにならなければいけないと思って、白黒映画ばかり観ていた時期があった。フランス映画ではアペル・ガンスの『ナポレオン』が特に記憶に残ったが、ルネ・クレールとロベール・ブレッソンの映画が好きだった。ルネ・クレールは『巴里の屋根の下』や『巴里祭』など、詩的な映像表現で人間愛に充ちた作品が多く、とても良い気持ちにさせられる。ロベール・ブレッソンは、『スリ』な...

  • 政治に関するつぶやき

    刃物男が教会襲撃、3人死亡 仏ニースでイスラム過激派テロなぜ日本のリベラルは、このイスラム過激派テロについては「言論の自由」の侵害だと言って騒がないのか。ほんとに欺瞞だと思う。もしイスラムの聖職者を揶揄したのがダメだということであれば、言論の自由にも限界があるということであり、私権制限はある場合にはされなければならないことになる。僕は聖職者が全て正しいとは思わないが、そのような表現は抑えるべきだと...

  • 三浦家の猫たち 第四回『三浦ホクロの説明書』

    三浦家の猫たち第四回は、三浦家の暴れん坊「ホクロ」ちゃんの紹介である。ホクロは、ミルクとタイガの息子である。生まれた時はものすごいかわいい子だった。今もかわいいのだが、とりあえずミルクより大きくなっているので、でかい。ホクロの特徴は以下の通りである。・ミルク、タイガと1歳しか違わないはずなのに、息子感ガンガンの暴れん坊将軍・人見知りタイガと好奇心旺盛ミルクを足して2で割ったような性格。竹を割ったよ...

  • 新日の石井について

    あかん、毎日更新のペースが崩れる。ちょっと毎日の記事のカテゴリの縛りを失くすかもしれません。今日はプロレスについてでござる。新日本プロレスの石井智宏のプロレスは、やはり昔のプロレス好きにも刺さる。昭和、平成初期のプロレスを受け継いでる唯一の人な気がする。さすがリキプロだ。ちなみに、僕は大失敗興行と言われている2003年のWJ初興業を横浜アリーナに見に行った。その中で、1番面白かったのは、メインイベントの...

  • ニーチェが批判できるということ、その他二篇

    <ニーチェが批判できるということ> ある日本の現存する哲学者が「ニーチェは大したことない」とかなんとか言っていたが、そもそも既にその影響下にある時代で生きていて、その恩恵の下に思索している人間がこう言うのは不誠実だと思う。 そんな発言は、全世界的に価値の転換をもたらした存在に対して、「こんなこと言える自分すげえ」的な事でしかない。チラッと簡単な感想のようなものを言っただけに過ぎなくても、チラ...

  • ヴィトゲンシュタインの抽象性と神秘性 映画『ヴィトゲンシュタイン』レビュー

    1993年公開、イギリスの巨匠デレク・ジャーマン監督作品である。------------言語によって世界を解明するという事は真実を現す事にはならない。真実という言葉も言語の誤用に過ぎない。こういった類の認識に到達した隔絶した孤独者は、自閉せざるを得なくなる。言語ゲームにも適応できなくなる。ヴィトゲンシュタインの孤独はそして理解も不可能な場所へと落ち込む。同性愛はその孤独に味付けをした程度に過ぎない。彼の潔癖な論理...

  • コロナ危機の本質

    中野(剛志)さんはやはり一枚上手で、今回のコロナ危機の本質を見抜いている。コロナ危機の本質とは、彼の言葉で言うと「不確実性」であり、僕の言葉で言うと「不条理」です。そもそも現代の危機とはここからしか生まれない。近代社会は「不確実性」や「不条理」に常に脅かされており、近代人は常にそれらに肉薄されている。この「不確実性」が人間の知識が闘う最も象徴的な現象なのであって、今回のコロナ危機は、コロナ自体が問...

  • ダウンタウンのオススメコント

    ダウンタウンは子供の頃からやはりセンスが抜群で、90年代以降のお笑いの方向性はだいたいダウンタウンが決めてきたと言ってもいい。2010年以降、低迷するかと言われた時もあったが、結局はお笑い界の帝王として君臨している。彼らの真骨頂はたしかに2人のやり取り、しゃべりにあるのは間違いがないが、『ダウンタウンのごっつええ感じ』で僕が強烈に笑わされた、印象に残るコントを4つ紹介したいと思う。今週はまず2つだけ。<i...

