並木浩一著『人が孤独になるとき』(新教出版社)の中に、「遠くの神ではないのか」と題された章がある(p24~)。その中で「遠くの神」はポジティブな意味で語られている。テクストはエレミヤ書23:23~32節。岩波(関根清三)訳では以下の通り。 「わたしは、近くにいる神で、――ヤハウェの御告げ―― 遠くにいる神ではないのか。/人が、隠れた諸処に身を隠したならば、わたしは、彼…
現代神学は神義論的問いが前提にあるようだ。これに対して神義論的問いを実践的に突破している一例として、親族をアウシュヴィッツで殺害されたという哲学者レヴィナスの思想がある(レヴィナスの十字架批判については、関根清三著『倫理の探索』〔中公新書〕p92~96他参照)。「人間の住む世界に正義と公正をもたらすのは神の仕事ではなく、人間の仕事である。世界に不義と不正が存在することを神…
文語訳(=大正改訳)新約聖書より。ヨハネの第一の書第二章二三節「凡(おほよ)そ御子を否む者は御父(みちち)をも有(も)たず、御子を言ひあらはす者は御父をも有つなり。」 高倉徳太郎は、「造られたものの存在の意義は創造主なる神を礼拝するためにある。人生の究極目的は 神を知り、神を楽しみ、神を崇め神に服従し奉仕するにある」と述べている(『全集…
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