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2018/03/01

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  • わかってもらうなんて無理な話

    精神を病んでる人の辛さや気持ちを、健康な人にわかってもらうのは無理な話。それこそ、精神科医やカウンセラーでもなければ、対応は非常に難しいのだと思う。たぶん、私は今はカンモクではない。 通院している病院では、社会不安障害と診断されているけど、それだけでなくパーソナリティー障害もあるかもしれないと思っています。自分で調べただけで診断を受けたわけじゃないけど、境界性パーソナリティー障害の症状が今の自分にとても似ている。私が辛いときにおこしてしまった行動は、他の人を振り回す迷惑なものでしかない。 うつ病の兄弟がいたときに、私が兄弟の行動を全く理解できず迷惑だと感じていたように、周りの人に気持ちをわかっ…

  • ドン底まで落ちたら

    ここ数週間は本当に色々なことがあって、ドン底でした。本当に逃げ場がない状態になると、もう死ぬしかないという思考になってしまう。私は何度、死にたい、もう生きていたくないと思ったか分かりません。 自殺未遂をおこしたこともあります。それでも結局、死ねなかった。 そして自殺未遂をしてからも、辛い状態は変わらなくても何だかんだいって生きている。私は自殺なんてするなと簡単に言えません。 自殺を進めるつもりは勿論ないですよ。 勿論、そんな選択は絶対にしてほしくない。でも、死にたいと思うほど追い詰められている気持ちや、生きていることのが今は辛い気持ちはとてもよく分かるから、簡単に自殺するなとは言えないのです。…

  • 緘黙でもできるバイト

    高校卒業後、在宅ワークをしていたことがあります。いくつかアルバイトをしていたものの、どれも長続きせず自信をなくしていたときに、「なるべく話さないですむ仕事をしたい」といった考えになったのです。後ろ向きな気持ちで始めた在宅ワークでしたが、お金は正直あまり稼げないけど(稼げるかは自分の根気次第)、緘黙の人でもできるバイトのように思いました。私がした在宅ワークは、ネットの記事を書くといった内容のもの。 ダイエットや美容、旅行、グルメ等々、記事の内容は様々で、文字数が多いものほど単価が高かったです。 1記事2000円くらいのものを、コツコツと書いていました。1ヶ月に1~2万ほど稼いでいました。 頑張れ…

  • 美容院、少しずつ慣れてきた?

    カンモクの方は美容院が苦手という人が多いようですね。周りを見るとカンモクじゃなくても、美容院が苦手な人はけっこういるみたいです。そんな私も美容院は苦手です。 でも以前より苦手意識と緊張度合いは少なくなってきました。中学生の頃なんかは、親が代わりに希望の髪型を伝えていましたからね。 私は癖毛で半年に1度のペースで縮毛矯正をかけていますが、苦痛でした。2時間くらいかかるけど、その間、軽い緘動の症状がでてしまって出された飲み物や雑誌を手に取ることができず、ずっと鏡に写る自分の足元を見ていました。今は雑誌や飲み物も手に取れるし、「美容院、苦手ですか?」と聞かれるから緊張しているのはバレバレみたいだけど…

  • 私は整形美人

    最近、読んでいる漫画があります。 「私は整形美人」というもの。この漫画「XOY」というアプリで無料で読めるのです。話の内容は、不細工といじめられていた女の子が、整形して美人になり大学デビューを果たすというもの。 美人になったものの、その顔は周囲からも分かるほど整形顔なため陰では「サイボーグ」と言われてまう…。 そこに、腹黒天然美人の女の子が、女子特有の嫌がらせで主人公を苦しめていくのですが、それを放っておけないイケメン男子が主人公を助けるといった少女漫画っぽい内容です。現実にはイケメン男子のような人はいないだろうな~なんて思いながら読んでしまうけど、面白い!私は自分の容姿や内面に全く自信をもて…