  • スキャンダル、大衆、没落

    政治家とかの卑しさを暴くのはまあ別にいいが、ただその程度のものに過ぎない。なぜなら扱う素材が卑しいからだ。こんなしょうもないものを根こそぎ探すことに精出す人間の方が僕は卑しいと思う。そういう類の話を掘り返して責任追及する輩は、スキャンダルにしか興味無いがないと言っているのと同じである。卑しい話はほっとくのがいい。じゃないと、ああいう人達みたいに卑しくなるから。卑しさを追及できるかどうかより、自分が...

  • 三浦家の猫たち 第三回『三浦タイガの説明書』

    さて、第三回は、三浦家の父猫・ヘタレの帝王「タイガ」ちゃんの紹介である。タイガの特徴は以下の通りである。・何よりもビビり・子猫の時、ハンパなくかわいかった・甘えん坊さん・今はでかい(太ってはいない)が、顔はいい模様・食べ物の好き嫌いが多い・人をなめない。時々甘えモード全開になると、甘噛みをする唯一の子・気遣いの子なので、ミルクやホクロが僕の胸元とか顔のところで一緒に寝るところ、タイガはいつも足元でピ...

  • 一般意志についての雑感

    やはり書評はある程度気張らないといけないので、仕事が溜まっていたりするとなかなか書けない。読む時間さえ確保できないのである。ということで、申し訳ないが、思想・哲学・文学領域の記事にさせていただく。来週は頑張るから!うん、絶対頑張るから!-----------------ルソー流の一般意志の不可能性は、規模の多寡にあるのではなく、人間が利害関係から離れられないため、それを前提とした全体意志から、利害関係を離れた一般...

  • 喜劇とお笑いとの違い 映画『アパートの鍵貸します』レビュー

    アメリカ喜劇の巨匠ビリー・ワイルダー監督の名作。1960年公開の映画である。------------喜劇は単独でジャンルをなす一つの独特な形式である。日本で言うエノケンやアメリカで言うキートン・チャップリン時代には、お笑いと喜劇との分化はなされておらず、それは融合していた。その時代(人達)はそれでいい。なぜなら、お笑いが一つのスタイルとして未分化であった時代に彼らが表現するには映画しかなかったからである。しかし、...

  • 現代人のいびつな和解 映画『ローサのぬくもり』レビュー

    1999年公開のスペイン映画である。------------スペインの都市に住む35歳のマリアはいわゆる下層の生活をしている。暴力的な父のもとを離れるため田舎を出てきたが、優秀だった彼女も父に進学を反対され、彼女の「将来」を奪われたと感じている。「金さえあれば…」彼女は酒を飲んで憂さを晴らす。そんなある日、父が倒れ、マリアの住む街の病院に入院した。父に付き添うために母のローサが田舎から来てマリアのアパートに滞在する...

  • コロナ関連の発言を振り返る3

    <2020年7月10日>ふーん、あの界隈の人(※真性の保守のこと)はなんかもう自分に対する批判を先行して相手に押し付けてる感があるな。取ってつけた感がひどいんだよなあ。それにしてもカミュの「ペスト」読んでるはずなのに、なんであんな浅はかな論ばっかりになるんだろ。読んでないと言うより読めてないな?不条理な世の中でんなー、そもそも世の中不条理なんだから、(ここまではいい)⇒そんなこと考えるな!からの〜、⇒しまいには...

  • とんねるずへの憧れ

    小学校の時、お笑い芸人と言えばもちろんBIG3(ビートたけし・タモリ・明石家さんま)がいたのではあるが、僕の中ではとんねるずとダウンタウンだった。ダウンタウンの漫才・コントは、面白いことを作るための参考書的な扱いをしていて、当然尊敬していたし、僕が影響を受けたお笑い芸人の中でトップクラスに入る。今はそういう派閥抗争みたいなのはないかもしれないが、僕が小さい頃は「ダウンタウンが好きだと、とんねるずは嫌い...

