明智藪に行ってきた(20201103)
明智藪全体(切り株が目立つ台状の盛り上がりは小栗栖砦) 【1】山崎の合戦敗北から落ち延びる明智光秀 明智藪に行ってきた。明智光秀が山崎の合戦で敗れ近江の坂本城まで落ち延びる途中落命した場所である。京都市伏見区を東西に分かつ伏見山(標高約110メートル)の東の山裾、小栗栖。国宝三宝院のある醍醐寺にほど近い。 合戦は大阪府高槻市と京都府乙訓郡山崎町の辺りで戦われた。近くの山の名を取って天王山の戦いともいわれる。1582年6月13日、主君織田信長を本能寺で討った光秀と変報を聞き中国地方から短期日で畿内に取って返した豊臣秀吉の軍勢がぶつかった。 その日のうちに決着がつき、敗走の光秀軍勢は逃げ込んだ勝竜…
2020/11/08 22:21