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  • ご臨終

    サクラの咲く季節の中、我が家の大黒柱である父が亡くなりました。 享年、67歳。 最後は、病院での家族全員の付き添いで逝きました。 穏やかな最期を迎えられることにあたって、これまで対応してくれた緩和ケア医師やスタッフである看護師の方々には多大な感謝しかありません。ありがとうございました。 また、人の終を助ける医師や看護師の心の強さ、自分にはとても敵うような方々ではないプロフェッショナルだと思いました。 全国の緩和ケアに従事する方々、とても素晴らしい仕事だと思います。 さて、父の最後は喘ぐような呼吸と不規則な無呼吸からの下顎呼吸からのご臨終でした。 また、死の兆候は大体一週間ぐらい前から出ていたと…

  • 父への率直な気持ち

    闘病中の父への思いです。 現在、日に日に心音が弱まってきている父。 緩和ケアでの終末期の治療を日々しています。 医者や看護師から、覚悟だけはしといて下さいと言われてる。 だが、実感がわかない。 母を泣かせ、父に心配ばかりかけてきた自分です。 もっと、両親のためにしっかりするべきだと後悔ばかりする毎日です。 胃潰瘍でも懸命に働いた父。 まさか、これからというときに胃がんで病床に 率直に言えば、父の背中は大きいです。 その父の命が潰えようとしてる今、家族が日々父のことを思って生活しています。 自分は、長男なので悲しみにくれる暇がない。 自宅の維持や、QOLの改善とかやることがいっぱいです。 なので…

  • メンタル崩壊寸前⁉介護と介助が重なる日々+妖怪1足りない

    2019/4/5 本日、母から病床の父の変化について聞きました。 人がいる ('ω') ちょっと待ってくれ。 それは禁句である。 でも、見た感じがやばそうなので、結構先が短いのがわかる気がする。 う~ん、それでもやっぱりキツイかな。 妹に、『何かあったら直ぐに連絡して!仕事はどうにでもなるから、はっきりして!!』と、長男である自分が怒られました。 だが、自分も仕事で頭がいっぱいな上に、母のケガの介助とかもあるから正直に気持ちにゆとりがない(*_*; 妹よ、少しは実家でひいこら言ってる兄を思ってくれ( ;∀;) 今回の父のがんでわかったのは、がんは本人だけではなくて周りの家族も一緒に闘病する戦い…

  • 患者の尊厳の在り方

    患者の立場で考えた際に、一番考えなければいけないことがあると思います。 それは、人として生きていくうえで必ず毎日行っていること。 そう、『排泄』です。 うちの父も、尿取りパッドなどをお願いしたのですが、中々応じてくれませんでした。 しかし、ほぼ寝たきりになってしまった時に、排泄のことで失敗を何度も繰り返してかなりのダメージを受けて放心状態になるのを繰り返していました。 なので、オムツを使ってみてもいいのでは?と、さりげなく言ってはかせてみました。 オムツの効果は絶大で、笑顔が消えかけていた父の顔に笑みと安心感が出ました。 オムツだけではなく、トイレまでに間に合わないことが増えてくると今度はその…

  • 介護と家族の負担の在り方

    父のがん再発で、最近もバタバタと動いております。 病院への通院へ同行出来るときはしていますし、本人が無理なく負担の少ないやり方を探しながらの通院です。 病院へ行くと、老々介護を目の当たりにします。 この国の医療福祉制度、果たしてこれでいいのでしょうか? 昔の家庭は、介護をしていた家庭が多かったと思います。 例えば、住民税を9割カットしたり。 自治体の予算がうんたら言いますが、以前にマイナンバーの交付窓口のプライバシーのことで意見した事がありますが、未だに改善されてない。 お役所は、個人情報を扱う資格はない。馬鹿の集まりだ。もっと給与落としていいと思います。、、 トイレの介助 これ結構シビアな問…

  • 家族のメンタル面

    父ががんと診断されてから、母はもう涙しか出ませんでしたね。 今まで一緒に頑張ってきたのに、なんで…ってな感じで若干力が抜けていたと思います。 自分も、仕事を結構フラフラしてたのでこういう時に何も出来ないという無力感から、ストレスがマッハの如く溜まっていきました。 家族全体が鬱状態というか、父だけ前向きに考えていました。 このブログにたどりつく方も、自分や家族ががんと診断されて色々調べているうちに流れ着いたのでしょう。 何でもいいので、やり場のない気持ちをコメントに書いてくださって結構です。 やり場のない気持ちを抑えるのは難しいです。 だから、少しでもその気持ちをこのブログのコメントに書き込んで…

  • 抗がん剤スタート

    胃がんが見つかってから直ぐに、大学病院の方へ行きました。 確か、検査入院だった記憶があります。 再び胃カメラを入れて確認しましたが、やはりがんであることは間違いないという結果になりました。 そして、医師から抗がん剤治療して様子見ますと言われた。 状況によっては、胃の1/3は残せると告げられて抗がん剤治療がスタートした。 仕事は、病気の為と薬の副作用で仕事ができないということで退職しました。 父の職場の方々から、色々な励ましがありました。 職場でかなり頼られていた父でした。 ☆2回目の入院 大学病院で二回目の入院ということもあり、1人で電車に揺られて入院しました。 朝、普通に病院に行ってくる~っ…

  • ガンが見つかった日

    2016年の春、父が胃がんを患いました。 ステージはⅣでした。 父は昔から、胃痛がすると太田胃散を飲んで抑えていました。 しかし、私が小学校の頃に胃潰瘍を患いました。 病院の先生から、『直ぐに入院しましょう』っと言われました。 でも、一家の大黒柱で農家だった父はそれを拒否しました。 親類のおかげもあり、昼休みの時間帯に病院で点滴を打たせていただき、なんとか胃潰瘍を治しました。 その時お医者さんから言われたのは、胃の中に気になるしこりがあるから、また5年後ぐらいったら検査してくださいとだけは言われました。 それから長い年月が経ち、2016年の4月のとある朝に尋常じゃない痛みと共に、黒色便が出たの…

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カチカチ山には何もなかった…
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