  • スキャットマン・ジョン

    既に亡くなっている方ですが、アメリカの歌手。 吃音がずっとコンプレックスだったそうです。だけど、コンプレックスだった吃音を生かして歌を歌った。 凄いなあと、この方を初めて知ったときは感銘をうけました。コンプレックスや欠点と思えることは、克服せねば思いがちだけど、それを生かす方法もあるのかもしれない。なんてことを思いました。スキャットマン・ジョンの曲。 https://youtu.be/Hy8kmNEo1i8

  • 久しぶりの更新

    久しぶりの更新になってしまいました。最近はあまり心身の調子が良くなく無気力な日々が続いていました。 好きな映画や読書も音楽も興味をもてなくて、仕事や家事のルーティーンワークをこなすことで精一杯。せっかくの平日休みだけど、何しようか困ってしまう。 何か気分が上がることをしたいけど、何も思いつかない。 こういう時期は淡々とやり過ごしかない。

  • 夏がきて思い出したこと

    最近は本当に暑くなってきましたね。 私は寒さに弱いので、冬は苦手だけど夏は好きです。日の当たる時間帯が長くて、青空が広がるから気持ちも明るくなる。 夏は自分の誕生月なこともあって、好きな季節なんですけど、緘黙が酷かったときは夏が辛かったです。なぜかって、緘動で給食を食べられず水を飲むことさえできずにいたから。 休み時間にみんな水筒やペットボトルに入った飲み物を飲んでいても、私は鞄から水筒を取り出すことすらできずにいました。水筒は鞄の中に入っていたのですが、飲み物を飲んでいる姿を見られるのが嫌だったんです。 誰も見てないし(自意識過剰)、喉乾いてるのに飲み物飲まないって修行でもしているのか?って…

  • やりたいことや夢を諦めない

    "現実というものは「これまでの人生」なんです。つまり、それは変えられない"過去"です。ぼくはそれまで飛行機とロケットの勉強をしていました。でも学校の勉強はほったらかしていました。そのせいでぼくは「将来、飛行機やロケットの仕事はできない」といわれたのです。 この変えることができない"過去"を見て、"未来"をあきらめろといわれてしまうと、(努力しても無駄だ)という気持ちになります。""今の自分を見て、未来の自分を決めない。"植松努さんの著書『空想教室』から。 失礼ながら、この方のことは全くご存じなかったのですが、ネットサーフィンをしていたところ、植松努さんのブログに偶然辿り着きました。 ブログで書…

  • 努力って?

    人とうまくコミュニケーションがとれないことに悩んでいた時に、親から言われた言葉があります。「人と話せるようになるために、どんな努力した?努力してる?」当時、高校を卒業し、スーパーでアルバイトをしていました。 学校で人並みに話せなかった自分には、社会人として基本とされる挨拶や返事、ホウレンソウをすることすら、うまくできずにいました。 それでも毎日自分なりに、どうしたら上手くできるようになるのか?試行錯誤しながら働いていました。それまでろくに人と関わらずにいた自分が、毎日アルバイトして人と関わっていることだけでも、凄くエネルギーのいることで、私なりに努力していると思っていました。だけど… 母からす…

  • ぼやき

    1番苦手というか、キツい言葉で言うと大嫌いなタイプの人間がいます。それは「弱いものにあたる人」男性が女性に対して暴行する事件はよく聞くけど、その逆は殆ど聞かない。 自分のストレスを発散する対象として、自分より力が弱く抵抗される恐れのない人(女性や子ども)は最適なのでしょう。男女関係なく、自分より弱い立場の人や強く出られない性格の人に対してあたる人は多い。 緘黙で話せなかった私は、そういう人から目をつけられることが多かった。「弱いものにあたる人」と書きましたが、1番弱者なのは"あたられる人"ではなく"あたる人"だと思います。自分より弱いものへの対応で、その人の本性が分かると思っています。 弱者に…