  • コロナ関連の発言を振り返る2

    <2020年7月4日>近時の緊急事態宣言における自粛をMAXに捉えてるが、理想とされた8割自粛も全然達成されてなかったんだよね? もしコロナの感染者数を増やしたくないのであれば、自粛緩和話をしてもいいが、もう一方で積極的な政府主体のロックダウンなどの私権制限の検討もするべきだと思う。まず目標達成ができていないんだから。自粛は国民の自主性に任せると言えば聞こえはいいが、人権侵害や補償などを言われないようにした...

  • 三浦家の猫たち 第二回『三浦ミルクの説明書』

    三浦家の猫たち第二回は、三浦家の母猫・女帝「ミルク」ちゃんの紹介である。それぞれの猫たちについての特徴があるので、分かりやすく箇条書きで特徴を紹介していこうと思う。ミルクの特徴は以下の通りである。・落ち着いている、というかスカしている・人見知りをしない・初めて会った人でもすぐ人にスリスリして、膝の上に乗りたがる・寝ていると、僕が仰向けだろうがうつ伏せだろうが上に乗ってくる・タイガよりは外に出ること...

  • 政党政治と間接民主制を擁護する 書評:佐伯啓思著『総理の資質とは何か―崩壊する小泉改革』

    本書は、西部邁の一番弟子であり、京都大学大学院教授の佐伯啓思の書籍である。2002年6月1日初版第一刷であるから、すでに18年くらい経過している。一応本書のざっくりとした紹介はしておこう。本書は小泉純一郎内閣のポピュリズム政治を批判した本であり、第三部までは実際に起こった事実に即して、小泉純一郎の構造改革などを批判している。この内容については基本的には賛成である。しかし、あまり小泉純一郎個人にはあまり興味...

  • 西部邁とのささいな思い出 第六回「秋葉原事件と西部邁への手紙」【ブログオリジナル記事】

    当時地元でダラダラ過ごしていた僕は、評論で飯を食いたいと思うようになっていた。「評論家になるための方法」みたいな本も読んでいたと思う。それまでに映画や脚本のスクールにも通っていたのだが、あまり自分の創作の方に面白みを感じなかったということ、あとは評論という形式の方が意味があり、面白いと思うようになったためだったと思う。しかし、一番の理由はやはり西部邁への憧れからだったような気がする。しかし、東浩紀...

  • 規範意識という絶望的な落とし穴 映画『es [エス]』レビュー

    2001年公開、『ヒトラー~最期の12日間~』などで有名なオリヴァー・ヒルシュビーゲル監督作品。本作は、1971年にスタンフォード大学の心理学部で実際に行われた監獄シミュレーションに基づいて作られている。------------我々の規範意識の自動回転ぶりに脆弱な良心、不法行為をしていないだけの「善人」達は太刀打ちできなくなる。例えば、社会人の会社内部での「事情」によって、人は意外と簡単に脱法行為をしてしまう。アルグレ...

  • コロナ関連の発言を振り返る1

    コロナ関連のことについては、おそらく5月とかから発言していた気がするが、Twitterをうまくさかのぼることができないので、7月からの自分の発言を振り返ってみようと思う。ちょっと長くなるので、何回かに分けて記事にする。------------<2020年7月1日>自粛要請に伴う移動の制限解除と、感染者数の減少には相関関係はなく、外国からの入国再開と感染者数の増加に相関性があると言ったのであれば、今の感染者数の増加に対しても...

  • 志村けんの付き人になろうとした僕

    僕は昔お笑い芸人になりたかった時期がある。高校くらいまで思っていたのだが、ピンでやる勇気もなく、コンビを組む人を探していたが見つからず、断念した。志村けんはその当時から一番あこがれの人で、彼のテレビ番組は欠かさず撮っていた。僕が子供のころからだとすでに『8時だョ!全員集合』は終わっていて、火曜夜からの『ドリフ大爆笑』、1986年から1992年までやってた『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が幼少期の一番古...

