ケニヤでも周辺数か国の宣教師が集まって、我々の一行を待っていてくれた。金先生による、一人一人の面接、心霊指導、質疑応答が主であり、私が通訳をする。知らない國へ飛び込んで伝道しようというのだから、その苦労ははかり知れない。ビザ問題、健康問題、基本的衣食住の問題、、等を始めてとして、兄弟の心情一体化問題等々。日・米・独の兄弟が共同で宣教するのだから、色々の問題、悩みがないはずがない。インタビューはそう簡単には終わらない。金先生は、さすがお父様から直接ご指導を受ける立場の先生だけあって、皆には大いに助けとなった。宣教師にとっては、文字通り砂漠の旅でオアシスを見つけて、美味しい水と、美しいも緑に、しばし心ゆく迄、憩いのひと時を持った様なものだっただろう。お父様がこうして巡回を指示されたのは、本当に宣教師に対する暖かい愛...新聞の摂理(44)ケニア訪問(2)
ケニヤでも周辺数か国の宣教師が集まって、我々の一行を待っていてくれた。金先生による、一人一人の面接、心霊指導、質疑応答が主であり、私が通訳をする。知らない國へ飛び込んで伝道しようというのだから、その苦労ははかり知れない。ビザ問題、健康問題、基本的衣食住の問題、、等を始めてとして、兄弟の心情一体化問題等々。日・米・独の兄弟が共同で宣教するのだから、色々の問題、悩みがないはずがない。インタビューはそう簡単には終わらない。金先生は、さすがお父様から直接ご指導を受ける立場の先生だけあって、皆には大いに助けとなり、文字通り砂漠の旅で、オアシスを見つけた様なものだった。お父様がこうして巡回を指示されたのは、本当に宣教師に対する暖かい愛からであったという事がしみじみと解った。日本人の宣教師の場合は通訳不要だが、それでも私が立...新聞の摂理(44)ケニア訪問(2)
私の巡回は今から45年も前の話である、書かれていることは全てその時の想い出である。現在は関係のないほどに変化・発展している事だろう、それを前提として読んでいただきたい。ケニアは英国植民地だったので、言葉は英語である。でもその英語たるや余りにも訛りが激しくて、私にはほとんど理解できない、という嘆かわしい状態だった。しかしながらアメリカの兄弟は、ケニヤの英語を理解できる。何故かと言えば、結局私の英語自体、あまり分かったと言えるほどに解ってはいなかった。だから極めて正当な英語を正しく話してもらえばわかるのだが少しくずれると全くわからなくなる、その程度だったせいである。それはそうと、ケニヤと言えば私は、大草原に猛獣をはじめいろいろな動物たちが戯れている、動物天国、そんなイメージを持っていた。それはないわけではないが、ケ...新聞の摂理(43)ケニア訪問
日本人が、アメリカ人ドイツ人と比べて、相当に劣るような言い方をしたが、誤解を招くので補足したい。私の巡回したのは、中東とアフリカであるが、この地域は日本人にとっては最も情報の少ない、歴史的繋がりの希薄だった地域だ。西洋人にとっては、中東・アフリカといえば裏庭の様なものだし。植民地政策を通じて、戦争、あらゆる種類の交易など、過去少なくも数百年にわたる、実際の激しい交流がなされてきた地域であり、いわば自分の体の一部分のような感覚があるだろう。もし目を東南アジア、中國に目を移せば、事情は正反対のなるだろう。この地域では、英語ほどでないとしても、日本語が通じる場合も多いし、歴史を通じて、色々な形で日本人にとっては近しい関係にあった。だから、宣教師の活動も、日本人の方がやりやすい側面もあるだろう。日本といえばそれだけで、...新聞摂理(42)トルコ、宣教師の証し(2)
世界宣教は、1975年、120カ国に、それぞれ日本、アメリカ、ドイツの3カ国から1人ずつ合計3人が派遣される摂理であった。我々が巡回したのは1977年2月だから、彼らが宣教に出て、まだわずか1~2年という時だった。トルコ、そして周辺のいくつかの国に派遣された宣教師たちが、我々を待っていたのだ。宣教師の証しを聴いて、印象に強く残ったのは、この3国の違いだった。世界に出て自分が自分の構想で開拓して基盤を造るという事になるとアメリカ人は非常に優れていた。彼らはむろん体も大きく、押出も良く、外交的である。それに何と言っても英語が自分の言葉である。さらに、世界何處でもアメリカ人といえば一目置くが、これは天の与えた長子國家の威力をそなえているためなのだ。だから、アメリカ人は何處に出ても物怖じしないし、相手も一目置く。一目置...新聞摂理(41)トルコ、宣教師の証し
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