  • 言葉に詰まる

    緘黙の後遺症なのか、今でも人と話すときにすぐに言葉がでてこないことがあります。頭の回転が鈍くなるのか、相手の言った言葉がすぐ頭に入ってこないときがあります。相手の言ったことを理解するまでに、時間がかかってしまう。 その後、「どう答えるか」を考える(これも話す経験が不足しているため瞬時に返す言葉が思い浮かばない)から、返事が普通の人より遅くなってしまう。もしくは、早く答えないと!という焦りから言葉が頭の中でまとまっていない内に話してしまい、相手にきちんと伝わらないこともある。しかもそういう時はタドタドしい話し方になってしまうから、年相応の会話力がない自分が恥ずかしくなる。でもこの症状はリラックス…

  • まさかの再会

    先日、久しぶりに地元に帰って親と食事をしたのですが、その時に懐かしい人と再会しました。保育園時代、担任だった先生です。 偶然レストランで会って先生から声をかけてくれました。保育園にいたのはもう何十年も前のことで、保育園での先生とのやりとりは殆ど覚えていません。 だけど、ハッキリ思い出せるのは小学生になってから友達の兄弟がいる保育園を覗きに行ったときに先生と会ったことです。 「大きくなったね~!」と言って、当時背が高くて決して小柄でなかった私を抱っこしてくれました(重かっただろうなあ…)。あれから何十年と経って他にもたくさん子どもを受け持っていただろうに、自分のことを覚えていてくれて顔を見て気づ…

  • 自尊心の低さと摂食障害

    中学生のときに摂食障害になって、その後は良くなったり悪くなったりの繰り返しでした。退院後は倒れる寸前の状態になるまで悪化することはなかったけど、極端な体重の増減を繰り返していました。その状態がようやく落ち着き、痩せていないとダメ思考から解放され食事を楽しむことができるようになったのは最近です。摂食障害の症状があった当時は、自分のことが大嫌いでした。 性格も容姿も良いと思えるところなんてなく劣等感の塊でした。 自分には何も魅力がないから、せめて体型だけはスリムで綺麗にしていないといけない。そして何事にも地道にコツコツ真面目に取り組んで努力することくらいでしか評価されるポイントがないと思っていまし…

  • 自分だけじゃなかったのね

    偶然見かけた記事にこんなのがありました。http://news.livedoor.com/lite/article_detail/14704240/道でわざとぶつかってくる人。 実際にいるんですよね。仕事帰りの夜に道を歩いていたときのこと。 広い道で人通りも少なく、私は道の端(ガードレールの横)を歩いていました。斜め向かいから一人の男性がこちらに向かって幅寄せするように早足で歩いてきて、私はガードレールがあったのでそれ以上横に避けることができず、その男性の持っていた鞄が思いっきり肩にぶつかりました。道は広くて、私やその男性の周りに人はいなかったのでぶつからないよう避けることはできたと思うんです…

  • 東京

    結婚を機に東京に引っ越して、かれこれ3年経ちます。 地方の田舎育ちだった私は東京に慣れるのが大変でした。どこに行っても人が多い。 朝の電車や駅のホームは混雑して、行き交う人もピリピリとした雰囲気。 向かいから歩いてきた人とお見合いになると舌打ちされることもざらにある。そして、人が多い分、不審者に遭遇する率も高い。 地元に行た時は不審者に遇うことは滅多に無かったのですが、東京に来てからは多くて警戒しながら歩くようになりました。新しい物やお洒落なお店がたくさんあって、交通の便も仕事も充実していて便利な反面、都会は自分には合わないな~と感じます。だからたまに地元に帰るとほっとします。 道を人を気にせ…

  • 何年ぶりかな

    夢の国に行ってきました。ディズニーランドは小学生以来だけど、乗ったアトラクションとか結構覚えてた。 ホーンテッドマンションは記憶にある通りだった。 子どもの頃の記憶って意外と覚えているものなんだな~。ディズニーキャラではのほほんとしたプーさんが一番好き。 その次はシンデレラ。楽しかった!