  • 結果責任論でも動機責任論でもなく、手段責任論を問え

    大阪都構想「否決」、マスコミ「疑惑の報道」がミスリードした結果だ維新に賛成する気は一切ないが、髙橋洋一のいら立ちはよく分かる。投票結果を左右するまでの効果があったかはなかなか実証することは難しいだろうが、マスコミ等の責任は問われるべきだ。結果責任論は手段の善し悪しを問わなくなる傾向があるが、何よりも手段がいちばん重要なのであって、目的が手段の不当性を抹消するのであれば、勝ったもん勝ち、やったもん勝...

  • 三浦家の猫たち第一回『ミルク、タイガ、ホクロ』

    我が家には猫が3匹住んでいる。母猫ミルク、父猫タイガ、息子ホクロである。雑種の猫なので、特に特徴は無いのだが、ミルクとホクロは白猫で、黒のまだらの模様がある。タイガは別で、いわゆるトラ模様の猫だ。そもそもミルクとタイガはもらい猫で、ある子が飼っていた猫が子猫を4匹生んだから、「お前もらえや、ボケ。そんくらい役に立て」と脅され、泣く泣く引き取った子たちである。しかも、1匹だけのはずが「いや、2匹いけるや...

  • 鼠小僧次郎吉の面目躍如 映画『御誂次郎吉格子』レビュー

    1931年公開、巨匠伊東大輔監督、大河内傳次郎主演の作品。-----------日本における近代文学の受容に伴い、日本の伝統的な作風である勧善懲悪は徹底的に非難され、俗流なものという評価を与えられてしまった。その評価を我々は意識的にも無意識的にも受け入れてしまっているのであろう。「勧善懲悪」という四字を耳にするだけでひどく因習的な、いわゆる「封建的な」印象を受けてしまう。我々が人生を重ねていくにつれ、正しいこと...

  • 西部邁とのささいな思い出 第五回「表現者塾での初めてのやり取り」【ブログオリジナル記事】

    西部邁とのファ-スト・コンタクトを終えた僕は、1年後か2年後に当時西部が講義をしていた表現者塾に行きたいと思うようになった。すでにネットで情報があったかどうか記憶にはないが、ネットか雑誌『表現者』を見たのだろう。表現者塾には塾長というような人もいて、なんか体育会系的であんまいやだなあと思っていたのだが、まあ塾に入るわけではないからいいかと連絡をした。当時の塾長は、西部邁が自殺をした時自殺幇助の容疑で...

  • 馬鹿が家族を救う 映画『馬鹿息子』レビュー

    1920年製作、ハーバート・ブラッシュ監督作品。とある富豪の馬鹿(=saphead)息子バーティ(バスター・キートン)。彼は父の里子であるアグネスと結婚しようとする。だが、放蕩息子と可愛いアグネスとの結婚に怒った父はバーティを勘当しようとし、バーティの姉の結婚相手(実は詐欺師)は自分の不貞を隠すためにバーティを貶めようとする…という話。キートン作品のニュアンスは今作でも出ているが、微妙にまだ表情があるキートン...

  • 残らない記号的文明、残るは手の温もり 映画『無能の人』レビュー

    1991年公開、俳優の竹中直人監督作品。原作は、漫画家つげ義春の同名漫画である。-----------つげ義春は、何に反発していたのか。ただの怠惰と言い切るには彼は強情である。漫画家から中古カメラ屋、石屋への転身。我々にはどうでもいいような商売にしか可能性を見出さない「つげ」は、何をしようとしているのか。それは、資本主義の、いわゆるビジネス文明の徹底的な批判なのである。彼の批判は最もなのだ。情報の売買、どうでも...

  • 少年更生劇 映画『紐育(ニューヨーク)の歩道』レビュー

    1931年製作、ジュールス・ホワイト、ジオン・マイヤーズ共同監督作品のトーキー映画。下町の悪ガキと揉め事に巻き込まれたキートン。そのボス格の少年の姉にキートンは一目惚れしてしまう。キートンは、何とか姉と結婚しようと下町を活性化し、少年を更生させようとするが…という話。随所でキートンのアクロバティックな笑いがあるが、ドラマを中心にしている作品。特筆すべきは、ボクシングシーンがここでも繰り広げられているこ...

