ここでも私は「キリスト教信仰」とは言わないし言いたくないので敢えて「聖書的信仰」と言い表わすが、その信仰は実存的で実践的であって然りである。すなわち「統一原理」的立場のような世界観的・思弁的ではない。だから常に動機は救済願望となる。それも個人レベルから社会レベルへと展開する倫理的信仰として・・・。その一例として沖縄の金城牧師の場合が挙げられるだろう。ただし私は金城牧…
●旧約聖書の神義論について (参考資料)関根正雄氏の論文「旧約聖書における神義論」より抜粋。 (以下、コピペ引用) 旧約 の 中 に 神義 論 を認 め得 るか 、 得 る とす れ ぼ そ の 内容 は何 か 、 の 問題 は今 日まで 未 解 決 の 問題 で あ る。 旧約 学 に お い て従 来 可 成 り広 く神義 論 とい う用 語 は用 い られ てい るが 、直 接 こ の問 題 を正面 か ら取 扱 つ て …
キリスト教は一般的には「愛の宗教」といわれてきたが、その言い方自体、偏りがあるのではないだろうか?まるで「愛(だけ)の宗教」であるかのように思われる向きもある。そもそもその「愛」(アガペー)の意味が、一般の日本人にどこまで理解されているのかという問題もある。 教会の看板に「神は愛なり」と書かれているのを見た人は少なくないでしょう。私が在任していた教会の看板にもそう…
私が思う「遠くの神」のイメージとして、聖書の中で最も合うのは、一書としてはコーヘレト書に示される「神」である。有賀鐵太郎氏は、コーヘレトの神は「自己啓示の神ではなく、全く自らを隠す神、近き神ではなく遥かなる神である」と述べている(『キリスト教思想における存在論の問題』〔創文社〕第一部「ヘブライ思想における特殊性と普遍性」の「第三章 コー…
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