  • 一言あるかないかで

    アニメ「あたしんち」で、一言が大事というエピソードがあった。私の父はいつも一言足りなくて、家族から嫌がられていた。 人の物(パソコンや本)を勝手に自分の部屋に持っていって使ってしまう。 一言「借りるよ」と言えば良いのに、黙って持っていってしまう。夜、居間で一人勉強していたら無言で電気を消されたこともある。 父は「電気代がもったいない」「早く寝ろ」と思ったのかもしれない。 だけどそれならそれで、「電気代もったいないから電気消すよ」とか何か言えないのか?と思う。いつだか母が父に言っていたことがある。 「お父さんは"ありがとう"と言わないよね」と。 父が「そこのクッションとって」と母に言って、母がク…

  • ぽかぽか陽気

    お花を見に行った。 天気が良くて暖かいと出掛けたくなる。 全然関係ない話だけど、私は真顔でいると話しかけづらい雰囲気があるらしい。 何故か心配されることもある。 だから人と話すときは表情にとても気を遣っているのだけれども、やはり緊張しているときは表情が固いらしい。いつも笑っているような穏やかな表情になれたら良いのにな。

  • 進路

    高校卒業後の進路にはとても悩みました。私が行っていた高校は、進学する人と就職する人の割合が半々くらいでした。心理学を勉強したいと思っていたものの、もう学校に通うのは嫌だという気持ちのが強く、進学は考えませんでした。就職についても、厳しい状況でした。 担任の先生から「あなたには就職の面接は厳しいと思う」と言われ、就職を引き留められる形になりました。 学校での私を見ていて、先生は私には面接が厳しいと思ったのでしょうね。 コミュニケーション面に不安のある生徒を、学校からの紹介で就職させることを危惧していたのだと思います。 変な生徒を紹介したら学校の評判に関わりますから。私自身も就職できてもその後やっ…

  • アルバイト

    中学の時と違い、高校では緘動がでることはなくなりました。 緘動がなく、お弁当も食べられたことからそれまでと比べると学校生活は楽なものになりました。コミュニケーション面については人並み以下といった感じで、自然に笑うことも、自分から話題をふることも殆どできず、何気ない質問にも何て返事を返せば良いのか考えてしまって、答えに時間がかかっていました。クラスの子は優しく、中学のときと比べてからかわれることは全くありませんでした。 何かと気にかけてくれる子がいて、その子は私が孤立しないようにグループに誘ってくれたり色々な面で助けてくれました。 それが嬉しい反面、自分が情けない、気を遣わせて悪いといった気持ち…

  • 体育

    高校で1番苦労したのは、体育の授業でした。 体育や家庭科の調理実習など、グループで行うものがとても苦手でした。体育の授業は週3回あり、その度に憂鬱でした。 高校の体育の授業はゆるい感じで、好きな子とグループを作ってバドミントンやボール投げの練習をすることが多かったです。まずグループに入るのが大変でした。 自分から「一緒にやって良い?」と言うことに凄いエネルギーが必要でした。 グループに入れてもらっても、運動音痴なのに加えてうまく話せなかったので、馴染めている感じがせず「私がいて迷惑じゃないかな」とネガティブ思考に陥り、常に居心地の悪さを感じていました。仲良くしてくれる子がいても、「自分といると…

  • 上手くできなくても良い

    高校で自分の思うように話せず、落ち込む毎日でした。とりあえず、何か話しかけられたら声が小さくても良いから返事をすること挨拶を返すこと何かして貰ったらお礼を言うことそれだけはやれるように頑張ろうと思いました。「話すのが苦手でも、一生懸命話してくれる人に悪い感情を抱く人はいない」と支援学級の先生が言っていた言葉を思い出し、「声が小さくても上擦ってもスラスラ話せなくても良いから、頑張って話そう」と考えることができました。教室での休み時間は孤立気味でしたが次第に 何人かの女の子達と少し話せるようになり、一緒にお昼を食べるようになりました。

  • 第3の難関

    高校入学後、第3の難関がお昼でした。中学では給食を全く食べられなかったので、高校でお昼を食べられるか、緘動がでないかが心配でした。それに加えて心配だったのは、一緒に食べる人がいないということ。 既に仲良しグループが出来上がって来ている中、私はまだクラスの誰とも話していませんでした。誰かに話しかけよう。 話しかけて仲良くなるならお昼がチャンスだと思いました。お昼時間になり、心臓はドキドキ。 とりあえずお弁当を机に出し、誰に話しかけようかキョロキョロしていました。 そんなときに、「お昼一緒に食べよう」と一人の女の子が声をかけてくれました。「私(名前)って言うんだ。よろしくね」とその子は言ってくれま…