  • 日本映画の観づらさとはなにか

    日本映画の観づらさとはなんだろうかと考えてみる。今の若い子たちは実は洋画ではなく、邦画ばかり観ているようなのだが、僕の世代くらいまではあまり邦画を観る人たちは映画好きにはいなかった気がする。そこで、邦画の観づらさ、なぜ僕は邦画を観ようとしなかったのかということを考えてみると、僕はおそらく映画を「非現実=現実から離れるもの」と考えがちであった。つまり、僕が映画に見出したかったものは、非現実の世界であ...

  • 『キートン半殺し』がおススメ 映画『即席百人芸』、『キートン半殺し』レビュー

    『即席百人芸(別題:一人百役)』1921年製作、バスター・キートン監督の60分の作品である。舞台の道具係のキートンが舞台裏と表で繰り広げる騒動の話。表題にもなっている百人芸の部分は確かに楽しめるが、夢オチですぐに終わってしまい、その後はドタバタになる。面白さという意味では後半の方が楽しめると思う。『キートン半殺し(別題:猛妻一族)』1922年製作、バスター・キートン監督作品。ある外国人居住区に住んでいるキー...

  • 品川庄司は面白かった

    今や嫌われ者映画監督の品川と、筋肉ミキティー馬鹿の庄司というイメージしかないかもしれないが、品川庄司は若手当時とてもスター性のあるお笑い芸人で、1999年から開始されたNHKの『爆笑オンエアバトル』ではスーツ姿の彼らがダントツで若い女の子の人気をさらっていた記憶がある。ネタとしては案外オーソドックスな漫才をしており、庄司も今のようにボケなどをすることはなく、かっこいいツッコミという役割であった。彼らが特...

  • 逃げろ、キートン 映画『キートンの警官騒動』レビュー

    1922年製作、バスター・キートン監督の20分の短編作品である。「実業家にならなきゃ結婚しない」と求婚相手に言われたキートン。スリをしてほどよく金を得たり、また誤解から家財道具と馬車を購入したりするのだが、ひょんな事から警官に追われることに…という話。今作は、あまり笑いはないが、エキストラの人数が半端じゃなく、警官との追いかけっこはスペクタクルの感がある。てこの原理を利用したはしごのアクションと笑いは見...

  • 落ちぶれた左翼、うぬぼれた真性保守

    左翼も本当に落ちぶれた。偽善的な反戦平和主義が有効性を失ったのと同様、安易な立憲主義や、「憲法を守れ」という大合唱=叫び(でしかない)は、すでに有効性を失っている。もしこの数年間、立憲民主党が言ったようなことが国民に浸透していったのであれば、小池百合子が東京都知事になってはいないだろうし、立憲民主党の支持率もあんな共産党と変わらないようなものにはならないだろう。偽善性が露呈しているのだ。一方、最近の...

  • 『探偵学入門』と争う傑作 映画『キートンの大学生』レビュー

    1927年製作、ジェームズ・W・ホートン監督作品。66分のサイレント映画である。高校を首席で卒業した優等生キートン。卒業式で卒業生を代表して「スポーツの大害」(スポーツをやると人は馬鹿になるという内容)という演説をぶつのだが、好きな子に嫌われてしまう。キートンは何とか見返そうと彼女と同じ大学へ行き、スポーツに挑戦しようとするのだが…という話。本作は、キートンが様々なスポーツ(野球、陸上系競技、ヨットなど)...

  • 西部邁とのささいな思い出 第四回「ファースト・コンタクト」【ブログオリジナル記事】

    大学以降、乱読の限りを尽くしていた僕は、西部邁の本についてはおそらく40冊以上持っていると思う。古本屋で今まで刊行していた本も渉猟していたわけであるが、90年代前半くらいにでていた西部邁のオーディオブック(? カセットが書籍のような形で発売されたもの)も2本くらい持っている。みんなあんま持ってないでしょ?w大学を卒業してからも小林よしのりを追っかけ、次第に西部邁の方に軸足を移すようになったことはすでに言...

  • 発想は良いが、盛り上がりには欠ける 映画『成功成功』、『ザ・ハイ・サイン』レビュー

    1922年製作、バスター・キートン、エドワード・F・クライン共同監督作品。彼女に求婚したキートンだが、彼女の父親に「娘を食わせられなかったら自殺しろ」と言われ、求職のために町へ繰り出すのだが…という話。前半は何をやってもうまくいかないキートンの働いている姿が映し出され、後半は騒動を起こしてしまったキートンと警官との追いかけっこになる。しばしばハッとさせられる発想が垣間見れる作品。結末はこれで終わりかとい...

