新聞の摂理(51) 南アフリカ共和国、言語を絶する美しさの裏に
プレトリアの住宅街を案内される、美しい家の並ぶ高級住宅街だ。直接関係はないが、帝国主義時代の残滓を見て、私は18世紀フランスの歴史を思い出した。ルソーは、「当時のパリはおそらく、世界で富の最も不均衡な都会である。贅を尽くした豪奢と、この上なく嘆かわしい悲惨とが同時に存在する都会、、。」と言ったが、まさにこれは南アフリカでも共通しているだろう。華やかな宮廷生活、ルイ14世から16世の時代、宮廷はカルタ遊び、音楽会、フランス役者の芝居、イタリア役者の芝居等々、お遊びのスケジュールがビッシリというわけだ。それぞれ、終わった後は晩餐会、その後もカルタ遊び、あるいは賭け事、夜食等々、毎日毎日楽しいことに多忙を極めたというわけである。また王様はことのほか狩猟が大好きで、15世は何と平均3日ごとに狩猟に出という。簡単に狩猟と...新聞の摂理(51)南アフリカ共和国、言語を絶する美しさの裏に
次の日には、案内されて、その人種差別の実態をマザマザと見せられることとなる。公園に行けば公衆便所は、明確に白人用、黒人用と別れている。白人用は立派な建物で清潔なトイレであり、その裏に造られている黒人用は粗末で、見た目にあまりにもハッキリとしていて、調和が取れない、実に醜く不釣り合いな外見である。バスは、白人用の席は立派で、前の乗降口から乗り降りする。黒人は後ろの乗降口からである。その間は壁で区切られていて、互いに見ることも往き来することもできない。住居の寝室には、呼び出し用のボタンが付いていて、それを押せば、黒人の召使がとんできて、何でも命令通りに仕事をするようになっている。つまり主婦は何もしないで、ボタン一つで黒人召使にすべてやらせるようになっている。この主婦にとっては、洗濯機、掃除機、ディッシュウオッシャー...新聞の摂理(50)南アフリカ共和国、人種差別の実態
ところが同行のアメリカ人のM兄弟は、全く違っていた。この地に踏み入れたその瞬間から、氣分がすぐれない、体調がおかしい、等々空港から宿舎に至るまでにすでに氣分が悪かったようだ。その後、聞いてみれば、霊的におかしくて、自分の心には全てがシックリとしない何かまともでない霊界に翻弄されて、心が安らかでない、そういう氣持ちだというのである。それだけならまだよいが、彼は本当に体調を崩してしまって、ベッドから起きて来られないまでになってしまったと記憶している。私は、せっかくアフリカで、心地の良い欧州風の街にきたのに、彼は一体どうしたのだろうか、などとのんびりしたことを考えていたのだが。彼は霊的に極めて敏感であって、どうもこの地の混乱した歴史とか、多くの怨みの籠った霊人たちの、影響をまともに受けてしまったらしい。それと比較する...新聞の摂理(49)南アフリカ共和国、人種差別政策の亡霊
南アフリカ共和国は、19世紀~20世紀初頭、英国の植民地、大英帝国の統治下にあったが、いろいろと複雑な歴史を紹介するスペースはないので、けつろんを言えば1910年頃、アフリカーナーという、オランダなど英国人ではなく英語も喋らない白人達が、英国に対立した。けっきょく、彼らは英国統治下で自治を認められる。その後、ここではアパルトヘイトという人種隔離政策が強烈に推進され、南アフリカといえば、人種差別の代名詞のようになってしまった。長い歴史を経て、1994年にまで、現地人の熾烈なる闘いの末、ネルソン・マンデラ氏が大統領に就任し、現地人(黒人)が指導権を取得するのである。私たちが巡回したのは1977年であったから、当時は現地人(黒人)が、奴隷・召使として人間扱いされずに酷使され、徹底的に差別されていたその時代に属する。そ...新聞の摂理(48)南アフリカ共和国
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