  • 高校入学後

    高校は周囲から通信制に行くことを勧められたけど、普通校に行くことに決めました。高校に行ったら話すんだ。普通になるんだ。そんな思いが強かったので、通信制高校という選択肢は自分の中にはありませんでした。 今考えると通信制を選んでいたほうが無理なくステップを踏めるので緘黙の治療には良かったのかもしれません。県立高校に進学し、最初の難関は入学式でした。 新入生の名前が一人ずつ呼ばれ返事をしないといけなかったのです。 一言、「はい」と言うだけ。 それだけのことに心臓がバクバクでした。皆が平然と返事をしていく中、私の名前が呼ばれます。 私一人だけ「はい」の返事が明らかに変でした。 緊張で声が上ずり妙に甲高…

  • 桜。春が来るのは嬉しい。

  • 初めて学校で話せた

    特殊学級に在籍するようになり月日は流れて、3年の終わり頃、特殊学級の先生と話せるようになりました。といっても、その先生と二人きりの時じゃないと話はでなかったし、先生も忙しかったのでそういった機会は少なかったのですが、それまで誰に対しても無言だった私にとって、とてもとても大きな変化でした。なぜ、話せたのか? ハッキリとは分かりません。特殊学級という場所が、教室よりも安心できる場所で不安感が減ったこと。当時、人と接するときは常に恐怖心を抱いていたのですが、その先生には恐怖心をあまり抱かなかったこと。そういったことが影響したように思っています。先生には恐怖心が少なかった理由もハッキリとは分からないけ…

  • 再登校

    退院して、しばらくの自宅療養後、再び学校に登校するようになりました。母がスクールカウンセラーの先生に色々と相談してくれたようでした。 再登校後、転機が訪れます。学校に行くと、緘動で給食が食べられないこと、摂食障害もまだ完治していなかったことからお昼は家で食べた方が良いと言われました。 また、緘動の状態で一日を過ごすことは負担が大きいからしばらくは午前中のみの登校にすることになりました。摂食障害の発症をきっかけに、緘黙のことを知りこういった配慮をしてもらえるようになったことはとても恵まれていたと思います。そして、一番の転機は教室ではなく特殊学級に通うようになったことです。 場合緘黙は情緒障害に分…

  • 病院②

    最初は不安で退屈で仕方のなかった入院生活にも次第に慣れていきました。 入院中は本をたくさん読みました。当時はまっていた作家はシドニィ・シェルダンやダニエル・スティール、アガサ・クリスティーといったミステリー作家。 シドニィ・シェルダンやダニエル・スティールの本に出てくるヒロインは何故か決まって才色兼備。 漫画や本のキャラクターから影響を受けやすい私は、そんな才色兼備のヒロインに憧れ勉強のモチベーションを高めていました。入院中に一度だけ精神科医に見てもらったことがありました。 その時に場面緘黙と診断されたのですが、親からそのことを伝えられたのは退院後でした。 だけど、入院中に緘黙について取り上げ…

  • 病院

    病院に行くと、即入院することになりました。 そこから約3ヶ月程、入院生活が始まりました。入院生活は不安でした。 一日中家ではない環境にいることや、 困ったことがあっても自分から伝えられる自信がなかったからです。病院でも緘黙と緘動の症状はでました。 看護師さんが部屋に入ってくると、途端に緊張して固まり話せなくなる。 それでも看護師さんはみんな優しく、当時はとても憧れて将来看護師さんになりたいと真剣に考えたこともありました。入院中は進◯ゼミの教材で勉強していました。 中学~高校まで、勉強には熱心でした。 自分に自信がなかったので、テストの点数や成績・学歴など目に見える形での評価を得たかったのだと思…

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