  • 好きな禅坊さん(一休や澤木興道について)

    僕はあまり仏教について言及することがないのだが、基本的には好意的である。小乗的なものへの志向がありがちなので、今は特に称賛しないようにしているが、禅が好きだった。一休禅師はアニメ『一休さん』で幼少期から親しみがあったが、年齢を重ねてから彼の伝記を見て以降、実際の一休禅師に対しての尊敬の念ががものすごく強くなった。時代が下って明治以降の近代日本の禅坊さんと言えば、アメリカなどでも知名度の高い鈴木大拙...

  • ファッティはあまり好きになれなかった 映画『キートンのコニー・アイランド』、『ファッティ&キートンの自動車屋』

    1917年製作、ロスコー・アーバックル監督作品。別題『デブ君の浜遊び』。デブキャラのロスコー・アーバックルが主演の作品。キートンが連れていた女を巡って、妻持ちの男(ロスコー・アーバックル)とその妻の旧友とキートンが激しい争いを繰り広げる…という話。乱闘がプロレスばりの激しさであったり、ハンマーで殴られるキートンであったり、面白いところはあるが、僕はあまりロスコーが好きではないみたいだ。個人的にはそこま...

  • 令和時代の「改革者流」たち

    福澤諭吉は当時の改革主義者を揶揄して「改革者流」と呼んだ。令和時代にもいわゆる改革派=「改革者流」が世に蔓延している。改革派は効率をもっぱら主張する。効率を主張するということは、ある社会が則っているルールの円滑的な運用を求めるということであり、ルール自体の不正性などには立ち入らない。つまり改革派は、社会の前提を問うことがないということであり、効率だけを目的とする人たちは、世の中の問題点・世界のでた...

  • 船名「知るもんか」が鍵 映画『キートンの船出』

    1921年公開、バスター・キートン、エディ・クライン共同監督作品。家族で船旅行を計画するキートン一家。だが、嵐に巻き込まれ、船は難破してしまうのだが…という話。本作では、様々な仕掛けが出てくる。『海底王キートン』でも出てきた回転する部屋(今回は船室)も登場する。現在では金がかかって作られないであろう仕掛けの大掛かりさとそれに翻弄されるキートンというオーソドックスな笑いを提供してくれる。短編のため話の面...

  • ビロード革命の苦い喜び 映画『コーリャ愛のプラハ』レビュー(ネタバレ注意)

    1996年製作。同年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した、チェコの映画監督ヤン・スヴェラーク監督作品である。---------------プレイボーイな初老のチェロ奏者ロウカは、反共的振る舞いによって、チェコフィルハーモニー楽団を追いやられ、今は地味な教会でチェロを弾いている。そんな彼にとって大事なものは若い女と金。実家の借金などで首が回らなくなっていたロウカは、金のためにチェコ国籍を欲しがるロシア女性と偽装結婚す...

  • 話の筋など関係なしに 映画『海底王キートン』レビュー

    1924年公開、バスター・キートン、ドナルド・クリプス共同監督作品。ある対立している小さな国同士。彼らの一方が巡洋艦を購入した。他方の政治家がこの巡洋艦を無効化しようと、それを漂流させてしまおうとするのだが、キートン演じるおぼっちゃまと船舶商人の娘が偶然乗り合わせてしまって…という話。冒頭に説明されるある小さな国同士のいさかいが、おぼっちゃまと承認の娘を巡洋艦に乗せるために無理やりつけられた感が否めな...

  • 思想的断想

    「現代の思想の姿」現代では、完成された思想は未完成な姿をしている。※2020年8月16日のツイートを元にした文章です。「格言について」色々な状況で応用可能な言葉はほぼない。いつでも言葉の意味は動揺するし、状況が変われば応用できないことが多々ある。だから、色々な言葉を覚えた方がいいのである。格言・箴言はだいたい一般的なことしか言わないため、なかなか身に迫る言葉とはなりづらい。状況により、変化するからだ。※2020...

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